咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『征く者』大将戦②

 ――東二局二本場、親照――

 ――ドラ表示牌「{2}」――

 

 

(気を取り直して……とはそうそう行かないか? “凡人”)

 

 意識の隅、もはや追いやられてしまった思考の渦を全力で回転させて、タニアが問いかける。宮永照の圧力は、もはや正常な意識の集中すら困難にさせていた。

 否、それはタニアが実力者であるがゆえに、あまりにも状況を認識しうるが故に、押し寄せる宮永照の情報によって呑み込まれてしまっているのだ。

 

 衣はどうか、一様に知れず。もう一人の魔物は沈黙を続けた。彼女はこの状況において、沈黙を保つ余裕があるというのだ。

 単なるつよがりでもなんでもなく、当然の一事として。

 

 沈黙を、不動のものに変える。

 

 対照的であるのは“凡人”緋菜であるはずだ。眉一つ動かない表情は、如何にも丹精で冷淡といえる。しかしその心情は荒れ狂っているはずだ。彼女はあくまで単なる雀士なのである。タニアのような超一流でもなく、衣のような怪物でもなく。

 

 それを怖れて、タニアは問いかけた。

 心底から心中を、全ての柱をポッキリと、折られてしまったのではないかと。――しかし、それは単なるタニアの思い過ごしであった。

 

 緋菜は動じていない。

 

 彼女は凡人である、しかし凡人というのはひとつの符号であり、本来の意味を持つものではない。ソレそのものが、彼女の得意な象徴とかしている。

 責任感の強さと、それからくる切り替えの早さ、それもまた、緋菜が凡人たる所以である。

 

 そして、状況は少しずつではあるが、タニアや緋菜たちへと好転していた。

 宮永照の聴牌速度が、“常識的に考えれば”低下するのである。次に照が和了するのは跳満。とてもではないが、三巡やそこらで和了できるものではない。

 

 せめて六巡。多少の楽観を込めてとはいえ、その程度なら稼ぐことはできるだろうとタニアも緋菜も、踏んでいた。

 

 

(――だからこそ、ここで和了する。私か臨海のトムキンさんの、どっちかが。最悪一翻くらいなら、差し込みでくれてやってもいい)

 

 これ以上照に和了させ続けるのは危険だ。衣が動かない以上、自分たちが動くしか無い。もう麻雀は後二回、大将戦の半荘しか打てないのだから。

 

 端から見て、タニアはともかく、千里山の優勝はほぼ消えているように思えるだろう。緋菜自身、それは否定しようがないとは思うし、顔には出さないが、絶望感に今にも押し潰されそうだ。

 それでも、

 

 緋菜は部長だ。

 

 強豪千里山の。日本最強とされるチーム力を持つ千里山が、最後に送り出す大将として、強豪としての地位を作り上げた、千里山をまとめる者として。

 

 絶対に、退くわけには行かないのである。

 

(そのためにも、凡人にできる宮永照対策、はじめましょうか!)

 

 まず前提として、宮永照は異次元の存在であるという共通認識が必要だ。つまり、周囲とのある程度の協調である。

 当然といえば当然だが、最終的には自分が勝利することを念頭に置き、出しぬき合いが始まるだろうが、それでも三人がかりで照を封殺すれば、攻略事態は不可能ではない。

 

 去年の決勝大将戦では一事宮永照が完全に沈黙するという状況もあった。その後強調していた側が仲間割れにより壊滅したため照が勝利したものの。

 ――ただし、無力化と瓦解は同卓した者達があまりに“強すぎた”ために起こったことだ。それもそうだろう。三傑の一人、アン=ヘイリー、現トッププロが一同に介していたのだから。

 

 加えて、この卓にはもう一人のバケモノ、天江衣も居る。つまり、ここでそのような無力化は不可能と言って良い。片方を無力化しようとももう片方が暴れるのでは結局その魔物の独壇場になってしまう。

 

 狙うとなれば潰し合いだ。準決勝では天江衣と神代小蒔の潰し合いの結果、ほとんど滑り込みのような形とはいえ、タニアは二位抜けに成功している。

 要は同じこと、衣と照が潰し合いをしている最中に、両者を出し抜いてトップをとり、守りぬく。それだけだ。

 

 困難であるだとか、不可能であるだとかはこの際問わない。元より、バケモノを相手にする高校の大将など大体そんなものだ。勝負になるだけ、強豪というのはマシなのである。

 

「チー」 {横三二四}

 

 タニアが動く。三巡目、彼女が判断するだけの時間は、十分に生まれているはずだ。対して宮永照は沈黙している。知ったことではない。止められなければイコール大打撃。今更放銃など、単なる失点の違いでしか無い。

 

「ポン!」 {東横東東}

 

 幸い、未だ沈黙中の天江衣も、こういった小細工には多少なりとも手を貸してくれる。特に、宮永照の下家であるというアドバンテージは、それなりに活用してくれるようだった。

 

 そして――

 

 ――緋菜手牌――

 {一二二⑤⑤⑥⑨⑨} {横發發發} {横七八九}

 

 ――緋菜捨て牌――

 {西③五(東)} {一}<打>

 

(これは……)

 

 

 ――タニア手牌――

 {三四四五五⑤⑦⑧西西} {横三二四}

 

 ――タニア捨て牌――

 {南東(發)③(七)}

 

(なるほど中々どうして、わかりやっすいなぁ)

 

 ――衣捨て牌――

 {⑥⑨①(三)二}

 

 

 ――照手牌――

 {111234456778白(横9)}

 

 ――照捨て牌――

 {二四發} {白}<打>

 

 

 抑えるために、それなりの方法を取っているとはいえこの重圧。抑えているかすらも曖昧で、抑えていなければ、それこそ自分を保っていることすら不可能に思える。

 それこそ、天江衣のように“活かして殺す”タイプではない、まったくもって全てを飲み込む蹂躙型の宮永照は、恐怖という他にないのである。

 

 特に、魔物は人を“嬲る”傾向にあるが、しかし宮永照にはそれがない。遊びがないということはそれだけ、直接心を折りに来る麻雀になる。

 タニアや緋菜のように、他人とくらべても歴戦以上の実力を持つ雀士か、とにかく折れない曲がらない、精神力だけは格別の雀士でもなければ、二度、麻雀を打とうとは思わないだろう。

 

 それほどの相手を前にして、それでもタニアは前向きだった。

 

 ――一向聴。

 ツモを見て、顔をほころばせて打牌をする。

 

 直後、緋菜はといえばこちらも同様だ。彼女は凡人と呼ばれはするがその本質は得意な雀士そのものだ。心を客観的のようにする。端的に言えば、今の彼女はソレをしている。テレビ越しの凡人を思考し、爪を隠している。

 あくまで単なる護衛の術だ。それでも、十分なほどに効果はある。

 

 打牌。直後タニアが、鳴く。

 

「――ポン!」 {五五横五}

 

 これで、聴牌。

 タニアの手が完成した。しまった――とは、緋菜も考えるがどうしようもない。上家の副露でツモが回る、緋菜にとってはチャンスと言える。しかし、自摸ってくるのは――宮永照が、引くはずだった牌。

 

(……ずらしても和了る、よね)

 

 敵対する絶対者の存在と、その未来を察知しながらも、緋菜は思考し、前を見る。ここで、自分が取れる方法がひとつだけ在る。

 

 緋菜/ツモ{7}

 

 この当たり牌を絶対に手放さないこと。それは絶対条件だ。前提でもある。そしてそこに、心中以上の意味を与える。

 この局を終わらせる打牌をする。

 

(こういう時の私のカンっていうものは、思ったほどばかみたいに――あたるものなんだ)

 

 緋菜/打{⑨}

 

 打ったのは、当たり牌。

 ――そう、タニアのものだ。

 

 

「ロン!」

 

 

 手牌を晒して、ようやく、長い長い東四局が終わった。そう、理解した。タニアも緋菜も何とか一息をついてしかし――

 

 

 納得する。

 

 

 これで、終わりではないのだと。

 

 ――風を感じたのだ。台風の如く、圧迫を覚える一陣の風を。そう、宮永照の元から、流れるように、薙がれるように、風が生まれて、飛び散っている。

 もはや、それは刃のように思えるほどに。

 

 鋭く、

 

 激しく、

 

 

 ――完全だった。

 

 

 ただ一人、それを真っ向から観察するように眺める衣が言う。

 

「――南入」

 

 たった、一言それだけを。

 さえずるように、全てに告げた。

 

 

 ――南一局、親衣――

 ――ドラ表示牌「{7}」――

 

 

 この日、天江衣は幾度しか唇を震わせなかった。その中に、ツモも、ロンのヒトコトもなかった。多少鳴きは行ったものの、それは自分のための副露ではない。事実、その時彼女の手は、和了には程遠いほどの手であった。

 

 だが、誰もが知っている。この状況。決勝戦、宮永照と相対して、ただ黙りこくっている衣ではない、と。

 

 むしろ、変化が見られた。副露をして自分で動いた。天江衣の“見”も大詰め、十分に戦えるまでに迫っているのだ。

 後はコレを十二分、アドバンテージと言えるほどに、高める作業を残すのみ。

 

 その前哨戦。

 

 

 最初の一打。

 

 

 天江衣は、牌を曲げた。

 

 

「リーチ」

 

 

 インターハイにおいて、天江衣がリーチをかけたのは一度のみ。それに至るまで、そしてソレ以後も、リーチという声は一度としてかかっていない。

 天江衣の宣戦布告はそれまでに、貴重で、異様で、象徴的なものだった。

 

 そう、インターハイ準決勝、大将戦前半“オーラス”。その時のリーチも、コレと同様の“ダブルリーチ”であった。

 

 準決勝にて相対するは、神代小蒔。

 今この時においては、宮永照。

 

 どちらもインターハイを震わせる魔物。唖然の存在。天江衣が第一に、慎重を要すると考えた“敵”。

 

 ダブルリーチに牌を曲げ、前傾にし顔を伏せた衣の瞳は、閉じられていた。まるで機を待つかのように。

 しかしリーチ棒が、宣戦布告の一拍が卓に飛び出すその時にはもう――その瞳は、はっきり誰が見ても解るほど、見開かれていた。

 

 

 ――天江衣の瞳が開く。満を持して、いまこの時を持って。

 

 

 ここまで、わかったことはいくつか在る。

 

(――まず、宮永照は他者を蹂躙することで強者としての特性を発揮するタイプだ。これには、衣のような支配力ではなく、神代のような爆発力に近い物がある)

 

 あの時神代小蒔に宿っていた“神”は有効牌を吸い取るという特性によるある程度の支配力こそあるものの、その本質は対子や刻子を作ることによる爆発力だ。

 宮永照のチカラはソレに近い。一見彼女は余りある力で持って山を支配し、有効な牌を引き寄せているかのようにも見えるが、しかしそのスタイルとは裏腹にどこか機械的でない麻雀をする。

 

(直接的に麻雀を支配しようと思えば、それだけ機械的な麻雀になる。神代にしても、昔の衣にしてもそうだが、“チカラ”を持つものは、その“チカラ”が強ければ強いほど、闘牌スタイルは無味乾燥で、法則性に満ちたものとなる)

 

 新たに目覚めた瀬々のチカラなど、その典型だろう。元がひねくれものの瀬々であるから、それを全くその通りに運用せず、より柔軟な伸縮性を手に入れているものの、その法則は一貫して一定で、無意味なほど味気がない。

 強力であれば在るほど、麻雀としての意義を見失う。絶対に勝てるのであれば、麻雀など打つ必要がないのだ。麻雀は“しないこと”が最も賢いスタイルだと、衣がよく知る雀士――特に勝負師と呼ばれる人種は言っていた。

 

(まぁ、それができないから奴らは勝負師なのだろうが。ともかくだ)

 

 宮永照はそういう意味で、非常魔物的ではない。あまりにスタイルが柔軟過ぎるのだ。彼女の武器は速度。そしてその法則性は、少しずつ打点を上げる。

 “それだけ”だ。

 

 打点上昇は制限であり枷であるが、それが弱点であるかといえばまったくもってそんなことはない。

 

(和了に至るまで、宮永照はありとあらゆる方策を取る。それこそ勝負師のように、貪欲に、集中的に)

 

 瀬々は照のオカルトを“分からない”と評した。それは果たして“感じ取れないほど強力なのか”はたまた“感じ取れないほど微弱なのか”のどちらかだろうと、瀬々にも告げず衣は一人考えているが。

 

 つまるところ、宮永照は魔物というカテゴリーに属しながら、魔物としては一線を画する存在である。“変化”によって麻雀を自分から打つようになった衣と同様、何がしかのプロセスを得て今のチカラを手にしたのだろう。

 

()()()()()、宮永は“絶対的”ではあるが、“絶対”ではない)

 

 ――無敵のようなチカラを持つが、無敵ではない。あくまで“最強”の範疇にある。

 

 そこが、狙いどころだ。それがわかるからこそ、衣は宣戦布告の一手としてリーチを打った。この一局限定の方法といえるが、不意をつくには“リーチをしない”という情報と、“これが特例である”という情報が必要になる。

 

 準決勝大将戦で見せたただ一度のリーチ。

 

 この状況が特別であると“誰もが思う”のであれば、衣のリーチは乱発はできないとはいえ、どこまでも強烈なリーチとなる。

 

 衣にとって、今決勝卓に座っているのは宮永照だ。しかし、彼女だけが麻雀を打っている訳ではない。

 むしろ“彼女ら”の存在を確かめるために、衣は“見”を行ったのだと言える。そう、宮永照以外、タニア=トムキンと穂積緋菜。脇を固める両名の存在を確かめてこそ、戦いの場に立てるのだと、衣は考えたのだ。

 

 そうして東場を守勢に入った結果、わかったことはひとつの事実。こうして衣がリーチを仕掛けたというところでタニアと緋菜は動きを見せるということだ。

 

「チー」 {横六五七}

 

 緋菜/打{②}

 

 少なくとも、ここで脅威を覚えるのであれば、一発消しはかけてくる。その後の和了は一切考えず、妨害のために行動を起こす、と。

 

 宮永照に弱点があるとすれば、それは決して打点制限などではない。もっとそれ以上に、実質的で、状況的なもの。

 

 彼女には、一切の支配的行動が取れないのだ。今の副露。支配力を持つたぐいの雀士であれば、まず鳴かせなどしなかった。そもそも、衣にダブルリーチを許したりなどしない。

 宮永照が支配力を発揮する雀士と相対する時、大抵の場合“照の支配を破る”相手雀士の支配力が評価される。しかし違うのだ。

 支配力を照は持たない。故に、支配を物理的に“利用する”ことでしか彼女は支配に対抗し得ない。

 

 それを知るものはほとんどいない。瀬々が理解し衣が実践した。おそらくこの二人しか知らない照の弱点。

 

 闘牌の中で、それが顕になっているのだ。

 無論、周囲はそれを理解することはない。衣達と照。穿ったものと、穿たれたもの。双極に類する少女たちのみが、その状況を認識している。

 

 

 ――龍門渕控室――

 

 

「さぁて、ここからだぞ衣。点差は三万。勝てよ!」

 

 一人声を上げる瀬々。

 透華達は理解が及ばない様子ではあるものの、手に汗を握り対局を見守っている。言葉はなかった。

 たった一言瀬々が発し、そこに介在できるものはいなかった。

 

 単純なことだ。

 

 誰もが言葉を失った中、ただ一人瀬々だけが衣に言葉を送れたのである。――その一瞬。声を発するものはいなかった。観客も、実況も解説も、それどころか別の控室で成り行きを見守る者達全て――アン=ヘイリーでさえ。

 

 隔絶されたところにいた。

 

 天江衣と宮永照は、瀬々だけが言葉をかけられる超常的な場所で相対し、睨み合っている。

 照の瞳が険しくなる。それを理解したものは居る。しかし、その理由を読み取れるものはいなかった。

 

 

『――ツモ、2600オール』

 

 

 ――その時、今この瞬間。宮永照の手が止まった。それは今年のインターハイにおいて始めて、“親番以外で”照の連荘がストップした瞬間だった。

 

 決勝の壇上に、天江衣がついに昇った。

 決定的瞬間は今この時であり、宮永照が足を止めた瞬間である。

 

 

 さながら後ろから声をかけられるように、振り返り、天江衣と並び立った。見上げるものは、衣。見下ろすものは、照。

 

 

 ――ー征く者は、両者。


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