天音はトゥから潜水艦の深刻な状況を聞き取り、震える声で卜部に伝えた。
「電池が海水に浸かって有毒ガスが発生してるそうです。皆ガスマスクを着けてるそうですが、浸水と空気の状態をみると30分が限界だって副長さんが言ってるって……」
「ダイバーの到着なんか待てらんないじゃねえか!」
全員が凍り付いた。
こんな状況を伝えてきたトゥの心境も気がかりだった。彼女はまだ10才でしかないのだ。
「トゥちゃん……」
心配で胸が苦しい天音が両手を顔の前で組んで祈るように呟くのを最後に、皆の言葉が僅かの間だが途切れた。
永遠に続くかのような重苦しい空気を破ったのはビューリングの低く抑えた声だった。
「アンカーのワイヤーさえ切ればすぐ作業できるよな」
後ろに手を回すと、刃先が曲がった独特の形の大きな刃物を取り出した。
『グルカナイフ』
ビューリングと一緒に戦ったことのある者にとっては、彼女の象徴ともいえるアイテムだ。
「スクリューに絡まってるところより下を切ればいいんだろう?」
「切ればいいって、それで切るつもりか? 鋼鉄のワイヤーだぞ!」
卜部が馬鹿なこと言ってんじゃねえと止めに入る。
「魔法力を纏わせればネウロイだって切れるんだ。何回か切りつければそのうち切れるだろ」
勝田も操縦席から出てきた。
「その前に誰が下へ潜るのさ。もう日が暮れて海の中は真っ暗だよ!? スクリューのところにだって行けないよ!」
「言い出しっぺが責任取るべきかな。ブイのところからワイヤーたどっていけば、いつか着くだろ」
「息続かねえよ」
「確かにそうだな。そしたら錘持って勢いよく潜るってのはどうだ? 地中海や北アフリカの素潜り漁で深いところの貝とか獲るのにそんなのを聞いたことあるぞ」
「下りれたとしたって、あんたその刃物に纏わせるほどの魔法力なんかもうないだろ」
「それに真っ暗な中じゃ正確な作業なんかできないって! 時間かかって絶対息がもたないよ!」
「イメージトレーニングしてから行くさ」
「わたしがやります!」
言い合っていた卜部、勝田、ビューリングがびっくりして声の方へ振り返った。割って入ったのは天音だった。
「一崎!?」
「わたし海育ちだから、素潜りは慣れてます。水中探信で真っ暗でも海の中見えます。それに……」
首から下げてた巾着から肥後守を出した。刃を出すと、ボッと魔法力の焔が立ち昇った。
「これで鉄のワイヤーもあっさりです」
◇◇◇
皆が止めに入ったが、これ程の適任者は他に考えられなかった。時間は刻々となくなっていく。奇跡を博打でなく高い確率で引き寄せられるのは天音しかない。
卜部は決心するとパンと勢い良く天音……の代わりに勝田の背中を叩いて送り出した。
「いってぇ!」
「それでこそ次の427空を背負う水偵ウィッチだ。行ってこい!」
「はい!」
続いて卜部は一宮の方へ振り返る。
「一宮!」
「はっ!」
「一崎が一仕事終えて戻ってきた時、筑波が、「あっそ、それくらい成功して当然でしょ」って言うくらい簡単な作業になるようにしろ」
「うええ!?」
「なぜあたしがそこに出てくる?」
「どんな些細なことでもいい。一崎を想う気持ちが一際強いお前なら気付く事は一番あると思う」
「えええ……」
天音の方に顔を向ける。決意を固めて気合い入れまくってた天音だったが、「わたしを想う気持ちが強いの? 一宮君。そ、それって……」と頬に手を当てて頬をどんどん桃色に変色させていく。一宮の視線に耐えられず、「きゃっ」と言って顔を背けた。背中を向けられた一宮に、肩紐の代わりに結んだ手拭いが目に入る。
そういえば切れた肩紐、応急処置しただけだった。水流に揉まれて浮き上がってきた時、全部脱げててすっぽんぽんになってましたとか、あいつだとやり兼ねねえ。それを俺見ちまったりとかしたら、その場で即刻銃殺だ。こりゃ対策しとかないとだ。
「わかりました」
一宮、まず些細なことを見つけた。
警備艇では直ちに準備が開始された。零式水偵と警備艇を貨物船に接舷させると、一宮は資材を調達しに貨物船へ向かう。
優奈は警備艇の横に接舷し、手を伸ばして天音の手を握った。
「保護魔法で体守るの忘れないで。普通よりは長く潜れるはずよ。潮の流れもちゃんと見るのよ」
「うん、わかった」
アドバイスをする優奈の目にぽろぽろと涙の粒が浮かび、たまらず天音を引き寄せて抱きついた。
「……無事帰ってきて」
「ありがとう、優奈」
天音も優奈の背中に手を回し友人の温みを感じ取った。
そこに智子が貨物船で見つけてきた鉄の
「これ持って飛び込めば勢い良く潜れるわ」
優奈の抱擁を解いて
「うわ、持ち上がりません」
天音の体重よりありそうである。
「行くとき魔法力発動するんでしょ。爆弾よりは軽いわよ」
次に一宮がこれまた貨物船から調達してきた、クレーンの吊り下げ用ラッチ付フックとシャックルを持ってやってきた。2つは繋げてあった。
「この大きいフックをワイヤーに通すから、こっちのシャックルを手で持て。そうすればワイヤーに沿って潜っていける。錘の重さ使って急降下してもスクリューの所まで道外れることなく行けるはずだ」
「ありがとう、一宮君!」
「それと肥後守出せ」
「え? これ?」
一宮に手渡すと、一宮は貨物船で見つけてきたピアノ線を肥後守に括りつける。いわばストラップだ。そして紐を出すと天音をワンピースの上からたすき掛けした。
「お前この服のまま行くんだろ。肩紐はもうちぎれてるし、上がってきた時もし脱げてたりしてまた見ちまったら、俺、皆にこの場で殺されるからな。予防しとく」
「ふわっ、そうだね」
明るいうちに起きたことを思い出し、天音は顔を熱くした。もじもじと照れると上目遣いに一宮を覗く。
「も、もう、1回見られてるから大丈夫って皆に言っとく?」
「やめろ、ぜんぜん大丈夫じゃねえ! 知れたら筑波一飛曹から今この場ですぐ処刑されちまう」
一宮はたすきにストラップを通し、肥後守を天音に手渡した。
「これでもし手を放しちまったとしてもなくさねえ。これ落としちまったらトゥ達を助けられねえからな」
「なるほどね。たすきしとくのは一石二鳥なんだ。一宮君頭いいね」
「そ、それぐらい自分で思いつけ、馬鹿たれ。そしたら後はひたすら水中探信で下見とイメージトレーニングだ。海飛び込んでから上がるまで、やる事ひたすら反芻しろ。起こりそうな事想像しろ」
「ふえ!? 飛び込んでから上がるまで?」
「そうだ。これワイヤーに繋げるだろ。そしたらこのシャックルを手で持つ。錘は?」
「錘に繋がってるロープを反対の手で持つ」
「そうだ。いいか想像しろ。今から予行演習だ。錘投げ込むぞ」
「う、うん」
「それ錘投下した。お前は錘に引っ張られる。シャックル手放さない限りワイヤーに沿って潜ってくはずだ。今ちょっと水中探信でワイヤーたどってみろ」
「うん」
天音は尻尾を海に落とし、水中探信する。
「このワイヤー上からたどっていいくんだね……わ、一宮君! カニがいる!」
「カニ!? た、たぶんフックが弾き飛ばす。構わず進め!」
「わかった、構わず潜る。……スクリュー見えてきた」
「そうか。で、どうする?」
「これは左舷のスクリュー。切るのは下になってる右舷のスクリューに絡まってる方だから……」
「待て、その前にお前、錘どうした?」
「え? 手に持ってる」
「秒速1mとか2mとかで潜ってんだぞ。スクリュー見えた時そのままでいいのか?」
「わ、大変だ。わたしスクリューにぶつかってるね!」
「だとしたらその前に捨てないとだ」
二人のシミュレーションを横で聞いていたビューリングは笑いがこみ上げてしまって、たまらず智子へ向いた。
「こいつら楽しんでないか?」
「なんかこの2人見てると平和ね」
「世が平和だったら、私もこんな風にB.F.とカフェで楽しくくだらん話してたんだろうな」
「ビューリングにボーイフレンド?」
「別におかしくないだろう」
「おかしいわよ。私にはタバコたかってる姿しか見えないわ」
「私のような真面目な女学生がタバコなど吸うわけないだろう」
「隕石が頭に命中でもしない限りそんなビューリング現れっこないわ」
そうしているうちに天音と一宮のイメージトレーニングは一巡したらしい。
「これで1サイクル終わったな」
「うん」
一宮は立ち上がって背筋を伸ばす。と思ったら、パッと天音に指を向けた。
「もし途中で錘落っことしたら!?」
天音は手を上げて即答する。
「急いで浮上! 予備のフックと錘でやり直します!」
ふっと鼻から息を吐きこくりと頷く一宮。
「よし、いいだろ。出番まで自分で今の繰り返せ」
「わかった」
一宮は帽子を深く被って目を伏せた。
「事前準備で事の9割は終わってるんだ。そのうち整備兵は地上にいる出発前までしかやってやれねえ。一緒には行けねえからな。あとは、自分でうまくやれ」
「一宮君……」
天音はじわりと目に涙を滲ませた。そして一宮の体に手を回した。
「ありがとう。でもね、帰りを待っていてくれるのも整備兵の仕事だよ。わたし、成功させて必ず帰ってくる」
「わわわわわかった! 早く助けてこい!」
智子が黄色い声を上げた。
「きゃあー、何あの二人。アツアツじゃん!」
「ですよねー。あんな奴のどこがいいんだか」
優奈は見たくないと顔を背ける。
「なんだ、アマネは同性好きじゃなかったのか?」
「あ-、マレーの植民地軍の女の子ともいちゃついてた事あったから、どっちもいける口なんですよ」
「なんだと!」
優奈の余計な一言でビューリングの勘違いはさらに深刻になった。
◇◇◇
「千里、筑波! 一崎が上がってきたらすぐ見つけてやれよ」
「「了解!」」
卜部の指示で千里と優奈は天音の浮上予想海面で待ち構えるべく移動した。
天音は水中探信でワイヤーとその先をもう一度下見していた。
スクリューまでは水深15m。錘を使って10秒くらいで着くだろうか。スクリューに着く直前で錘を手放す。スクリューに辿り着いたら、自力で潜って絡まってるところを通り越し、海底のアンカーへと延びているワイヤーを切る。切り終わったら水面へ向かう。海流は北から南へ1.5ノット。ワイヤーの南側には行かないこと。もしワイヤーから手を放したら、海流に流されてワイヤーの所に戻れないかもしれない。シミュレーションしてて気付いたことだ。
「一崎、準備いいか?」
「はい。行けます!」
フックは既にブイのアンカーワイヤーに通してあり、天音が握っている。勝田とビューリングが錘を舷側に移動させた。錘にはロープが括りつけられ、ロープの端が天音に渡された。
卜部、勝田が親指を立てて激励する。ビューリングが錘に手をかけた。
「5カウントで錘投げ込むぞ!」
「はい!」
「5,4,3,2,1、それ!」
天音が大きく息を吸い込むのを見て、ビューリングは錘を落とした。錘に引っ張られて、天音と天音の尻尾の青白い魔法陣の光が水中深くへと矢のように沈んでいった。
毎秒約2mのスピードで天音は錘に引っ張られていく。ワイヤーには海藻がたくさん生えており、フックがそれをこそげ取るが、わざと大きなフックを選んでいたので目詰まりの心配はないし、天音が手に持っているのはフックに繋いだシャックルの方だ。もしフックだけなら、この海藻や牡蠣に手が当たったて怪我したり、ワイヤーとフックの間で手が挟まれたりする恐れもあったろう。こんなところにも一宮の細かい配慮があったんだと気付き、胸が熱くなる。
水中探信でスクリューが迫るのが見えた。
今だ!
錘を手放し、残った勢いでスクリューに取り付いた。舵の下をくぐり、反対側のスクリューへ移動する。そちらもワイヤーがぐるぐるに絡まっていた。そして混絡らまった塊から1本が海底に向かって続いていた。それを伝って2mほど潜って行く。
ワイヤーにゆとりを残した地点で、ストラップを引っ張って胸元から肥後守を取り出した。そして魔法力を溜め込んで青白く光っている刃をワイヤーに押し当てた。まるでバターを切るように鋼鉄のワイヤーに肥後守が入っていき、スカッと向こうへ抜ける。アンカー側のワイヤーは海底に落ちていった。切断が終わったのだ。
「よっし! 息も余裕!」
普段の磯遊びでも2分は潜れる天音である。保護魔法で強化もしてある。水中探信で水面まで障害物がないことを確認すると、上を向いて水を蹴った。
水面に向かいながら、天音は一宮の言葉を思い出していた。
すんなりいったのは運がよかったわけでも、自分が特別だからでもない。
「成功は、出発前に作られてたんだね」
ぷはっと海面に飛び出ると、新しい空気を肺一杯に取り込んだ。くるりと見渡すと、サーチライトがパッとこちらに指向し、エンジン音とともに水上ストライカーのウィッチの黒いシルエットがやって来る。
「あまねーー!」
直ちに天音を発見したのは優奈だった。それを追って千里も向かってきた。天音は両手を振って応えた。
「優奈! 千里さーん!」
「大丈夫!? 怪我とかない?」
優奈が浮き輪を投げ込んだ。
「全然余裕! ワイヤー切れたよ!」
それを聞いた優奈は目に涙を浮かべ喉を詰まらせた。
「せ、成功して、当然でしょっ。だ。だって、天音だもん!」
「あはっ、卜部さんが言ってたこと、再現しなくてもいいよ」
「ほんと、よがっだ~~~!」
引き上げた天音に抱きついて優奈はおいおいと泣いた。微笑を浮かべた千里が報告を入れる。
「卜部さん、一崎さんを確保した。ワイヤーの切断は、聞くまでもないね」
≪そうか! 一崎、よくやったー! 疲れてるところすまんが、潜水艦に引き上げを始めると伝えてくれ≫
「了解!」
天音は尻尾を海に泳がせ、すぐにトゥへ話しかける。
「トゥちゃん、天音よ。今すぐに潜水艦を引っ張り上げるの始めるわ。準備して。あとちょっと、がんばろう」
ひどく疲れた声が海底の方から届いた。
≪お姉ちゃん、わたし達、助かるの?≫
「勿論だよ。みんな助かる。わたし達が助けるよ。がんばろ!」
≪うん≫
天音は顔を上げるとインカムを繋いだ。
「卜部さん、連絡しました。トゥちゃんだいぶ弱ってきてます。早く、早く引き上げて!」
≪了解した! 穴拭大尉、巻き上げ開始ー!≫
貨物船の前甲板で号令を待っていた智子が手をあげて了解と返すと、作業員たちへ向き直り刀を振り下ろした。
「巻き上げ開始! さあ引っ張り上げなさい!」
ドルルルルと巻き上げ用エンジンが唸り出し、ワイヤーが引っ張られてピーンと張った。
潜水艦では、ギゴゴゴと艦体が軋み始め、次第に艦尾の方がゆっくりと上に上がっていくのがわかった。
「動いてる!」
「動いてるぞ!」
ガスマスクの向こうの目が希望の光を取り戻した。
「さあさあ巻いて巻いて! アンウィン曹長も引っ張りなさあい!」
ボーファイターの燃料が乏しくなって貨物船に降りていたアンウィンは、手でワイヤーを掴んで引っ張らされていた。
「これ意味あるんですか!?」
「ウィッチの力を見せつけなさあい!」
「えええ?」
ところが急に、キュウウウン、キュウウウンとエンジンが不調音を言い出し始めた。
「あ、穴拭大尉、ワイヤーが上がってこなくなりました! 巻き上げられません!」
「なんですってぇ!? アンウィン曹長、手抜いてんじゃないわよ!」
「えー!? 引いてますよおー」
貨物船の智子達の騒ぎを聞いて、ビューリングは警備艇の後甲板へと走り、インカムで天音を呼ぶ。
「アマネ、下の状態どうなってる? 私も見てみたい。急いで戻れ」
≪はい、すぐ戻ります≫
優奈に担がれて、天音はすぐそこまで来ていた。
警備艇に這い上がった天音は、真っ先に一宮のところへ駆け付けたかったが、一宮の前でビューリングが既に待ち構えている。Vサインと笑顔だけ一宮に返すと、すぐ水中探信の準備をする。
種形に膨らんだ尻尾を顔の前に持ってくると、使い魔に話しかけた。
「あともうちょっと。わたしたちも頑張ろうね」
ピンッと応えた尻尾の先を海に流した。青白い魔法の波が暗い海に流れると、ワイヤーに引っ張られて艦尾を斜め上にした潜水艦の姿が頭の中に見えてきた。
「ビューリングさん、どうぞ」
ビューリングは天音の脇にしゃがむと、側頭部を接触させて、その映像を共有する。
「何が原因で止まったんだ?」
「なんでしょう……」
二人は潜水艦のあちこちを調べる。
ビューリングが海底に着底している艦首部分を見たときにそれに気付いた。
「海底に引きずった跡があるな。ああ、そういうことか。智子、船を前進させながら巻き取れ。船が留まったまま巻き上げると、海底に尻もちついている潜水艦の艦首が引きずられるんだ。岩みたいのに当たって止まったようだ。艦首を引きずるんではなく、そこを支点にして立ち上るように巻いてかないとなんだ」
智子はデリックの作業員と甲板にあった角材でビューリングの言った動きを再現してみて納得すると、船橋に駆け上がった。
「船長、ゆっくりと船を走らせて。ゆっくりよ」
貨物船の船尾が泡立ち、しずしずと前進すると、巻き上げ機のワイヤーの巻き取りが再開された。
「よしよし、動き出したな、だんだん立ち上がってきたぞ」
「ビューリングさん。前の横の方、もう一回見て下さい。これ、大丈夫でしょうか」
「横? 艦首のか? これは潜舵だな」
目を瞑って、天音の探信魔法の特徴である多角映像化された潜水艦を、目線の角度をいろいろ変えて潜舵の辺りを観察する。
「これは……当たりそうだな」
優奈の零式水偵脚のサーチライトが照らすワイヤーの先に、水中から次第に何かが見え始めた。船橋の智子からはそれが何なのかよく分かった。潜水艦の艦尾の一番先の方だ。
「きたわよ。きたわよ。きた、きたー!」
優奈からもゆらゆら揺れる水中に艦尾の様子が見えてくる。
だがあと1mで海面、というところまで来たとこで、また巻き上げ機が不機嫌な音を出し始めた。
「今度は何? ビューリング?」
≪やっぱり当たったか。智子、艦首の横に付いてる潜舵が脇の岩に引っ掛かった。最初の引き上げで引きずられた時、面倒な位置に動いちまったんだ。ちょっと複雑な形の岩だ≫
「どうすればいい? 一旦緩める?」
≪そうだな。緩めてみるか≫
「了解。アンウィン曹長、巻き上げ停止! 少しワイヤーを戻すわ!」
「え、逆回転ですか!?」
「そうよ! 船長、船バックさせて」
貨物船は前進から後進に切り替え、巻き上げ機はワイヤー放出へ逆回転した。
だが潜水艦の傾きはそのまま。ワイヤーはたわんで海中を漂った。
「ビューリングさん、横の舵が岩の隙間に挟まっちゃいました!」
「なんてこった。智子、がっちり岩に噛んじまった。ワイヤーはたわんでるが、潜水艦は倒れも持ち上がりもしてない」
≪え、どうするのよ!≫
「揺すって外れないか? ワイヤー巻いてテンション張って、そのままバックで引っ張ってみろ」
≪引っ張るのね? ワイヤー巻き上げ再開! アンウィン曹長、力いっぱい引っ張りなさい!≫
潜水艦では、先程から上昇が止まっただけでなく、ギギギギ、メキメキメキと嫌な軋む音がしており、一時希望に輝いていた目もみんな不審な色を浮かべていた。
「異音は艦首方向、左舷側のようです」
「何を、やってるんだ……。おい君、上からは何か言ってきてないか?」
カイがトゥに話しかけるが、トゥは息を荒げていた。
「暑い……息苦しい……これ取りたい」
「何を言っている。マスクは取っちゃだめだ。もうちょっと我慢してくれ。……くそっ、早くしてくれ!」
「動かないです、ビューリングさん!」
「がっちり噛んじまったみたいだな」
卜部もさすがに焦りの色を見せていた。
「ビューリング少尉、どんなふうなんだ? 時間も、そろそろやばいぞ」
「わかっている。横舵が岩の裂け目のような隙間にすっぽり挟まってるんだ。上からワイヤーで引っ張っても、引っ張る角度が悪くて抜けない」
「どうやってそんなところに入れたんだ」
「たまたまうまい具合に入っていってしまったってとこだな。もう1回やれって言っても無理だ」
勝田が怒りと呆れを混ぜて嘆いた。
「そんなの今やらなくていいよ」
天音も悲痛な表情である。何かにすがりたくて思わず横にいた一宮の服を掴んだが、脇腹の肉まで掴み、「ぐえあ!」と悲鳴を上げる。一宮の苦痛に歪む顔を見て卜部もうんうんと頷いた。
「一宮も気になるよな。もしいいアイディアが浮かんだら遠慮なく言ってくれ」
「いてて……はい」
卜部が話を続けた。
「もし手で潜水艦掴めるとしたら、どうやったらそこから抜けられる?」
ビューリングは変わった着想に一瞬きょとんとする。
「手で? そうだな、真横へずらすかな。アマネ、そんな感じだろ?」
「は、はい。真横になら動きそうです。はまってる岩の側から押し出すとか」
勝田は人差し指を顎に当てて思案した。
「そういう動きがいいんだね。……爆雷を横で爆発させるとかは?」
「岩の方は浅瀬に立ち上がる壁が近くて、距離を離して爆発させることができない。潜水艦を壊しちまうんじゃないか?」
≪水を吹き付けて押し出す≫
≪潜って右舷側の潜舵にワイヤー引っ掛けて引っ張るってのは?≫
千里と優奈も思いついたこと何でも言ってみた。
「時間さえあれば筑波案は検討できそうだがな……」
手が届きそうなところにいる要救助者を目の前にして救助できないというのは、救助隊にとっては最大のストレスだ。しかも人を助けることにことさら拘るウィッチである。いくらも時間が残ってないのもあり気が狂わんばかりだ。
そこに一宮が天音に問いかけた。
「一崎。あの赤い波って、物押すことはできないのか?」
天音が悔し涙で濡らしていた顔を上げた。
「赤い波?」
「探信魔法波の、赤くて太いやつ。零式水偵が持ち上がるような力があったろ」
「サメ叩いたり、手を押すみたいなのができる、けど……」
「ストライカーユニットで魔法力増強してるんだ。思いっ切りやったら潜水艦動かせねえか?」
みんなが一斉に顔を上げ天音に目線を向けた。
「や、やったことないから、どうかな。そんな大きいの……」
一宮はがしっと天音の両肩に手を置いた。
「やろう! 何でも試そうぜ。奇跡だってやらなきゃ起きねえ!」
一宮に見つめられて天音の胸に熱いものが湧いてきた。目に力が宿ってきた。すると背後から天音を卜部が抱き上げた。
「決まりだ! すぐやるぞ! 何か準備するものあるか!?」
「え、い、いえ。何も。魔法力増強するのに瑞雲で出ないとなくらい」
「よっしゃ、一崎行くぞ! 筑波、千里も再展開して潜水艦の不測の事態に備えろ!」
「「了解!」」
卜部に抱えられて瑞雲が置いてある後部へ連れ去られる天音。それを追って勝田が続く。
「その前にまず潜水艦に警告してからだよ! おっと」
勝田は一宮の前を通過しそうになって急ブレーキをかけた。
「一宮、天音をフォローするぞ。おいで」
「お、俺も?」
「天音をけしかけた張本人だろー」