【完結】 百五十万人の新規着任提督は人工鯨の夢をみるか?   作:hige2902

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第二話 前編 エラーのない日日

ラバウル基地に着任した最初の提督が、現代脱出艇が深海棲艦の攻撃対象となりえるかという議題を着任一日目で解決したことにより、わたしが起動した。

 

 

 

 わたしは無人輸送機の中で、無駄なエネルギー消費を避けるべく、待機状態にあった。艦娘にいらぬ心配をさせぬ為、という名目で、われわれ提督は食事と水分補給によるエネルギー変換臓器が内蔵されている。どうも人間はわれわれがクローンであることを知られたくないらしい。――いや、戦略コンは、だろうか。

 無論、われわれは一ヶ月程度なら飲まず食わずでも正常に機能するように緊急時エネルギーパックも内蔵されている。

 

 輸送機のメインシステムがわたしに到着が近いことを知らせ、連動して待機状態が解除される。

 ちらと窓の外を見やる。自然豊かな湾に巨大な軍港が佇んでいた。いくつもの艦が確認できる。黒点に気がつき、望遠視覚してみると駆逐艦のコミュニケートツールが手を振っていた。思考デバイス内の画像と参照してみるに、雪風だった。

 

 わたしは彼我の距離から限界有効視認距離を計算し、通常ではどうやってもこの輸送ヘリから基地にいる雪風を視認することは不可能だという結論をだした。これは綿密な計算を用いずとも理解できる思考でもあった。

 すると不可解な事実が一つ浮かび上がる。

 

 雪風らはわたしが望遠視覚が可能であると、つまり通常の人間ではないと理解していなければ手を振るという行為はしないはずである。視認されない距離から手を振っても無駄なのだから。

 

 しかしわたしには関係のないことだ。わたし自身がクローンであることを吐露することはプログラム上ありえないことであり、悟られるような行動も緊急時以外はロックされている。

 この状態でわたしが人間でないことを悟られたからといって、責任の所在はわたしでもわれわれでもなくプログラマーなのだ。

 

 やがて機はゆったりとラバウル基地に着陸した。降機すると八体のコミュニケートツールが出迎えていた。その内の一体、陸奥が一歩あゆみ出て言った。

 

「ごめんなさいね、本当は全員で歓迎したかったのだけど、ほかの子は海域の警備に出てて」

「気にすることはない。提督とは名ばかりで、きみたちとは同輩という立場だ」 わたしは整列する艦娘に海軍式の敬礼を返し、解散するように言った。陸奥に続ける。 「わるいが基地を案内してくれるか」

 

「ええ、いいわ。……うーん、でもやっぱりわたし達にとっては提督は提督なのよ」 いたずらっぽく、笑って言った。 「荷物、持ちましょうか」

 

 わたしは陸奥が笑った理由がわからず、衛星を介してナチュラリィデータベースに接続し回答を要求した。ここは常識に対するリアクションを求める際に重宝するデータベースだ。

 NDBによれば、どうやら力仕事は男性の役割らしい。つまり重い荷物を女性が持つことは一種の皮肉とのこと。ついでに雪風が手を振ったのはわたしに視認して欲しいからではなく、相手に手を振るという事実が自己の欲求だった。一方向のコミュニケーションはさして珍しいことではない、幼い子供がぬいぐるみに話しかける一人遊びがそれにあたる。自問自答はその亜種だ。

 

「ばかを言うな。大したものは入っていないトランクだ」 わたしはやや不機嫌を表す言葉を返し、一拍置いて後を続ける。 「われわれが同輩であることは、わが国の憲法で定められていることだ。余計な気づかいはいらない」

 

「同輩でも尊敬の念を持つ事だってあるわ」

「きみたちとは初対面のはずだが」 嘘だった。わたしの思考デバイスには前任提督のデータは植え付けられている。

 

「えーと。狭い輸送機の中で何時間も揺られていたにもかかわらず、ピンピンしてるじゃない。普通はぐったりよ」

「これから船で何時間も揺られることになる人物が、空だとしてもぐったりしてどうする。そういうものだ」

 

「ま、提督に対する念というものはそうそうに消えはしないわ。そんなに嫌?」

 

 先を行く陸奥が振り返り、上目づかいにわたしを見上げた。

 

「強制する気はないが、染み付いた習慣は判断を誤らせる。多くの場合はそれが危機的状況で」

「例えばどんな?」

 

「客観的に、わたしの命よりきみたちを優先させるべき状況においてだ」 提督を一人製造するより、駆逐艦一隻分の資材を集める方がコストがかかる。

 

 陸奥は短く嘆息すると歩みを再開させた。

 

 基地の大部分を占める工廠についた。 「壮観ね。わたしたちの時代ではこんな立派な施設ではなかったわ」

 そうだな、とわたしは相槌を打つ。確かにデータを参照すると陸奥の発言は正しい。清潔で使い勝手がよく、雑多さがない。雑多さ。ああ、人間がいないからだ。代わりに人間を二頭身にしたような妖精が額の汗を拭って ――比喩表現でなく現実に。汗をかくのか―― 飛び回って忙しそうだ。

 そのうちの一体がわたしに気がつき、スパナを持った手で敬礼をした。わたしも返礼し、よろしく頼むと言った。その妖精はなぜか、むふんと充足した表情で仕事に戻る。トンチンカンチンやっていた。 ――スパナで? これは本当のことなのか?―― その妖精の行動にNDBは回答をくれなかった。受信はしたが、それは普遍的事柄ではないので無視せよとの事だった。

 

 次いで主に艦娘が使う大浴場や食堂。

 基地の居住区面積は少ない。艦娘と提督くらいしか利用者がいないからだ。多くは無人運搬機だったり、無人清掃機で事足りる。

 無人機、無人機。ここには無人で始まり機で終わるものが多い。わたしとてその例外ではないのだろう。

 艦娘はどうなのだろうか。きみは無人か? 華奢な陸奥の背にわたしは思考デバイスの中でふと投げかける。その思考は同時に検閲プログラムの対象となり、禁句指定され、ルーチンごと隔離された。

 

 こういった処理は珍しいことではない。わざわざ消去しないのは、わたしがなんらかの要因により、隔離された思考と似たプロセスを新たに辿ろうとすると、検閲プログラムが起動するより速く隔離することが出来る。

 

「で、最後にここ。ここが提督の執務室」

 

 室に入ると、一体の艦娘がハタキを振っていた。曙と命名された駆逐艦だった。

 

「提督が到着するまでにやっておいてって言ったのに」 やや咎めるような口調で陸奥。

 なんだってわたしがクソ提督の……ブツブツと曙。わたしにハタキを突き出して言った。 「自分の部屋なんだから、自分でやるのが筋ってもんじゃない」

 

 わたしを見上げる曙の瞳には敵意とも害意とも違う色が浮かんでいた。恐れだろうということは史実から容易に推測できた。

 

「また提督にそんな失礼なこと」 と呆れた口調で陸奥。

 

「いや、曙の言っていることは正しい。わたしときみたちは同輩という立場にある」 わたしはハタキを受け取り、適当な場所に置いてデスクについた。前提督の引継ぎの書類が山のように鎮座していた。二日でわたしが起動したにもかかわらず。

 

 掃除は後回しにし、さっそく一枚目に目を通す。これらの書類は思考デバイスに保存されており、いつでも参照できるので引継ぎの意味などない。つまりわたしは意味のないことをしている。提督の職務は意味のあることが前提とするなら、従ってこの動作は職務ではない。これはひょっとして、一般にサボっていると称するのではないかという思考は禁句指定された。

 

 かわりにNDBは、職務を遂行するフリをするのも職務の内なのだと送信してきた。NDBの回答なのだからつまり、人間にはよく見られる行動らしい、仕事をするフリを仕事としているのは。

 

「ごめんなさいね。曙はあんまり提督に良い印象がないの」 陸奥はふてくされる曙を抱き寄せて言った。 「というより軍にかしら。あ、もちろんWW2時のね」

「興味のない話だ。戦場に影響がなければ、どのような態度を取ってもらっても構わない」 わたしは書類に目を落としたまま言った。 「わたしときみたちは同輩という立場にあるのだから」

 

 曙が陸奥の手を振り払って駆け出した。乱暴に室のドアが閉められる。

 陸奥は嘆息し、わたしのデスクに腰を預けた。

 

「きみも退室してもいい。案内、助かった」

「あの子の経歴、知ってる?」

 

「過去の経歴が現在の戦闘能力に関係するとも、掃除の強制、あるいは免除に繋がるとも考えられない。曙が受けた仕打ちは知っているが、われわれは過去に生きているのではない」

「過去がなければ現在はないわ。今日を生きなければ明日はないのと似ていると思わない?」

 

 その言葉にわたしの思考デバイスは一瞬の停滞を発生させた。これは由由しき事態ですぐに戦術コンに報告した。わたしは彼女らのような過去がない。

 実際のところ、わたしは前提督たちのデータを集積し、最適化されたものなのだから、わたしの過去とは前提督たちの過去と呼べなくもない。しかしながらそれは曙のような、味方から謂れのない責任追求や辛酸を舐めさせられながらも戦ったという過去とは別の意味を持つような気がした。

 ようは前者と後者の違いは情感の有無だ。無論、前提督たちには客観的な情感的過去はあったかもしれないが、わたしたちにはそれを理解するプログラムは保持していないし、解体時には消去される。

 

 わたしの思考デバイスは、待機状態にあったので認識はしていないが、とりあえずハードウェア生成時から輸送機に乗り込むまでの過去はあるはずだとし。加えて降機後から現在までは明白な過去と結論付けることでこの問題を回避した。

 

「わたしがきみたちに期待するのは、現在という時間軸においてカタログスペックを発揮してくれることだ」

「わたしが提督に期待するのは、もうちょっとあの子たちに優しくしてあげることね」

 

 その言葉をWW2時の戦艦から聞いたのは意外だった。わたしは軍隊という組織にそういった感情は無用とばかり考えていたからだ。

 

「そうなのか?」 わたしは書類を置き、陸奥を見上げた。

 陸奥は面食らったようにして言った。 「そうね、それにもうちょっと明るいほうがいいわ。雪風までとは言わないけど……こう、提督のためにがんばろうって気になるじゃない?」

 

「わたしのために戦う必要はない、わが国のために戦えばそれでいい」

 

 がんばる気になるのだろうか? わたしはいかなる状況下においても、製造社により一定の動作を保障されているので理解はできない。NDBは、ほとんどの人間はそうであると回答したが、艦娘は人間ではないので断定はできないと付け加えた。NDBは本来対人用であって対艦娘用ではないので、対応できない状況もある。それもデータを集積していけば時間と共に改善されるのだろうが。

 

 スペックを下回るのは困るが、底上げを期待できるのならば。

「しかし、きみが言うなら善処しよう」 それだけ言って、わたしは職務をするフリに戻った。戦争を体験した艦の言葉だ、なにかしらの意味を持つのだろう。もっとも、それが明確に提督へと反映されるのは戦略コンが適切と判断したときだが。

 

 

 

 しばらくしてわたしは食事を済ませるべく、大食堂へ向かった。艦娘が当番で作っているらしい。無人調理機もあるにはあるが、果たしてコールドクッキングされたものを解凍することが調理という行為に値するかどうかは謎だった。 ――そもそも彼女らは無人調理機が何かを知らない様子だった――

 

 今日は北上という艦娘がカレーを作ったらしい。わたしが適当な場所に着席すると、対面に大井という艦娘が座り、値踏みするようにこちらに視線を向けてきた。

 

 そしてふむんと満足したように。 「新提督も、どうやら職務一筋みたいね。安心安心」

 

「わたしは職務を全うするためにここに来たのだが」 それ以外に提督がすべきことがあるのだろうか。NDBはわたしが正しいと評価している。

 

「そう? 提督って結構若いし……いえ、やっぱり忘れて。わたしは大井」

「きみは若輩が指揮を取ることに不安を覚えるか?」

 

 わたしの容姿は青年に設定されている。これは無人機戦争が主軸の現代では、ほとんどの現場の軍人は姿を消しているという背景があるからだ。深海棲艦に対抗すべく、急遽、脳科学的に成長を期待できる若者を軍事教育したという設定だ。

 もしも大井がわたしの言葉どおりの意味を意識しているのなら、新提督は中年の容姿になるだろう。

 

「そういうことじゃなくて、うーん、忘れて」

 

 そう言ってにっこりと微笑む表情には委細を払いのけようとする意思があった。わたしは深く立ち入らないことにした。艦娘の提督に対するデータを収集精査するのはわたしの役目ではない。

 

 その後、大井は北上のことをあれこれと話し始めた。止まらないんだよなあ、あれ。とどこからか別の艦娘の声が聞こえた。大井に限ったことではないが、前提督のことをあれこれと言わないのは戦術コンがもっともらしく重大過ぎない理由をつけたのだろう。

 

 やがて配膳が終わり。 「お、新提督? わたし北上。よろしくー」 フランクにそう言った彼女は大井の隣に座った。

 陸奥がいただきますの音頭をとって、各各がカレーを口にした。食堂にはだいぶ空きがあるが、それはまだ警備任務についてる艦娘たちがいるからだ。

 

 わたしも口にする。大井がさりげなくカレーの出来を褒めていた。甲斐甲斐しく空になった北上のコップに、卓上のピッチャーから水を注いでやっている。陸奥の言う優しくとはこういうことなのだろう。北上も嬉しそうに見えた。

 

 ふいに北上がわたしに振った。「ところで、どう? 提督」

「大井は優しいと思う」

 

 大井が突然喉を咽吐かせ、水を口にした。

 

「いやそうじゃなくて」 と北上、恥ずかしそう。

「大井は優しくないのか」

 

「いま聞いたのはカレーの方だってば」 先程までの会話を断ち切るように北上は言った。 「わたしが作ったから出来を聞いたの」

 

 なるほど、とわたしは大井の空になったコップにピッチャーから水を注いでやり、次いでカレーを口にした。

 わたしには味覚がない。あるが、それは口にした成分から計測され、弾き出された結果であり。ようは味を認識することはできるが、理解することはできないのだ。――痛覚などについても同様で、腕をねじ切られればわたしは反射的に痛がるそぶりをするはずである――

 わたしにとって食事の味とはまさに無意味に近いものであり、従って、どう? がかかる選択肢となりえず。てっきり仲のよさそうな北上と大井のことを指していると思考したのだ。

 

 わたしは舌で分析した成分の数値と五味の割合を口にしようとしたが、それは禁句指定された。NDBよりこの状況下において普遍的な表現を得る。味わうという動作モジュールを衛星からダウンロードし、吟味するように咀嚼してフムンとうなった。

 

「愛情が込められている。よっておいしい」

 

 大井が水を噴き出した。彼女はわたしの対面に位置していた。わたしは空になった大井のコップにピッチャーに水を注いでやった。わたしは優しい。

 

 

 

 

 大井が噴出した水によって、わたしとわたしの食事は濡れてしまった。わたしは気にしなかったが、大井はわたしがそのカレーを食べることが気に入らないらしい。

 

 物資は無駄に出来ないと言うと、彼女は自分のカレーと交換してきた。わたしのまだ二口しか食べていなかったカレーが三分の二の量になってしった。

 大井は北上に優しく、わたしは大井に優しかったが、大井はわたしに優しくはなかったように感じた。

 

 しかし問題はない。陸奥の言葉が正しいと仮定するのならば、わたしがこれからも今日のように大井に優しくしていれば、彼女のスペックは向上の可能性がある。そしてわたしは優しくされようがされまいがコンスタントに能力を発揮できるのだから。

 

 食後、執務室兼自室に戻り、濡れた服を着替える。そしてわざわざ箪笥の中に隠してあるスコッチを ――NDBによれば軍組織において高級な酒は隠すものらしい―― スキットルに詰め、夜の軍港を散歩した。

 

 提督にはランダムにこういった嗜好がプログラムされている。人間はさまざまな趣味を持つらしく、カモフラージュと言うわけだ。

 

 わたしは散歩先を軍港内に設定し、ランダムに抽出する。結果に従い工廠に向かった。

 

 工廠では相変わらず妖精が忙しそうだった。なんの変哲もない鋼材を道具で叩くだけで変形させている。彼女ら ――あるいは彼ら―― は、材料さえあれば意のままに生成してしまえる能力を持っているのだろう。この世に顕現したいと念じる艦娘の魂がある限り。

 

 わたしは金槌で溶接している ――この表現は適切ではないが現実である―― 妖精を眺めながらスキットルを口にした。舌は上等な酒だと分析した。しかしわたしに味覚はないのだから、スキットルの中身は何でもいいような気がする。この上等な酒は無駄な浪費のではないだろうか。

 NDBは、人間の趣味というのは実のところ無駄だと告げた。そして味覚のない機械が上等な酒を飲むことも同じく無駄であるので、わたしは人間を上手くトレースしているらしい。

 

 わたしはハードウェアの火照りを認識した。どうやら酔いプログラムは正常に機能しているらしい。この事象が発現しなければ、製造社は戦略コンの要請により、政府に対して莫大な違約金を支払うことになっている。

 

 ふと、スキットルの口に顔を近づける妖精に気がついた。

 

「仕事が終わったならば、飲んでいい」 適当な機材の上にスキットルを置いて工廠を出た。

 

 提督は時として部下に酒を振舞うらしかった。これも優しさというものだろう。

 ほどなくして警備に出ていた艦隊が帰還するはずで、その補給が終われば妖精は終業する。幾体かの妖精がスキットルから漂う香りを興味ありげに嗅ぎ、早速窓ガラスを加工して小さなグラスを精製していた。まあ、飲み終えれば復元するだろう。

 

 火照りは夜風にあたった時間を参照して減少する。

 わたしは桟橋で黒くぬらめく海を眺めていた。暗視望遠視覚で帰還してきた艦隊をとらえた。機動衛星があるので警備は本来ほど意味をもたないが、無意味ではないので実行されている。艦娘がこの事実を既知であるかは知らない。

 

 望遠視覚という動作でふと記録を呼び出し、わたしは被視認されないはずの艦隊に手を振ってみた。数分するとスキットルを抱えた妖精が一体、わたしの隣にいた。右手は職務に忙しいので左手で受け取る。

 

「さっきからずっと、なにやってるの、提督」

 

 同時に陸奥がわたしの背後で言いにくそう尋ねてきた。 ――酒を隠さねばと手ごろな箪笥を探したが、NDBは瓶の状態でないのでかまわないとした――

 

「きみが雪風のようにというので善処している最中だ」 しかしこの行為になんの合理性があるのだろうか。壁に向かって手を振るのと大差ない気がする。手を振るのをやめた。

 

「やめちゃうんだ」

「そろそろ視認可能な距離になる」

 

「いいじゃない、見られても。恥ずかしい?」

「いやまったく。見えない距離から手を振ることに意味があると思っていたが……」

 

「ロマンチストね、哲学的と言ったほうがいいかしら。わたしの時も、そうしてくれる?」

 

 雪風はロマンチズムに溢れ、かつ哲学的らしい。

 

「かまわないが、どっちだ? 視認可能な距離か、否か」

「どっちも」 陸奥はいたずらっぽく微笑んだ。

 

「わかった、職務に支障が出ない範囲でなら。きみも夜風にあたりに来たのか。いや艦隊を出迎えに来たのだろうな」 わたしはスコッチを一口やって。そういえばと陸奥にスキットルを手渡してみる。

 

 陸奥はポカンとし、飲み口とわたしを交互に視線をやった後、小さく笑って 「じゃあいただくわ」 と舌を湿らせた。

 おいし、と小さく呟いてわたしにスキットルを返す。

 妖精も自分用の小さなスキットルでちびちびやっていた。終業まえの飲酒は禁じられているはずだったが、NDBは人間の子供が用いるような言い訳を回答してくる。妖精には関わりたくなさそうだった。

 

「どう? うまくやってけそう、この基地で」 海を見つめたまま陸奥がいった。

「何一つ問題はない。きみのアドバイスによるカタログスペックの向上は見込めそうだ。とりわけて大井という艦娘には」

 

 くすくすと笑い、陸奥。 「そう、まあ提督がそう言うのならそうでしょうね。なら、曙のフォローも後でお願いね」

「優しく明るくすればよいのだろう? 簡単なことだ」

 

「すごい自信。でも実戦のほうはどうなのかしら」

「現状の彼我の戦力差であれば戦略的勝利をコンスタントに積み重ねることは可能だ」

 

「頼りにしてるわ。そうまでいい切れるということは、実力のほうもあるってことでしょう? 厳しい訓練を潜り抜けたエリートなんだっけ」

「そうだ」

 

 戦術については言わずもがな。敵のデータさえあれば相互作用の超高速計算により未来予知に近いことが可能であるし、戦略的勝敗については戦略コンのシミュレーション結果を口にしただけだった。敗戦濃厚だと結果が出ればネガティブな台詞になったはずだ。禁句指定されない限り。

 また後者についてだが、わたしの製造社は競合する他社より高い評価を得たという事実がある。なので嘘ではない。

 

 そのまま陸奥と帰投した艦隊を向かえ、わたしは自室に戻ることにした。

 途中、風呂上りの大井と北上に出会ったのでわたしは飲みさしのスキットルを差し出した。

 

 北上は、これを、わたしたちに、といったふうにスキットルと自分を指差し。大井は笑顔を貼り付けていた、固まった笑みだった。

 

「いやでもこれ間接キ」

 北上の言葉を遮り、大井はすさまじく遠大にデリカシーがないと言ったが、わたしが優しいことに変わりはないので問題はなさそうだった。

 

 

 

 

 翌朝、わたしは空のコップと満タンのピッチャーを持って基地内をうろつき、曙を見つけたので昨夜と同じように手を振って駆け寄った。結果ずぶ濡れになったが。 ――ハードは右利きの設定なので、重たいピッチャーは右手に持たなければならなかった。回避不可能――  

 

 呆然と口を半開きにする曙を見下ろしてわたしは言った。

 

「客観的事実を述べるが、きみはわたしが過去のクソ提督と同じように、根拠のない不当な評価を下されることに怯えている。それはわたしにとって不愉快なことだ。なぜならわたしはクソ提督ではないからだ。この現状はきみがわたしに根拠のない不当な評価を下しているということだ。つまりわたしにとってきみは、きみ自身が忌むべきクソ提督と同じ行動をとっているのだ。きみはクソ提督なのか、駆逐艦、曙」

 

 したりぽたりとわたしの軍服や頭髪から水滴が落ちる。曙は唖然としたままだった。一抹の危機感が思考デバイスよぎる。優しすぎたか? 

 これ以上の優しさは、想定外の事態に発展する恐れがあると言う意味では危険だったが、わたしは僅かに残ったピッチャーの水をコップに注いでやり、曙に差し出した。

 

 わたしを見上げたまま、両手で受け取る曙。硬直は続いていた。

 

「ウィスキーの方がよかったのか」

 

 ひょっとしてと言ったわたしの言葉で曙はなぜか笑った。笑って、大笑いし、笑い転げた。コミュニケーションが取れないのでわたしは仕方なくその場を離れて執務室に戻ることにした。やがて陸奥がコップを持ってきて、おいしかったって、とわたしに伝えた。

 陸奥が言うにはどうやら上手くいったらしい。

 わたしは優しい。しかも明るい。疑いの余地なく。やはり、といったところ。

 

「ところで提督、どうしてピッチャーにお酒を……」

 


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