咲 -Saki- 天衣無縫の渡り者   作:暁刀魚

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――Prologue――
『昼の月は天蓋をかざす』プロローグ


 春に、桜が咲いた。

 これからは、それが風を彩り、桃白帯びた新風は、きっとあらたな生活を祝福してくれるのだろう。だれもが希望を抱く季節、誰もが前を見る季節。

 

 ――少女が一人、自分の前をかけて行った。

 

 不思議な少女だ。どことなく西洋人形を思わせるブロンドの髪に何かコスプレの耳に見えるリボン、どこかで見たことが在るような――しかし子ども用の洋服にしか見えないから気のせいだろう――服を着て、少女――渡瀬々(わたりせせ)の目の前を通りすぎてゆく。

 

 元気なことだ、と嘆息気味に、瀬々は鬱蒼とした表情を隠そうともしなかった。彼女の目には、晴れ渡る晴天が、地獄のような曇天にしか思えないのだ。

 

「……なんだかなぁ、どいつもこいつも楽しそうにしやがって」

 

 思わず漏れた悪態は、誰に届くこともなく消えてゆく。無理もない、彼女の周囲には爽やかでありふれた、家族の団欒が響きわたっているのだから。

 ――ここに、龍門渕を目指す道程に、家族を伴わないのは、見た限りでは瀬々ただ一人だった――それを言えば今眼の前をかけてゆこうとしている少女は一人だったが、彼女の顔を見る限り、どこかに姉がいて、おそらく母親か父親がいるのだろう。そう考えると、いよいよ悪態も激しくなる。

 

「いいよな、どいつもこいつも迷いの無さそうな顔でさぁ」

 

 ――道なんて、誰にもわからないだろうに。

 そんな自分特有な言葉は飲み込んだ。言ってもせんのないことだし、誰かに聞かれて、追求されても困る。言い訳に、変な論説をかますつもりは毛頭ない。

 

 言っても意味のないことならば、言わないに越したことはない。

 それは瀬々の十五年という短い人生の中でも、重々承知してきたことだ。否が応なく、理解させられてきたことだった。今更、それに心をとらわれるようなことはない。

 

 それでも、

 

 ――その一時は、まるで止まったような瞬間だった。

 瀬々自身の認識が引き伸ばしているのか、はたまたそれ以外の何かがそこにはあったのか。そんなもの、瀬々にはわからないし、語るつもりもない。なぜそうなったのか、そんなこと、瀬々が興味を持つ理由もなかった。

 ただ、それは瀬々にとって、その瞬間はどうしようもなく煩わしかったことだ。

 

 それと同時にそのことは、

 

 

 ――彼女の人生で、絶対に忘れられない瞬間になった。

 

 

(――あれ?)

 

 再三再四、もういちど悪態をつこうかと口を開こうかとした瞬間、ふと、気がつく。

 目を惹かれるように、瀬々は目を見張る。何かに惹かれる自分、それ自体にも、驚愕を覚えて仕方がなかった。

 

 そこには、少女がいた。――はずだった。

 

 しかし、今、自分が見ているのは何だ? 理解はできない、しようがなかった。それもどうにもできないことだ。――なにせ、まるで。

 

 まるでそれは、

 

 

 人ではない、もっと上の何かに思えたのだから。

 

 

(これが、……いや)

 

 自分の中で訴える感覚が、まさしくそれが真実であることを告げる。だが、それは一瞬のこと、彼女はその感覚を認識しない。

 故に、不思議とは思わなかった。

 

 それでも、瀬々は答えを否定する。

 

(それよりも――)

 

 一瞬だった。すぐに感覚は平常へと戻った。自身の中に芽生えた異物に、気がつくこともなく。瀬々は自身の平坦とした思考を回す。

 足取りも、重くはあるが立ち止まってはいない。あくまで平生に、平生に。

 だが、その思考は在る一色に染まっていた。

 

 それは目の前を走り抜けた、一人の少女のことだった。

 

(あの子、今――)

 

 ぐるぐると回る思考。それは答えが明白であるがゆえに、そして単なる一つ――発展のさせようがないものであったために起こったものだった。

 思考は、回る。

 

 

(あたしのこと、一瞬だけ、見なかったか?)

 

 

 道行く足に、硬直の重みを乗せながら。

 

 

 ♪

 

 

 ――龍門渕高校、長野県最大の金持ち校、中高一貫の私立校で、日本トップクラスの漫画高校。――と瀬々は認識している。

 ごきげんようという挨拶が平気で通用し、お坊ちゃま、お嬢様がワンサカあふれている。中にはお付きの人間をここに通わせているものまでいる、と瀬々は聞いている。

 

(……ここ、本当に入学式の会場か?)

 

 そんなことを考えながら、瀬々は退屈そうに席に居座って周囲を横目に眺めていた。――もとより龍門渕は制服に関してかなり自由だ。改造OK色もオーダー可能、中には本当にオーダーメイドで刺繍やら何やらも入れられていたりする。成金趣味ここに極まれり、嘆息が耐えない。

 ちなみに、瀬々は基本カラー――白と黒の二色が基本だ――たる黒のベーシックなもの、全くの無改造で、黒というのはとにかく目立つ、そう、今壇上にて新入生代表――本人は中等部からの繰り上がりだが――を行なっている文字通り新入生の代表も、また。

 

(龍門渕のが逆に目立ってるな)

 

 そう考えながら、向けた先にはアホ毛の目立つ金髪がいた。――龍門渕透華、なんとこの龍門渕高校を束ねる理事長の娘、お金持ちのエースオブエースといったところか。

 

 ――瀬々もまた同一の、龍門渕の中では特徴のない制服であるが、それは瀬々の若干伸ばし放題にしたものの、癖のない髪を肩の当たり一つに結び、凹凸の薄い中学二年、三年を抜け出せない幼児体型――標準的なものだ、第二次性徴はちゃんと伺える――が制服と合わさって、目立たない美を完成させていた。野に咲く華、といったところか。黒いが。

 

(はぁあ、早く終わんねぇかな、終わればまだ見終わってないアニメも見れんのに)

 

 ようやく荷物の搬入も終わり、今日から新生活、まずは日常に慣れていこうということで、いつもどおり積んでいるタイトルの消化から始めようと、瀬々は考えているのだが。

 

(にしても――)

 

 すぐに透華から興味を逸し、瀬々は改めて一人の少女を見やる。――先ほどからずっとそうしていたから、おそらく向こうも気がついているだろう。

 というか、気づかないほうがおかしい。

 視線を向けているのは、瀬々だけではないのだから。

 

(なんだあれ、小学生かよ)

 

 ――名は知らない。しかしその見た目だけで、彼女は十分意識を引いた。

 見た目からして小学生ほどでしかないような体躯に、整いすぎたこの世のものではないかのような顔立ち、見れば見るほど引きこまれそうな彼女が浮かべるのは、子供のような無垢さだ。

 不思議な少女。

 

 だが、いよいよ持って、瀬々を引き寄せるのは、彼女が向けた意識の先にあった。

 

(……なんかさ、あたしの方見てるんだけど、可愛いけどさ、なんか……いやだな、あれ)

 

 純真すぎるからだろうか、それとも、瀬々自身何かを感じているからだろうか。――おそらくそれらはすべて正解なのだろう、瀬々は思考に違和感を覚えない。

 だからこそ、彼女は悩みをぐるぐると回し続けるのだった。

 

 

 ♪

 

 

「――それでは、皆さんに自己紹介をしてもらいましょう」

 

 龍門渕高校は中高一貫校である。故に繰り上がりで中学から上がってきた人間も多く、顔見知りのグループは多い、しかし、高校からの編入生が一定以上いるのは確かだ。

 例えば瀬々がそうであるし、そして――

 

 

「――天江衣だ。尺を枉げて尋を直くす。至らないことはあるだろうが、その分いろいろなことをしていけたらと思う。これから、よろしくだ!」

 

 

 それは、彼女もおそらくそうなのだろう。

 とにかく特徴的な容姿だ。目を引くし、何より瀬々は居心地の悪さを感じてしょうがない。――なにせ渡瀬々はその苗字からして最後列、席順でもあ行の彼女とは正反対に位置しているのだ。

 そんな彼女が、まっすぐ真逆にいる瀬々を意識しているのだから、それは教室中に伝わってしまうのだ。

 

 明らかに何かを言いたげな目線を向けて、瀬々を見ている衣に意識を奪われながら、自己紹介は順調に進む、瀬々のクラスはその大半が編入生のようだ。

 龍門渕の編入生はスポーツ、もしくはある競技の特待生や就職進学のために進学校を選ぶ者が大半だ、瀬々は後者で、進学のための試験では、実はトップであったりする。

 

 そして――

 

「渡瀬々です。あーっと、頑張って勉学に励もうと思います、よろしくお願いします」

 

 趣味などはあまり人前では堂々と言えないために、ほとんど無味無臭の内容になった。進学のためにここに来ている、というのはなんとなく知れているだろうし、勉強が趣味であると思ってもらえれば行幸か。

 

(目立つようなことはしたくないしな)

 

 すでに、天江衣という少女のせいで半ば崩れかけている方針であるが、瀬々の目標はこの高校生活を、のらりくらりとやり切ることだ。

 

(さぁて、そろそろ帰りますかね)

 

 自己紹介も、大体の行事も終わった。あとは教師が帰りを告げそれでおしまい。瀬々は早々に帰り支度を始めるのだ。――が、

 

 

「少しいいか?」

 

 

 すでにあらゆる行事も終わり、自由に解散が可能となった時刻、瀬々に話しかけるものがいた。

 

(あーはいはい、やっぱり来ますよね、そうですよね)

 

 めんどくさそうに考えながら瀬々はわかりきっていた答えに嘆息する。こんなの感じ取るまでもない、考えればすぐに、衣が行動を起こすことくらい予想がついた。

 

「……なんですか?」

 

 敬語は、この場合相手を敬って使うのではない、相手を遠ざけるのに使うのだ。瀬々には自分のことばに生えた刺を、なんとか覆い隠す程度の繕いしか、できなかった。

 

「まずははじめまして、改めて自己紹介をさせてくれ。天江衣……今年からここに通うクラスメイトだ」

 

「はじめまして、渡瀬々です。ご用件は?」

 

 急かして、努めて語気を窄める。なんともならない感情は、面倒だ面倒だと信号を告げていた。

 

「うん、じ、実はだな。その、初めて見た時から気になってはいたんだ。他の有象無象とは何かが違うし、えっと、つまり、その……」

 

(――え? なにこれ)

 

 瀬々の思考は無理からぬものだろう。彼女は想像力豊かな方だ。思考が内向的な分、色々な考えが浮かんでは消えていく。――だからこそ、彼女の思考は、ある情景と現在の自分を一致させた。

 ……その情景とは、画面の向こう側、いわゆるパソコンのモニター内での一場面だ。

 

 そう、

 

(えっと、え? これって、その……)

 

 

「――衣と、付き合ってくれ!」

 

 

 愛の告白、ではないだろうか。

 

 

 ♪

 

 

 ――混乱を極めた思考に、冷水を浴びせたのは、名も知れない――天江衣のインパクトで、クラスメイトの名前は綺麗サッパリきえさってしまった――クラスメイトだった。

 衣はかわいい。小動物的な、いわゆる少女が好む容姿をしている。好みがどストライクなものがいれば、衣に接触を図りたいものは多くいただろう。

 そんな彼女たちが、衣の爆弾発言を契機に集まってきたのだ。

 

 やんややんや、女子三人よれば姦しい。やれそれは愛の告白だ。やれ子供かわいい。やれ子供じゃない、衣だ――最後は、衣自身の言葉だが。

 一気に賑やかになったクラスは、ある種一つの団結を見せようとしていた。

 

「あ、あの、瀬々ちゃん!」

 

 クラスメイトの一人、キリッとした顔立ちは印象そのままに、グループ内のまとめ役という立場になりやすいのだろう少女が、そんな喧騒を眺めていた瀬々の前にたち――

 

「一緒に、守っていこうね!」

 

 そんな風に、固い握手を求めてきたのだ。

 面倒だ、冗談じゃない――というのは思考の隅にさておいて、クラスの中で浮かない程度の立ち位置を確保できたらしいことに安堵しながら、瀬々はとびきりの愛想笑い――普通に可愛い――を浮かべて、それを握り返すのだった。

 

 ――喧騒がやんで、各家庭の事情により、多くのものが帰宅するらしい。残るものも、おそらくは部活に所属することを最初から約束させられているのだろう、あっという間に自身の目的のため、その場から消え失せてしまった。

 残ったのは瀬々と、天江衣の、二人だけ。

 

 ――乱れてしまった髪を涙目になりながらもいじくり回していた衣に、瀬々が声をかけたのはそんな時だった。

 

「あのさ、あんたって」

 

「あんたじゃない、衣って呼んで」

 

「……衣ってさ、だれか保護者、いないの?」

 

「いるぞ? ただ私は遠くから来ていてな、衣が住まう予定の住人とは、ここでは合流しない予定なのだ」

 

「そっか、……あたしも、外で待ち合わせすることになってる」

 

 何気ない会話。角が立たないように、という意志の元ではあるが、瀬々は衣に思いの外自然な笑みを浮かべる。嫌いではないのだ。ただ面倒なだけで、人付き合いは、ほどほどで在る方がちょうどいい。

 

(――親、たぶん両方だろうな。いないってことかな。となると、交通事故か)

 

 こんなふうに、感覚が答えを求める必要もない。

 嫌になる、自然な風体で他人の秘密を瞬く間に暴いてしまう自分自身が。――それを止められない自分の思考が。

 

「だからその、そこまで付き合ってくれないか? ちょっと言葉が足りなかったかもしれないけど、衣は瀬々といっしょにいたいんだ」

 

「……はぁ」

 

 ――流されているようで嫌になる。

 それでも、こぼした嘆息は、単なる呼吸の一つに変えた。断れない。少なくとも、本心から瀬々を求めているのだから、その心は、傷つけたくない。

 

「いいよ、一緒に行こう」

 

 了承する。少しだけ緊張しているようだった衣の顔が弛緩する。――ぱっと、晴れ渡るような青空の顔。眩しいような、羨ましいような。

 

「――うん!」

 

 肯定、衣の声音。

 

(あ――)

 

 その時、瀬々はようやく、青色に塗られた空のキャンパスを、自分自身の目で、天江衣という昼であろうと輝き続ける、月のように絶対的な少女を介して、視界に捉えるのだった。

 

 

 ♪

 

 

 波風を立てに友人付き合い、瀬々の処世術は、ある一定の距離感にある。断りはしない、しかし踏み込ませない。学校の中でだけ位置を保てばいい、わざわざ学校の外にまで、友情は持ち出さない。

 その場限り、そう表するが正解だろう。

 

 しかし、

 

「……あたし、部活はあんまりなぁ」

 

 そうつぶやく瀬々は、結局断れないだろうな、と思いながらも歩を進めていた。

 衣のオシの強さは、まるで子どものようにグイグイと人を引っ張っていく力がある。傍目から見ればそれは魅力だろう、付き合い続ければ、好き嫌いがわかれるだろうが。

 ――とはいえ、それが理由の全てではない。瀬々は押しには弱いが、一線を踏み込ませないことは得意だ。何年もそうして生きてきたのだから、当然といえる。

 

 しかし、断れない。

 

「そうか? 衣には瀬々がすごく楽しそうに見えるぞ」

 

「……ほんと、なんでだろーね。あたし自身、一度も触れたことないはずなのに」

 

 そうなのだ。

 何かが、惹き寄せられてしょうがない。

 面倒くさがり、斜に構えた少女であるはずの瀬々を持ってして、何かがあるのだ。

 

「さして奇々怪々たるものでもないと思うぞ。そういうのは、過程はどうあれ正しいものだ」

 

「……?」

 

 不思議と、疑問が湧いた。別に衣の言葉が意味するところを理解できなかったわけではない。そんなもの、すぐに感覚の処理が終わる。答えを聞かずとも、瀬々は答えを知っている。

 だから、感覚に疑問が追いつかなかったのは、それではない。

 衣の言葉だ。彼女の物言いは、瀬々に意識を迷わせた。

 

(情報が少ない。というよりも……多分あたしは答えを知ってる。ただそれを理解できないだけだ)

 

 例えば二重スリット実験という、人間の観測という事象によってその結果を変える摩訶不思議な現象があるが、それに対して、瀬々は答えを持ち出せない。答えを理解できないのだ。

 

「さて――ついたぞ。奉迎しよう。ここが衣達がこれから所属することになる――」

 

 龍門渕高校、そのどこか豪奢な館めいた校内の一角、その隅に設置された、この高校で特に有名な場所。――編入生の幾らかが、ここに入部することとなる場所。

 

 

「――龍門渕高校、麻雀部だ」

 

 

 ただでさえ荘厳と言える扉は、今の瀬々には、どうにも巨大でありすぎた。

 ――その場所に、何かが在るということを理解して、瀬々は思わず、息を呑むのだ。


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