「ともかく、導師イオンの案は最終手段といたそう、あははは。まっ、確かに何事にも誠意は肝要……『人のため、チーグルのため、ライガのためにも知恵を出し合いましょう』って話でござる。」
コゲンタは、「うんうん……」と頷きながら言った。そして、ルーク達を見回すと、
「まずは、そうだの……。我ら人が、選べる道は単純に三つだな」
三本の指を立てつつ、語り出した。
「一つ目は、ライガを退治する事。二つ目は、ライガにどうにかして立ち退いてもらう事。三つ目は、ライガと共存していく事。こんな所だの。」
コゲンタは、指を一つ一つ折りながら言うと、もう一つ頷いた。
「一つ目は、不可能な事ではないし、昔からそうされてきたが……。エンゲーブの者としては避けたい。村を守るためとはいえ、柵なり堀なりを作るために畑を潰すのはのぅ……。人足として駆り出されるもするだろうしの……なにより、ライガとて自然の摂理の一員、根絶やしにすれば巡り巡って人間にもどんな災禍が降り懸るか分からぬ」
コゲンタは、折った人差し指をまた立て、言った。
「二つ目は、まぁ、これが一番現実的かつ理想的かの? しかし、問題は転居場所の確保だの……。場所の目星が付いてないんじゃぁ、アコギな地上げ屋と変わらぬからの……。あははは」
二つ目と、中指を折って苦笑した。
「ぼくは、そんなつもりでは……」
イオンは、コゲンタの言葉に少なからず動揺して言葉を詰まらせる。
「や、もちろんですとも。失礼ながら、導師イオンはまだまだお若い。これからですぞ。色々憶えなくてはならぬのは……、あははは」
しかし、コゲンタは間髪入れず笑顔で補足する。
「……はい!」
イオンは、それに安心したように微笑んだ。
まるで、教師と教え子のようなやり取りに見えた。
「三つ目だが、こりゃ最早、浪漫の領域だの。しかし、会話ができるのなら話は別だ。共存と言っても『みんなでオテテつないで……』って事だけじゃない。利害の一致、商売、お互いを利用し合う事も共存共栄の一つだの」
コゲンタは三つ目と薬指を立て、頷いた。
「ところで、ブタザルよぅ。お主らチーグルは、食い物をわしらから『買う』事はできぬか? 買ってくれるとなりゃぁエンゲーブとしては大歓迎なんだがの? あははは」
「ミュ……? わかんないですの……。ごめんなさいですの……」
「まっ、そうだろうの。こりゃぁ、お主の爺さまに聞く話だったなぁ。忘れてくれ。」
コゲンタは、本気なのか冗談なのか分らない事を言った。しかし、奇想天外な事を言う。
「『買う』って……。コイツら金なんか持ってんのか? ドラゴンみたいにお宝をタメ込んでるとか?」
ルークが、ミュウを見おろしながら言った。
「ミュウ、おいしい木の実ならありますの」
ミュウが答えた。
「物々交換ならできるかしら?」
それを聞いたティアが思い付いたように言った。
「ブツブツ……?」
ティアの言葉を聞いたルークが、首を傾げた。
「簡単に言うと、自分の欲しい物を相手の欲しい物で交換する事ですよ」
イオンがルークの疑問に答えた。
思いがけず議論の場になってしまったが、これでライガとの交渉の前に決めておかなくてはならない事が見えてくるはずだ。
「うーん、こーゆうコトなら根ク……じゃなくてぇ、アリエッタが適任なんですけどね~。ねぇ? イオン様」
アニスは、ぼやくように呟くが、パッと快活な表情になり、イオンに同意を求めた。
「そう……ですね。ライガの事なら彼女です。ですが、今すぐ呼ぶ事はできませんから……。話によっては後で、調整役をお願いする事になるでしょうが、今はぼく達だけでできる事をしましょう」
イオンは頷きつつも、アニスの意見に難色を示した。
「うむむ……。それはそうですねぇ」
アニスはすぐに納得したようだったが、ルークには、イオンが聞かれたくない事を聞かれ『早めに話を切り上げた』ように見えた。だが、あえて無視する事にして……
「なぁ、そのアリエッタってダレなんだ?」
と、別に気になっていた事を尋ねた。
「『妖獣のアリエッタ』。神託の盾騎士団の師団長の一人ですよぉ。六神将ってご存知ありませんか? えっと……」
アニスは、ルークの質問に答えるが、何故か途中で詰まってしまった。
ルークは、まだティア以外名乗っていない事を思い出し、まず名乗る事にした。
「ルークってんだ」
「アニス・タトリンです、よろしくです。それでルークさんは、神託の盾の六神将ってご存知ありませんか?」
「名前くらいは聞いた事あっかもな」
アニスは、正直肩透かしを食らったが、「フツーの人にはこんな物かな……」と思い直し、苦笑した。
「アリエッタは、ワタシのセンパイ、前の導師守護役なんですけど……赤ちゃんの頃にライガに拾われて育てられたらしいんです。だから魔物と話ができて、仲良くなって一緒に戦うんです。だから、付いたアダ名が『妖獣のアリエッタ』なんですよぉ」
「へ~、ホントにそんなヤツがいんだなぁ。おもしろそうじゃん、会ってみてぇ!」
獣や魔物に育てられた人の子というのは、ルークもよく読む冒険譚などでなら珍しくないが、現実にいると思ってもみなかった。やや不躾だが、無邪気な笑顔で言った。
「なぁイオン。そのアリエッタって、どんなヤツだ?」
ルークは、特に他意もなくイオンに、件のアリエッタの事を聞いた。
「え……ええと、小柄で大人しい少女ですよ」
イオンは、歯切れの悪い答えを返した。
やはり、ルークにはイオンが話をはぐらかしているように見えた。そして、ルークはなんとなく、本当になんとなく「合わせてやっか……」と思い……
「まぁ、会ってからのお楽しみってヤツだな? ショウカイしろよな、ドーシケンゲン? で。ドラゴンに乗って飛んでみてぇ」
と、言った。
「……はい、いつか必ず。でも、ドラゴンはいなかったかと……」
イオンは、笑顔になって言った。
「チッ、つまんねぇの!」
「ふふふ……」
ルークは、「興味が失せた……」とでも言うようにイオンに背を向けると、
「オイ、おっさん。サッサと行こーぜ! ライガとやらも見てみてぇ」
と、コゲンタに先に進む事を促した。
「おぉ、勇ましいですなルーク殿。だが、覚悟なされよ。ライガは美しいほどに恐ろしい魔物ですぞ……?」
なんだが良く解らないが、コゲンタの意味深で迫力満点の言葉。
「へ、へぇ……、の、のぞむトコだってんだ……! い、行こうぜ!」
一瞬、怖気づいたルークだったが、なんとか笑って誤魔化す。声が裏返り気味なのはご愛嬌。
「ま、殺し合いにならん様、上手くやろうって話だ。あははは」
そうして、一行は再びライガの巣穴を目指して、森を進み始めた。
途中、何度も、ウルフやフォッシルなどの魔物が襲い掛かって来た。
しかし、ライガの巣穴に近付くにつれて、魔物達は数を減らしていった。
そして、もうしばらくすると、どの魔物とも遭遇する事は無くなった。
ぱったり……と
異様に静かな森が広がっていた。小鳥のさえずり所か、虫の羽音も聞こえてこない。一行の草を踏みしめる音と、風に揺らぐ木々のざわめきだけが響く。皆ライガに怯え、息を潜めているのだろうか?
「近いようですね……」
ティアが呟いた。口調がいつもより低く固い。ライガとの対峙を前に、緊張しているようだ。
「恐らく、相手はこちらに気が付いていると思います……。慎重にいきましょう」
ティアの口から不吉な事を聞いたルークは、顔をしかめた。だが、焼け跡の匂いから、ミュウを追跡してきた事を考えると十分にあり得る事だと感じた。
ルークは、やっと手に馴染み始めた剣の柄を、二度三度と握り直し、緊張を紛らわす。
そうこうしている内に、開けた場所に出た。
そこには、巨大な樹があった。高さは周りの木々とさほど変わらないが、横幅、幹の太さはチーグル達の巣であった大樹を上回っているかもしれない。
「ミュ……ライガさんのおウチはココですの……」
先ほどまで魔物が現れれば真っ先にルーク達の後ろに隠れていたミュウだったが、今は震えながらも、隠れようとしない。ミュウはミュウなりに責任を果たそうとしているのだ。
「おいおい、ブタザル。入れ込み過ぎるなっての、一人で行くんではないぞ。あははは」
コゲンタは、ポンとミュウの頭に手を置いてから、辺りを見回し始めた。ここの安全を確認するためだ。
「どーせ、カクれんだから、さっさと下がれ、バカ! オレ達の手間が増えるだけだろが!」
「ミッ、ミュウゥゥ!」
ミュウの首根っこにルークの手が伸び、やや乱暴にイオンに放り投げ渡した。
「ミュウ、強い力を振るうだけが戦いではありません。……それにしても、大きな樹ですね? 貴方達の樹より大きいかもしれませんね?」
イオンは、ミュウを抱きかかえ、幼い子供に言い聞かせるように、優しく微笑みかけた。
「ミュウゥ……、でもタカサなら負けませんの!」
ミュウは、唐突に胸を張って言った。
「なんのショーブだ!? アホか!」
「ミュウ!」
ルークは、ゲンコツで小突いた。
「でも……、こういう樹齢の長い樹って、あんなに背の高い物は珍しいのよ」
ティアは、ルークとミュウの間に立つと言った。
「ん? なんでだ?」
「背の高い物には、カミナリが落ちやすいの。だから、その度に短くなってしまうの……。つまり、ミュウ達の樹はなにか特別なのかもしれないってことね」
「なるほどなぁ……ってコラ、ブタザル!なにジマンゲな顔してんだ? スゲーのはお前じゃなくて樹の方だろうが!」
「ミュウ!?」
ルークは、ミュウを平手で軽くはたくと歩き出した。
辺りを警戒していたコゲンタが振り返り、笑顔を向けてきた。
緊張はいつの間にかほぐれていた。
さらに大樹に近付くと、その威容が際立った。チーグル達の巣が白亜の塔なら、こちらはさながら要塞だ。
その時、巨大な樹の穴から一頭の成獣ライガが現れた。
その巨体を見た目の当たりにしたルークは、最初岩が動き出したのかと思った。このライガが、ライガ達を統べるライガ・クイーンなのだろうか?
頭と肩から生えた巨大な角は雄々しい鎧兜を思わせ、禍々しく黒と黄が折り重なった毛皮と巨大な尾は騎士の外套を思わせる。根源的な畏敬の念を思わせる。確かに『美しいほどに恐ろしい魔物』だった。
「!……、囲まれている」
「え!?」
ティアが不穏な事を言ったのを、ルークは聞き逃さなかった。そして、確かに自分からは見えない位置、茂みの向こう側、木々の枝葉の中に無数の気配を僅かに感じた。
「そのくらい端から百も承知。ルーク殿も落ち着きなされ、ライガ達が襲ってくるつもりなら、わしらはとっくに奴らのエサだ。あははは」
余りにあっけらかんと、凄惨な事を言ってのけるコゲンタにルークは呆然とするが、言われてみれば確かにその通りだ。
ルークは、みっともない真似はできないと思い……
(ティアもおっさんもいる、なんとかなる)
と、自分に言い聞かせ、一つ息を吸って、胸を張った。
「ブタザルよ。わしの言う事を訳して、あの門番殿に伝えてくれ」
「はっ……はいですの!」
コゲンタは特になんでもない事の様に、ミュウに笑い掛ける。
一方、焦った様に返事をするミュウ。
成獣ライガを眺めながら「門番とキたかぁ……」とルークは、やや呆れたような気分だった。
あんな強そうなのが門番ならば「女王は、いったいゼンタイ、どんなんなんだ?」と、途方にくれていた。
どうやら、ルークの内では
『門番=一番下っ端』
という不等式が成り立っているらしかった。
それはともかく、コゲンタと門番の会話が、ミュウを介して始まった。
「やぁやぁ、わしはこの森に一番近い人里の住人で、コゲンタって者だ。実は今日、お前さん方の女王に折り入って頼みがあって参った。無論、貢ぎ物もある。まずは門番殿に一つ」
コゲンタは、肩に架けていた物入れから、小さな袋を取り出した。その中身は、綺麗な薄黄緑色の粒だった。
ルークには、グミに見えた。色から推察するなら『メロングミ』あるいは『キウイグミ』だろうか?
「あれは、まさか……」
ティアは、あのグミのような物に見当がついたようだ。
「あれは、『マタタビグミ』……!」
と、ティアが言った。
「えぇ?! 動物好き垂涎! 幻のマタタビグミですかぁ!? なんでおじさんが?」
アニスが少し驚いたように言った。
「人には、冷え症、神経痛、リウマチに効くので、それでかもしれませんね?」
ティアが、その疑問に答えた。
どうやら有名なすごい物らしいが、ルークには、何がどうすごいのか分らなかった。
コゲンタはグミを一つ懐紙に乗せ、十歩ほど離れた位置に置き、離れた。
門番ライガはグミを一瞥すると、何やら一鳴きした。
「女王さまに聞いてくるから、そのまま待っていてほしいって言ってますの!」
ミュウが、すぐさま訳した。
「あぁ、それはもちろんだの。こちらは、いきなり訪ねて来たのだ。いくらでも待とう。門番殿、よしなに頼みいる」
コゲンタが、人のそれにするように門番ライガに頭を下げた。
門番が、また一鳴きすると、茂みから門番よりやや小柄な四頭の若いライガがしなやかな身体を躍らせ、門番の前に飛び出した。どうやら彼の代わりというわけらしい。
そうして、門番は穴の中へと消えた。
終始、無表情だった門番と違い、代わりのライガ達はルーク達に対して、絶えず唸り威嚇している。
ミュウは怯え、コゲンタの足に隠れるようにしがみ付いているが、逃げようとはしていない。たいした物である。
その時、一頭のライガが突如、紫電を纏い突進してきた。
「む!」
コゲンタは咄嗟に身を躱したが、突進は躱せてもライガの纏う紫電はそうはいかない。しかし、紫電の音素の結びつきが解け、風の音素に戻りコゲンタに吹き付けた。
ティアの譜術『レジスト』である。本来なら譜術(音素を伴う攻撃)を弱め、被害を減らすための防御譜術だが、ティアが丁寧に編み上げた術構成によって、ライガの攻撃はほぼ無効化された。
攻撃が思い通りの結果に至らなかったライガは、更に紫電をたぎらせながら牙を剥き、コゲンタに突っ掛かってきた。
しかし、当たらない。コゲンタの身のこなしによるのはもちろんだが、ライガの顔にティアの譜術『ディープミスト』がまとわりつき、視覚と嗅覚を阻害し、狙いが定まらない。
ライガが、苛立ったように咆哮を上げた。そのライガの怒りが、残りの三匹にも伝播する。
彼らは、コゲンタを取り囲むように、じわりじわりと動き出した。
「ブタザルよ。『行け。』と言ったら、ルーク殿達の所まで走れ」
コゲンタは、ワキザシを鞘ごと帯から引き抜き、いつでも構えられるようにしつつ、ミュウに呟く。
「ミ、ミュ! でも!」
ミュウは、自分だけ逃げる事を渋る。
「心配するな。逃げ回るだけだ。身軽な方が良いだろう? あははは」
しかし、コゲンタはミュウを安心させるようにおどけた調子で笑った。
「よし、行け!」
「ミミュウウ!」
コゲンタはライガ達の注意を引くために、ずい、と大股で一歩踏み込んだ。
ミュウは、後ろ髪を引かれる思いで走り出した。
「おっさん!!」
ルークが腰の剣に手を掛け、飛び出そうとするが……
「手出しは無用に願う。殺し合いじゃあないんだ! ルーク殿は導師イオンとティア殿をお願い申す。」
コゲンタが、それを嗜めた。
「ルーク……。ここは受けに徹した方が良いわ。乱戦になったら、わたし達もただでは済まないし、ライガ達も傷付けてしまうわ……イシヤマさんはわたしが支援するから……」
ティアは譜術の構成を編みつつ、努めて冷静に言った。
「クソ!」
ルークは、少しでも怒りを自制しようと悔しげに吐き捨てる。
「タトリン謡長。必要な時はいつでも『動ける』ようにお願いします」
ティアは、そんなルークを気にしつつ、アニスに目配せした。
「は、は~い。そうした方が良さそうですねぇ……」
アニスには、ティアの抽象的な指示が理解できたようだ。つまり、「もしもの時は自分が足止めするので、二人を連れて……」というわけだ。
あの若いライガ達は、『戯れ』でコゲンタに突っ掛かっている部分が大きい。こちらが目立つ事をすれば、いつ対象をルークやイオンに換えてくるとも分らない。
その上、いつ何処から別のライガが現れるか解らない状況では、ティアとアニスの二人ががりでも、ルークとイオンを逃がすのが「やっと……」だろう。
突進を躱し、爪や牙を鞘に納めたままのワキザシで受け止めいなす。
ライガ達は、コゲンタを捉える事が出来ない。
しかし、コゲンタにも疲れが見え始めた。
譜術を使い続けるティアも同様だ。
大きく息を吐き、呼吸を整えるコゲンタと、額に汗を滲ませたティアを目の当たりにしたルークは、ついに剣の鯉口を静かにゆっくりと切った。
もう、これ以上、黙って見ている事などルークには出来ない。
剣を抜き放ちライガ達の前に飛び出そうと、ルークは両脚に力を込めた。
と、その瞬間
ライガの巣穴から雷鳴の如き咆哮が轟く。
びくり……と、ルークとライガ達の動きが止まった。
門番ライガが、若いライガ達とは比較にならないほどの紫電をたぎらせ、再び姿を現した。そして、若いライガ達を睨み付け吠える。ライガ達は身を縮め怯えた声を出して後ずさる。
門番は、巨大な尾を振るって、若いライガの一匹を打ち据え吹き飛ばす。そのライガは目を回してしまった。
そして門番は、そのライガを一瞥する事もなく、コゲンタに向かって一鳴きした。
「ツいてキて。って言ってますの」
ミュウはすかさず訳し、コゲンタに伝える。
そして、門番は「着いて来るならさっさとしろ」とでも言うようにもう一鳴きしてから、再び巣穴に向き直り歩き出した。
一行は、門番について歩き出した。
途中、門番が彼らの方を見て、底深い唸りを上げた。
「おい、ブタザル。今のは何つったんだ?」
ルークは何気なしに訊いた。
「ミ、ミュウゥゥ!! あんまり、うるさくしたら食べちゃうぞ!……って言ってましたの!!」
ミュウは、半ば悲鳴のように答えた。
ルークは、「訊くんじゃなかった!」と盛大に後悔したが、なんとか顔を引き攣らせるだけに止める事ができた。
「……彼らにとってここは王宮ですから、当然の事ですね」
イオンは、何の迷いもなく納得したようだ。
「イ、イオンさま、相手は魔物ですよ?! 王宮って……」
アニスが慌てたように言った。
「確かに彼らは、魔物かもしれませんが、高度な知性と社会性を持った『隣人』です。ぼく達を追い払おうと思えばできたのに、話し合いの場を設けてくれたのです。それを無視して見下したのでは、どちらが魔物なのか分りません。アニス、どうかぼくが粗相をしないように指摘をして下さい。頼みましたよ。」
イオンの言う事は正論だった。アニスは返す言葉もなかった。
門番が立ち止ったのはその時だった。『着いた』らしい。
目の前の通路は、開けた空間につながっているらしい。つまりここは、『部屋』への入口だ。
「では、行こう。慎重にな、あははは」
コゲンタは、なんとも軽い調子でルーク達を見回して頷いた。
ルークは、コゲンタの調子に毒気を抜かれたような気になった。と同時に緊張も少し抜けた。ルーク達は顔を見合わせ、頷き合った。
ルークがふと、後ろを見ると、いつの間にか門番ライガに勝るとも劣らない体躯のライガが、一行の後ろにいた。
「ティア……! うしろ……!」
「ええ……、でも大丈夫。わたしがいるから。それに見張っているだけみたい。敵意は感じない……」
ティアは、静かに言った。
「そ、そうか……」
油断はできないが、ここはティアを信じて目の前に集中する事にしたルーク。
そうして、一行は開けた空間へと出た。思った以上に巨大な空洞が広がっていた。
無数の巨木が寄り集まり、一つの大樹を成しているのが分かった。所々の隙間が明り取りの役目を果たしているらしく、中は不思議なほど明るいそしてライガの巣穴の中はチーグル達の巣穴とは比べ物にならないほど広大だった。正に大樹の王宮だった。
すると、門番と同じような成獣のライガが四頭、待ち構えていた。近衛兵といった所だろうか?
そして、門番がそのライガ達に何かを伝えるように一鳴きすると、門番はルーク達に一瞥もくれずに脇を通り抜け、後ろに付いていたライガと共に来た道を戻って行った。
「ブタザルよ、訳してくれ。門番殿、かたじけない。助かった!」
コゲンタは、門番たちの背中に声を掛け、頭を下げた。門番は横目で、ちらりとコゲンタを見たがそれだけで、やはりそのまま去って行った。
「女王に、お目通り……お会いする事はできるでしょうか?」
イオンは、律儀にミュウにも理解しやすい言葉に直して、近衛兵に頭を下げた。
一番手前の近衛兵が、小さく唸ると、ミュウはびくりと硬直した。
今の言葉の意味はミュウの通訳がなくても、分った。恐らく、「騒いだら殺すぞ」というような意味だろう。
ライガ達が左右に二頭ずつに別れ、道を開けた。
そこに女王はいた。
ルークは、ライガクイーンの姿を目の当たりにして、思わず息を飲んだ。
いささか厳しいばかりだった門番ライガ達の顔立ちと違い、クイーンの顔は丸みを帯び、柔らかな印象を受けるが、体躯は一回りは大きい。
頭部を護るように生えた角は王者の冠。つややかで美しい毛皮は豪奢なローブ。自身の身体に匹敵するほど巨大な尾は王者の外套。
女王の名に恥じない堂々たる威風だ。
イオンはミュウに向き直り、一つ頷くと、一歩前に出ると、
「ライガクイーン! ぼくはイオン。貴女と同じく一つの群れを統べる者です。今日は、貴方にお話ししたい事が有り、ここへ来ました……!」
声量はさほどでもないが、よく通る声で名乗った。
ライガクイーンは、無数の卵を背にイオンを見下ろす。クイーンは伏し、ルーク達の視線よりも低いにもかかわらず、見下ろされているという感覚を覚えた。
クイーンはミュウを見下ろし、唸る。ミュウは居心地悪そうに縮こまった。
「ミュウ、クイーンは何と?」
「ミュウゥゥ……。ミュウ達チーグルは、ズルいって……。ライガさん達とニンゲンさん達をケンカさせて自分達だけ助かろうとしてるって……って言っていますの……」
ミュウは、大きな耳を垂らして項垂れながら訳した。
「それは違います! ぼく達は、貴女達と争うつもりはありません!」
イオンは、それを直ぐさま否定する。
「導師イオン、ここは拙者が話そう。よろしいか?」
コゲンタは、イオンが熱くなり過ぎていると感じ、諌めるように前に立つと笑い掛けた。
ライガクイーンを前にしても、特に気負った様子はない。少なくとも表には出していない。
ルークは、「このおっさん、つくづくナニモンだ……?」と感心した。
「女王よ。わしはこの森に一番近い集落の住人で、コゲンタと申す。今日は、女王に折り入ってお頼みしたい事があって、参った」
ミュウは、コゲンタの口上をクイーンに伝えた。
しかし、クイーンは顔をしかめ唸った。
「ミュ!?」
「なんだ? ブタザル、何と言った?」
「ミュウに近くに来るようにって……言ってますの! 話づらい、メンドくさいって……!」
ミュウは、震えながらも訳した。
それを聞いたコゲンタは、「ふぅむ……」と顎を撫でると、
「よし! ブタザル、行け」
と軽い調子で言ってのけた。
「ミュッ!?!」
「冗談だっての。そんな死にそうな顔をするなぁ。あははは」
ミュウにとっては、死刑宣告に等しい悪い冗談だった。
ミュウに苦笑と共に頭を下げつつ、コゲンタはクィーンに向き直ると
「女王を信頼せぬわけではないが、流石にブタザルだけをそっちには行かせられんな。わしも一緒に行こう。死ぬ時は一緒だ。あははは」
また悪い冗談を言った。
「ミュウゥ!!」
「だから、冗談だっての」
コゲンタは笑いつつ、ワキザシを帯から抜き左手に持つと、右手でミュウを抱き上げ、大股でクイーンに近付いていく。
「女王よ。膝と膝を合わせて、ざっくばらんに話し合おうではないか?」
コゲンタはやや砕けた口調にして言いつつ、ミュウと共にクイーンの眼と鼻の先に、どかりと座った。クイーンがその気になれば、一瞬で牙や爪の餌食にできる距離だ。
クイーンは、しばし二人を見つめると巨大な前脚を突き出した。
ミュウは腰からリングを外すと、コゲンタとクイーンの間に置いた。クイーンは前脚でリングに触れながら、口を開いた。
『『人』と話すのは、娘と以来だ。己は『火竜を喰らいし雷の三度目の春の最初の娘』。この群れの主だ……』
クイーンのくぐもった声がリングを介して響く。
「人? 娘とは……もしや、『妖獣のアリエッタ』の事か?」
クイーンの思いもよらない言葉にコゲンタは思わず聞き返した。
『それは確かに、娘を連れていった子供、そこの若草色の服の赤子と同じ顔の子供が付けた名だ。己は『沈んだ島で生まれた娘』と呼んでいる。コゲンタが話したい事とは娘の事か?』
クイーンは、首を傾げるような仕草で、コゲンタを見た。
またしても、気になる言葉が飛び出してきた。しかし、今は後回しである。
「あ、あぁ、いや、違う。話というのは、ここはもうじき住み辛くなるという忠告をしに参った。」
コゲンタは、一度首を振り、クイーンに視線を戻すと言った。
「チーグル達は、ライガの要求に応えるために、わしらの村から食料を盗んだ。間もなく、人間にこの森にライガがいると知れるだろう……」
コゲンタはそこまで言うと、一度言葉を切り、身を乗り出して……
「そこでだ。手前勝手な頼みだが、別の土地に移って頂きたい。今まで人によって多くのライガが狩り尽されてきた。この群れもそうならぬために。もちろん、すぐというわけではないし、それまで必要な食料は用意致そう」
と続けた。
『それは、そのライガ達が弱かったからだ。我らには関係ない』
クイーンは、詰まらそうに、コゲンタの言葉を一蹴した。
「争いになれば、余計な血が流れ、そなたの子らも少なからず命を落とそう……」
『そうなったのならそれは、その子らに『生きる力』がなかったというだけの事、また強い子を産み育てれば良い。死んだ子らも、生き残った子らの糧になる。流れる血に余計な血などない』
脅しとも取れるコゲンタの言葉に、クイーンは、特にどうという事もないように答えた。
当然と言えば当然だが、人間の感性とはかなり違うらしい。理解はできるが納得し難い。
「人とは、そなたが考えるよりも『怪物』だぞ? そなたらを狩り尽すためなら何でもするぞ。火攻めに爆薬、毒も使うであろう……」
『その時は戦うまでだ。倒される前に倒す。火が回る前に爪を立て、毒が我らを殺す前に牙で穿つ。それだけの事。それは、ライガにとって特別な事ではない……』
話はほとんど平行線だ。『死』に対する感覚あまりに違う。彼女たちには、ライガという種を残す事が重要で、個々の『生』には無頓着といって良いらしい。だからこそ強く、恐れられるのだろう。
一方、ルークは、手持無沙汰で少々イライラしていた。
「くそう、聞こえねぇ……。おっさん、もっとデカい声で話せよな……。ティアは聞こえるか?」
と、悪態を吐きながら、ティアに尋ねた。
「途切れ途切れだけれど……。立ち退いて貰うのは難しいかも……」
控えめに頷いてから、言いづらそうに首を傾げるティア。
その時、突然、ティアは巣穴の入口の方向を仰いだ。
周りの近衛ライガ達も何かを感じとり、警戒の唸り声を上げる。
「どーしたんだ?! ティア!」
「誰かが上で、譜術を使っているの! 多分、複数人……? 連発している!」
「もしや、ジェイド達が?! すぐに止めなくては……!」
「イオンさま! アブナイです!!」
ティアの言葉に、イオンは慌てて駆け出そうとするが、アニスにすがり着く様に止められてしまう。
一方、ティアは音素の動きを、さらに詳しく読み取ろうと、眼を閉じ集中する。
「来ます……!」
鋭く呟くティア。
「あそこだ!!」
ルークが指差し叫ぶ。
その視線の先で、樹の宮殿の壁面に亀裂が入り小爆発と共に、巨大な何かが壁面を突き破り、落下した。
「風の子らよ……。『アピアース・ゲイル』!」
ティアは素早く風の譜術を発動させ、気流が木片や火の粉などの落下物を受け止め、それらがゆっくりと降りてくる。
「ん? あっ、外にいた奴だ!!」
ルークが叫んだ。壁面を突き破った何かは、あの門番ライガだった。
頑強なはずの角は折れ、身体中を血に染めている。満身創痍だ。
門番はなんとか着地したが、体勢を崩し力なくひざまづいた。
その時、門番を薄緑色の音素の光が包んだ。
「癒しの光よ……。『ファースト・エイド』」
ティアが、すかさず治癒譜術を掛けたのだ。傷はみるみる血が止まり、傷がふさがった。これでひとまずは安心だろう。
ルークは、門番が作った穴、黒煙の向こうに何かの気配を感じた。何かがいる。あんなにも強そうなライガを、あそこまで痛め付けた『怪物』があの向こうにいる。
ルークは思わず、剣の柄に手を掛けた。
譜術を使ったという事は、少なくとも人間なのだろう。しかし、『味方』とは限らない。
コゲンタは膝立ちになり、ミュウとクイーンを庇うように剣を抜けるように構えている。
近衛ライガ達も、すでにクイーンと卵を護れる位置に移動し、紫電をたぎらせ戦闘態勢を取っている。
「いやぁ、失敗、失敗♪ 『ノック』の力加減を大失敗♪ しちゃいましたぁ。申し訳ありませ~ん♪」
呑気で明るい笑い声が巣穴に響いた。
「トィヤァ!!」
やたらと威勢の良い掛け声と共に、青い影が黒煙の向こうから飛び出して来た。
影は、飛燕の如く華麗に、ルーク達の前に舞い降りた。
「どーも皆さん♪ 毎度お騒がせのカーネル☆ジェイドこと、ジェイド・カーティスでございま~す♪」
カーネル☆ジェイドは、お手本のようなターンを決め、親指を立て、右斜め四十五度の流し目をルーク達に送った。
今回の話は、少し戦闘もありましたが、相変わらず話が長くて地味です。(笑)
余談ですが、ライガは人を好んで襲う獣という設定でしたが、実際の動物ではあまりそういう事はないようです。病気、怪我により凶暴性が増していたり、特殊な環境下にいた特殊な個体、群れという例外は有りますが、習性として人を襲うという動物は少ないようです。
狼を連想する方もいると思いますが、人間がそれまで獲物といしていた動物を根絶やしにしたため代わりに家畜などを襲うというケースで、濡れ衣というのが正しいようです。
「お伽話で、何故、狼は最後には殺されてしまうのか? 彼らは、彼らの生き方として当然の事をしているだけなのに。」というかのシートンと同じ疑問を抱いてもらいたいと思い、このライガのエピソードを考えました。