『親倍直撃ィ――! ここに来てトップを行く永水女子が三位転落。この準決勝で二位のポジションを維持し続けててきた龍門渕高校が、一気にトップへ躍り出た――!』
響き渡るアナウンサーの声。龍門渕の控え室は、衣がトップに踊りでたことに湧いていた。――衣のことは信頼している。しかしそれでも、これまでの展開は心臓に悪いものが在ったのだ。
だからこそ、ここに来て一気に衣が神代小蒔を圧倒したことは、龍門渕高校にとって僥倖以外の何物でもない。一気にそれぞれの感情が爆発していた。
瀬々と透華は、それを比較的冷静に見ているようだったが、それでも、喜びは隠せないでいるようだった。
『凄まじい待ちの交換劇、どうやら神代選手も惑わされてしまったみたいです☆ あそこまで牌が見えていれば、普通{六}は通りますからね』
『これは天江選手の意地とも言えるでしょう! 狙ってやってもできることではない! それをなしえたのは天江選手の執念か――!』
そしてそれは、龍門渕の控え室だけにとどまらなかった。宮守女子の控え室では、それぞれの驚愕が控え室を支配し、苦渋に満ちながらも、純粋に驚嘆と呼べる感情を浮かべていた。
そして臨海女子では、
「みましたか、すごいですねあの人!」
「えぇ、えぇ見ましたとも、天江さん、もしかしたら三傑よりすごいんじゃないですか!? いえ、どっちもどっちですけども!」
アン=ヘイリーと、ハンナ=ランドルフが、手を取り合ってはしゃぎまわっていた。無理もない、彼女たちは――今日はチーム事情を気にして闘っているため控えめだが――戦闘狂の変態、タニア=トムキンほどではないが、強者の存在を喜ばしいと思う程度のバトルマニアだ。
そんな彼女たちが狂喜乱舞するレベルで、天江衣の闘牌は素晴らしかった。意識の奥底から牌を引き出すような、深淵のごとき打ち筋。時折相対することもあった、玄人の打ち筋――!
「こんなすごい人がたくさんいるのが麻雀です! やっぱり麻雀、楽しいですよね!?」
「そうですねぇそうですねぇ! こんなに色々な人がいるのなら、麻雀が楽しいのもしかたないです!」
アンの言葉を、ハンナが全力の笑みでもって応える。それを周囲で眺めるダヴァンもシャロンも、やれやれといった嘆息でもって、それを眺めるのだった。
――そして、観客席でも、控え室でも、対局室でもないところ。人気のないモニターの存在する一角。二人の少女が、少しばかり感嘆したようにしていた。
「……神代さん、天江さん。ふたりともすごい」
「まったくだな……正直、相手にするのも面倒なレベルだぞ」
「ねぇ、どっちが勝つと思う?」
「天江衣だろ、いつものお前みたいに完全に神代を手玉に取ってるぞ」
長髪の少女がそんなふうに答えると、もう一人の少女は一度お菓子を口に含んで、それを飲み込んでからそれに対して言葉を返す。
「どうかな、神代さんはまだ全部のチカラを使い尽くしてるわけじゃないみたい」
「……どういうことだ?」
「うぅん。なんでもない、鏡で見ないと正確なことは言えないから」
「ふぅん……」
少しばかり、不満気である、といった様子だったが、しかしどうせこのまま何事も無く終わるのならばそれでいい、起こるのであれば、それもまた、といった風に考えたのだろう。――少女は、モニターに視線を揺らし、そして――――
観客席は、湧いていた。
無理もない、天江衣のアクロバティックな闘牌が、神代小蒔の急所にぐさりと突き刺さったのだ。
人とは思えないほどの実力を見せながら、等身大の闘牌を見せる天江衣、人ならざる場所に棲み、人とは隔絶した麻雀を打つ神代小蒔。――どちらが人の心を震わせるか、語る必要はなかろう。
神代小蒔は異世界に居る。人とは決定的に“異なる”場所に居る。
しかし、天江衣のいる場所は、決定的に“観客自身”とは“別する”世界であっても、“異なる”世界に存在しない。手を伸ばせば届く場所、そこに衣は立っているのだ。
――だから人は衣に魅了される。
アン=ヘイリーがそうであるように。宮永照がそうであるように。天江衣もまた、魔物も人も超越した場所に、立つからこそ人を惹きつけるのだ。
渡瀬々のように。
龍門渕の仲間たちのように。
――そして、
――あらゆるものが、衣の勝利に湧いていた。あらゆるものが、衣の勝利を疑わなかった。
――――故に。
直後、彼らの意識は、今日最後の驚愕に、支配されることとなる。
――南三局一本場、親衣――
――ドラ表示牌「{發}」――
「――――ツモ」
それは、衣の打牌直後、神代の発した宣言だった。
――小蒔手牌――
{二二九九⑤⑤⑧⑧11西西6横6}
チートイツツモは――800、1600。低くはないが、決して高いなどとはいえない中庸の手。――しかし、神代小蒔はそれに一つの役を加える。
「――――
それは、衣の勝利を信じ――
――確信し、
――――見守っていたものを、どん底に突き落とすかのような、宣言だった。
「8000、16000」
・永水 『134800』(+32000)
↑
・臨海 『104500』(-8000)
・宮守 『58400』(-8000)
・龍門渕『102300』(-16000)
――オーラス――
――ドラ表示牌「{⑤}」――
会場中が、シン……と静まり返っていた。勝利を確信した状況から、盤面を完全にひっくり返されるような状況は、しかしオーラスという空気によって変質する。
結局、現在の状況は、トップと三位が入れ替わり、そしてその三位も、二位との点差は殆ど無いというところに尽きる。
たとえ衣が三位に落ちようと、少しばかりの打点さえあれば、二位で決勝に行くことも可能なのだ。故にこのオーラスは衣対神代の構図から、完全に宮守を除く三校の、決勝進出を賭けた争いへと変質していた。
それを理解した上で、しかし――と衣は考える。
(
ラス親は神代小蒔である。トップである彼女が和了しようと、和了しまいと、この半荘は間違いなく、この局で終わる。故に、だ。衣にはある思考が浮かんでいた。
(――だからこそ、衣はここで絶対に、退くわけにはいかない。当たり前だ、ここで衣が諦めてしまえば、衣は神代に完敗した、ということになる! たとえ二位で決勝に進んだとしてもだ!)
ここで衣が諦めてしまえば、神代と衣の対決は、衣は善戦したものの、神代の和了で決定的な敗北をした、そういうことに、なってしまう。
それでは全く意味が無い。衣に必要とされているのは勝利、トップで龍門渕に帰ってくることだ。無論、無茶をするなと誰もが言うだろうが――ここでトップを目指すことが、無茶であるはずがない。
――意味が無いのだ。優勝の芽を持ち得ないまま決勝に進んでも、優勝ができないのであれば、最初から決勝に進む意味は無い。
(そういう意味では、この準決勝。だれもが優勝のために決勝へ進む資格がある。宮守も――)
――白望手牌――
{
(難しい、手牌。――けど、これなら決して、勝ちにつながらない和了りになることはない。迷うしか無い、迷って迷って進むしか無い。――けど、諦めるという選択をするには、宮守女子は安くはない……かな)
白望/打{七}
目を向けた先では、白望が躊躇うことなく第一打を放った。彼女の視線には、覇気こそ宿らないものの、歪むことのない絶対の信念が垣間見ることができる。それが白望の強さであるのだ。――迷いはするが、曲がらない。故に正しい選択を、得る。小瀬川白望の気質であった。
(――そして、臨海も)
――タニア手牌――
{
(こんなトコロで、負けたまま終れるはずがない。負けるっていうのはつまらないんだ。目の前でこんなすごい闘牌魅せられちゃったら、麻雀がしたくてしたくて仕方なくなる! 私は、必ずこの手を三倍満に仕上げてやるよ!)
タニア/打{北}
衣の視線の先で、タニアが第一打を選択する。そこにタニアの迷いはない。ただただ強いモノとぶつかりあいたい。あらゆるものを溶け合わせ、すべてを掛けて仕合たい。――故の、少女。タニア=トムキンである。
(なればこそ、だ。――勝つぞ、衣が神代小蒔に、勝ってこの半荘を、終えるぞ――!)
そして、最後に――天江衣本人が、自身に宿る魔物と人の意思でもって、最初のツモへ、手を伸ばす。
(衣は、衣のチカラと意思と選択で、神の上を、越えてゆく――!)
オーラス。誰もが勝利を目指すこの準決勝卓で、天江衣の闘牌が、始まった。
――龍門渕控え室――
「……大丈夫かな、衣」
「信じるしかありませんわね……二位をまくる条件がそれなりに好条件とはいえ、三位は三位、自分以外の誰かが和了れば負けてしまう順位。正直、難しいと言わざるを得ませんわ」
一と透華が、それぞれ視線をかわして会話する。天江衣は今もまだ闘っている。少しずつ手を進め、完成へと向かっている。それを信じるからこそ、両者は同時に、不安を口にしているのだ。
信頼は、言葉でなくとも表せられる。しかし不安は、言葉でなければ伝えられない。ただ黙っているだけでは、ダメなのだ。
別の場所、水穂が口火を切って、会話を交える。
「ここからは完全に、衣が勝負を決めに行くか、他の誰かがそれを阻止するか、状況はそんな闘いだよね。――全員、真向からそれを否定してはいるけどさ」
「宮守女子はダブル役満。臨海女子は三倍満、か。――だれも二位に興味なんて無いみてーだな」
「全力で……前傾」
智樹がそう評すると、そこに水穂が割って入った。
「そうじゃなきゃ意味が無いんだよ。なにせこの次は決勝。何が何でも優勝を目指したくもなるでしょう? その時に、負けたまま決勝に行くんじゃあ、自分たちの実力に不安が残るからね」
宮守女子の場合は、それ以前に役満でも二位になれないという状況もあるが――出和了りはハナから望んでいないだろう。で、あるならば、間違いなくあの手はツモ和了でダブル役満になるような手を作るはずだ。
「……瀬々? どうしたの?」
――そこでふと、一が気がついたように瀬々へ問いかける。ぼーっと、何事かを考えているようだった瀬々は、しかしそれではっとしたように、顔を上げる。
倍満直撃で飛び上がり、そのまま地和で座るタイミングを逸した一と、座ったままの瀬々では、見上げる視界と見下げる視界が成立するほどに、目線がずれて、いるようだった。
「ん? なんでもないさ。なーんでも、な」
「……瀬々はこの勝負、どう見るの? 衣は勝てると思う?」
「いや、それは別に心配してねーけど。でもなんか変な感じなんだよな。よくわかんないけどさ」
「……? 変なの」
――同意する。思考の中で瀬々は頷いた。
自分の中の感覚を、瀬々はうまくつかめていないのだ。答えを理解できない、複雑な解を理解できない時のそれ。この場合は、きっと衣のオカルトがそうなのだろう。
(――掴めねぇよ。なんでか知らんが、それは分かる。……なんでだ? 一体あたしは、何が解ってるっつーんだ?)
それに、と衣のことを思い、思考をつなげる。
(それに、衣は多分神を、かつての自分を敵として見てる。昔はそれに、すがるしかなかったはずの女の子が、今は“それ”を敵として相対することができるようになっている。それだけ衣は、つよくなったんだろうな)
それだけ衣は――多くの世界を渡り歩いて来たのだろう。
天衣無縫に、別け隔てなく、多くの世界を見てきたのだろう。
(――なんとなく、それをあたしは寂しいと思ってる。それって間違ってることなんだろうか。思っちゃいけないことなんだろうか。……わっかんねーや)
一人自分の思考に沈む瀬々。そこには己自身と、天江衣の姿だけが映っていて――
――そんな瀬々を脇において、状況は大きな変質を見せていた。
「――衣の手」
「なんだよ、なんなんだよったくよぉ! すげぇってもんじゃねーぞ!」
智樹が思わずぽつりとこぼして、純があくまで楽しげに、言葉を放つ。その場に居る瀬々を除いた誰も彼もが、衣の手牌に湧いていた。
――衣手牌――
{
「誰だって……神代小蒔のチカラがどういうものかって言うことを聞けば、こういうことは思いつくけどね……」
「実際に行動するのは、普通むりですわ?」
水穂の嘆息に、どこか感嘆とした様子で透華が追従する。とはいえどちらも、衣のこの手を、あくまで好意的に受け止めていた。
「瀬々、すごいよ瀬々! 衣ってば、役満テンパイ仕返したんだ!」
「――お、あ、うん。知ってる。っていうかそもそも問題が在るだろ。たしかにその手なら神代小蒔から直撃をとれるが、その神代小蒔がな……」
言いながら、神代の手牌を指摘する。一に体を揺さぶられながら、瀬々はどこか面倒そうな視線で、神代の手牌を見た。
「――あ、あぁ……!」
――小蒔手牌――
{
「これ、このまま行くとチートイツになるね。テンパイするよ普通に」
――瀬々がなんとはなしにいう。彼女の感覚は、間違い用もなくそれを告げていた。その正確さは、これまで瀬々と接してきた者達すべてがよく知っている。
「もしこれで和了なんてされたら……」
「問答無用で、私達敗退しちゃうよ!」
じわじわと龍門渕の控え室に一つの色が広がっていく。それは敗退色。負けを恐れる感情の色――!
息を呑む音がした。果たしてそれは誰のものか、だれの意識がそうさせたものか、判断はつかず、しかし周囲の総意として広がっていく。
「――まだだよ、まだ負けると決まったわけじゃない。もしもどっかで、今掴んでる以外のヤオチュー牌をつかめば、その時点でゲームセットさ」
それを払しょくするように、今度は瀬々が皆を鼓舞する。ヤオチュー牌は十三種類。そのうち七種類をがめるとして、あと一種類プラスされれば、それで手牌は完成しなくなる。
「ここから国士になることはない。だったら、あとは神代が掴んでくれるのを待つだけさ。衣だって、そう思ってるはずだぜ?」
――モニターの向こう。衣の顔は歪まない。
あくまで自然体。あくまで勝利へ向けた前傾姿勢で、小蒔の打牌を待っている。それを見た仲間たちは、衣を信じることにしたようだった。
そして――
――小蒔/ツモ{西}
神代のツモは進んで、
――小蒔/ツモ{北}
山は、深く険しくなってゆく。
――小蒔/ツモ{白}
しかし、
――小蒔/ツモ{中}
神代の手が、止まることはなかった。
――小蒔手牌――
{
小蒔/打{二}
リーチはかけず、続く自身のツモを待つ。ここまで、神代が手を止める要素は一切無く、衣のテンパイから直後、なんら迷いのないツモで、神代小蒔はテンパイまで進んだ。
もうこうなってしまえば、後は最後の{①}を掴むか、掴まないかの勝負でしか無い。
――のるか、そるか。
勝負は、次巡のツモに託されていた。
「――、」
だれもが、沈黙したままその一瞬を見守っている。もはや、解説すらも、実況すらもこのインターハイ会場には響かない。
だれもがわかっているのだ。次のツモで決着がつく。それは倫理的な思考ではなく、ごくごく直感的な感覚で持って。
故に、言葉はなかった。
挟める隙間も、理由もなかった。
――沈黙が。
広まって。――広まって。――――広まって。
言葉が消えて、世界が消えて。
あらゆるものが掻き消えて。
――ふと、気がついたように、一が顔を動かした。
「――そういえば、瀬々」
「……ん?」
「瀬々にはこの決着、すでに答えとして見えてるの?」
あぁ、と一度反応して、それから瀬々はモニターに目を向ける。衣の自摸切りが映っていた。それの意味することは、次巡に神代が、牌を掴むということだった。
神代が手を振り上げる。ゆっくりと、意識を込めて、確かめるように。周囲の空気が、会場中の雰囲気が、それに引き寄せられるのが見て取れた。
――瀬々は、沈黙していた。
牌を、掴む。たったそれだけの動作。しかしそれにかかった時間は、まさしく悠久のようであった。実際のそれは、ほんの数秒にも満たないというのに。
――瀬々は、沈黙していた。
ゆっくりと手元に引き寄せて、ゆっくりと牌の表を自身に向ける。己の親指で隠された場所。――それを空けるように、指をずらしていく。
そして、瀬々がそこで口を開いた。
「――見えてるさ」
モニターの向こうに、神代がいて、衣がいて、小瀬川白望に、タニア=トムキンもいて。対局の結果を見守っている。
「けれども、わからないんだよ。なんでそれがそうなるのか」
控え室で、龍門渕のメンバーが、永水の、宮守の、臨海女子のメンバーが。対局の行く末を、沈黙によって待ち続けている。
観客席で、テレビの向こうで、とある会場の一角で、――あらゆる人が、その決着を――――
「――なんで神代が、自分の和了り牌を――――」
言葉の直後。――刹那、世界の空気が、徹底的に、完膚なきまでに、徹頭徹尾死滅して、消え失せた。
そこには、対局の決着が、準決勝を決定づける最後の牌が、――明らかとなっていた。
一体何もry