ルダン島の停泊地に到着したHK02船団は、防潜網で囲まれた安全水域に船団を入れ、しばしの休息を取る。休息とは言っても、被雷した香椎は応急処置の続きをしたり、対潜水型ネウロイとの戦闘が多かった猟犬隊のように爆雷の消費の多い艦は、まだ残弾がある艦から爆雷を融通してもらったり、清水を補給したりと、明日の出撃に備えた準備に大半を費やす。積み荷である欧州派遣軍の将兵だけが船の周りで泳いだりして気分転換をしていた。
タアラス・ビーチに上陸した12航戦の航空隊も名目上は待機である。だが哨戒はブリタニア軍が行っているので事実上休憩の状態であり、実際神川丸からは明日に備えて体力・気力の回復努めよと言われていた。
だが目の前にあるあまりにも美しいビーチを前にして、「休んでろ」と言っているのに隊員達は泳がずにはいられなかった。気力の回復も命令の内だ。言い訳はいくらでも立つ。扶桑海軍のウィッチは上着を脱げば下には万能のボディスーツ。遊泳体制になるには事欠かない。
「いやっほーっ!」
「わぁーい!」
砂浜からダッシュして海へ飛び込む優奈と天音。
「伊豆の海とは全然違うね。水も温かーい。ねえねえ!サザエとかいないの!?」
「あはは、見たこともない小魚と、ナマコくらいしかいないよー、この辺には」
「……もう水中探信したの?」
ぬおっと棒立ちで現れた千里に
「あはは、思わずクセでやっちゃうの。ほらナマコナマコー」
「うっぷ」
犬の糞のような黒いナマコを2、3匹拾い上げて顔に押し付ける無邪気な天音に、千里姉さんも困ったふうである。
砂浜の奥の椰子林から大きな黒いものを抱えて走ってきたのは勝田。
「卜部さーん、タイヤチューブ借りてきた!」
「浮き輪にするのか? でも浮き輪っていうよりボート並みのサイズだぞ」
「軍用トラックのだもん!」
それーっと二人は大きなトラックのタイヤチューブに乗っかって大騒ぎしながら沖へ漕ぎ出した。
天音と優奈が泳ぎ疲れて砂浜で砂山を作って遊んでいると、沖合から扶桑海軍旗をたなびかせて大発がやってきた。
ビーチに乗り上げると船首扉が倒れて
「航空隊長は?」
「卜部さんなら……」
天音が指さした先には、大発を見て慌てて沖から戻ってくるタイヤチューブが見えた。
椰子林の方から現れた428空隊長の荒又少尉に至っては、このくそ暑いのに飛行帽を深く被って耳当てまで降ろしていた。ブリタニア軍からスコッチウイスキーをもらって飲んで、赤くなった顔を隠していたらしい。
大発から降りてきた水兵達は神川丸の整備兵だった。天音はその中に一宮少年を見つけると、ぱっと晴れた顔になって、おーいと手を振った。が、その直後に裸で寝てるところを起こされたのかもしれないということを思い出し、とたんに真っ赤な顔になって、ささっと優奈の陰に隠れた。
「何やってんのアンタ」
「な、何でもない」
少ない魔法力を使って高速艇のように卜部と勝田が戻ってきたところで、三田村副長がやって来た理由を説明した。
「ブリタニア軍整備部隊も来てもらっているが、彼らは水上機を扱ってないそうだから、うちの整備班を連れてきた。休んでたところすまんが、整備班に水偵点検箇所の引継ぎをしてもらいたい。明日は朝から最後の哨戒任務だ。万全の状態にしておきたい」
「「「了解しました!」」」
と、遊びモードから気を引き締めた顔に戻して、砂浜の端に大きな天幕を張って駐機場としているところに向かった。
零式水偵のところに行くと、エンジンカバーが外され、ブリタニアの整備士がエンジンを点検していた。天音がむき出しのエンジンを見上げて感心してると、整備士が話しかけてきた。
「いいエンジンですね。いつも潮を浴びてるとは思えないほど綺麗だ。扶桑のエンジニアは優秀なようだ」
勿論ブリタニア語である。
「ほ、本当? う、うちの整備士を褒めてくれて、ありがとう」
世界の公用語として学校で習ってるブリタニア語だが、こうして本物のブリタニア人と話すのは初めてだ。こないだアルトマルクで各国武官とブリタニア語で話をしたが、国によってイントネーションに違いがあって聴きづらかった。ブリタニア人の発音はきれいで分かりやすい。
「軍曹はウィッチのようですけど、これに乗ってるんですか?」
扶桑海軍の一等兵曹は世界基準だと軍曹に当たると思い出し、自分のことだと改まると返事を返した。
「ああ、うん。自力ではまだ飛べなくて、これで目的の海上まで運んでもらってるの」
ブリタニア整備士は一瞬怪訝な顔をした。
偵察が任務の水上機に乗るなら航空索敵ウィッチかと思ったら、上空からの哨戒ではなく、海上まで運んでもらって……?
「も、もしかして、貴女が潜水型ネウロイを見つけられるというウィッチ?!」
「えへへ……」
天音はちょっと照れたような困ったような笑顔で後頭部を掻いた。
「おおーい! この人がウォーター・サウンド・リスニング・ガールだ!」
「「「What?!」」」
「「Who are you?!」」
とたんに天音の周りに人だかりができた。
「この小さな娘が?!」
「おおー、なんとキュートな!!」
図体の大きな西洋人に取り囲まれて姿がみえなくなってしまったので、急いで卜部が天音を保護しにやってきた。
「すまんが最重要人物だ、気を使ってくれ。下手すると近寄れなくされて、挨拶もできなくなっちゃうぞ」
「も、申し訳ありません、少尉!」
悪気はないんだろうが、天音が小さいもんだから抱き上げたり担がれたりと子供のような扱いで、もみくちゃにされそうだった天音はホッとした。みんなが数歩下がって落ち着いたのを見ると、卜部はうん、と満足して頷いた。そして改めてみんなに紹介した。
「私は第427航空隊隊長の卜部ともえ少尉だ。こいつが一崎天音、今んところ世界で唯一の水中探信ウィッチだ。この度は世話になる」
慌てて天音も挨拶する。
「あまね・ひとさき、です。お世話になります」
両手を前にしてぺこりとお辞儀する天音にパチパチパチと拍手が沸いた。
「すぐそこの海は、ついこの間SG船団の輸送船と護衛艦が何隻も潜水型ネウロイにやられたところだ。海底には多くの同胞が眠っている。仇を取ってくれ」
美しい海に有頂天になっていたが、平和そうなのは見かけだけ。現実に引き戻され、任務を思い出した。天音が不安げな顔を卜部に向けると、卜部はうんと笑顔で頷いた。
「分かった、私達に任せろ」
卜部は重責を感じながらもしっかり答えた。ブリタニア兵達から笑顔がこぼれる。
神川丸の整備班長が横にやってきた。
「エンジンは彼らに任せても大丈夫そうです。我々は水上機機構や防水関係、機体固有のところを重点的にやります」
「そうか。わかった。それじゃみんな、よろしく頼む。作業を続けてくれ」
整備兵達が散らばっていった。
「ねえ~整備班長~。わたしの零式水偵脚、フロート曲がってなぁい? 着水したとき凄いバランス崩したんだよ。もうちょっとでお弁当濡らして、勝田さんに縛り上げられるところだったんだから」
点検中の神川丸の整備班長の前で、優奈が自分の零式水偵脚のフロート部を展開して、くいくいと指さした。
「今朝いた海域は結構うねりが大きかったからしょうがないんじゃないか? ああ、でもああいう天候での着水は腰から下の柔軟性が重要だから、普段から柔軟体操しとくといいらしいぞ。まあ若い優奈嬢ちゃんは十分柔らかいだろうけどな」
「そうだよね。別にわたしがへたっぴだからとかじゃないよね!」
横にいた天音も話に加わった。
「でも卜部さんが、波が高いところでは魔法使って海面を抑えつけろって……」
「そう言うけどさ、霞ヶ浦の教練隊でも、そういう技もあるらしいって聞いことあるだけで、教わったことないのよね。実戦部隊の人達からもそんな降り方してるの聞いたことないし。具体的に聞いてやってみたのは今日が初めてよ」
「……でも、わたしでも何とかできたよ? 凄く疲れたけど」
「あれは天音が特別能力高いからよ。それでも空から着水しながらやるのはもっと大変なんじゃないかな」
「ふうん。飛んだことないからそこは分かんないや」
「霞ヶ浦で聞いたのはね、嵐のような凄い荒天の時に使われたらしい技だってことだけ。だけど普通そんな天気の時に艦上から水偵なんか飛ばさないし、今朝くらいの波ならわたしでもちょっとふらつくくらいで魔法障壁なんか使わなくても降りられるからね。卜部さんと勝田さんは、さも当たり前のように言ってたけど、一本釣りと同じで失われつつある技術なんじゃない?」
「そしたらその技、受け継がなきゃいけないんじゃないの?」
「でもねえ、水上機母艦もなくなっていく世の中だし、今更覚えてもねえ……」
天音は寂しげに上目遣いで優奈に問いかけた。
「優奈、水上ストライカーユニットやめちゃうの?」
「いずれ小型空母が沢山配備されるようになったら、海上からの偵察も普通の艦上ストライカーユニットに取って代わられるだろうからね。神川丸だって本当は退役して普通の貨物船に戻るはずだったんだよ? そしたら千里も空母に転属するつもりでいたんだもの」
「そうなんだ……」
だが優奈は天音のこの先の事を考えたとき気付いた。
「そっか。天音は水上ストライカーユニット使うか、ボートにでも乗らないと、水中探信魔法使えないもんね」
天音が晴れた顔を上げる。
「だよね! ……わかった、卜部さんと勝田さんの失われそうな技はわたしが受け継ぐよ」
「おーっ、さすが天音! ふふふ。そしたらわたしも水上ストライカーユニットで通そうかな。どうせウィッチでいられるのなんか短い期間なんだし。この道極めるのもいいよね」
「そうしよ! 2人で最後の水上ストライカーユニット使いになろう!」
がっしりと二人で腕を取り合って、なろうなろうと誓いあって微笑んでいると、整備班長が誰かを連れてやってきた。
「優奈嬢ちゃん。俺は428空の水偵見に行ってくるから、あと気になるところはこいつに見てもらってくれ」
整備班長が連れてきたのは、一宮二等兵であった。
「はううううう!!!」
またまたでっかく天音が声をあげて、優奈の陰に入ろうとした。
「ど、どうしたのよ。さっきも変になってたよね」
優奈の陰から少しだけ顔を出して一宮をチラ見する。天音の様子を見て、一宮はげっそり疲れたような顔をした。
「どうかした? この整備二等兵に何かされたの?」
「……うう。わたし、ひょっとすると……この人のところに、お嫁に行く、かも……」
「は?」
しばし沈黙が漂い、優奈が一宮と天音を交互に見る。
「え?! ま、まさか天音、こいつに、み、見られちゃったの? 裸!」
「か、かもしれない……」
「い、いったいどこで覗き見したの、こいつ!」
優奈の腕が一宮の首に伸びていったいったところで、一宮が叫ぶ。
「ちょっと待て! どこでそんな話になるんだ! なんで筑波一飛曹も疑問に思わないんですか!」
なぜ疑問に思うことがあると、優奈も真っ赤になった。
「さ、最初に裸見られた人のとこに嫁がなきゃいけないのよ! 常識でしょ?!」
常識?!
一宮が落雷に撃たれたように目を白黒させ、驚愕で顎を外さんばかりに口を開けた。
「ど、どこの常識だ! んなの聞いたことねえ!」
「うう! やっぱり一宮くん、しらばっくれて踏み倒す気なんだわ!」
「男はスケベ心で覗き見るだけかもしれないけど、女の子には大問題よ!」
「だから聞いたことねえってんだ、そんな話!」
「うわーん」
「あ、千里!」
今度は通りかかった千里が優奈に呼び止められた。話の輪に強制的に加わされる。
「なに」
「「この人酷いのよ!」」
優奈と天音が同時に一宮を指さす。二人して競い合うようにまくしたててこれまでの説明をすると、最後に千里に同意を求めた。
「ひどいでしょ! 千里どう思う?!」
「どう思います?!」
相変わらず表情も変えずに突っ立っていた千里だが、5秒ほどしてゆっくりと天音と優奈に近付くと、二人の頭をなでなでとさすり始めた。
「二人とも、かわいい……」
「な、何するの?!」
「せ、千里さん! それどころじゃないですっ!」
千里はなでなでするのをやめることなく話を続けた。
「私の地元では、裸見られた人のところに嫁ぐという風習は、ない」
「「え?」」
優奈と天音が素っ頓狂な驚きの声を発した。
「そ、そうだよな! 普通、ねえよな!」
やっと見つけた自分と同じ常識の世界の人。同じ世界の住人である千里が魔女ではなく女神に見える。
「そ、そうなんですか?」
「せ、千里のお母さんも、裸見られた人のところにお嫁に行ったんじゃなくて?」
「私の母はお見合い」
「お、お見合いして気に入ったから、お母さんから服脱いじゃったとか……」
さしもの千里も少し頬の血色がよくなった。
「あなたたちの
一宮はゆでだこのように坊主頭を真っ赤にして問いただした。
「だ、だいいち小さいときはどうすんだ? 俺なんか近所の連中や、いとこの連中とガキでひとまとめにされて風呂とか突っ込まれてたぞ」
「お嫁さん条件は7歳以上になったら。それ以下はノーカウント!」
これまた当然でしょという顔で優奈に睨み付けられる。
「……はぁ、どれだけしっかりルールできてんだ」
しかし天音は、それはそれは真剣な眼差しを一宮と千里に向ける。
「で、でも、一宮くん、み、見ちゃったんでしょ? 千里さん、一宮くん部屋に入ってたの?!」
千里は二人の頭を撫でるのをやめてからというもの、何事もないかのように突っ立ったままである。
「私が見たのは、扉の前にいてロックに手をかけていたところ。私が来る前のことは知らない」
「あの時、俺はこれからドア開けるところだったじゃないっすか! まだ部屋入ってないっすよ!」
「実は出たところだったとか」
「やめてください、かんべんしてください~」
一宮、泣き出しそうである。ウィッチに何かしたとなると、へたすると銃殺かもしれない。
「……冷静に考えれば、おそらく彼は搭乗員控室にはまだ入ってなかった、と思う」
「そ、そうなの?」
「だから最初からそう言ってんじゃんか~」
優奈もやっと肩の力が抜けた。
「よ、よかったね、天音。見られてないって!」
天音もぺたんと座り込んでしまった。
「見られて、ないんだ……」
「やっとわかってもらえたか。だからもう嫁ぐだの結婚するだのの心配しなくていいんだ!」
天音、それはそれでぷぅーっと膨れた。
「一宮くん、喜んでる」
「疑い晴れたんだから、喜んでなにがおかしいってんだ?」
天音はぷいっとそっぽをむいた。
「ちょ、ちょっとは残念だったな~とか、思わないの?」
今度は優奈、目を点にする。
「え……、天音、もしかして残念だったの?」
「わ、わかんない!」
優奈はまた一宮と天音を交互に見回した。
「こ、この二等兵! わたしの親友をどこでたぶらかしたの?!」
「な、なんのことだ! なんでぶり返されるんだー!」
「こんなやつのどこがいいの?!」
「わかんない!!」
収集つかないかと思われたこれも、整備班長から「一宮、遊んでんじゃねえ」と怒られて終焉を迎えた。
「くそっ。テント戻ったら絶対こってり絞られる」
「……ごめんなさい。また殴られそうだったら、わたしが注意しといてあげる」
天音がぼそぼそと呟いた。前に一宮に対して軍隊にありがちな悪しき伝統の指導という名の体罰で顔に青タンを作った古参の整備兵を天音が怒鳴り散らして以来、整備班では天音を怒らせてはならないというのが掟になりつつある。
「それよりフロート見てよ。曲がってないかなあ? 波のあるところで着水したら跳ね返されて暴れたんだけど」
優奈が話を最初に戻して、フロートを展開させた零式水偵脚を指さした。
「はあ? 波の高いところに降りりゃ、跳ね返されたりもするだろ」
「ちょっとぉ~、二等兵が一等兵曹に横柄な口きいてんじゃないわよ」
「でも優奈、一宮くんはわたし達より1コ上だよ?」
「5コ下よ! 歳じゃないわよ、階級よ」
「ええー? なんか変だよ、わたしたちがそんな偉ぶってるの」
「説明あったでしょ? 幼いウィッチを守るためって。中には10歳以下の娘もウィッチになるんだから。こういう強制力がないと、そういった小っちゃい娘をこういう人が襲っちゃうのよ」
と優奈は一宮の背中を指さす。
「一宮くん、そんなことしないよ」
「……あんた、そんなにコイツ気に入っちゃったの?」
「そ、そういうんじゃないってば!」
「筑波一飛曹。あんた着水に癖があんだろ。利き足は左か?」
「え?」
女子の会話はもう聞いてられるかと仕事に戻っていた一宮。優奈の零式水偵脚をあちこち覗いていたが、チラッと優奈を横目で見た。
「着水するとき、左でほとんど受け止めるんだろ。右足が強い抵抗に慣れてないんだ。きっと右足に負担がかかる波を受けたんだろ。それで上手く対処できなくてバランス崩したんだ」
「な、なんでわかるの?!」
「左右のフロートのショックアブソーバーの稼働具合の違いを見れば想像つく。ま、つまり腕が悪いってことだな」
「な、なんですって?!」
「一宮くん、一宮くん。ストライカーユニットは脚に着けるんだから、悪いのは腕じゃなくて脚だよ」
「夫婦そろって息の合った漫才してんじゃないわよ」
「ふ、夫婦じゃないよ!」
「ふ、夫婦じゃねえよ!」
見事に反応のタイミングが合うのも、なんというか……仲良いですね。
「でも利き足は確かに左。言われてみると思い当たる節があるわ」
「ねー? 一宮くんは整備士としての腕は凄いんだよ」
「ふーん、そうやって天音をたぶらかしたのね」
「だからなんでそれに戻る!」
リゾート地でしばしの緩い休息でした。