幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 ギンコと紫、藍と椛とにとり。橙の捕縛と天狗の診察で、二手に分かれての行動を開始した。

 まだだ……! まだ、今日だ……! だからちょっと遅れただけだ……! ……ふう、それでは。




幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第三章 偽主になる 伍

 式が剥がれた橙を捕えるために行動を開始した三人だったが、思いのほか苦戦を強いられていた。

 舞台は山。そして捕縛対象は山猫である。走り、追いかけたところで見失わないのがやっと。草木の合間を()ってしなやかに走り抜ける移動速度に、人の形をした二人がついて行けるはずもない。

 鳥の(さえず)りが(むな)しく聞こえてくる森の中で、足を止めた藍が考えを巡らせていた。(うな)る藍の側には、どこか遠くを見つめる椛がいる。千里眼で橙の様子を見ているのだろう。体は動かさず、口だけで藍に尋ねた。

 

「さて、どうします? かれこれ半刻(はんこく)は追いかけっこしたと思いますが」

「今考えてる。というか河童はどこに行ったんだ」

「さあ? 面倒臭くなって逃げたとか?」

「あいつめ……」

 

 藍が恨み言を呟くと、近くの茂みががさがさと揺れた。

 

「酷いこと言うねえ。こっちはこっちで色々頑張ってたのにさ」

 

 やっと合流できた、と河童のにとりが草をかき分けて現れた。背負っていた背嚢(はいのう)がなくなっているが、そんなことを指摘している場合ではない。今までどこで何をしていた、と藍が問い詰める。

 自分の頭を指差して、口の端を釣り上げたにとりが言う。

 

「体力使って頑張ってるお二人さんには悪いけど、こういうのは頭を使ったほうが早く結果が出るってね」

「言うじゃないか。で? 何をしていたんだ?」

「いや、なに。ちょいと罠を仕掛けてきたよ。河童印のお手製、特製ってやつをね」

「トラバサミでも仕掛けたんじゃないだろうな。もしそうなら、許さんぞ」

 

 睨みを利かせた藍の視線を、にとりは諸手を挙げて受け流した。

 

「大丈夫。無傷で捕獲できるやつだよ」

 

 自信あり気に胸を張る河童に対し、藍は嘆息する。罠だと? 私の式を務める橙が、そんじゃそこらの罠に引っかかるわけがない。そう、言外に言っていた。

 藍は肩をすくめて、呆れるように言った。

 

「どんな罠かは知らんが、橙は頭がいいんだぞ。そんな簡単につかまるわけが……」

「あ、捕まった」

「え」

 

 千里眼で橙を見ていた椛が呟く。河童がうっしゃあ! と拳を天高く突き上げ、その後ろでは藍の間抜けな声が漏れていた。

 

 

 

 

 三人が橙の捕獲に成功していた頃。ギンコは再び、天狗の里を訪れていた。天狗たちの背中に生えた嫩草を見て、ギンコはある仮説に思い至ったらしい。それを確かめるべく、ここにやってきていた。

 天狗の里の周辺。森に近い外周付近を、がさがさと漁るギンコを見て、その背中に紫が声をかける。

 

「なにを探してらっしゃるんですの?」

「ん? いや、探しているというか、ないことを確かめている、ってところか」

 

 なにやら意味深な発言をするギンコだが、その真意は紫にも計れないようである。日傘をくるくると回し、退屈そうだ。

 

「退屈ですわ。ギンコさん、何かお話ししてくださる?」

「お前なぁ」

 

 わがままにもそんなことを言い出す紫に、ギンコは呆れたようにため息をついた。その様子を見ても構わずに、紫は世間話を始めた。

 

「ギンコさんは幻想郷に来てどうです? 楽しく過ごせていまして?」

「……特別変わったことはねえな。妖怪やら怨霊やら、蟲とはまた違う意味で妖しい連中と付き合うのも慣れてきた」

「あらそうですか」

「ああ。……そういえば、ここに来る途中も蟲のような子供を見たが、あれも妖怪だったのかね。お前さん、何か知らないか」

 

 手は止めずに、ギンコが紫に問いかける。

 

「蟲のような妖怪ですか?」

「ああ。ぼんやりと見えて、その、存在感が薄い蟲のような妖怪だ」

 

 紫は一瞬考え、ゆっくりと首を横に振った。

 

「……存じ上げませんわね」

「そうかい。というか、お前さん蟲がわかるんだろ?」

「はい。わかりますけれど?」

「なら里の中を見て回ってくれ。嫩草(わかくさ)が根を下ろしていないか確認してほしい」

「えぇ……」

「嫌そうな顔してんじゃねえよ。ほら、頼むぜ」

 

 ギンコに促され、しぶしぶといった様子で紫は歩き出した。

 その後二人は天狗の里の中と外、周辺を見て回り、嫩草が根を下ろしていないかどうか確認した。調査の結果、嫩草は里を中心としたこの辺りには根を下ろしていないということがわかった。

 紫からの報告を聞いて、ギンコが考える。紫が差している傘の内側が安全地帯だと学んでいたギンコは、邪魔するよ、と強引に傘の中に体をねじ込んだ。有無を言わさぬ相合い傘に、紫は拒否反応を示す暇もなく、傘をギンコに合わせて高く掲げた。

 

「嫩草は地面に根を下ろしていない……なら天狗たちに根を下ろした理由は……いや酒気が関わっているのなら……」

「何をブツブツ言ってますの? 結局、私をこき使っておいて何もわからなかったとでも?」

 

 傘、疲れるから貴方が持っていてくださいます? と紫はギンコに傘を押し付ける。ギンコは傘を受け取りながら、むくれる紫の責めるような言葉に答えた。

 

「ん? 今回の異変の内容はおおよそ掴めたぞ」

「え? そうなんですの?」

 

 紫は驚いたような声を上げる。ここまで悩ましい表情を浮かべていたギンコだ。てっきり異変への展望を持てていないためだと思っていたが、ギンコが言うには、原因はわかったが対処法がわからない状態、だそうで、頭を悩ませていたそうだ。

 

「原因がわかったなら何が起こっているのかくらい説明してくださってもいいのではなくて?」

「ああ、失念していた。まあ許せ」

 

 土色の羽織りに忍ばせていた蟲煙草を取り出して、ギンコは紫に説明を始める。

 

「今回の異変の発端は山の変化だ。元、光脈筋のこの山が、何がきっかけかはわからないが光脈筋として息を吹き返そうとしている。ここまではお前もわかっているな?」

「ええ。その煽りを受けてヌシが誕生し、それが上手くいっていないために山の精気が漏れ出して、ここにある霧のように山のあちこちを曇らせているのでしょう」

「その通り。俺が文献で得た知識は、そうだった。しかし、現実はそうじゃなかったんだ」

「? どういう意味ですの?」

 

 ギンコは指先で、火の点いていない蟲煙草を弄ぶ。そして蟲煙草を手に握り込み、紫の視線を誘導するように上を指差した。

 

「空を覆う霧は嫩草という蟲だ。ここが光脈筋になる気配を感じ取り、集まってきた」

 

 次にギンコは下を指差す。その先には地面がある。

 

「地表近くに滞留する霧は上空から降りてきた嫩草と、地表から吹き出した酒気が混ざり合っている。天狗や俺たちは、それを吸い込んでいたというわけだ」

 

 再びギンコは手の中から蟲煙草をつまみ出す。ギンコの指先を目で追う紫。それに合わせて、ギンコの低い音響の語りが進んでいく。

 

「地表付近に降りてきた嫩草は、普通なら地面に根を下ろす。しかし、今は山が緩く閉じられているために、根を下ろすことができない。ムグラノリができなかったのもそのせいだ。これはヌシのせいだと思い込んでいたが、事実はおそらく、山の精気をこれ以上逃さないために働く山自身の統制のせいだろう。言うなれば、(ことわり)の力だな」

「はあ。そうなんですの?」

「では、根を下ろせない嫩草はどうなるのか。その答えが、あの背中に生えた苔だ」

 

 ギンコは自分の胸のあたりを指差す。紫はまさか、と呟いた。

 

「ああ。酒気は霧状になった光酒(こうき)だ。それと一緒に吸い込まれた嫩草が活性化して、天狗たちの体に根を下ろしたんだろう。そしておそらく、お前の従者が可愛がっていたという妖獣も同じ症状だ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいな。じゃあヌシは? 貴方は背中に植物を背負うことがヌシの証だと……」

「そうだ。そして、俺は自分の知識をさっき否定したが、一部は、間違っちゃあいなかったんだ」

 

 ここからは俺の想像だが、とギンコは前置きして、火の点いていない蟲煙草を口に咥えた。

 

「この霧はおそらく、ヌシの選定をしているんだ。嫩草を背負い切り、酒気を取り込んで安定した動物が、ヌシになる。この霧は、そのために発生しているのさ」

「え? じゃあ……天狗も橙も、山に選ばれて?」

「そのようだな。人間は、嫩草が根付く前に酒気で昏倒してしまうためにヌシの選定からは除外されているようだ。だが、これではっきりした」

 

 ギンコは霧を見つめて言う。

 

「これは、やはり理の範疇(はんちゅう)だ。俺たち蟲師がどうこうできる問題じゃない。お前らの妖獣も、ヌシになってしまえば……それまでかもしれん」

「……そう」

 

 ああ。ギンコは同調する。

 山がヌシを選ぼうとしている。それを邪魔するということは、理に背くということになる。それはギンコにもできない。いや、それは一度、自らヌシを殺めてしまった過去もあるギンコだからこそ、できないことであった。この未来に、対処法はない。

 霧がかかる。深い霧が、視界を覆い、未来を覆う。今はまだ、誰がヌシかはわからない。

 

 

 

 妖怪の山の中腹。九天の滝とは別の大きな水溜りに、深い霧がかかっていた。水溜りと称すれば大きく、池と称すれば小さいそこには、二つの影があった。

 一人は池の縁に座り、霧の先を見ている。ゆらゆらと体を前後に揺らし、落ち着きがないように見える。しかし表情は真剣そのもので、その目は何か大きな覚悟を決めたように、据わっていた。

 もう一人は、なんだかよくわからない存在だった。背の丈は子供。池の縁に座るものとは対照的に、立ち尽くして微動だにしない。その視線は、どこを見ているのかもわからない。夢現(ゆめうつ)つに、だが木の根のようにしっかりと、立つ。そうして矛盾を(はら)み、ぼんやりと、光を帯びていた。

 二人は並び、そこにいる。どちらもつばの広い、帽子を被っていた。

 

「珍しいね。そんな状態で、よくこちら側にとどまっていられるもんだ」

「……」

 

 座る影は、一見少女のようだが、その正体は一人の神である。ここ幻想郷に至るまでは、土着の神として人々の信仰を一身に受けていた存在である。

 座る神のつぶやきに、立つ影は反応しない。無言の中で、二つの影は霧の中でも妙な存在感を放っている。

 立っているモノはあやふやな境界の中にいた。少女のような姿形をしているだけ。蟲と人と妖怪。そのどれでもない存在となり果てて、いつからか野山を徘徊(はいかい)していた。

 夢を見ているかのよう。意識があるのかわからぬ視線。蟲の気に当てられた者が見せる独特な雰囲気を、神は感じ取っていた。

 

「待っている人がいるのかい?」

「……わからない」

 

 初めて、言葉を発した。この状態になって、初めて。それは立っている少女にも驚きのことであった。自分は喋れたのか。

 わからない、そう答えた少女に、しかし神は首を振って答えた。

 

「いいや、きっといるんだよ。じゃなきゃ君は、もうとうにそこから転げ落ちている」

「……」

 

 そんなことはない。

 

「君を待っている人がいるはずさ。よく言うだろう? 夢に出てくる相手は、自分を待っているってさ。あれ? 想っている、だったっけ?」

 

 知らない。

 

「まあいいさ。とにかく、いずれ君は出会うべくして、ある人に出会うよ。最近面白い人が幻想郷に来たらしいからね。蟲師なら、今の君を放っては置かないさ」

 

 蟲師って、誰?

 

「この山にも来ているだろうからね。あったことあるかもしれないよ。君の場合は、どこかであっても記憶していないだろうから、よくわからないだろうけど」

 

 蟲師……。

 

「懐かしいねえ。ヌシと兼業してた時は、ワタリの連中が挨拶に来たっけ」

 

 ぽつりぽつりと、神は呟く。いつかのように、今度は口に出せぬまま、立っている少女は蜃気楼のように揺らいで消えた。

 

「ありゃりゃ。もうちょっと話していけばいいのに」

 

 少女が揺らいで消える時、同時に霧が揺らぎ、晴れていった。すると、神の眼前には、世にも美しい光景が広がった。

 木漏れ日映える水面に、蓮の花が咲き誇っている。きらびやかに日差しを反射する水面には波紋一つ浮かび上がらず、鏡のようなそれが、蓮華によって縁取られている。

 池の縁は鏡の淵。そこに神は腰掛けて、何かを静かに見守っていた。

 

「頑張れ、頑張れー。乗り越えれば、君がヌシだよー」

 

 その神の声に応えるように、池に一つの波紋ができた。池の縁にそれがとどいた時、一つ、蛙の鳴き声が池に響いた。

 

 

 

 河童の計略で捕らわれの身となった橙は、案外大人しいものだった。網に入った化け猫を抱えて、藍は不思議に思っていた。寝息をたてるように、静かに上下する猫背には苔のようなが生えている。

 猫の腹に指を這わせ、愛おしく撫でながら、藍は前を歩くにとりに聞いた。

 

「おい河童。この網、毒でも塗ってあるんじゃないだろうな。橙が妙に大人しいぞ」

「なんだいそれは。人聞きの悪い。網にマタタビを塗り込んであるんだよ。においでわかるでしょ?」

「塗り込みすぎでしょう。藍さんに匂いうつってますよ」

「なん……だと……」

 

 自分の袖を口元にやり、すんすんと匂いを嗅いでみれば、猫を酔わせる癖のある匂いがした。これは後で洗濯だな……と静かに思った藍であった。

 橙の動きを考え、罠を張ったにとりの判断は正しかった。椛と藍が二人がかりで追い込めば、確かに捕まえられはしたろうが、今以上に時間がかかっていただろう。橙をマタタビで誘い出し、捕まえるという罠をあの短時間で作成するのは、さすが河童と言えた。

 三人は自分たちの任務を果たし、九天の滝の縁まで戻ってきた。しかし、滝の縁に広がっていたのは、想像だにしない光景だった。

 

「これは……!」

 

 誰ともなくそう漏らす。目の前に広がるのは、天狗たちが苦しみ喘ぐ姿だった。

 この場を去る時には皆衰弱はしていたが、痛みを訴えることはなかったはずだ。一体どうしたというのか。近くにいる天狗の射命丸文に、椛が駆け寄る。

 

「文さん! しっかりしてください!」

「く……はぁ、椛……!」

 

 歯を食いしばり、文は痛みをこらえているようだった。どうしようもない。ギンコも紫もこの場にはおらず、三人はただ、苦しむ天狗たちを前にあたふたと狼狽(うろた)えるほかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえギンコさん」

「ん? なんだ?」

 

 この霧がヌシを選定するため、生物に寄生していることはわかった。ならばその後は? ただ一匹だけがヌシと選ばれるなら、寄生されたその他の生物はどうなるのか。紫はそれが気になった。

 

「寄生された後、苔が生えた生き物はどうなるんですの?」

「……わからん。だが、苔が生えても、ヌシになれんかった場合は……」

 

 ギンコは天狗たちの様子を思い出す。体力を奪われ、衰弱していたあの姿。妖怪という強靭な生命(いのち)を吸って生える苔は、彼らをどこに導くのか。

 

「……最悪の場合、死ぬ、かもな」

 

 ギンコはそう、呟いた。


















 毎日更新を心がけてまいりましたが、明日はちょっと用事があって、更新できません。お楽しみにしてくださっている皆様には申し訳ないです。
 特にすげー気になるだろう引きをしたくせに勿体振る感じになってしまって本当にごめんなさい(ゲス顏)




それでは、また次回お会いしましょう。





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