「あ、黒センセ、おはようございます!」
「おはよう……」
「な、なんか、いつにも増してすごい元気がないですね……」
職員室に着いた俺は自分の席に荷物を置くと、ドサッと机に倒れ伏した。……気分はもう金曜日だよ。
そんな俺を見ながら「あはは…」と乾いた笑いを浮かべていた沙奈原は、ふと思い出したように笑顔で俺へ謝辞を向けてきた。
「そういえば、昨日は突然お邪魔しちゃってすいませんでした」
「……いや、もう今さら気にしてないが。まあ、突然家まで来られたのはさすがに驚いたが」
「私もいきなり柿村さんから呼ばれて……一応断ったんですよ?」
「お前らが連絡先を交換するほど仲が良くなっていることに、俺は一抹の不安しか感じないんだがな……」
こいつ自身はともかく、柿村が何か企んで沙奈原をけしかけるやもしれん。……それこそ、昨日みたいに。
「……とんだじゃじゃ馬を持っちまったもんだぜ」
「柿村さんのことですか? まあ、確かに結構やんちゃですよね」
「いや、お前もな」
「わ、私ですか!? 私、そんなじゃじゃ馬呼ばわりされる部分ってありましたっけ……」
少なくとも、普通の教育実習生は教師の家に突撃してきたりはせんわ……と、喉まで出掛かったものの、職員室には他の先生方も居るので黙っておく。
余計な発言をして囃し立てられるのも嫌だしな……ただでさえ、若い教員が俺と教育実習生のこいつしか居ないから色々と噂されてるし。
そんな俺の行動を不審に思ったのか、沙奈原は不思議そうな表情で俺の顔を伺ってきた。
「黒センセ? どうかしました?」
「いや、別に―というか、職場では『矢田部先生』と呼べと言っているだろうが」
「あ、すいません。お休みの日に黒センセに会えると思ってなくて、まだそれを引きずってるって言うか―い、いはい!? な、なにふるんでふか~!? (い、痛い!? 何するんですか~!?)」
「……沙奈原先生? 公私混同は謹んで頂けると助かります」
俺はにっこりと笑うと、沙奈原の頬を横に広げてその口を封じた。……他の教師に聞かれでもしたらどうするんだっての。
「ぷはっ……あれ? もうやめちゃうんですか……?」
「なんで残念そうなんだよ……。さっきまで痛がってただろうが、お前……」
「え……? や、やだなぁ! もちろん、冗談ですよ?」
「……それは痛がっていたのが冗談なのか、それとも残念そうにしていたのが冗談なのか、どっちだ?」
「あ、あはは……ど、どっちでしょう?」
「まったく……」
藍菜も沙奈原も、こう俺に対しての態度がちょっと過剰というか……。いつも冷静なうちの白唯を見習って欲しいもんだわ。
俺が頭の中で教育実習生と妹の態度に頭を抱えていると、少し歳を感じさせる声が掛けられた。
「矢田部先生、沙奈原先生、おはようございます」
「あ、教頭先生……おはようございます」
その声の主はこの学校の教頭先生だった。
常に人の良さそうな笑顔を浮かべており、年齢層の高い教師陣の中でも一際歳を重ねたの男性教諭だ。
まさか、突然声を掛けられるとは思わず、俺は咄嗟に挨拶すると、沙奈原の方も慌てながらも俺に続いて「お、おはようございます」と挨拶を返していた。
「ははは、お二人は仲が良いですね」
「仲が良いなんてことは……ちょっと昔に関わりがあっただけですので」
「そうですか? 私達から見れば、仲が良いように見えますよ」
「う~ん……そんなものですか?」
「ええ、そんなものです」
俺は沙奈原との関係性を教頭先生に突っ込まれてしまい、少し返答に困ってしまう。こいつと仲が良い……複雑だ。
俺が内心そんなことを考え込んでいると、教頭先生はシワを少しだけ大きく広げ、申し訳なさそうに声を掛けてきた。
「それはそうと、お二人に頼みたいことがあるんですが……」
「頼みたいこと、ですか?」
「ええ……お二人はまだお若いので、出来ればやってもらいたいんです」
若さを理由にやってもらいたいこと……力仕事か?
だとしたら、俺は暇な時とかにそれなりに鍛えてるし、問題無いな。娘や妹に買い物の荷物や重い物を持たせない為に常に鍛えているのさ。……我ながら、なんという父&兄の鏡。
「大丈夫ですよ、ある程度の重い物なら全然持てますから」
自信たっぷりに俺がそう答えると、教頭先生はその優しい顔をさらに崩しながら、自分の髭へと手を置いて、「ははは」と笑って答えた。
「それはありがたいです。ただ……必要なのは重い物を持つ腕力というより、長時間耐えられる辛抱強さの方ですけどね」
「辛抱強さ……ですか?」
「ええ、やってもらいたいことというのは、裏庭の草むしりですから」