Was yea ra sonwe infel en yor… 作:ルシエド
イザークは善人である。
世のため人のために錬金術を使い、世界を知ることで人が繋がる道をずっと探し求めてきた。
きっと未来に人が繋がれると信じ、夢を追い求めてきた。
だが、その想いはとうとう裏切られてしまう。
「それが神の奇跡でないのなら、人の身に過ぎた悪魔の知恵だ!」
善人は当然の帰結としてバカを見る。
それでもイザークが今日までやってこれたのは、理解者が居たからだ。
今は亡き妻、愛する娘、そして奇縁の少年。
されど理解者が居たからやってこれたということは、その在り方は基本的に理解されない在り方であるということでもある。
燕雀安んぞ、鴻鵠の志を知らんや。
俗物な人間に、強い意志で善性を貫く人間の
「裁きを! 浄罪の炎でイザークの穢れを清めよ!」
皮肉なものだ。
世界を知ることで人と繋がることを目指す錬金術師であるイザークが、救いを求めてきた人達に磔にされ、相互理解を求めた相手に焼かれようとしているのだから。
今、イザークの中には裏切られたことへの悲しみがある。
目の前の人々の愚かさへの苛立ちがある。
だがそれ以上に、こうなることを予想できなかった自分の軽率さと愚かさへの軽蔑と、あの時ああしていればという後悔と、"人と人を繋ぐ"という夢を果たせなかったことへの無念、この現実に押し付けられた諦観の方が大きかった。
(……これが、私の終わりか)
死が怖くないわけがない。
イザークにも『生きたい』という気持ちはあり、その気持ちは誰の中にもあるものだ。
それでも人々が自分を罵り、自分を責め、自分の善意を悪意であったと断定し、身に覚えのない罪を炎で裁こうとしている光景は、イザークの心を折るには十分過ぎた。
「最後に何か言い残すことはありますか?」
宗教色の濃い服装を身に纏った男の一人――この村の教会に居た、二人の宗教家の片割れ――がイザークに問いかける。
彼は父親として、最後の心残りを口にした。
「私の子達は関係ない。私以外には手を出さないと約束してくれ」
本当の本当に追い詰められた時、人の本質は出る。
死の間際にキャロルとジュードの身の安全を案じたイザークは、まごうことなく善の人だった。
彼は命乞いすらしなかった。
男はイザークの願いを聞き、頷く。
「いいでしょう。子に罪はない。悔い改めればそれでよろしい」
「ありがとう」
礼を言い、イザークは目を閉じた。
これで後悔はない。二人に最後の言葉を残せなかったことが心残りと言えば心残りかもしれないが、瑣末なことだ。
イザークは理不尽な現実に自分が抱いた感情をゆっくりと噛み砕き、静かに死ぬ覚悟を決めていく。避けられないと諦めた死を、まっすぐに見据えながら。
だがその悲壮な決意も、新たに乱入して来た少年によって打ち砕かれた。
奇術の披露は笑顔で終わると、そう信じる少年が、悲劇の舞台を己の舞台に塗り替える。
キャロルもまた、ハグのショートから脱してジュード達の後を追っていた。
もしも何か起こっていたら、自分が助けないと……そう思う彼女が現場に辿り着いた時、そこでは今まさにジュードが幕を上げようとしていた瞬間であった。
ジュードは人々の視線を集め、五色の
「失った手を補うにはどうすればいいのか」という思考から生み出された、逆説的に言えば"腕を失ったからこそ彼が辿り着けた"、そんな技巧の極致であった。
ジュードが一歩を踏めば、世界が揺れる。世界が揺らぐ。
そしてその場の全員を、彼は別の世界へと招待した。
「これ、って……!?」
たった一瞬。まばたきすらもしていないというのに、キャロルは自分が居た世界がいつ塗り替わったのか、まるで認識できなかった。
それはキャロルに限らないようで、村人達も困惑からか四方八方を見回している。
彼女らは、黄金の宮殿の中に居た。
華美な装飾がなされた黄金と白亜を基調とした宮殿。
それは平凡な村人では足を踏み入れることすら許されない、王の城を思わせる。
宮殿の周囲には何十mもある大きな鏡が重力に逆らっていくつも浮いていて、窓の外の大鏡を見せることで、この黄金の宮殿が縦に1kmはあろうかという巨大なものであることを分からせる。
村人達やキャロルは気付けば宮殿の大きなホールに居て、そこには数えきれないほどのテーブルと、その上に並べられた料理があった。
歓迎、もてなし、パーティー、そういった意図が見えてくる光景。
その中心で、高台の上にてジュードは格式張った口調と動きで、周囲の全てに礼を尽くす。
「ようこそ皆様方、僕の世界へ。お手元の料理は好きに召し上がってくださいな」
うやうやしい礼から始まり、ジュードは会場に並ぶ食事を指し示す。
この場の誰もが、ジュードの一言一言を聞き逃してたまるかと、集中して聞き入っていた。
「錬金術は人を傷付けるかもしれません。
神の御業や悪魔の仕業にも見えるかもしれません。
ですが、使い方を間違えなければそれはあくまで人の仕業です。
皆様方の目の前の料理のようにね」
彼はいたずらっぽく笑い、縛られたままこの世界へと飛ばされてきたイザークを見る。
「イザークさんは料理下手で何でもかんでも黒炭にしてしまうんですよ。
同じ食材を別の人が扱うとこんなにも美味しくなったりもするわけです。
どんなものでも人次第、そしてそれをどう扱うか、扱い方次第というわけです」
なんてこともない言葉。
だがジュードは錬金術の無害さを語るふりをしながら、言葉の節々にイザークの"人間らしさ"を語り、村人達の認識の中に"イザークは人間"という意識をすり込んでいく。
奇術師が「この右手をご覧ください」などの発言を織り交ぜることで、観客の意識を間接的に操るように。それが最後に、彼らの手を止めさせると信じて。
「今日は皆さんを、ここではない別の世界に招待いたします。
錬金術が素敵なものであると知ってもらうために。素敵な夢を、ご覧ください」
少年が一礼をすれば、ぽう、とシャボン玉のようなものが空中に散り始める。
触っても壊れない、ほんのりと香水の香りがするシャボン玉だ。
それがこの空間に満ちていくことで、人々は視覚と嗅覚の両方をほんのりと魅了されていく。
その中の一人が、ハッと我に返って、ジュードに向かって叫び始めた。
「お、おい! 私達は村に帰れるのか?」
「はい、それは勿論。これは皆様を楽しませるためだけの余興でございますので」
「……そ、そうか。よかった……」
その者がほっと一息つくと、ホールのいたる所で食事に手を付ける者が出始める。
「うまっ」
「お、おい! 何が入ってるか分からない料理に手え出すなんて……」
「いやだって腹減ったし……じゃああんたは食わなければいいだろ? その分オレが食うからさ」
「……た、食べないとは言ってないだろ」
どうしても三大欲求には流されてしまうのが人間だ。
ましてジュードが作り上げた料理の数々は、その大半が村人達が食べたことのない料理であり、その実未来の洗練された技術による料理であり、一部はキャロルの料理であった。
文句なしに美味しく、かつ彼らにとっては未知の料理だったというわけだ。
一人が食べ始めて、毒が入ってなさそうだと判断すれば、この場の人間の多くが食欲に流され手を伸ばす。
そして腹が満ちれば、心に余裕や寛容さが生まれるのが人間だ。
物騒な考え方や集団の狂気が『腹が満たされた』という意識に押され、薄れていくのをジュードは感じ取る。
「皆様、お楽しみ頂けていますでしょうか?」
錬金術の基本は理解・分解・再構築。
そして錬金術師が目指す地平は、この世界そのものの理解だ。
世界を理解するために世界を分解することも、理論上は不可能ではない。
世界を理解せずとも、世界の分解を再構築で止めることも、理屈の上では可能なことだ。
だが、もし、世界を『理解』し、『分解』し、望むように『再構築』できたなら―――?
"世界そのものを対象として錬成"できたなら?
その答えが、ここにある。
「さて、次の舞台へと参りましょう」
錬金の術は、世界から世界へと人々を渡らせる奇跡の術となった。
「舞台の幕の数は12。第一幕は黄金の宮殿。第二幕は――」
世界から世界へと移動しているというジュードの言葉を村人の誰もが疑わぬまま、またしても世界が書き換わる。黄金の宮殿が上書きされる。
「――花と妖精の世界で御座います」
次に現れたのは、山もビルも木々もない、四方八方全てに地平線の果てが見える、この世ならざる広大な草原であった。
草原の四割ほどは密集した花畑であり、草原には清らかで心地良い風が吹いている。
草の匂い、花の香りが風に乗り、胸いっぱいに息を吸い込めば、それだけで体の疲れが全てどこかへ行ってしまいそうだった。
春先になると、昼間の陽気についつい居眠りしたくなってしまう時がある。
それに限りなく近い魔性が、この世界にはあった。
眩し過ぎずぽかぽかと暖かい日差し。涼しげな風。横になれば寝心地が良さそうな草原。
既に何人かは、この草原に寝っ転がって寝てみたいと思っている様子。
「どうやらこの世界の住人が、皆様をもてなしたいと思っているようですよ?」
だが奇術師ジュードが、自身の舞台で観客に居眠りなんて許すわけがない。
ジュードが世界に見惚れる人々に声をかけると、人々の前に小さな生き物が現れた。
あるものは羽の生えた手の平に乗るサイズの小さな美少女。
あるものは空中を歩く小さな子猫。
あるものは二つの足で地を歩き、燕尾服とシルクハットで紳士風な服装をした子犬。
「……妖精!?」
「二足歩行の子犬!?」
現実にないファンタジーが、そこにある。
ニーベルングの歌然り、アーサー王伝説然り、古今東西『ファンタジー小説』というものは、多くの人に好まれてきた。
自分達の生きている世界とはまるで違う、幻想の世界。
自分達の生きている現実にはない、"夢"がある世界。
人々は古来より、それらを好んだ。
『ここではないどこか』『素敵なものがあるどこか』を人は求め、夢見る。
ジュードが紡ぐ奇跡の術は、誰もが心の奥底に抱えている"ここではない世界への憧れ"を刺激して、皆に素敵な夢を届けていた。
「やだ、可愛い……」
子犬に対して女性がそう言う。
「ああ、可愛いな」
美少女の妖精に対して男性がそう言う。
両者の"可愛い"にはちょっとしたニュアンスの違いがあるのだが、まあそれは置いておこう。
子犬、子猫、妖精、モモンガ、リス、小鳥といった者達が現れ、人々をこの世界の色んな場所へと導いていく。
ある人は寝っ転がるには最適な場所へ。
ある人はこの世界に広がる広大で美しい湖へ。
そして多くの人達を、この世界の花畑へと連れて行った。
この世界の花畑は、彼らが居た人の世界にある世界中の美しい花を集めた花畑でありながら、現し世には存在しないような花もあるという、幻想の花畑である。
「銀の花!?」
「これ、もしかして、氷の花なのか……?」
「……すごい、この青い花、花びらを空に掲げると、雲が透き通って見える……」
磨き上げられた鏡のように、綺羅びやかに輝く銀の花。
触るとひんやり冷たいというのに、ずっと触っていても溶けない氷の花。
色合いと造詣の美しさのみならず、現実離れした透明感までもを兼ね備えた青い花。
どれもこれもが、現実離れした特性と美しさを持っていた。
そして一部は、美しさだけに留まらない。
「……? 蜜? 飲めってことか?」
妖精の一人が、村人の一人の前に摘んできた花を手渡した。
そして渡さなかった方の花を、村人の前で吸ってみせる。
村人は妖精の真似をして、隣に居た村人の制止の声も聞かずに花の蜜を吸ってみた。
「おまっ、だ、大丈夫なのか!?」
「……甘い。うん、甘い。凄く美味い」
「……本当?」
「本当本当」
ミントとハチミツのいいところを合わせたようなその味は、この時代の人間にとっては衝撃的だった。妖精はまだいくつも花を抱えていて、おそらくはその一つ一つがまた違う味なのだろう。
『味』においても、ジュードは現実に存在しないような素晴らしい物を創造していた。
風に草がざわめく草原を人々が堪能し、次の世界はどんな世界に行くんだろうと、胸を踊らせ始めたそのタイミングで、ジュードは彼らに呼びかける。
「それでは第三幕……と、行きたいところですが。
ここでわたくしから、皆様にお願い申し上げます」
ジュードが丁寧な所作で指し示すは、いまだ縄で縛られたままのイザーク。
「そこの方を、離して頂けないでしょうか?
皆様に楽しんで頂きたいのに、お一人だけ仲間外れというのは心苦しいです」
ジュードが求めたのは、イザークの解放だった。
一部の人間は、解放するわけがないだろうと訝しんだ。
一部の人間は、もっと見てみたかった他の世界を見れなさそうなことに、肩を落とした。
一部の人間は、もっと見たいという気持ちから、解放するかしないかを迷っている様子だ。
そして一部の人間は、解放に踏み切った。
「! な、何やってんだお前!」
「だ、大丈夫だろ……俺達だってこんだけ居るんだから逃げられねえよ。
逃げたらすぐ捕まえればいいだろ? な? お前もそう思うだろ?」
「え、オレ!? ま、まあ、そうなんじゃね? 逃げんのは無理だろ、そりゃ」
ここに集まった人間は、ごく普通の一般市民相応に流されやすい者が多い。
一人がイザークの解放に動けば、二人、三人、十人と加速度的に後に続いて、止めようとする人間を押し切ってあっという間にイザークを解放してしまう。
それも当然。
頭が冷えて判断力が徐々に戻ってくれば、『人殺し』なんて陰鬱になることなんて誰もしたくはないし、『世界旅行』という楽しいことを誰だって邪魔されたくはない。
同調圧力で人間の行動を恒久的に強制することなど、どだい無理な話なのだ。
楽しいことを提供し、人の行動選択を誘導する。
ジュードがしたことは言うなれば、面白いゲームを皆に渡して、町内会の連帯行動をサボらせたに等しい。
「……」
そして、ジュードは一人じゃない。だから彼の思惑も、彼の予想以上に上手くいく。
ジュードは真っ先にイザークの解放に動いた村人の一人と、その村人に続いた村人の一人に目を向ける。その二人はイザークを連れ、人々がジュードに注目してることを利用し、イザークを人の輪の外側へと連れて行っていた。
錬金術を付加したジュードの目には、その二人の正体がよく見える。
『水の錬金術を体表に貼り付けて村人に変装しているガリィ』と、『ガリィが作った水分身』という正体が、よく見えている。
これもまた、民衆の心理を利用した心理誘導だった。
ジュードは村人を煽った瞬間、ガリィの目を見た。
アイコンタクトで彼の意を汲んだガリィは"最初に動いた一人目"と、"一人目に続いた二人目"を演出。一人目と二人目を用意すれば、人々は後は勝手に続いてくれた。
とてもシンプルで労力の少ない一手によって、ジュードはいとも容易くイザークを救い出す。
そしてイザークを積極的に処刑しようとしている数人の意識を逸らすために、間髪入れず第三幕を展開した。
「さて、紳士淑女の皆様方! ここからは更に幻想的な第三幕が始まります! 第三幕は――」
常識を外れた者が殺されるなら、いっそ突き抜けてしまえばいい。
常識を崖とし、そこから一歩外に出ることが死を意味するのなら。
いっそ全力で常識という崖から飛び出して、向こう岸に辿り着いてしまえばいい。
ジュードは異端を裁くはずだったその空気を、規格外の異端によって上から全て塗り潰し、人々を異端の技で魅了してみせた。
イザークはそんなジュードを見ながら、自分に肩を貸してくれているガリィに問う。
「ガリィ君、あれは……」
「ええ。位相差世界の構築、四大元素の流入による世界構築、それらを第五元素で昇華。
つまりは擬似的な世界錬成……"世界の分解"と対になる、"世界の再構築"ですねえ」
ジュードは別の世界への移動だなどと言ったが、彼は平行世界を移動する技など使えない。
彼はこの世界を一枚の下敷きと例えるならば、その上に更に下敷きを重ね、その下敷きに自分なりに美しい絵を書き、それを人々に見せているだけ。
世界の端と世界の隙間の間に、それっぽい空間を作り上げているだけだ。
彼はハリボテの世界を、こことは違う素敵な世界に見せかけているだけだ。
ほんの小規模な世界改変を、広大で雄大な世界に見せかけているだけだ。
彼が作った世界など、10km四方もない小さな世界なのだから。
ジュードはそこで人々に考える間を与えないよう間を調整し、トークで思考を誘導し、このチャチな幻想の庭の正体を見破られないよう、ありとあらゆる手を尽くしていた。
錬金術師でもない、奇術師でもない人間にはまず見破れまい。
奇術とは本来、奇跡でない技を奇跡のように見せかけるものである。
奇跡ではないものを、奇跡へと昇華させるものである。
それゆえに、錬金術を奇跡へと昇華させたジュードのそれは、まごうことなく奇術であった。
「あたしに聞きたいことはそれじゃないでしょう?」
「……小規模とはいえ。これは世界そのものへの理解、分解、再構築に近い。
何の外付け装置もなく、道具の補助もなく、パワーソースもなく、こんなことをしたら……」
「ええ、ガス欠になりますねえ」
「だが現実に、ジュード君は世界を塗り替え続けている」
「つまり、どっかから世界を一つ作って維持するだけのパワーを得てるってわけですね」
だが、これは人の身より生まれし、人の身に余る奇跡。
世界そのものに干渉し、人の心を震わせる幻想の世界を作り上げるほどの力。
そんなものを生み出すとなれば、方法はたった一つだけ。
『想い出の焼却』。
「ジュード君は、この奇跡の対価にどれほどの『想い出』を……!」
奇跡の術で人の心を動かしたいのなら、相応の奇跡を見せなければならない。
大きな奇跡を起こしたいのなら、相応の対価を支払わなければならない。
これほどの規模の錬金術だ。
今、ジュードの中からどれほどの『想い出』が失われているのか、想像するだけで恐ろしい。
取り押さえられた時に殴られて、体が自由に動かない状態でなければ、イザークはすぐにでも飛び出してジュードを止めていただろう。
ジュードが成す奇跡は、人の命を救ったイザーク・マールス・ディーンハイムとある意味同じ。
人を笑顔にする、人の病を治す、という違いはあれど、錬金術により形を成した奇跡だった。
ただ、輝きだけが違っていた。
ジュードのそれには、己の命をも燃やし尽くそうとする人の覚悟の輝きがあった。
それは見る者に夢を見せ、その心を照らす。
どこか夜闇の中で人を導く灯火の輝きに、似た光であった。
「ジュードは最悪、ここで燃え尽きていいとすら思ってるでしょうねぇ」
ガリィはその輝きを、眩しいものを見るような目で真っ直ぐに見つめる。
「誰も悲しまず、全員が笑顔で終われるのなら、それでいいと思ってる。
マスターも、イザークも、ここの村人達も、全部全部。何故ならあいつは」
火の中に飛び込んで行く虫を見る時のような感情を浮かべて見つめる。
「あいつは、前世でずっと愛想笑いで生きていて、他人に本当の笑顔を見せないまま死んだから」
ガリィ・トゥーマーンは、ジュードが笑顔にこだわる理由を知っている。
「誰も笑顔に出来ずに一度死んだあいつは、皆が笑って終わる光景を、誰よりも夢見ている」
キャロルを笑顔にしようとした想い、その根源を知っている。
「それに、何より。アイツは惚れた女のためなら、どんな奇跡だって起こせる男だもの」
奇術の始原たる杯の名を持つ人形は、呆れた顔をして肩をすくめた。
「ホント、頭の中お花畑なんだから」
自分らしく在る少年の輝きを、彼女はずっと見守り続けた。
塗り変わる世界の形は第三幕へ。
「――宝石の砂漠を、お楽しみくださいませ」
妖精の草原の次の世界は、色とりどりに煌めく砂の砂漠だった。
それも、ただ色の付いた砂粒ではない。
「この砂漠……いや、まさか……これ全部宝石なのか!?」
砂漠の砂粒一つ一つが、砂粒サイズまで砕かれた不純物のない宝石。そんな砂漠だ。
近くに見える砂の山は、サファイアの山。
遠くに見える赤い山はルビーの山。
皆が立っている場所の緑はヒスイ、黒はブラックダイヤモンド、紫はアレキサンドライト。
右を見ても左を見ても宝石だらけ。そんな幻想の世界であった。
「すっ、げ……なんだこれ……」
その光景はあまりにも圧倒的だった。
宝石を見たこともない者さえ居るというのに、この世界の地面は全て宝石。
否、地面どころでなく、この砂漠の世界は全てが宝石だけで構成されている。
控えめに照りつける太陽も、宝石を煌めかせるための添え物でしかない。
砂粒の一つを拾って太陽にかざせば、その美しさに魅入られる。
砂を手の平で掬って滑り落としてみれば、それだけで非現実的な美しさとなる。
砂山の上に登って世界を見渡してみれば、それだけで一生想い出に残るような光景を目にすることができた。
「さて、ここらで一つ盛り上げましょうか。皆様方、お手元の傘を差してくださいませ」
ジュードが手首から先が動かない腕を大雑把に振り、皆の手元に傘を創る。
彼の言葉に素直に従い、次は何が来るだろうかとわくわくする人々が全員傘を差したのを見て、ジュードは砂山の一つに向けて腕を振った。
同時に、爆音。
人々の周囲にあった幾つもの宝石の砂山が、一斉にはじけ飛んだ。
「なんだ!?」
人々は一瞬動揺するが、すぐに目を見開いて固まった。
目の前の光景の美しさに対する驚愕が、爆音に対する驚愕のそれを上回ったからだ。
ジュードが引き起こした爆発は、宝石の粒で出来た砂山を舞い上げる。
舞い上げられた宝石の砂粒は太陽の光を乱反射して、大気の中に"芸術"を生み出した。
まるで模様が刻一刻と変化していくステンドグラスだ。
一瞬一瞬の中に今見逃せば二度とは見られない芸術が浮かび上がって、この場の誰もが見逃してたまるかとばかりにその光景を食い入る様に見つめ、その記憶に刻んでいく。
この光景は現実の世界では絶対に見られないほどに美しいもの。
そして舞い上げられ移りゆく宝石の模様は、それぞれがこの一瞬にしか見られないもの。
それゆえに、この瞬間に彼ら一人一人が見た美しい光景は、その人だけが見たその人だけの想い出だ。過去にも未来にも、この光景と同じ光景は一つとして存在しないのだから。
"たった一人しか見ることが出来ない、その人だけの宝物となる美しい景色の想い出"。
それは、つまり――
「『宝石の雨』で御座います」
――これもまた、幻想の景色であった。
宝石の雨が収まると、人々の間から拍手と歓声が上がる。
人々の中には、傘を投げ捨てて宝石の雨をもっと間近で見たかったと思う者すら居たようだ。
美しい歌が言語の壁を超えて人の心を揺らすように、美しい光景もまた人の心を揺らす。
人々の心が『美しい』と感じる気持ちで、一つになる。
美しさへの感嘆で、皆の顔に笑顔が浮かぶ。
それは大昔に"人を繋げるため"に歌や錬金術といったものを生み出した者の予想を外れた、まるで予想していなかった、人と人とを繋ぐ手段。
見る者皆の心を一つに、皆を揃って笑顔にするという、奇術師が目指し続ける境地でもあった。
「続いて第四幕に参りましょう。宝石の砂漠、大地に足を付ける世界の次は――」
そしてジュードはファンタジーの世界に、SFの世界を重ねた世界を生み出し上塗る。
「――御伽の宇宙。作り物の星空です」
気付けば、誰もが無重力の宇宙の中に居た。
困惑の声が上がり、上下も左右もない世界に誰もが戸惑い、息を呑む。
上を見ても下を見ても星空がそこにあった。
輝く太陽、輝く恒星、煌めく満月に煌めく一等星。
現実の宇宙空間では星の光はそのほとんどが見えなくなってしまうものだが、この空間においてはどの星々も鮮やかに輝いており、都合のいい分だけがファンタジーな、そんな宇宙空間だった。
「
一見、星空を忠実に再現しているこの世界。
だがその実、ジュードの趣味全開のファンタジー空間だ。
「やあ、ぼく冥王星! よろしくね!」
「星が喋った!?」
何しろ、星が話しかけてくる。
「!? 何お前星座食べてんの!?」
「いやなんか、食べられるらしい……ちょっと食べてみなよ」
「……金平糖じゃん、これ」
「……うん、口の中に入れると金平糖になるだよ、その辺の星」
しかも、一部の星は食べられる。
村人の一部は彗星に乗って空を駆け回り競争をしたりもしているようだ。
思い入れのある星座を間近で見ている者も居る。
精密に再現された地球を見て、何故か涙を流してしまう者も居た。
これだけ個人個人が思い思いの行動を取ってしまうと、誰が何をしでかすか分からなくなってしまいそうなものだが、ジュードは草原の世界で妖精や動物を数十匹同時に操っていた時と同じように、星々の全てを操作して彼らの行動の全てをコントロールし続ける。
観客の意識の向きを完全に掌握し、舞台のタネが割れないようにすることは奇術師の基本中の基本であるからだ。
そんなジュードに、教会の司祭が話しかける。
この村の教会に所属する二人の人間の片割れだ。
「あなたは……何がしたいのですか? 我々に何を伝えたいのですか?」
司祭の問いに、ジュードはニッコリと笑って口を開く。
「誰の人生の時間にも限りはあります。
ならば好きなこと、楽しいことにたくさん使った方が良いと思いませんか?」
隠しもせず、偽りもせず、少年は本音をそのまま口に出す。
「死後に救いがあったとしても、我々の人生は一度きりなのですから。
嫌いなものをその手で叩くことなんかに、無駄遣いしていい時間なんて無いと思いませんか?」
嫌いなものを嫌いだと騒ぐ時間があるなら、好きなもの、素敵なものを探すために時間を使った方が幸せな気持ちになれるはずだと、ジュードは思う。
「だって、もったいないでしょう?
世界にはまだまだ美しい光景がある。
世界には楽しいことがたくさんある。
好きなものだけを追い求めていても時間は足りないくらいなのに……
嫌いなもののために時間を無駄遣いしてしまっては、人生がつまらなくなってしまう」
だからジュードは、奇術で"人が好きになれるもの"を、"人を楽しい気持ちにさせるもの"を、生み出し続ける。
第一にキャロルのために。第二に、たくさんの人達のために。
「僕はこの力を笑顔のために使いたい。この世界の素晴らしさを伝えるために。
本当に良い世界なんだぞ、と、この世界に生まれた全ての人達に知らしめてあげたい。
他の世界よりずっと良い、こんなにも素敵な奇跡がある世界なんだぞ、と、教えてあげたい。
この世界に夢を持てない人達に、最高の夢を、幻想を、奇跡を見せてあげたいと思っています」
ジュードの思いに呼応するように、星空の星々が煌めき始める。
一つ、また一つとまたたき、小さくとも美しい輝きを見せつける。
それらが幾千幾万と折り重なって、360°全ての方向に星が見えるプラネタリウムとでも言うべき、とても美しい光景を創り出していた。
「皆さんに山ほどの美しい光景をご覧にいれます。
この世界に生まれ落ちた者だけが見れる光景を、沢山見せてさし上げます」
ジュードは心からの想いを言葉に乗せる。
『僕はこの世界に生まれてきたことを、本当に嬉しく思っている』と。
「皆さんがこの世界に生まれてよかったと、今まで生きていてよかったと、そう思えるくらいに」
自分以外の人達にもそう思って欲しいのだと、純粋な想いを言葉に乗せる。
「だから錬金術を使う僕らが危険な人間でないということを、知って欲しい。
あなた達と一緒に生きたいという想いを分かって欲しい。それが、伝えたいことです」
司祭は深く息を吸い、目を閉じ。深く息を吐いて、目を開く。
「……なるほど、それがあなたたちの言い分でしたか」
世界の全てを知りたい、と思うのが錬金術師だ。
されどジュードは、人々に自分達のことを知って欲しいとのたまった。
この世界の全てを知ろうとすることこそが、錬金術師の本懐だ。
だがジュードは、この世界に無いものを一から創り上げている。
この世界の全てを知ったとしても、知りようがないものを創り上げている。
そういう意味でも彼は錬金術師ではなく、どこまでも彼は奇術師だった。
世界を知るために錬金術を使うのではなく、世界を作り世界の素晴らしさを伝えるために錬金術を使っている時点で、彼は本当にどうしようもなく奇術師だった。
ジュードが生む幻想の景色は、未来とのキャロルの旅の中で見た景色が元になったものだ。
21世紀のキャロルがジュードに見せ続けた美しい光景の数々は、ジュードの中に"人が美しいと思うもの"の普遍的感覚を身に付けさせ、また"美しいものはどういうものなのか"というセンスを磨き上げさせた。
この時代においてジュードが美しい光景を創り上げられるのは、未来のキャロルの功績でもあるということだ。
ならば21世紀のキャロルの功績を見ている17世紀のキャロルはどうしているか、というと。
(な……なんでこんなに恥ずかしいの!?)
顔を真っ赤にして、人目につかない場所で蹲っていた。
(なんで、なんで!?)
彼女が恥ずかしがるのも当然。
普通の人には理解できず、優れた錬金術師であるキャロルであるからこそ直感的に気付けたことではあるが……そもそもの話、ジュードの奇術は基本的に全てキャロルのためのものだ。
キャロル以外にも見せるし、キャロル以外の笑顔のためにも使われるが、全ての奇術に共通してその始点には"キャロルのため"という意識がある。
言ってしまえば、ジュードの奇術はそれら全てがキャロルに対するラブコール。
万感の想いを込めたキャロルへのラブレターなのだ。
人を楽しませ、笑顔にするための擬似世界構築も、その根底には"どんな世界だったらキャロルを楽しませられるんだろう"という無意識下の想いがある、と考えれば分かりやすいだろう。
が、渦中の人間であるキャロルからすればたまったものではない。
「うう……」
キャロル自身、何に恥ずかしさを感じているのかまるで分からない。
錬金術師だからこそ、直感的に理解できているだけだからだ。
キャロルはジュードが作り上げる世界の美しさに魅了されている。
時折熱っぽい息を吐いたりもしている。
だが熱中している自分に時々ハッと気づくと、頭をブンブンと左右に振って、キャロルは自分の正気を何とか取り戻すのだ。
(ど、どうしちゃったの、わたし……)
ジュードが生み出した幻想を通して、己が何を聞かされて何に気恥ずかしさを感じているのか、己が何に夢中になってぞっこんになっているのかも気付かずに、キャロルは幻想の世界に魅了され続ける。
見惚れているのか、惚れているのか、熱っぽい頬の理由は果たして如何に。
「予定されていた幕も1/3を終えました。さて、第五幕と行きたいところですが……
皆様方には、この第五幕が終わるまでに考えていただきたいのです。
こんな素晴らしいものを……今でもあなた達は、焼いて消すべきものだと思いますか?」
ジュードの言葉に、人々の間に動揺が走る。
彼はただひたすらに、錬金術を人を楽しませるために、笑顔にするために使っていた。
誰もが悪魔の知恵だなどと思えないくらいに、真摯に誠実に。
それが人々の中に動揺を生む。イザークを疑い、積極的に火刑に処そうとしていた者達ですら、錬金術師が悪であるという認識を揺らがされていた。
「ほんの少しでも、楽しいとは思ってくださいませんでしたか?」
楽しいと一度でも思った者達が揺らぐ。
つまりその一言で、村人全員が心揺らがされていた。
集団の心理を、たった一人で揺らがし変える。これもまた奇跡と呼ぶに相応しい。
「では、始めましょう。第五幕!」
ジュードが声を上げれば、声の波紋が広がるより早く、世界の形が組み替えられる。
「ここは空が海で海が空、そんな世界の港街でございます。
さあさ皆様、空にご注意を! ここでは雨の代わりに魚が降りますよ!」
一見、なんてこともない港町。
だが目を凝らせば、どこもかしこもおかしいのだということがよく分かる街だった。
空を見上げれば、青空に波がある。
海を見れば、海面に雲がある。
「うおわぁ!?」
そしていきなり、ジュードの警告通り、空から魚が降って来た。
「本当に来たぁ!? うわっ!」
「ぶふっ、お前頭に魚乗ってんぞ!」
「うっせぇ!」
すぐさま止んだ魚の雨に、「ああ今のって通り雨だったんだ……」と思い至るのはごく少数。
残りは魚が降るという珍妙な事態に、コントでも見たかのような大笑いだ。
現代で言えばタライの雨が降ったようなものだろうか?
そしてすかさずそこに、奇妙な光景の第二波が来る。
「猫!? ね、猫の波だ!」
それは道路の上、塀の上、屋根の上を駆けて来る猫の大群だった。
それも100や200どころではなく、猫の歩行の振動が重なってドドドドドと地面を揺らしているほどの数、すなわち万単位の猫の大群である。
超シンプルに、奇抜さや物珍しさではなく、圧倒的な数でジュードは観衆の度肝を抜いた。
「猫さんのお食事の時間のようです。
皆様、お手元に魚がありましたら、あげてやってくださいな」
ジュードがそう言うと、村人の一人である女性が近くにあった魚を持ち上げる。
そして目の前の長靴を履いた猫に差し出した。
猫は恭しく礼をして、女性から魚を受け取った後、女性の手の甲にキスをする。
(やだ、可愛い……飼いたい……)
ちょっと時間が経てば、猫に魚の礼として運んでもらったり、懐いてきた猫を肩に乗せる者達がところどころに散見された。
十数匹の猫に背負われて運ばれる経験など、誰も無かったに違いない。
なるほど、ここは空が海で海が空な、猫と魚の世界であったようだ。
「そしてこの世界においては、下から上へと雨が降ります」
皆が一通り猫と仲良くなった時を見計らって、ジュードが時の針を進める。
海が空、空が海であるということは、この世界の雨は下から上に降るということだ。
下から上へと振っていく雨粒を、皆が不思議な気持ちを抱きながら無言で見つめる。
やがて雨は皆の頭上の海に溶け、皆の視線は頭上の太陽に集まった。
「うっわ、ここも凄いな、綺麗だ……」
海の中にある太陽。
海を照らし、海を通して地上に届くまばゆい陽光。
空があるはずの場所にあるのは、中に太陽を内包した宝石のように煌めく海。
これもまた、現実にはない幻想的な光景だった。
「第五幕は、そろそろ終いとなります。
皆様、どうでしょうか? これは本当に、悪魔の知恵が成すものなのでしょうか?」
分岐点が迫る。
ジュードやキャロルが選び、運命が決まる分岐点ではない。
名も無き村人達が選び、ジュード達の運命が決まる分岐点だ。
「錬金術は、皆で寄ってたかっていじめて……
この世から消さないといけないものなのでしょうか?」
やれるだけのことは全てやった。
心を誘導する術は全て費やした。
言葉の節々で"錬金術師も人間だ"という認識を刷り込み続けた。
ジュードは自分にできることを全てやり尽くした。
それでも、決めるのは彼ではなく村人達である。
「我々は、本当に仲良く出来ないのでしょうか?」
錬金術師が人々に受け入れられるかを決めるのは、心強くはない人々である。
「人を焼くのと、この世界と、どちらが楽しい気持ちになれましたか?」
ジュードが問い、沈黙が流れ……やがて一人の男がジュードの前に歩み寄り、手を差し出した。
差し出した手をジュードは取ることが出来ない。
だからその村人は、痛々しく包帯でぐるぐる巻きにされた子供の手を、そっと取る。
痛まないようにと、割れ物を触るようにそっと優しく。
男の後に、女性が続いた。老人が続いた。青年が続いた。少女が続いた。
一人、また一人とジュードに歩み寄り、ジュードに何かを言ってから、彼の手を取る。
何を言っているのか、なんてわざわざ描写する必要すら無いだろう。
錬金術師と村人達が手と手を取り合ったことこそが、千の言葉よりもずっと確かな証明だ。
「お、おい! あんな子供の戯言に……!」
往生際悪くいまだ錬金術師の処刑にこだわる一人が吠えるが、この流れは止まらない。
イザークが諦めるほどに絶対的だった処刑の流れは、今や180°反転してしまっていた。
一人の男が、口を開く。
「怖かったんだ、俺達は、きっと……あの、錬金術ってやつが」
治せない流行り病への恐れ。
それをあっという間に治してしまった錬金術師への恐れと疑惑。
そしてそれらを全て吹っ飛ばしてくれた、奇術師の特大のインパクト。
今や錬金術師に対する恐れなど微塵も無い男に続き、今度は一人の女性が口を開く。
「きっと、あの子に夢を見せられてるのね、私達は」
素敵な夢の中に居て、幸せな気持ちになれていることを、彼女は隠さず口にする。
「でも、さ」
流されるまま人を殺しかねなかった青年が、ジュードを眩しい物を見るかのような目で見る。
「この夢、本当に素敵で、優しいんだ」
村人の一人が、この夢に
「この優しい夢を、信じてみてもいいと思ったんだ……俺たちは」
加害者になりかけていた一人が、信じた理由を語る。
そして一人を除いた村人全員に認められたジュードが、第六幕の幕を上げる。
「第六幕を終えましたならば折り返し!
ここだけの話となりますが、実は前半の六幕より後半の六幕の方が自信ありです!
後半戦は楽しみにしていただくとして、まずは第六幕! ジャックと豆の木だ!」
この時代にはまだ執筆されていない、ジャックと豆の木をモチーフにした幻想が体を成す。
気付けば皆、揃って大きな豆の木の葉の上に乗っていた。
豆の木は人を乗せたままぐんぐん伸びていき、やがて雲を突き抜け雲の上の世界に至る。
そこは宗教の中に語られる天上の国でもなく、リアリティを追求した何もない雲の上の世界でもない、『鳥の世界』だった。
それも全ての鳥が人よりも数倍大きいという、絵に描いたようなファンタジーの世界だった。
ジュードが豆の木から雲に降りれば、彼の足は沈むことなく、雲の上にしかと立つ。
村人達も恐る恐る彼の後に続いてみれば、皆の足も雲の上にちゃんと立ってくれていた。
雲の上に立つ人々の前に、大きな鳥達が忠義をにじませ頭を下げる。
「皆様、お好きな鳥に乗ってくださいませ。これから空の上の不思議な世界をご案内致します!」
そうして彼らは、創られた空の世界の雲の上、空を駆ける幻想に身を委ねるのだった。
これ以上は、この事件の顛末を語る必要はあるまい。
彼は十二の舞台を演じきり、この場の全ての人々の心に、奇跡の術の跡を刻み込んだ。
その後が消えない限り、彼らが魔女狩りで錬金術師を狩ることはもうないだろう。
素敵な思い出が皆を満たしていく。その想い出が、皆を変えてくれる。
たとえ、どこかの誰かが想い出を焼却して無かったことにしたとしても、彼は鮮烈で強烈な想い出を皆の心に刻み続けるだろう
どこかの誰かが奇跡を殺しても、彼はその手から奇跡を生み出し続けるだろう。
どこかの誰かが愛を否定しても、愛を肯定して力に変え続けるだろう。
愛を見て、愛を理解し、愛を終わらせず、力に変える。
奇跡を起こし、奇跡を捧げ、奇跡の術を絶えず操り、笑顔に変える。
どこかの世界に奇跡の殺戮者が居るのなら、この世界には彼が居る。奇跡の紡績者が居る。
奇術師ジュードが居る限り、キャロルとイザークにバッドエンドはありえない。
彼はそういう人間だった。
「さあみんな! 素敵な夢を見よう!」
ジュード・アップルゲイト・ディーンハイムの奇術の後には、笑顔しか残らない。