リリカル・デビル・サーガ   作:ロウルス

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 ここへきてから数週間。平和な日々が続いている。当たり前の日常。なぜか俺にはこれがとても恵まれているように、そして同時にとても儚いもののように思えた。

(当たり前のはずなのに、な……)

 平穏は日常に当然存在しているもの。誰もが過ごしているいつもの時間。そう言い聞かせ続けても不安は消えない。

 まるで、平和じゃない日が当たり前だったみたいに。

――――――――――――孔/児童保護施設・自室




第2章 日常ニ潜ム悪魔~原作前①なのは/アリサ篇
第2話 誘拐犯の悪夢


「――以上、本日のお天気でした。続きまして、今日のニュースです。海鳴市北部のホテルにて、複数の男女の遺体が発見されました。警察では集団自殺として捜査を……」

 

 夕方のニュースは物騒だ。刺激の強い画像とアナウンサーのいかにも深刻そうな口調が事件の重大さを伝える。そんな多くの人の関心を引く映像は、しかし一瞬で楽しげな映像に切り替わった。

 

「勝手にチャンネルを変えないでくれ」

 

「えー。だってもうすぐ名探偵コゴローの時間だよ? 変えていいんだもん!」

 

「そうじゃなくて、見ている人がいたら、変えていいか聞きなさい」

 

「は~い」

 

 まったく反省の色の無い返事に苦笑しながら、孔はアリスとともにアニメを眺め始めた。施設に入って数日は自分の記憶を刺激するようなニュースがないかと意識して見るようにしていたのだが、今ではもうすっかり諦め、先生が夕食を運んでくるまでテレビの前でアリスの面倒を見るのが日課になっている。楽しそうにアニメの話をしながら画面を見続けるアリスに、適当にうなずく孔。だがそんな時間も、珍しく番組が終わる前に開いた扉で途切れた。入ってきたのは施設の先生。部屋を見回してから、少し困ったような顔で問いかける。

 

「孔。アリサ見なかった?」

 

「いえ、見てません。いつもこの時間はココにいませんけど……?」

 

 それに答える孔。アリサはもともと孔のことを避けている。それはこうしてアリスとテレビを見ているときも同じで、アリスがどんなに一緒に見ようとせがんでも、決してテレビの前に座る事は無かった。

 

「まあ、そうね。何処にいったのかしら? 心当たり、ない?」

 

「いえ。少し前に外へ遊びに行ったみたいですが。見つからないなら、探してきましょうか?」

 

「う~ん、そうね、お願いできるかしら」

 

「……自分で言い出してなんですが、5才児がこんな時間にうろついていいんですか?」

 

「自分で5才児とか言い出した段階で大丈夫よ。まあ、もし迷子になったら携帯のGPS使って迎えに行くわ」

 

 言われるがまま携帯を受け取る孔。この扱いは喜ぶべきか悲しむべきか。まだアニメが終わっていないのに立ち上がったせいで頬を膨らませるアリスを先生にまかせ、孔は夕暮れの町へと踏み出した。

 

(バニングスさんが行きそうなところは……)

 

 頭の中の記憶を漁りながら、アリサの行き先を巡る。もっとも、思い返したところでアリサと2人で遊んだ記憶はない。思い出すことといえば、アリスが3人で遊びたいとわがままを言うのに嫌々ながら付き合っている姿か、アリスがアリサと2人で遊んできた後に嬉々として教えてくれた話くらいだ。

 

――ねー、今日はアリサお姉ちゃんと遊んだんだよ?

――空き地! 秘密基地作ったの!

――孔お兄ちゃんも今度一緒に行こうね?

 

 ごく最近の思い出を頼りに近くの空き地へと向かう。住宅街の端、大通りの路地裏にあたる場所にある手付かずのそこは、遊び場にしている昼間とは異なり、冷たく不気味な夕闇に満ちていた。アリサの姿はない。それに奇妙な安心を浮かべながら周囲を見回す孔。だが、目はすぐに見開かれる。大通りに伸びるビルとビルの隙間から、ぐったりしたアリサと、アリサを車に運び込む男2人が見えたから。

 

 

 † † † †

 

 

 時は一週間程前に遡る。バニングス・グループ、エレクトロニクス製品を中心に扱う大企業の本社ビル。そこに努める社員のシド=デイビスは社長のデイビット=バニングスとともに、社長の執事である鮫島が運転する車で海鳴市にある支社へ向かっていた。最近になって、バニングス・グループは海鳴市に進出することにしたのだ。

 

「シド君は、海鳴は初めてかね?」

 

「はい、日本は東京以外に出たことがありませんから」

 

「それはもったいないな。海鳴はいいところだよ。温泉とかの観光名所もあるし、何より人が中心となった商業が未だに残っている」

 

「はい、海鳴市に新たに支店を出すことが出来たのは社長の人脈のお陰です」

 

「いや、私は何もしていないよ。海鳴の友人が自主的に取引を支援してくれたんだ。人脈を利用したと言うより、こちらが応援してもらった形になった」

 

「はあ、まあ確かに取引はかつてないほどスムーズに纏まりましたな」

 

 シドは入社以来全国、いや全世界をまたにかけて仕事をこなしてきたが、海鳴支店を出すに当たって地元産業との交渉をうまくこなした功績から、このほど海鳴支店長になることが決まっていた。といっても、「成果」の大部分は社長の「友人」の説得によるもので、本人もそう理解している。にもかかわらず、その「友人」がシドを海鳴支店長に推したのだった。確かに「いい人」には違いない。

 

(しかし、海鳴市に引っ越すのはどうでしょう?)

 

 シドは心のなかで突っ込んだ。根っからのビジネスマンであるシドは、社長が今回本社から遠い海鳴市に住むことに疑問を感じていた。彼にとっては住みやすさより、通勤時間の方が大切だったのだ。

 

「まもなく、海鳴支店です」

 

 鮫島が告げる。そういえば、今日は会社の運転手じゃなく個人執事だったな、とシドは今更ながらに気付く。自分を支店長として紹介した後は直接新居に行くつもりのようだ。

 

「社長も良いところにお住まいになるようで、結構ですな。就任の挨拶が終わったら、今日は退社なさいますか?」

 

「いや、アリサに会ってからだな」

 

「アリサ?」

 

「ああ、娘だよ。アメリカで事件に巻き込まれて行方が分からなくなっていたのだが、少し前に海鳴の児童保護施設に居ると聞いてね。引き取ることにしたのだよ」

 

「それはまた……いや、おめでとうございます」

 

 軽い口調で重い話をされて反応に戸惑ったが、シドは持ち前の対人スキルでここは祝福すべきと考えた。どうやらこれは当たりだったらしく、バニングス氏は笑って応じる。

 

「シド様、こちらが海鳴支店です」

 

 ようやく着いた新しい職場を見ながら、家族を持たないシドはまさか社長の娘のために海鳴に支店を出したんじゃないだろうな、などと考えていた。

 

 

 

「ああ、社長なら帰ったよ、一刻も早く娘に会いたいらしい」

 

 そして、夕刻。シドは支店長就任祝いの飲み会で、今後部下になる社員の話を聞いていた。シドのように支店長クラスの役職ともなると、飲み会とは名ばかりで実質的に会議の延長のようなものだ。自然と仕事の話題が中心になる。家族の話を部下に話すなどあの社長くらいのものだろう。

 

「娘さんに? もうこちらに引っ越されたのですか?」

 

「ああ、今まで施設に預けられていたのを引き取るらしい。名前はアリサ、とか言ったかな?」

 

 社長の話題になって、つい特殊な状況にある娘のことを話題にあげてしまう。飲み会では人の噂は付き物だ。

 

「施設ですか? それはまた……」

 

「ああ、事情があるらしくてね……」

 

 仕事の話題も尽きかけていたところだ。公私混同の罰に少しくらいネタにしてもいいだろう。そんな軽い考えからシドは社長の噂話を始めた。

 

 

 

「おい、聞いたか? バニングスグループの総裁の娘がいるそうだ」

 

「ああ、うまくすりゃ大金が手に入るな」

 

 その噂話を聞いて声を潜める男がいた。2人は海鳴市の電気関係の中小企業で働いていたが、このほどバニングスグループが同市へ進出してきたことで仕事がなくなり、現在は無職。ちょうど居酒屋でやけ酒を飲んでいる所だった。

 

「で、どうする? 兄貴?」

 

「そうだな……まずは……」

 

 飲み会から情報漏洩。よく企業で行われているコンプライアンス教育において、例としてあげられる話だ。特にシドが参加しているこの飲み会は大企業のバニングス・グループが行うものとあって目立つ。そこで出た施設の娘の話。それは復讐を成すとともにこれからの生活のもとでを手に入れる絶好の機会だと2人には映った。必要な道具は。アリサとかいうこどもはすぐ見つかるのか。酒の勢いも加わり、男の悪巧みは次第に形を成していく。

 

 そして、一週間後。その計画は実行された。

 

 ひとりで孤児院を出たアリサに薬をかがせて意識を奪い、車に担ぎ込む。車はそのまま繁華街の裏にある人気のない道を進み、廃ビルへ。ここを拠点として、娘を金と交換しようというのだ。周囲に誰もいないことを確認すると、無言のまま男たちは車を降りる。運転席にいた背の低い小太りの男が縛られて転がされているアリサを担ぎ、助手席にいた背の高い細身の男が周囲を警戒しつつ廃ビルへ先導する。無造作に廃ビルのドアを開け、

 

「ようこそ、楽園への逃避行へ。今まさに宴は最高潮。美酒、美女、美食、なんでもそろっております」

 

 ピエロの出迎えを受けた。

 

「……は?」

 

 同時に間抜けな声を出す二人。つい先日下見をした段階では誰もいなかったはずだ。だが、そんな二人をおいて、ふざけた格好をした得体のしれない人物は横にある扉を開いた。同時に奇声とうめき声が響く。薄暗い部屋の中では数人の男女が文字通り酒池肉林を繰り広げていた。異様な光景に思わず後ずさるも、予想外に強い力でピエロに部屋の中に押し込まれた。

 

「ちょっと待て、これはなんだっ! 何をやっている!」

 

「ああ、時間が迫っておりますので、申し訳ありません。あなた方で最後なのですよ。全員がそろって初めて死の儀式を始めることができますので」

 

「そうじゃなくて、これはなんだ! 死の儀式って……」

 

「ああ、今宵の儀式は一酸化炭素での集団中毒死を予定しております。確実に死ねますよ。みなさんその前にここで思い残しがないようにお過ごしください。ここにある酒、食事はいくらでも召し上がっていただいて結構です。女性も好きなだけ抱いてください。まあ、あなた方はすでに性欲の対象とする少女をお連れのようですが」

 

 あまりにもあんまりな内容をスラスラと口にするピエロに絶句する二人。ピエロはごゆっくりと言って扉を閉める。ガチャリと鍵をかける音がした。二人はようやく再起動。

 

「おい、ちょっと待てぇぇええ!」

 

「そうだ、俺たちは死に来たんじゃないっ!」

 

 扉を叩いてわめく二人。しかし全く反応がない。

 

「兄貴、どうしましょう? 変な宗教団体につかまったみたいだぜ」

 

「ああ、ここのところ集団自殺がニュースになっていたが、まさか宗教がらみだったとは。てっきり俺たちみたいにリストラか何かだと思っていたが……」

 

 寝息を立てる少女を肩に、もう一度異様な光景に目を向ける二人。酒をひたすら飲み続けるもの、白目をむいた女を犯し続けるもの、薬を打ち続けるもの、ついでに汚物と吐しゃ物の匂いまでする、まさに地獄絵図だ。まともな人間がいるとは思えない。吐き気を感じながらも、二人は脱出の方法を話し始めた。

 

 

 † † † †

 

 

 一方、施設では先生が青くなっていた。アリサが帰ってこない。こども達にはまだ伝えていないが、今日はアリサの引き取り手であるバニングス氏が面会に来る予定なのだ。過去に虐待を受けて引き取られることに抵抗を持つこどももいる。アリサは父親に会いたいと言っていたが、直前になって怖くなったのだろうか? そんな事を考えていると、インターホンが鳴った。バニングス氏が着いたらしい。

 

「いや、申し訳ありません。予定より早く着いてしまいました」

 

 覚悟を決め、親になるであろうバニングス氏にありのままを伝える。

 

「いえ、構いません。ただ、その、大変申し訳ないのですが、まだアリサは外へ遊びに行ったまま帰ってきていないのですよ」

 

「こんなに遅くにですか?」

 

「ええ、もう門限は過ぎているんですけど、まだ……」

 

 バニングス氏の顔が歪むのが分かった。アリサが心配なのか、自分が受け入れられないのが心配なのかは分からない。何か声をかけようとしたが、その前に携帯が鳴った。すみませんと断って電話をつなぐ先生。孔からだ。ただ、携帯越しに告げられたのは最悪のニュースだった。

 

 

 † † † †

 

 

「……うん、いまタクシーで追いかけてる。……うん、警察には連絡した。いや、俺じゃなくてタクシーの運転手さんだけど。……ああ、分かってる。場所が分かったらすぐ逃げるから……」

 

 伝えることを伝え、孔は携帯を切る。同時にタクシーの運転手から声がかかった。

 

「おう、どうだ? 大丈夫そうか?」

 

「はい、ちゃんとイタズラじゃないと信じて貰えました」

 

「いや、そうじゃなくてだな、心配されたんじゃないのか?」

 

「……心配されました。ついでに追いかけてるというと怒られました」

 

 苦笑する運転手。孔はそれにすみませんと告げる。あの誘拐犯を見つけた後、近くに車を止めていたこの不幸なタクシー運転手は、驚いた顔をしながらも孔の頼みを引き受けてくれた。

 

 ――友達が誘拐されたんです! あの車、追ってください!

 ――警察に連絡を……こどもの声じゃ信用されないから、お願いします!

 ――犯人の特徴は……

 

 思い返しても無茶な要求だった。運転手にすれば訳が分からず勢いに流されただけかもしれないが、それでもこどもの叫びを聞いてくれる人物だったのは孔にとって幸運だっただろう。

 

「お、車止めたな。この廃ビルを拠点にしてるのか」

 

「じゃあ、警察に指示を仰ぎましょう。この辺で目立たない場所ってありませんか?」

 

「おう、この先を曲がれば向こうからは死角になるぜ。しかし、何で俺はガキに指示されてんだか……」

 

 突然始まった非日常にも余裕が出てきたのか、それとも緊張を和らげるためか、運転手は冗談めかして言葉を続ける。

 

「まったく、お前、アニメに出てくる小学生探偵かなんかじゃぁ……」

 

 だが、その言葉は途中で止まった。廃ビルからピエロの格好をした変質者が出てきたからだ。目が合う。瞬間、空気が変わった。

 

――ザンマ

 

 なにか空気が破裂した様な轟音とともに車体が揺れる。否、何か衝撃波のようなものが走って車体を切り裂いたのだ。運転手は慌てて孔を抱えると、黒煙をあげるタクシーから飛び降りた。

 

「っ! なんだっ! 何なんだお前!」

 

「……うるさいニンゲンですね」

 

――ザンマ

 

 ピエロがつぶやくと同時、運転手の頭が吹っ飛んだ。

 

 首から、噴水のように血が噴き出る。

 

 目を開く孔。

 

 だが、つい先ほどまで笑っていたおとなは、頭の代わりに血柱を生やし崩れ落ちていく。

 

「……次はこどもですか。自殺志願者の知り合いか何かかな? それともただ迷っただけか。まあ、何れにせよ死んで貰います」

 

――悪魔

 

 悪魔、そうか、あれは悪魔だ。ピエロの格好をした悪魔がこっちに向かってくる。さっき壊したり、殺したりしたのは……

 

――魔法

 

 そう、魔法だ。死が目前に迫っているというのに、孔の頭には以前赤い通路の夢で聞いた声が響いていた。しかし、同時に体が恐怖で震えているのも分かる。

 

「ハッハッハ、怖いですか? 怖いですよね、人間。まあすぐに殺してあげますので、怖くなくなりますよ」

 

 そういって、目の前の悪魔が構える。先ほど魔法を撃った時と同じように。

 

「じゃあ、サヨウナラ」

 

――ザンマ

 

 血柱を挙げて倒れた運転手の映像が脳裏に浮かぶ。

 

――ダメだ

 

――――俺には、まだ、やる事が、この世界にっ!

 

 無意識に心の中で叫んでいた。それに応えるように頭に声が響く。

 

――――――幻想殺し〈イマジンブレーカー〉

 

(……?)

 

 いつまでたっても衝撃はこない。おそるおそる目を開けると、反射的に構えた右腕の先に驚愕する悪魔が見てとれた。

 

「何をした貴様!」

 

 叫び声とともに次々と放たれる空気の弾丸。孔はそのことごとくを右手で受け止めていた。始めは驚きつつも無意識にやっていたが、繰り返し受け止めるうち、どうやら右腕でこの弾丸は弾けるらしいと分かった。いや、正確には思い出したのだ。確証はないが、確信がある。この右腕であらゆる魔法を無効化できる、と。

 

「っち!」

 

 魔法は無意味と悟ったのか、悪魔はついに本来の姿を現した。骨を砕くような音を立ててライオンのような顔に変わる。同時に足元の影から這い出た血のように赤い馬にまたがった。右手には蛇を模した槍。その槍を掲げ、孔を屠らんと襲い掛る悪魔。飛び退く孔。後ろにあったコンクリートの塀が真っ二つになった。

 

「何者だお前? このオリアスの槍を避けるとは、ただの人間ではないな」

 

「それはこっちのセリフだっ!」

 

 悪魔――オリアスというらしい――が問いかけとともに突き出した槍を避ける。アスファルトが抉れた。

 

「人間がこれだけ避けられるはずはない。答えろ!」

 

「だから、こっちのセリフだって言ってるだろ!」

 

 孔は息を切らして反応する。このままではじり貧だ。何か対抗できる武器があれば……

 

――王の財宝<ゲートオブバビロン>

 

 そう思った途端、またもや声が響いた。オリアスは驚愕して孔を、否、孔の背後を見ている。今度はなんだと後ろを振り向くと、何もない空間から槍やら剣やらが大量に浮いていた。この光景は以前にも見覚えがあった。

 

――はっはっは……! これが、俺の、俺の力だぁ!

 

 先ほどの声とは違う、傲慢な声が頭にフラッシュバックする。一瞬固まったものの、背中からのオリアスの殺気を思いだし、手近な槍を手にする。全力で相手に投げつけた。

 

――狂戦士<バーサーカー>

 

 響く声とともに、オリアスを串刺しにする槍。いや、串刺しにしただけでは槍は止まらない。オリアスを貫通して後ろの廃ビルの壁に風穴を開けた。その穴の前で崩れ落ちる悪魔は、血だまりようなものをつくったかと思うと跡形もなく消え去った。

 

「終わった、のか?」

 

 呆然と立ち尽くす孔。

 

「嫌ぁぁぁぁ!」

 

 そこに、廃ビルから悲鳴が走った。

 

 

 † † † †

 

 

 廃ビルの中。孔が悪魔と戦い始めた頃、誘拐犯の方は状況の打開に頭を悩ませていた。

 

「おい、どうする、兄貴? なんか妙なことに巻き込まれちまったみたいですぜ」

 

「んなこたあ分かってんだ。あのピエロは一酸化炭素がどうとか言ってやがった。まずは外に出るのが先決だ」

 

「でも、このドア、びくともしませんぜ。窓もないから換気もできねえ」

 

「チッ! じゃあ、どっかに換気扇か通気孔みたいなもんがあるだろう。取り敢えずそれを閉めれば完全密室になってアイツも一酸化炭素なんてこの部屋に入れられねえ。他のやつらも空気が悪くなったら気付くだろう」

 

 それを聞いて弟分の方は換気扇を探し始める。はたして外と空気を入れ替える換気扇は見つかったのだが、

 

「うおぅ、この換気扇壊れてやがる! ダメだ、スイッチ押しても止まらねえぜ兄貴!」

 

「ああ、しかもこれ、外の空気を中に取り込むタイプだな。こっから一酸化炭素流すつもりみたいだろうな」

 

「おおおおい、どおすんだ、兄貴!」

 

「お前はそればっかだな。どうせ壊れてんだから、徹底的に壊しゃいいんだよ」

 

 そういうと、兄貴分の方は拳銃を取りだし換気扇を撃ち抜く。轟音が部屋に響いた。思わず周りを見回す弟分。しかし、自殺志願者達は銃声が聞こえないのか、依然として行為に耽っている。改めてその異常さに恐怖した。だが、その中で正常な反応をしたものがひとり。誘拐してきた少女だ。

 

「あ、アイツ起きやがった」

 

「おい、面倒だ。幸い、まだあのガキに俺たちは顔を見られてない筈だ。変なのに連れ去られた所を俺達が助けに来た事にして誤魔化すぞ」

 

 そう言うと、兄貴分は縛られたまま暴れ始めるアリサの方へと歩き始めた。

 

「おう、目が覚めたか、お嬢ちゃん?」

 

「あんた、誘拐されたのさ。まあ俺達も助けにきたんだが、捕まっちまってね。今この部屋に閉じ込められてんだ」

 

 そして、自分で縛った縄をほどく。

 

「あ、ありがとうございます。ええっと……?」

 

「ああ、俺は鈴木、こっちは佐藤だ。取り敢えずこの部屋から出ないとな」

 

「は、はい」

 

 とりあえず誤魔化すことはできたようだ。誘拐されたという言葉にショックがいまだ抜けない様子のアリサをよそに、誘拐犯二人はそのままどうするか相談し始めた。

 

「しかし、ここにいるやつらは異常ですぜ。自殺志願者にしても行きすぎてる」

 

「ああ、正体をばらしたく無かったから、声はかけなかったが、こいつは正解だったかもな」

 

 アリサの信頼を得て多少冷静になったのか、二人は目の前で繰り広げられる光景を観察する。よく見ると白目を剥いても行為を続ける者もいる。胸くそ悪くなる光景だ。

 

「まあ、こんな所さっさと出るに限るな」

 

「でも、あのガキはどうするんですかい?」

 

 アリサに聞こえないように、弟分が尋ねる。すっかり忘れていたが、元はと言えば身代金目的の誘拐で連れてきたのだ。

 

「まあ誘拐は諦めた。代わりに警察に協力して報償金でも貰おう。あのバニングスからも何か貰えるかもしれねえ」

 

「そいつはいい。正義の味方を突き通すわけですね」

 

「そうと決まれば、簡単だ。内側から出られなきゃ、外から助けてもらえばいい。お前、携帯持ってたよな。警察に連絡しろ」

 

「おう、ちょっと待って……て、ここ圏外ですぜ」

 

「そんなはずあるか、山の中じゃあるまいし」

 

 そう言いつつ、携帯を覗く兄貴分。この廃ビルは比較的繁華街に近く、実際に車のなかで携帯を弄っていた時には問題なく繋がっていた。が、弟分の携帯には圏外の文字が表示されている。

 

「参ったな、俺は携帯を車の中に置いてきちまった。まあ、朝になれば誰か気付くだろうが……」

 

「勘弁して下さいよ。こんな中にいちゃあ気が狂っちまいますぜ」

 

「ねえ、何とかなりそうなの?」

 

 なかなか結論を出さない大人二人に不安になったのか、アリサが会話に割り込んできた。しかし、部屋の雰囲気に当てられたのか、よく見ると顔色が悪く、足も震えている。それに気付いた誘拐犯は、悪人といえど同情したらしい。できるだけ優しい声で話しかける。

 

「ああ、助けを呼ぼうとしたんだがな。携帯が繋がらないんだ。嬢ちゃん、携帯持ってたら貸してくれるかい?」

 

「あ、うん、ここに……あれ、私のも圏外だ」

 

 それを聞いて落胆する弟分。あんまり落胆したせいか、

 

「ごめんなさい」

 

 アリサに謝られた。

 

「いや、嬢ちゃんは悪くねえよ。そうなると別の手を……ってなんだてめえ!」

 

 いつの間にか、女を犯していた男が此方に虚ろな目を向けていた。幽鬼のように立ち上がり、一歩一歩近づいてくる。よく見ると後ろで転がっている女は首を絞められ絶命していた。

 

「ギ、……ヨウジョ、……ガ、イル、イイアァァァァ……」

 

「ひっ……!」

 

 本能的に危険を感じ取ったアリサは兄貴分の後ろに隠れる。

 

「近寄るんじゃねえ、この変態野郎が!」

 

 ボタボタとゆだれを滴ながら近寄ってくるその男に、弟分が殴りかかった。

 

「グギャァ!」

 

 叫び声とともに、まるで骨が折れたかのような音をたてて吹っ飛ぶ男。壁にぶつかると、頭から血を流し始めた。

 

「おい、やり過ぎなんじゃねえか?」

 

「あ、ああ、俺もあんなに吹っ飛ぶと思ってなかっ……ぐは?!」

 

 予想以上に手応えが無かったと言う弁解の言葉は続かなかった。先ほど突き飛ばした男の血がまるで槍にようになり、弟分の心臓を貫いたのだ。

 

「なっ!」

 

 グチャグチャと音をたてて不定形になる血液。いつの間にか血の赤は気味の悪い緑に変わり、露出した内臓を包みこんでいった。そのままぐちゃぐちゃと混ざりあい、不定形の化け物が出来上がっていく。

 

「きゃあっぁぁぁぁ!」

 

 人が意思を持つ不定形の化け物――スライムになる一部始終を見て、悲鳴をあげるアリサ。

 

「クソがっ! 寄って来んじゃねえ!」

 

 それに触発されたのか、兄貴分は銃を撃ち込む。混乱して連射したものの、弾丸はことごとくスライムに打ち込まれた。グゲ、と悲鳴のような音を立ててスライムは動きを止め、破裂するような勢いで元の血に戻った。床にぶちまけられる血液。

 

「……ちっ! おい、大丈夫か?」

 

 背中でガタガタ震えるアリサを気遣いながらも、弟分に声をかける兄貴分。しかし、いつまでたっても反応がない。

 

「……心臓が止まってるっ! クソッ!」

 

「い、嫌ぁぁぁぁ!」

 

 叫ぶアリサ。その声に反応するように、周りからなにかが爆発するような音がした。爆発、と言っても花火のような派手な音ではない。もっと鈍い、骨が砕けるような音が響く。何事かと見渡すと、今まで快楽の限りを尽くしていた自殺志願者達が次々と音をたてて破裂し、血を撒き散らしながらスライムに変わっていくところだった。

 

「きゃあぁぁぁぁああ!」

 

 恐怖にかられ扉に駆け寄るアリサ、勿論扉はびくともしない。

 

「退いてろ、ガキ!」

 

 叫ぶアリサを見て逆に冷静を取り戻した兄貴分は、拳銃で扉の鍵を撃ち抜いた。普通の廃ビルにあるような扉なら簡単に破れるはずだが、

 

「畜生! 何で開かねえ!」

 

 弾痕を残しつつも、扉は壁のように動かなかった。

 

「嫌ぁっ、来ないで!」

 

 足元にすがり付くアリサの声で後ろを向くと、スライムが此方に向かってきた。慌てて拳銃を撃とうとするが、

 

 銃声は響かなかった。カチリとトリガーの金属音が空しく響く。弾切れだ。蒼くなるアリサ。

 

「く、来るんじゃねえ!」

 

 兄貴分はスライムを蹴り跳ばそうとするも、その足をスライムにとられた。

 

「グギァァァァッ!」

 

 足に激痛が走る。スライムが捕食しているのだ。他のスライムもよってたかり、音をたてて喰らい始める。

 

「い、嫌ぁ……」

 

 目の前で人間が喰われるのを見てへたりこむアリサ。次第に無くなっていく人間の肉に不満を覚えたのか、スライムは標的をアリサに変え迫り始めていた。

 

 

「嫌ぁぁぁぁ!」

 

 

 アリサのその絶叫は、孔に届いていた。悲鳴が聞こえた方へ駆ける。埃っぽい廊下を走り、魔方陣が描かれた扉を蹴破る。予想外の固さに違和感を覚えたが、目の前に広がる光景を見てそんな事は吹き飛んだ。

 

 鼻をつく腐臭とともに、赤黒い血だまりが広がっていた。血の海のなかに、ナニか浮いている。俺はあれを知っている。ローウェルの頭だ。腕も見える。骨も浮いてる。そして、その横にはスライムが……

 

――ろーうぇるハアノ悪魔ニ喰ワレタ

 

「うわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 頭のなかで響く声を否定するように、槍を取りだしスライムを滅多刺しにする。

 

――コイツラハ、コイツラハコッチニイテハイケナインダ!

 

 次々と音をたてて血と内臓の塊に変わっていくスライム達。やがて大量の血だまりに浮かぶ肉の塊だけが残った。頭が働かない。動けない。

 

「……ハア、ハア、ハアッ……」

 

 孔はその場で膝をつき、

 

「う、お、ぐ、おぇ……」

 

 胃の中のものを吐き出した。

 

 

 † † † †

 

 

 遠くからパトカーのサイレンが聞こえる。ようやく警察が来たようだ。

 

「っ! 孔、大丈夫? 孔!」

 

 嗚咽を漏らす孔の背中をさすりながら、施設の先生は後悔していた。確かに孔はしっかりしていた。5才児としては異常なほどだ。普通に新聞やニュースを理解するは、こども達との面倒を見るは、施設の職員といえど異常と思うのは仕方ないだろう。それでも、先生にとっては孔がこどもであることに何ら変わりは無い。元はと言えば、アリサの帰りが遅いからと孔を迎えに行かせたのが問題だった。あのとき、二人に仲良くなってもらおうとアリサの携帯に連絡を入れず、あえて孔に行かせていた。二人っきりで話せば、大人びた孔はアリサとうまく関係を修復できるかもしれない。引き取られるアリサにも、最後にそういった機会があればいい思い出にもなるだろう。そんな考えからだったが、現実はどうか。自分が探しに行っていれば、さっさと警察に連絡しておけば、そんな思いが胸のなかを去来する。

 

「……これは、何だ?」

 

 そこへ、声が響いた。アリサを迎えに来たバニングス氏の声だ。目の前に広がる悪夢のような光景をに、そしてあまりにも無惨な娘の姿に理解が追い付かず、立ち竦んでいたが、

 

「何なんだこれはぁっ!」

 

 絶叫した。押さえきれない感情と共に。

 

 

 † † † †

 

 

 それから、数日。事件は武装したカルト集団の暴動として処理された。その現場に居合わせた不幸な誘拐犯と孤児の死も報じられた。孔は病院に暫く入院しながら警察の事情聴取を受けたが、今では元の生活に戻っている。勿論、悪魔のことは話していない。話したところで信じて貰えないだろう。タクシー運転手と誘拐犯、そしてアリサも常人には理解できない儀式で生け贄として斧で惨殺された。平和な日本では信じられない話だが、これが公式発表だ。

 

「孔、準備は出来た?」

 

「はい、いつでもいいですよ」

 

 先生に答える孔。今日はアリサの葬儀が近くの教会で行われる。先生は孔に気を使い、辛いなら行かなくていいと言ってくれたが、

 

「大丈夫ですよ。ただでさえ仲よく出来なかったのに、葬式に行かないと、余計ローウェルに嫌われてしまう」

 

「……そう。でも、苦しくなったらすぐに言いなさいね」

 

 孔はけじめをつけようとそれを否定した。

 

「じゃあ、いきましょう」

 

 そんな孔に何も言わず、アリスを連れて歩き出す先生。死をよく理解していないのか、アリスは無邪気に笑って先生と手をつなぐ。

 

「ねー、孔お兄ちゃんも、手」

 

 空いた手を、いつもならアリサとつないでいる手を差し出すアリス。孔はわずかな沈黙の後、その手を取った。

 




――Result―――――――
・堕天使 オリアス  宝剣による刺殺
・外道  スライム  銃殺・刺殺等
・愚者  タクシー運転手   魔力による衝撃の貫通
・妖精  アリサ・ローウェル スライムによる捕食
・外道  誘拐犯の兄貴    スライムによる捕食
・外道  誘拐犯の弟分    悪魔の触手による貫通

――悪魔全書――――――

堕天使 オリアス
 イスラエル王国のソロモン王が封じた72柱の魔神の1柱。序列59番の大いなる侯爵。地獄の30軍団を指揮する。馬に跨り、手に大蛇を携えたライオンの姿をもつ。呼び出した人間に惑星に関する知識を与えるという。

外道 スライム
 近代ファンタジー作品に見られる、アメーバ状の体をもつ怪物。本作では、実体化し損なった悪魔の成れの果て。実体化に失敗する例としては、悪魔を呼ぶための魂が足りない、呼び出そうとしたものが儀式中に殺される等多岐にわたる。なお、今回は穢れた魂をもつ人間をヨリシロにしているため、人間の臓器や骨が浮いているのが見えており、それを傷つける事で撃退可能。

外道 誘拐犯の兄貴分
 海鳴市のエレクトロニクス関連下請け企業に勤めていた男。バニングス・グループの進出で親会社が撤退したため、勤めていた企業が倒産。たまたま聞いたバニングス家の情報を元に誘拐を思い付き、実行する。弟分の前では冷静に振る舞おうとするが、成功率の低い誘拐と言う手段をとろうとする等、短絡的なところが見られる。なお、作中アリサに名乗った名前は偽名である。

外道 誘拐犯の弟分
 海鳴市のエレクトロニクス関連下請け企業に勤めていた男。兄貴分の計画に乗り、誘拐を実行する。兄貴分と比べ背が低いものの、力は強い。ただし拳銃は所持していない。企業に勤めていた時から愚直さが目立つ、よくも悪くも人についていく男。

愚者 デイビット・バニングス
 大企業バニングス・グループの総裁。アリサの父親。ビジネスには厳しくも、人の情を汲んだ経営で従業員に人気がある。事業の傍ら、娘であるアリサを探していたが、海鳴市への事業進出にあたって調査をしている際に孤児院で生活していることを突き止めた。

愚者 シド・デイビス
 大企業バニングス・グループの営業部門部長。生粋のアメリカライクなビジネス人で、非効率を嫌う思考の持ち主。ビジネスに私情を挟む社長には疑問を感じている。

愚者 タクシー運転手
 海鳴市にあるタクシー会社の社員兼運転手。元はサラリーマンだったが、務めている会社の業績が悪化してリストラされた。幸い免許を所持していたため、雇用の受け皿とも言われるタクシー運転手として再出発を果たす。結婚もしている二児の父。そのためかこどもに甘い。

――元ネタ全書―――――
召喚失敗でスライムに
 シリーズ恒例の合体事故から。その他、真・女神転生Ⅲでは煌天限定のイベント、怪しいサバトで召喚失敗の描写があるので元ネタに。ご立派なあの悪魔がスライムになって衝撃を受けた(しかもスライムになる前のご立派な姿で仲間になったりはしない)のは私だけじゃないハズ。

アリサと廃ビル
 言うまでもなく原作の原作? とらハ3より。無印前・前編はこの話が中心になります。

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※オリアスはゲーム版の「真・女神転生Ⅰ」ではザンマは撃ってきませんが、魔法の描写がほしかったので使ってもらいました。彼の天体に関する知識とはあまり関係ありませんが、寛大な目でみてやってください。
※原作では幻想殺しを持っていたら自分の持つ他の異能も打ち消されるハズですが、この辺の設定は後で出てくる、という事でご了承ください。
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