魔物語 作:フール
六月十五日。晴れ。
夜中から降り始めた雨は明け方にはカラリと上がり、朝焼けを覗かせていた。忍野さんはそんな中、旅立った。いつも通りの気だるな顔に火をつけていないタバコを咥え、この街を去った。
『それじゃあ、頼んだよ。あの子たちを……』
そんな迷惑な言葉を残して……。
そんな忍野さんを見送った後俺は少し遅い就寝をすることにした。結局あれから日が登るまでグダグダと飲んでいたため非常に眠い。俺は忍野さんみたいに人間をやめてはいない。眠い時に寝て、起きたい時に起き、食べたい時に食べる生活を望んでる。これから先もそのスタンスは変わることはないだろう。
自室に向かう途中、二階と三階の階段の踊り場で立ち止まる。何と無くだ。
右足を見れば赤く染まった包帯が見える。まだ歩けば痛む。治癒能力を極限まで上げているとはいえ、完治までには後、半日はかかりそうだ。
こう言う時だけ、阿良々木君が羨ましいと思う、彼ならきっとこんな傷一分もかからず完治できるんだろうしね。まぁ、代わりに吸血鬼になるかと言われれば少し悩んだのちに首を横に振らざるを得ないけど……。
胸ポケットからタバコを取りだし、咥え火を付ける。
紫煙は朝日を受けながらゆっくりと上へと登っていく。酒の飲み過ぎでタバコの味は分からない。でも、それでいい、タバコを吸うと言うことに意味があるのだ。
忍野さんがタバコを咥えるだけで火をつけることがないように、俺はタバコを咥えて火を付ける。ただそれだけ。
忍野さんは俺が忍野さんに似ていると言った。でも、俺は違うと思う。俺と忍野さんは圧倒的までに違う。真逆だ。
真逆だからこそ、ここまでの友人になりえた。タバコのことだけでもそうだ。火を付ける俺と火を付けない忍野さん。他人のためにこうどうする忍野さんと自分のために行動する俺。人の可能性を知っている忍野さんと人の可能性を知らない俺。
まぁ、俺と忍野さんの相違点なんて上げればきりがないため、その位ででよしておこうと思う。日が暮てしまう。
ポケットから忍野さんが去り際に渡してきたメモ紙を取り出す。そこには男性しい硬い筆跡で文字が書かれていた。
ただ一つ、似たような点があるとすれば、俺も忍野さんも旅立つ友人の無事を祈るくらいのことはすると言うことだ。
「……ご武運を。忍野さん」
東の空に向かってそうつぶやく。
広げたメモ紙にも、同んなじようなことが書かれていた。考える内容はどうやら同じみたいだ。
さて、寝る前にもう一仕事しますかね。ゆっくりと俺は再び歩みを進めた。旅立った友のこれからを思って……。
目覚めは最悪だった。
学習塾跡のとある一室。忍野さんからもらった三階のとある部屋。不規則に積み上げられた机を適当に八つほどフラットに並べて作った簡易ベッドで寝ていた俺は電子音で起こされた。
酒が抜け切れず痛む頭を抑えながら画面を見れば“臥煙お姉さん”という六文字。もっとも見たくなかった六文字でもある。
臥煙伊豆湖。野球を横にかぶり、どう見ても体にあってないブカブカの服を身に纏う。履いているスニーカーの踵は踏み潰しており、忍野さんに比べるとまだマシな格好をしているが、それでも相当に個性的な外見をしている。そして、ヘッドホンを首にかけ、歳に似合わず星型の可愛いネックレスを首から下げている。
羽川さんが「何でもは知らないです。知っていることだけですよ」と俺に言うの対し、臥煙伊豆湖はこう言う。
「私は何でも知っている」
その言うだけあり、彼女はあらゆることを知っている。もはや上記を逸したレベルで色々な怪異、現象、情報を持っている。頭の中にWikipediaかなにか入ってないかと疑うレベルだ。インテル入ってると言われても信じられる。おそらく人間ではない。いや、俺は臥煙伊豆湖が人間であるとは認めない、認めたくない。
あぁ、出たくない。しかし、出なければ安眠も出来ない。先ほどから電子音はだんだんと大きくなってきている。目覚ましにはちょうどいいとは思うが、近所迷惑だ。音量が上がりすぎてる。まぁ、ここは隣の部屋どころか周りに民家も人影もないため、近所迷惑という四文字熟語は存在しないに等しいのだが。
それから数秒、俺は現実逃避に似た考えを色々として見たのだが、どうにもうまい逃げ道は考えられなかった。
そして、鼓膜が破れんばかりに音量が上がってきたため、俺はようやく電話に出る決意をする。いい加減二日酔いの頭には辛くなってきた。電話がなり始めて三分ほど経った時だった。
なにどうせ電話にでても直ぐに切ればいいだけだ。それを十回もやれば向こうも諦めるだろう。俺は忍野さんから電話に出るようにとは言われたら切ってはいけないとは言われていない。電話に切るボタンが存在する理由は通話を切るためだ。なら、その存在意義を十分に発揮して貰おう。携帯も本望なはずだ。
しかし、俺は一つ重大なミスを犯していた。いや、この場合は忘れていたと言った方が正しいか。
何せこの携帯は臥煙伊豆湖がくれた特別製だ。それは色々とぶっ飛んでいる。
----この、携帯には通話終了ボタンがなかった。
六月十五日。僕はその日の放課後、戦場ヶ原と羽川、そして待っててもらった神原と一緒に学習塾跡を訪れた。しかし、学習塾の忍野がいつもいた部屋には誰もいなかった。それどころかなにも無い。不規則に積み上げられた机のタワーも変な落書きのようなお札も何一つその部屋にはなかった。代わりに何処と無くアルコールの匂いがした。
「忍野さん行っちゃったみたいね」
西日が差し込む中、戦場ヶ原が呟いた。そう、きっと忍野はこの街を出て行ったのだ。
“いつか僕もこの街を出ていく”
今ならわかる。昨日、忍野が表にいた理由だ。彼は撤収作業を行っていたのだ。
“でも、ある日突然挨拶もなしにいなくなることはない。僕も大人だからね。その辺は弁えてる”
どうして気づかなかったんだろう。あの台詞自体がどうしようもないくらい別れの挨拶じゃないか。別れの言葉を決して口にしない、人との別れが何よりも苦手なあの不器用な男の精一杯の親愛の形。
そしてそれと同時に今回の忍野の動きの真意が分かった。
あいつは今回、僕が忍を探しに学習塾跡を飛び出した時、わざと障り猫を逃がしたんだ。忍のことも羽川のことも僕が一人で解決できると、そう信じて。
そうやってそれぞれが夕日の中物思いにふけっている時だった。神原が突然声を上げた。
「そう言えば、阿良々木先輩。昨日、私が忍野 忍を探している時にスーパー近くで先輩と会ったんだ! 昨日はドタバタして言えていなかったが、もしかしたらいるかもしれない。確か、忍野さんから一室この廃墟の部屋をもらったのだろう」
神原が言う先輩は一人しかいない。僕と羽川が猫を埋めた時に出会ったあの青年だ。どこまでも平凡でどこまでも普通でどこまでも凡庸な、そんな雰囲気を纏っている青年。僕と羽川の恩人でもあり、俺と神原の恩人でもある。
「え! あの人来てたの?」
「あぁ、なぜか大量のクレープを持ってた」
「なるほど、昨日お前が僕と羽川を迎えに来た時口元についてたクリームはそう言うわけだった」
「おいおい、つれないこと言わないでくれよ阿良々木先輩。だって流石に先輩からもらったクレープを捨てるわけにはいかないじゃないか! それに無事に忍野 忍も見つかったし、先輩も無事だったわけだしな」
「たしかにそうだが……」
昨日夜やけに甘い匂いがするなと思ったらそういうことだったか。ようやく謎が解けた。
「そうね、そう言うことなら彼の部屋を訪れてみるのも悪くないわね。阿良々木くん、部屋は知ってるんでしょ?」
「あぁ、確か三階の部屋だったと思うが……」
「そう、なら行きましょ」
スタスタすたと出ていくと戦場ヶ原を追いかけるようにして僕と羽川、神原は三階へと向かった。
「ん? やぁ、阿良々木くんたちじゃないか、遅かったね。もう少し早く来ると思ったけど……」
真っ白に塗られた部屋は窓から差し込む夕日のせいでしろと言うよりかどちらかと言えば赤い部屋へとなっていた。
ペンキで塗ったのか地面も白、天井も白、壁も白で統一されている。そんな部屋の中に彼はいた。机の上に座り、タバコを吸いながら外を見ていた。
ジーンズには所々に白いペンキがついていた。彼は机から立ち上がると、窓枠に置いてあったビールの缶に吸い殻を入れる。
「まぁ、とりあえず入りなよ。ペンキももう乾いているからつくことはないよ。あぁ、そうそう何か飲むかい? とはいえビールとお茶くらいしかないけどね、どうだい皆さん?」
彼はそういいながら壁際に置いてあった冷蔵庫を開ける。なぜかその動作は酷く疲れているように感じられた。
「これ、今日塗ったのか?」
「あぁ、そうだね。朝から頑張って塗ってみたよ。おかげでズボンが白くなってしまったけど」
そう笑いながら彼は白くなったズボンを指差す。
「久しぶりね何か部屋を塗ったのには意味があるの?」
「久しぶり、戦場ヶ原さん。部屋を白く塗った意味? あるとも言えるしないとも言える。塗ると言うことに意味があるとも言えるし、白いと言うことに意味があるとも言える。さてと、どうぞ。皆さん」
各々部屋の中にある机に座った僕たちに彼はペットボトルのお茶を投げ渡す。そのどうさは何処と無くけだるげだった。
「ありがとう」
受け取ったお茶は冷たかった。この廃墟には電気はきていないはずだ。だから、その冷蔵庫もただ置いてあるだけだと思ったがそうじゃないのか?
「お久しぶりです。このお茶冷たいんですけど、電気きているんですか?」
僕の聞きたいことを羽川が聞いてくれた。
「久しぶり、羽川さん。あぁ、うん。この部屋だけ電気きているんだ。……充電するやめだけに」
そして、彼はため息を一つ吐く。その様子はすごく哀愁を漂わせていた。
「酷く疲れている様子だが、大丈夫か? それとイフさんは寝てるのか?」
「あぁ、大丈夫大丈夫。少し朝から色々あって疲れているだけだからさ。それとイフは今さっき寝たばかりだ。たぶん、しばらく起きないよ。それよりも、何か聞きたいことはないのかい?」
神原の問いに答えた後彼は冷蔵庫から缶ビールをとりだし、空けると一口飲む。
「あぁ! そうだそうだ! 先輩に聞きたいことがあったんだ!」
神原はここで言葉を貯めると、盛大に続ける。
「 結婚式は洋式がいいか、それとも和式がいいか?」
「げほげほっ。何言ってんだ! 神原!」
彼は飲んでいたビールを軽く吐き出すと口元を拭った。神原のボケは彼にも捌き切れないようだ。
「いや、あれだろ。ここには戦場ヶ原先輩も阿良々木先輩も羽川先輩もいるんだ。これはもう私と先輩の仲を認めてもらうチャンスじゃないか!」
堂々と言い放つ神原に彼は頭を抱える。
「いや、別に俺とお前付き合ってるわけでもなんでもないからな」
「な、何と! あの一夜の過ちをなかったことにしようと言うのか!」
「いつ俺がお前と過ちを犯したんだよっ!」
「先輩、煩いぞ! 見てみろ、戦場ヶ原先輩と羽川先輩も引いているだろ」
「それはお前に引いてんだ!……あぁ、ダメだ。神原と話すと話が進まない。阿良々木くんはあるだろ、聞きたいことがね」
叫び倒して少し息を切らした彼は神原から僕へと視線を変えた。
「あぁ、聞きたいことがあるんだ」
「なんだい?」
彼はゆっくりと缶ビールを片手に窓の方へ移動すると窓枠に腰かかける。
「忍野のことだ。忍野は、この街を去ったんだな」
彼は少し俯くとポケットからタバコをとりだし火を付ける。赤いパッケージのタバコの箱は忍野と同じタバコだった。
忍野と違い決まった銘柄を吸わない彼は見るたびに違うタバコを吸っている。
そして、煙を外に向かって吐き出すと目線を外に向けたまま口を開いた。
「あぁ、その通りだ。今日の明朝、忍野さんはこの街を去ったよ。阿良々木くん達にはよろしく伝えといてと伝言をもらってるよ」
「そうか、やっぱりそうだったか」
「うん、何となく分かってたようだね」
彼はこちらを見ずに外を見つめる。まるでその方角へと旅立った友がいるかのように……。
「阿良々木くん、羽川さん、戦場ヶ原さん、神原。俺は基本的に人を無償で力を貸すなんてことはしない。基本的に俺は忍野さんとは違い、善人じゃなく悪人だからね。無償で人に力を貸すなんてことはしない。でもね、友人に、親友に頼まれたら話は別さ。力を貸すことは出来ないけど、話を聞くことくらいはできる。だから、忍野さんがいない今、困ったら俺を頼ってくれ、話だけは聞けるからさ……しばらくは、この街にいるからさ」
そう言って彼は笑うのだった。
「それにしても、全くあれだよな」
僕は言った。
「そうね、あれだわ」
戦場ヶ原は言った。
「あれだよね、実際」
羽川は言った。
「うん、あの人はあれに違いない」
神原は言った。
「何を言ってんだ。今更、言うまでもないだろ、彼はあれだよ」
彼は言った。
「「「「「お人好し!」」」」」