幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 大図書館のパチュリーは蟲による障りを受けていた。ギンコは彼女を治療し、その代わりに一つの炎を授けてもらった。


 最近お寿司が食べたいです。あとがきで日常編のことについて連絡しますね。それでは。





幻想奇譚東方蟲師、始まります








第四章 火の目を掴む 捌

「それにしても、お前さんは珍しい蟲に憑かれたもんだな」

「そうなの? 蟲って言われてもいまいちピンとこないのよね。フェアリーってことなのかしら」

 

 パチュリーが提出したアイスファイアなる炎を使用して、湯を沸かそうという段取りになってから、ギンコはパチュリーにそんなことを言った。フェアリーとは、ギンコで言う所の蟲と似たような存在であるらしい。

 二人台所で言葉を交わす。ギンコは鉄鍋に、水を張っていた。

 

「泡沫はその存在の不安定さから、幻の蟲と言われている。空気中を漂っているうちに塵芥や風の影響で弾けてしまうため、それを目にすることは稀だ。元が泡状だから、ひどく脆いんだな。しかし、障りを起こせば症状は顕著であるため、対処法はしっかりと伝わっていると言う点でも、珍しい蟲だ」

「そう。じゃああの図書館にいればまた見られるかもしれないのね」

「かもな。俺もぜひ見てみたいもんだ」

 

 暖炉の上部にある金具に、水の入った鉄鍋を吊るし、ギンコはそう言った。

 今台所にいるのはパチュリーとギンコの二人だけである。レミリアたちは全員咲夜の様子を見に行くと言って別れたため、今は病室だろう。

 準備できたぞ。ギンコが炉の前から立ち退き、パチュリーが炉の下に組まれた薪に青白い炎を灯した。ずいぶん簡単にやってのけているが、パチュリーが行っている魔法というものは、ギンコにとって驚くべきもので、原理原則の全く違う異世界に来たのだと改めて認識させるほどのものだった。

 

「この炎は普通の炎とどう違うんだ」

 

 湯が沸くまでの時間、ギンコはパチュリーに聞いた。

 

「アイスファイアは簡単に言えば、触れた相手を凍傷にする炎よ。あなたが言う偽の火とは、ちょっと気色が違うかもしれないわ」

「凍傷にさせる……それは確かにそうかもな」

 

 ギンコが求める偽の火というのは炎のふりをしている炎である。このアイスファイアというものは、性質こそ普通の炎とは違うようだが、炎であることに変わりはないように見えた。

 炉の中。鉄鍋の下で、青白い炎が揺らめいている。木を燃やし、湯に熱を伝えている。陰火らしいといえば陰火らしい。問題は、これで調理した湯に同様の効能があるかどうかだ。

 

「今度は私から質問。私がもしあのままだったら、どうなっていたの?」

「ん? 泡沫のことか?」

 

 そうよ、とパチュリーはギンコに聞いた。パチュリーはつい先ほどまで、泡沫という蟲に寄生されていた。まるで計ったかのようにギンコが現れ、あっという間に治療したが、もしギンコが現れなければどうなっていたのか。パチュリーは気になっていた。

 そうだな、とギンコは語り出した。

 

「泡沫に寄生されると、まず身体中の水分が乗っ取られる。それは泡沫自身が、流れ出る水と一緒に体外に出てしまうことを理解しているからだ。体内循環以外に水分の移動がないようにと血液に乗って拡がり、支配する。寄生対象を膨らませるのも、体に傷をつけないようにするためなんだぞ」

 

 傷がつけば、血は流れていくからな、とギンコは言う。

 だからその後にどうなるのよ、とパチュリーは聞く。

 

「泡沫に寄生された末路は身体中に水がたまり、死んでしまうそうだ。泡沫のせいで水の排出……つまりは尿や汗といった自然な循環も妨げられてな」

「え、なにそれ。普通ならかなり危ないじゃない」

「そう。だからお前さんは運がいい」

 

 珍しいという意味でもな。ギンコは口の端を釣り上げた。だが、と言葉を続ける。

 

「お前さんの症状は軽いように見えた。ただの人間のようには見えんし、やはり妖怪なのか?」

「そんなのと一緒にしないでくれる? 私は生粋の魔法使い」

 

 間違えないで、とパチュリーは言う。

 そうしている間に、鉄鍋の湯が沸いた。あとはこれを飲ませるだけだ、とギンコは鉄鍋を暖炉から取り出した。

 

 

 

 

 咲夜の病室ではベッドの上で上半身を起こしている咲夜を、心配そうな面持ちで囲んでいる面々があった。フランドールだけは「眠い」と言って咲夜の膝枕で寝息を立てているが。

 

「咲夜。もう寒くないの?」

「ええ。もうすっかり。だからもしかしたら、このまま治ってしまうかもしれませんわ」

 

 だといいんだけれど、とレミリアは笑顔を向ける従者の体調を気遣った。

 咲夜を中心に、美鈴とフランドール、レミリアと小悪魔、とがベッドを挟んでいる。元気そうな従者を見て、幾分か心の不安も取り覗けた様子であった。

 そこへ、湯気の立つ器を持ってギンコとパチュリーがやってくる。部屋の扉が開き、全員の視線がそこに集中した。

 

「待たせたな。……布団から出てるってことは、もう寒くないのか」

「ええ、はい。寒気も収まって、体の不調はほとんどないです」

 

 一見、症状の改善に見えるそれが意味するところを、ギンコは知っていた。ヒダネの寄生段階が一つ進んだのだ。体温を十分に食い、草が芽を出し、毒を吐き始める。こうなると、宿主の体調は一旦回復し、その後じわじわと毒に侵されていくことになる。

 しかしそれも、これでなんとかできるかもしれない。そんな淡い期待も込めて、ギンコは咲夜に白湯の入った器を差し出した。

 

「少し口や胃の中が灼けるかもしれん。ゆっくり、少しだけ飲むんだ」

「はい……」

 

 器を受け取った咲夜はちらりと一度だけ、レミリアのほうを見た。レミリアは大きく、神妙に頷くと、咲夜もそれに答えて、白湯に口をつけた。

 普通なら、ここで咲夜は腑の灼ける痛みに体を折るはずなのだが、それがない。すんなりと、白湯を飲み干していく。そして器の中身が空になったとき。ギンコはやはりか……、とつぶやいた。

 

「どうなの咲夜? 何か変化はある?」

「いえ……美味しかったです」

「呑気なこと言ってんじゃないわよ」

 

 これはどういうこと? ギンコさん。とレミリアがギンコを見た。ギンコは口元に手をやり、何かを考えている様子。やがて、重々しく口を開いた。

 

「……治療はおそらく失敗だ。ただの白湯を飲んでも、体内に根付き始めたヒダネは駆除できない」

 

 この治療は、痛みを伴うことが前提だった。それがないとなると、治療は成功したとはいないだろう。

 

「そう……」

 

 一同が落胆の色を顔に滲ませたとき、うぐっ、と咲夜が胸元を抑え、手に持っていた器をフランドールのこめかみに落としてしまった。

 

「いたっ!」

 

 咲夜はそのまま胸元を抑えて苦しげに背を丸める。フランドールは驚いて咲夜の膝の上から体を引き抜いた。

 

「咲夜!」

 

 レミリアが不安花な声を漏らし、咲夜の背中に手を添える。その手を押し返すように、咲夜は二、三度咳をした。するとどうしたことか、咲夜の口からは草葉が吐き出され、緩やかな動きでそれは、咲夜の膝の上に降り積もった。

 

「草を吐き始めたのか」

 

 ギンコもその様子を見て近づく。こうなってしまえばあまり時間はない。なんとかしてくれ、とすがる視線を、ギンコはやんわりと受け止めた。何度も見てきたその視線に、馴れていた。

 しかしどうしたらいい。ギンコは必死に考えを巡らせた。体の中で芽を出した火種を駆除する方法……草を灼くのではなく、成長を阻害することはできないのか? 

 草は芽を出せば体温を奪うことをやめる。何を栄養にして育っているのか。それが、今回の解決の糸口となっていると、ギンコは思った。

 

「……今すぐどうするとは言えないが、必ず治療法は見つける。悪いが、少し集中させてくれ」

 

 図書館を借りるぞ、とレミリアに一言言って、ギンコは病室を後にした。

 

 

 

 物を考えるときはなるべく邪魔の入らない静かなところがいい。そういう理由で大図書館を選んだが、場所が変わってもいい案は浮かんできそうになかった。

 ここに来る途中、フランドールが開けた大穴から覗いていた空は赤みがかかっていた。時刻は夕方を回ったところだろう。草を吐き始めてから、一日二日の猶予があるとは言え、あまりグズグズもしていられない。ギンコは焦る気持ちを抑えながら、必死に資料を読みあさっていた。

 ヒダネ。陰火をまとって人の体温を奪い、成長する。成長しきったヒダネは根を下ろし、草の形をとって毒を吐く。草はヒダネの幼生の姿である……だが成長しきったヒダネも草の姿をとる。草としてのヒダネは植物と変わるような性質を持ちはしない。植物そのものだ。だとすれば……

 

「……くそっ」

「だいぶ行き詰まっているようね」

 

 自分の周囲に乱雑に資料を広げて、ギンコが毒づいたとき、背後から声がかかった。ギンコが座ったまま振り返ると、そこにはパチュリー・ノーレッジと。

 

「やっほー」

 

 フランドール・スカーレットが、パチュリーの陰から顔を出して立っていた。ああ、とギンコは短く返事をして、すぐに資料に向き直った。おざなりな対応に、フランドールは頬を膨らませていたが、パチュリーは、ギンコの方へ歩み寄りながら冷静に話しかけた。

 

「煮詰まっているのなら、話を聞かせてくれないかしら。急いては事を仕損じるとも言うでしょう?」

「……それもそうだな」

 

 隣までやってきたパチュリーに諭され、ギンコはため息をついてパチュリーを見上げた。

 

 

 

「……ヒダネという蟲を除去するには陰火で焼けばいいと考えていた。だがその方法が取れないとなると、また別の観点が必要になってくる」

「そこまでは私も理解しているわ。あなたは、その観点とやらに辿り着いているんじゃないの?」

「思いついている事は一つある。しかし、その方法は取れない」

「なぜ? 話してみてよ」

 

 パチュリーはギンコの前、資料を挟んで腰を下ろした。正座をするように足をたたんで、スカートを膨らませた。フランドールも、それにくっつくように座り込む。どうやら暇を持て余しているらしい、とギンコは思った。

 新たな観点。パチュリーが言うように、ギンコはそれにたどり着いていた。しかし、その方法はあまりにも突拍子のないもので、無駄だと知りつつも、ギンコは語った。

 

「ヒダネは今、あの娘の中に根を下ろしている。植物と変わりない状態だ。ゆえに植物と同じように枯らしてしまえばいいと思った」

「と、言うと?」

 

 ギンコは静かに言う。

 

「……身体中の血液を抜く」

「なにそれ、無理に決まってるじゃない」

 

 んなこたあわかってるよ、とフランドールの馬鹿にしたような口調に、ギンコは反論した。

 人間の体に根を下ろすという事は決して常なる現象ではない。火の光も届かない腑の中で、おそらくヒダネは血液を栄養に育っているだろう。ならその血液を全て抜いてしまえば栄養源が途絶えたヒダネは枯れ、体から離れるんじゃないか、と考えたのだ。

 だがもちろん、そんな事はできはしない。どうすればいいのか、とギンコが考えあぐねていると、思いついたパチュリーが言った。

 

「泡沫を使うのはどう?」

「なんだと?」

 

 その提案は、ギンコをして目から鱗の視点であった。それは毒を以て毒を制するような発想。なぜパチュリーがその事に気がついたのかはわからない。それが生粋の魔法使いの思考なのか。

 試してみる価値はある。だが問題は、泡沫をどうやって捕まえるかだ。そもそも、泡沫はまだいるのか。図書館を見渡してみる。すると、都合のいい事に、空中をふわふわと漂う泡がすぐさま視界に入った。

 

「おいおい。都合が良すぎるんじゃないのか」

「あれをどうやって捕まえるかよね」

「うーん。ちょっと任せてもらっていいかしら」

 

 そう言ったのはフランドールだった。フランドールは立ち上がると、いつかそうしたように空中を漂う泡沫へ手のひらをかざした。

 

「おい、潰してどうする」

「黙って見てる。あれはとても脆いのよね。見ててもわかるわ」

 

 でもだからこそ、とフランドールは能力を発動した。

 それは彼女の手のひらに対象の”目”を移動させるというもの。その能力がどう作用したのか、泡沫の”目”を移動させたフランドールの手には、泡沫そのものが移動していた。

 手のひらから数寸の距離を保ち、泡沫は弾ける事なくフランドールの手のひらに追従している。一体どういう事なのか。困惑するギンコに、フランドールはさも当たり前の事のように語る。

 

「これは全部が緊張している”目”のようなものよ。私の能力を使えば、手のひらの上に固定化出来る。ただそれだけのこと」

 

 腰に手を当てて、フランドールはつまらない事のように言った。



















 現在執筆中の第四章はそろそろ終わる予定です。それに合わせて、五章に入る前に一本、日常編というか番外編を10,000文字前後の一話完結であげたいと思います。平行執筆なので一日8,000文字くらい書いてることに……俺すげえな(質が落ちてないとは言っていない)。頑張ります。




それでは、また次回お会いしましょう。






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