Was yea ra sonwe infel en yor…   作:ルシエド

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卵が先か鶏が先か。明日が先か昨日が先か

 父アルノーは、家に居る時間が多くはなかった。

 その分、家に居る時はその全ての時間をジュードに注いでくれた。

 ジュードの父と母は一緒に仕事をしていると聞いているが、彼らが何の仕事をしているのかジュードが聞いても詳しい話を聞かせてもらえないため、彼もよく分かっていなかった。

 

「ごめんな。できれば、お前がもう少し大きくなるまではいつも一緒に居てやりたかったんだが」

 

「ううん、大丈夫。気にしてないから。それより新しい技教えてよ、父さん」

 

 ただ、両親が『正義の味方』のようなことをしているのだということだけは、理解していた。

 

「寂しくはないか?」

 

「母さん達が忙しい中でもいっぱい一緒に居てくれるから、そうでもないかな」

 

 母ラクウェルも、家に居ないことは多かった。

 だがアルノーほどではなく、ジュードを育てるために十分な時間を割いてくれていたので、そこにジュードが不満を感じたことは一度もない。

 だがラクウェルには、そこに思う所があったのだろう。

 

 それがもしかしたら、彼女にこの選択を選ばせたのかもしれない。

 世界を転々と渡り歩くアップルゲイト一家は、仕事の都合からか、ひとところに留まることは滅多になかった。

 加え、ジュードも両親がしている仕事が何やら危ない仕事である、ということも感づいていた。

 それに自分を巻き込まないために、両親が気を遣っているということも。

 世界が少しづつ、物騒になっていっているということも、彼は窺い知っていた。

 結果、両親が家を空ける間隔と回数は日々増えていく。

 

 ジュードは二度の人生の経験から、子供らしくない察しの良さを発揮していた。

 両親の仕事が忙しくなり、自分に割ける時間がどんどん減っているのだということも察する。

 近日中に両親が大きな仕事をする予定なのだということも、なんとなく察していた。

 

「ジュード」

 

 ゆえに、母は自分を危険に巻き込まないためにどこかに預けようとしているのだろうと、ジュードは推測していた。

 両親は人の命を救う仕事をしている。

 なればこそ、ワガママは言えない。

 両親に迷惑をかけかねない自分が己の身の安全を第一に考えることこそが、両親に対する最大の助けとなるのだと、ジュードは自分に言い聞かせる。

 だから"その時"が来れば素直に受け入れようと、ジュードは考えていた。

 

 まさか、自分より年下に見える女の子に預けられるとは思ってもみなかったが。

 

「今日からこの人がお前の面倒を見てくれる。

 ……すまない。だが、しばしの間、お前は命の危険がない場所に居て欲しい。

 親の勝手だが、どうか分かって欲しい。一年の間の辛抱だ」

 

「……こんな小さな女の子に?」

 

 小さな女の子、と言われてキャロルが少しムッとした様子を見せる。

 

「誰のためにこんな小さなナリをしていると思っている」

 

「え、誰のためなんだ?」

 

「……どうでもいいことだろう、そんなことは」

 

「えええ……」

 

 そっぽを向いたキャロルを見て、ラクウェルは苦笑する。

 それは、ジュードも初めて見るような母の表情だった。

 

「ジュード、この人を見かけで判断するな。

 30年前事故で孤児になった私を大人になるまで育ててくれたのは、この人なのだから」

 

「さんじゅ……!? え!?」

 

「オレは気まぐれで助けただけだと言っただろう。

 お前の家名が懐かしい響きをしていたから、そうしただけだ」

 

「それでも私は言い続ける。あなたが優しい人だから、私は助けられたのだと」

 

「……ふん」

 

 帽子を深く被り直して目元を隠すキャロルを見て、ジュードはなんとなく"信じられる人なのかもしれない"と思い、母の言を信じることにした。

 

「よろしくね……じゃない。よ、よろしくお願いします、キャロルさん」

 

「いい。敬語も要らん。さん付けも要らん。オレはただのキャロルだ」

 

「……分かった。キャロル、これからよろしくね」

 

 キャロルが差し出してきた手を、ジュードが取る。

 小さくて綺麗な手だな、と彼が思っていると、その思考を察したのか弾くようにキャロルが手を離す。少し気恥ずかしそうに見えたのは、気のせいではあるまい。

 キャロルはラクウェルの方を向き、視線だけで何かを伝える。

 そしてラクウェルが頷くと、キャロルがその場を離れていく。

 

 親子の別れの挨拶のためにこの場を離れ、彼女が時間を作ってくれたのだと、ここで遅まきながらジュードも気付いた。

 

「ジュード」

 

「母さん」

 

 ラクウェルがジュードを抱きしめる。

 ジュードも同じように抱きしめ返す。

 高身長のラクウェルがジュードの小さな体を抱きしめるような形で、親子は抱き合う。

 

「……ずっと一緒に、居たかった」

 

「……僕も」

 

 一分か、二分か。いや、もっと長い時間、二人は抱き合っていた。

 抱擁が愛を伝えてくれていた。

 言葉ではなく、互いの体の暖かさが伝えてくれる愛があった。

 どちらからともなく二人は離れ、ジュードは母を安心させようと口を開く。

 

「いってきます」

 

「……! いってらっしゃい」

 

 母ラクウェルから子ジュードへと向けられる"いってらっしゃい"。

 ジュードは前の人生の中で、親とこういう会話をした記憶さえも無かった。

 だからだろうか。何度言われても、親にこう言われることが嬉しくてたまらなかった。

 

「現地はバル・ベルデだったか。気を付けて行けよ、ラクウェル」

 

「ブラウディアは信用できる男だ。そちらもジュードを頼む、キャロル」

 

「ジュードに助けられるのはオレの方さ。

 前から言っているだろう? オレはこいつの奇跡を借りに来たんだ」

 

「……そうだったな」

 

 頃合いを見て話しかけてきたキャロルがラクウェルに話しかけると、ジュードがその言葉に反応する。

 

「奇跡って?」

 

「お前にやってもらいたいことがある。それだけだ」

 

「僕に奇跡なんて……」

 

「できるわけがない、か?」

 

「うん」

 

 『奇跡』。

 ジュードにはキャロルの言葉だ意味するところがよく分からないが、それでも彼女が大きなことを自分に期待していることは分かるし、自分がそんなたいそうな人間でないことも分かる。

 才ある人間、努力した人間、選ばれた人間、勇気ある人間。

 そういった人間にのみ一生懸命の報酬として与えられるものが、奇跡だ。

 ジュードはそう考えている。

 だから自分が、奇跡から縁遠い人間であると思っているのだ。

 

「この世界の全ての者が信じなくとも、オレだけはお前ならできると信じている」

 

 なのに、キャロルがジュードを見る目には、微塵の揺らぎもない。

 何故か彼女は初対面のジュードを信じている。

 既知の真理を信じるように、彼と彼の奇跡を信じている。

 

「お前を信じている。オレがお前を疑うものか」

 

「―――」

 

 発音の一つ一つが頭に刻み込まれるような強い言葉に、ジュードの心が震える。

 何故心が震えるのかも、何故彼女がその言葉にそれほどまでに強い信頼を込められるのかも分からないまま、彼はキャロルの深い色の瞳に魅入られる。

 母に別れを告げ、父に別れを告げ、キャロルの後ろに付いて行く彼に迷いはない。

 

 必ず母と父の下に帰ると誓う心に、いつの間にか新たな意志が宿っていた。

 

(こんなに期待されて、信じられたのは、初めてだったかもしれない)

 

 キャロルがジュードに向ける信頼は、ラクウェルとアルノーがジュードに向ける信頼と比べてもなお大きい。信頼だけでなく、期待もそうだ。

 誰にも期待しない、誰にも期待されない、平坦な人生を一度送った彼の心が震える。

 

(だから、何も出来ない僕でも……『応えたい』って、そう思ったんだ)

 

 時代遅れと(そし)られようが、それすなわちボーイ・ミーツ・ガール。

 少年はキャロルと出会い、ジュードの人生は少女と出会って初めて動き始める。

 ジュードが前世で見た言葉を用いるのなら、これもまた『運命』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジュードが連れられた先は、欧州のとある一地方だった。

 絵に描いたような秘境に、絵に描いたような隠れ家。

 そこにキャロルの家はあった。

 

「最初に言っておくか。オレは錬金術師だ」

 

「……え?」

 

「蔵書は好きに読んでいいぞ。どうせ使えることはない」

 

 呆気に取られるジュードを置いて、キャロルは家の中に入っていく。

 慌てて追いかけ、彼も彼女の家に入った。

 大きな家には錬金術に関して記した大量の蔵書、錬金術に使うであろう多くの機材が揃えられた実験室、錬金術に用いるらしき膨大な量の材料が収められた倉庫などがあった。

 

(錬金術……)

 

 オカルトチックな話になってきたなあ、と思ったのが彼がここに来た初日の話。

 ファンタジーだー!? 僕の世界こんなんだったの!? と驚いたのがその翌日。

 一週間経てば「錬金術ってなんでもありだなあ」と思うようになる。

 二週間経てば「これもうほとんど魔法だよね」と思うようになっていた。

 三週間経つ頃には「キャロルー洗ったフラスコここに置いとくよ」と言い始める始末。

 何事も慣れ。そして順応力だ。

 ジュードはかなり早いペースで順応したが、まあ妥当だろう。一度死んで生まれ変わったジュードが非科学的なものの存在を信じないなど、ギャグでしかないのだし。

 

「他人に料理を作ったのは久方ぶりだが……オレの料理に変な癖はついてないか?」

 

「ううん、美味しいよ。母さんのより美味しい」

 

「……あの味音痴と比べられてもな」

 

 キャロルが日々ジュードに作る料理も、彼が目を丸くするくらいに美味しいものだった。

 料理も錬金術もレシピ通りにすれば間違いはない、とはキャロルの言。

 本を読んでも錬金術が全く使えないジュードからすれば、理解の埒外の話であったが。

 

「お前にラクウェルの料理下手が遺伝してないことを祈ろう。

 オレの親も料理下手で、それは娘のオレには遺伝しなかったが、皆そうとも限らん」

 

「へえ……どんな人だったんだ?」

 

「……いい人だったさ。その内話すこともあるだろう」

 

 このタイミングで食器を洗い場に持って行くために席を立ったキャロルを見て、ジュードはキャロルの"今はこれ以上聞かれたくない"という意志を感じ取る。

 だからそれ以上は踏み込まなかった。

 皿を持ち、ジュードもキャロルの食器洗いの手伝うために席を立つ。

 

 彼にとってのキャロルはどこまでも、外見に不相応な落ち着きを持った少女だった。

 

 

 

 

 

 キャロルは家に居る時は部屋から一歩も出なかったが、しょっちゅうジュードを引き連れて家を出て、世界を旅して回っていた。

 世界で一番美しい海。世界で一番荘厳な山。世界で一番綺麗な町。世界で一番大きな塔。

 

「わぁ……すっげ……」

 

 キャロルは彼に世界を見せる度に世界を教え、世界の輝きを目に焼き付けさせた。

 美しい景色と共に知識を注ぎ、彼女はジュードを育てていく。

 

「お前と共に世界を回るのも、オレの役目だ」

 

 時に彼らは海の上を行く。

 

「おええ……」

 

「船酔いか。ほら、背中さすってやるから、吐けるだけ吐いておけ」

 

 顔を青くしたジュードを、錬金術で治してもすぐにまたなるから意味は無いと断じ、キャロルが船酔いの薬にビニール袋、背中さすりとレトロな対処を施す。

 海の上にも美しい景色はあったが、海自体初めてなジュードには厳しいものがあった。

 時に彼らは山の上を行く。

 

「……なんか気持ち悪い……」

 

「うん? 高山病か。錬金術でちょちょいと治してやるから待て」

 

 真っ白な雪山を行く中死にそうな顔をしているジュードに対し、キャロルは自分だけでなくジュードの周囲も対象として温度と酸素濃度を調整した領域を作る。

 大気をも操るディーンハイムの錬金術を用いれば、手に何も持たずエベレスト頂上に向かうことすら可能であるが、山自体初めてなジュードには厳しいものがあった。

 時に彼らは治安がちょっとよろしくない発展途上国にも行く。

 

「街のチンピラ風情が、調子に乗るな」

 

「男の僕が居る意味がまるでない……」

 

 街のチンピラにキャロルが絡まれ、ジュードが庇い、ジュードが突き飛ばされ、キャロルの目が細められてから10秒足らずで街のチンピラはムンクの叫びより酷いことになっていた。

 死んではいないのだろうが、チンピラ達も二度と彼らに絡もうなどとは思うまい。

 俗に言うサファリ観光を終え、キャロルとジュードは家に帰った。

 なお、一番見ものだった景色はキャロルVSキャット(ライオン)だった模様。

 

「……うーん」

 

 旅の日常、家での日常。

 二つを過ごしていく内に、ジュードは気付く。

 

「キャロル、笑わないんだよな」

 

 キャロル・マールス・ディーンハイムは笑わない。

 無表情でもなく、感情を顔に出さないわけでもなく、ただ笑わない。

 怒りや不機嫌は顔に出るのに、笑みだけが顔に出てこないのだ。

 それが次第に気になってきて、ジュードは色々と試し始める。

 

「……試してみようかな」

 

 が。

 

「で?」

 

 面白い話をした。が、返って来る反応は全て同じ。

 笑える話をした。が、返って来る反応は全て同じ。

 一発ギャグを披露した。が、返って来る反応は全て同じ。

 変顔など体を張って笑わせようとした。が、返って来る反応は全て同じ。

 何でもかんでも、思いつく限りの全てのことを試した。

 

「で?」

 

 しかし懸命に挑戦する度に「で?」と真顔で言われるのを繰り返されれば、彼のハートにも相当なダメージが行く。

 自信のあるギャグを言ってから、誰にも受けなかったそのギャグのどこが面白いかを解説するという苦行を、何十回と繰り返すに等しい。

 キャロルを笑わせたい。笑顔にしたい。

 そう思うも、彼の持つ技能は彼の想いにまるで付いて来ていない。力不足というやつだ。

 

(心折れそう)

 

 それでも諦めず、キャロルの迷惑にならない程度に、彼は頑張り続ける。

 そしてようやく、その頑張りが報われる時が来た。

 

「……ふふっ」

 

「!」

 

 最後にすがった、父から教わった奇術の技。

 前世でも今世でも彼が好んでいた奇術の初歩の初歩、子供だましのようなそれを見せた瞬間に、キャロルが少しだけ笑ってくれたことにジュードの方が驚いてしまう。

 それでも、キャロルの笑顔が見られたことが嬉しかった。

 だから彼は、その日から奇術の勉強を始めた。

 「あの笑顔をもう一度」という一心で。

 

 その手の本を読み、自分なりに研鑽し、ストリートで技を披露している野良マジシャンを穴が空くほど見つめたりもした。

 そうして初心者なりに見せられる奇術の種類を増やし、彼は笑顔でキャロルの下に向かう。

 手を触れずにテーブルの上の物を動かす超能力。

 何も無い所から紐で繋げた万国旗を出す魔法。

 52枚のカードの中からキャロルが選んだカードを見ずに当てる透視。

 ジュードはいくつもの奇跡の術を披露するが、それらはことごとくキャロルに見破られる。

 

「袖の中に磁石が入ってるんだろう?」

「その旗はここに入っていたんだろう?」

「単純な計算のトリックだろう?」

 

 人に奇跡を見せる術が奇術であるのなら、彼のそれはまだ奇術ですらない。

 キャロルの目には小細工か子供だましにしか見えていないのかもしれない。

 それでも、以前のように「心が折れそう」だなどと、彼が思うことはなかった。

 ジュードが一つ拙い奇術を見せるたびに、キャロルは一つ微笑みを見せてくれたから。

 彼女の笑顔を一つ見るたびに、彼の心は少しだけ満たされていた。

 

 前世でも今世でも好きだった奇術。それが好きな理由が、また一つ増えた。

 

「お前はオレを笑わせる以外にやりたいことはないのか?」

 

 ある日キャロルはそう言った。

 ジュードが何のために頑張っているのか、頭を使っているのか、気付かぬ彼女ではない。

 呆れたように彼女は言う。もっと他にやりたいことはないのか、と含みを持たせて。

 

「今は、それ以外にはないかな」

 

 対しジュードは、"ない"と言う。

 自分が他人を笑顔にできること。

 奇術を披露すれば見ることができるキャロルの笑顔。

 その二つが、彼の心を掴んで離していなかった。

 

 前世ではついぞ自覚しなかったが、彼はどうやら、他人の笑顔のためなら何にだって頑張れる者であったらしい。

 

「お前は変わらないな」

 

 ふっ、とキャロルは目を閉じ笑う。

 嬉しそうに、だけどそれ以上に懐かしそうに話す彼女が、何故か印象的だった。

 

 

 

 

 

 日々は過ぎ去り、気付けば十ヶ月以上の時間が経ち、ジュードも12歳になっていた。

 

 

 

 

 

 キャロルが家の外に出る時は、ジュードを連れて旅に出る時だ。

 錬金術の材料や食料の買い出しもその時に済ませるため、旅に出る時以外のキャロルはずっと家の中に居ることになる。

 ならば家の中で何をしているのかと言えば、彼女はずっと人形をいじっていた。

 

 人形とは言うが、正確には"ジュードが人形だと思っているもの"というのが正しい。

 更に言えば、その人形らしきものはキャロルの体より大きいという、とんでもないものだ。

 十代後半の女性くらいの大きさはある。

 だがあまりにもボロボロで、壊れかけていて、それは人の形をしていない。

 ジュードがそれを人形だと思ったのも、キャロルがそのゴミのような何かを、人の形に近付けようとする過程を見ていたからだ。

 

「おかしいな。オレにこいつを直せないわけがないんだが……」

 

 首を傾げるキャロルに水の入ったコップを渡して、ジュードは彼女に話しかけようとする。

 ちょうどいいタイミングでのそれを受け取り、キャロルは休憩することにした。

 

「キャロル、それは?」

 

自動人形(オートスコアラー)

 

 かろうじて人に近い形に見えなくもない状態のそれを顎でしゃくり、彼女はその名を呼んだ。

 

「錬金術の目指す場所の一つに、自分自身を神に等しい存在へと錬成するというものがある。

 アルス・マグナ、という代物だ。

 万象を知るという錬金術の大望を果たすため、全知たる神にならんとするアプローチだ。

 その過程で錬金術師達が研究を始めたものが自動人形(オートマータ)

 "人未満の人形を人に昇華できたなら、神未満の人間を神に昇華できるのでは?"

 という仮設からなる、存在の昇華術式を求めた『人に近い精神構造の人形』だな」

 

 キャロルが優しげに、その人形らしきものの頭のような部分を撫でる。

 それが本当に人形であるのならば、これは物理的な損壊というより、経年劣化に近いものなのではないかとジュードは思う。

 時間の流れに飲み込まれた大昔の壁画や、錆びて粉々になってしまった金属製品と、"それ"がどこか似ているような、そんな気がしたからだ。

 

「こいつはオレがその研究を自己流にアレンジして作ったもの……の、はずなんだが……」

 

「はず?」

 

「そこは気にするな」

 

 『オートスコアラー』。

 キャロルがオートマータの亜種として作ったものらしいが、どうにも歯切れが悪い。

 何かしらの事情があるのだろうが、ジュードに分かるはずもない。

 キャロルは自分のことを多くは語らないのだ。

 

 そしてキャロルの自信なさげな"自分が作った"という主張をそのまま反映しているかのように、二人の眼前のオートスコアラーは微妙な修復状態を見せている。

 キャロルが作ったのだから、キャロル以上に修理に適任な人間が居るわけがない。

 そのため当然のように、オートスコアラーの大部分は修理を終えられていた。

 にもかかわらず人形は動かない。

 自分が作ったのだと微妙に言い切れていない、今の彼女の様子をそのまま反映したかのように、人形は微妙に直りきっていないということだ。

 

 キャロルは論理的に思考する。

 

「ん? ……そうか、オレが作った『はず』か」

 

 そして理詰めで、一つの可能性に辿り着いた。

 

「ジュード」

 

「そろそろおやつにする?」

 

「違う! この人形、お前が直してみろ」

 

「えっ」

 

「一年間オレの書き溜めた錬金術の研究所と指南書を読んでいたんだ。

 錬金術を使えなくても、知識はあるだろう?

 お前がいじれる範囲でいい。好きにやってみろ」

 

 そうして、何故かキャロルでさえも出来なかった作業を、ジュードが引き継ぐこととなった。

 

「えーと……」

 

 子供特有の小さな手で、二度の人生を過ごしてもたいして専門知識のない頭で、ジュードはオートスコアラーの躯体をいじり回す。

 直せるわけがない、というのが彼の認識だった。

 彼はキャロルの蔵書から吸い取った知識を総動員して作業を進めるものの、直しているのか壊しているのかすら、自信を持って断言することはできなかった。

 どこまでも手探りに、大きく壊さないようおっかなびっくり修理は続く。

 実力不足と、不安と、恐怖と、未知との戦いだった。

 それでも、彼の手は止まらない。

 

 彼の後ろにはキャロルが居る。

 彼女は椅子に座り、膝の上に大きな本を乗せ、ゆっくりとそれを読んでいた。

 そしてその合間合間に、ジュードの作業を見守っていた。

 紙のページがたおやかな指先にめくられ、そのたびに聞き心地のいい音が部屋に広がっていく。

 

 キャロルは一切口を出さず、手を貸さず、ただジュードの背中を見守っていた。

 ジュードもキャロルに助けは求めず、背中に視線を感じながら、ただひたすら目の前の修理(こと)に専念していた。

 合理的に考えるならば、ジュードはキャロルの申し出を今からでも断り、この一件を断念すべきなのだろう。

 されどキャロルが彼の背に向ける視線は、どこまでも"ジュードならできる"という信頼と期待に溢れていた。エスパーでなくとも、背中越しにそれが理解できるくらいに。

 

 ならば、途中で諦めるなんていう格好悪い姿を、男の子が女の子に見せられるわけがない。

 

 ジュードに『できる』という自信はない。

 でも『期待と信頼に応えたい』という意志はあった。

 それゆえに彼は一生懸命に、誠実に、生真面目に目の前の修理(こと)に取り組んでいく。

 前の人生で一度もしたことがないくらいに、必死に。

 

 そして、至った。

 

「……あれ?」

 

 音はなかった。だが"カチリ"と何かがハマる感覚を、ジュードは確かに感じた。

 目隠しでしていたパズルの最後のピースをはめたような、そんな実感。

 それを皮切りに、彼がいじっていた人形のような何かが動き出す。

 

 チリッ、と木炭が焼けるような音がして、それと同時にオートスコアラーが震え始める。

 揺らした(ふるい)から砂が落ちるように、揺れに相応に躯体より光も漏れ始めた。

 振動が光を産み、その光が人形らしきその姿を包み、呑み込んでいく。

 そして光がひときわ強く輝くと、光の中から"少女の人形"が現れた。

 

「んー、グッモーニン」

 

 気の抜けた挨拶と共に、それは二人に起床の挨拶をした。

 青い眼、青い服、青いリボン、黒い髪。

 服装である青と紺のエプロンドレスに、髪の色や眼の色までもが近似色でまとめられていて、人間ではありえないような"服だけでなく容姿までもがデザインされた"印象がある。

 陶磁器のような肌、という人に対する褒め言葉があるが、その少女の肌の色はあまりにも白すぎて、無機物のような印象を受けすぎて、過剰なくらいに人間味を感じない。

 パッと見では普通の人間のようにも見えるが、むき出しの膝球体関節が、その少女が人ならざる者であることを如実に証明していた。

 

「おやおや」

 

 少女の人形はキャロルの顔を見て少し驚いた様子を見せ、ジュードの顔を見てニヤリと笑う。

 

「もうそんな時期ですかぁ、マスター?」

 

「ああ。もうそんな時期だ」

 

 立てた人差し指を頬に当て、少女の人形はウィンクして可愛らしい表情を見せる。

 それだけなら可愛らしいのだが、開いた口の間から覗くどう見ても『食事用』ではなく『戦闘用』な鋭い歯が、ジュードの頬を引きつらせる。

 

「よきかなよきかな。ガリィちゃんの出番ってわけですね!」

 

 少女の人形はうやうやしく、されど過剰に礼儀正しすぎて逆に小馬鹿にしているような姿勢で、お辞儀をしようとする。

 なのだが、その途中で変な動きをした自分の肘を見て、首を傾げる。

 そして不機嫌そうな顔で、ジュードに話しかけた。

 

「ジュード、なんか肘の調子悪いんだけど」

 

「え? 僕名乗ったっけ?」

 

「いーからさっさと直しなさいな」

 

 少女の人形が有無を言わせない様子でジュードに肘を押し付け、ジュードは不承不承了承して人形の肘外装を開き、内部の回線を弄る。

 十分ほど調整を繰り返せば、そこには支障なく稼働する肘と、満足気な少女の人形があった。

 問題が無くなった彼女の体の動きは、まるでバレリーナのよう。

 

「うんうん、悪くない」

 

 その場でくるりと回り、軽やかなステップを踏むと、人形はジュードの額にデコピンをした。

 

「つーかあんた、あたし直すのと奇跡起こす以外無能なんだからそこだけはしっかりしなさいよ」

 

「……僕、君に何かした?」

 

「うんにゃ」

 

「君、僕のこと嫌い?」

 

「うんにゃ」

 

「なんか辛辣じゃない?」

 

「そんぐらい笑って許しなさいよ。むしろ喜びなさい」

 

「性格悪いなぁ君!」

 

 人形は慇懃無礼に、懸糸傀儡のような奇妙な関節の動きで、人のようにお辞儀をする。

 

「『ガリィ・トゥーマーン』」

 

 そして、ジュードに向かって名を名乗った。

 

「性根の腐ったガリィと言えば、あたしでございますよっと」

 

 取り繕わないガリィの笑みは、(ほとばし)る胡散臭さとにじみ出るゲスさに満ち溢れていた。

 

「ま、ほら? 脳内お花畑なあんたにクールな属性のあたしが冷たくするのは当然の成り行――」

 

「ガリィ」

 

「――はぁい、マスター! ガリィ自重します!」

 

「ああ、それでいい」

 

 キャロルはまたジュードを言葉でいたぶろうとするガリィの機先を制し、釘を刺す。

 ガリィも悪い口を開こうとする理由に趣味以上のものはないため、その言葉に従った。

 どう見てもキャロルは愛想が悪く、ガリィは性格が悪かったが、交わす言葉からは両者の間にある確かな信用関係が見える。信頼関係ではない。

 

「マスター、例によって経年劣化が色々とアレですけど」

 

「分かっている。必要なパーツは回収済みだ」

 

 ガリィが自身の内部機関のチェックの結果を報告すると、知っていたとばかりにキャロルが応えて、部屋の隅に置いてあった古い大時計の親指で指し示した。

 

「運命を変えること能わず、時の前後を完結させる、大時計の聖遺物はここにある」

 

「ひゅー、流石マスター」

 

 キャロルが"大時計の聖遺物"を開き、その中から瑪瑙(めのう)に近い色合いの玉を取り出すと、手の平大のそれをガリィに投げ渡す。

 ガリィは口笛を吹きながらそれを受け取り、自分の腹を開いて、その中のくすんだ色合いの玉と取り換えセットした。

 

「はいな、っと」

 

 そして、腹の中の玉を入れ替えるガリィを見て目を丸くするジュードの前に立ち、キャロルはいつになく真剣な表情で口を開いた。

 

「ジュード。お使いを頼んでいいか」

 

「え? う、うん」

 

「この頼み事は少し長くなる。そこは分かってくれ」

 

「いいけど……何をすればいいのかな」

 

 帽子のつばを摘み、目元を隠す。

 キャロルがこの行動を取る時は、少しだけ後ろめたい気持ちを感じている時なのだと、この一年の付き合いでジュードも分かるようになっていた。

 

「それはその時々に適宜『私』が何か言うはずだ。その場に応じて、頼み事を聞いてくれ」

 

「うん、分かった」

 

 ジュードの二つ返事を聞いて、キャロルが微笑みを浮かべる。

 

「ガリィ、頼むぞ」

 

「はいはい、頼まれましたよー」

 

 キャロルの命を受け、ガリィはガシッとジュードの肩を掴む。

 女の子が異性の肩を触るように、ではなく。重いゴミ袋を掴むがごとく。

 

「それじゃ行きましょ。なーに、たった数百年の距離ですよ」

 

「え?」

 

 そしてガリィの体内から、何かしらの機械装置が稼働する音が漏れ、光が放たれる。

 ガリィより発生した光の柱は言葉を発する間も与えず、ガリィとジュードを飲み込んだ。

 数秒後、光の柱が消えた後に残されるのは、キャロルただ一人。

 

「これは『終わり』を告げる『始まり』の光」

 

 キャロルはほうと、深く息を吐く。

 

「今でも信じてる。これは、あの時出逢った懐かしい光だから。……なあ、ジュード」

 

 そして帽子をかぶり直し、その場に背を向け、この場を去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光に呑まれると同時に、ジュードは思う。

 

(この感じ……どこかで……)

 

 この感覚に、覚えがあると想起する。

 

(そうだ……死んだ時……あの時にも、この感じが……)

 

 そして光の中で失神に至っていた意識を、覚醒させた。

 

「―――!」

 

 光に呑まれて途切れた意識。光が消えると同時に戻って来た意識。

 瞼を開いたジュードの目に移ったのは、どこからか落ちて来た金髪の少女だった。

 一も二もなく、彼はその子を受け止めるように胴から飛び込んだ。

 ボディスライディングに近い姿勢で受け止めたため、ジュードの服は汚れ、打ち付けた腹のせいで息はできず、両腕は手首から肘辺りまで酷く擦り剥けてしまった。

 だが、そんなこと飛び込む前から承知の上だ。

 彼が傷付くという代価と引き換えに、落ちて来た少女はどうやら無事に済んだ様子。

 

「い、づ……!」

 

「……あれ? 痛くない?」

 

 苦悶の声を上げるジュードの腕の中で、目を閉じていた少女が恐る恐る目を開ける。

 その少女の顔を見て、少年は目を見開いた。

 

「キャロル?」

 

 その顔も、声色も、同じだった。

 その少女の容姿は、寸分違わずジュードが知るとある少女と同じだった。

 

「わたしのこと、知ってるの?」

 

 だが、違う。

 ジュードの知るキャロルは自分を『オレ』と言うことはあれど、『わたし』とは言わない。

 その違いが、ジュードに"自分の知るキャロルとこのキャロルは違う"という決定的な事実を突き付ける。

 

 彼はまたしても時を遡った。

 

 ここは17世紀の欧州。

 現代においては『暗黒大陸』とすら呼ばれる土地。

 そして、『魔女狩り最後の最盛期』『魔女狩りが終わった時代』と語られる時代であった。

 

 

 


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