洛山高校 115-55 誠凛高校
最後のブザーが鳴り、観客は洛山の勝利を称える。
【それじゃ、みんな。さよなら】
絶望の闇に呑まれ、英雄の背中が遠のいていく。
そして、それを機に1人、また1人と目の前からいなくなっていく。
【待って!待ってください!】
どれほど声を荒げようとも振り向く者はいない。何時かの決別の時の様な、悲しい背中を見た。
【僕はっ!繰り返したくないっ!火神君っ!英雄君っ!みんなっ!!】
周りには誰もいない。たった独りになった自身を今度は闇が覆い始めた。
「---はっ!」
酷い夢を見た。中学時代の経験のせいか、現実味があり過ぎる。
真冬の早朝から嫌な汗をかいて黒子は目覚めた。
「はっ..はっ..はっ」
あれから少しでも休めた事が幸いだと思う。
考えたくはないが、近い未来を示唆しているのではないか。妙なデジャヴを感じている。
出来る事なら否定したい。こんな未来を蹴り飛ばしてやりたい。
「......怖い」
数時間後に試合を控え、こんな思いをしたのは初めてだった。
負ける事は問題じゃない。全てを終えた誠凛の行き着く先を考えると怖くて堪らない。
2度目の決別を迎えるかも知れないという恐怖が、黒子を襲っていた。
「(けど、このままじゃ駄目なんだ)」
しかし、黒子は1度目を知っているからこそ、待っているだけでは何も解決しないと知っている。
自分から動けば改善に向かうとは限らない。それでも、何もしなければ、後悔が待っているだけ。
最高の結末でなくとも、最良へと向かう努力だけは止めたくない。
「英雄君」
もう1度だけ、話してみよう。
それが黒子の答えだった。
「...酷い顔」
自室で鏡を見たリコはとりあえずショックを受けていた。
瞼は軽く腫れ、若干の充血が目立ち、変な寝癖が更に引き立てる。
17年生きてきて、こんな顔を見るのは初めてだった。
「(正直、行きたくない)」
酷い顔を全国中継される事も嫌だが、アイツの顔を合わせせるのも嫌。
そして、なによりもどこかに勝てなくてもいいやと思っている自分がいるのが嫌だった。
勝とうとしない人間がチームを率いる監督など務まるはずが無い。今日の午前に予定していたミーティングも自然消滅し、全員を呼びかける様なやる気も無かった。
「(でも、みんなは来るのよね。多分、日向君も)」
恐らく、同じ様な事を考えている人物はリコ以外にもいる。そして、その人物も試合会場に必ず現れる。
これが都大会とかならば、欠席の可能性もあったかもしれない。それが全国大会の決勝戦ともなれば、今まで戦ったチームの無念もあって、戦う前から捨てる事など絶対に許されない。
最後の2チームに残った者としての義務感と責任感はリコにもある。行きたくないと言うのは紛れもない本音だが、それでも行かざるを得ないのだ。
「(まさか、こんな最低な気分で迎えるとは思わなかった)」
海常に勝った時までは、もっと情熱的に燃え上がっていると思っていた。本当に人生とは、分からないものだ。
まさか、裏切りのカミングアウトを受ける羽目になるとは。
「あ~もうっ!腹立つ!!」
昨晩の出来事を明確に思い出してしまい、鏡に映った自分に不満を叫んだ。
どれだけ苛立とうが、自然に準備をしている自分がいる。気を落ち着かせる為、風呂場へと足を運んだ。
目の腫れを治すには、温めて冷やすという事を繰り返す必要がある。先ずは、シャワーで寝癖ごと気分を洗い流し、体を温める。その後にタオルを使って瞼の腫れを直していく。
「(ホント、最低)」
寝癖は簡単に直せたが、気分まで爽快にはならなかった。
手ごろなタオルが気の利く場所にあった事も気分の一因に繋がっていた。
恐らく、景虎が用意しておいたのだろう。リコが風呂場から出た直後に洗面台においてあった。
「おはよう」
「...おはよう」
リビングに向かうと、これ見よがしに新聞を読んでいる景虎がいた。
キッチンから香ばしい匂いがして、朝御飯の準備が出来ているようだった。
あからさまなご機嫌伺いに、正直少し腹が立つ。
「......ねぇ」
無言で朝御飯を食べ、コーヒーを一口啜ったリコは、本題を切り出した。
「ああ、前々から相談を受けてた」
「やっぱり」
具体的な質問をする前に、景虎はリコの求める答えを話す。
英雄の持っていた封筒は、バスケット協会と書かれており、英雄と渡りをつけた人物は景虎以外ありえない。
「元々協会は、国内バスケの発展の為に、そういう事をやりたがってた。今回、偶々スペインのチームのトライアウトがあったから、協会を通して書類を送り込んだ」
日本国内において、バスケットと言うスポーツの位置づけは、野球やサッカーと比べてマイナー寄り。キセキの世代の出現で活気付く今、更に追い風を求めていたと言う。
協会と渡りをつけて、トライアウトの情報を手に入れ、書類とプレー映像を送っていた。
「お陰で誠凛はボロボロよ。責任とってくれるの?」
今回の件で景虎が演じた役割は理解した。だからと言って納得できた訳じゃない。
タイミングは英雄の独断だろうが、景虎に恨み言の1つも言いたくなる。
「予定じゃ、今日の夜に言うはずだったんだよなぁ」
頭をガシガシと掻きながら、言い訳を漏らす景虎。
「言い訳しないでっ!大体なんで止めないのよ!まだ1年よ!??幾らなんでも早過ぎるに決まってんでしょ!!」
告白のタイミング自体は景虎に責任はない。だが、英雄の肩を持っている事自体が気に入らない。
今でも誠凛に残って欲しいと思っている。1度言い出した英雄が意見を変えないと分かっていても、リコは変わらず思っている。
「挑戦する事に早過ぎるはない」
「---っ!」
普段の親バカな雰囲気から一転。リコの父親ではなく、元バスケット選手からの意見は、問答無用でリコの言葉をとめた。
「僅かだとしても、望みがあるのにやる前から諦めるなんて事、アイツに出来る訳ねぇ。だから俺はアイツに預けたんだ」
景虎が現役時代の時、様々な事情により海外挑戦を諦め、現在の生活に至っている。
リコと言う子宝に恵まれ幸せだと思うが、未練がないと言えば嘘になる。
「確かに俺は部外者で、アイツのやった事は道理に反してる。だけどな、アイツがそうなっちまった原因の一因である以上、否定もできないんだよ」
日本は海外と比べ、義理人情を重んじる傾向がある。自身をより評価してくれるところに移るのが当たり前という考えも薄い。
それは景虎もそうであり、言い方が悪いが、自分に都合の良い選択を好む訳ではない。
だが、景虎は背中を押した。積極的な選択をする様に、幼少時から言い聞かせてきた。その結果、野心が宿っていた。
「...野心」
「ああ。隠し切れなくなった劣等感と重なって、今回の件に繋がったんだろう」
劣等感と野心。これが心の内で育んできたもの。
逆に言えば、これがあったからここまで成長できた。2年のブランクを解消し、全国クラスまで辿り着くなんて事、生半可な努力で出来るはずがない。
必要なのは具体的で高い目標。明確なビジョンこそが自らを押し上げるのだ。
「でもっ!」
「まぁトレーナーの1人として、作品とも言える選手を手放したくはないよな」
納得が全く出来ないだけで、理解はしているのだ。
続けて景虎は、リコの意見も分かると言う。
原石同然だった英雄をここまで磨いてきたのはリコである。スタミナが群を抜いていた為、特別メニューを何度も作り直したこともある。
1年と数ヶ月後が経ち、もっと環境が優れたところに行くと言われて、笑顔で見送れるだろうか。
トレーナーとして、チームメイトとして、絶対に許せない。
「アイツを許せって言ってる訳じゃない。ただ、うやむやにだけはするなよ」
これ以上話す事はないと、景虎は立ち上がった。残った食器をキッチンを持っていく。
そしてリコも、これ以上質問がなく、ボーっと窓の外を見ていた。
「最後のアドバイスだ。今日の試合は、本気で勝ちに行け。アイツが気に入らなくてもだ」
食器洗いをしながら言う。それでも前を向けと。
今のリコにとって、それがどれだけ難しい事かは理解している。
英雄の肩を持っているからではない。この一言はリコを思っての事である。
「無理よ...そんなの」
今日、決勝戦を控えていると、頭では分かっている。
分かっていても、本気で勝ちたいと思えず、負けても仕方ないと思っている。
こんな状況で勝つ方法があるのなら、是非とも教えて欲しいくらいだ。
「悔いは残さない様にな」
それから景虎は口を閉じた。皿洗いが終わるとジムへと仕事に向かい、リコだけが残された。
「劣等感、か」
英雄が相当な野心家であると言う事は、今更な話である。
文字通り分不相応な夢を本気で打ち立てる。分不相応と思っているのはあくまで周囲の人間であって、本人は本気で手が届くと考えているのだから、実に面倒この上ない。
しかし、劣等感の正体はリコでも分からなかった。
「あれ?どこにやったっけ」
じっとしていても落ち着かない。気晴らしに昨日撮った洛山の映像でも見ようかと思ったが、カメラが鞄に入っていない。
海常戦の前、どこかに忘れたかと思い返していた。
「おう、少し待たせたか?」
「いえ、問題ないっす」
場所は都内のホテルのロビー。
大きな体を揺らしながら、岡村がやって来た。
待っていた英雄はハンディーカムを鞄にしまい、頭を下げて挨拶をした。
「聞きたいことって何だ?」
「あの、これなんですがね」
鞄から1冊取り出して、岡村に開いて向ける。
1つのページを指差して、少しばかり質問をした。英雄の思惑は分からないまま、岡村は快く応じ、求められるまま返答をした。
「なるほど。参考になりました。ありがとうございます」
「それはええんじゃが。何かあったか?」
古い顔なじみとは言え、それほど長い付き合いと言う訳ではない。
にも関わらず、気が付いてしまう岡村に脱帽する。
「いーえ、問題なしっす。今日は勝ちますよ」
いきなり核心を突かれても、飲み込んで外には出さない。
家を出る前に決めた、やらかした者の最後の意地であった。
「...そーか。わしらも見に行くから、まっ頑張れ」
内心勘付いているのだろうが、聞き流してくれる気遣いはありがたい。
立ち去る岡村を見て、来年の陽泉は苦労するだろうなと思った。
「ん」
ホテルの外に出ると、英雄の携帯電話が鳴った。
このタイミングで、連絡を取ろうとする人間に心当たりがなく、ポケットから取り出して表示された名前を読む。
「テツ君...」
場所を更に移して、公園内のバスケットコート。
日が昇ってから、火神は再びこの場所でたたずんでいた。
「そうか...そんな事が」
目的の1つは、氷室辰也との和解。
陽泉との試合後にじっくり話す切っ掛けがなく、ここまで宙ぶらりんだった。
起床してから悶々としていた火神は1つずつ問題を解決しようと行動していた。
和解を求めていたのは氷室も同様。
火神の想いを快く受け入れ、和解に応じたが、火神の心のしこりが残っている。
相談してどうにかなる問題でもなくとも、誰かに話を聞いて欲しかったのだ。
「まだ俺ん中で決めかねてる。俺はどうすればいいのか」
チームメイトには気を使って話し掛け難い。寧ろ、部外者である氷室の方が話しやすかった。
「そうだね。いっそ何も考えずに真っ直ぐぶつかってみたらどうかな」
「何も考えず」
火神の性格から言って、考え過ぎるのは良くない。
上手く立ち回ろうとせず、火神の思うままに行動すればと、問いかけた。
「そうすれば、少なくとも悔いは残らない。タイガが正しいと思った事を真っ直ぐに」
何が正しいか、それすらはっきりしない状況だが、少しだけ楽になった。
要はその時その時に感じた事を、そのまま行動に移す。
何が起きるかなんて事、今は分からない。その代わり、その為の心構えは今からでも出来る。
「サンキュ、今の言葉マジで助かった」
「いいさ。しかし、彼がスペインにか」
どうせなら、自らを破った誠凛に勝って欲しい。我ながら小さいプライドだなと微笑しつつも、英雄の件について考える。
「ああ。何時からそんな事考えてやがるのか」
「彼の考えは理解できないか?」
火神の疑問に対し、氷室は改めて質問をした。
英雄の選択を知った氷室には、少しだけ理解できる。
「どういう意味だよ」
「タイガは、この先自分がどうなっていくのかなんて、考えた事はあるかい?」
火神の質問返しに、更に質問を返す氷室。
「例えば、俺はアメリカの大学に進学しようと思っている。まだ先の話だけどね」
大きく言えば進路の話。
高校1年生の火神がピンとくる話ではないが、英雄の考えに近づく為にあえて話す。
「無名の俺が、強豪に行ける訳はない。ペーパーテストで行ける範囲で、精一杯背伸びするつもりさ」
今の目標は、あくまで日本一。
来年3年生になる氷室は、その後のビジョンもしっかりと持っている。
今の目標も未来に繋がる通過点でなくてはならない。決して人生の最終目標であってはならない。
火神に分かるように、出来る限り噛み砕いて説明を続ける。
「補照君ほど極端でなくとも、そういうビジョンは持っておいた方がいい。誠凛が決勝に辿り着いた以上、今後の目標は常に日本一になるんだからな」
この先、誠凛が掲げる目標は、日本一以外になくなる。
今大会でそれが可能であると証明されたが為に、目標を下降修正できなくなる。
日本一を目指す事が当たり前になってくると、逆に士気低下に結びつく事がある。所謂、燃え尽き症候群がこれにあたる。
これ以上目指すところがなくなり、どこかでマンネリ化が起きる。英雄が恐れている事の1つはこれだろうと、氷室は言う。
「...なぁ、劣等感って感じた事あるか?」
「急になんだい?」
「昨日、英雄が言ってた」
英雄の急ぐ理由はなんとなく分かった。
火神は話し次いでに、もう1つの疑問を氷室に聞いてみる。
「...あるよ。最初は、タイガが切っ掛けだった」
面と向かって言うなんて、恥しい事この上ない。
正直なところ、本人と向かい合って言いたくはないが、困り果てている弟分が聞いてくる以上、応えない訳にはいかない。
「と言うか、タイガに劣等感を感じない人間は少数派だと思うよ」
面と向かって言われ、困るのは火神も同じ。
聞くんじゃなかったと後悔し、言葉の続きを待つ。
「けど、補照君の場合、少し違うと思う」
「え?」
全国レベルに達している選手が、劣等感を感じる対象は限られてくる。
火神含め、キセキの世代がその対象になり得るのだが、不思議としっくりとこない。
「実際アツシに対して、劣等感どころかあまり気を払っていない印象をもったからね」
準々決勝で紫原は、『俺を見ていない』と言っていた。
つまり、英雄はキセキの世代に劣等感を抱いておらず、準決勝での黄瀬に対しても同様。
他の3人に関しては断言できないが、英雄が抱いた劣等感は別のものに向いている様に思えた。
「じゃあ、一体」
「本当に知りたいなら、それこそ本人に聞いてみればいい。下手に気を使わず真っ直ぐに」
氷室は繰り返し言った。
ここでの気遣いは悪循環。理解したいなら、勇気を持って踏み込むべきだと。
その頃、黒子は電話で英雄を呼び出していた。
場所は久しぶりのバーガーショップ。
「やっ」
「...どうも」
やはりいつも通りとはいかない。顔を合わせるだけで、表情が強張る。
「とりあえず、これ渡しとくよ」
黒子の目の前にハンディーカムを置いた。
何を話してよいかなんて事は、英雄にも分からない。重苦しい沈黙を防ぐ為に、口を動かした。
「出来れば、順平さんかリコ姉に渡しといて欲しい。テツ君も見ておいた方がいいよ」
とりあえず、決勝戦に関わる話。
黒子の出方を待ちながら、話を続ける。
「相手の事を知っておかないと、ミスディレクションも活きないでしょ?」
黒子のミスディレクションは、出たとこ勝負では発揮できない。
試合までの準備があってこそ、試合で輝くのだ。
「英雄君。僕の話を聞いてください」
ビデオカメラから英雄へと目を移し、黒子は話を切り出した。
「僕が誠凛を選んだ切っ掛けは、中学の時に試合を見たからです。そしてその後、遠くから眺めていた練習風景の中に君がいました」
帝光中学バスケット部を辞めてから、再びコートに戻ると決心した時、黒子は人知れず見学に来ていた。
見学と言っても、校内には入らず、フェンス越しに体育館内を眺めていた。
そこにいたのは、黒子同様にバスケに復帰した英雄であった。
「その時に思ったんです。ここなら、真剣に勝つ事と楽しむ事の両方を目指せると。きっと、君となら」
当時は、キセキの世代の対抗心があって、自身のバスケを認めさせようと考えていた。
そういう意味で、木吉と英雄がいる誠凛を選んだのかもしれない。
だが一方で、誠凛に混ざってみたいと本心で思った。帝光にない物がここにあると信じていた。
「もう駄目なんですか?僕は、もっと君と、みんなでプレーしていたい。本当にもう駄目なんですかっ...!」
共に歩んだ日々を思い出すと涙が溢れてくる。
楽しい事も、辛い事もあった。試合の勝敗以上に、この日々はかけがえの無いものだった。
英雄の向上心の高さを知っても、何時か終わりが来ると分かっていても、黒子は一心に望む。
「ごめん」
黒子の気持ちは分かった。上っ面ではなく、受け止めた上で頭を下げた。
「俺って馬鹿だからさ。全国大会でMVP、国際大会で金メダル、プロになって新人王、可能性がある限り、全てに手を伸ばしたいんだよ」
秋頃だったか、部室の掃除をした際に目にした雑記帳には、英雄の掲げた目標が箇条書きになっていた。
あの時は恥しそうに隠していたが、今では本腰を入れて目指そうとしている。
「最後の最後まで馬鹿でいようって決めたんだ。そうすればいつかきっと、胸を張れる時がくるような気がするから」
「そう、ですか」
行動に結果は付いてこなかった。黒子に出来る精一杯の気持ちを伝えても、英雄の決心は揺らがない。
謝られてからの言葉が耳を通り抜けていく。
「だから俺は誠凛を日本一にする。MVPも取る」
こんな馬鹿な宣言なんて、ちっとも届いていない。意味を失った言葉は店内に空しく響くだけ。
俯く黒子に一声賭けて、英雄はその場を後にした。
昼が過ぎ、夕方を向かえ、時計の秒針は正確に時を刻む。
徐々に近づくに連れて、決戦の場である東京体育館に人々が集まっていく。
今までに誠凛と戦った事のある者が観客に混じっており、結末を見届けようと足を運ぶ。
「......」
誠凛の控え室の雰囲気は、屋外と同じくらいに冷え切っていた。
黙々と着替えを済ませ、会話なく目を合わせる事も少ない。
英雄は部屋の隅で目を閉じ、日向は距離を取ってそっぽを向いている。
「カントク」
同じ様にどこか違う方向を見ていたリコに、伊月を中心とした小金井・水戸部・土田の4人が話しかけた。
「スターターに、英雄を入れるべきだ」
チームのトップの2人がダンマリを決めて、時間だけが過ぎている。そんな状況を打破する為に、彼等は踏み切った。
その様子に驚く日向や1年とは対照的に、木吉は同じ事を考えていた4人に対して嬉しく思っていた。
「おい!待てよっ!」
「日向」
興奮し始める日向に、落ち着かせようと名前を呼ぶが、簡単には収まらない。
「こんな奴を信用しろっつーのかっ!出来る訳ねーだろっ!!」
押し黙るリコと徹底的に反対する日向。伊月等も当事者であり、その気持ちは充分過ぎるほど理解できる。
特に気持ちで戦う日向が、英雄と良いプレーが出来るとは思えない。
だがそれよりも、優先したい事があるのだ。
「日向っ!」
「うっ...!」
「お前だって分かってるだろ。赤司のマークを誰がやるべきなのかを」
他のチームならまだしも、洛山が相手となると状況が大きく違ってくる。
大きな問題は、誰が赤司とマッチアップするのか。
「か、火神がいんだろ。こんな奴の力を頼らなくたって...」
英雄を指差し拒絶しながら、今まで通りキセキの世代の相手は火神に任せればよいと力説する。
「火神にゲームメイクまでやらせるのか?幾らなんでも、タスクが多すぎだ」
しかし、伊月の正論は崩せない。
伊月自身悔しく思うが、赤司のマークの前にどれ程の仕事ができるだろうか。
日向の言うとおり火神ならと思う半面、負担の多さに疑問を抱く。
「っ...けどなっ!」
「俺達4人で話し合って決めたんだ。今日だけは勝利に拘るって。やっぱり、日本一になりたんだよ」
今度は立ち上がる日向の肩を掴んで、小金井が説得を試みる。
「日向の言いたい事は分かるけどさ。俺達の為に割り切ってくれない?」
小金井の言葉に水戸部も頷き、日向に訴えかける。
許せないと言う気持ちは最もだが、このままで良いはずが無い。
「...っかったよ」
「悪いな日向」
渋々ながら同意する日向の肩を土田もポンと叩く。
とりあえずでも、目先を変えて戦う理由となる事を選んだ彼等は、隅っこに座る英雄に目を向けた。
「英雄、そういう事だ。負けたら承知しないぞ」
「死ぬ気で戦う覚悟は出来てます」
伊月の問いに目を見開いて答えた。
勝ちたいから英雄を出す。信頼は失い、求められているのは結果だけ。
言葉は必要ない。全てはコート内で決まる。
「(意外と、緊張はしてないんだよな)」
色々とあり過ぎたせいか、木吉は決勝戦に対し、過度な緊張感はなかった。
日本一を目の前にして、硬くなる事なく、気合は充実していた。
「みんな、聞いてくれ」
伊月等に便乗し、木吉も想いをぶつける事にした。
「これが俺にとって、最後の高校バスケだ。だから無理は承知で言う、楽しんでいこーぜ」
出来る出来ないは関係なく、あえて木吉はチーム全体に投げかけた。
暢気な言葉ではない。これは木吉の願いであり、宣言である。
「...時間よ。行きましょう」
届かなくたっていい。ここを最後と決めたからには、今出来る全てをコートに吐き出す。
脆くなった誠凛には支えが必要だ。それこそが、木吉鉄平に残された最後の役割として相応しいと思う。
「(大丈夫だ、俺は独りじゃない)」
言おうと思っていた事を、伊月達が言ってくれた。
同じ想いを持った仲間がいると分かれば、恐れる物はない。
「おい」
ウォーミングアップの為に、コートに移動を始めると、火神が英雄を呼び止めた。
「お前の言う壁って何だよ。何に劣等感を感じてるんだ?」
無言で振り向く英雄に思ったまま、感じるままに質問をぶつけた。
「...情けない話。『たられば』にかな」
野心の意味を調べると、
①ひそかに抱く、大きな望み。また、身分不相応のよくない望み。野望
②新しいことに取り組もうとする気持ち
③野生の動物が人に馴れずに歯向かうように、人に馴れ服さず害を及ぼそうとする心
悪い意味で大体当ってる。五将的な通り名をつけるとしたら、これなのかなぁ