咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『つながりあって』中堅戦②

 小学校の頃は転校を繰り返し、ようやくできたと思った友人も、すぐに別れなくてはならなかった。それはそれは寂しいことで、そんな寂しさを、自分は多くの人にも味あわせてきたのだと、どこか自責するような意識もあった。

 無論、それが自意識過剰だとして、自分がそんな辛さを、味わい続けてきたことは事実だった。

 

 ようやく親の仕事が落ち着いて、一つの場所に定住できるようになって、まずはもう離れ離れにならなくていい、無二の親友を作ろうと思った。

 無論それは簡単ではなかったが――機会は思いの外、すぐに来た。

 当時から、いじめや嫌がらせの類を執拗に嫌うタイプであったこともあいまって、目の前で行われているいじめは、絶対に見過ごせないことだった。

 

 けれども一人ではそれを解決することはできない。それを解決するために、助けを求めることに決めた。――その時であったのが、それから十年近くを共に過ごすこととなる親友、鵜浦心音だった。

 

 ――“今”の五日市早海はそこから始まる。小学校の中学年ほどから、高校3年生に至るまで、歩み続けた早海の人生が、そこから始まる。

 

 

 ――オーラス――

 ――ドラ表示牌「{一}」――

 

 

 最初の頃は、ただ心音と一緒に入られるだけでよかった。時間は余るほどあったが、それでもそれを潰す方法に、枚挙の暇は必要なかった。

 ただ、共にいることこそが、早海にとっての楽しみだった。

 

 しかし、中学高校と、進むに連れて早海は両者の時間に質を求めるようになっていた。少しずつ、ふたりきりで過ごす時間が減っていたのだ。

 というのも、早海はリーダーシップのある、人の中心に立ちやすい気質を持っている。自然と彼女の周りには友人も多かった。そして心音もまた、おとなしい気質でこそ在ったものの、早海の影響か人当たりはよく、友人も多い。――そんなつながりの中に、両者の関係が埋没し始めたのだ。

 

 ――麻雀を始めようと、心音に早海が提案した時もそうだった。あの時も、心音は自分が所属する委員会の仕事に関わっていたし、早海は別の場所で力仕事を手伝っていた。

 それが必要な時間だったわけではない、かつては二人でいることもできた、そんな時間が消費されているのだ。――無論小学校の頃にはもう一人親友がいたが、彼女は心音と早海、二人の親友だ。心音とのつながりが薄くなるわけではない。

 

 結果として、早海は少しずつ焦りのようなものを思い続けていたのだろう。誰とでも繋がれるからこそ、最も大切なつながりを、うっかり忘れてしまうかもしれないと、思ってしまったから。

 

 そうして早海は心音に、二人だけのつながりを求めようとした。――それが、麻雀であった。

 とはいえそれにもまた別のつながりが伴うだろうが、早海は心音と自分に共通する居場所が欲しかったのだ。

 

 

 ――五日市早海は、鵜浦心音との“つながり”を、ずっと求め続けていたのだ。

 

 

 第二回戦で、自分の中のチカラが破られることを、始めて経験した。それだけではない。そレに対する同様が原因で、早海は失点を許すことになってしまった。

 前半戦に、稼いだはずの点棒が、ほぼ一万点のマイナスでかき消されてしまった。

 

 それは早海の中から、自分自身というものを、ごっそり削り取るには十分だった。

 

 結果が、今の自分だ。――混迷し、迷走、敗北する。そんな今が、五日市早海の有様だ。

 

(……嫌だ)

 

 思う。

 

(――そんなの、嫌だ)

 

 しかし、それは思いの中でだけ、浮かんで消えるあやふやな何かだ。不確かで言葉にもならない異様なそれだ。

 

(心音が何処かに行ってしまうのは嫌だ。ようやく手に入れた場所を失うのは嫌だ)

 

 こころが、きしみを上げる。

 古ぼけて――腐ってしまった木造家屋が、その役目を終えて朽ちていくように。ねじりきってしまった歪みが、対に耐えかねて崩れていくように。

 ――早海のこころが、異様なほどに悲鳴を上げた。

 

(――――負けるのは嫌だ失うのは嫌だわからないのは嫌だどうにもできないのは嫌だ自分に納得出来ないのは嫌だ私が壊れてしまうのは嫌だそれをどうしようもできないのは嫌だただ見ていることしかできないのは嫌だ変われないのは嫌だ受け入れるしかないのは嫌だ黙ったままでいるのは嫌だ結局なにもできないのは嫌だ諦めるのは嫌だ流されるのは嫌だ終わってしまうのは嫌だ失うのは嫌だそれをどうにもできないのは嫌だどうにもできないと解ってしまうのが嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……)

 

 

「――ロン」

 

 

 ――振り込んで、失って、すべてが終わって。

 

 早海は、もう顔を伏せるしか、できることはなかった。

 

 

(――――――――もう、やだ)

 

 

 詰まった言葉を、――早海は吐き出すことができなかった。

 

 

『前半戦、終了――――!』

 

 

 ――五日市早海:三年――

 ――宮守女子(岩手)――

 ――46700――

 

 ♪

 

 

 前半戦が終わって、対局者が続々と対局室から退出する。中には出て行かないものも時折はいるが、今回の対局者は一度外に出て、意識を切り替えるようだ。

 

 ――最初に出てきたのは臨海女子のハンナ=ストラウド。若干悔し気な表情が目に映るが、おそらくは初美の役満を防げなかったが故だろう。対局は横目に見ていたが、あの闘牌を見る限りどうやらハンナは完全に初美を狙い撃とうとしているらしい。

 

 ――ハンナ=ストラウド:三年――

 ――臨海女子(東東京)――

 ――142600――

 

 続いて現れたのは永水女子の薄墨初美。こちらは最後の役満和了があったからだろう、その顔は非常に晴れやかだ。とはいえハンナに狙われているというのは、彼女にはプレッシャーとなっていらしい、顔には未だ緊張が張り付いていた。

 

 ――薄墨初美:二年――

 ――永水女子(鹿児島)――

 ――114100――

 

 三番手は龍門渕高校の依田水穂。役満を自摸られても、マイナスをほぼ千点で過ごせたのは流石と言えるが、それだけだ。何も出来なかったことに不満があるのだろう、なんとも言えない複雑な表情で、対局室から離れていった。

 

 そして――その対局室から出て行く面々を、見守るものがいた。――鵜浦心音、宮守女子の三年で先鋒である。

 彼女は人を待っていた。しかしその人は未だに対局室から出てこない。それを理解して、意を決して心音は対局室に足を踏み入れた。

 

 

 ――中では、五日市早海が準決勝の卓に触れながらたそがれていた。

 

 

「おつかれさまー、大変だったね」

 

 反応して、振り返る。早海に寄っていく心音を確かめながら、早海は準決勝卓と、対局室を隔てる階段を、降りる。向い合って要約、両者の間は対等になった。

 

「……うん、おつかれ」

 

 ――それから、絞りだすように、喉奥から零れ落ちるような言葉を早海が漏らした所で、周囲には重い沈黙が漏れた。それを楽しげな笑みで心音が振り払いながら、もたれかかっていた壁から背を離し、うつむく早海と向かい合う。

 そうしてハツラツと――あくまで自然体に声を漏らそうとしたその時。

 

「――――ごめん、点棒、半分までへらしちゃって」

 

「あー、うん、半荘五回分のまけだからねぇ」

 

「…………、」

 

 一応、次鋒戦後半では微差ながら点棒をとりもどしているものの、中堅戦開始以前から、すでに宮守女子の点棒は三万点以上失われていた。

 そしてその大半の原因は心音に在る。とはいえ、心音が対決していたのは世界最強クラスの高校生雀士と、それにギリギリ食らいつけるバケモノだ。誰も攻めはしないし、心音自身、よくもまぁ戦い抜けたものだと自分に感心しきり、といったた様子だ。

 

 ――つまるところ、だ。心音の失った三万点と、早海の失った一万五千点では、その重みが数段違う。それも、早海のほうが比重の高い位置にある。

 それを感じているからこそ、早海は顔をうつむかせている。――どこか飄々としていて、チームメイトの白望とはまた違う強さを持っていた早海が、しかし自身を悔いて顔を陰らせているのだ。

 

「……じゃあさ、徹底的に慰められるのと、手ひどく責め立てるのと、どっちがいい?」

 

 爽やかに、笑みを浮かべていた心音が、しかし一瞬にして、その顔つきを厳しいものに、声を一つ下のトーンに合わせる。――刹那、早海は下向かせていた目線を、さらに端へ向け、自身の服を両手でぎゅっと握り締める。

 

 それから、たっぷり、数十秒、時間の感覚を失うまで沈黙し、本当に小さな声で、ぼそっと言葉を吐き出す。

 

「まだ、責め立てられるほうが、……ましだ」

 

「そりゃ、そうだろうね」

 

 ――慰められるほうが、よっぽど今の早海には惨めに感じられることだろう。心音もそれはよくわかっているし、そうはしないだろう。

 だからこそ、早海の言葉を待つことなく、二の句を告げさせず、心音は次の言葉を吐き出した。

 

 

「――だから、私も嫌だよ」

 

 

 ……え? と、早海がようやく、顔を上げて問いかけた。真剣な心音の眼と、早海の呆然とした眼が交錯する、心音は数秒を、沈黙に捧げた。

 

「私も、早海が苦しむのは嫌、だって親友だもの、わざわざ、そんな事する必要ないじゃないのさ」

 

「……い、いやそれ…………心音さ、――何しに来たの?」

 

 ポツリと漏れた――というよりも、ふと浮かび上がった五日市早海、その素の言葉。本当に心の奥底から漏れでた、何も被すことのない本音。

 

「そりゃあ、悩み多き親友にアドバイスと、あと、えっと」

 

 急に、心音は言葉尻をつまらせて、何やらもじもじと顔を赤らめた。

 早海はどうしたものかと視線を左右に揺らして、言葉を探す、目の前の親友が何を思っているのか、今の早海には正確な判断が下せなかった。そうこうしているうちに、ようやく心音が気を取り直して口を開く。

 

「――じゃあ、言わせてもらうけど」

 

 そうやって一つだけ間をおいて、呼吸を切り替えて心音が口を開く。――それは、早海の困惑気味であった思考回路を、完全にプツン、と強制終了させるものだった。

 

 

「――――私、もう、負けてもいいと思ってるんだよね」

 

 

「…………は?」

 

 こんどこそ、それは先ほどのような反射的に漏れた言葉ではなく、徹頭徹尾何から何まで、呆然に支配された早海の心胆から湧き上がった言葉であった。

 

「だってさ、考えても見なよ。私達宮守女子は今年が初出場の新鋭校。だれも優勝するなんて思ってない。そもそも準決勝に来ることすらだれも考えてなかったんじゃないかな?」

 

 ――準決勝に残された現行唯一の初出場校、それが宮守女子の肩書きだ。それにはつまり、ダークホースというルビを降ることはできても、優勝候補と声高に主張することは不可能な場所にある。

 

「負けたってだれも攻めないだろうし、むしろ岩手に帰れば私達、英雄扱い間違いなしさ!」

 

「――いや、いやいやいや」

 

 マシンガンのように吐き出された心音の言葉に、なんとか現在に復帰した早海が待ったをかける。心音は一切明る気な顔つきを変えることなく問いかける。

 

「おかしーだろそれ! どこに終わる前から諦める奴がいるのさ! 少なくともシロは最後まで諦めなかったし、そもそも心音だって、あれだけ精一杯闘ってたじゃないか!」

 

「……でも、龍門渕の渡さんには勝てなかったよ? 半荘四回やって、結局一度も上に立てなかった。それに臨海のあの人にはコテンパンにやられちゃったし」

 

 心音は、おどけるようにして笑ってみせた。それが自分のありったけであるかのように。――早海は、表情を厳しくさせて声を荒立てる。――しかしそれは、心音を責め立てるものではない。まるで、心音をかばうかのような、自分のあらん限りを尽くして、心音に背を向けて立つかのような、ものだった。

 

「――――それでも! 心音は最後まで頑張って闘った。世界最強を名乗る(・・・)相手に、あそこまで健闘できたのは、心音だからだ! 心音のどこに限界があるっていうのさ! そんなもん、最初からあるわけないだろーが!」

 

「あるよ、実力差がある。一年、二年――それくらいの時間が在るならともかく、一日二日じゃ、どうやったって埋まるはずのない、壁っていうやつが」

 

 一日二日、そんな心音の言い回しに、いきり立っていた早海の心は、急速に冷やされていった。心音のその言葉は、ある種負けを認めない自負ではあったが、それと同時にどうしようもない壁への自覚でもあった。

 

「それならさ、もう、これでもいいやって、私は思うようになった。それって何か、おかしいことなのかな」

 

「…………、」

 

 

「――けどさ」

 

 

 閉口した早海、しかし心音は言葉を失わなかった。全力で、前傾で、思うがままに、まだまだ吐きたらないと、言葉を大いに振り回して――

 

「それを早海にも、私は思ってほしくない。残り最後の一回になるかもしれない早海の半荘が、諦めで終わってほしくなんか――ない」

 

 途端に生まれた心音の言葉の緩急に、早海は思わず引きずり込まるような印象を抱いた。自分の中で、心音の言葉を、一瞬にしてもっと聞いていたいと思うような、心が生まれたような気がした。

 

「私の知ってる早海は、敵を周りに寄せ付けないくらい破天荒で、誰かを不思議なほど魅了して、おもいっきり何から何まで、人を惹きつけてやまない人だった」

 

 だから――言葉のほんの隅っこに、どこか哀愁に満ちた、声音が混じっていた。

 

 

「――そんな早海が、落ち込んでいる姿は見たくないよ」

 

 

 端的な言葉で、心音は自分の思いを締めくくる。数年間、友として、隣にたって思い続けてきた、万感の感情をすべて詰め込んだ、そんな言葉だった。

 

 そうして心音は、恥ずかしそうに笑みながら頬を書くと、再び早海に口を開かせることなく、自分の言葉をつなげる。

 

「……なんか、勝手に一人で話して、それで終わりっていうのも、なんだよね。だから――」

 

 一瞬だった。

 

 早海が何かを思うよりも早く。

 

 

 ――心音は早海に、抱きついていた。

 

 

「――早海に、忘れられない思い出を作ってもらおうと思います」

 

 精一杯、感情を――おそらくは、恥ずかしさ――押し殺すようにして、上ずった声でいう。それは、落ち込む早海に向けて語った、幾つもの言葉よりもずっと、心音の心情をあらわにしているようだった。

 

 早海は、「あ――」、と、まるでその瞬間に、すべての感情を弾けさせてしまったかのように、吐息を漏らした。

 

 だれでもない、鵜浦心音が、体を交わらせ、引き寄せ合って、耳元でささやいてる。

 

 

「――私、鵜浦心音は、」

 

 

 それがどうしようもなく愛おしく思えて、どうしようもなくもどかしく思えて、

 

 

「五日市早海のことが――――好きです」

 

 

 高鳴る心音を、抑えることができなかった。

 

「それは、私が、早海の側にいたいから。ずっと一緒に、いたいから!」

 

 心音は、詠う。

 

「未来永劫、あらゆる災いが私達に降り注ごうと、それでも一緒に、いたいと思える人だから……だから、私は早海のことが好き」

 

 早海の言葉など、最初から待つつもりもなく、ただ自分の言葉を、早海に刻み付けるために。

 

「もしも早海が許してくれるなら、私は早海の隣にいたい」

 

 背中合わせになっていた、自分と早海の、心をもう一度すり合わせるために。

 

「誰にも間に入って来れないくらい、私は早海の近くにいたい! ずっとずっとず――っと!」

 

 たっぷり、抱き続けてきた感情と、思い続けてきた心象を載せて、語った心音。早海は、少しだけ頬を赤らめて、脱力しきった体に火を灯す。

 ――ぴくりと、一度体を震わせて、そっと心音の体をかき抱く。ぎゅうっと、二人の距離が、一切の隙間なく詰められた。

 

 それから、安らいだように眼をとして――

 

 

「本当に、私()いいのか?」

 

 

 そう、問いかけた。

 

「うん。早海だから、いいんだよ?」

 

「――そっか、ありがとな」

 

 そうしてひとつ、頷いて、それから早海はぐいっと、両者の体を引き剥がす。ただ右手だけをつなぎあわせて、距離を保ちながら、向かい合う。

 

「それじゃあそろそろ後半戦だ。――世界一大好きな親友から、こんな思い出もらっちまったんだ、私も、忘れられない思い出を、あの場所に作ってくる」

 

「――いってらっしゃい」

 

 そうやって言葉をかわして、二人の体が弧を描いて円を作り始める。真横に体を交差させて、つなぎあった手の先を伝って、それぞれの顔を覗き見る。

 

 ふたりとも、これ以上ないくらい優しげな笑みで、そよ風に体を委ねるように小首をかしげ、ゆっくりと手を離していく。そうして、最後に早海がその表情を、闘気に満ちたものへと切り替える。

 

「あぁ――」

 

 踏み出す一歩は、誰よりも強く、そして一つではない。

 

 

「――――行ってくるよ!」

 

 

 五日市早海の闘いが、ようやく幕を、開けようとしていた。




多分本作屈指のIPS回。うちはハーメルンの咲二次の中でもIPS力は最強のつもりや(泉ちゃん風)
第二回戦から持ち越した早海のしがらみもこれで解消。次回から中堅戦後半です!

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