漫画家の兄と小説家の弟   作:高木家三男

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転生と現世

 直径6.5cm強の黄色い硬球を追う。

 無風のコートは砂入りの人工芝で出来ていた。

 日本にいるというよりも、地中海のどこかの島のように空気は固く乾き張り詰めている。

 あまりにも乾きすぎて、砂漠の砂のように摩擦がなくなってしまうのではないかという感覚。

 しかしほとんど限界まで鍛え上げた身体と、しっかりと手入れをしたシューズによってそんな妄想はいとも容易く打ち払われる。

 

 

 池爽児が走る。

 じゃじゃじゃっとコートを蹴る音を聞く。

 ストロークの体勢に入る。

 見るたびに、いや、この試合の中ですらあいつのフォームは洗練されていく。

 次の打球の軌道を予想する。

 およそラリーとは思えない厳しいコースに、ボールが来るのを幻視する。

 ラケットがボールを叩く音を聞く。

 

反応・反射・音速・光速

 

 縮めることで力を溜めていたバネを解き放つように、走るというよりも飛ぶイメージでボールを追う。

 無酸素の呼吸。息は吸えずにただ吐き出すだけ。何十万回と振った腕はただ意識せずにイメージ通り飛んでくるそのボールを打ち返す。

 まだあいつの追いつけない場所にボールは一度だけ弾み、後ろの金網に突き刺さるように滑っていく。

 

「ゲーム高木。カウント6-4。ファーストセット」

 審判のコールの後。一瞬の沈黙。

 歓声がうるさい。

 

 

 

 デスノートの所有権を放棄した夜神月が記憶を取り戻した時のように、

一瞬で前世の記憶が戻ってきたというわけではなかった。

 赤ん坊のまっさらな脳みそには、発達が不足して受け入れることが難しかったのだろうか。

 俺は現世の俺でありながら成長と合わせて、ときに夢にみるように、ときに思い出すように、ときに意識せず前世の記憶を取り戻していった。

 前世最後の記憶はトラックに引かれたとか隕石がぶつかったとか、通り魔に刺されたとかそういったこともなく、ただ普通に眠っただけ。

 当然ながら、何が原因で生まれ変わったのか今更確かめようもない。

 

 

 

 記憶がだいぶ戻って自分を自分としてはっきり認識できるようになったのは幼稚園のころ。

 小さい頃から身体を動かしたり何かしたほうが良いと気づき、最初は色々とスポーツをしようと思った。

 といっても幼稚園児はまだまだ親の庇護下にある。熱心な親は子供にピアノや水泳をやらせていたが我が家、高木家はそうでもなかった。5つ離れた兄が地域のチームで週に1度バスケをやっているくらいのものだ。それも小学4年生から。サッカーなら小学1年生からできるチームがあるみたいだからそれをやるくらいしか選択肢はないかもしれない。

 ただ、母親が高校教師だったので双子の兄、秋人と一緒に就学前から色々教わってある程度勉強が出来てもおかしくない下地は貰えた(6歳児に割り算まで覚えさせるのはちょっと気が早いようにも思えたが)。まあ、何にせよ図書館に行ったり5つ年の離れた兄のマンガを読むのが不審がられないのは助かった。

 

 

 

 何回か図書館に行くうちにいろいろと調べた。

 もともと神様みたいな良く分からない存在に転生させてもらったという記憶はないし、自分の死生観・宗教観としてもちょっとそれは信じがたい(まだ思い出せていないだけで本当はそういった超常的な存在に転生させられたという可能性はゼロではないが)。

 この世界は前の世界と同じような、自分の転生以外に特に不思議のない世界だということは薄々気づいていた。

 ただ、やっぱりちょっとした期待はあったわけで、その可能性を見つけられなかったときは多少落ち込んだりもした。

 

 魔術や魔法があるんじゃないかと思って『冬木市』『三咲町』『海鳴市』や『麻帆良学園』を地図から探したがなかった。他、思いついたものでは『空座町』『杜王町』『見滝原市』『米花市』なども調べたが存在していない。

 親のいない隙を見計らい、勇気を出して前世の実家に電話をかけてみたが、使われていない番号だった。

 少し残念だが、ホッとした。どうやら、この世界は前世によく似た単なるパラレルワールドのようだとそのときは思った。

 

 ドラえもんなんかはそもそもアニメとして現世でも存在していたし、他、前世で起きたことをすべて知っているわけではないが歴史や有名人物に関しても変わりないように思う。

 

 ちなみに、自分の住んでいるのは埼玉県谷草市。東京からほど近い、足立区の北あたりにあるそこそこ栄えた都市だ。さいたま市がないのは不審に思っていたが父親がリストラされた2001年に県内では合併によりさいたま市ができている。他、春日部市、所沢市、越谷市など知っている地名はそのままあった。谷草市というのは聞いたことがなかったが、前世は神奈川出身で高校卒業後、大学と就職後は東京で過ごしていたのでおそらく自分が知らないだけで存在していたのだろう。

 もちろん、図書館では車いすに乗った関西弁の小学生に会うことはなかったのは追記しておく。

 

 そして、4歳のある日、マンガ好きの双子の兄と共に本屋へコロコロを買いに初めてのお使いに行ったその日の夕方、俺はその事実に気づいた。

 

 6時半からのアニメ。新番組『超ヒーロー伝説』だと……。

 ここ、『バクマン。』の世界じゃねーか!

 

 

 多少取り乱して双子の兄、秋人あらためシュージンに不思議がられたものの、まあ、『バクマン。』の世界なら特に文句はない。

 前世で読んでいたマンガも結構な種類をまた読める。いずれ兄、シュージンと相棒のサイコー、亜城木夢叶が描くマンガも読んでみたい(特にPCPが面白そうだと思う)。

 ラッコ11号も気になるマンガだし、天才新妻エイジの作品も是非見てみたい。

 

 そう思っていた。

 

 漫画家になる気はなかったが、せっかくなので幼稚園では運動する他はひたすら絵を描くことばかりしていた。

 精神年齢的に周りには中々馴染めなかったが、手先の器用な物静かで手のかからない子供として見られていたようだった。

 

 そんなある日、俺たちは父親に連れられて家族で出かけることになった。

 もともと仕事人間の母親と父親だ。残業は多いし、コミュニケーションがそれほど得意というわけではない。上の兄は長男らしく真面目だが年の少し離れた弟が二人いるせいか面倒見は良いタイプ。シュージンはそれを反面教師として育ったのかよく喋る子供に育った。

 行く先を教えられぬまま家族五人で向かったのは巨大な照明に彩られたスタジアムだった。

 

「取引先の人からチケットを貰ってね。今日はサッカーの試合を観に来たんだよ」

 

 上の兄は物珍しそうに当たりを見回し、シュージンはすげーすげーと言いながら目を輝かせている。

 そして、試合開始前、チーム名とスターティングメンバーが読み上げられた時、俺は混乱に陥った。

「イーストユナイテッドトーキョー! 背番号7! タツミー! タケシー!」

 スタジアムが、文字通り揺れた。

 ジャイアントキリングだと……!?

 

 

 何が何だか わからない

 

 

 俺の心境をこれほど的確に表現した言葉もないだろう。

 『バクマン。』の世界だと思っていたらサッカーマンガ『GIANT KILLING』の世界だった。

 その後サッカーについても調べてみたが、どうやら将来的に達海猛が監督を務めるETUが存在する以外は前世のサッカーとそれほど大きな違いはない。

 

 いや、一つ大きな違いがあった。

 

 この世界には中田英寿が存在しないのだ。

 前世ではちょっとサッカーをかじっていたこともあり、中田の存在くらいは知っている。

 いや、正確には、実在の人物としては存在しない、が正しい。

 この世界の週刊少年サンデーで連載されたマンガ『ワールドカップ』に登場する主人公、架空のサッカー選手としてのみ中田は存在している。

スポーツに凄く詳しいわけではないが、幾つか調べた所、数件同じような例が見つかった。

 高校生まではピッチャー、プロ入り後は外野手というマンガとしては珍しいキャラクター、イチローを主人公とした『No.51』、女子卓球という他にないジャンルで成功した作品『バンビ』の主人公は福原愛。

 他にも幾つかあるが有名所ではそんなところだ。

 

 多少悩んだが、もともと転生について誰かに話すつもりはないし、誰かが解決してくれるわけでもない。

 俺は、現実だとか創作物だとか、前世だとか現世だとか考えるのを辞めることにした。

 

 夕食後、リビングで団欒しているとテレビからどこかで聞いたことのある音楽が聞こえた。

「1995年のヒット曲チャートNo.1は日高舞で『ALIVE』でした。デビューのファーストシングルから5連続ミリオンを達成したこの曲を最後に彼女は電撃引退を発表。当時の芸能界に衝撃を与えました」

「もう5年も前になるんですねぇ。あれから舞さんに匹敵するようなアイドルはまだ生まれてません。もっと彼女みたいなアーティストが出てくると我々としても嬉しいんですけれども」

 司会の女子アナとサングラスにオールバックの小柄な男性が一言二言喋ると、当時の楽曲と映像が終わる。

 

 次はアイドルマスター?

 わけがわからないよ……。

 

 そういった経緯があって、俺はもう驚かないようにもう一度少しだけ考えることにした。

 一応の結論としては、「この世界は前世に似たファンタジーのない世界でありながら、複数の創作物が混ざった世界である」ということだ。

 まあ、ここからいきなりがっこうぐらしとかアイアムアヒーローみたいなゾンビものになられても困る。頭と身体はこまめに鍛えているおかげかかなりスペックが高くなりそうだが、どんなに頑張っても精々がオリンピック選手、つまりは人間の範疇でしかない。

 それならもしものときのことは考えずに、使える部分だけ上手く使って普通に生きればいい。

 実際に関わることがあったとしてもスポーツでプロを目指すとか創作物に多い高校での部活が一緒になるくらいじゃないと特に問題はない。

 

 

 

 小学校にあがり、何か一つメインでやろうと考えたスポーツに関してはテニスを選んだ(青春学園がないことは確かめてある)。

 サッカー野球に比べるとマイナーで多少お金はかかるが一人で通える近くにそこそこ強いクラブチームがあることが親を説得する材料で、自分としてはチームで動くスポーツは精神年齢の違いから合わせることが難しくなる可能性があるし、中学・高校での体育会系の上下関係が好きになれないという理由が本音だった。

 水泳や陸上も考えたが、近くに環境がなかった。その上、俺の誕生日は双子の兄シュージンと同じ早生まれの1月25日。技術でカバーできる部分よりも肉体的な才能の差が小学校では特に大きいこともテニスを選んだ要因の一つとなった。

 

 

 そんな理由で始めたテニスも、少しずつ慣れていくにつれて俺はどんどん好きになっていった。

 他の小学生にはない、一見地道な基礎練習がとても重要なことを知っている俺のアドバンテージは大きい。

 毎日たった30分、ちょっと頑張って1時間練習するだけでこの歳の子供は技術を身に着けていく。

 衛星放送などを録画してプロの試合を見ることも欠かさなかったし、成長を妨げないよう筋トレは控えて水泳で心肺能力を鍛え、ケガ対策に毎日しっかりストレッチをした。

 テクニックや幼いころから始めたものにしか身につかない独自のボール感覚などを武器に、俺はどんどん強くなっていった。そして、強くなればテニスがもっと好きになる。好きになれば練習が楽しくなり、うまくなった結果さらに勝てるようになる。

 父親のリストラの後も、住む場所以外の生活レベルは変わらなかったのでテニスを続けることができたのは嬉しかった。栄養をコントロールして成長に活かすため、夕食は自分で作れるようになったのも手間がかかる以外はプラスになった。

 

 学校と母親に勉強を教わる以外の大半の時間をテニスに捧げていた。学校の勉強は流石に飽きていたので分からないように図書室で借りてきた本を読んだり絵を描いたりしていた。

 

 

 

 シュージンが母親にキレてしまい、両親が放任主義になった小学5年の年、埼玉のジュニア大会であいつに当たった。

 

 井出義明。

 俺と同じ早生まれで、そして体格はそれを差し引いてもやや小さめ。

 技術的に特筆するような凄い点はないが、ミスを恐れず挑戦する攻撃的なテニスの元になる強靭なメンタルと抜群の体幹・ボディバランスの良さ。

 周囲の環境すべてを味方につけてしまうような、生まれついて持った人を惹きつけるような何かがこいつにはある。

 県内では小5の頃から、埼玉の県大会ではほぼこいつ以外にライバルといえるような存在はいなかった。

 

 

 そしてこいつは、テニスマンガ『ベイビーステップ』の登場人物の一人だ。

 

 

 さすがに、4度目ともなれば驚くこともない。

 原作の主人公エーちゃんは高校からテニスを始めたし出てくるのはまだ先だ。

 あるいは何かの行き違いで出てこない可能性すらある。

 だが、そんなことはどうでも良かった。

 この時の俺はテニスがすっかり好きになっており、強い相手と戦ったり、もっと上手くなれることが楽しくてしょうがなかったのだ。

 超次元サッカーとかテニヌとかそういったジャンルではない、現実にありうる範囲のテニスこそを俺は愛していた。

 

 

 

 井出に気づいたこの年、初めて出た全国大会でひとつ上の江川逞、同学年の緒方克己と出会った。どちらも原作で非常に強者として描かれているプレイヤーだ。江川とは組み合わせの関係で当たらなかったが見ているだけで強いのが分かったし、それ以上に2回戦で当たったこのときの緒方は信じられないくらい強かった。

 確か原作では中学に入って怪我をしていたと思うので、試合後、不審に思われない程度に普段どんな練習をしているか情報交換を行い、何気なくストレッチの重要性などケガ対策を説いておいた。

 全国大会に出るレベルのアスリートとしては実力や才能で負けるのは悔しいけれどまだ許せる。ただ、怪我を負けた言い訳にされたくないし、ライバルがいることはそれ自体が貴重だということも知っている。特に悩むこともなく、自分の口からするっと言葉が出てくることそれ自体が何となく嬉しかった。

 

 

 小6のときは12歳以下の全国準決勝で緒方にあと一歩のところで負けて3位だった。

 ただ、昨年よりは差が縮まっていることが確認できたし、来年はきっと勝てると確信できた。海外選抜にも内定が出てフロリダに行く予定だったが、おたふくかぜを引いてしまい、原作通り井出が代わりに行ったのは世界の修正力というやつなのだろうか。

 だが、公式戦では俺が井手に勝ち続けていたこともあるし、それほど気にしなくても良いのかもしれない。

 

 

 

 サイコーのおじさん、漫画家川口たろう氏に関しては悩んだがとくに何も出来なかった。同じ谷草市に住んでいるとは知っていても、具体的な場所は分からないし、病気ではなく過労での死亡というのも原作で明言されている。複数の世界が混ざったことによるバタフライ・エフェクトの可能性もあってこの世界でも彼が実際に死んでしまうかどうかが分からなかったからだ。言い訳になってしまうかもしれないが、小学生が関わるにはハードルが高すぎた。

 最も有力な案としてはサイコーと友人になり、漫画が好きという会話の中でおじさんのことを引き出し、遊びに行かせてもらうというものだったが、週4日はテニスクラブに通うのが当たり前だった俺には難しかった。

小学六年の2学期、同じクラスだったサイコーがおじさんの死による忌引で休んだということで、俺はその結果を知っただけだ。

 

 

 

 直径6.5cm強の黄色い硬球を追う。

 微風のコートは砂入りの人工芝で出来ている。

 台風が近づいている影響もあり、昨年と違い空気はどろどろと湿っている。

 それを切り裂くのは、俺のスタイルに近い野生の獣じみた池爽児のボールではない。

 

 こちらを分析し、罠を張り、機会を伺い、最も効率的な一点を狙い撃ってくる針のような鋭さを持った難波江優のボール。

 

 リアルを重視した漫画の中でも度々語られるゾーンという状態。

 その状態に俺は中学に上がってから頻繁に入れるようになっていた。

 6歳から始めた俺のテニスのトレーニング密度は世界中でもトップだと自信を持って言える。

 物理的なトレーニングだけが必要なのではない。3食の食事、立つとき、座るときの姿勢、エーちゃんほどではないがより強くなるために書き始めたテニスノート、朝夜のイメージトレーニング。漫画を読むことによるストレス解消。生きることすべてが俺のテニスを向上させてくれる。

 ハンターハンターでネウロ会長が至った『感謝』という概念はきっとこの先にあるものだという確信すらある。

 

 

 

 難波江優が走る。

 ギュッギュッとコートを蹴る音を聞く。

 ストロークの体勢に入る。

 お手本になるようなフォームのストロークであいつは構える。

 次の打球の軌道を予想する。

 きれいに積み上げられた古代建築のように計算された基部の一つとなるボールが来るのを幻視する。

 ラケットがボールを叩く音を聞く。

 

反応・反射・音速・光速

 

 どんなに考えても、それは結局のところ実現できなければ意味は無い。

 

「右ストレートでぶっ飛ばす」

「まっすぐ行ってぶっとばす」

 

 技術的な優位が相手になく、フィジカル的な優位がこちらにあるのであればそれが最も正しい選択なのだ。

 

 イメージは義経の八艘飛び。

 ボールに追いついた後は、もはや意識して腕を振る必要すらない。

 十二分に鍛え上げられたトレーニングにより染み付いた一連の動作は、ほとんど自動的に行なわれる。

 まだあいつの追いつけない場所にボールは一度だけ弾み、後ろの金網に突き刺さるように滑っていく。

 

 こんな光景をどこかで見たような気がする。

 ただ何となく分かるのは、去年、池爽児に逆転負けをくらったとき、あいつは何も考えていなかったのに対して、難波江優はこれを計算づくでやっているのかもしれないということだった。

 

「ゲーム高木。カウント6-3。ファーストセット」

 審判のコールの後。一瞬の沈黙。

 歓声はもう、うるさくない。

 

 

 

 去年、池爽児に負けたのは完全に才能の差だった。

 ゲームの後半になればなるほど、あいつは俺に追いつき、追い越し、目に見えて進化していった。

 

 

 

 2時間後。

 

「ゲームセット。アンドマッチウォンバイ難波江。カウント3-6。7-6。8-6」

 

 最後は泥沼に両足を取られているようだった。

 体力はもうすっからかんで、気力だけでコートの向こう側とこちら側を隔てるネットまで向かい、難波江優と握手をする。

 お互いにもう握力はほとんど残っていない。

 礼をした後、特に意識したわけでもなく全身から力が抜けた。

 からから、というラケットの転がる音。

 その場に大の字になって倒れ伏す。

 

 

 

 今年難波江優に負けたのは戦略と運の差だった。

 ひたすらじっと耐えるテニスを選び、短期決戦をかけた俺の猛攻を耐え切った難波江優の戦略。

 

 総合力、本来の実力で見れば完全に俺が上。

 ただ、運が難波江優にはあった。

 全国大会でのドローのクジ運。

 原作に出てくるプレイヤーとの5連戦によって決勝前に俺の体力はかつてないほどに消耗していたのだ。

 

 超攻撃的テニスの岡田、学年がひとつ下かつまだ原作で見た理不尽な環境で鍛え上げられてはいないが九州では圧倒的な戦績を残している神田、小学校の頃からライバルとして互いに競い合ってきたことで強くなった井出、選ばれた者の中で生き残った天稟・圧倒的なフィジカルを持つ荒谷。

 

 そして準決勝。

 

 中1のとき池爽児に勝利し、その数週間後に怪我で復帰に8ヶ月を要したものの復活した緒方克己。

 

 小学生の時、俺のしたアドバイスは正しかった。

 あいつの怪我は原作よりもはるかに軽く、回復も早かった。もちろん、全国クラスレベルに戻ってくるのも。

 

 池爽児を除けば俺が同世代で現在No1なのは間違いない。

 だが、これだけのメンバー相手に片手間で勝てるというわけではない。

どの試合も体力を温存することはできず、全力で当たらざるを得なかった。

 

 結果、10回戦えば最低8回は勝てるだろうはずの決勝は、難波江優に軍配が上がった。

 

 

 

 天を仰ぐ。

 

 そこに青空はない。

 2時間半に及ぶ試合によって、空はすっかりと雲に覆われていた。

 やがてぷつぷつと生温い雨が降り始める。

 

 審判が立ち上がるよう注意するのが聞こえる。

 

 まぶたの上が、雨の温さよりもさら温かく湿っていくのを感じる。

 

 イメージは灰。

 

 完全に焼け落ちた後の、ただ雪のように真っ白な灰。

 

 全身全霊を尽くした戦いの後には、ただそれだけが残った。

 




テニス回はあと2話。

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