咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『精一杯の愚者』

 渡瀬々、彼女には自分とは何かと問われて、即答する答えがある。

 無論、何の繋がりも、柵もない状態での問に対して、ではあるが。――その上で、瀬々は間違いなく、自分に対してこのような評価を下すだろう。

 

 

 つまらない人間、と。

 

 

 生まれてこの方、人と深い付き合いなどしたことはないし、人を好きになったこともない。ムリもないことでは在る。瀬々のチカラは、人を遠ざけざるを得ないものがあった。

 それが渡瀬々を縛り付ける鎖。

 ――それが、渡瀬々という少女を、躊躇わせる楔。

 

 人との付き合いはほどほどに、誰かに疎まれるようなことも、誰かに自分へ踏み込ませるようなこともない。それによって、自分が持つ最低限のものを守ってきた。

 すべてを失ってもなお、答えを知ることが出来てしまう彼女だからこそ、失ってしまったが故の答えは、身にしみてわかっているのだ。

 

 少女は一度、すべてを壊して生まれ変わった。いや、少女の中の自分は未だ生きている。――それは、きっと眠っているだけだ。

 起き上がることを拒み、駄々をこねて布団に頭を突っ込んでいるだけだ。

 

(……情けないな)

 

 今、瀬々の前には何人もの人がいる。――龍門渕透華、国広一に依田水穂、大沼秋一郎や、龍門渕の屋敷を維持するキーパーたちも、瀬々に関わってくる。

 とりわけ、一人の少女は、瀬々の手をしきりに引くものが居る。

 天江衣、彼女はきっと、崩れ落ちた橋の向こうで、瀬々がその橋を飛び越えるのを、今か今かと待ちわびている。

 瀬々はそれに、応えることができないで居る。

 

(……今のあたしは、きっと恵まれてる。信じられないくらい、いろんな人があたしに関わってきてくれる。解ってるさ、答えが考えるまでもなく解るってことは、あたしが取るべき最善の行動も、あたしにはよく解ってるんだから)

 

 瀬々には生まれつきの力がある。それは瀬々を苦しめ、瀬々を人とは違う、別世界に追いやった最大の原因であり、瀬々が守らなくてはいけない最後の自分だ。

 矛盾していると、自分でも思う。しかし瀬々は、このチカラがなければならなかったのだ。

 

 瀬々を作る、という意味でも。瀬々が生きて行くためのもの、という意味でも。

 

(それって、とっても嬉しいことだ。感情だけでなく、感覚すべてがそう行っている。でも、だめなんだよ、あたしは、ダメなんだ)

 

 そっと、卓に載せた右手を握りこむ。――打牌の直後だ、ツモは遠い。周囲の目も、自分の目も、瀬々はどこへ向けているのかわからない。

 

(あたしはそんな、誰かにかまってもらえるほどの人間じゃないから。チカラだけがあって、それのお陰で、生きながらえてきた人間なんだから)

 

 駄目だ、駄目だ、と瀬々は思う。それはきっと、自分自身のことを認められないからそう思うのだ。だれでもない瀬々が、自分を、渡瀬々を。

 

(そんな人間が、不幸自慢をして悦に浸るような人間が、幸せになって、いいものなのか?)

 

 ――瀬々は今、雀卓の前に居る。瀬々を囲むものが居て、そこの輪の中に瀬々が居る。瀬々の手を引く繋がりは、麻雀の繋がりだ。

 麻雀だから瀬々は誰かと繋がっていられるのだ。

 

 それでも、牌を握る手は霞む。

 

 瀬々が今まで、麻雀を手にして来なかったことはまた事実。この、麻雀が当たり前になった世界で、同一の施設に、二つの麻雀教室が日割りで併設されるような事態も珍しくなった時代に、牌に触れて来なかった人間が、こんなずるのようなことをしてもいいのだろうか。

 

 否、そんなはずはない。現に瀬々は、そんなずるではかなわない相手を知ってしまった。一も、衣も、そして秋一郎も、この場でひたすら、勝利に向けて麻雀を打っている。

 

 ――瀬々手牌――

 {二三四五七七九九(・・)④⑤⑥78} {六}(ツモ)

 

 ここで、瀬々の手牌がテンパイに至る。八巡目、ツモ和了を狙うなら、三巡後が最も近い。――それではだめだと、瀬々は歯噛みする。

 

(……追いつけない。あたしのこの手じゃ、だれに追いつくことも出来ない…………っ!)

 

 届かない。それが証明だ。

 わかっている。感じ取るまでもなく(・・・・・・・・・)。瀬々の手は他家には届かない。十一巡? 笑わせてくれる。この場に流れのようなものがあるのなら、間違いなくそれは瀬々に向いてはいない、他の誰かに向いている。

 

 流れや何かを馬鹿馬鹿しいとは思わない。その流れを制し、他人の流れを操るものも居るかもしれない。それでも、瀬々はそれを食い破ってしまうのだ。

 瀬々の保つ力は、そんな支配などお構いなしに答えを示す絶対的なもの。

 

 だというのに、届かない。

 瀬々がどれだけ全力を目指そうとも、それはどこにも届かない。それは誰にも追いつけない。瀬々が急ぎ、足を進める先にも、もう対局者達の姿はない。

 同じ事、何もかも、あらゆるものが。

 

(……そんなあたしが、麻雀をする意味って、なに?あたしにとって、本当の麻雀は、どんなものだ? わかんないな、解るわけ無い)

 

 その折に、秋一郎の手が動く。すぐに瀬々は察知した。その意味は、揚々に知れる。

 

「ツモ、2100、4000」

 

 前局、衣がオヤッパネ和了で秋一郎に肉薄した。しかしそれも一瞬のこと、続く一本場、すぐさま秋一郎は巻き替えす。瀬々の手の届かない場所で、そうして攻防は終えた。

 

 

 ――南一局、親秋一郎、ドラ表示牌「{9}」――

 

 

 この局、その第一打はだれもが平素といってもよい物だった。秋一郎の{一}からのスタートに、衣のオタ風{東}、一の{⑨}、だれもがそのスタートを同一とさせた。

 動きを見せたのは三巡目、衣の打牌に変化が見て取れた。

 

 衣/打{八}

 

 中張牌切り出し、それがよほど必要のない牌でないかぎり、こういった切り出しは手の進行を意味する。この場合、衣のそれは順風満帆たる手牌からこぼれ落ちたものだ。

 

 ――衣手牌――

 {二三四六七八②④⑥2379}

 

 この巡目にして二面子、十全にも程がある手牌だ。――加えて、衣には未だ削り切れない流れがある。跳満和了は、秋一郎の満貫程度で消え去る機運をもたらしてはくれない。

 無論、それを認めないものも、また居る。

 

 動くのは、一だ。

 この打牌、衣の{八}に勢いの好い反応を見せる。

 

「――ポン!」 {八八横八}

 

 次巡ツモ、有効牌、{7}、雀頭の完成をふむ、と吐息一つで納得すると、衣はちらりと一へ目を向ける。

 

(……張っているか?)

 

 その打牌から、一の手牌の特性はしれない。

 

 ――一捨て牌――

 {⑨①西二}

 

 特徴のない打牌だ、しかしここまで、役牌を一枚たりとて晒していないのが気にかかる。もしここに速度を伴うというのなら、一の手は間違いなく役牌バックだ。

 やもすればダブルバックで和了を待ち構えているかもしれない。

 

(……ドラの気配が見えないのが気がかりだ。警戒程度で、差し支えないだろうか)

 

 {9}を勢い良く切り出して、それからその視点を今度は次ツモ、秋一郎へと向ける。――彼の目はこちらに向いていない。

 もとより、衣の変化は十分知り尽くしただろう。この半荘、彼は大局の掌握に成功したと見える。

 

 とはいえ、それを衣が気にするというわけでもないのだが。

 

 彼の手に動きはない、ヤオチュー牌の自摸切りだ。さすがに衣でも、それが不要牌であることはよく分かる。

 ちらりと打牌直後に揺らめく視線。衣はその先を追うことなく、自身の手牌へと意識を向ける。

 

 同時、視点を戻した秋一郎が、同じように手牌へと意識を映していた――

 

 

 意識の先、手牌の様子がよく分かる。少しでも衣を引き剥がさなくてはいけない現状、しかし一度満貫で振り払った以上、無茶はできない展開。

 手牌はそれを表している。

 

 ――秋一郎手牌――

 {一一三七③⑤⑦⑧135白白}

 

 和了ろうと思えば不可能はない、しかしそのためには副露がほぼ必須事項、しかも一の待ちは{發}バックで聴牌しているようだ。

 ドラは現状散っているが、一枚は間違いなく一のもとにある。

 それを踏まえた上で、秋一郎は思考を展開する。

 

 麻雀は誰かが和了るか、誰も和了れずに局が流れることが終局点だ。世界の数多ある雀士が卓につこうと、それは一切替わらない。

 ならば、必然的に和了に最も近い、手を加えなければまず間違いなく和了するというものがその卓の中には必ず一人いて、そしてその一人は今現在、間違いなく衣であるのだ。

 

 ――リーチの危険性が薄い以上、打点が高くなることはさほど無い。それでももし、衣が高い手を和了ってくるのならば、それは間違いなく秋一郎の窮地だ。

 

 潰す必要がある。

 

 視線を向けることなく、自身の意思を観察眼という“隠れ蓑”にしまいこんだ。続くツモ、打牌は空を切り、他者の届かぬ場所で、から回る。

 

 

 動きが明白に顕在化したのはそれから数巡した後の事だった。

 

(――テンパイか、最良であるが、その分気がかりだな)

 

 ――衣手牌――

 {二三四六七八②④④2377} {③}(ツモ)

 

(一の自摸切り強行、手が進んでいないならともかく、その打牌はほぼすべてが中張牌と来ている。まるで、誘い込んで居るようだな。まぁ、最善手は得てしてそういうものだが)

 

 衣/打{④}

 

「――チー」 {横④③⑤}

 

 動いた、秋一郎がここに来て、牌を直接晒した。――ある種当然だ。一は現状既にテンパイが濃厚である。

 

(……これで、再び流れが立ち返るか。――それはつまり、今後の展開を予期させるものに違いないな)

 

 秋一郎の打牌、一の自摸切り、それが流れて、衣の手に、牌がそっと宿る。

 

(……なるほどな。――今が大局の中盤であることを感謝せざるを得ないな)

 

 

「ツモ、ピンツモドラ一は700、1300」

 

 

 ――衣手牌――

 {二三四六七八②③④2377横1}

 

・天江衣  『30200』(+2700)

 ↑

・大沼秋一郎『42600』(-1300)

・渡瀬々  『7700』(-700)

・国広一  『19500』(-700)

 

 半荘は佳境を迎える。

 衣のツモは和了、最低限の条件は満たしているといえる。しかしそれでも掴んだのは安目、秋一郎の存在が、衣の目前から霞んで消えようとしている。

 一息に飛び出す衣の跳躍。――――猛追が、始まろうとしている。

 

 

 南二局、南三局、一気に状況は揺れ動いた。だれも寄せ付けない和了が続く。――衣が三連続となる和了を叩きだしたのだ。

 一度目はツモ和了。

 

「――1300、2600」

 

 静かな点数申告が、若干の焦りを一に生じさせる。続くは一の親番であるのだ。一の手順は、より一層速度へと(かし)いだ。

 南三局の和了は、件の一が放銃、

 

「3900」

 

 これにより、衣はさらに点棒をケースの中へと収める。荒くなった一の打牌を、掬い取るように三副露、それでもなお追いついた一の押しに、衣は容赦の無い宣告を行ったのだった。

 

 

 ――半荘が、終わろうとしている。

 

 

 秋一郎が、衣が、一が、それぞれの目指すことの許された到達地点に手を伸ばそうとしている。――長かったように思える対局。

 

 しかしそこに、まったく関われていない、者がいた。

 

 渡瀬々、南一局からここまで、彼女はまったくの蚊帳の外に置かれ、和了すら、テンパイすら出来ず、放銃もなく卓についているのだった。

 

 一位大沼秋一郎:41300

 二位天江衣  :37400

 三位国広一  :16200

 四位渡瀬々  :5100

 

 

 ――オーラス、親衣、ドラ表示牌「{七}」――

 

 

 配牌を終える直前、この時、鳴き発声と点数申告以外で初めて誰かの声が卓上に響いた。向けた先は渡瀬々、動いたのは――大沼秋一郎。見かねたように、彼が彼の言葉で、瀬々に向けて語りかけたのだ。

 

「……キミは、どうやら俺たちとは違うチカラを持っているようだな」

 

 直ぐに、ハッとしたように瀬々は秋一郎を見る。若干の怯えと、それを覆い隠す警戒。衣にはそんな瀬々の姿が、ギリギリの極限であると、なんとなく感じた。

 瀬々の素の表情はどことなく遠慮のない。自分の人生を台無しにしたはずのチカラを、生きていくために必要な防波堤とした彼女には、普通の人間にはないふてぶてしさがある。だからだろうか、そんな瀬々の、普段なら見せないだろう敵意に対する感情を、衣はふと、愛おしく思った。

 

(おっと……)

 

 そんな姿に、思わず笑みがこぼれていたようだ。さっと手で口元を覆う。――袂の陰に半月が浮かんだ。周囲はどうやら気づいていないようだ。瀬々と秋一郎。両者の会話に注視している。

 無論、衣も――対局開始間際の、そんな会話に、意識を向けないはずもない。

 

(さて、見かねたか秋一郎。……どうだろうな? 秋一郎には、一体瀬々がどう映る?)

 

 衣と瀬々では遠すぎる。衣には瀬々のように守らなくてはいけない最後の境界線もないし、瀬々のように、強さを自分のものとするずうずうしさもない。

 それは秋一郎も同一であるかもしれないが、それでも、秋一郎には経験がある。

 ならば、彼にはかけられる言葉があるだろうか。

 

「あぁ、いや気にすることはない。俺はキミのそれを悪く思ってはいないさ、なにせ麻雀をやっていればそのくらいよくあること(・・・・・・)なのだからな」

 

 あ――と、思わず声が口元から漏れた。衣の左手に抑えられた三日月型の笑みが、ふとまんまるの満月に変わる。

 気が付かなかった。気づき用がなかった。

 ポカンとしているのは衣だけではない、瀬々と、それから一が、秋一郎の言葉に唖然と口を半開きにしていた。

 

「よくある、こと?」

 

「そうだ、別にキミのような摩訶不思議な雀士はどこにでもいる。キミのチカラなど珍しくもなんともない(・・・・・・・・・・)

 

 麻雀をしていれば、様々な雀風を持つ打ち手と出会うことができるだろう。その中には、あまりにも常識から外れた雀風を持つものもいる。それも、ゴマンと。

 

 思えばそうだ。衣が麻雀を教えることになった友人たちも、そんな不思議な雀士の一人だった。

 瀬々が呆けるのも無理は無い、雀士はあくまで雀士だ。チカラとは雀士の扱う雀風でしかない。とはいえそれはあくまで麻雀の世界でのこと。そうではないただの人が、そんなチカラを使うというのは、不可思議でしかないことだ。

 

 だが、今はそうではない。

 

(……世界には、数多の同輩がいるのだろうな。衣のように、誰かを壊してしまうほどのチカラを持て余すもの、小さなチカラを、本人の意思と純粋な技術で化け物じみたものへと昇華させるようなもの)

 

 ――瀬々は雀士、麻雀牌を握り、そこに意思を込めるもの。

 

「キミは雀士としてのスタートラインを違えたのだ。人とは違うスタートを切った。それだけだ。雀風は人によって変化する。その一つの例、それがキミだった、というわけだ」

 

(世界は大きく、どこまでも、どこまでも際限なく広がっていくだろうな。それは喜ばしいことであり、楽しみでしかたのないことだ。それでも――なぁ瀬々)

 

「故に、なにも気負うことはない、キミのスタートを、キミの舞台を、否定するものなどいないにきまっている」

 

(瀬々、衣が初めてであった。衣が手を伸ばした世界に、初めてその姿を見せてくれた人。衣の大切な、はじめてのともだち(・・・・)

 

 衣の世界にある、同輩の友ではなく、衣が世界に飛び出して、衣の手で掴んだ友。渡瀬々。彼女は今、きっと悩んでいる。

 ――否、今だけではない、衣と出会ったその時も、きっと、衣が麻雀へと瀬々を誘った時も。

 

(だから、だからきっと)

 

 瀬々は、少しずつ変わろうとしているのだろう。――衣もまた、そうであったように。衣の今のスタイルは、長い時間をかけてゆっくりと身につけていったものだ。

 

 だから衣は思う。瀬々の姿を眩しく感じながら、そんな瀬々の変化に、想いをはせる。口元に隠した笑みを、そっと、慈愛に満ちたものへ変えながら。

 

 

(――衣のはじめて(・・・・)は、永遠だ)

 

 

「さぁ――半荘に戻ろう。衣、くれぐれも、手を抜いて俺をがっかりさせるなよ?」

 

「衣が入った途端、他者との絶対性が崩れた秋一郎が、吠えるじゃないか」

 

 そうして、舞い戻る。対局は、まだ終わっていない。

 瀬々の目は、麻雀牌へ向かっている。――瀬々はこのオーラス、どんな選択を答えとするだろう。

 

(なんであれ、勝者は衣だ、それだけは衣自身が絶対にする――!)

 

 ――衣/打{1}

 

 素直な打牌だ、即座に選択肢、理牌を高速で終えていく。

 ――直後の秋一郎も、オタ風{東}を切り出し理牌へと移る、続く瀬々、これもまた打牌は{白}、違和感はない。

 

 一/打{二}

 

 衣/打{北}

 

 秋一郎/打{9}

 

 瀬々/打{發}

 

 

 ――ふと、一はそっと手を止める。

 

(こうなると……こうかな?)

 

 ――一手牌――

 {()九②②④⑤⑧⑧⑨3南南中} {()}(ツモ)

 

 一/打{九}

 

 振るった手の右方から、衣の手が伸びる。それによるツモは、どうやらお眼鏡にかなったようだ。すぐさま次を切り出し、秋一郎のツモ番へと移る。

 

 

 幾らかの時間がたっただろう。それを正しく表現することは適わないが、秋一郎はふと、疑問を視線に込める。

 見定めるように、捨て牌へと意識を向けた。

 

 その先にあるのは現状秋一郎を追いかける状態にある衣ではない。現状衣の手は秋一郎の手よりも一歩遅れている。鳴きで仕掛けない限り、和了を制するのは秋一郎だ。

 それにその場合は、秋一郎もまた鳴いていけばいい。

 ――気になるのは、衣ではない。

 

 渡瀬々、彼女の捨て牌は、どうも違和感に思えた。

 

 ――瀬々捨て牌(「{1}」手出し)――

 {「白」「發」白「1」「9」北}

 {八「①」東東「東」}

 

 ドラの自摸切りからして、すでに手は完成していると見える。となれば東を切った時点でテンパイしているとも思えるが、それならば、なぜ最後の東を手出しした?

 これまでの闘牌から、瀬々は誰かが鳴きを入れない限り無駄ヅモをしないことはわかっている。恐らくは正確にツモの中身が見えているのだろうことも、衣と瀬々の攻防で理解している。だからこそ、これはオカシイと秋一郎は考えるのだ。

 

 だが、捨て牌事態への違和感は皆無であることもまた事実。

 なればこそ、ここで秋一郎は打牌を選択する。現状この手に振り込む意味は無い。ならば、まずは正着としての一打。

 

 それは、直ぐに間違いであるとしれた。

 

 ――打牌の直後に訪れる、選択のミスを知らせる警鐘。もう長らく使われて来なかったそれが、秋一郎に驚愕を伝える。

 

(――これか)

 

 身近な思考のブレが、瀬々へと視線を映させる。その姿は、その表情の意味は、秋一郎にも直ぐしれた。

 

 

「――ロン」

 

 

 和了宣言。

 

 秋一郎が振り込んだ(・・・・・・・・・)のだ。その宣言は、秋一郎のみならず、あらゆるものを驚愕させるにたるものだった。

 開かれるのは瀬々の手牌(・・・・・)。彼女がここにきて、この半荘初めて手牌を周囲へ晒す。

 

 ――瀬々手牌――

 {四四六六六②③④35678} {4}(和了り牌)

 

 

「――1300」

 

 

 ――無軌道にタンヤオを目指す手牌。それが、この対局を終わらせる最後の和了。

 ラス確の和了り。まるで初心者のような自分本位の和了は、その半荘を、秋一郎の勝利という形で終わらせるのだった。

 

 一位大沼秋一郎:40000

 二位天江衣  :37400

 三位国広一  :16200

 四位渡瀬々  :6400

 

 

 ♪

 

 

「――やられたな」

 

 思わず漏らした言葉は、秋一郎の理解による一言だった。

 それを背景に、対局を終えた衣が卓を思わず叩き出しながら、腹を抱えて笑い出す。我慢ならないと言わんばかりに、その声は大げさなまでに盛大だった。

 

「え? ちょ? ど、どういうことですの? 衣、説明がほしいですわ」

 

「簡単だよ、ここ数十年、一度も破られて来なかった秋一郎の放銃率年間ゼロパーセントが、この半荘で初めて崩れたのだ」

 

 ――大沼秋一郎はとにかく堅い打ち手だ。ツモ和了すらさせずに、他家から他家の出和了りへと点数の移動を調整させる巧みさを持っている。

 そんな彼は、ここ数年、放銃ということをしたことはなかった。少なくとも、公式戦で放銃と言うことは今まで無かったはずだ。

 

「で、でも、だったらなおさら瀬々のラス確にああやって振り込むとは思えませんわ! 瀬々は一体どんなトリックを使ったんですの?」

 

 透華の質問は最もだ。――放銃をしない人間が、ふと何を思ったか、瀬々の“不可思議な”打牌に振り込んだ。

 

「ハハ、考慮できるわけがないだろう。普通の人間に、瀬々が麻雀歴二週間の“初心者”であることなど、な」

 

「――あ、」

 

「まぁ、簡単な話だ。瀬々は牌効率など知らないし、役はわかっても、それを目指すための最善手など解るはずもないのだ」

 

 ――このオーラス。瀬々のしたことはごくごく単純だ。それはたったひとつの条件付け。“瀬々のチカラ”を使わない、というものだ。

 結果、瀬々の打ち筋はオカルトチックなモノから、でたらめな初心者の打牌に変わった。初心者の打牌に“理由”はない。雀風もなければ、経験によってどうこうできる領域もない。

 無論、秋一郎であれば、一度でもそれを見破れば振り込むことはないだろう。しかし、渡瀬々への秋一郎が持つ、在る認識が秋一郎の判断を鈍らせた。

 

「……で、でも、それにしたっておかしいですわ。大沼プロは完全に瀬々の事を把握しているかのように振舞っていましたのに」

 

「それだったら単純に、認識違いというものだ。不可思議なチカラに対する負い目を持つものというのはそれなりにいるからな。秋一郎の経験が、瀬々をそういった存在に分類したのだよ」

 

 ようはそれだ。秋一郎の経験が、瀬々の事情をチカラへの負い目だと結論づけた。秋一郎自身、初心者への入門書などに手を付けず、初心者の認識を甘くしていたのも、その大きな原因といえる。

 

 それをなしたのは、秋一郎の言葉だ。――スタートを違えた、彼はそういった。ならば瀬々は一体どんな対応を考えるだろう。

 それは衣にも実際に答えを知るまでは想像もつかないものであったが、合点が行った。

 ――他者のスタートを知ろうとするだろう。したたかで、人と合わせることを得意とする瀬々ならば、そんな自分の得意分野に、答えを見出そうとするのかもしれないと、衣はそう考えるに至った。

 それが事のあらましだ。オーラス、決着を決定づけた最後の一局の、すべての真相だ。

 

「いやしかし、残念だったな。こんな形で決着とは、はは、まぁこれじゃあ勝敗など無意味だな」

 

 衣はそうやって言葉を結ぶ。――若干納得入っていないだろうが、それ以上は透華も追究することが出来なかったのだろう。腕組みをしながら一歩後ろに体を引いた。

 そうして、衣の言葉に聞き捨てならないというような反応をしたものが行動を起こす。――秋一郎だ。

 

「それはオカシイな。どんな形であれ半荘の結果はこうして高らかに示されている。お前の負けだ、衣」

 

「おや? あのような失態を見せながら、高らかに凱旋を語るか? 笑止! そも、衣は瀬々の変化に気がついていたぞ? 秋一郎のような人間の位階に衣はいないのだ」

 

「笑わせてくれるな? こちらの台詞だ。ならばそれすらもねじ伏せてみせるのが闘いというものだ。それに終わった段階でそれを高らかに叫ぶのは、滑稽だぞ」

 

「ふん、衣と秋一郎は嗅覚が違うのだ。衣の心象には瀬々のチカラが確かに描かれているのだ。その感覚が、衣に瀬々の変化を告げてくれたよ」

 

 ――そうやって、泥沼のような言い合いは続いていく。どちらも最後まで引く気がないのは明白であり、それはもはや、周囲から見れば子どもの言い争いとすら見えるようなものだった

 半荘を終えた残りの対局者は、それぞれ苦笑気味にそれを眺めている。牌が散らばった卓上を乗り越えて、そんな二人の様子を見ながら一は瀬々へと体を近づけていた。

 

「なかなか面白い人だね」

 

「……そうだな、なんか初めてみる人種だ」

 

「それはちょっと失礼だよ」

 

「あ、そういやそうだな」

 

 そいやって会話を交わし合って、そんな二人に、そっと後ろから近寄る影がある。依田水穂だ。勢い良く、ガバっと瀬々と一を抱き寄せる。

 

「わ、わわ!」

 

 思わず声を上げて瀬々はそれにあたふたし、一も同様に目を白黒させる。――落ち着くのを待っているのだろうか、水穂は笑みのまま言葉を漏らしては来ない。

 

 やがて二人がすこし恨めしげに目線を向けると、

 

「おっつかれさまー!」

 

 そんな風に水穂は二人をねぎらうのだ。言葉は続く、

 

「それで、瀬々、どうだった?」

 

 ――闘牌の感触を問いかけているのだろう。澄ました目が、優しげに答えを待つ雰囲気を醸し出す。

 瀬々はふと、今も言い合いを続ける衣達と、そして透華、一、水穂へ一度ずつ意識を向ける。

 そして、

 

 

「――――楽しかったです。うん、すごく」

 

 

 ぽつりと漏れた声に、ふと衣が言い争いの口を閉じ、マジマジと卓の岸から瀬々を眺めた。それから、今度は笑みを隠すことなく――

 

「そうだろう? 瀬々、麻雀は楽しいぞ。なぁ」

 

 うん、と。瀬々はそんな言葉に、躊躇うことなく頷いた。自然と漏れた、陰に刺す木漏れ日のような笑み。柔らかく、そして子供らしく在るような、始まりを思わせる素の表情。それがきっと、その日一日の、証明であったのだろう。

 

 

 ――――そうして、その日は終りを迎える。それぞれの感触を、それぞれの感傷を残して、衣の生んだ邂逅は、そっと大団円のように幕を閉じるのだった。




こんな結果になりました、というわけで。
麻雀にはよくあることだからしかたないんです。

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