教師の体を取っている羅豪に対し、紫織は生徒として胸を借りるべく疾走する。
喜悦を描く表情で繰り出される剛腕の破壊力は言わずもがな。
岩肌を砕き地を割るそれを、しかし教主は物ともせずに往なしてみせる。
迫り来る右の拳を左から弾き、外から内に力を加える事で体幹を揺らすことなく外させた。
本来ならば尋常でない速度と腕力でなる拳打の軌道をずらすのは困難極まる。
それは困難を成し遂げた羅豪の腕力もまた、尋常ならざる規模である証拠。
人間の枠より遥かに突出した無双の怪力を保ったまま、高速の右で紫織の心臓を貫く。
怪力無双の正体は彼女の権能、
名が示す通りの金剛力が肉の器を四散させてしまう。
――と同時に。
確かに仕留めた手応えによって生じた隙を、背後より忍び寄ったもう一人の紫織が突き穿つ。
有形でありながら夢幻を体現する神の権能。
石上鉄也曰くの名を、
自己を陽炎と化しその場にないものを映し出す摩利支天法。
神の御業により物理法則をも無視する彼女のそれは、
在るが無い物。
無いのに在る者。
蜃気楼に相応しい実体の幻影創造。
玖錠紫織を捉える事など何人にも不可能である。
そう。
蜃気楼を捕らえる事など何人にも――人間には、不可能なのである。
故に、眼前の相手が羅翠蓮でさえなければ、或いは綺麗に決まっていたのかもしれない。
しかし流石は音に聞こえし
簡単に突かれる隙など持ち合わせておらぬとばかりに、刹那の間も置かず紫織の背後に回り込んだ。
ただの体捌きや立ち回り、高速移動の類では断じてない。
それならば闘神としての属性を得ている蜃気楼が気付かぬ筈がないからだ。
不意を突き返した羅豪より放たれるのは
着撃の方向が前後の違いこそあれ結果は同じく。
人外の腕力と達人の技巧を以って、骨と臓物を磨り潰した。
確かに肝を潰したのだが、羅豪が出した攻撃が焼き回しなら紫織もまた同様に。
こちらもまた新たな像を結んで何事もなかったかのように立っている。
互いの立ち位置は最初に戻っていた。
「実像と虚像の区別なく、ですか。成程これは手の掛かる子弟のようですね」
「そっちこそ、縮地で後ろを取るなんてやってくれるじゃないのお師匠さん」
実際にぶつかった事で互いの手強さを再確認し、両者ともに唇が獰猛な笑みを描く。
「縮地神功・神足通。武林の至尊たるこの羅豪、武術を納めた程度で満足する小物ではありません」
縮地法。
武術における歩法などをそう言う事もあるが、この場合は本来の用法で使われている。
或いは縮地術、或いは神足通、或いは遁甲術。
呼び名や伝承は様々だが、即ち距離を縮め空間を跨ぐ仙道の術法を指す。
「武術を治めた程度、ねぇ? 随分と驕っているように聞こえるけど」
「私とて個々の解釈までは戒めません。王者たるは器の広き傑物、それはそう取る者が狭量なのです」
「……まあアンタ程の使い手に言われちゃぐうの音も出ないけどさ」
本人も言うように、彼女のそれは驕り高ぶっている訳ではない。
態度や口調こそ尊大な物言いだが、それに相応しい実力を持ち合わせている。
強者が強者たるを誇るのは慢心や傲慢ではなく余裕というものだ。
言動に値する偉業ゆえにこそ羅豪は在るがまま振る舞っている。
「さあ続けようか
「いくらでも掛かっておいでなさい」
ひと当て終えて前座は仕舞い。
玖錠紫織の花嫁修業は、いまだ始まったばかりである。
そんな一幕が起こる大陸より野を越え山越え谷越えて。
海の向こうで自分が渦中に巻き込まれつつあるとも知らぬ石上鉄也は、今日も今日とて趣味に全力を費やしていた。
具体的には、恵那の病室が個室なのをいいことに給料で買った高性能ノートパソコンを持ち込み、二種類のゲームをインストールした状態でヘッドホンを渡し、退屈していた
「
巫女さん
彼とて自覚しているが建前と言う物があるのだ。
悲しい大人になったものである。
「鉄也さん、誰に向かって言ってるの?」
「気にしないでいいよ恵那ちゃん。ささっ、それよりも始めて始めて」
「うん――?」
恵那は首を傾げながらも退屈が紛れるならばなんでもいいやと、己の仰ぐ王が推す作品をクリックして実行する。
それは、一人の少女を魔道に染め上げる最後のひと押しであった。
――たとえば、己の一生がすべて定められていたとしたらどうだろう。人生におけるあらゆる選択些細なことから、大事なことまで選んでいるのではなく選ばされているとしたらどうだろう。
機械から紡がれる音は言い現しようのない不気味さを匂わせる。
聞く者を嘲弄しているような、或いは俯瞰して何も感じていないような。
須らく平坦な声音であるが、それが返って妖しい色気を醸し出している。
まあつまり何時もの先割れ……もとい鳥海ヴォイスである。
水銀ウザい。糞ウザい。でもハマる超ハマる。しかしウザい。メルクリウス死ね。
これも愛のある罵倒とは鉄也談。
波旬は死ね(本気)。
同じ罵倒でもこちらは愛も糞もない本音である。
ベッドで上半身を起こして画面を見つめている少女を尻目に、鉄也は思考を回転させる。
清秋院恵那。
性別は女。年齢は満十四歳。
四家の一角、清秋院家の一人娘であり、降臨術師として暴風神スサノオの神力を借り受ける使者でもある。その異能もあって、剣術・呪術ともに日本最強の実力を持つ媛巫女。
神がかりの術を行使すればスサノオの加護により暴風の神威を操り、まつろわぬ神や神殺しの魔王への対抗札になり得る。
加えて神の巫女として、日本一有名と言って過言ではない宝剣・天叢雲劍を授かってもいる。
あの神刀はそれ自体が神獣や従属神と呼ぶべき存在だ。
今も簡易的な神殿に奉納され祀られているが、それがなければ担い手の恵那か主神たるスサノオを求め、現世の空気に当てられて暴走を始めかねない暴れ馬である。
同室でゲームに没頭している少女についての概要。
彼女の戦闘力と諸々の事情を併せて、戦士としての冷徹な思考が結論を下す。
戦友としては些か不足。
しかし配下として、己が黒円卓に座す佩刀の一振りとしてなら申し分ない。
(って、ゲーム布教しながら考える事かよ。なんだかんだ言いながら黒円卓結成に乗り気とか、我ながら度し難いな)
趣味全開で交流しておきながら、醒めた眼つきで少女を見つめる己に自嘲気味な感慨を覚える鉄也。
しかし事は戦いに関する模索。
戦に生きる魔王として心情と離れたところで思考は巡る。
暴風の神威は冥界の腐毒と相性がいい。
たとえ神がかりを使わずとも、彼女のスペックなら他にやれる事も多いだろう。
もし黒円卓に加えるとして、神の巫女たる彼女に相応しい席は――
「――
円卓を割る資格と力を持つ剣の媛巫女。
流石に幕引きの鉄拳と比べれば随分格も落ちるが、それは比べる方が間違っているだろう。
思わず口に出してしまったが、恵那はヘッドホンを着けている。
聞かれなくて良かったと安心した半面、話を切り出す口実が出来なかったと落胆してもいる。
切り捨てることも割り切ることも出来ない自分がもどかしく、度し難い神殺しの性を疎ましく思う鉄也であった。
どうもご無沙汰してます。
なんだかんだで二ヶ月近くも放置していましたが、作中では黒円卓の結成まで秒読みに入った模様です。不定期かつ短文ながら、これからも拙作をよろしくお願いします。