イオナ達がシャワーを借りている間に、伊401では蒼莱を積んでいる特設航空機運搬艦『葛城丸』に連絡し、事情を説明する。ついでに葛城丸で伊401乗組員の休養を取る調整を付けた。
特設航空機運搬艦はもともと客船や貨客船であり、基地要員や設営隊員などの運搬だけでなく、現地での基地設営中は宿泊施設となることを想定しているので、設備は整っている。葛城丸の船長は快く受け入れ、伊401の乗組員も交代で風呂に浸かりに行くことができた。
本来こういうのは潜水母艦の役目だが、相手にする機材が潜水艦か航空機かの違いだけなので、人の相手についてほぼ同じであり、葛城丸も慣れたものであった。泊地停泊中は清水が補給しやすいこともあり、真水もたっぷり使えて非常にありがたかったとは葛城丸の世話になった乗組員の話。
正規の潜水母艦といえば『大鯨』などが思い浮かぶが、空母に改造されることが前提で建造されただけあってただちに軽空母にされてしまったので、この任務を立派に引き継いでいたのが商船を転用しての特設艦船達なのだ。上記の通りなかなかに適任とも言える。
余談だが、特設潜水母艦となった船には、我々の世界では現在横浜の山下公園に係留されている客船『氷川丸』の姉妹船『平安丸』がある。戦時中氷川丸は病院船となり生き残ったが、平安丸は戦没してしまった。実物の氷川丸を見たら、こんな船が潜水母艦にもなるんだねぇと違った視線で見てみるのも面白い。またこういった無防備な普通の船が戦争になると特設艦船として徴用され、戦わねばならなくなるということも忘れないでほしい。現代でも同じだからだ。
シャワーを浴びてきれいになったイオナ達が出てくると、改めてウィッチはサンガモンの搭乗員待機室に集合してお目通しとなった。
リベリオンウィッチ達を前に、扶桑の2人は扶桑海軍式の脇を締めた敬礼をした。
「扶桑皇国海軍 霧間伊緒菜少尉。潜水艦 伊401搭載の水上攻撃脚『晴嵐』のウィッチだ。よろしく」
「扶桑皇国海軍第358航空隊 秋山典子上飛曹、あ、曹長です。局地戦闘脚『蒼莱』の飛行指導兼パイロットとして欧州に行く途上、この任を命令されてしまったのでやって来ることになりました。……足を引っ張らないといいんですが」
秋山はさも自信なさげに自己紹介する。援軍としてはいまいち頼りない秋山に、大丈夫だろうかと皆心配な顔をした。
そして残ったのは褐色の肌の小さな少女。
「んで、君は?」
ウィラ・ホワイト中尉が見下ろす。
「ブ、ブ、ブリタニア空軍からの応援として来ました。海峡植民地軍シンガポール航空隊のシィーニー・タム・ワン軍曹、ででです」
なんだか緊張しているシィーニーの敬礼に答礼するウィラ。
「ブリタニア連邦の植民地軍か。……シンガポールも最近は本国からのウィッチの派遣が再開されたと聞いていたが」
「す、すみません。すぐ動けたのはわたしの方だったもんで……」
「本国の虎の子ウィッチは簡単には出せらんないんじゃないか? 東洋に欧州勢のウィッチはほとんどいないらしいじゃんか」
レア・ナドー少尉が言うと、まあそうだろうな、とウィラも頷く。
「危ないところに貴重な人材は出せられないか」
天音と優菜は聞いててなんだかムカムカしてきた。シィーニーを見る目や態度、言動から植民地兵への偏見がにじみ出ているからだ。欧州やリベリオンから見ればアジアはやはり未開の後進地域であり、だから植民地支配されているという現実がある。リベリオンも階級社会だし、人種差別がまだまだ残っている時代だ。どうしても見下してしまうものが無意識の中にあったのだ。扶桑は本当に稀なケースと言っていい。
「シィーニー軍曹は実戦経験も豊かで、シンガポールを一人で防衛してきたマレーの英雄ですよ!」
優奈がぷんすかと不満をぶつける。天音も弟子達に注意を入れた。
「言っとくけどジェシカちゃん、ジョデルさん。潜水型ネウロイを世界で初めて撃沈したのはこのシィーニーちゃんだからね。あなた達の大先輩だよ?」
「やだ?!」
「そ、そうなんですか?!」
レアもちょっと驚いた顔になってシィーニーへ振り返る。
「ブリタニア軍がやったって新聞にあったから、オレはてっきりブリタニア人のウィッチの手柄だと思ってた。そうか、あれはブリタニアでもブリタニア連邦のウィッチだったのか」
「そんな実力者を送ってくれていたとは、ブリタニアも本気だったんだな。いや、失礼した軍曹。気を悪くしたなら謝まる」
ウィラが頭を下げたので、シィーニーは慌てた。
「あわわわ、そんなかえって恐縮です! 青い目の人達にはちょっとくらい皮肉られている方がこっちも安心するので、いつも通りでお願いします!」
「シィーニーちゃん、もっと待遇上げてもらってもいいと思うよ?」
「いえ、いいんです。背中がむず痒くなるし」
「芯まで植民地兵気質が染み付いちゃってますねー」
皆が一通り名前と階級を告げて挨拶すると、イオナから簡単に伊401の考える作戦が説明された。
「アナンバス諸島、特に船団泊地になっているシアンタン群島周囲は、ネウロイが仕掛けた暗雲ですっぽり覆われている。大きさは直径約120km、高さは1万から1万1千メートルある」
暗雲の大きさを調べようと何度か試みていたジェシカ達は大きさを聞いてほっとしたようだった。
「よかった。この暗雲にもちゃんと端っこがあるんですね」
イオナは続ける。
「この暗雲は高度1万2千メートル付近にいる気象制御ネウロイ十数機によって維持されている。暗雲と外との境界で気圧をコントロールして、中は無風の状態を保つことで黒い粒子が拡散しないようにしている」
「やっぱりこの気持ち悪い陽気は暗雲を維持するためだったのか」
「ということは、その気象制御ネウロイをやっつければ、この雲は晴れるんですね?」
ジェシカの問いにイオナは頷いた。
「そう。それに最近は気象制御ネウロイの動きが非常に慌ただしくなっていて、私達が偵察で近寄っても攻撃してくることもない。相手をする暇が無いようだった」
「どういうことですか?」
「今、南の方からハリケーンが近付いている。おそらく気象変化が激しくて、境目の気圧制御に忙しくて手が回らないのだろう、と我々は想像している。だから今がチャンスと見ている」
「なぜチャンスなんですか?」
「十数機総出でやっと維持できていると思われるから。だから千早艦長は、1、2機墜としただけでも気象コントロールができなくなって、暗雲は崩壊すると見立てている」
レアとジョデルが頷いた。
「成程。ネウロイは総出でないと気象コントロールできない状態だから、オレ達が近付いても相手する暇がない。しかもオレ達が攻撃するのは数機だけでいいときた」
「確かに、こんなチャンスはありませんね」
「問題はネウロイがいる高度だな。1万2千メートル、約4万フィートでは、この中では私とナドー少尉の
一同を見回したウィラがイオナに目を戻した。
「そこで秋山曹長の登場となる。彼女の駆る局地戦闘脚『蒼莱』は高高度迎撃に特化した機体だ」
みんなの顔が一斉に秋山に向いた。秋山は視線が集まって「ひっ」と一歩引いてしまった。
「1万2千メートルで戦えるスペックがあるのか?」
「は、8千から1万4千メートルでの戦闘を念頭に開発されてます……」
驚きで一瞬部屋が静まり返った。一呼吸おいてざわめき出した。
「まさにピッタリじゃないか!」
イオナが一旦話をまとめた。
「細かい段取りは艦長達が護衛司令部と擦り合わせできてからやるとして、とにかく秋山曹長が蒼莱でこの暗雲を維持している飛行型ネウロイを撃墜できるかどうかが、泊地脱出のカギとなる。支援をお願いする」
イオナの説明にウィラが返答した。
「何を言う。ここからの脱出は我々の総意だ。危険を冒して来てくれたことに感謝する。何なりと言ってくれてかまわないよ、秋山曹長」
「そ、そうですか? それじゃ代わってもらっちゃおうかなー」
そこまで口にしたところで皆が理解できない顔に変化し始めているのを見て、何言ってるんだコイツと皆が不審に思う前に慌てて繕う。
「……な、なーんてなんて! 蒼莱は難しい機体だからいきなりは使えないんですよ。あは、あは」
自信なさそうな秋山に益々心配になる皆。レアが質問する。
「それで、その高高度迎撃脚はどこに?」
「あ、あの、船団に加わっていた扶桑の船に積んであるんです。見つけ出してこの艦に持ってくるよう一緒に来た整備の人が動いているはずです。でも組み立てには空母の整備士さん達にも手伝ってもらう前提で一人しか連れてきてないんです。整備士さん、お借りしてもよろしいでしょうか……?」
上目遣いで恐々とウィラに伺いを立てる秋山に、ウィラはなんだそれくらいの事と笑って答えた。
「扶桑の最新鋭機に触れられるとなれば喜んで手を貸すだろう。分かった。手筈しておこう」
「あ、ありがとうございます!」
◇◇◇
特設航空機運搬艦『葛城丸』へ行った整備兵は、秋山の高高度局地戦闘脚『蒼莱』と装備品の入った木箱を船倉から見つけると、それを引っ張り出し、木箱ごとリベリオン海兵隊員が仮設灯台への行き来に使用している上陸用舟艇『LCVP』へデリックで乗せ換え、護衛空母サンガモンまで持ってきた。
サンガモンに着いたらクレーンで格納庫へ引き上げられ、リベリオンの整備兵達がワクワクしながら梱包を開梱すると、ようやく新型戦闘脚の蒼莱が皆の目の前に現れた。
「ほう!」
エンテ型(前翼機)にして後退角がついてジェット化も可能と言われた震電の改良機である。その先進的な形はリベリオンのウィッチ達や整備兵も一様に唸りを上げた。
「おわー。見た事もない翼の形をしてます」
ひと際目を大きく丸くしてしげしげと裏表見回すのはマレー人植民地兵のシィーニー。何しろいまだに複葉脚を使っているウィッチだ。タイムマシンで未来に来たかのようである。
「卜部さん、すごいね! 扶桑海事変の頃こんな戦闘脚があったらどんなに良かったろう!」
「扶桑海事変と比べるのは、やり過ぎとちゃうか?」
「まあねー。でも、乗ってみたいなあ」
勝田は元々制空担当だったので、戦闘脚にはひと際興味を持っている。
同じく現役の制空担当の千里も興味津々で蒼莱を見ていた。振り向くと秋山に質問した。
「出力はどれくらいあるの?」
「2200魔力です」
「それは凄い」
「2200?! 零式水偵脚の2倍じゃん!」
「わあ~、瑞雲と比べてもずっとすごいよ。瑞雲でも振り回されるのに、どんなになっちゃうんんだろう」
静かに言葉だけで驚く千里と、対照的にのけぞるように驚く優奈。天音は感心しきりだ。レアも目を輝かせた。
「大馬力戦闘脚として名を馳せたオレの
「あくまでも高高度に特化した戦闘脚ですから。1万2千メートルでならやってもいいですよ?」
レアの挑発に、秋山が平然とやってもいいと言った事に、レアもウィラも少なからず驚いた。確かに普通の戦闘脚で1万2千メートルは飛ぶだけで精一杯。そこを今まで自信なさげだった秋山でさえもやってもいいと言わせるのだから、本当にその高度を自在に飛び回れる自信があるに違いない。
「うーん、1万2千メートルじゃF4Uの限界だよ。上がれるけど空中戦しろって言われたらさすがに気が引けるね。じゃあネウロイもちょちょいのちょいじゃないか」
ネウロイと聞いて途端に秋山の顔が暗くなった。
「ネウロイは……その高度でも平気に飛んでるし、火力もビームで桁違いだし、こっちに有利になってる気が全然しないので……」
再び任せて大丈夫だろうかと心配になる皆。
作戦成功のカギは高高度迎撃脚『蒼莱』であることに間違いないが、蒼莱の翼の上に人差し指でのの字を描く秋山を見て天音も、それ以上に蒼莱を飛ばす秋山のメンタルにかかっているなあと思うのであった。。