咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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『狂戦士の切っ先』

 半荘をひとつ終えた。傍目から見ているよりもその卓は緊張にまみれていたのだろう、秋一郎を覗く三者が、半死半生といった様子で倒れこむ。

 普段であれば爛漫としている水穂が、手で体を仰いでほてりを沈めているのが印象的だ。

 

 そんな少女たちに、秋一郎が言葉を投げかける。

 

「よく闘いぬいた……まずはそう褒めておこう。俺を前にするとな、雀士はどうも萎縮するらしい、人間じゃない奴らの気配なんざ、俺は持ってはいないんだがな」

 

 事も無げに言われるものの、しかしそれは、事実と照らしあわせてみればそんなこと、一言たりとていうことはできなくなる。少女たちはそれがわかっているのだ、そしてそれを紡ぐ、秋一郎の言葉の意味も。

 ――秋一郎の言う魔物のごとき所業。対局の行く末を自由に采配し、如何にしても届かないのではないかという鉄壁の剛体性。それを顕にして他者を歯牙にかけないかのような打ち筋。

 それこそ、魔物らしい闘牌といえば、まさしくそれだろう。

 

 そんな闘牌を、大沼秋一郎は人のみでありながらしてみせた。彼の言葉はそこにある。彼がなしたのは特別な存在に依る非凡の麻雀ではない。人が人である以上、必ず辿り着く場所にある、そんな闘牌をしてみせたのだ。

 

「その上で、少しばかり語らせてもらおうか。ではまず、そこの給仕姿のキミから」

 

「え? あ、えっと、はい!」

 

 ただ対局するだけではない、秋一郎の持つ観察眼からくる、アドバイスをしようというのだ。一瞬ポカンとしたものの、すぐさま一は目を輝かせてそれに応じる。

 ――秋一郎曰く、

 

「キミは雀士としては水準以上の物があるだろう。今後ともそれを伸ばしていくといい、その上で考えるべきこととして――キミの麻雀は真っ直ぐ過ぎる」

 

「真っ直ぐ過ぎる……ですか」

 

「愚直、と言い表してもいいのかもしれないな。端的に言えば、麻雀から読み取れる意思が、非常にスマートにこちらへ伝わってくる。……少なくとも、俺のような相手にとってみれば、それはカモというほかにないな」

 

「カモ……」

 

 さすがに、辛辣という他にないだろう。しかしそれでも、秋一郎の言葉ははっきりしている。――彼の言葉の、最も眼を見張るべき点は、その正確性といえる。

 

「無論それを悪いとは言わない、そのような麻雀を打つ以上、俺達のような相手は気性からして苦手なはずだ。ならば、それに対処する方法を身につければいい」

 

 彼の言葉が、全てそのままそっくりアドバイスを受けるものの心中を強引に揺るがす力を持つ。それは彼が麻雀牌を手にとって以来、ずっと感じ取り続けてきた経験的感覚の結論とも言えるものだった。

 

「俺が考えうる対処法は二つ。……なんだか分かるか?」

 

「――搦手を覚えろ、ってことですか? もう一つは……ごめんなさい、わかりません」

 

「一つでもわかれば十分だ。まぁ、俺としてはそちらではなくもう一つ――信念を持つことをおすすめするがな」

 

「……信念?」

 

 小首を傾げて言葉を反芻する。ピンときてはいないだろう。無理もない、少なくともそんなことを意識して、過ごす人生ではなかったはずだ。

 

「簡単だ、信念とは曲げ難い、ひとつの柱のことを言う。ならば、その曲げ難い柱を、ストレートに見せつけられれば、俺達のような人間は、“厄介だ”と思うはずだ」

 

 そうしてから、更に秋一郎は続ける。他者はそれを聞き入っていた。一だけでなく、その場に在るすべての者達が。

 

「打ち筋や、打牌の方法を逐一考える必要はない、もしも自分の中で、心底信じられる物があるのなら、自然と打ち方はそれに準ずるはずだ。故に――考えろ、麻雀に対する自分の心を。なぜ麻雀を打ちたいのか。どんな風に自分以外の三者を打ち崩していきたいのか。そんなことを、明確に答えを出せるようにするのだ」

 

 ――もし、それが自分にとって納得の行くものであるのなら。

 

「――――もしもそれが、自分の中で、腑に落ちる(・・・・・)ものであるのなら、それことがキミの信念だ。それを強固なまでに心胆によって補強し、守り通せ。俺から言えることは以上だ」

 

「…………はい!」

 

 勢い良くハジメが頷いて、それからゆっくりと思考の中へと自身を惹きこませていく。それを満足そうに秋一郎は見送って、そうして他の二名、この場合は依田水穂に目を向けた。

 

「……キミもまた、雀士として及第点を与えることができるだろう」

 

「ありがとうございますっ! そう行ってもらえると、すっごい光栄なんです!」

 

「どういたしまして。……では、キミは自分の麻雀を如何にすべきか、考えたことは在るか?」

 

「え? あ、えっと……あります。団体戦、とか」

 

 そう答えを受け取って、秋一郎は考えを巡らせる。――一瞬その視界の端に、衣の視点移動が映ったが、その先にある、渡瀬々という少女に意識を向けることはなかった。

 おおよその検討はつく、その言葉が、少女にとって何を意味するか。なぜ衣が視線を瀬々に向けたのか。

 

「ならば、改めてそれを見つめなおすことだ。きっとキミはどこかで無茶をしている。そしてそれをわかっているのだ。だからこそ理解してほしい。キミのそれは称賛されるものではある。しかしそれを快く思わないもの――いや、そのものの考えゆえに認められない者が居る。それだけは理解してほしい」

 

「――それは、できません」

 

「……それを決めるのは誰だ?」

 

「私です」

 

 二の句を継がせぬ即答に、秋一郎は黙りこくった。意図を理解できずにいる周囲、それの中にあって唯一人、瀬々だけは顔を暗く伏せて苦々しそうにした。

 彼女のは力がある。周囲はそれを、未だしっかりと理解しているわけではないが、全容をつかめていないわけではない。――特に衣は、その内容はともかく、意味自体は理解できているようだった。

 

「ならば、何も言うまい。……俺はキミの思考も理解できる。悪く思っているわけではないのだ。ただ、それと相反する思考もまた、理解できてしまうのだ。……いや、それはキミもわかっているか」

 

「……はい」

 

「――雀士として、キミに伝えられることはない。キミのチカラを鑑みれば、キミは守りに特化すべきだが、その点に関しては経験以上にキミに教えられるものはない。その点もまた、重々承知してほしい」

 

「わかりました。ありがとうございます」

 

「それでは――」

 

 そこで、秋一郎の目が瞬時に変化した。――衣ですら違和感として拭い去ってしまう程度の小さな変化を、理解したものは唯一人。それを直接向けられた、龍門渕透華のみだった。

 

「最後に、キミもまた十全のチカラを持っている。だからこそ――――キミがどちらを選ぼうと(・・・・・・・・)それはキミ自身に相違ない(・・・・・・・・・・・・)。否定されることはない」

 

 透華に向けて、秋一郎はただ一言だけ残した。言葉に入ったチカラが、一層彼の姿をブレさせる。少女たちは困惑気味の思考を抱え、それぞれに楔を打ち付けられた。

 一雀士として、究極の位階に立つ彼の言葉が、彼女たちに与えた影響はけっして小さくはない。むしろ、本来であれば交わることすらありえない邂逅に、その言葉は無限にも近い糧とすら思えた。だからこそ、少女たちは考える。自身がさらなる前進を遂げるために、最上といえる選択肢は何か。

 

 無限にも思える視界の先、そこにあるものを、己が信じる形に変えて、手にするために。

 

 

 そして、

 

 

「――では、次に移ろうか。衣、俺と打ってくれ(・・・・・・・)

 

 

 再び、秋一郎がその時を動かした。

 単純な依頼の言葉、衣に対してそれを使う。その意味を理解できないものはいない。だからこそ息を呑む。秋一郎が、そして衣が、莫大な何かの固まりを噴出サせていることに。

 

 両者は、そのどちらもが全てを喰らう狂戦士(えいゆう)そのものだ。目前に移るバケモノ(えいゆう)を討たんがために、全てを賭して矛を向ける。

 

 その切っ先が、眼光として鋭く両者を貫こうとしている。次なる対局が――始まろうとしていた。

 

 

 ♪

 

 

 衣と秋一郎が卓に入る。

 その時、同卓するのは果たして誰か。まず一人は前半荘を観戦するだけであった渡瀬々。これは当然だ、ならばもう一人、最後に選ばれる対局者は、既に秋一郎と対局した中の誰かということになる。

 これもまた、すんなりと決まった。

 口火を切ったのは一、透華か水穂を押し、自分は一歩下がろうとしたのだが、それを透華達は認めなかった。

 

「――対局で二着をとったのは一だよ、それくらいのご褒美は許されるんじゃないかな」

 

「それに今日は水穂先輩もいらっしゃいますし、私達は場を提供しているとはいえ、あくまで大沼プロは衣に会いにこられたのです。部外者という立場は対等ですわ。ですからそういったことを気にする必要は全くありませんの」

 

 と、両者が言葉を連ねたことにより、一が対局者として選ばれる事となった。若干の気恥ずかしさを伴って、しかしその眼には力が宿る。

 

 かくして、今日二回目の半荘は、東家秋一郎、南家瀬々、西家一、北家衣、この席順で対局が始まることとなる。

 

 

 ――東一局、親秋一郎、ドラ表示牌「{8}」――

 

 

 揺れ動く手、四者の右手がそれぞれの思惑に乗って、卓上に布石を描き出す。

 

(――さて、できるなら手っ取り早く和了っておきたい。……今、あたしのチカラは知られていないし、他家を利用してくるというのなら、情報を与えない捨て牌にすることがこのプロ雀士の突破法につながるはずだ)

 

 ――瀬々手牌――

 {一三五九②②⑥⑦⑧68西北}

 

 ふわりと、意識の周囲に浮かぶ瀬々の感覚盤が、回転を始める。幾重にも連なった防護壁とも呼ぶべき礫の群れ。やがてひとつの鉄板がゆらりと、あるがままにその目前へとやってくる。それに勢い良く瀬々は平手を打つと――頭部に思考を促すよう叩きつけた右手を、即座に動かす。

 

(……四巡だ。この手であれば、四巡もアレば和了れる、加えて親番、三翻もあれば十分だ)

 

 ――第一ツモ、ここで直ぐに流れが作られる。最初の一打、だれもがそれを意識するし、誰もが自身の勝利を目論む、その上で、最も先を征くのが瀬々だ。

 

 瀬々/ツモ{9}・打{九}

 

 これで、一発を除けばリーチツモドラで三翻、瀬々がチカラを振るえば、その先に見えるものすら看過される。前進される。勝利される。

 それこそが瀬々。――渡瀬々。

 

 くるりと廻る牌の姿が、地上に、空に、あらゆるものにさらけ出される。一つの煌めき、彼女の心身。無限に満ちた選択肢、その直線に並べられた行き先案内図は、瀬々の和了を答えと記す。

 

(あぁ、これだ。この感覚だ。あたしは、これを麻雀と呼ぶ。あたしはこれを、新世界と呼ぶ――!)

 

 続くツモ、瀬々の手は、迷いなく。だからこそ――そこに狙いをつける物があることを、今はマダ、しらない。

 

 

(……瀬々と衣が入った。瀬々は何時だって警戒しなくちゃいけない相手で、更に衣はこの対局には因縁めいたものを持ってる。たぶん、今のボクよりずっと強い。――考えなくちゃ、ボクが如何に、彼女らに対抗していけばいいのかを)

 

 然り。衣がそうであるように、この卓には先程とは明らかに違う、特異な雀士が紛れている。その筆頭たるが渡瀬々、この少女はむき出しの異能保持者であり、それを最も端的に、この場において振るってくるものだ。

 

(警戒すべきは、間違いなく瀬々だ。無論、他の二人の方が多分、瀬々よりも強いんだろうけど、衣達は警戒のしようがない雀士だ。だったら、まずは一番つき崩しやすい方を、相手どっていくしかないよね)

 

 幻惑の雀士、大沼秋一郎に天江衣、この両名を警戒すべきなのはまず間違いない事実。しかし捨て牌に罠を張り、自身の打牌を一とは明らかに違う目線から見通す相手に、打てる手など数少ない。

 対策の打てない相手。むしろその対策が、相手にとってみれば絶好の餌にしかならない相手。それこそが、この二人の最大の強みなのだ。

 

 なればこそ、一はそれを考慮しない。一の打ち方は一の打ち方だ。それを崩してしまっては、そもそも自分の麻雀自体が打てなくなってしまう。

 だから、

 

 秋一郎/打{中}

 

(なんだか動かされているみたいだけれど――)

 

 ――一手牌――

 {一二三九12⑧⑨99白中中}

 

 自身の手牌右端へ手をかけて少し、一の思考が逡巡する。この鳴きで、果たして何が変わるか。問い詰めれば、すぐに答えは見えてくる。だからこそ、ここは動かないという選択肢はない。

 瀬々を警戒する一、というこの図において、ここで鳴かないというのは、一の方針に反する。だからこそ、一はそれを倒さざるをえない。たとえそれが、秋一郎の役字牌生牌切りという、異常事態であったとしても。

 

(――ボクの打ち方は、これが正解の、はずだ!)

 

「――ポン」 {中横中中}

 

 一/打{白}

 

 流れのままに、過ぎゆく秋一郎の牌を、一が勢い良く救い上げる。しぶきが舞うように、跳ね上がった牌は、そのまま勢い良く一の元へと流れる。

 その瞬間、空気が揺らいだのを、果たして一は感じ取れただろうか。

 

 

(……ここまで、か)

 

 自摸った牌を、さほど確かめもせずに自摸切りする。これが当たらないことくらい解る。まさか蚊帳の外にいる自分が、ここに来て悪い流れを引き寄せるとも思えないし、そんなつもりもない。だから、切る。当然それは先程一が切ったばかりの、安牌であるのだが。

 

 衣/打{白}

 

 直後だった。

 勢い良く、秋一郎の手が牌を掴む。叩く音は、嫌に重苦しく響いた。

 

「ツモ、2600オール」

 

・大沼秋一郎『32800』(+7800)

 ↑

・渡瀬々  『22400』(-2600)

・国広一  『22400』(-2600)

・天江衣  『22400』(-2600)

 

(まずいな。衣に流れがない以上、それを引き寄せなければ衣に正気はない。だが、今は秋一郎の元へゲームの流れが完全に向いている。ならばいっその事、衣が勝負に出るのではなく、他家に秋一郎の気配を殺させてみるか……!)

 

 流れる思考。そしてそれは衣だけでなく、悔しげに目元を歪める瀬々と一もまた、高速で考えを巡らせる。――それぞれの思惑が重なる中、秋一郎の手が、そっと積み棒を卓上に晒した。

 

 ――連荘だ、一本場、大沼秋一郎二度目の親番が始まる。

 

 

 ――東一局一本場、親秋一郎、ドラ表示牌「{北}」――

 

 

 この局、進行は明らかに静かなものだった。瀬々への牽制を兼ね、一が早々に自風牌を衣から食い取り、特急券を確保する。――それが最初の動き。

 続々と河に捨て牌が埋め込まれていく中、進行は、ゆっくりとその姿を変質とさせていった。

 

 巡目半ば、衣の顔が歪んだのは、周囲に浮かぶ他者の気配、それが少しずつ膨れ上がろうとする、そんないっときの事だった。

 

(――やられた)

 

 端的に、衣はそう漏らす。

 秋一郎が親番でなければ、どれほど楽な対局だっただろう。彼に振り込もうがそれは局を先に進めるだけ、子と子の関係であれば、衣にとって秋一郎への振込は差し込みと同義、やむを得ない結果と言えた。

 それでも、その言い訳はこの瞬間では無用の長物とかす。

 

(……うすのろめぇっ!)

 

 自分自身への罵倒を、そう終えながら、衣はすぐさま状況を確認した。

 ――序盤の和了でこの局、瀬々は一度テンポを崩しているはずだ。渡瀬々はこの対局中、沈黙したきり動いてはいない。前局のように、和了を目指せるような流れであるのならともかく。

 

 それでもなお四面楚歌。衣を取り巻くのは二対の剣閃。振るい切り裂く鮮烈なる刃は、禍ガ月の如く湖畔に揺らめく、天江衣を穿って貫く。――貫かんと、その射程を陰に定める。

 虎視眈々、狙うは一瞬の不覚。それを成す雀士は二者。――国広一。――――大沼秋一郎。

 

(手牌の安牌を切らされた時点で、ここまでの流れは予期してしかるべきだったな)

 

 感じるのだ、気配を。

 

 ――一手牌――

 {裏裏裏裏裏裏裏} {横二三四} {横④②③}

 

(一の捨て牌に{2}―{3}―{4}周りはない。つまり待ちは{1}―{3}―{4}―{5}のいずれかだ)

 

 視点が勢い良く空を切る。

 衣の視界には、まるで押し寄せるかのような波が広がっていた。川底から巻き上がった水しぶきが、当たりを浸し、衣を冒す。一の劔が、衣のたもとにあるのだ。衣の手は彼女の手から、いかほどにも逃れようがない。

 

 ――衣手牌――

 {11134444699東東(・・)} {6}(ツモ)

 

 ここまで順調に進んだ手、しかしそれが、ここに来て衣を阻むものに変わった。

 

(……カン? いや、衣に今流れはない。むしろそんなことをすれば、他家のドラを増やし打点をあげてしまう。――衣はこのカンで{3}を引いてくる自信がある。ここは、何としてでも一に差しこむしかない)

 

 自摸り四暗刻の一向聴、この手牌は後方から眺めればそのように移るだろう。無理もない、ドラ役字牌二つがかかえの索子染めに、そんな化物のような手すら加わるのだから、

 しかし、衣の目はそれを否定する。衣が感じ取る気配は、紛れもなく他家からのテンパイ気配。衣の持つオカルトとしての感覚と、衣の持つデジタル、あるいはアナログの極みと称される観察眼が、それを正確に彼女へ伝える。

 この場において、衣は狩られることを待つ獲物にして、他ならない。

 

 ――一だけではないのだ。衣を穿つ刃は二対、別方向からの妖しい煌めきに、ツゥ――と、衣の頬から冷や汗が垂れる。

 

 ――大沼秋一郎。彼が、まっさきに衣を警戒し、刃を突きつけている。

 逆風下において、衣はギリッと、敵意満面に歯噛みをした。――澄まし顔で、秋一郎の視線がそれを返す。――躱してみろ、と。

 

衆寡(しゅうか)敵せず。……もとより麻雀において、多勢に無勢は承知のうえだ。が、そこに秋一郎が加わるとなれば、百万の軍勢、百鬼夜行のたぐいであれ、無惨な蛮族になりはてるということか――っ!)

 

 ――秋一郎捨て牌――

 {一⑧四九7②}

 

 ――状況は簡単だ。一と秋一郎、両者からのテンパイ気配を衣は感じ取った。特に一のそれは濃厚で、二副露による速攻から、ほぼ一息のまま和了へと、この場を手中に収めようとする衣、秋一郎に肉薄した。

 そこに、秋一郎からの気配だ。だからこそ、この状況を衣は端的にまずいと、考えた。

 

 ちらりと向かったのは瀬々の捨て牌、しかしそこに、有益といえる情報はない。

 

 ――瀬々捨て牌――

 {⑨八二1一7}

 

(前巡の{7}は手出し。これみよがしに衣の{6}―{9}を誘っている。そうでなくともこの牌は切れない。だとすれば、衣が切る牌は、自ずと限られてくる)

 

 まず、ダブ東のドラドラである東の対子は落とすことは出来ない。更には{四索}、{三索}も一へ振り込む危険性が在る。無論それであれば僥倖ではあるが、まずそれを避けられる選択肢を模索するべきなのだ。

 

(となると、衣が選ぶべきは、この{1}。これであれば喰いタンでなければ和了れないだろう一には当たらないだろうし、秋一郎にとっても苦しい一打のはずだ。だから衣は、この牌を選ぶ。無論、この卓にはとにかく字牌が出てきていない。一がこの手で和了する可能性はあるが――それならば、打点が高くなることもない!)

 

 覚悟の{1}、選んだ牌は衣の手の中を転がって、ゆっくりと卓上へと吸い込まれてゆく。光は伴わない、心は介さない。ただ純粋なまでに直情的な一打。

 その瞬間、衣の手のひらに電撃が奔る。空間が歪み、その姿を変質させたことを、その瞬間、衣はしっかりと感じ取ったのだ。

 

(……な、これは、まず――――ッッ!)

 

 そして、

 

 それに、

 

 

「――ロン」

 

 

 反応し、呼応し、対応するものがいた。

 

 ――大沼秋一郎。

 東発の親が、また、和了った。

 

「――9600は、9900」

 

 ――秋一郎手牌――

 {①①①⑥⑦⑧23東東(・・)白白白} {1}(和了り牌)

 

・大沼秋一郎『42700』(+9900)

 ↑

・天江衣  『12500』(-9900)

 

 理解した。

 否が応なく理解した。させられた、衣はそれを、認めざるを得なくなった。その瞬間を、確かめざるを得なくなった。

 狙われていた。無論それはわかっている。そしてそれが、秋一郎の手によって成されたことも、わかっている。

 だからこそ、それが如何に正確な狙いであるか、衣は感じ取らざるを得なかった。

 

(――――やられた(・・・・)。衣はそもそも、こう考えていたのだ。この手牌、最も安牌に近いといえるのは{3}だ。{四索}が壁になっている上、そもそも{四索}が四枚衣の手に在るのでは一はこの{3}であればそもそも和了ることは不可能。だが、そんな牌、切れるはずがない(・・・・・・・・)!)

 

 折り重なった数牌、しかしその中に、1つだけ浮き上がった異様な牌があったとすれば、たった一巡だけそれが通りうる、そんな牌があったとすれば。

 ――衣はそれを不自然と思う。掴まされたと、そう考える。この場合、衣が手にしていた{3}、それがかく言う衣の“不可思議な牌”だ。

 だからこそ、絶対に切れなかった。切れなかったからこそ、秋一郎はこの手牌を読んでいた。

 

 それから衣は、ちらりと瀬々の捨て牌を眺めながら、考える。

 

(既に{1}は衣がすべて抱えている。つまり、衣の手牌からしか{1}は出で来ない。{4}もそれはまた、同じ。衣だけを狙った捨て牌。……この一瞬であれば、確実に上をいかれた、か? ――――否、刹那のみが麻雀ではない。上回ってやるさ、衣が、何としてでも、秋一郎を!)

 

 

 決意新たに、東一局一本場、一が動く。

 瀬々からの鳴きが瀬々を揺さぶり、衣が、秋一郎が、手を加えるよりも早く決着をつけるに至った。――一の和了によるものだ。

 

「――1900」

 

 静寂を体現するかのような消え去り気味の点数申告、流れる対局――東一局は終わり、続く東二局を迎えようとしていた。

 

・国広一  『24300』(+1900)

 ↑

・渡瀬々  『20500』(-1900)




秋一郎二戦目その1、三回くらいになりそうです。

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