――姫松控え室――
画面の向こう、四校の対局は今も続いている。特筆すべき所は四者の打点と、内回しの硬さというところだろうか。
早仕掛けベタオリを駆使する晩成だけではない、塞も一も、全国に駒を進めるにふさわしい、手堅い打ち筋を見せている。
一に対して機運が全く向いていない事を除けば、この局は非常に見どころのあるデジタル戦といえるだろう。
――そして、
『ツモ! 2000、4000!』
・姫松 『83500』(+8000)
↑
・宮守 『103600』(-4000)
・龍門渕『111000』(-2000)
・晩成 『101900』(-2000)
次鋒戦初となる満貫和了が、半荘の後半半ばに、ようやく飛び出した。和了したのはここまで一切合切沈黙を貫いていた姫松の次鋒――天海りんごだった。
「相変わらず、意識に残る和了りをするもんやねぇ、りんごの奴」
紙パックに直接突き刺したストローからストレートティーを勢い良く掬いあげながら、対局を見守っていた蘭子が何気なしにつぶやく。
ここまで一切高打点の和了がなかった状況に、突如として割ってはいった和了だ。それも他家の意識外から唐突に湧いてでたヤミテン和了である。
とはいえそれは、その手牌の流れを知るものからすれば、少しばかり惜しい和了りでもあった。
「リーチかけてれば一発ツモで跳ねてましたね……」
副将――上重漫が残念そうにつぶやく。りんごのツモはテンパイ直後の一発ツモ、リーチをかけていれば間違い無く跳ねていたのだ。
「とはいえ漫ちゃん。さすがに愚形テンパイを十四巡で曲げるわけにも如何やろ」
恭子が何気なしにつぶやく。
「ウチなら行ってるなー。龍門渕と晩成が確実にオリてくるんやし、ちょうど筋引っ掛けになっとるから親番の宮守辺りが出しそうやん?」
なんでもない様子で蘭子が言う。恭子は難しそうな顔をするが、これは単純なスタイルの違いというものだ。
たとえ和了れなくとも、五百点はほぼ確実に稼げる手。恭子は統計的な観点からリーチはかけないが、これが蘭子であれば話は違う。次局でリーチ棒を供託ごと取り返すと決めつけられれば、そのリーチ棒は勝利への特急チケットに変わるのだ。
「むしろ、この場合先輩がまゆ一つ動かさないっちゅうんがポイントやと思いますけど」
点棒を受け取りながら、りんごは無表情のまま晒した手牌を眺めている。それは先鋒戦での龍門渕、渡瀬々に近い。
だが、それを指摘する洋榎の視点からは、両者の違いが判然としていた。
「……やっぱ大違いやなぁ」
「え? どうしたんです? 一体」
「あぁいや、独り言や」
漫の問いかけを受け流すように答えながら、洋榎は一人腕を組みながら考える。姫松の次鋒はとにかく特殊なポジションだ。
中堅にエースを置くという性質上、先鋒には主に他校のエースをけん制する相手、もしくは先鋒戦を早く流せる雀士が座ることになる。
例えば今年副将を務める上重漫が前者に辺り、後者は今年の末原恭子がそれだ。
これはつまり、そのどちらにおいても、エース相手に“後手に回る”ことが前提となるのだ。失点しての先鋒戦終了が、姫松の大前提なのである。
今回のように、マイナスを二万点以下に収められる状況というのはむしろ稀で、準決勝、決勝に駒を進めるに連れ、それは顕著となる。
そうして失点した状況で、バトンをもらうことが前提となっているのが次鋒のポジションだ。無論それは中堅であるエースにも言えることであるが、敢えて先鋒という区画から外れたエースは、間違いなく活躍して点棒を残す。
洋榎はその代表格である。
ならば次鋒はどうか、周囲からの期待は薄いであろうが、中堅に繋ぐことにおいて、さらなる失点は絶対に許されない。
そのために、微差であってもプラスで変える、そんな確固たる実力が必要なのだ。
だが、それ以上に、洋榎は必要だと考えるものがある。
(姫松の次鋒に必要なんは、やっぱ“図太さ”やろうなぁ)
どんな状況であろうと、しぶとく闘いに喰らいつくしぶとさと、それを支える神経の太さ。それがなければ、姫松の次鋒は務まらない。
(一応、ウチは強い。姫松のエースなんやから、それは当然やなあかん。そして主将も、大将にふさわしいだけの実力がある)
恭子と漫はそれぞれ特別な立ち位置にある。
姫松という高校が、他校から見ればかなり異質な部分を多く持ち合わせているのだ。その上で、洋榎はこう考える。
――天海りんご、彼女こそが姫松を支える原動力であり、根底の強さなのだ――と。他校のものさしでは測れない、姫松ならではの強さを持つ少女。
――それこそが、彼女であるのだと、洋榎はそう、思うのだ。
――オーラス――
――ドラ表示牌「{9}}――
――宮守控え室――
「いっけー! 塞ぇー!」
モニター越しに映る仲間へ、宮守副将――鹿倉胡桃の声が響く。届いてはいないだろう。しかし、宮守の代表として次鋒戦の卓につく塞が、それを理解していないとは思えない。
無意味ではない、そう思うからこそ、彼女たちは想いを込めて声を張り上げる。
順位
一位龍門渕:111000
二位晩成 :103900
三位宮守 :101600
四位姫松 :83500
ここまでの状況、龍門渕は苦しみながらもトップを守り、晩成と宮守が追い上げる展開だ。姫松は最下位ながらも、微差の収支プラスを確保し、オーラスを迎えている。
「晩成の人、すごいねー、さすがに全国区ってやつかぁー」
「まぁそれもあるけど、この状況は割りと晩成有利な状況なんだよねぃ」
五日市早海、宮守の中堅を務める三年生が、ジュースを勢い良く吸い上げながらつぶやく心音の言葉に反応した。
散切り頭に、快活とした勝気な顔立ちは、少女の性格を端的に表している。
「ま、普通に考えて塞があの晩成の次鋒と何回も戦っても、二割か三割で塞が勝つだろうしねぇ。逆もまた然りってやつさぁ」
「そーなの? や、麻雀ってのはそういうもんだけどさ」
そーいうもんなの、と早海は笑う。ちなみに残りの六割ほどは、塞か晩成の北門以外の誰かがトップを取るだろうという確率だ。
塞は火力に特化したタイプではないから、トップ率はさほど高くはならないだろう。
「席順がまず、晩成にとってかなり好条件だ。上家に調子が最悪な奴が座ってるんだからさぁ」
塞のチカラが正常に働いているということもあるが、この次鋒戦、とにかく場が重い。速攻で攻める美紀と、チカラの外にある塞。どちらも獅子奮迅のように活躍しているものの、点棒の移動としては些か地味だ。
「手が悪くて、龍門渕の子、鳴いて手を進めるしか無いみたいだねぃ。しかーも、そのせいで下家の晩成にツモが多く行くって事になっちまう」
どれだけ鳴かずに手を進めても、間違いなく他家が速度で上を行く。そも、和了どころか、テンパイ出来る局がいくらあっただろう。
それほどまでに一の手は酷い。
――しかもそれを嫌って、鳴きで手を進めれば、一の鳴いた次のツモは晩成のツモだ。いくらでも速度をあげられるということになるし、一の倍近い速度で手を仕上げることができるということだ。
絶対に追いつけない、絶対に近づけない、そんな状況で、それでも一は手を進める。
『チー』 {横八七九}
絶好の鳴き、嵌張がこの形で埋まったのは僥倖だろう。これでチャンタ手一向聴となる。――が直後、一の打牌、{南}に美紀が喰らいつく。
「……個人的には、嫌な予感がするからあのままベタオリしてくれたほうが良かったんだけどな」
心音が面倒そうにつぶやく。彼女のチカラは別に他家の手牌まで自分の手牌と同じように察知できるわけではない。要するに単純な勘だ。
「……はいった」
宮守最後の一人、小瀬川白望が野暮ったい声音でつぶやく。ちなみに現在彼女は鹿倉胡桃を抱えて対局を見守っている。
――一手牌――
{
「
「まぁ……普通だったら自摸切りだけど」
胡桃の問いかけに、白望はぼーっと焦点の合っていない目を揺らめかせながら嘆息する。少し待てば5800は望めて、最高で11600まで手を高められる。
巡目は未だ七巡、さしてあせるほどではないだろうが……
一/打{1}
「あっ」
「……切るよね」
欠伸混じりに繋げるように白望が言う。とにかく一は速度がほしいのだ。一度でも和了れれば、自分の不調をなかったことにできるかもしれない。
――または、連荘によって、自身の遅れを取り戻せるかもしれない。
そんな考えが、あっただろうか。
そこから切りだされた牌は、しかしある一つの、無情な宣告を一へ告げる。
『――ポン』 {横111}
これで、美紀は三副露。しかもその全てが、一からの物によっている。そんな様子に、早海はうんざりとした様子で嘆息した。
「あーあ、最悪」
「まぁそれでも、多分私も切るけどねっ!」
胡桃が白望に、そうやって声をかける。白望は少し嘆息すると、すでに結果は見えたとばかりにテレビのモニターから視線を外すのだった。
『――ロン』
――和了は、美紀だ。
一から飛び出した牌を打ちとっての和了、これで前半戦が終了した。
♪
――後半戦オーラス一本場――
――ドラ表示牌「②」――
(テンパイ、かぁ)
――塞手牌――
{
(正直、かなり微妙なツモだけど、別にこれをテンパイする理由が無いわけじゃない)
――臼沢塞:二年――
――宮守女子(岩手)――
――106400――
(ここまで、割りと……というかかなり無難に打ってきた。前半オーラスの満貫クラスで浮いた晩成が相変わらずだけど、この後のメドレーを考えれば、むしろここは晩成に稼いでもらったほうが楽だよね)
中堅、そして大将。晩成高校という、通常の雀士達のレベルではそも視界に収めることすら不可能に思える雀士が、出てくる。
少なくとも中堅の姫松と龍門渕は全国クラス、龍門渕の大将にいたっては魔物クラスのバケモノだ。
(そうなっちゃうと、勝敗を左右するのは完全に、大将のシロになっちゃう。そうなった時にできる限り点は稼いでおきたい)
ここでテンパイにとらずとも、塞の手牌は思いの外盤石だ。他家が重い手を仕上げざるをえない状況で、塞だけはその束縛を端から無視することができるのだ。
(ただ、シロを楽させるっていうんだったら。むしろここは手堅く稼いだほうがいいのかもしれない。私の後ろにはまだ胡桃と先輩が居るわけだし、胡桃達が早々他の人達に負けるとは思えない)
――特に、早海は龍門渕の依田水穂のような、純粋な速攻タイプの雀士にはとことん強い。早々負けることはないだろう。
(幸い龍門渕が一人沈みで三位まで墜ちてくれた。この半荘、もう終いにするには十分だ)
考えはまとまった。結論は、この半荘――塞の手により、幕を下ろす。そのために、ここで自分がとるべき、最善の手を――取る。
(だったら……テンパイにとる。それにここでリーチをかければラス親であっても晩成はオリる……つまり)
「――リーチ」
(このリーチで、次鋒戦が――――終わる)
塞/打{③}
ここまで、晩成は一つも牌を鳴いていない。別にこれまで何度か見られた情景だ。序盤にリーチが入れば当然ベタオリなのだから、絶対に美紀は牌を鳴かないし、麻雀には、そもそも全く鳴きを入れるタイミングがない局もざらにある。
何も不思議なことではない。
これで半荘二回は終わり、続く中堅――折り返しへとバトンを回すこととなるのだ。
(おやまぁ、ここでリーチをかけてくるですか。いやいや、別にそれでもいいんだけど)
塞のおいたリーチ棒を眺めつつ、自分のツモを待ちながら美紀は考える。ドラ切りでテンパイというのはたしかにそうだろうが、リーチまでかけるとは、正直な所予想外だった。
(まぁ、リーチがかかってなくちゃ私は押すけども。リーチかければオリざるをえないけども。……いや、でーもね、別にこの手、押してもいいんだよ?)
――美紀手牌――
{一二④⑤⑤⑧⑨東東東北北中}
(ラス親で、中堅戦の事を考えるとできるだけ稼ぎたい状況、むしろ押さない方がどうかしてるしねぇ)
――塞捨て牌――
{九一發南二3}
{四8⑥七9横③}
(しかもこのリーチ、ドラまで切ったってことは、少なくともドラは一つしかない。タンヤオなんかがついても、四翻にまでなることはほとんどありえない)
せいぜいが、5200の直撃を受けるかもしれない程度。そんな手を相手にして、むしろドラを含む可能性も高い混一色を、ベタオリで潰すバカがどこに居るだろうか。
(普通、そんなの絶対ありえない。どんなデジタルの神だって、この手は押していくでしょうよ)
そう、この手はあくまで突っ張って当然、和了れれば御の字、放銃であっても何ら問題に差し障りのない、あまりにも魅力的な手なのだ。
この手に対してベタオリを選択するものは早々いない。それを明らかにしたうえで――それでも、と美紀は思う。
(それでも――だ。私はオリる。どんな手であろうと、ここで攻めることはありえない。それが私の、麻雀だからだ)
――――最強の麻雀とはなにか、美紀はその問いに、デジタルである、と答えるだろう。しかしそも、デジタルというものにもいくつかの種類――打ち筋がある。
例えばそれは美紀のような速攻に特化したものであったり、逆に手役を重視した打点を重視したものであったりする。
その上で、デジタルとオカルトを分ける区分。それを美紀が定義するならば、“スタイル”の存在だ。要するに、本人なりの思考から来る“統計”のようなもの、パターンのようなものがあるか否か、というものだ。
自分の中に明確な答えがあって、それを元にプレイをするなら、それは即ちデジタルと化す。
(例えば部長は計算の麻雀。例えばやえはいぶし銀の麻雀。言ってしまえば、先鋒のあいつらも、デジタルといってしまえるね)
あらゆる自分のスタイル。信念、それを曲げないことが、麻雀というモノの原点となる。
(――だから私は牌を曲げない。変わりに、鳴いて鳴いて、誰にも和了らせずに私が勝つ、それが私なりの、やり方だ)
――美紀/ツモ{五}・打{二}
唸る一閃、美紀の右手が閃いた。自摸った牌を確かめることすらセず、右端に寄せられていた牌を掴むとすぐさま河へ吐き出す。
――風切る牌の軌跡が、緩やかなカーブを描いた。
(……六巡目以降は戦えなかったらベタオリ、六巡目以降は戦えなかったらベタオリ…………)
――もごもごと、思考の中身を復唱するように、一は言葉どころか、音にすらならない声を漏らした。ここまで、後半戦まで含めても、一は焼き鳥だ。
もはや和了ることは、前半戦の振込から諦めた。――速度でかなわないのなら、もはや何でもかなわない。
一の打ち方はオーソドックスなデジタルだ。鳴きに特化しているわけでもなく、手役を重視するわけでもない。
良く言えば柔和、悪く言えば優柔不断な打ち方は、どれだけ最善に近い打ち方をしても、ツキの無い時は絶対に勝てないという弱点がある。
通常であればその正攻法な打ち筋は、そうそうマイナスになることはないのだが、今回ばかりは、それを踏まえても、不運としか言いようが無いほどマイナスに寄ってしまった。
(ボクの打ち方に足りないもの。少しだけど、つかめた気がする。でもそれは、もっとふさわしい舞台で、ふさわしい戦い方によって引き込むべきものだ。――ここは、瀬々の貯金を使い果たしてでも、それ以上の疵を作らずに――みんなにバトンを回す……!)
――一手牌――
{
一/打{3}
そうして、一巡。塞の打牌{1}の後――
(――む、張ってしもたか)
――りんご手牌――
{
(別に攻める必要はないが……オリるには少し疑問の残る待ちやなぁ。――本来なら、申し越し余裕を持って、のんびり手を作りたかったのやけどー……悠々自適の老後とは行かへんよーや)
ここまで、りんごは微差ながら収支プラスで、最低限の仕事を完了したといえるだろう。リーチがかかっているとはいえ、一発ではない以上さほど高くもならないだろうし――ここでツモって跳満の七対子を、攻めない理由は殆ど無い。
ならば。
――りんご/打{五}
「リー――」
「……ロン、2600は2900です」
宣言よりも、早く。
手牌は曝された。
(おやぁ――)
意外に思いながらも、打点が低いことはすでに織り込み済み……これでも、十分りんごは、収支プラスを――守っている。
『――後半戦、終了…………ッ!』
♪
――天海りんご:三年――
――姫松高校(南大阪)――
――84400――
閉幕直後、りんごがゆったりとした動作で立ち上がった。一つ大きく礼をすると、そのままくるりと体を反転させ、会場を去ってゆく。
「おっつかれさぁーん」
――北門美紀:三年――
――晩成高校(奈良)――
――114300――
続いて、美紀が大きく体を伸ばしてから起き上がる。こちらは無表情に近いままだったりんごと比べて、非常に明朗としたまま会場を小走りで去っていった。
その後に続くのは宮守だ。大きく息を吐きだしてから、少しだけ疲れたように「よっ」と言葉を漏らしつつ立ち上がる。
――臼沢塞:二年――
――宮守女子(岩手)――
――109300――
結果として収支トップで半荘を終えたとはいえ、初出場の二年生ということもあってか、場慣れできないまま半荘を終えてしまったのだろう。
気づかれを隠せないようにしながらも、それでも平然を保ったまま退室した。
「……はぁ」
最後に、不甲斐ないとばかりに嘆息しながら一が席から立ち上がる。自身の席には未だ点棒の表示が成されたままだ。
――これは自分自身の責任で失った点棒の証だ。
(……
――国広一:一年――
――龍門渕高校(長野)――
――92000――
心に、自分自身の思うがままを刻みつけ、国広一は――再起を誓う。
格上相手でなくとも、不調になればデジタルの人は負けないほうがオカシイです。
あとそれと、自分は生まれてこの方嘘をついたことはありません!!!!