「それにしても……休みの日は暇だな」
居間でくつろぎながら特にすることも無く、TVを見ていた俺はボソッとそんなことをぼやいていた。
すかさず、我が愛娘である白唯が溜息交じりに俺を呆れた目で見ながら返してくる。
「暇って言うけど、ついさっきまで学校の提出物の管理とか、採点とか、色々とやることあったでしょ?」
「いやな、それも日課になってしまうと……こう、事務的にこなしてすぐ終わっちまうのよ」
「何も無いならそれが一番じゃない? 今日は休日なんだし、仕事ばっかりで疲れたでしょ?」
ちょっと待って、何なのこの子。そんな労いの言葉を向けられるなんて、この子本当にどこの子なの?
「天使が居る……」
「……あのね、変なことばっかり言ってないでよ」
「いや、娘の気遣いで父さん感動しちゃって……。あれ、おかしいな……家の中なのに雨が降ってる」
「大袈裟だってば……仕事で疲れてるんだろうし、お菓子でも用意しようか?」
「俺は今確信した。誰にも娘は嫁にはやらんぞ!」
才色兼備で気遣い上手、クラスでも密かに人気のあるこんな自慢の娘をどこのものとも知れぬ馬の骨にやれるか!
まあ、最初から白唯を嫁に渡す気など一ミリも無いがな!
「まったく……出来過ぎた娘を持って父さんは鼻が高い反面、一家の大黒柱の地位が脅かされるのではないかと怖いくらいだよ」
「……」
「白唯の父親として、もっと良い親にならないとな、うん」
まあ、この関係は学校の連中どころか近所の人にも秘密だから、公に父親を名乗れないのは悲しいけど……バレると白唯が生徒達にからかわれたりするかもしれないからな。それは避けなければならん。
「とりあえず、今度白唯が食べたいものを買って来てやろう。白唯、何か食べたいものあるか?」
「……」
「……あの~、白唯さん? ……聞いてます?」
「え……?」
ふと白唯から応答が無いことに気付いて様子を伺うと、白唯は頬染めつつどこか遠くを見ながら珍しくぼーっとしていた。
普段から大人である俺よりもしっかりしており、キビキビと動く白唯にしては珍しい反応だった。
「どうかしたのか? 悩みごとがあるなら聞くぞ? これでも俺は父親であると同時にお前の担任でもあるんだからな」
「あ、いや……悩みとかじゃなくて……」
「ん~?」
普段とは違う白唯の様子に、俺は娘の顔を正面から見て様子を伺う。
すると、正面から娘の白唯と向き合う形になり、互いの目と目が合った。その直後、白唯はまるで湯気が出るんじゃないかというくらい顔を真っ赤にしながら慌てた口調で返してくる。
「え、あ、え~と……な、なんだっけ?」
「いや……普段の白唯の行動を労う為に好きな食べ物を買って来てやろうと思ったんだが……どうしたんだ? さっきからぼーっとしてるが?」
「あ……べ、別に……ちょ、ちょっと考えごとをしてただけだから」
「考えごと……ねえ」
そういえば、「嫁にやらん」的なことを言った時からこんな感じだったような……。
(はっ!? まさか!?)
「白唯、お前……もう花嫁修業でも始めようとしてる……とか?」
「え?」
俺がずばり言い当てたと思ったのだが……俺の予想に反して白唯はあっけに取られた顔を返してきた。あれ? 違った?
「てっきり、さっきの話の流れ的に『嫁』の話に反応してたのか思ったが……違ったか」
「あ、いや……それは……違わない、けど……」
俺の質問に対してさらに顔を赤くして目を逸らし始める白唯。やだ、顔を赤くしてる理由は分からないけど超可愛いんですけど。
「あら? 兄さん、手が空いたの?」
俺が娘である白唯をからかい始めようと思っていたところ、同居人の一人である我が妹の藍菜が姿を現した。くそ、もう少し娘の初々しい姿を見たかったというのに。
「藍菜さんって、いつもオシャレだよね」
気付けば白唯はいつもの調子を取り戻し、俺以外に見せるクールな表情で藍菜へと声を掛けていた。ちくしょう! せっかく娘をからかっていたのに!
「……何?」
「いえ、何でもありません」
いつもの調子を取り戻した娘に逆らえる父親は居ない。
これ以上仕掛けるのは無理だと悟った俺は、白唯をからかうのをやめ、仕方なく視線を廊下の方へと向ける。
廊下には藍菜がおり、俺が視線を向けると自然にウインクしてきた。……ウインクって練習しないとなかなか出来ないよね(現実逃避)。
それはともかく、特に出掛ける予定も無いというのに、隅々まで行き届いたオシャレな服を着た藍菜の姿を思わずジッと見つめてしまう。
すると、普段は堂々としている妹にしては珍しく、何やらもじもじと恥ずかしそうに体を隠し始めた。
「あ、悪い。年頃の女子をジロジロ見るもんじゃないよな」
「……そうだよ、もう少しデリカシー持った方が良いと思う」
これまた俺が珍しく藍菜の恥じらいの理由に気付いて自画自賛しようとしていたところ、白唯が普段よりもすごみを増した目で睨み付けながら、棘のある言い方で注意してきた。父さんをそんな目で見ないでおくれ!
しかし、当の本人である藍菜はというと―
「あ、違うの……兄さんに見られるのは嫌じゃないんだけど……むしろ、兄さんに見てもらえるならもっと張り切った服にしたのに、って思って……」
「いや、そっちかよ」
ごめんよ、藍菜……兄さん、妹のお前の考えていることが分からないんだ……特に最近は。
本当に、こっちに引っ越して来てから妹は変わってしまった……。
「……兄さん、妹の率直な愛情表現で押しつぶされそうだよ」
「あら? こんな愛情表現で倒れられたら『いざ』って時はどうなるのよ?」
「ちょっと待って、その『いざ』って何!? 俺達って普通の兄妹だよね!?」
「……それを私の口から言わせるなんて……兄さんって時々意地悪よね」
「何も変なこと言わせて無いんだけど!? ちょっと、変な空気作らないでくれない!?」
この妹、本当に変わったよ……。昔はもう少し大人しい子で良い子だったのに……あ、でも途中からこんなんだったかも。
「……なるほど、すでにあの頃から片鱗はあったというわけか」
「片鱗? なんのこと?」
「いや、良い……俺が自分から言ったら、なんか余計にツッコミが多くなりそうだからやめておく……」
「そう? 変な兄さん」
いや、世間的に見たらおかしいのは君だからね?
普通の兄妹はここまで距離感近くは……無いよな?
「……せめて俺の友人に妹の居る奴が居れば、説得力があるんだが」
「大丈夫よ、兄さん! 例え兄さんに友達が少なくても、私が居るから!」
「え? 何? 遠回しに俺ディスられてる?」
こんな失礼な妹になってしまって兄は悲しい……。居るよ? 友達くらい居るよ?
そ、そんなに多くは無いけど……。
しかし、そんな兄妹のやり取りをしていると、ふと娘が間に入って来ないことに気付く。
(……まさか)
俺は何故気付かなったのだろう。
同じ居間でくつろいで、同じように机に座っていた白唯がどういう状況だったのかを。
そして、俺はまるで亀のような遅さで、ゆっくりと娘の様子を伺おうとしたのだが―
「………………………………………………何?」
「いえ、何でもございません」
何やら超絶不機嫌な表情で俺をずっと睨み付けていた。ちょっと待って!? 兄妹でちょっと話してただけじゃん!? いや、普通の兄妹っぽい会話かと言われると疑問だけど!
「ど、どうしたんだ白唯?」
「何が?」
その声はいつも通りだが、表情が明らかに不機嫌になっている。俺、なんかした?
「いや、その……なんと言いますか……。白唯様がかなり―あ、いや、ちょっと不機嫌そうかなぁ……なんて」
「別に?」
口ではそう言いつつも、白唯は表情を変えないまま俺を睨み付けている。マジで俺何したの!?
とはいえ、我が娘が自分から「怒ってないアピール」をしている以上、あまりつつくとヤバいのは確実……ここは、それとなく聞きながら様子を伺うとしよう。うん。
「まあ、間が悪い時ってあるよな。しかし、俺が何かしたとかそういうわけじゃ―」
「自分の胸に手を当てて考えてみたら?」
超怒ってるじゃあああああああん!?
え、何!? なんでこんなに怒ってるの俺の娘!?
まったく状況が掴めずに俺が混乱していると、俺の背中―廊下に居た藍菜の方から「ふ~ん……」と、何か納得したような声が聞こえてきた。
「そういうことね」
「……何がそういうことなの?」
振り返ってみると、藍菜が何か一人で納得した表情で頷いていた。
そして、俺の質問に対して藍菜は俺を横目に見ると―
「まあ、兄さんのそういうところは嫌いじゃないけど。人間の良さと悪さって紙一重ってところかしら?」
「え、ちょっと何? 人間の本質を語るような場面なの、ここ?」
むしろ、教師である俺が生徒である藍菜に人の本質を語られていた。ちょっと待って、そんな壮大な話?
白唯が不機嫌になったタイミング……さっきまで二人でお茶を飲んでた時はむしろ上機嫌だったはずだ。
しかし、藍菜のことをジッと見ていたあたりで―
「あ」
思わず俺は声を上げてしまう。なるほど、つまりうちの娘は俺が妹をジロジロ見ていたことを怒ってたのか?
「……なあ、白唯?」
「……何?」
改めて見てみると、怒っているというよりは……どこか小さい子供が頬を膨らませていじけているようにも見える。
あ~、昔もこういうことあったわ。そういえば、桃佳の服装を褒めてる時とか、小学生の頃の白唯がこういう風によくいじけてたよ。
それに気付いた瞬間、今度は悪戯心が湧いてくる。へ~、ほ~、ふ~ん?
「もしかして、俺が藍菜のことを見てたから怒ってるのか?」
「え、あ……」
白唯の顔が真っ赤に染まり、分かりやすくうろたえる。……相変わらず、嘘の付けない子よ。
「そ、そんな子供みたいなことで怒ったりなんて……」
「ふ~ん? まあ、本人がそう言うなら良いけどな~?」
「な、何? 違うって言ってるでしょ?」
俺の言葉に顔を赤くしてうろたえる白唯を見ていると、ついつい悪戯心がうずいてしまう。
しかし、そんな俺達をよそに、藍菜が面白くなさそうな声を上げながら居間へと入って来る。
「な~んだ、気付いちゃったのね?」
「分かりやすく誘導したのは藍菜だろうが」
「そうだけど……簡単に気付いたら面白く無いわね」
そして、俺や白唯と同じく机に座ると、自分でお茶を入れようとしていたが―
「あ、良いよ。私が入れるから」
白唯はここから退散する名目を得たと気付き、すぐに立ち上がって急須を手に取っていた。
「あ、ごめんなさい。悪いけど、お願いできる?」
「良いよ、藍菜さんは座ってて」
そうして台所へと去ってしまう白唯。くそ! せっかくの娘とのコミュニケーションが!
「……兄さん、なんで泣いてるの?」
「……男っていうのはな、娘に袖にされた時は泣いて良いんだよ」
「……そういのは妹の時くらいにしてよね、もう」
いや、泣く真似しておいてなんだけど、妹の時でも普通は泣かないと思うよ?
「ゴホン……それで? 実際のところ、今日は何か予定でもあるのか?」
「あ、それなんだけど―」
藍菜は台所に立つ白唯の背中を見ながら、こんなことを言い出したのだ―
「今日、沙奈原先生が兄さん連れて来てって言ってたのよ」
……何も無いはずの休日は、よりによって休日に一番会いたくない元家庭教師の教え子兼教育実習生『沙奈原 由依』という一人の女性によって終焉を迎えた。おのれ、沙奈原め……。