リリカル・デビル・サーガ   作:ロウルス

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――――――――――――

「クルス。来ていたのか……」

「あ、朝倉神父。お疲れさまです」

 貸し切ったシティホテルのレストランから海鳴の街を眺めていると、朝倉神父に声をかけられた。以前コウが訪ねてきた時に謝ってから何かと面倒を見てくれる事もあり、今は呼び捨てにしてもらっている。

「……抗争になるかもしれないな」

 窓の外の町並み――じゃなくて、ホテルの下へ目を向ける神父。ここからは見えないけど、そこには同胞に混じっておぞましい異教徒が闊歩している筈だ。まあ、別に見たくもないけど……。

「本当に警護を引き受ける気かね?」

「はい。私も戦うだけの力はありますから」

「……そうか」

 管理局員として、そしてメシア教徒として答えると朝倉神父は暗い声をだした。この世界では私くらいの年齢のこどもは庇護の対象でしかない。あれだけの力と大人びた精神を持っているコウですら、まだ義務教育を受けているくらいだ。

「大丈夫ですよ。一応、訓練を受けて、テンプルナイトの称号も持ってますし」

「常識の違いは分かってはいるつもりだがね。私としては神の子を戦場に送りたくはないのだよ」

 どこまでも心配してくれる朝倉神父。でも、その温もりは、

「時間だ。私は戻るけど、もし危なくなったらすぐに教会へ逃げこんでくれ」

 遠くの時計台が鳴る音で離れていった。

 まるで、あの時のお父さんみたいに。

――――――――――――クルス/海鳴タワーホテル



第16話a 天上666mの激震《壱》

「せっかくの料理なんだし、もっと楽しみなさいよ。あ・な・た」

 

「その呼び方は止めろと言った筈だ」

 

 時は遡り、孔達が社会見学の自由時間を過ごし始めた頃。シティホテル最上階にある高級レストランで、士郎は夏織と昼食を共にしていた。勿論、ただの昼食ではなく、奥のVIPルームで会食をしている氷川とトールマンの警護のためだ。士郎のいる一般に解放された部分は入口に面している上に窓から外を見渡すことができる。このホテルはツインタワーとなっており、相対する棟からの狙撃も含め周囲を警戒するという意味では妥当な場所なのだが、

 

「あら。夫婦なんだしいいじゃない?」

 

「……よくない」

 

 夏織はこのレストランをわざわざ夫婦として予約していた。来る途中も腕を組んで歩こうとしてきたし、呼び方も「あなた」で通している。わざわざ高価な香水をつけてきているあたり、嫌がらせのつもりなのだろう。

 

「第一、ここのレストランにまともな従業員も客もいないだろう?」

 

「あら。気づいてたの? 平和ボケしてなくて助かったわ」

 

 苛立たしげに声をあげる士郎にクスクスと笑って見せる夏織。白々しい事この上ない。従業員も胸の不自然な膨らみを見れば拳銃を携帯しているのが分かるし、客もいつでも飛び出せるような体勢を保っている。何よりも食事を楽しんでいる雰囲気など微塵もなく、異常な緊張がこの場を支配していた。

 

「宗教対立に駆り出された訳か」

 

「さあ? 私は依頼を仲介しただけだし?」

 

 未だにしらを切り続ける夏織を苦々しく思いながら士郎は周囲を警戒していた。明らかに此方に敵意を向けているのは数名。従業員として店内を忙しく動き回る男女と、客として向かって右側のテーブルに高齢の女性と筋肉質の男性。そして、その2人と一緒に家族連れに扮して座る、

 

「あんな小さな娘まで……」

 

 なのはと同じ位のこども。まだあどけなさを残しながらも、雰囲気は戦士のそれだ。紛争地域の出身だろうか。時おり談笑しながらも此方を気配で伺っている。

 

「あら? 気になるの?」

 

 思わず漏らした言葉に夏織が反応する。心の中で舌打ちするが、時すでに遅し。しっかりと嫌味が始まった。

 

「まあ、貴方も恭也も同じ位の歳の子に手をあげたんだから、人の事言えないんじゃない?」

 

 押し黙る士郎。夏織に何か言い返すと数十倍の嫌味が返ってくると経験で知っている。もっとも言い返さなくともそれは同じで、

 

「卯月孔君、だっけ? 翠屋、潰れなくてよかったわねぇ? まあ、例の倒壊事件のお陰で小さいニュースで済んだから、あの女の子――なのはちゃんのクラスメートだけど、死んでよかったってところかしら? 人が死なないと大したニュースにもならないものね。あ、大怪我した卯月君もなのはちゃんと同い年だっけ? よかったわね。あなたの娘だけは無事で」

 

 見えすいた挑発に歯を食いしばって絶える士郎。つい先日、園子の通夜には出たばかりだ。その時の伊佐子は未だ脳裏にはっきりと思い浮かべる事ができたし、サッカーチームでの園子の活発な様子は未だ鮮明に思い出す事もできる。なのはとは違うタイプとは言え、士郎にとって園子も決して他人ではなかったのだ。まるでその死を祝福するかのような夏織に剣を抜きそうになるのを、士郎は必死に抑えた。

 

「そのなのはちゃんだけど、今ごろこのタワーの地下シェルターで社会見学中ね?」

 

「……何が言いたい」

 

 が、なのはの名を持ち出され、つい苛立たしげな声をあげてしまう。夏織は士郎の放つ殺気を嘲笑うかのように続けた。

 

「別に何も? ただ、貴方は何も変わらないと思っただけよ」

 

 それはどういう意味か。それを問いかけるまもなく、

 

《火事です。火事です。地下で、火事がありました。避難してください。繰り返します。火事です。火事です……》

 

 けたたましいサイレンとともにアナウンスが流れた。同時に立ち上がる夏織と士郎。奥のVIPルームへと向かう。誰に邪魔される事もなく開いた扉の先には、

 

「始まったようだな」

 

「……そのようです」

 

 平然と会食を続けるトールマンと氷川がいた。サイレンが響いているにも関わらずここだけ静寂が続いているかのような冷たい空気に思わず立ちすくむ士郎。が、すぐに失礼しますと一礼し、落ち着いた動作で氷川に耳打ちする。

 

「氷川さん、地下から火が」

 

「ああ、君は不破君が連れてきた外部の護衛者だったな。これは織り込み済みだ。気にせず護衛を続けたまえ」

 

「織り込み済み……というと、火災は擬装ですか?」

 

「いや。実際に起こったのだろう。我々も地下シェルターに手を出せるほどの用意はない」

 

「は? しかし、それでは」

 

「いや。私に避難の必要はない。それより、君の娘がシェルターの社会見学に来ていると聞いている。ホテル外周の警備に移るといい」

 

 氷川の反応に、士郎も流石に混乱した。火災は想定外だというのに、それは予定されていたことで避難も必要ないという。更にはなのはの事も把握している。一見矛盾しているような言葉に異様な冷静さ。果たしてそこにはいまだ知らされていない計画があるのか、それとも単純な善意なのか。その真意は計りかねたが、いずれにせよなのはの事は気になるし、依頼内容の変更にも応えなければならない。士郎は一礼を返すと、外へと走り始めた。

 

 

 † † † †

 

 

「ふん。関係ない者まで利用するとは、ガイアの徒に規律はないと見えるな」

 

「無関係な方が互いの損にならなくてよいでしょう?」

 

 士郎が出ていった後、夏織はVIPルームに残り、氷川とトールマンの会食を見続けていた。会食、といっても両者とも目の前の豪華な食事には一切手をつけず、ただ硬直した雰囲気が流れている。

 

「ふむ。確かに神の恩恵を忘れた異教徒の行く末等気にすべくもないが、利で結び付いた関係などすぐに崩壊しよう。貴様が徒弟を崩したようにな」

 

「理性は感情と切り離されてはじめて機能するものです。そのためには……」

 

 尊大な口調で接するトールマンに、氷川は丁寧な物言いながら冷笑しているかのような口調で返す。

 

「分かっている。例の宝石は用意させよう。ただし……」

 

「ええ。竜の代わりとなる例の書は用意できています」

 

 確認しあう氷川とトールマン。トールマンは近くにいた男に目で合図をし、一枚の書類を運ばせた。その書面はうっすらと光を帯び、血のような赤黒い文字が踊っている。トールマンはそこへ血判をおした。氷川もそれにならう。誓いの判を押された契約の書は風のない部屋で舞い上がり、2つに分かれ、2枚の文書となって舞い降りた。片方は氷川の手元へ、もう片方はトールマンの元へ。

 

(これがメシア教会謹製、契約の文書……)

 

 夏織はそれを珍しそうに眺めていた。実際に目にするのは初めてだが、話には聞いた事がある。メシア教会に、契約を絶対のものとする文書があると。それは命と命を結び、もし違える事があれば魂ごと消滅させるという。

 

(それを持ち出してまで、欲しいナニかがあったって事ね)

 

 中途半端に聞いた限りでは、それは氷川にとっては「例の宝石」であり、トールマンにとっては「竜の代わりの書」のようだ。

 

(「例の宝石」はジュエルシードで、「竜の代わりの書」はあの4人の……まあ、今はどうでもいいわね)

 

 だが、夏織にとってはもっと優先すべき事があった。話が一段落したのを見計らって、静かに告げる。

 

「では、そろそろ……」

 

「ああ、茶番の第二幕に移ろう」

 

「あの宝石の制御、見せてもらおうか?」

 

 夏織に頷く氷川とトールマン。夏織は軽く会釈すると、士郎と同じ外周へと歩き始めた。

 

 

 † † † †

 

 

(ホテルの外周、か)

 

 非常用の階段を駆け降りながら、士郎は思案を巡らせていた。ホテル上層部の警備はメシア教徒が担当しており、時折銃を向けて警告してくる。その度に氷川から受け取ったIDカードを見せ、許可を得なければならなかった。地下で火災が起こったというのにその厳重な警備は崩れる気配がない。

 

(恐ろしい組織力だな……)

 

 命の危険も省みず任された役目を全うしようとしているメシア教徒。選民思想の強い宗教だけあって、その結束力は想像をはるかに超えていた。一応許可はくれるものの、異教徒である自分にはまるでゴミでも見るような視線が向けられているのがはっきりと分かる。士郎はできるだけ刺激しないように通り抜けた。これだけ厳戒な体制の中に飛び込むのであれば、氷川が大枚をはたいて自分を雇うのも納得できる。しかし、

 

(せっかく雇った人間を自分から離れた位置に配置する意図は何だ……?)

 

 わざわざ護衛を離れさせる意味が分からなかった。織り込み済みならシェルターの様子を見に行かせる必要もない筈だし、部外者が囮に使える訳でもない。考えながら進むうちに一階まで降りた士郎は、護衛任務で迷いは禁物と手早く考えをまとめる。兎に角もなのはだ。氷川が存在を把握している以上、何か裏があった場合に愛娘を巻き込ませるわけにはいかない。例え罠だろうが早く駆けつけてやる必要があるだろう。そう思いながら廊下へ踏み出そうとして、

 

「っ!?」

 

 鋭い銃声で飛び下がった。慌てて支柱の影に身を潜め、様子を伺う。非常階段から覗いた廊下には、所々赤黒い血痕が見てとれた。

 

(襲撃があったかっ!?)

 

 予想外の出来事に刀を構える士郎。厳戒な体勢を敷いているメシア教徒達が落ち着いていた事もあり、ついひとつ上のフロアまでは戦闘の気配すら感じられなかった。が、非常階段から先の廊下には血と硝煙の臭いが充満している。そして、その死の臭いはロビーへと続いていた。

 

(まずいな……)

 

 ここから外へ出てなのはがいるシェルターへ向かうためにはロビーを通り抜けなければならない。上手くやり過ごさなければ巻き込まれて時間を余計に取られてしまうだろう。はやる心を抑えながら、士郎は息を潜めて廊下を進み始める。この辺りは倉庫になっているのか、廊下の所々に鉄製の扉が見受けられた。中の気配を確認しながら気配を殺して走る。一歩踏み出す度に銃声が近くなり、

 

(……? 獣?)

 

 同時に獣の呻き声のようなものも響き始めた。くぐもったその声は、廊下に低い反響を残し、銃声に比例するように大きくなっていく。疑問を抱えながら駆け続ける士郎。護衛を混乱させるために動物を使う例もあるにはあるが、市街地のホテルでそのような目立つ作戦は取れるはずもない。得体のしれない何かがいるという不気味な空気を感じ取ったものの、ロビーへ向かう足は止まらなかった。なのはが火の中に取り残されている可能性がある以上、多少の困難は乗り越えなければならない。気配を殺して血で汚れた絨毯の上を進み、

 

「っ!」

 

 その現場に出くわした。廊下の角から見えたのは必死の形相でロビーの方へ銃を構える男が2人。思わず士郎は刀に手をかけていた。銃を持つその手には、かつて炎の中で見たことのある竜の刺青が刻まれていたのだ。

 

(っ! 天道連……っ!?)

 

 憎悪に顔が歪む。それでもなんとか踏みとどまったのは、なのはが火災の起こったシェルターにいるという事実が頭にあったせいだ。組織で攻めてきている相手と交戦すれば、なのはの救助に間に合わなくなるかもしれない。

 

(落ち着け……天道連が氷川に雇われた護衛者側という可能性もある。それに、依頼はなのはのいる外周の警備だ。相手にする必要はない)

 

 自分を抑えるため努めて冷静に思考を巡らそうとする士郎。もっとも、氷川が雇ったという可能性は低いと見ていた。警察の目を誤魔化して白昼堂々とマフィアを動かすのはいくらなんでも不自然だ。相当な政治力で持って圧力をかければ別だが、一介の企業重役でしかない氷川には難しいだろう。ただ、温泉で夏織が依頼を持ってきた時にも天道連は見かけている。あの夏織の事だ。敵か味方かは別として、天道連をここへおびき寄せる事くらいはやってのけるだろう。後は氷川に適当な理由を言って天道連と接触する機会を作ればいい。近くに娘がいる。気が散って護衛どころではなくなるから、外に向かわせるべきだ。

 

(……いつもの嫌がらせか)

 

 ここで挑発にのって交戦すれば、夏織の思う壷だ。天道連が襲撃側なら物量を持つ組織と敵対することになるし、護衛者側なら士郎は裏切った事になり裏社会の標的になる。かといって、士郎にかつて御神を焼いた相手と共闘するという選択肢はなかった。苛立ちを抑えながら様子を伺う。まずは天道連の相手を見極めねばならない。マフィアが銃を向ける先を見ようとゆっくりと移動する。廊下の右端から左端へ。徐々に開けていく視界には、

 

 巨大な豹――否、豹の頭を持った化け物がいた。

 

 目前の異常に驚愕する士郎。全長3メートルはあるだろうか。人間の様に2本足で立ち、マントを羽織っている。しかし、全身は獣毛でおおわれ、豹の尻尾もついている。その見たこともない怪物は、両手に持った長刀をかざすと、

 

「干什么!? 不行!」(な、何をするっ!? やめろ!)

 

――ギロチンフェイク

 

 マフィアの首をはねた。血柱が天井を貫き、生首が宙を舞う。それはべちゃりと音をたてて地に落ちた。化け物と相対するもうひとりの男が絶叫をあげ、恐怖に任せ銃を乱射する。血塗れになりながらも意識を失わないのはならず者とはいえ組織に属する兵士だからだろうか。しかし、狙いも大してつけていないその弾丸は、化け物にやすやすと避けられていく。狭い廊下だというのに巨体を軽々と操るその怪物は、あっという間に距離を詰め、

 

――絶命剣

 

 そのマフィアを両断した。断末魔と血柱を残して崩れ落ちる犠牲者。士郎はそれを黙って見据えていた。血煙の向こうから豹頭の怪物が顔を出す。目があった。

 

「っ!」

 

 獣の視線が士郎を捉える。否、それは獣の目ではなかった。護衛者として人外の猛獣を相手にしたことはあったが、その目には単純に生き残ろうというある意味で純粋な意志しかない。そうした獣からは程遠い、底知れない闇を湛えた目がじっとこちらを見下ろしていた。悪意の結晶のような視線を前に、しかし士郎は冷静だった。久しく平和のなかで過ごし無縁となっていた凄惨な光景がかつての記憶と重なり、士郎に御神の剣士として冷酷なまでの平静を与えたのだ。静かに抜刀する士郎。

 

 怪物はそれを見て両手の剣を構え、

 

――ベノンザッパー

 

 突風を巻き起こした。風は転がっていた死体を無残に引きちぎりながら宙に巻き上げ、血と屍肉の雨を降らせる。士郎は刀を握りしめた。赤が視界を塞ぎ、風が聴覚を奪い、不快な肉が触覚を邪魔した。が、あの人も獣も逸脱した気配を見失う事はない。

 

(……後ろっ!)

 

 背中で膨れ上がる恐怖に似た感覚。それに向かって振り向きざまに斬りかかり、

 

――ククク。ニンゲンよ。私に剣を向けたところで、復讐も救済も果たせぬぞ?

 

 響く声に刃は空を斬った。同時に視界が晴れていく。化け物の姿はかき消え、後に残ったのは一面に死が撒き散らされた廊下だけだ。

 

「消えた……いや、消えてくれた?」

 

 先程の気配は完全に消えている。周囲を見渡しながら、士郎は刀を鞘に納めた。警戒を解いたわけではない。いつでも刀を抜けるようにしているし、呼吸もできる限り殺している。が、再び襲いかかってくる事はないとの勘があった。あの怪物の目から底知れない不気味さを感じたものの、殺気はなかったのだ。それより気になるのは、

 

(復讐に救済、か)

 

 化け物が残していった言葉だ。何故なのはがシェルターに取り残されているのを知っているのか。目の前のマフィアと自分との関係を把握しているのか。そんな疑問が頭をよぎるが、確かに今優先すべきは化け物の正体ではない。ロビーに目を向ける士郎。同時に足音が響き始めた。近い。

 

(っ! 化け物のせいで気付くのが遅れたか)

 

 普段ならば逃すことのない気配を感じとり、慌てて引き返そうとする士郎。しかし、廊下の奥からマフィアの仲間と思われる男は既にこちらを捉えていた。怒声と共に銃を構える。

 

「你呢!? 你的姓名!!」(なんだテメエ! 名を言え!)

 

 同時に響く銃声。士郎は冷静に横にある倉庫の扉を開いてそれを受け止める。轟音と衝撃。しかし無傷。見立て通りマフィアの持つ銃は粗悪品だったらしく、弾丸は扉を凹ませるものの貫通はしてこない。鉄針を構える士郎。銃撃が止んだのを見計らって、扉の隙間からそれを飛ばした。

 

――御神流『飛針』

 

 狙いは銃を持つ手。数ミリの隙間から放った鉄針は一直線に飛び、紛うことなく指を貫いた。激痛で銃を落とす男。が、後ろからは応援のマフィアが数名走ってくるのが見えた。

 

(数は少ない……なら、情報を聞き出すか)

 

 決断は一瞬。士郎は小太刀を抜刀すると片手に構え、空いた手にワイヤーを掴むと扉の影から飛び出した。

 

――御神流『神速』

 

 一線を引いたとは言え、その速度に衰えはない。常人には目視すら難しいスピードで相手に迫る。勢いのまま峰打ちで銃を叩き落とし、ワイヤーで縛りあげた。

 

「答えろ。誰に雇われた? 答えれば、せめて楽に殺してやる」

 

 突然の襲撃で悲鳴をあげるマフィア。士郎は自分でも驚くほど冷徹な声で問いかけていた。刀をマフィアの首筋に当て、

 

「相変わらず強引だね。そんな取引、流氓(ならず者)も乗らない。」

 

 後ろからの声で動きを止めた。聞き覚えのある、否、一度も忘れた事のない声。その声に振り返る士郎。ゆっくりと動く視界の隅が捉えたのは、

 

「貴様……ユンパオ」

 

 あの温泉で見た台湾マフィアだった。頬に向こう傷のあるその男は、狐のような目を細め、士郎に話しかける。

 

「あの時見かけたのは、やはりお前だったか」

 

「ここで何をしている?」

 

「お前と同じ……雇われて仕事をこなしているだけだね」

 

 そう言いながら士郎と同じIDカードを掲げて見せるユンパオ。雇ったのは氷川なのか夏織なのかは分からないが、どうやらこのマフィアは同じ護衛を目的としているらしい。士郎は表情を歪めた。

 

「非合法の武装したマフィアが何故町中で堂々と警備をやっている?」

 

「答えると思うか? ……だが、これなら教えてもいい。私は日本の新しい政府に協力してる。今ここにいるのも、台日親善だね」

 

 どうやら護衛以外に何か別の目的があるようだ。しかも夏織がわざわざ鉢合わせする機会を作っているということは、何らかの形で自分とも関係する可能性が高い。不破から高町へと姓を変え平和な日々を過ごしてはいるが、周囲を取り巻く人々は特殊な境遇にいるのだ。恭也と関係がある月村家など最たる例だろう。それに危害が及ばないとも限らない。

 

(……いや、それだけじゃないな)

 

 相手を探りながらも、士郎は自分の中にある目の前のマフィアを斬り捨てたいという衝動を自覚していた。大切な家族への危険を排除する以上に、嘗ての記憶は殺害を駆り立てた。静かに刀を握りしめ、

 

「っ!」

 

 構えたまま後ろへ飛び退いた。刹那、空気の刃が地面に突き刺さる。ついさっきまで立っていた床には巨大な爪でえぐったような亀裂が。

 

「大人しい鳩だと思っていたが……鷹だねっ!」

 

「待てっ!?」

 

 ロビーへと逃げるように去っていくユンパオに叫ぶも、再び感じた殺気に踏みとどまる。目の前を突風が刃となって走り、後ろの壁を切り裂いたのだ。

 

(なっ!? 鉄筋コンクリートを……っ!)

 

 驚愕しながらも廊下の先に目を向ける士郎。そこには、

 

「ふん。あれを避けるとはな」

 

 化け物がいた。先程の豹頭の怪物ではない。鳥の頭を持った怪物が此方を見下ろしている。豹の怪物と体格は同じくらいだろうか。黒い羽毛に覆われた巨体が2本足で立っている。しかしその腕は鳥の羽だ。羽といっても鉄のように鋭い光を放ち、さながら刃物の様にギラギラと光を反射していた。

 

――ギロチンフェイク

 

「くっ?!」

 

 その凶器とも形容できる腕を振り下ろす鳥顔の化け物。すんでのところで飛び退き、士郎は大きく距離を取る。斬撃が目の前を掠め、破壊音と共に床を抉った。

 

(夜の一族っ!? いや違う!)

 

 剣を構えながら、土埃が舞う廊下を睨みつける士郎。先程の豹頭と違い、今度は見逃してくれそうにない。視界を奪う埃から出て来た怪物の目が士郎を捉える。

 

「人間にしては速い……鬱陶しい事だな」

 

「っ! 一体、なんだ、お前は」

 

 話が通じるどころか日本語を平然と操る辺り知能は高いようだ。その奇妙な生物を士郎はじっと観察する。そんな士郎を嘲笑うかのように怪物は喋り始めた。

 

「ククク。私はね、貴方の祖先である御神宗家のなれの果てなんですよ」

 

「なんだと?」

 

 とんでもない事を言う怪物に目を見開く士郎。化け物はその反応を楽しむように続けた。

 

「貴方の親戚にも黒いカラスがいるでしょう?」

 

「っ!」

 

 確かに、いた。妹である同じ御神流の使い手・美沙斗だ。「あの事件」がきっかけで裏社会に身を投じてから連絡はつかなくなっているが、いつも黒い服を着込んで仕事に当たるため、「人喰いカラス」として裏社会には知られている。

 

(確かに黒い羽毛はカラスに見えなくもないが……)

 

 士郎は警戒しつつ観察を続ける。こちらの事に妙に詳しいのは本当に死に損なったのか、それとも単に何処からか仕入れた知識なのか。判別は付かなかったものの、嘘をついているようにも見えなかった。

 

「さて、子孫と一戦……といきたいところですが、この先の方舟で今まさに別の血が途絶えようとしていますね?」

 

 かなり遠回しな言い方だが、なのはの事だろう。警戒しながらも無言で頷く士郎。鳥の怪物は目を細めると、道を開くように巨体を廊下の壁へと寄せた。

 

「いいのか……?」

 

「勿論」

 

 剣を握りながら問いかける。完全に信用したわけではないが、この状況で争いを回避できるのならそれに越したことはない。豹頭の化け物が見逃してくれた事もあり、士郎は横を通り抜けた。何事もなく走り抜ける。その不気味な存在と距離が広がっていくのが分かった。そのまま廊下を進み、角を曲がる。完全に視界から消えた。気配と殺気も小さくなる。それは安心感を与え、

 

「勿論、嘘ですが」

 

――ザンマ

 

 後ろから強い衝撃を受けた。銃で撃たれたかのような激痛が走る。左肩をやられたらしい。刀を落としそうになるのをなんとか抑える。

 

「ふん。耐えたか……あれが気にするだけの事はある」

 

「……くっ!」

 

 ゆっくりと近づいてくる化け物に何とか体勢を立て直す士郎。が、相手が羽を振り上げたのを見て慌てて飛び退く。すぐ横を空気の弾丸が掠め、コンクリートが爆ぜる音が響いた。だがそれに気を取られている暇はない。その不可視の弾丸は連続で襲いかかってくるのだ。幸い直線的に動く弾丸の軌道は決して読めないものではない。弾丸の風圧を皮膚で感じながら、一気に距離を詰めて斬りかかる。

 

「ふん。動きは悪くないが……非力だ」

 

 が、それは固い羽に受け止められた。ギチギチと鍔迫り合いのように金属が軋むような音がなる。だが拮抗は一瞬。数秒のちには士郎が吹っ飛ばされていた。受け身を取って向き直る士郎。開いた距離を弾丸が迫る。床を転がる士郎。その弾丸は皮膚を削り、後ろで轟音とともに爆ぜた。

 

(……強い)

 

 爆風の反動を利用して立ち上がりながら、それでも士郎は冷静に相手を分析する。刀が通らない鋼の翼に加え、文字通り人外の力、空気の弾丸という謎の技術。一応、攻撃前のモーションである程度動きは読めるものの、単純な戦力差は圧倒的だった。それだけでなく、化け物が纏う禍々しい威圧感も尋常ではない。先ほどの豹頭の怪物のように深い闇を抱えた目が、今度は明確な殺意をもってこちらを見下ろしている。黒い羽毛の間からのぞく目は赤くギラつき、

 

――疾風斬

 

「っ!」

 

 その一撃は殺意に満ちていた。明らかに腕の刃が届く範囲を超越して襲いかかってくる衝撃。それにわざと吹き飛ばされることで士郎は大きく距離を取って剣を構える。無傷ではない。ガードに使った左腕は一緒に飛んできたコンクリートの破片が直撃したため青黒く変色しているし、始めに受けた一撃のせいで肩が思うように動かず、全身に受ける衝撃を完全に殺すことができなかった。それでも、

 

(なのはが、待っているっ!)

 

――御神流『飛針』

 

 退くわけにはいかない。鉄針を四本、指に挟んで投げつける。一直線に加速するそれを鋼鉄の羽で防ごうとする化け物。士郎はそれを見逃さなかった。

 

――御神流『神速』

 

 無理な加速に身体が軋みをあげる。空気の重さで血が吹き出した。しかし士郎はそれをものともせず化け物に肉薄する。自らが投げた鉄針を追い越し、鳥の怪物の羽の下へ。狙うはその不気味な眼光。

 

――御神流『撤』

 

 強力な突き技は、

 

「がぁぁぁああ!」

 

 化け物の目を容赦なく抉った。だが殺すには至らない。怪物は羽の一部と化している手で刀を掴み、脳に至る直前で刃を止めていたのだ。そのまま士郎を鉄の羽で殴り飛ばす。

 

「き、貴様ぁぁぁああ! ニンゲンの分際でぇぇぇええ!」

 

 響く化け物の絶叫。片目を刀で貫通されながら叫ぶその姿はまさに悪魔だ。

 

「八つ裂きにしてくれるっ!」

 

 その悪魔が大きく羽を振るうと同時、暴風が廊下を吹き荒れた。否、ただの暴風ではない。それは鎌鼬のような風の刃。その空気の刃は何重にもなって士郎に襲いかかる。

 

「っく!」

 

 身体を反らして避けながら、異常に重いその風の刃を刀で受け流そうとする士郎。だが、あらゆる方向から飛んでくる風は撒ききれない。身を削られながらそれでも刀を構え続け、

 

「ぐ……」

 

 風が収まる頃には膝をついていた。辛うじて急所は守ったものの、出血がひどい。このままでは後数十分もせず意識を手放すことになるだろう。

 

「ふん。いい様だな……」

 

 そこに歩いてくる片目から血を流す悪魔。向けられる悪意と殺意は先程の比ではない。

 

「死ね」

 

 その悪魔は腕を振りかざした。数百、あるいは数千の羽はまるで一振りの刀のように一体化し、禍々しく黒い風を纏っている。それは刃だった。満身創痍といっていい自分に迫る空気を纏った刃。その威力は知っている。コンクリートを容易に切り裂き、風は弾丸となって飛び散る。直撃すれば、脆弱な人体など肉片がいいところだろう。

 

「……」

 

 それを士郎は静かに見つめていた。諦めた訳ではない。

 

(この化け物はなのはのことを知っている……!)

 

 嘘を並べ立てて隠していた本性を現し、憎悪以外の感情しか伝わってこなくなった目の前の悪魔は、どういう理由か知らないが自分をターゲットにしている事は明らかだ。そして、御神の事を知っているとなると、標的は自分だけとは限らない。

 

(コイツをなのはの元へ行かせる訳には行かないっ!)

 

 思いは一瞬の爆発力を生む。剣を握りしめ、座った状態から逆袈裟に斬ってかかる。

 

――御神流『雷徹』

 

 腕の筋力を解放し、相手より早く。カウンターを狙ったその一撃は、

 

「っ!」

 

「意気込みだけはご立派だな!」

 

 しかし士郎の頭上に落ちるかという刃で受け止められた。一度振り上げた刀をカウンターに対応して軌道修正したことになる。その技術に目を見開く士郎。だが驚愕する間もなく、力でもって鋼の翼に弾き飛ばされる。地面に叩きつけられた。何とか体勢を立て直そうとするものの、立ち上がるのがやっとだ。

 

「ふんっ! まだ立つか!」

 

 今度は腕を構える化け物。空気が渦を巻いて弾丸を作っていくのが分かった。

 

(まずい……な……)

 

 ボタボタと口から落ちる血液が内臓への深刻なダメージを伝える。

 

 避けなければならない。

 

 ここで銃のような威力をもつ一撃をもらえば、命がない。

 

 自分が死んだら、この悪魔はきっとなのはを殺しに行くだろう。

 

 霞む視界を何とか維持し、弾丸に全神経を集中させ、

 

 

 視界が大きく揺れた。

 

 

 否、揺れたのは視界だけではない。建物全体が強い揺れに襲われていた。

 

(……地震っ!? いや、違うっ!)

 

 ただ地面が揺れているだけではない。空気全体が、まるで質量を持っているかのように波打っている。

 

「何っ!? この魔力は……」

 

 それに叫び声をあげて動きを止める悪魔。

 

 士郎はそれを見逃さず、

 

――御神流『撤』

 

 迷うことなく突きを放つ。小太刀は容赦なく悪魔の咽から頭にかけて串刺しにした。

 

 そのまま剣を手前に引くようにして顔を真っ2つに割る。

 

 顔から血を吹き出して倒れこむ悪魔。

 

 悪意をまき散らしていたそれは、黒いシミとなって消えた。

 

「はあ、はあ、ごぁっ! ぐはっ!」

 

 士郎は膝をつきながら血が混じった荒い息を吐き出す。偶然に助けられた部分が大きい上に払った代償も大きかったが、何とか凌ぎきったようだ。

 

(ここまで深手を負ったのはあのテロ事件以来か……しかし、あの化け物は一体……?)

 

 止血用に持ってきた布を巻きながら考える。香織はあの化け物と繋がりがあるのか。ユンパオは知った風だったが、氷川はどうだろうか。悪魔が最後の最後で隙をさらす結果になったあの揺れはなんなのか。

 

(いや、今はそれどころじゃないな)

 

 思考を打ち切り、今度こそなのはのもとへ走る。あの化け物がどういう存在だろうと、結局自分のやることは変わらない。

 

 もう失うのは十分だ。

 

 士郎は温泉の時に見たのと同じ赤を其処らに飛び散るマフィアの血に見いだしながら、シェルターへと急ぎ続けた。

 




――悪魔全書――――――

堕天使 シャックス
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列44番の地獄の大侯爵。30軍団を率いる。大きなコウノトリの姿にしわがれた声を持つ。掠奪公として知られ、厩金を盗み出す他、人の耳、口、目を使えなくする力や財宝を探し出す力を持つ。召喚した者には忠実だが、魔術を行使しないと嘘をつき続けるという。

――元ネタ全書―――――

流氓
 ペルソナ2・罰。ダンジョン・ゾディアックから。リュウマン。ならず者の意。なお、同名のザコ敵もダンジョンに出現します。

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