水音の乙女   作:RightWorld

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第174話「天音編(その19) ~責任取れー(一宮視点)~」

 

 一宮が目を開けると、部屋は誰もいなかった。

 また昨日だか今日の未明だかに見た妙な夢の続きなのではと思って頬を抓る。

 

「いででで!」

 

 夢ではないらしい。思いっ切り爪立てて抓ったので、肉が取れたのではというほど痛みが残ってる。

 涙が滲んで霞んでる目で時計を見ると、8時半といったところらしい。まずい起床時間はとっくに過ぎている。起床ラッパにも気付かなかったとは、そんなに爆睡したのだろうか。それより誰も起こさなかったのか?

 ハンモックを降りて窓辺に行って外を見る。整備科の人達は既に仕事についていた。

 

「やっべ!」

 

 大急ぎで支度しようとすると、部屋の入り口に貼られた紙に気付いた。

 

『一宮2水は寝ていてよし』

 

 ハンモックを丸めていた手を止める。どうやら寝坊は公認だったようだ。

 とは言っても肝を冷やして慌てて跳ね起きたせいで目は覚めており、二度寝する気にはならない。

 

「顔洗いに行こう」

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 宿舎の外の水道に顔を洗いに行くと、先客がいた。一宮の足音に気付いて振り向いたのは、今一番気まずい人だった。

 

「ひゃあ!」

「あっ!」

 

 そこで顔洗っていたのは天音であった。どうやら天音も今しがた起きたようだ。あっちも総員起こし免除だったのか? いや、427空は休暇中だった。

 天音の顔はみるみる鮮やかな赤で染まり、セーラー服から出ている首やら腕やら足までもが血色よくなって、熱が一宮の方にも伝わってきた。

 

 ど、どうしよう。一応階級上の人だし、下の者から挨拶しないとだよな? 挨拶、するべき、だよな?

 

「お、お、おはよう、ございます……」

 

 返事はカランと天音の手から落ちた石鹸の音だった。

 

「「あっ」」

 

 二人して同時にそれへ手を伸ばし、指先がぶつかる。

 

「きゃああ!」

 

 慌てて手をひっこめた天音は悲鳴を上げて、その後しばらく口をパクパクさせると、

 

「いやあああああぁぁん」

 

と黄色い声を上げて、真っ直ぐ宿舎へと逃げていってしまった。ぼーぜんと見送る一宮。

 

『やべえ。あんなに思いっ切り嫌がってる。マタ見られちまった事がよっぽどショックだったに違げえねえ』

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 天音をウィッチ宿舎の中まで追いかけるわけにもいかず、仕方なく自分の稼業の準備を進めるべく、まずは食堂へと向かった。

 食堂へ行って兵員用テーブルを見ると『一宮用 食うべからず』と張り紙された竹の皮に包まれた握り飯が置いてあった。昨夜同様取り置いてくれたらしい。

 薬缶の麦茶を湯呑に注いで1杯煽ると、握り飯を持ってテーブルに座る。

 竹包みを開けようとするが、胃も食道もきゅっと萎められた感じで、どうにも飯が喉を通りそうになかった。一宮は包みを持って食堂を出、基地の横の海岸へと向かった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 水上機が海へ下りるコンクリートのスロープの横には消波ブロックが積み上がっていて、ブロックの下の方は基地からは死角になる。一宮は誰にも顔を合わせたくなくて、下の方に腰かけた。沖へ目をやると、大小の船がわんさと集まっている。沢山の船が取り巻いているのは、あの艦尾を斜めに水面に突き出した潜水艦だ。興味を持ってそこへ近付いてくる漁船を追っ払っている小型船が颯爽と一筋の白い航跡を引いて走り去っていった。

 潜水艦の艦尾を見ていると、昨夜あの上であった出来事が頭の中で自然に再生される。大インパクトだった天音のあられもない姿。思い出してしまい、また顔が熱くなって爆発しそうになった。

 

「あの馬鹿っ」

 

 手で目のあたりを覆った。

 強烈な刺激に加え、あの夢である。胸のドキドキが酷くて息が苦しい程になるが、一方でとんでもないことをしでかたという事でも胸が締め付けられる。心臓と神経と胃袋とを一緒くたに握られたみたいにになって嫌な汗が出てくる。

 

 やべえ、これで完全に見てしまった。上も。下も。これは今更言い訳なんか何言っても通用しないレベルだ。夢ではあいつの地元の変な風習の話が出てたけど、実際のあいつは、絶叫して逃げるほど、完璧に嫌がってた。つまりこれはやっちゃいけない最悪なヤツだ。

 

『ウィッチとの接触は必要最小限。行き過ぎた時は極刑』

 

 新兵教育の時の教えが頭の中で鳴り響く。

 これまでも結構際どい事があったが、今回はどう見ても一線を越えている。思い返せば物理的接触までしてしまっている。

 ウィッチとの接触は云々というより、普通の女子に対しても限度を越えちゃってるだろ。

 

 一崎は、よく懐いた地元の友達の妹のように体が触れるのもお構いなしでじゃれつくところがあったが、そんなどころの話じゃない。何しろモロに肌に触れている。その肌というのが、あれだけいろんな部位があるにもかかわらず、ピンポイントにおっぱいである。おっぱいと言う表現が適当か分からん成長度合いだったが、一応同年代の女子の胸である。男のものではなかった。

 そこまで判別できるくらい見てるってことは……これってもう、“行き過ぎた時”に該当してるよな?

 

 一宮は頭を抱えた。

 

 こないだ会ったマレーのウィッチは、ウィッチがハラスメントと感じなければ許されるのではと言っていたが、一崎の場合完全に悲鳴上げて拒絶してたし、酷い辱めだ、責任取れって何度も叫んでた。流石にこの場合の責任ってのは、あいつの地元のローカルルールの方でないのは明白だ。

 つまり、ウィッチに対して犯した破廉恥侮辱行為に対してだ。

 

 一宮は頭を掻きむしる。

 

 『もうダメだ! 完全に死刑コースだ! ちきしょう、あんな殆ど膨らんでねえ胸と引き換えかよ! ……いや、その考えはもっとダメだ。たとえ平らであっても女子にとっては大事なところ。おまけに下もだ。死ぬほど恥ずかしかったに違いない。見てしまった俺もだ。一崎が一言上に報告を上げれば、すぐさま憲兵が飛んできて俺は拘束され、ウィッチに対する猥褻行為でその場で即銃殺かもしれねえ。

 いずれにしろ辱めてしまった自覚はある。

 ……

 これは自分から自首して少しでも誠意を見せ、“責任”を取るべきだ。』

 

 覚悟を決めたところで、ふと近付いてくる足音と声が聞こえてきた。一宮はとっさに消波ブロックの隙間に隠れてしまった。

 聞こえてきた声で、それが天音と優奈であるとわかった。天音の声はか細くて殆ど聞き取れない。が、脳筋の優菜は横隔膜の筋肉もよく鍛えられてるようで、声もでかく、耳に届くのはほぼ優奈の声であった。

 

「さっきから塞ぎこんで、いったい何があったの?」

「……見られた。もう全部見られた。わたし…………」

 

 げっ、その話かよ! それも筑波一飛曹に!?

 

「なっ! ぜ、全部!? もしかして覗かれたの!?」

「覗かれたわけじゃなくて、……事故なんだけど………………あれはないわ……」

 

 わざとじゃないとは思ってくれてんだな。それでもやっぱ、許される限度を超えてて、我慢ならんってことか。

 

「ええ!? そんな傷心するほどの見られ方って何!? いったいどんなことになったのよ」

「言えない。とてもじゃないけど、恥ずかしくて言えない……」

 

 そりゃあ言えんわな。

 

「ちなみに……胸はどこまで? お乳の下くらいならセーフよ?」

「下どころじゃない。全部。………………顔にくっつけちゃった……」

「くっ!? ……見られるだけじゃなくて、顔に!?」

 

 言えないとか言っといて、しっかり言ってんじゃねーよ!

 

「き、聞くのが怖くなってきたけど、ち、ちなみに下は?」

「……後ろ向き…………お尻を……でもって…………たからきっと……まで全部……」

「な、何やってんの!?」

 

 俺も何やってんのって思います。

 

「あ、でもってお股も触られて…………だったけど」

「はああ!? そんなところも触ってまでいるの! もう変態じゃん!」

 

 そこまでバラさなくていーよ!

 俺の印象もっと悪くなるじゃん! サイアクじゃん!

 

「でもね、でも………………わざと……の……」

「……どうやったら事故でそこまでいくのよ。いったいあんたどんな格好したらそうなるのよ」

「うう、もうだめ、わたしもう…………殺しちゃいたい」

「こ、殺す!?」

 

 ……殺すって、誰を?

 

「………………………………あれは……あれはないわ。あんな………………あんな無防備に………………あっちから………………」

「そ、そこまで思いつめてるの」

「だから…………消えて…………それか一宮君………………消し去りたい」

 

 『!!!』

 

「あいつが消えるのは構わないけど、天音が消えるのは困るわ。ちょっとあいつの頭、棒で思いっきり殴ってみようか」

「それだと………………どころか再起不能……………………」

「廃人になったらそのまま捨てちゃえば?」

 

 少しの間、無言か、聞こえないくらいの囁きになった。そして優奈の声が聞こえてきた。

 

「暫くは顔も合わせたくないかもだけど、少し間を置けば………………整理つくわよ。話すのはそれからでいいじゃん」

 

 二人は肩を寄せ合って、海を向いて座ったままになった。 

 

 ほぼ優奈のセリフだけが聞こえていた一宮。しかし少し漏れ聞こえてくる天音の言葉で、どんな気持ちでいるか知るには十分だった。

 

『だめだ、一崎は完全に頭にきて、俺を殺そうと思うところまで行っちまってる。筑波一飛曹もいざとなったら手伝う気だ。気持ちが落ち着いて整理出来たら上官に通報するのも時間の問題だ。もう情状酌量の余地はねえ。やっぱ憲兵に連行される前に自ら出ていって責任を取ろう』

 

「卜部少尉に……首を差し出そう」

 

 一宮はウィッチが詰めている格納庫へと歩いて行った。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 

 格納庫の奥に作られている搭乗員控え処で、うんうん唸りながら昨日の報告書を書いていた卜部の前に、一宮がふーはー息を乱して血の気の失せた白い顔でやってきた。

 

「う、卜部少尉、昨日は誠に申し訳ありませんでした! 一宮2等整備兵、責任を取らせていただきます!」

 

 書類から顔を上げた卜部は眉を捻る。

 

「責任?」

「は、はい! 私は一崎一飛曹を辱めてしまいました。も、もう言い訳のしようがありません。なのでこの体を差し出します。気の済むよう煮るなり焼くなりしてください! そしてしかるべき処分を!」

「一崎を辱めって……」

 

 驚いている卜部のところに、後ろで聞いていた勝田と千里が集まってきた。3人は頭を寄せてひそひそと話始める。処分について話し合っているらしい。

 

 だいぶ長いこと額をぶつけるようにして話し合っていたが、ようやくウィッチ達は円陣を解くと、一宮に向き直った。

 

「状況は何となく分かった。だがこれを最終的に決めるのは一崎だ。私はあいつの気持ちを尊重したい。とは言ってもウィッチとしてのあいつは守らなきゃならんけどな」

「ひ、一崎一飛曹 、次第ですか?」

 

 そりゃそうだろと卜部は言う。

 一宮は考える。

 

『そ、そうか。死刑にするかどうかは当事者が決めるんだ。だけどあの嫌がりように、殺したいとまで言ってたんだから、答えは聞くまでもねえけどな。万が一、一崎が許すといっても、組織としてはウィッチの尊厳は守らなきゃならないから、何らかの罰則はあると覚悟しとけってことか』

 

 すると勝田が、格納庫に戻ってきた天音と優奈に気付いた。

 

「お、ちょうど帰ってきたよ。ちょっと行ってくるね」

 

 天音が来たと聞いて、一宮は滝のように血の気が引いて行くのを感じた。

 勝田はペンギンが走るようにてけてけとそっちへ走って行った。そしてこっちをちらちら見たり指さしたりしながら、天音に語り掛けている。遠く離れていても天音の顔が下から赤くなっていき、頭の上から湯気が立ち昇り始めるのが見える。しまいには優奈の胸に顔から倒れ込んでしまった。

 

『やべえ、怒りで顔が真っ赤っかだ!』

 

 首を洗って沙汰を待つどころじゃない。もう覚悟の覚悟を決めるしかなかった。ところが、

 

「今無理に決めなくてもいいんじゃないか?」

 

と卜部がのたまった。しかもそれに千里までもが同意した。

 

「それもそう。事が事だけに今すぐ急ぐはない。私伝えてくる」

 

 千里も天音の方に駆けていった。

 

『え、今決めないのか!? せっかく俺覚悟決めたのに、死刑判決は明日以降に延期!? この心境で日を跨いだら、オレ心臓発作で死ねそうなんだが!』

 

 千里も加わって、しばらく4人でごにょごにょしていたが、優奈に肩を抱かれたまま天音がこっちへ向かって歩き始めた。

 一宮は血の気の引いた顔でごくりと唾を飲み込む。ここで判決が下るのか、後に持ち越すのか。

 

「お、俺、これで一崎一飛曹の裁定が下ったら、こ、こ、ここで今すぐ腹を切ります」

「えー? 心配いらんよ。一崎の答えはとっくに決まってるって」

 

『そ、そうか、先延ばしはしないか。その方が俺としてはありがてえ』

 

 正式な裁定なんて待ってらんねえ。あいつが俺の事許さんって言ったら、もうこの場で自分で方をつける!

 

 一宮の前に頬もおでこも上気させた天音が立った。

 

 

 




 
一宮視点があるという事は、天音視点もあるということ。
ヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトヒトにアップします。

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