南の地、その南端の森を一人の女性が歩いていた。
「…………」
女性は旅人のようであり、だが、それにしてはリュックなどの荷物を持たない不思議な格好であった。
「…………」
彼女の足取りはゆっくりと、どこか独りきりの寂しさに耐えているようにも見える。
だが、それでも彼女は止まることなく歩き続けた。
「…………」
しばらく歩くと、女性は見通しの良い広場のような場所に出る。
広場は、まるでそこだけ大災害が起こったかのようにバラバラになった木々が散乱していた。いや、大災害が起こったからこそ広場があるのかも知れない。
しかし、そんな事はどうでも良いのだろう。女性の歩みは変わらない。特に驚いた様子もない。
女性は倒れた木を避けながら前へと進む。
それから更に数分歩くと、不意に女性は足を止めた。
「…………」
女性は無言で、前方の地面を見つめている。そこには一つの物体があった。
その物体とは生首だった。
ネコ科の動物のような、だが、虎と比べても明らかに大きな頭を持つソレは、ただ、打ち捨てられ、虚ろに虚空を見つめていた。
「…………」
生首を見つけた女性はそれを避ける……事もせず、むしろ、ゆっくり、ゆっくり、近づき、その前で膝を折った。
そして、女性は迷う事なく生首に手を回すと悲しそうに、愛おしいそうに両手で優しく抱き締める。
「………姉さん」
女性ーーラファエラの表情は目深に被ったフードで見えない。だが、時々、彼女から発せられる啜り泣くような音が、その表情を視覚以上に周りに伝えていた。
そんなラファエラに。
「お、南の深淵が死んだってマジだったんだ」
という軽薄な声が聞こえて来た。
声の主は痩身の男だった。山賊のような身なりの男、彼はただの男ではない。なぜ分かるかと言えば、彼から妖気が漏れているからだ。
そう、つまり彼は人間ではなく妖魔。
ーーでもなく覚醒者だった。
一般的にクレイモアは全てが女性、と思われているが実はそれは正解ではない。組織が最初に創り出した戦士は男だった。
彼等は女性の戦士と比べても同等かそれ以上の力を持っていた。だが、今、彼等は戦士として
その理由が覚醒のし易さだ。
妖力解放は性的衝動に似た感覚を使用者に齎す。そして、その性質から性的衝動が女より激しい男の方がより簡単に覚醒してしまう、
だから扱い辛い男の戦士は作られなくなったのだ。
そんな男の覚醒者がスタスタとラファエラに歩み寄る。
そして、男はラファエラの抱えるルシエラの頭をしめしめと眺めると。
「そらっ!」
おもむろにラファエラの腕からソレを蹴り飛ばした。
「はっはあぁ、スッキリしたぜ。いやぁ、こいつのせいで満足に飯も食えずに困ってたんだよなぁ、ほんと、リフル様様だよ……てか、お前誰?」
男がラファエラに問い掛ける。
「…………」
しかし、ラファエラはそれに答えない。彼女は蹴り飛ばされたルシエラの頭に再び近づくと、優しく大事そうに膝に抱えて蹲った。
「え、無視? てか、なにしてんの生首なんて抱えて、気持ち悪くねぇの?」
「…………」
「おーい、聞いてます? 聞こえてない? そんなもん持ってなにしてんのって聞いてんの」
「…………」
「……うわ、こいつムカつくわ」
次の瞬間、男の右手が背後からラファエラを貫いた。
背中を貫き、ミチミチとラファエラの内臓を掻き回す。それからすぐに男がハッとして顔を顰めた。
「あ、ヤベ、殺っちまった、くそ、楽しんでからにするつもりだったのに……ま、いいか、こいつムカつくし、どうせブスだろ」
そう言って男はラファエラの腹から内臓の一部を抉り取ると、ヨダレの垂れる口元へと運び。
「いただきます」
それを口に押し込んだ。
よほど腹が減っていたのか、内臓を頬張る男の表情は喜びに満ちていた。
しかし、一噛み、二噛み、三噛み……咀嚼を繰り返す度に嬉しそうだった男の表情が萎んでいく。
その理由は肉の味だ。
「……うぇ、マズ、なにこれ妖魔みたいな味なんだけど、え、全然妖気を感じないんだが、お前クレイモアなの?」
男がラファエラに訊ねる。
「…………」
だが、やはりと言うべきか?その質問にラファエラは答えない。いや、正確には答えられない。
ラファエラはフラリと揺らぐと、ルシエラの頭部を抱きながら地に倒れた。彼女の腹部から漏れる大量の血が、その場に大きな水溜りを作る。
致命傷だ。
「…………」
男はしばらくラファエラを観察した後、溜息を吐いて踵を返した。
「………はぁ、口直し、しねぇとな。まぁ、今なら食い放題だし問題ねぇだろ」
そう言って男は歩き出した。
それと同時にピリピリと空気が震える。
「ん、あ、妖気?」
男が首だけをラファエラに向けた。そして、男は確認する。ラファエラから漏れる強い妖気を。
「お前、死んで」
なかったの? と言い切る直前。
妖気の大瀑布と共に、凄まじい勢いで放たれたナニカが、男の意識を消し飛ばした……永遠に。
「……うみこわい」
ローズマリーが片言で呟いた。
ここはとある無人島、現在、ローズマリーはその浜辺、海面からだいぶ離れた場所で、体育座りで震えていた。
その身体はやけに生臭い。まあ、理由は不明……という事にしてあげよう。
「………帰りたい」
遠い目をしてローズマリーが言う。彼女の視線の先には大陸が見えている。
その距離およそ2キロメートル。それが、島から大陸までの長さだーー実に短い。
泳ぎが得意ならば、ただの人間でも普通に横断出来る距離、当然ローズマリーなら余裕で泳ぎ切れる。
だが、ローズマリーは泳がない。
その理由が島の周りに潜む黒い影だ。鯨程もある複数のソレが海中を自由に泳ぎ回っている。
この影が何の捻りもなくただの鯨なら、ローズマリーも最近出来たトラウマを気合いで抑えて海に入っただろう。
だが、残念な事に、相手がトラウマの
サメ達は時々思い出したかのように海上に鋭いヒレを覗かせる。
それを見る度にローズマリーのビクリと身を震わせた。
「……一生ここで暮らす?」
暗い声でローズマリーが呟いた。
だが、それは不可能だろう。
なにせ、島の大きさは直径200メートル程、しかも、その殆どが砂地であり、中心部に十数本の木が生えている以外は何もない。
水もなければ、食料もない。ここはとても人が住めるような島ではないのだから。
「……どっか行ってくれないかなぁ」
まあ、無理だろう。島に来てから二日ほど経過しているがサメ達が居なくなる様子はない。この島は周辺が彼等の縄張りなのだろう。
「………はぁ」
ローズマリーは途方に暮れ、空を見上げた。
空には海鳥達が飛んでいる。それを羨ましそうにローズマリーが見つめた。
「……良いなぁ鳥は飛べて、空を飛べれば大陸までひとっ飛びなのに」
風を掴み。優雅に空を舞う海鳥達。その動きをローズマリーは視線で追う。
まるで、自分も一緒に連れてって、とでも頼んでいるかのように。
だが、当然そんな願いは叶わない。しかも、恨めしそうな視線を嫌ったのか、視線の返答に、海鳥達はローズマリーに糞を降らせて来た。
「解せぬ」
ローズマリーは糞を紙一重で回避。代わりに浜に落ちていた透明なガラス片を思いっきり踏み付けてしまう。
「………ッ」
僅かな痛み、皮膚を突き抜け、足裏にガラス片が食い込んだ。
とことん運がない。
ローズマリーは食い込んだガラス片を引き抜く。その際に少量の血が流れる。
それを見て大した怪我ではないのに視界が歪んだ。
「…………」
ローズマリーは無言で目元をゴシゴシ拭うと、赤くなった目を閉じ。再び浜辺に座り込んだ。
そうやって足の間に顔を埋め、辛い現実から逃避するようにただただ座っていると不意にローズマリーの腹がぐぅと鳴った。
「………はぁ、お腹空いた」
そういえばシルヴィと戦ってからずっと何も食べてない。しかも、シルヴィ以降の連戦で四肢を何度も飛ばされ、更に半身を二度も砕かれ、再生している。空腹になって当然だ。
「なんか、食べれるものは……」
ローズマリーが足の間から顔を上げると、島の木々に視線を走らせる。だが、木に果実などが実っている様子はない。
次に海に視線を走らせる。見えるのは水を切る黒く禍々しい背ヒレのみ。
「…………」
最後にローズマリーは視線を浜に向ける。そこにあるのは白い砂と、巨大な、鯨程もあるサメのみだ。
サメは二日前、ローズマリーと共にこの地に打ち上げられたものだった。
「……アレしかないのかなぁ」
心底嫌そうにローズマリーが呟いた。
おそらく、海を泳ぐものと同種だろう、サメは文字通り死んだ魚の目で何処とも知れぬ虚空を睨んでいる。
死因は浜辺に打ち上げられた事による衰弱死ーーではない。
サメの腹には大人が余裕で潜れる程の大穴が開いていて、そこから流れ落ちた大量の血がその周囲を赤く染めている。
その傷がサメの死因だった。
「…………はぁ」
まあ、その死因はともかく、正直、ローズマリーは死んでいるとはいえ、サメには近付きたくもない。
ましてや、打ち上げられて二日経った魚を喰らうなんてあり得ない。
と、ローズマリーは思っている。
だが、ローズマリーの空腹はかなり激しかった。
「…………」
正直今ならなんだって食べられる。
サメを見て自然と口内に唾液が溜まった。ローズマリーはそれをゴクリと飲み込むも、やはりサメが怖くて動かない。
そんな彼女を急かすように、ぐぅ、と腹がひと鳴きーーそれが決め手となった。
「………………………………」
長い長い沈黙の後、ローズマリーはふらりと立ち上がると、ゆっくりと警戒しながらサメへと近付いて行った。
トゥルーズーー聖都ラボナも属する大陸の中央部、その一角、ちょうど東西に延びる分かれ道を前に二つの影が佇んでいた。
「りふる、このまま、きたにいくのか?」
影のうちの一つは大柄な、見目麗しい、とはとても言えないむしろ不細工に分類される男ーーその名をダフと言う。
ダフは隣の少女ーー人間体のリフルにそう訊いて来た。
「うーん、正直迷ってるのよねぇ」
ダフの問いにリフルが顎に手を置き、僅かに迷う仕草をする。
「このまま一気にイースレイを倒すのも良い……でもルシエラが死んで、もうこの地にいる全ての覚醒者が組んだとしても私達には勝てなくなった」
自信過剰にも思える発言。
だが、それは慢心でも油断でもない、ただの事実だった。
リフル達の戦力は自身を含めてたったの三体。しかし、この三体が揃いも揃って強大な力を持っていた。
初代クレイモア、男時代のナンバー3、覚醒者の中でもひときわ硬い外殻と格別のパワーを誇る、最も古き時代からこの地で生き残る強者。
覚醒者ダフ。
女の初代ナンバー1、最も幼くその地位を極め、そして最速で覚醒した少女。
深淵の者、西のリフル。
そして、リフルとダフの娘。最強の覚醒者と称される、深淵の名を冠する者、その一体、南のルシエラを容易く倒してのけた少女。
深淵を超える者ダフル。
この三体が誇る戦力は本当にこの地の全ての覚醒者を足しても勝てない程のモノであったのだ。
「だから今すぐイースレイを倒す必要はないのよ」
「がへ、じゃあ、にしに、もどるのか?」
「それもちょっとね、あんな氷に閉ざされた北の地に興味はないけど。イースレイは早い内に排除したい……うーん、でもそうねぇ、北は後回しで、まずはここから近い東の組織に向かいましょう」
「そしき、なんでだ?」
「これ以上、戦士を作られると厄介だからよ、強い戦士が生まれてそれが覚醒したら、後々、面倒な事になるかも知れない、現に最近戦った戦士はかなり強かった。あれは覚醒してれば確実に深淵級になったわね」
「そーなのか、そのせんしは、どうなったんだ?」
「もちろん、殺したわ……と言いたいところなんだけど、私はその戦士の胸から下が消し飛んだところまでしか見てないのよ」
「それ、しんだんじゃ、ねぇのか?」
「普通はそうなんだけど、うーん……なんか、違和感があったのよねあの戦士……まあ、とにかくそんな強い戦士をこれ以上生み出されるのは困るから、まず組織から潰すわ……ダフル〜行くわよ」
リフルは振り返って、後方にいるダフルを呼んだ。
「は〜い」
リフルの呼び掛けに後方から声があがる。
そして、トテトテと一人の少女がリフルとダフの元へと駆けて来た。
リフルによく似た容姿、だが、背の低いリフルよりも更に頭一つ小さな少女。今は人間に見える彼女こそ、リフルとダフの娘ーーダフルだ。
「おかーさん、やっぱりこれ、きゅうくつ」
そう言ってダフルは自身が着るリフルと色違いの黒いワンピースを引っ張った。
伸びた生地がミシミシと軋む。それをリフルが手で止めた。
「ダメよ、せっかくあたしに似て可愛いんだからオシャレしないと」
そう、リフルはダフルを優しく注意する。その時、彼女はダフルの口元とワンピースが赤く汚れている事に気が付いた。
「ああ、もう、こんなに汚しちゃって……ダフ、ハンカチ持ってる?」
「おお、りふるにいわれたから、ちゃんと、もってるぞ」
そう言ってダフはポケットを探り、取り出したクシャクシャのハンカチをリフルに差し出した。
それにリフルは顔を顰める。
「はぁ、綺麗に持ちなさいって言ったでしょ、まったく……ダフル動いちゃダメよ」
リフルはダフから渡されたハンカチを丁寧にたたみ直すと、それでダフルの口と胸元を押し擦った。
「むうぐぅ」
「こら、動かない」
「くすぐったい」
身を捩り逃げようとするダフル。
それをなんとか押さえこみ、リフルは綺麗に彼女の口元を吹き終わるとダフルの頭に手を乗せて撫で回した。
「……はい、おしまい」
最後にポンポンと優しくダフルの頭を叩き、リフルは視線をダフに戻した。
「ダフ、あんたお腹空いてる?」
「ん、ああ、おれは、ちょっとはらへった」
「そう、じゃあ、ここから近い東の街まで行くわよ、そこでご飯を食べたら組織に乗り込みましょう」
「わかった」
「おとーさん、かたぐるま、して」
「いいぞ」
「わーい」
そう、言うや否やダフルがダフの肩に飛び乗った。
「こらダフル、ダフは水浴びしてないから汚いわよ」
「りふる、ひでぇよ」
そんなやり取りをしながら、三体は連れ立って歩いて行く。
その歩みの先に数多の屍を作りながら。
世界が平和になりますように by リフル