―――ラーメンですかね。
ここのところ夕食はお肉ばかり食べていたため、久しく食べていない麺類が恋しくなっていた今日このごろ。
”現実世界に戻れたら食べたいものリスト”に新しく刻まれたのは、家の近所で営む小さな中華料理店の看板メニューだった。
しばらく食べていないあの味を思い出してしまうと、もう舌がそれを求めてしまい、微妙に不快指数が上昇する。
しかし、昨日はアスナのおかげで夕食代を浮かすことが出来たため、今日の私は非常に機嫌が良い。
どれくらい機嫌が良いかと言うと、母の作るプリンを食べた時くらい機嫌が良い。
こんなくだらない事――母の作るプリンはくだらなくはないが――を考えてしまうのは、きっとこの朗らかな日差しが、ぽかぽかと温かい気温が悪い。
こうして草原で寝転びながら耳を澄ませば、風に揺られる草木の音が、まるで音楽のように耳を打つ。
その音は私の心を落ち着かせ、それと同時に食に対する煩悩を掻き立てる。
先ほどお肉ばかり食べていた等と言っていたが、やはりお肉も食べたくなってきた。
昨日の食事中アルゴに「食欲魔神」だと称されたが、あながち、いや断じて間違いではないだろう。
―――そろそろ、かな。
昨日の集会でディアベルにリーダーを任せた後、つまり解散してから、ディアベルがリーダーとして改めて皆に招集をかけたのは、本日の15:00だった。
三時のおやつが、なんて一瞬考えが頭をよぎったが、そんなことより攻略に集中するほうが優先順位が高いと、直ぐに意識を切り替える。
全員が集まりやすいということで設定されたこの時間、私も攻略に関わる人間として、まさか遅刻なんてする訳にはいかない。
しかし、いざ時間を確認してみれば既に14:50を指しているではないか。
ここで寝始めたのが13:00頃だったから、知らないうちに2時間弱が経過していたようだ。
これはちょっと急がないと間に合わないと思ったこの時の私は、この世界にきて一番焦っていたように思う。
アルゴと初めて会ったあの日、彼女から逃げていた時より速いのではないかと思えるスピードで、ひたすら会場目指してフィールドを駆け抜けた。
時間ギリギリとなって慌ててやってきた彼女、アルトリアさんを横目で見つつ、昨日の決闘を思い出す。
集会が終わった後、指揮権が彼女からディアベルというプレイヤーに移され、本日の集会の時間を決めた後、誰も居ない場所、時間を見計らって、私は彼女に決闘を申し込んだのだ。
アルゴさんから最強と言われるプレイヤーが、一体どれほど強いのかを知りたかったから。
このゲーム内での死亡が現実での死亡を意味すると言う言葉の後、一人でこの世界に戦いを売り、そして第一層では見事勝利をもぎ取ったというその実力を。
「お断りします」
しかしきっぱりと、考える間すら無く断られてしまった。
一体何故だと問いかけると、自分には戦う理由がないからだという。
私としては彼女の実力を知るために、この世界で最強のプレイヤーと言われるだけの実力というのを知るために、どうしても戦わなければならない。
そのことを伝えると、彼女は質問を投げかけた。
「何故私が最強のプレイヤーだと思うのですか?」
本人に自覚があるのか無いのかわからないその質問は、一体何を意図してのことかはわからない。
私はただ素直に、アルゴさんから、「一人で第一層のボスを倒した」という話を聞いたことを伝えると、アルトリアさんは口元を歪に歪め、そして私にお礼を言った。
「ありがとうございます、アスナ。とても良い情報を手に入れることができました」
この言葉でアルゴさんの言っていた情報が正しかったのだと確信した私は、ますます彼女と戦ってみたいと思った。
ただ、口がもはや三日月の形をして笑う彼女はとても恐ろしく、戦って欲しいという言葉がなかなか声にならなかったのだが、彼女の方から決闘をしてもいいと言い出した。
この言葉を聞いた瞬間、アルゴさんの未来がなんとなく見えてしまった私は、心の中で合掌する。
もっとも、この時の私は本当の意味でアルトリアさんの恐ろしさを知らなかったため、真相を知った時は心の中ではなく、実際に合掌してしまったものだ。
「さて、では早速始めましょう」
そう言って彼女は
短剣のみと言うのは誇張でもなんでもなく、文字通りの意味だ。
胸当てや手袋など、防具の類を一切装備せず、彼女本来の武器と聞いている曲刀ですらない。
これはあまりにも舐められたものだと思ったが、それは全くの間違いであったと、彼女は正しく私の実力を把握したうえでの判断なのだと知った。
アルゴさんから頂いた攻略本に書かれている通りに、初撃決着モードにて決闘を行う。
完全決着モードは論外とし、制限時間モードでは相手を殺してしまう可能性があるため、実質これしか無いのだ。
決闘の承認が行われてから60秒間、装備の用意などのための時間が設けられているのだが、この間に私はアルゴさんから聞いた情報を頭で整理する。
・スピード特化型のステータス
・剣術の達人
・ソードスキルを中心とした戦い方ではない
ステータスに関しては実際に見たわけではないと付け足していたが、剣術の達人であること、基本的な戦い方に関しては自身で確認した、また本人に聞いたと言うから間違いないらしい。
西洋人形の様に愛らしい姿の彼女は、とてもではないが剣術の達人には見えない。
それに加え、カウントダウンが20秒を切ってもなお、戦う意志のようなものが見られず、自然体のままだ。
構えすらとらないまま残り時間が10秒となる。
―――今だ!
カウントダウンが0になった瞬間、私は今までで最速の一撃を彼女に向けて放つ。
右目にピンポイントで狙った一撃は、並のプレイヤーであれば避けることは叶わず直撃するはずだが、しかし彼女には全く通じない。
私の攻撃を完全に見きったうえで、必要最小限の距離だけ下がり、攻撃を避けたのだ。剣先と右目の距離は1cmもない。
こんな芸当――後に大道芸でしかないと言っていたが――を見せる彼女が、ソードスキルを使ったことで生まれた隙を見逃すはずがない。
そのまま一歩踏み出すことで私の真横をとった彼女は、これまた必要最小限の速さで私の首元を掻き切る。
しかし、私と同じでプレイヤー同士の決闘は初めてだったらしく、技後硬直の時間を見誤った彼女の短剣は、私の首を斬ることはなかった。
―――後コンマ数秒遅かったら、斬られていた。
アルトリアさんが未だ決闘に慣れていないことに救われたが、今のでもうソードスキルの後の硬直は見逃してもらえないだろう。
あれが私の使う細剣のスキルの中で、最も硬直時間の短い攻撃だったからだ。
これ以上隙を生むソードスキルとなると、今度はもう防御することは叶わないだろう。
それよりも、今は攻めることを考え無くてはならない。
余計な思考は隙を生みかねないからだ。
眉間、喉元等のわかりやすい部分を攻め、ふとした拍子に意識の薄い場所を狙って攻撃するも、見事に弾かれてしまう。
それでもなお攻撃の手を緩めることはない。
細剣より間合いの短い短剣では、攻撃を当てるには相手に近づくしかない。
しかし、私としては懐に潜り込まれるわけにもいかないため、自分の攻撃は当たるが、アルトリアさんの攻撃は当たらない距離を維持し続けるのだ。
この間合いを詰められてしまえば、私に勝機はないだろうから。
呼吸をすることすら忘れ、ひたすら手足を動かし続ける。
現実世界同様、呼吸をしなければならないこの世界で無呼吸運動を続ければ、その分身体に負担がかかる。
だが止まることなんてない、出来やしない。
手を止めれば間合いを詰められ、足を止めれば勝負が終わる。
為す術のないこの戦いは、まさに巨象と蟻の戦いと言うに相応しい。
―――でも。
だからと言って、そう簡単に負けを認めることなんて出来やしない。
15年という年月を重ねた中で、かつてこんなに叫んだことが、いや、咆えたことがあっただろうかというくらいの咆哮が、私の腹の底から出てきた。
もはや何も考えていない私の身体は、あろうことか彼女に体当たりを仕掛けにいく。
本来の彼女の実力であれば、こんな考えなしの特攻は、攻撃を当ててくださいと言っているようなものだ。
しかし、今の彼女は手加減して私と戦っている。いや、相手をしてくれている。
そんな今だからこそ、彼女が慢心しているからこそ、初めて通用したこの攻撃。
まともに正面から受けた彼女は、そのまま後ろに体勢を崩す。
一瞬生まれた彼女の隙を、今度は理性を持ってして剣で切り込んだ。
これならば幾らアルトリアさんといえど、躱すことも防御することもかなうまい。
そんな避けようのない攻撃は、確かに彼女を捉えることが出来た。HPを削ることも出来た。
―――そんな、ありえない……。
だが、避けることの出来ないはずの攻撃は、彼女の頬を切るだけに終わってしまった。
体勢が崩れ地面と離れた足を蹴り足とし、私の攻撃に合わせて剣を蹴ることで太刀筋を変えてしまったのだ。
彼女は決して並のプレイヤーでも、普通の一流プレイヤーでもない。超一流だ。
流石に無理なことをした所為か、彼女はそのまま後ろに倒れこむ。
しかし直ぐに立ち上がり、一度私から距離を取ってしまった。
先程の攻撃が唯一彼女を倒しうる攻撃だったが、その一撃さえも彼女は凌いでしまった。もう私に勝機はない。
「申し訳ございません、アスナ」
もはや勝つことなど絶望的なこの状況で、彼女は急に謝罪をした。
一瞬何を言っているのかわからなかった私は、さぞアホ面を晒していたことだろう。
しかしそんな私を気にせずに彼女は言葉を続ける。
「どうやら油断と慢心と煩悩が過ぎたようです。謝罪します。獅子搏兎……いかなる相手であれ、全力で挑まなければならないというのに、すっかり思い上がっていました」
彼女は謝罪の言葉とともに、頭を下げる。
そんな彼女を見て、私はつばを飲み込むのと同時に手足が震えているのを自覚した。
私は今、目の前の彼女に怯えているのだ。
ただ立っているだけのはずなのに、明らかに先程とは纏う空気が異なっている。
もう油断も慢心もない彼女に、私では勝てる要素など一つもない。
呼吸することすらままならない威圧感は、決して虚仮威しなどではない。
武器を短剣から曲刀に変更した彼女に、攻撃することすら敵わず、私は一方的な敗北を刻まれたのだった。
もし慢心や油断もしなければ、メインアームである曲刀でなくとも手も足も出すことなんて出来ないだろう。
あの後の一方的な攻防、いや、蹂躙を思い出すだけで、体が震えてしまう。
だがそれでも、今は敵わなくとも、いずれ彼女と対等に戦えるようになりたい、勝てるようになりたいと思ったのも事実だ。
この世界の攻略が最優先ではあるが、私の中では彼女に勝つことも密かな目標となっていた。
「どうかしたのですか、アスナ」
ちらっと見ていたはずがいつの間にかこちらに近づいてきていた彼女と目が合う。
なんでもないとだけ伝えると、彼女も特に何かを言うわけではなく納得し、このボス攻略戦メンバーの前に立つディアベルに視線を向けた。
時刻は15:00となり集会が始まろうとしていたのだが、丁度集会の始まるタイミングでその声は聞こえてきた。
「ちょお待ってんか!」
一体何ごとかと声のする方へ振り向くと、底にはサボテンのような棘のある髪型をした男性と、そのパーティメンバーが居た。
「わいらも攻略に混ぜてくれんか?」
彼含めて6人のパーティも攻略に参加したいと言うが、ふとアルトリアさんの方へ向くと、そこには露骨に顔を顰める彼女が居た。
初めて見た時からあまり表情豊かではない印象を持っていただけに、ただ攻略に参加したいというだけでここまで嫌そうな顔を見せるのは、とても意外に思えたのだ。
だから、私は何故彼女が、突然現れた男性プレイヤーに嫌悪感を抱くのかなど、知る由もなかった。
こうして作品を書いていると、自分の文才の無さに落ち込む今日このごろ。
次回はみんな大好きなあの人が登場いたします。
上手く書ける気がしない……orz