幻想奇譚東方蟲師   作:柊 弥生

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<前回のあらすじ>
 永遠亭を訪れたギンコは里に流通する薬に蟲が入っている確証を得た。


 最近”急”に寒くなってきました。それとは関係ありませんが、この章は”9”話で終了となります。はい、戯言ですね。
 今回の話では蟲師原作のネタバレが多分に含まれます。また、それに伴った原作の独自解釈も多めです。それでもいいよ、という方のみ、スクロールでお読みください。それでは。




幻想奇譚東方蟲師、始まります。







第二章 筍の薬 陸

 鈴仙の案内で光る竹を目指して歩いていたギンコは、目の前を歩く彼女のある一点を見つめていた。

 それは短い腰巻から見える肌色の聖域、などではなく、頭の上で力なく立っている兎の耳である。人里で会った時は人間だと思っていた彼女も、見慣れた旅の装束を剥ぎ取ってみればその正体は月の兎だというのだから驚きだ。

 

「お前さん、月から来たってのは本当かい」

「ええ。正確には、逃げ出してきたんですけれどね」

 

 情けない話です、と鈴仙は笑った。過去を詮索するつもりはなかったギンコは、そうかい、とだけ呟き、それ以上は聞かずに、鈴仙から視線を外した。

 

「それにしてもすごいですね、ギンコさんは。蟲師という方は、ああいうものにお詳しいんですか?」

「まあそれが生業だしな。俺はお前さんの師匠の方が、よっぽどすごいと思うよ」

 

 ありゃあ天才だな、とギンコは言う。見ただけで原料を判別し、どういった効能の薬が作れるかわかるなんて、天才以外のなんだというのか。過程を省略し、最良の結果を得る。永琳の底知れなさは、ギンコにもわからないことだらけだった。

 

「でも師匠、蟲のこと知らなかったんですよね?」

「いや、あれはわからないね。もしかしたら、知ってたかもしれんぞ」

「え? じゃあなんで薬を……」

「それこそ、あの薬師にしかわからないことだろう。案外、人間のことなんてどうでもいいんじゃないか」

「あーそれはありそうですね」

「……へぇ」

 

 冗談で言ったつもりのことだったが、肯定されてしまえばギンコとしても気の抜けた返事をするしかなかった。

 あ。でも、と何かに気づいたように鈴仙が言う。ギンコもそれに反応し、耳を傾けた。

 

「師匠は蟲が見えてないみたいですから、本当に知らなかったと思いますよ。目の前を横切っても、目で追いすらもしないですし」

「まるで、お前さんは見えているような言い方だな」

「はい」

「……本当に?」

「本当に」

 

 ぼんやりとですけどね。と鈴仙は付け加える。意外だった。自分以外に、この世界で蟲を見る者がいようとは。いや、ない話ではない。むしろ自分だけが見えているという考えが浅はかだったのだ。この世界には空を飛ぶ人間も、鴉天狗も、得体の知れない隙間を操る者もいる。

 この世界の深淵を、ギンコはまだ知らない。そう、彼は最近やってきた、いわば新参者なのだ。常識にとらわれてはならない。普段蟲と相対している彼らしくもなく、その事実を再確認する。

 そしてその事実を再確認した時、ギンコは蟲師を知る少女のことを思い出した。竹林で一人、赤ん坊を育てている少女。自身が抱える赤ん坊を捨て子だと言っていた、奇異な見た目の女。頭の中で点と点がつながり、一つの推論を導き出す。予感がした。

 天才ではないギンコは、自身の中にある直感を、推論以上に高めることはできない。だが今回、降ってわいたそれは、確かなものとなってギンコの頭を占領した。

 

「あ、見えてきましたよ」

 

 鈴仙が見つめる先に、白く光る竹の紛い物が見える。ある日に、人と蟲の交ざりモノを相手取った記憶が蘇る。それは竹林に住む夫婦が、白い竹との間に子を成した記憶。

 なぜ、最初の女は子を孕んだのか? 聞けば女は、草木と話をするような変わり者だったという。もとより、蟲に魅入られていたのだろうと、ギンコは考えていた。ギンコの中で間借り竹とは、竹林に寄生する、ただそれだけの蟲だったのだから。

 それが思い違いだったとしたなら。間借り竹は元より、子株で人の子を形どって、人を味方につけようとする蟲だったのなら。

 ”間借り”と言う言葉の本当の意味を、ギンコは考える。間を借りる。人と蟲の、間を、借りる。

 

「あれ? 誰か居ますね」

 

 白い竹の根元に、しゃがみこむ人がいた。竹と同じ、白い髪が見える。

 常識にとらわれてはならない。蟲のことを完全に知ることなど、できはしない。

 ギンコと鈴仙の足音が、竹林が風に靡く音と重なる。がさり。その音に反応して、しゃがみこんでいた女が、二人の方に振り向いた。

 

「……妹紅」

「……ギンコ」

 

 竹は周囲のものより一回りも太く、白くぼんやりと光を放っている。見るからに怪しげな雰囲気を放つその根元に、しゃがみこんでいる人がいる。その人物に、ギンコは呼びかけた。

 竹林に住む少女、藤原妹紅が、竹から水を取っていた。右手には鉈を持ち、竹に一文字の傷をつけ、隙間から溢れる水を竹の筒に満たしている。

 ギンコは鈴仙より一歩前に出て、妹紅に歩み寄る。観念したように、妹紅は立ち上がった。背中にはいつかギンコも抱いた赤ん坊がいる。なぜ気がつかなかった。ギンコは妹紅に問いかける。

 

 

「その赤ん坊。拾ったんだったな。それは本当か」

「ああ、本当だ。ただちょっと、筍の中に居たってだけさ。いいだろ? 御伽話の中には、竹から産まれ出でる、一寸の娘もいるくらいだからな」

「確かに。だが、人の心を惑わすなら、それはいつか悲劇に変わる」

「え、え? あの、ギンコさん、妹紅さんと知り合いだったんですか? というか、妹紅さんの背負ってる赤ん坊って、え?」

 

 永遠亭への帰り道には、妹紅の家の近くを通ることはない。同じ竹林の中にいようと、妹紅と永遠亭の住人たちの間には特別深い交流はないのだろう。状況についていけない鈴仙が、ギンコと妹紅を交互に見やり、あたふたと取り乱している。

 落ち着け、とギンコは鈴仙を(なだ)め、状況を説明し始める。それは自分自身で、この悲劇から目を逸らさぬためでもあった。

 

「妹紅の近くに見える光る竹は、間借り竹という蟲だ。竹林に寄生し、その家族になりすますことで子株を増やす。お前の師匠は、この竹から取った水で、薬を作ったんだ」

「あ、はい。そこまではわかります。この竹を見つけたのは私ですから」

「……」

 

 ギンコの語りに耳を傾けるのは鈴仙だけではない。妹紅もまた、この竹のことを聞いていた。

 ギンコは妹紅に視線を向けている。妹紅は、そんなギンコの視線から逃げるように目を伏せていた。

 

「俺はこの竹について一つの経験がある。それはこの竹と、人の間に生まれる交ざりモノ、俺たち蟲師が、”鬼蠱”と呼ぶモノについての経験だ」

「おにこ、ですか」

「ああ。そのときは、女が筍を身ごもった。赤ん坊は、その筍の中から出てきたんだ。そしてその赤ん坊は、普通の食物は一切口にせず、間借り竹の親株から取れる水だけで、命を保っていた。それ以外は人と変わらず、一人の男と愛し合ってすらいた」

 

 ギンコの淡々とした口調が、竹林に溶けていく。妹紅も鈴仙も、その言葉を受け止める。ギンコは妹紅が左手に持つ竹筒を、正確にはその中にある水を指差した。

 

「その水には、親株からの影響力を伝える性質がある。その水を体内に取り込んだ者は、この親株から離れることがかなわなくなる。鬼蠱と結ばれた男も、その水を飲んだことで竹林から出ることができずにいた。さらに取り込み続ければ、この竹に敵意を向けることすらできなくなっていたはずだ」

 

 ギンコは語る。それは蟲の話。荒唐無稽で、でも不思議と真実味のある話。竹の葉が散り、風が強く吹き抜けていく。

 

「俺も今まで思い至らなかったが、これは明らかに人に向けられた性質だ。竹を切り、生活に利用するのは人だけだからな」

「えっと、つまりはどういうことなんでしょう?」

 

 疑問符を浮かべる鈴仙に、ギンコは言う。

 

「わからんか? この竹は、俺たち人を味方につけようとしているんだ。竹林のみならず、赤子の形で人の群れに紛れ込み、交配することで自分に逆らえぬ人の子を増やしていく。切り倒されぬために。そういう蟲だったんだ。現に、里でこの水を原料にした薬を服用した者は、夢遊病を発症している。おそらく、睡眠をとっている無意識が、この竹に影響されていたんだろう」

「へえ、そうだったんですか? 面白い性質の生き物もいたもんです」

 

 ギンコの経験から語られる話。竹林で鬼蠱と結ばれた男がいたという話の結末は、鬼蠱の女が自分が竹の水を男に飲ませたせいで男が竹林から出られなくなったと気づき、親株の意思に逆らって白い竹を切り倒すことで、男は無事に影響力から抜け出して、竹林の外に出ることができるようになったというものだ。

 だったら、今この蟲を切り倒しちゃえばいいんじゃないんですか? そうすれば里の夢遊病も治るでしょうし、と軽い調子でいった鈴仙は、やはり現状を正しく理解していない。それは仕方がない。理解のためには、後一つの事実が足りないからだ。今それを知り、理解しているのは、ギンコと、妹紅だけだ。

 鈴仙、と名を呼び、ギンコは事実を言って聞かせる。

 

「親株が切り倒された後、鬼蠱はどうなったと思う?」

「え? んーと、どうなったんですか?」

「……死んでしまったそうだ。枯れ木のように脆くなり、崩れ去ってな」

「え……じゃ、じゃあ」

 

 鈴仙はここでようやく、頭の中の点と点が繋がった。妹紅の方を、鈴仙は見た。

 

「じゃあ、里の人たちを治すにはこの竹を切らなきゃならないけど、この竹を切ったら、妹紅さんが背負っている赤ん坊は……」

「……おそらく、死んでしまうだろう」

 

 ギンコは告げる。それがたとえどんなに残酷なことであっても。事実を受け止めなければ、今は前に進まない。妹紅は右手に力を入れ、鉈の柄を、強く握りしめた。

 

「妹紅」

「……いやだね」

 

 ギンコの呼びかけに、妹紅は反発する。赤ん坊を庇い、妹紅は叫ぶ。

 

「この子に罪はない。たとえ紛い物でも、生まれて、生きている命を、なぜ摘み取る必要がある」

「不妊治療薬を服用したのは一人じゃない。これから、どんな影響あるのか、わからんのだ」

「ダメだ。この子は……殺させない」

 

 赤ん坊が泣き喚く。妹紅が叫ぶ。竹の葉が散る中に、紛い物が二つ。白いそれは、心の隙間に入り込み、群れの家族のふりをする。孤独な少女は、歪に生きる紛い物を愛していた。


















 今回の話は作者の解釈が多分に含まれるため、拒絶反応が出た方もいるのではないでしょうか。何にでも理由をつけるのは美しくないと思ってはおりますが、それでもこう、一抹の不安を煽るような想像は、楽しいですよね?




それではまた次回。お会いしましょう。



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