彼らが上条の後を追い海についたころには状況は大きく変化していた。
彼らよりも先に上条たちを追いかけた神裂が殺気を纏いながら上条とミーシャの間に割って入っていたのだ。そしてそれに続くように土御門、一夏、ティナもやってくる。すると土御門は
「ご苦労さん、カミやんアンタは本当によくやった。後は俺らの仕事だぜい」
そして上条の父、刀夜は彼を見て口をパクパクと動かす。無理もないだろう、御使堕しの影響を受けているならば彼の目には噂の立つアイドルに見えるのだから
しかしそんな誤解を解く余裕などない。上条は絶句しながらも様子がおかしくなったミーシャの方を見つつ
「おい、土御門あいつは一体どうしたんだよ」
「どうせ他宗派の野郎が名乗る名前なんざ偽名だと思っていたが、それにしてもミーシャはない。その時点で気がつくべきだったんだにゃー」
そしてその言葉に続くように一夏が
「ミーシャって言うのはね、ロシアじゃ男性に付ける名前なんだよ。偽名に使うとしてもおかしすぎるのさ」
彼らの言葉に対し、ミーシャは何も告げない。
そして上条は言葉の意味を理解できないのか疑問をぶつける
「何だってそんな事を…?」
彼の問いに神裂が
「ロシア成教に問い合わせたところ、サーシャ=クロイツェフなる人物は居ました。おそらくそれが入れ替わってる彼女の姿なのでしょう。」
そう言われ彼はミーシャの顔を見る
もし御使堕しの影響を受けているならば彼女も誰かと入れ替わっていなければならない。そうなると目の前にいる少女は何者なのかと言う事になってしまう。
すると一夏が
「上条君、この世界には男にも女にもなれるのが居るんだよ。性別なんて決められずに神話の中で常に中性として描かれる存在が。そして名前なんて言うのは神に作られた目的そのもの。他人と交換するなんてできるはずがないんだ」
その言葉に上条は理解できず眉をひそめたが
「上条君、ここで問題です。世界規模で起こっているこの奇妙な入れ替わり現象…はたしてなんて呼ばれていたんだっけ?」
そう言った瞬間ミーシャの両目が開かれる
そして大地を揺るがす轟音と共に、オレンジに染まる夕空が一瞬で星の散らばる夜空へと姿を変える
その光景に上条は思わず頭上を見上げ、刀夜の息が凍る
スイッチを入れ替えたかのように夕暮れが夜へと変わる。そして頭上には禍々しいほど蒼く巨大な満月。月齢では月は半月のはずなのに
「ちょっ…なんなんだよこれは!?」
「見てわかりませんか?アレは夕闇を夜闇に切り替えたようですね」
神裂は簡単に告げるが、彼は思わず絶句する。夕方から夜へと変える。聞くだけでは簡単に聞こえてしまうが実際のところは違う。それは天体単位で地球と太陽の位置関係を自由自在に操る事を意味しているが月の満ち欠けすらズレているのだからもしかしたら月以外にもほかの惑星すら自由自在に操れるのかもしれない。
天体制御(アストロインハンド)。
それは”世界を終わらせる力”と言ってしまっても過言ではない。そしてこれほどの事をできると言う事は、簡単に言ってしまえば好きな時、好きな場所で、ミーシャが思い望むだけでこの世界は壊れてしまうと言う事だ
「待て、ちょっと待て、魔術って言うのはこんな事まで出来るのか!?」
「人には、できないよ」
一夏が冷静に言い放つ。一夏は天使の力を使う魔術師だ、もしかしたらこういう事には詳しいのかもしれない。そう彼が思うと一夏はミーシャを見つつ
「自身の属性強化のための夜、しかも月を主軸として置いているって事は成る程。まさか山ほどいる天使の中からあなたが堕ちてくるとは…水の象徴にして青を司り、月の守護者にして後方を加護する者」
この時上条はようやく思い出した、今回の入れ替わりの大魔術がはたしてなんと呼ばれているのかを
”御使堕し”そう呼ばれているからには必ずある存在が堕ちてきているはずだ
「その名は”神の力”常に神の左手に侍る双翼の大天使…か」
神に仕える者の力を使う者の言葉にも神に仕える者は答えない
見えない皮を脱ぎ、見えない殻を砕くように、ソレは覚醒する
天使は特に動かない。
神裂は上条や刀夜の楯になる位置に立ちふさがりながら腰の刀に手を伸ばし、一夏は逆に彼らから距離を取りティナを庇える位置に立ちながら右の懐にしまってある短剣を取りだそうとしながらも言葉を続ける
「本来のエンゼルとは善悪無き力。神の意志に従って人を救えば天の使いとして人々から崇められ、逆に地に落ちて泥に染まると悪魔として恐れられてしまう…旧約の神話そのまんま。まぁそこまでして元の階に戻りたいって言うのは理解できるけど、ここまでやる必要があるのか”神の力”」
上条は絶句し、ミーシャいや神の力を見る。彼女が”御使堕し”を止めようとする目的などこの場の誰よりも単純である。
”御使堕し”は天使を地上へ落とす術式だ、ならば落とされた天使が元の場所へ帰ろうとするのは当然の事である。
”神の力”は何も告げない。何の弁明もせず口火を切るようにL字のバールを天上へ振りかざす。
すると頭上の月が大きく輝き眩い月の周りに光の輪が生まれる。そしてその輪は満月を中心に一瞬で広がり夜空の端の水平線の向こうまで消えてしまう。そしてその輪の内部に複雑な紋章を書くように様々な光の筋が走り回る。
魔法陣。単に巨大と言う訳ではない、よく見るとラインを描く光の粒の一つ一つが別々の魔法陣である。
「(なんて、凄まじい光景なんだ…)」
そして上条はその光景に絶句してしまう。魔術に詳しくない彼でさえアレはケタはずれだそう思わせてしまうほどの光景だ。
そしてその光景を同じように見ていた神裂の頬に汗の珠が浮かびあがる
「正気ですか”神の力”ただ一人を狙うためだけに旧約に記された神話上の術式を持ち出すなど。貴方はこの世界を滅ぼす気か!?」
彼女の口調と内容は尋常なものではない
上条は理解できずに彼女に問うと彼女は簡単に説明する。つまりあの天使はこの大魔術をやめさせるために世界を滅ぼす規模の魔術を使う。そう言う事だ。その後も神裂は”神の力”を説得するが何も聞き入れない
そしてその光景を見ていた一夏は
「(ティナの奴も固まっちまってるな。さてここまで来ると一つの疑問だ。俺がミーシャに会った日の夜だ。あの天使は俺に対し枷を外すと言った。そして俺はその提案を受け入れた。だとすると俺は今その枷が外れている状態と言う事になる)」
そう彼は以前、”神の力”と話した時に枷を外すと彼に告げ枷を外してもらった。天使が外した枷、それは一体何なのか?それが彼の一番の疑問だった。だが答えに心あたりが無いわけではない。ティナが言っていた言葉と外れた枷。そしてこの大魔術の名称、彼の中には一つの回答が浮かび上がる
「(莫大な天使の力が俺の中に封じ込められ、天使がその枷を外す。まぁもしもの話だが、俺は天使と同等の力を使えるんじゃないか?いや、流石に無いな。一掃を目の当たりにして俺も頭がおかしくなってきたか。だとしても試してみる価値はあるな。はぁ、こんな事ならさっき儀式場を破壊しておくんだったな)」
彼がそう考えている時にも事態は進み、上条は激怒し天使に怒鳴りつけているがそれを聞き入れはしない。そして神裂は彼に
「”神の力”は私が抑えます。あなたは刀夜氏を連れて早く逃げてください」
そう告げそれに一夏も続く
「そうそう、戦闘は俺たちに任せて上条君は早く逃げるんだ」
彼らが何を言ったのか上条には理解できない
圧倒的な状況であっても、躊躇も遠慮も焦燥もなく天使の前に彼らが立ちふさがる
「な、んで…」
だから彼にはそんな質問しかできなかった。
そして彼女は簡単に説明を加えていく、そしてティナも一夏に対して
「一夏、あなた正気!?聖人でもないただの魔術師のあなたが4大天使の一人と戦ってただで済むはずがないわ。私の張る結界でも天使の攻撃なんて防げないわよ」
「そんな事は分かってるよ。はっきり言う俺たちはあれに勝つことは出来ない。」
「だったらどうして…」
「天使とそこそこやれる心当たりがあるんだよ。まぁその心当たりが当たる確率は20%。だけど天使相手にそれだけあれば十分だ後は自分でどうにかする」
「どうにかって…まぁいいわあなたの言葉を信じるわ。それで私は何をすればいいの?」
「儀式場を完璧に破壊してほしい」
彼が彼女に望むことはそれだけだった。支援ではなく儀式場を破壊すること。たったそれだけである。
すると彼女も納得しながらも彼に
「儀式場は必ずどうにかするわ、だから一夏、持ちこたえなさいよ」
「あぁ、善処する」
するとティナは神裂と話を終えた上条達を追うように走っていく
そしてその様子を見ていた神裂は
「先ほど聞こえてきましたが、心当たりと言うのは何なんですか。できることならあなたにも逃げて貰いたいのですが」
「どうしてもヤバくなったら逃げますよ」
そして彼は右の懐から短剣を取り出す
するとそんな光景を黙ってみていた天使はポツリと人外の声で
「wr愚劣sw」
その声と同時に天使の背中が爆発する、そしてその背からは優雅な翼ではなく氷細工でできたような鋭い翼がいくつも飛び出す。
そして海水が不規則にうねり巨大な海龍のように飛び出すとそれらが天使の背に接合、巨大な翼へと変貌する
するとその光景を見ていた神裂は
「全く大層な役目を安請け合いしたものです…土御門?どこにいるのです?」
彼女は重心を落としたあたりで土御門が居なくなっていることに気づく
「ま、あれはそう言う奴です。放り捨てても自力で生存するでしょう。私も自力で生存しなければなりません。それでは”唯閃”の使用と共に一つの名を」
「(さて、それじゃぁ俺も行きますか。いきなり地上に落とされて自分を見失っている天使に対してこの魔法名を名乗る事になるとは俺も思っていなかったけどな。)」
そうして神裂火織と織斑一夏は名乗る
己の身と魂に刻み込んだもう一つの名を
「salvere000(救われぬものに救いの手を)!」
「iaceo231(私はここにいることを証明する)!」
こうして人対天使の戦いが幕を開ける
一見するとあまりにも無謀としか言えない戦いが