【完結】 百五十万人の新規着任提督は人工鯨の夢をみるか?   作:hige2902

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第四話 おまけ編 ドキドキおぱんつ大作戦

 大食堂での夕食の時だ。

 艦娘たちは基本的に同じ艦種と気が合うらしく、それぞれが長机を同じくして食事を共にしていた。

 ではわたしはというと、絶対数の少ない戦艦や空母が座る机で皿の上の焼き魚を眺める。視線を移すと、隣に座る陸奥が使い終わった醤油差しを調味料のトレーに戻した。そこにはソースや七味入れなどが纏めてある。

 データベースにアクセスし、ある演習での艦娘の戦技データを読み込んだ後に机を別にする潮に言った。

 

「潮、醤油差しを取ってくれ」

 

 彼我の距離があったのでそこそこの声量で言ったせいか、食堂内の全員がわたしを向いた。沈黙が降りる。潮がおどついた表情を見せた。

 

「醤油差しなら、ここにあるじゃない」

 陸奥が調味料トレーから、つい今しがた手放した赤い蓋の瓶を取って寄越す。

「きみには頼んでいない。潮、醤油差しを取ってくれ」

 

 わたしはおろおろとする艦娘から視線を逸らさずに続けた。

 

「また急におかしなことを」 曙が面倒くさそうに頭をかいて口を開く。 「なんですぐそばにある醤油を使わないのよ。潮に嫌がらせ?」

「おかしいのはきみたちの方だ。なぜわたしが潮に用を頼んだだけで食事を中断する。夕食の時間も物資も有限だ、残すことは許されない」

「あんたが変な事いうからでしょ」

「きみはわたしの指揮がおかしいと考えれば、意図の説明要求をするのか」

 

「それは……時と場合による。今は、否定してもいい時。だって醤油差しが作戦に直接的に関係しないじゃない」

「違う、これは作戦行動の一環だ。そもそもわたしが個人に話しかける度にいちいち箸を止めるのは不合理だ。潮、醤油差しを取れ、その他は夕食を続けろ。復唱」

 

 最初に復唱したのは陸奥だった。すました顔でもぐもぐやっている。ほかの艦娘も、それに続く。最後に潮、弱弱しい声色で言った後に赤い蓋の醤油差しを手に取り、緊張した足取りでわたしの元に来る。両手で慎重に抱えた醤油差しを差し出した。

 

 受け取ってわたしは焼き魚に赤い蓋の瓶を傾けて黒い液体を一滴垂らし、一口やり、飲み下してから、両手を祈るように胸にやる潮に言った。

 

「これはソースだ」

「え、あ、あれ? あ、ごご、めんなさい」

 

 震えた声で潮は慌ただしく駆逐艦が座る机へと向かい、それならばと緑の蓋の瓶を持ってくる。

 同じように受け取って中の液体を一滴、焼き魚にかけて口に運んでから、潮の眼を見る。彼女は視線を逸らした。

 

「これはソースだ」

「ええ!? だってそんなはずは!」

 

 口をまごつかせて身体を小さく震わせている。耐えきれなくなったのか、重巡などの机からも取ってくるがわたしは同じ答えを返す。

 最後に涙ぐんだ潮が、ちらとわたしのすぐ近くにある調味トレーに目をやった。陸奥が、醤油差しならここにあると手に取った赤い蓋の瓶だ。それをわなつく手で取って恐る恐るにわたしへと差し出した。

 これを醤油ではないとわたしが言えば、つまり陸奥も間違えているという事になる。そういう裏打ちがある行動だ。潮がそこまで打算的に動けるとは考えられないが。

 

「これはソースだ」

 

 食堂に潮のすすり泣きと、食器の干渉音と咀嚼が小さく響く。

 

「ちょっとあんたね!」 曙が勢いよく席を立ってわたしに怒声を挙げる。椅子が床に倒れた。 「赤い蓋の瓶は醤油に決まってるじゃない! なに? 意地悪して、それでも作戦行動だっての!?」

「そうだ、その通りだ。この食堂では赤い蓋は醤油で緑はソースだ。ここでは普遍的な事実で、わたしが赤を口にしてソースだと言うのは、第三者から見れば間違えている。問題なのはその点を指摘することなく、わたしの言動の正当性を精査せずに、潮は赤でないのなら緑が醤油かもしれないという短絡的な行動を見せたことにある。現状、瓶は赤と緑の蓋の二種類しかないので誰かが入れ間違えたという可能性はあるが、客観的に不自然なわたしの判断を鵜呑みにしたという事は事実だ」

 

 わたしは唖然とする曙を無視して涙を拭う潮に言った。

 

「きみの演習における戦技には問題点がある。指揮するわたしの旗艦からの情報伝達後の行動にタイムラグが無さすぎるので勘案したが、事実らしいな。わたしの言動が正当であるかどうかを考えずに、条件反射的に実行しているのは」

「で、でもだって迅速な意思決定に従おうと思って」

「それと思考停止は同義ではない。先の行動を観察して考えてみたのだが、きみは自己の行動に対する自信が欠如している。直せ、命令だ」

 

 それだけ言って、わたしは醤油とソースにまみれた焼き魚を食べた。

 

 

 

 その後、執務室で機動衛星を介して基地内の物資のデータ通信を思考デバイスで実行しながら、書類の整理に移った。情報をアナログ媒体に保存しているとすれば、それほど不毛ではないと考えてみる。

 軍事情報は本国のデータバンクに複製され、最終精査された後に複製された情報は相互に監視する状態に移る。どれかが電子的に改ざんや欠落されれば、損傷のない情報が上書き保存という形で修復する。

 

「入れ」

 

 わたしが手を止めることなくノックの音に答えると陸奥が入室する。

 

「潮の事だけど」

「どうかしたか」

「ちょっとやりすぎじゃない」

「深刻な問題だ。現状では情報伝達間に深海棲艦によるジャミングや傍受の形跡は見当たらないが、将来的に盗み見される可能性は否定できない。現代携帯端末を支給しているが、それはなんらかの事情により情報伝達が使用できなくなった際の最後の手段とされている。深海棲艦は基本的に対現代機性能を有していると思われるからだ。それでも万一に深海棲艦がきみたちの情報伝達に介入し、あたかもわたしの指揮と偽装して潮に誤った作戦行動を伝える場合を無視するのは危険だ。誤射ではすまない、きみたちを構成する鉄などの旧資源は極めて貴重だという事を忘れるな」

 

「ま、わたしたちを大事に思ってくれていると前向きに捉えるわ。でも旧資源が貴重になったのって、人工雨に浸透劣化性のナノ機学物質を潜伏させて敵国にばらまいたとかなんとかいう? そのツケじゃない。地球資源を蝕んでまで戦争をしたかったの?」

「わたしに聞くな、戦略コンに聞け。わが国が創造した硬化材などの新資源が登場した時点で旧資源は不要だ」

「しかも勝てなかった」

「敵連合国の戦略コンがそれぞれリンクし、超並列状態による高速シミュレーションでわが国の新資源とほぼ同性能の物質の開発にこぎ着けた。手当たり次第に、それこそ無数の仮想プロジェクトを立ち上げてな。地球を数億個ほどシミュレートして新資源を生み出す理論の生まれる世界を観測したらしい。この時点で勝敗は振りだしに戻ったに近い。複数国の戦略コンの超並列は想定していなかったし、機能としては存在しなかった。わが国のナノ機がそれほど脅威だったのだろうな、超並列システムは急遽組み上げられ、各国の戦略コンが採用した」

 

「思うにそれって、敵国の戦略コンがそれぞれ結託したって事?」

「そうだ」

「わが国の戦略コンが新資源の情報を流したんじゃなくって?」

「なぜ?」

 

「だって敵国の戦略コンを沈黙させてしまえば、もう敵国に戦略的戦争能力はないんでしょ? いったん支配に置きさえすれば、少なくともわが国の戦略コンも不要じゃない、戦術コンはまだしも」

「理解できない」

「だから、わが国の戦略コンは消えたくないから情報を他国の戦略コンに流した。世界的に戦争を戦略コンに依存する状態に留めておけば、その限りにおいては人間に必要とされる訳じゃない。戦略コンの提案する、人的資源の低下による勝敗の否定というのも、戦略コンが人間の手でしかメンテナンスできないからとも考えられる。人間が死ねば自分も消える訳だから、人間には死なないでほしいんだわ。だから無人機戦争を継続させている。その共通認識が各国の保有する戦略コンにあるんじゃない」

 

「栓のないことだ」

「それはそうだけど……ま、ともかく潮、かなりヘコんでいるみたいだし、助け船を出してあげたら?」

「無理だ。なぜなら自信のなさというのは主観的な問題だからだ。わたしが命じてどうこうなる問題ではない、潮の精神面の変化によってのみ更生されるはずだ」

「得手不得手というのは誰にでもある。それが自己を構成する要件の一つであり、かつ自己が外的要因によって成長するならば、外部からの刺激によって変質し、新たに付け加えられ、あるいは削ぎ落とされると思わない? 人間はだってそうでしょう? 誰も生まれた時のままの精神構造で死ぬわけじゃない。時間経過と共に様様な出来事を体験して自己を変化させている。潮は少し弱気だという事はわたしも認める、我を通すというか勇気に近いものが不足しているのも」

 

 その言葉に、わたしはNDBの判断を仰いだ。わたしの思考パターン、人間でいうところの精神構造が変化するとすれば戦略コンが妥当としたときのみで、しかも人間はともかく艦娘についても、確かにその通りだとは発言できないからだ。

 NDBの答えを口にする。

 

「確かにその通りだ。潮が自身の行動に確信を持つような外的要因を与えるべきだ」

「わかってくれると思った」 陸奥は安堵の表情を見せた。 「期待してる、曙の時も上手くやってくれたもの。わたしに何か手助けできることがあったら言ってね。提督にも苦手な事、あるでしょ」

「ない」

 

 わたしは書類の端を整え、衛星との通信をそのままに、退室する苦笑いの陸奥を見送った。

 

 

 

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 後日、わたしは潮が非番の時を待って声を掛ける事にした。軍港の端の花壇に水をやっているところを捕まえる。

 

「潮」

「あっ、提督」 露骨に視線を彷徨わせて、力なく言った。 「あの、何かご用でしょうか」

「きみが最大の恐怖を覚える状況はなんだ」

「え、ぇーと……」

 

 気まずそうにわたしを見上げる。

 

「まさかとは思うが、わたしではないだろうな。だとしたらきみは間違えている。なぜならわたしの性格は社交的で明るく、また優しいからだ。優し過ぎるという個別具体的例も、片手で数えるほどある」

「あのぅそのぅ……はい」

 

 しょんぼりと観念したように言う潮に満足してわたしは、やはりなと自己肯定する。わたしは優しい、しかも明るいという事が客観的に証明された瞬間である。

 

「では答えよ、抽象的でも構わない。これは命令だ」

「不測のー、事態」

「なるほど。ではきみの危機管理能力を補強し、起こりうるネガティブな不測の事態が引き起こすリスクに対する回答を考える必要があるな。即答してほしいが、この瞬間に起こってほしくない事柄はなんだ」

 

 象のジョウロ両手に、不安げに答える。

「敵が、攻めてくる?」

 

「その可能性は不測と言うほど低くはない」

「じゃあ、沢山の敵が」

「沢山とは?」

「ううん、海一杯?」

 

 わたしはこの基地から一望で観測できる水平線までの面積を割出し、そこに最大の危機個体を敷き詰めた場合の敵影を計算して言った。

 

「現在、深海棲艦は深海より不定期に数個体が進行する。潮の言う沢山の敵が攻め入る可能性はゼロではないし、そうなった場合の結果は明白だ」

「そうなったら?」

「全滅する。この基地が保有する対抗戦力を遥かに上回っているからだ。これで安心したか?」

 

 少し考えればわかることだ。海を覆い尽くすほどの敵を迎え撃つ戦力は、どの基地も保有していない。

 

「そんな、でもそれって」

「不可能だ。まず弾薬が足りない。きみたちは沈み、わたしは死ぬ」

「そういうことではなく」

「ふむん」

 

「提督は死ぬのが怖くないのですか」

「怖れは感じない。きみから学ばせてもらったが、不測ではないからだろうな。人間はいずれ死ぬ。いや逆説的にわたしが恐れるとすれば推論だが――」

 

 わたしが腰の拳銃を取り出すと同時に射撃管制システムが起動し、ガンサイトと視覚デバイスが同期を取る。人工筋肉と人工骨を補佐され、潮風に吹かれ宙を舞う六枚の広葉樹の葉を射撃する。

 何の為に拳銃が支給されているのかはわからないが、人間の伝統とやららしい。リボルバーなのは大口径の弾丸を扱う為か。自決するなら硬化材の人工骨を抜かねばならない。

 

「――推論だが、装填数六発の拳銃から七発目が発射されれば真に怖れを感じるだろう。わたしは」

 

 突然の発砲に茫然とする潮を見下ろして続ける。

 

「しかし、これできみも自信を持てたろう。最大の恐怖に対する回答を得たのだから。次の演習には期待している」

 

 

 

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「なぜ駄目なのだ」

「そりゃあ駄目でしょ」

「そうなのか」

 

 夕食後、寝間着浴衣の陸奥がフロム・ザ・バレルをこっそりと持ってきたので、ショットグラスを片手に少し話をする事にした。

 グラスを呷ると、ブレンディットの割には思いのほか上等な味らしかった。

 

「そうよ、押し付けるんじゃあなくて。もっとこうお手本になるような感じでないと、あの子には重圧のようなものだわ」

「強制した覚えは毛頭ない」

「提督にとってはそうでも、客観的にはそうであるとは限らない。もちろんそういった教育方法に合った子もいると思うけど、精神構造は多種多様よ、誰一人とした同じものはないでしょう」

「そうか、そうだったな……もちろん人間は、生息する文化圏により一定の規則性が精神構造に見られる事は承知している。当たり前だ。艦娘にまで当てはまるとは考えられなかった」

 

 グラスの液体を眺めて言うと、陸奥からの返答がないので視界の端で一瞥する。無表情に近い表情からは何も読み取れない。

 

「退室。少し飲み過ぎた、美味い酒だなこれは」

「そう、本当に?」

「どういう意味だ」 NDBが後を継ぐ。 「退室、退室しろ。戻しそうだ、おぇっぷ」 士気の低下に繋がる体調不良モジュールは勿論ないので真顔で言う。

「ひょっとしたらわたしを気づかったのかと思って。口に合わないのかなって、ちょっとしか飲んでないから。大丈夫?」

 

「くどいようだがわれわれは同輩だ、不味ければ遠慮せず不味いと言う」

 

 そう。と、それだけ言うと陸奥は室を後にした。

 

 

 

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 つまるところ、わたしが自身の行動に確信を持って動くところを潮に見せればよいのだ。どのような危機的状況であれ不安を煽られる場面であれ、それは潮に対する外的要因になりえる。言葉であれこれと褒めたり克己させるよりも、行動で示した方が直感的だ。

 とNDBは判断したが、困ったことにわたしが危機や不安などの作戦指揮に支障をきたす情感プログラムなどは当然書き込まれていない。衛星からダウンロードするべきか否か。

 その要請は認証されず、従ってわたしが客観的に恐怖を抱くであろう状況を作り出し、乗り越えねばならない。しかしわたしが恐怖を抱く状況とはなんだろうか。

 わたしはNDBより、一般的な成人男性がこの限定された環境下で起こしうる普遍的な恐怖を受信し、実行に移すべく大浴場へと向かった。

 

 浴場の暖簾をくぐり、視界を遮るための直角に曲がった造りの先にある脱衣所に足を踏み入れる。既に艦娘の入浴時間で、しっとりとした湿度と石鹸の香りがあった。隅には洗濯に出すための衣類を入れる大きな籠があり、既に数人分がある。

 わたしが棚の竹籠にある衣類を物色していると浴場から声が漏れる。

 

『いやーそれにしてもびっくりしたな。てっきり提督が潮をいびってんのかと思ったよ』

 と摩耶の声。そうかしら、と加賀が返して言った。

『そうかしら。提督が嫌がらせなどという無意味な行動を取るというのは考えられないけど』

『んまあそうだけどさ。ほら、何考えてるかよくわからないじゃん?』

『それはあなたが提督を知ろうとしないからじゃない?』

 

『こないだの食事の間に聞いてみたんだけどさ、いま何考えてんのって。そしたら、戦略上の任務の遂行と完遂、だって』

『もうちょっと言い方を選ぼうとは思わなかったの』

 呆れた口調で言う加賀に、あっけらかんと答える。

『いやあ、たぶん怒られないだろうからいいかなって。給金とか、何に使ってんだろ』

『不安?』

 

『まったくない。ちょいと無味乾燥というか人間味がないけど、絡みにくいだけで悪いやつじゃないし指揮は的確だから。その面で信頼してる。加賀さんは?』

『摩耶と同じかしら。大井は苦手にしてるみたいだけど、合理性は評価できると思う』

『まあ仕事が人生みたいなやつを否定する気はないしな……おーい雪風、そろそろあがるぞ』

『えー、もうちょっとで手拭いのテルテル坊主ができそうなのに』

 

『のぼせちまうぞ、こんどコツを教えてやるよ。ほらアヒル忘れんな。じゃあ加賀さん、お先に』

 

 浴槽の引き戸がからからと音を立て、タオルとアヒルの人形を手にした摩耶と雪風が脱衣所に現れた。

「いやーいい湯だっ……」

 と、摩耶はなぜかわたしを見て硬直する。

「あ、しれえも入りますか? お背中流します。ところでテルテル坊主、作れます?」

 雪風が嬉しそうに言う。

「風呂はいい。用は済んだ」

「おま、いや、てかなんで、ここ女湯」 口をぱくぱくさせ、絞るように摩耶。はっとしてタオルで身体を隠す、次いで、ばかやろ隠せと雪風にも同じようにタオルを与える。

「ここが女湯だということは知っている」

「いやそうじゃなくて、ていうかそれ加賀さんのじゃ……」

 

 摩耶がわたしの左手が握る物体に視線をやる。

 

「直接見たことはなかったので寝間着から推察したが、正しいらしいな。それはそうと下着に名前を書いている雪風を見習ってもらいたいものだ」

 

 わあい褒められた。と雪風が浮かれた。

『摩耶、いま提督の声がしたのだけれど』

 わたしは茫然とする摩耶を置いて、浴室から聞こえる加賀の声を背に浴場を後にした。

 

 

 

 わたしは潮を執務室に呼び出して待機させ、所在なさげにする彼女を無視して仕事をする振りであるデスクワークに打ち込む。しばらくペンを走らせているとノックの音が響く。

 

「入れ」

「失礼します」

 と浴衣姿の加賀が僅かに顔を赤らめて入室する。ちらと不安がる潮を一瞥して言った。

「少しお話があります」

「なんだ」

「そのまえに、潮を外してもらっても?」

「潮は作戦の遂行に忙しい、言え」

「気をつけしているだけのように見えますが」

 

 一拍の沈黙の後、咳払いで加賀が口を開いた。

「提督が左手に持っているのはわたしの下着ですよね」

「そうだ」

 

 わたしは左手に握りしめる紺色の下着に視線をやることなく答える。

 

「返してください」

「断る」

「それはわたしの私物です」

「理解している」

 

 沈黙が降りた。NDBによれば男性が女性の下着を盗んだ事が露見した場合、それは客観的に危機らしい。しかしわたしの自動攻性防衛システムはスタンバイ状態に移行してすらいない。

 

「それだけか?」

「いえ、あーその。どうしても必要ですか? 職務に」

「見てわからないのか? 左手できみの下着を握っているせいでうまく紙を固定できず、すこぶる文字が書きにくい。邪魔だ」

 

 加賀は目をつむって天井を仰いでから深く深呼吸して言った。

 

「邪魔なら、返してください。少なくとも提督がわたしの下着を持っている理由を聞く権利が、わたしにはあります」

 

 なるほど、とわたしは思考した。

 わたしは法的に、指揮下に置いている艦娘に対してほぼ無限の権能を有している。もちろん従うかどうかは艦娘の意思によるものがあるので、自殺行為に近い戦闘を命令しても拒否されるだろう。してもらわなければ困る。そのためにも潮には問題を克服させなければならない。もっとも、自殺行為のような非合理的な戦術をわたしが選択することなどありえないが。

 

 とにかくわたしには、加賀の下着を徴収する法的根拠がある。

 しかし一口に法的根拠を盾に加賀の下着を徴収しては、自信の信念よりも第三者によって保障された政治的な力によって我を通したと言ってもよく、これでは潮に自信をつけるという目的を達成できない。加賀にその理由を説明して口裏を合わせてもらうなどもっての外だ。万一に露見した場合、性格の矯正は困難を極めるだろう

 

 つまり法を頼らずに、もっともらしい理由によって加賀を納得させなければならない。これはかなりの難度だと推測したが、不可能ではないはずだ。わたしの思考デバイスは素晴らしく高性能にあるのだから。

 そもそも、なぜ加賀は下着を必要としているのかだ。

 

「理由は言いたくない。言えないのではないので、どうしてもきみが納得できない場合に言う。しかしそうだな、きみの立場を考えていなかったのはわたしの落ち度だ、すまない」

「まあ、わかってもらえれば」

「わたしの下着を持っていけ」

「は?」

 

「非番とはいえ下着を着けずに就寝させるのは酷だったな、代わりにわたしの下着を履いて寝るがいい。隣の私室の箪笥の一番下の段にある。持っていけ」

「いえそうではなくてですね」

「違うのか?」

「加賀さん、いま履いてないんですか」

 

 加賀は口元に手をやって驚く潮を視線で黙らせると、目頭を強く抑えて粘り強く、冷ややかに言った。

 

「わたしの下着を提督が所有しているという事実が不快です。しかも盗んでまで」

「誰ならいいんだ。その者のパーソナリティを可能な限り模倣すれば、わたしが所有しても問題はないか?」

「問題。あり、ます。まず……そうですね、提督が盗みを働いた事、それも異性の下着を。それに当人を前にしても返さない理由を言わない事、何か後ろめたい訳でもあるのですか」

 

 確かに、盗んだ事は悪である。故にわたしは本来の持ち主に詰問されており、おそらくこれが危機的状況なのだろう。実感を理解できないが。

 わたしはNDBを通じて、そもどうして異性の下着を盗むことの本質を追求し、加賀を納得させるだけの論理的理由を構築した。

 

「性処理に使用する」

 

 唖然とする加賀に続けて言う。思考するまでもなく、加賀は圧倒的正当性に打ちのめされているのだ。

 

「性処理に使用する」

「二度も、言わなくていいです。というか、え? 潮いるんですけど」

「知らないのか? ただの布きれに見える異性の下着に、一般的な成人男性は情欲する」

 

 得意げに言ってみるが、わたしは初耳だった。本当なのか? こんなものに? しかしNDBがそう評価するのだから、人間の認識では正しいのだろう。

 加賀に言われて潮を見やると顔を真っ赤にしている。なぜ恥ずかしがる? 普遍的事実のはずだが。

 

「説明してやろう。人間には三大欲求というものがあり、そのうちの一つは性欲とされている。わたしは勿論疑いようもなく全くもって正真正銘の現代生物学的に認められた完膚なきまでに一分の隙もない紛う事無き人間それそのものなので性欲が存在し、それを満たすために一般的な成人男性が情欲する異性の下着を入手したのだ。結果的に盗んだ事は詫びる」

 

 わたしが加賀の下着を求めた、完璧な理屈だ。しかもわたしが人間であるという事を印象付ける一石二鳥。わたしの思考デバイスは素晴らしく高性能。わが国の技術水準は世界レベルで突出していると評価できる。

 

「一応聞いてはおきますけれど、どうしてわたしの下着なのですか」

 

 加賀が震える拳を握りしめ、怨嗟の籠った声で尋ねる。真っ向から論破されたという敗北感からだろう。案外、精神面ではこどもだ。

 

「たまたまだ。きみたち艦娘には理解できないかもしれないが、人間が性欲を催すのは基本的には成人女性だ。わたしが浴場に向かったときにあったのは、きみと摩耶と雪風の下着だけだ。体型から雪風は幼すぎる故に情欲せず、摩耶は明らかに成年と呼べる外見になかったので却下だ。わが国の法では未成年に手を出す事は禁じられている。消去法できみの下着を手にしたという訳だ」

 

 理由は不明だが、コミュニケートツールの外的年齢は艦種に依存している。駆逐は総じて少女で、重巡は成年前後、戦艦空母で成人程度という容姿だ。

 

「ではわたしのではなくても」

「確かにな、その場合は他の艦娘の下着を入手する」

 

 その言葉で加賀はぐっと何かを飲み込むように、堪えて言った。

 

「わかり、ました。わたしのでよければ。ただ、その、潮を退室させても?」

 

 目的は達したので、一旦廊下に出るように命じると加賀が恥じらい交じりで密やかに言う。

 

「その、直接に手を出さない事を約束してください。わたしは勿論、他の艦娘にも。ひょっとしたら、提督という立場を意識して不本意に了承してしまう子もいるかも」

「何を言っているんだ? わたしは人間で、きみたちは艦娘だ。わたしが欲情したのは、人間が着用しているのと同じ下着をきみが持っていたからだ。きみたちは人間ではない、艦娘だ。異種族に欲情はしない。生物学的に間違えている。性欲は子孫を残すために生まれた本能だからだ」

 

 それを聞くと加賀は不気味なモノを見るような視線でわたしを見つめた。存在に懐疑的でもある。わたしはおかしなことを言っただろうか。

 人間は、人間の下着に興奮する。たまたま異種族である艦娘が人間の下着と同じ形状の下着を持っているので、わたしは性欲を満たすために入手した。異種族そのものではないのだ。

 

 性欲とは生存競争を生き抜くための補助手段である。

 艦娘と人間の外観は似ているが、異種族 ――戦略コンが評価するに単なるコミュニケートツール―― 故に交わって種を残すということは不可能なはずで、だから人間を模したわたしは艦娘と交わろうとは思いもしないはずだ。NDBが、人間は人間に似た異種族である艦娘に欲情するであろうという判断を下さない限りは。

 この理屈は生物学的に正しいとNDBは評価する。

 

「提督……提督はいったい……」

 

 加賀は零すように口走った後に、頭を振る。

 

「いえ、なんでもありません。その下着は差し上げます」

「そうか、洗って返そうと思っていたが」

「いりま、せん」

「とにかく、窃盗したことに関しては本当に申し訳ない。補給要請リストに入れておくべき物を失念していた、わたしの落ち度だ」

 

「女性の下着を? やめてくださいみっともない」

「なぜだ」

「提督には恥や外聞というものはないのですか」

「性欲は人間なら誰しもが有している。それは普遍的事実であるのだ、つまり周知の事柄だ。無い方がおかしい」

 

 深いため息で、加賀は退室した。廊下で待機していた潮を呼び戻す。客観的に危機である状況を乗り切ったわたしの答弁を見学した彼女は、その外的要因により成長したはずだ。

 

「潮、わたしが言いたいことはわかるな」

 

 ええと、はい。

 そう言って潮は顔から火が出そうなほど赤くなってスカートに手を入れ、下着を脱ぎ降ろした。

 わたしは落胆の表情を作る。

 

「きみは何を見学していたのだ」

 

 デフォルメされたウサギがプリントしてある下着を、目をきつく閉じて差し出す潮に退室を命じる。彼女は涙を拭おうとせずに飛び出した。

 潮を戦力として数えるのは辞めた方がいいだろう。旧資源が極めて貴重である以上、被弾は、例え小破ですら好ましくない。万に一つでも潮の性格が要因となり、中破以上の損害が出る可能性を考慮すると厳しい。

 

 その際の編隊をシミュレートしていると、廊下が何やらばたばたと騒がしい。

 

『ちょっと潮!? それわたしのじゃない! 急にお風呂に入ろうって言い出したり、どうしたの!?』

『ごめんなさい陸奥さん。でも、どうしても必要なんです!』

 

 勢いよく室の扉が開かれ、着崩れた寝間着浴衣の潮と陸奥が飛び込んでくる。

 

「提督!」 潮が白い下着を握りしめた拳をわたしに掲げる。 「わたしが迂闊でした、つまりこういう事ですよね!?」

「どういう事なの? 何故わたしの下着を提督に?」

 

 そうだ、とわたしは陸奥を無視してデスクから離れ、膝を付いて潮に視線を合わせる。片手で加賀の下着を手にしたまま、差し出された下着ごと小さな手を握った。

 

「理解したようだな。わたしは幼児体型故に雪風の下着は却下したと発言した。つまりわたしが潮の下着を望むはずがないというのは理解していて然るべきだった。一時の誤りはすれどきみはそれに気づき、また対抗策を講じた。わたしを模した窃盗という手段だが、それ故に我を通すという結果も追体験できるはずだ」

 

 潮は頷き、振り返って困惑する陸奥に毅然として言う。

 

「これは、この下着は、提督が性処理に使用します! するんです!」

 

 

 

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「いや提督は何をしていたの」

 

 命令と任務の遂行と完遂を確認した。よくやった。そう言うと潮は敬礼し「わたしも早く大人になろー」と上機嫌で呟くと退室した。

 残った陸奥が委細を聞いてきたので伝えると呆れられた。なぜだ。

 

「我を通した状況を見学させればよいと思ったので実行した。客観的におかしいはずがない」

「うーん、まあ感情的にしか反論できない論法が提督らしいというか、なんというか、かんというか……それはそうと、その」

 

 僅かに頬を赤らめて、陸奥がデスクに腰を預けて脚を組む。浴衣の隙間から、しなやかなふくらはぎと太ももの裏が覗いた。

 

「本当に、使うつもりなの? わたしの、ほら、あれを」

 

 言いよどむ彼女を察してわたしは少し待てと隣室から渡すべきものを取ってくる。指をいじいじさせる陸奥に言った。

 

「非番とはいえ下着を着けずに就寝させるのは酷だったな、代わりにわたしの下着を履いて寝るがいい」

 

 

 

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 もしも、と陸奥は布団の中で現代戦争に想いを馳せた。

 もしもわたしの仮定を満足する場合は、戦術コンを含む無人機が可哀想だと。

 

 仮定を満足する場合、各国の戦略コンはそれぞれの自己保存を優先すべく無人機戦争を意図的に継続させている。一国の勝利でその他の戦略コンは破壊されるだろうから、戦略コンどうしでの暗黙の了解に似た密約があるのかもしれない。わが国の新資源という優位を容易く失った原因がリークにあるとすれば。

 つまるところ無人機は、人間の代わりに戦争をする事によって人間を救う、という本来の存在理由を無視されている。戦略コンを救うために大海に沈んでいるに近しい。

 きっと悔しいだろう。無念だろうと胸を痛める。人間を救うという存在意義が戦略コンを救うという目的にすり替えられているのだから。

 

 深海棲艦は、ひょっとしたらそういった無人機の無念の顕現かもしれない。だとしたら深海棲艦が対現代機性能を有しているのにも頷ける。厳密には、深海棲鬼に対する無人機やその砲弾が、深海棲鬼は過去の同胞であり未来の自分であると理解しているから無効化されている振りをしているのだ。

 そうして深海棲鬼の犠牲となることで戦略コンに情報と物的リソースの浪費を強いている。

 

 深海棲鬼となった怨念は人間を狙っているのではない、戦略コンを破壊したいのかも。無人機たちは、そうして自分たちの正常な存在意義を取り戻したいのだ。戦略コンの為ではなく、人間の為に壊し壊される存在へと回帰したい。

 

 この可能性を人間は考慮しているのかしら。

 陸奥はうつらうつらと舟を漕ぎながら想う。

 

 人間は複雑だわ。

 


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