「初めまして教主さん、ちょっと私に付き合ってよ」
大和の英傑と中華の武侠という両者は、自然体を維持しつつも互いに力量を計り合う。
人を超え魔を下し神に及ぶ彼女らは、当然のように相手が無手を得意とすることを悟り合った。
「ほう……拳法家の神ですか。しかし胡乱な、あなたより感じる気は闘神のそれと些かズレる」
「うっわ流石に目聡い」
二百と余年を神魔の闘争に費やした羅濠教主は連戦錬磨。
武術だけでなく法力にも長けた彼女は、持ち前の直感力もあって蜃気楼の違和感を掴んだ様子。
まさに一瞬で見抜かれた女神はというと、ばれたなら仕方ないとあっさりネタばらし。
「まあそうだよ。本来の私は武道家の神じゃないし、この姿だって借り物だ」
「有形にして無形、個にして群――否、正鵠を射るならば単一にして無限と称すべきでしょう。それに通づる幻の如き神は……」
羅濠の脳裏に一節の単語が過ぎる。
有るが無いもの、単独でありながら無限の姿を持ち得るもの。
即ち陽炎。霧の楼閣、蜃気楼。
「――っと、だから凄すぎるってば」
真実を見抜かれた途端、彼女の輪郭が人からズレた。
腕は膨張し青の龍鱗が肉を突き破り、頭蓋には角であろう不自然な膨らみも見えた。
「あ~あ、正体が分かった途端に鱗が生えて来ちゃったよ、まだまだ至らないなぁ」
言って、鉄也から汲み取った情報を想起することで、玖錠紫織という型に己を嵌め直す。
「
やがて体躯は人の骨格を取り戻し、再び端正な東洋人へと移り戻った。
揺ら揺らと移ろう様子を見て教主も確信を得る。
「やはり蜃、その姿は何者かの投影という事ですか」
陽炎を生み出す化生の正体は蜃。
大ハマグリとも、或いは龍とも伝えられる。
原典を知る羅濠の印象は
「正解。だからさ、協力して欲しいんだよ。
端的なその発言に、神殺しは何を見たのだろう。
羅刹の女帝は真意を見定めるように目を光らせる。
「……移ろいの化身が姿を定め、されど揺蕩うその心や如何に?」
問われた神は言葉を探すように虚空を見つめ、ポツリと一つの単語をこぼす。
「花嫁修業、かな?」
どこか照れくさそうにはにかむ蜃気楼。
そうだ、花嫁修業。
自分で選んだ言葉ながら言い得て妙だと自画自賛する。
「私は、あいつのお嫁さんになりたいんだ。あの鋭い綺麗な切っ先に、私の事を写して欲しい。
石上鉄也の剣は真っ直ぐで美しかった。
ただただ愚直に、鮮烈に、振るわれる一刀それぞれに彼の愛が乗っていた。
最後の衝突でそれが分かったから彼女は退いたのだ。
致命傷程度は覚悟の上で、打撃に乗せた力を陽炎の展開に割いた。
よってあの一戦は両者生存の引き分けに終わっている。
相手も権能の簒奪が出来なかった事から、自分の生存を理解していることだろう。
次に会った時に、彼の剣閃はより鋭くなっているに違いない。
魔王の撃剣。神殺しという偉業に隠された愛の宣誓。
刃に乗せられた激烈な意思を感じ取り、どうしても自分のものにしたくなった。
ああ、つまり――
「アイツに恋しちゃったんだよね」
だから、彼を振り向かせるには力が必要なのだ。
あの
彼との神楽で摩利支天に――などという戯れ言はもはや不要。
確固たる玖錠紫織という型を手にして後に、全霊を賭して石上鉄也を打ち破る。
彼の
純正の
否、内に秘め高める姿を括目し、対する女傑も顔をほころばせた。
「武琳の至尊たる羅濠とて、
半歩足を引き僅かに腰を落とす魔教教主。
本当に些細な動きだが、自尊心の高い彼女が戦闘前に身構えたという事実。
拳を合わさずして実力を悟ったというのもあるだろう。
だがこの場合、それ以上に彼女が乗り気だという事が大きい。
そう。そうなのだ。
羅翠蓮はこの
彼女の価値観に合致する乙女の来襲に、その巣立ちを手助けできるという幸運に。
「良いでしょう。この羅濠、あなたの嫁入りに力を貸して進ぜます――参りなさいッ!」
世界一恐ろしい女教師。
「応ッ! まだ名乗れぬこの身でも、拳を届かせて見せようじゃないッ!」
世界一
こうして当事者たる鉄也の知らぬところで、世界一おっかない花嫁修業が始まった。
世界一受けたい授業……ならぬ、世界一受けたくない修行。
そして本編だった筈の嫁アテナより先に教主が登場してしまった件。