幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 最悪の場合死ぬかも……死ぬ、かも……? 
 あとがきで衝撃の告白。それでは。





幻想奇譚東方蟲師、始まります。








第三章 偽主になる 陸

 ギンコが紫と共に九天の滝へと戻ってきた時、そこには苦しむ天狗たちの姿があった。

 皆一様に背中の痛みを訴え、肩を押さえてうずくまっている。歯を食いしばり、額に玉のような汗を浮かべ、その苦悶(くもん)の表情は、見ているこちらにも痛みを錯覚させるほどだ。

 椛が腕の中に収まる文へ、懸命に呼びかけている。ギンコが駆け寄った。

 

「何事だ、こりゃ」

「ギ、ギンコさん! わかりません……戻ってきたら、みんなが……みんなが!」

「お前さんが慌ててどうする。まずは落ち着け」

 

 狼狽(うろた)える椛の肩を叩いてなだめつつ、ギンコは落ち着けというその言葉を、自分にも言い聞かせていた。

 考えていた最悪の可能性。自分も初めて見る蟲の症状は、宿主の命を奪うかもしれない。どうする。どうしたらいい。文を触診しながら、ギンコは頭を働かせ、深く早く、考えていた。

 このまま、静観するしかないのか? 俺はこの苦しんでいる奴らを、見ていることしかできないのか? ギンコは歯噛みする。

 天狗たちは次第に体力を消耗しているように思えた。もしこれがヌシの選定だというのなら、いたずらに命を奪うことはないだろう。しかし、妖怪という存在に根を下ろした嫩草は、ギンコの目で成長していることが追えるほど、活性化を見せている。どうなるかわからない。本来根を下ろさない存在に根を下ろしてしまい、嫩草の方も戸惑っているだろう。

 このままいけば、最後の結末はなんなのか。ギンコの背中を見ながら、藍は腕の中の(ちぇん)を見た。橙の弱々しい呼吸を、鼓動を感じる中で一抹の不安が拭えない。むしろ、だんだんと大きなっていくそれに、胸が押しつぶされそうになる。知らず、呼吸が荒くなる藍の肩に、紫が手を置いた。

 にとりが椛のそばに寄っていく。いつもは飄々として偉そうな鴉天狗が、椛の腕の中で余裕をなくし、痛みに顔を歪めている。おい、どうした。そんなんじゃないだろう。いつものお前は。そんな言葉も、今は気休めにもなりはしない。

 にとりがギンコに迫った。

 

「なあ、あんた蟲師だろ! これは蟲が原因なんだろ!? なんとかしてくれよ!」

「……今、考えてる」

「考えてるじゃあ遅いんだよ! 今! こいつらを救ってやれよぉ!」

 

 胸倉を掴みあげ、そう叫ぶ河童と、ギンコは目を合わせられなかった。そう、ギンコは蟲師である。だからこそ、この状況が何を意味するのかも、この場にいる誰よりもよく理解していた。

 ギンコはふぅと細く息を吐く。そうして腹の底に、感情を落とし込んだ。そしてじろり、とにとりを見据える。

 にとりは思わず身を引いた。ギンコの目。いつか川底の翡翠と称したその目が、暗く(よど)んだ、沼の淵のように据わっている。目が語る。最悪のことも考えておけ、と。

 これは(ことわり)範疇(はんちゅう)だ。自然の流れのままに行けば、おそらくこの者たちは衰弱死する。どうする。

 ギンコは必死に考える。嫩草(わかくさ)の生態を考える。霧や雲に紛れて空気中を漂い、光脈筋に根を下ろす。小さな蟲。

 ギンコは必死に考える。ここに来た時の天狗の様子。ここに来てから、天狗の症状は悪化した。ここに連れて来れば回復すると踏んでいたが、それは酒気の症状だけで、嫩草にとっては逆なのだとしたら。

 

「(こいつらも戸惑っているんだ。妖怪という存在に根を下ろしてしまい、その強靭な生命力を受け更に活性化している。だが決して根付いてはいない。ヌシへの条件は活性ではなく同調だからだ。だとすれば……)」

 

 思いついたように、ギンコはすわと立ち上がる。邪魔になるのか、桐箱を乱暴に背中から下ろし、羽織の内側を弄って火打石と火口(ほくち)を取り出した。そして、こんな時にギンコは蟲煙草を吸い始めた。

 何をし始めたのか。一同がギンコの動きについていけないでいると、ギンコは椛の腕の中から文を奪い取るように抱きかかえ、うつ伏せにして背中を露出した。うぞうぞと動いている嫩草が見える。やはり、根付いていても定着はしていない。定着しているのなら、こんなに落ち着きのない動きは見せない。

 霧と雲の話を考えた時、ギンコはある蟲を思い出していた。それは(すずり)の中で化石になり、墨をすることで外に出て、子供達の中に取り憑いた蟲の話。対処法は、本来の住処に近い場所まで連れて行ってやること。雲や霧が発生する、標高の高い場所まで連れて行けば、蟲は仲間に引き寄せられて、自然と体から離れていった。今回もそうだとしたら……。試してみる価値はある。

 ギンコは蟲煙草を大きく吸い込み、その煙を、背中に生える嫩草に吹きかけた。蟲煙草の煙は、蟲を感知すると巻きついて離れなくなる。そして、すぐに霧散する。いつもならば、その性質に従って霧散するはずだが、今回は気色が違うようだった。

 ギンコの吐いた煙が嫩草にまとわりついていく。ぐるぐると煙に囲まれた嫩草は、どういうわけか、自分自身も煙へと変じ、蟲煙草の煙と同化して、大気に解けるように霧散した。そしてそれに伴って、文の表情も落ち着いたものになっていった。どうやら上手くいったようだと、ギンコはため息をついた。

 

「……なんとかなったか」

「え……え!? ど、どういうこと?」

 

 近くで見ていたにとりが驚愕する。それはそうだ。ギンコが煙を吹きかけたと思ったら、背中の苔が消え、症状が改善したのだから。

 

「嫩草たちは決して定着していたわけじゃない。とある蟲の話から、霧状の仲間が近くにいれば、自然と離れていくのかもと思ってな。事実、ここに来た後に天狗たちは症状の悪化を見せた。里にいる間は、体力こそ持っていかれたが、背中に苔はなかったはずだ」

 

 そう言えば、とにとりは今気づいた顔をする。ギンコは指先で蟲煙草を取り、煙を細く吐きながら続けた。ギンコもホッとしているのだろう。優しい響きの語りは続いていく。

 

「それで、蟲煙草の煙を近づければ霧に戻るのかもと思ってな。試してみたが、どうやら上手くいったらしい」

 

 呆気にとられているのはにとり。落ち着いた表情の文を見て、安堵しているのは椛。そしてよっこらせと立ち上がるギンコを見て、感心していたのは紫と藍であった。

 

「それじゃあ、全員の嫩草を取り除かなきゃあな」

 

 そうしてギンコは次々と、天狗たちの嫩草を取り除いていった。危機は去った。文の症例と同じように、天狗たちの背中から嫩草が消えていく。煙を吹きかけて対処するたびに、ギンコの肩に手を置いて、すごいすごい! とにとりがはしゃいでいる。

 藍は心底安堵していた。これで橙も助かる。もうこれ以上、苦しむ姿を見ることもない。天狗たちへの対処を終えたギンコがこちらに近づいてくる。

 

「さて、こいつで最後だな」

「ギンコ……」

 

 煙草をくわえたギンコに、藍が言う。

 

「ありがとう」

「……おう」

 

 顎を引いて頭を下げた藍の礼の言葉に、ギンコは小さな声で応じた。その口から煙が放たれ、橙の体に巻きついていく。これでやっと、と誰もが思った。しかし。

 

「ん?」

 

 ギンコが疑問符を浮かべる。様子がおかしい。なぜだ。なぜ、嫩草が霧散しない?

 

「ど、どういうことだこれは」

 

 藍が取り乱す。ギンコにもいよいよわからなかった。だがすぐに、一つの可能性に思い至る。

 

「まさか……定着しているのか?」

「定着だと? なら、橙は……」

 

 ヌシに、なろうとしているのか……? 橙は妖獣だ。妖怪よりも、動物に近い存在。嫩草が定着することは、十分に考えられた。そしてヌシになれば……。

 

「……橙?」

 

 元の獣には、戻れない。

 

「橙!」

 

 藍の声が、滝の音にかき消されるようだった。

 

 

 

 光る川のそばに一匹の猫がいた。猫は自分が何者かも、なぜここにいるのかも憶えていないようだったが、その光る川のほとりを、ただ静かに歩いていた。

 光る川をよく見れば、無数の小さな光の粒が流れているのだとわかった。うようよと(うごめ)く、命の川。神々しいまでに光り輝くそれは、大層に美しかった。

 猫はその光る川に見惚(みと)れていた。すてきだ。いつか藍様と見た星空に流れる川のよう。藍様って、誰だっけ? 

 猫はじっとその川を眺めていた。光る川の周囲には、闇が広がっている。川の光が強すぎて、周りのものが見えなくなっているのだろうか。猫は考えた。

 そうしているといつしか、猫はその川に近づいていった。なんだろう。川の向こうに、人魂のようなものが見える。私を呼んでいる? 猫は一歩、川の中に足を踏み出した。すると。

 

「ダメだよ」

 

 耳を揺らす、確かな音響。猫はびっくりして、思わず足を引っ込めた。何処から聞こえた声だろう。周囲を見渡すと、音源は以外と近くにいた。

 左隣。猫を見下ろすように、つばの広い帽子を被った少女が立っている。

 

「ここに来ちゃダメ。待ってる人がいるんでしょ?」

 

 待っている人? 猫には何のことかわからなかった。でもどうしてだか、うん、とその言葉に答えていた。その答えを受けて、うん、と言った少女は、猫の横にしゃがみ込んだ。

 帽子を被る少女は猫を抱き上げる。不思議なことに、鼻の頭まで濃い闇がかかっており、目が見えなかった。鼻の頭を、キスをするように合わせる。にこやかに笑う口元だけが、少女の表情を作っていた。

 

「君はいいよねえ。待ってる人がいて。私はいないからさ」

 

 にこやかな少女はそう言った。そして光の川と反対方向へ、猫を向けた。しゃがみこんだ少女の膝に足を乗せ、少女に抱かれながら猫はその方向を見る。白い、眩しいくらいの光が、闇に穴を空けていた。

 

「眩しいね。こことは大違い」

 

 そうだね。猫も同意した。

 少女は猫をそっと地面に下ろして、白い光の方へと促した。猫は振り返る。あなたはいかないの? 少女はにこやかに笑う。なぜだか目が見えないその表情。だけどその時だけは、なぜか。苦笑しているのだと、猫にはわかった。

 

「行けるのは君だけ。私はここにいるよ」

 

 そう、と猫は光の方を見る。そしてもう二度と、少女の方を振り返ることはなかった。

 眩い場所へ、猫は帰る。そうか、私は。

 猫は全てを思い出した。その瞬間、世界は白に包まれた。

 

 

 

「橙! 橙!」

 

 藍は必死に、腕の中の橙に呼びかけていた。ギンコの処置がうまくいかず、なぜだか橙からは嫩草が離れていかない。

 

「ギ、ギンコ……」

 

 ギンコは目を伏せる。指に挟んだ煙草から白煙がゆらりと立ち上る。それは揺れ動くギンコの心を表しているようだった。どうしようもない。ついにギンコをして、打つ手は無くなった。

 誰もが口をつぐんでいた。静寂を打ち破るように、口を開いたのはにとりだった。

 

「で、でもさ! 死ぬわけじゃないんでしょ? だったらそんな暗い顔する必要ないじゃん!」

 

 それもそうだ。にとりが言うように、死ぬわけではない。しかし、ヌシとなるということは孤高になるということ。山と誰よりも密接に関わるゆえに、山に住む誰とも繋がりを持つことはできない。頂点という名の下に、天涯孤独に生を終えるということである。

 それはつまり、愛着ある存在との別れを示していた。

 

「橙……」

 

 小さく、藍がつぶやく。誰もが目を伏せていた。なんと声をかければいいのだろう。精一杯口を開いたにとりも、二言目を紡ぐ元気はない。嫌な沈黙が流れる。

 そんな沈黙を破る。橙が動きを見せたのはそんな時だった。

 もぞりと藍の腕の中で橙が身じろぎする。橙! 藍が大きく呼びかけた時、橙は初めて口を開いた。

 

「藍……さ、ま……」

 

 その一言を受けて、どういうことか、背中の嫩草が霧と消えていく。橙の意識の覚醒とともに、症状が消え去ったのだ。そして、ギンコをはじめとする一同が感じ取る。

 それは山の異変。それまで不安定だった何かが、かちりと収まったような清澄な雰囲気が、山を満たした。ギンコがつぶやいた。

 

「ヌシが……生まれたんだ」

 

 橙! 呼びかける藍の言葉に、橙は一度だけ答えると、そのまますっと目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 妖怪の山の中腹あたり。ここが光脈筋になってから、色々と見回りながら調査をしていたギンコだったが、そろそろ一度ヌシを拝んでおこうかということで、山の中腹にある大きな池にやってきていた。

 木漏れ日を反射する水面は、波紋一つない。それはまるで鏡のようで、池を縁取るように咲く蓮華が、なんとも荘厳で、幻想的な場所だった。

 

「すげえな、こりゃ」

「そうだろう?」

 

 思わず独り言で賞賛の言葉を漏らしたギンコだったが、それに答える声があった。声のする方を見れば、つばの広い帽子を被った子供が立っていた。どこかで見たような姿だが、別人だった。帽子には目玉のような飾りがあり、どことなく蛙を思わせる。

 ああ、見事だ。とギンコが言うと、くくっ、と喉を鳴らすように、少女は笑った。

 

「君が蟲師だね」

「そうだが。お嬢さんは」

諏訪子(すわこ)洩矢 諏訪子(もりや すわこ)。神様だよ」

「へぇ」

 

 そりゃ、大層なご身分で、とギンコは腰を下ろした。桐箱を傍らに置き、蟲煙草に火をつける。神様だ、と名乗られて、あまり反応を見せないギンコの隣に、少女も座り込んだ。

 

「ヌシに会いにきたの?」

「ああ。ここにいるのはわかってるんだが、どうも池の底から出てきてはくれんようだ」

 

 ま、気長に待つさ、とギンコは言う。そんなギンコの横で、足を交互に、ゆっくりとばたつかせながら諏訪子は言った。

 

「呼んであげようか? 出てきてーって」

「お、さすが神様だな。じゃあ頼むぜ」

「あいよー」

 

 諏訪子は気軽に返事をして、立ち上がった。そしておもむろにケロケロ、とカエルの鳴き声とも聞こえるような言葉を発する。

 端から見れば可愛らしく、子供が蛙の鳴き真似をしているようにしか見えない。しかし直後、水面に波紋が沸き立ち、池の中心が盛り上がったと思ったら、人一人丸呑みできそうなくらい大きな蛙が姿を現した。池の縁に波がぶつかり、躱す暇もなくギンコが水浸しになる。蟲煙草の火も消えてしまった。

 そうして微動だにしないギンコの様子がおかしいのか、自称神様の少女はお腹を抱えて笑っていた。

 

「はっはっは!」

「笑いごとじゃねえよ」

「ひー、ひー、あーごめんねぇ」

 

 そこまで笑われると、ギンコもなんだか可笑しな気分になってくる。姿を現したヌシの大蝦蟇(おおがま)も、何処と無く口の端がつり上がっているように見えてくるのだから、人の感情とは勝手なものだ。

 びしょびしょになったギンコは、そのまま水を滴らせて立ち上がる。桐箱を背負い直して、歩き出そうとする背中に、諏訪子が声をかけた。

 

「おーい色男。もう行くの?」

「ああ。ヌシを一目見られりゃいいと思ってたからな。ずぶ濡れになるつもりはなかったが」

「くくっ。そうなんだ」

 

 ちらり、とギンコは池の中心に太々しく居座る大蝦蟇を見る。背に植物を背負った、荘厳な佇まい。向こうの方が幾分神様らしいな、とギンコは思った。

 そうして歩き出す直前、ギンコは一つ、あること思い出した。

 

「そうだ。神様よ」

「ん? なんだい?」

 

 振り返ってギンコが聞く。

 

「帽子をかぶった、蟲のような妖怪を知らねえか。ずっと探してるんだが、どうにも見当たらないんでね」

「蟲のような妖怪……」

 

 諏訪子は少し考える。しばしの黙考の後、諏訪子は口元に笑みを浮かべて、首を横に振った。

 

「いや、知らないね」

「……そうかい」

 

 それだけ聞くと、ギンコは振り返って茂みの中へ歩み出した。服、乾かさなくていいの? と諏訪子がその背中に声をかける。これから天狗のところへ行くんだ。そこで乾かしてもらうよ、とギンコは後手を挙げて答えた。

 その背中を、神様と、新たなヌシが、静かに見守っていた。

 

 

 

 山に座するは光の川。偽主を生み出し、山は()れを試す。

 選ばれしは(ほま)れなり。耐えよ。さすれば後に残るは、偽りのない(まこと)のヌシのみ。




















 第三章は6話で終わりだと言ったな(活動報告)……あれは嘘だ! フハハハハハ!
 はい。後一話だけあります。バクマン(実写)見てたらすげー書きたくなった。そうです。昨日の用事は妹と映画見に行ってたのです。面白かったよ。うん。
 第7話はなんかエピローグ的な内容になると思いますがちゃんと書きますよー。基本的にギンコさんが色男で少女たちがくんずほぐれつな内容になればいいな(大嘘憑き)。あ、いや書きますよ? それは本当です。
 明日あげれればいいなー(白目)それでは。





また次回、お会いしましょう。




ー追記ー
 7話の具体的な内容はあの時の裏話やせっかく天狗出したのに出番のなかったあの子とか出ちゃうと思います多分。たぶん。

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