えっ?タイトルが酷い?そんなのいつもの事でしょう。
<<--- Side Iroha --->>
明けて翌日。
わたし達は朝早くから奉仕部の部室に集まっていた。
今は出来上がった写真に目線なんかを入れながら、わいわいと品評を述べているところ。
写真の仕上げやコートの先輩とのすり合わせのために再集合したんだけど、なんだか誰も彼もが眠そうにしている。
あの撮影会の後、雪ノ下先輩の家に泊まっていくように勧められた。
彼女は「今の状況で貴女を一人にしておくのは忍びないから」と至極真っ当な理由を口にした。一緒に話を聞いていた結衣先輩も一緒にと名乗り出てくれて、とんとん拍子に二日続けての合宿が決まったのだった。
正直言って、雪ノ下先輩の家で写真を撮るという展開になったとき、この流れを期待していなかったと言えばウソになる。それどころか「今夜も一人で留守番なんですよね~」なんてぼやいてみせたりしたのだし、完全に狙ってやっていたと言うべきだろう。
このところ先輩方には迷惑の掛け通しで、下げた頭を上げる間もないような立場だとは思う。けど、だからと言って他に頼れるひともいないのだ。
でもまあ、気を許せる相手との女子会──それもお泊りっていうと、問題やらご迷惑やらとは別のとこで、純粋に楽しいっていうのはあったかな。
一応顔には出さないようにしてるつもりだけど、やっぱ日頃の女子トーク不足が深刻っていうか。だから共通の話題を中心に夜中まで盛り上がっちゃったのは、当然と言えば当然か。
え?恋バナ?いやー、そこだけはみんな露骨に避けてたなぁ。てか、この三人で気楽に選べるトピックじゃないでしょ。
実はその時、先輩にもこっそりお泊まりを勧めてみたんだよね。
けど、「流石に今夜はカンベンしてくれ」と顔を赤らめる姿を見せられて、釣られてわたしまで顔が熱くなってきちゃって。それ以上食い下がるのも色々と急ぎ過ぎかなって思ったから、今回はやめときました。
自宅に帰ったはずの男性陣までこうしてあくびを連発してる理由については思うところがありますけど、深く追求しないでおいてあげますね?わたし、これでも理解のある女を目指してますから。
ちなみに、今夜はってことは、次があると思っていいんですよね?
「これは…コラだな」
「…コラにしか見えませんね」
「まごうことなきコラージュであるな!」
みんなが口々にそう評しているのは、PCに取り込まれた昨晩の写真だ。
わたしが思い描いたとおり、出来上がった写真の構図自体もなかなかアレな仕上がりになっている。
そして、写っているそれぞれの表情が、その怪しさを強烈に後押ししていた。
「ゆきのん、このポーズでマジ真顔とか…」
「貴女こそ…姿勢と表情が病的なまでに乖離してるわよ?」
…ま、要するに。
みんな不自然極まりない顔で写ってるもんだから、まるで別の写真から持ってきたみたいに見えるんだよね。
って言うか──
「あのー、わたしの目が見過ごせないレベルで飛んじゃってるので、軽く撮り直しませんか?」
「目線入れるんだから一緒だろうが」
「だってこれ、ちょおマヌケ顔なんですけど…」
「言葉を知らん奴め。こういうのはアヘがふんっ!」
あらら、抗議しようと襟元を引っ張ったら、なんかいい具合に首が絞まっちゃった。
ラクチンだから次からこうしよっと。
「イモ先輩は黙ってて下さいね?」
「イモ!?そのドン臭さ全開の蔑称は、よもや我の事ではあるまいな!」
「だって長いんですもん。ザザ先輩でもいいですけどー」
「我としてはそっちの方が…何かラノベの敵キャラとかにいそうだし…。おい八幡よ、どう思う?」
「いいんじゃね?ザザ虫みたいな響きで」
「やっぱりイモの方でお願いしますっ!」
「承りました♪」
うん?先輩から何か言いたそうな空気が出てますねー。
「ところで一色、俺の──」
「だって長いんですもん」
背中を向けたままのわたしにほぼ食いで却下されて、先輩、驚いてるみたいですね。
ふっふー、最近ちょっとずつ読める範囲が広がってきましたよ?
「…文字制限が厳しすぎだろ。つか雪ノ下なんて俺より長いし」
「確かにそうですね。じゃあじゃあ、ユキ先輩って呼んでもいいですか?」
「ええと…。出来たら今まで通りの方が嬉しいのだけど」
「──だそうです」
「素直かよ。俺の希望は通らないわけ?原型どころか影も形もないのはなんとかならんの?」
「なりませんねー」
「別にいいんじゃん?いろはちゃんが"先輩"って呼ぶの、ヒッキーだけだし。特別ってことじゃない?」
さすがに結衣先輩にはバレバレですか。
フォローはありがたいんですけど、ちょいちょいブレーキが緩いから、口を滑らせそうでヒヤヒヤさせられます…。
「日本語の妙よね…特別って言葉そのものは指向性を持たないのに、何だか良い事のように聞こえるわ」
「暗に悪い事だって示唆するのやめてね?」
そのへんは折を見てちゃあんとわたしの口から教えてあげます。
それまではせいぜい悶々としててくださいね♪
「それより準備は大丈夫なの?お昼休みに決行としか聞いていないのだけれど」
「やべ、肝心の人に話通すの忘れてた」
「平塚先生のこと?メールしたのではなかったの?」
「色々ありすぎて忘れてたんだよ…」
昨日の状況を繰り返すためには、事態の収拾に大人の登場が不可欠だ。
けど、それは教職員なら誰でもいいってワケじゃない。
「おい八幡、本当に大丈夫なのだろうな?事と次第では我の進退に関わるのだぞ?」
「平気だろ。最悪、材木座の進退くらいにしか響かないし」
「確か人生は三歩進んで二歩下がるくらいが丁度良いとか、往年の名曲も謡っていたわね」
「ちょっとちょっとおぉぉお!?」
足踏みどころか後退しちゃうんですか。それだと中学生からやり直しって事に…。
イモ先輩改めイモ後輩になっちゃうのかな。後輩は要らないからそれだとただのイモですねー。
「冗談だ。つかあの人も話の流れ知ってるんだし、俺らが雁首揃えて何かしてりゃ、ある程度察してくれるっしょ」
確かに、この状況でわたし達の行動を見たら、その場を上手にあしらうくらいの気配りは期待していいひとだとは思います。思いますけど──
「別の先生が駆けつけてきたら、どうするんですか?」
「……………」
* * *
(本当に大丈夫かな…)
HRの時間も迫り、わたし達はそれぞれの教室に散っていた。
先輩はさぞ居心地の悪い思いをしているだろうと気が気ではなかったけれど、結衣先輩が無言で頷いて見せたのをみて、ここは彼女に任せる事にした。残念だけど、今のわたしに出来る事はこんなにも少ない。
教室のざわめきに耳を
あの写真がわたしの家の前で撮られたことに気付ける人はそう多くないと思うけれど、このところ彼の元に入り浸りになっていたわたしに話題が飛び火するのは時間の問題だ。元はわたしが原因だし、それ自体は構わないけれど、そうなった時に昨日みたいに冷静さを失う可能性があるのが困り物だった。
あのひとが関わると、わたしの心はこんなにも大きく揺れてしまう。
丹精込めて作り上げた仮面が、いとも簡単に剥がれ落ちる。
それはありのまま生きていく上では歓迎すべきこと。
──なんだけど、今この瞬間に限って言えば、極めて都合が悪かった。
そんな風に会話に注意を向けている中、ふと誰かの口からとある単語が聞こえてきて、わたしはピクリと肩を震わせた。
「職員会議」と。
血の気が引く思いで時計を仰ぐ。
そろそろHRは始まっているはずの時間なのに、まだ担任が入ってこない。
あんなビラが出回ったのだ。その可能性は充分考えられた。
噂が大人の耳に入れば、事実なんて関係無しに関係者は全員呼び出されてしまう。
実際、昨日の写真については後ろ暗い事は無いし、教師の方には説明が出来るだろう。けれど今度はその呼び出しの事実が一人歩きを始めるのではないだろうか。
どうしよう、職員室へ乗り込むべきか。
次第に大きくなるざわめきの中、一人で青い顔をしていると、入り口から担任がひょっこりやってきた。
「すまんすまん、ちょっと遅くなったけど始めるぞー」
(お、おどかさないでよー……)
そそくさと着席するクラスメイトを余所に、ぺたりと机に潰れたわたしは大きくため息をついたのだった。
* * *
「だからー、過去系と過去完了系の一番の違いはー、その状態に連続性があるかどうかで──」
例によって眠気を催す英語教師の呪文も、今日はいっさい耳に入ってこない。
それもそのはず、わたしは1限からこっち、一分おきに時計を睨みつけていた。
いい加減首も疲れてきた頃、とうとう約束の時間が迫ってきた。みんな、うまく授業を抜け出せているだろうか。
じゃ、ぼちぼちわたしも…。
「せんせー」
授業を中断してぴこっと手を上げたわたしに、胡乱に散っていた教室の空気がきゅっと集中する。
…うざっ。
いいから。みんな寝てていいから。
調子が悪いだとかの単純な仮病でも、女子が授業を抜け出す事はそれほど難しくない。
ただ、この状況でわたしが仮病を使ってしまうと、逆に本気に取られかねないのが厄介だった。仲良しの先輩の噂を書きたてられて凹んでいる、なんて思われてはそれこそ都合が悪い。あの写真を合成だとみんなに信じ込ませるためにも、堂々としている必要がある。
幸いにして、今のわたしには非常に心強い肩書きがあった。
「すみません、お昼前にちょっと業者のひととお会いする約束がありましてー」
「うん?…ああ、生徒会の…。はい、ご苦労様。いってらっしゃい」
「ありがとうございます」
まんまと脱出に成功し、そのまま階段ホールへ向うと、既に先輩達が集まっていた。
設置作業はほぼ終わっていて、ビラが大量に張られた掲示板は昨日の光景によく似ていた。
「すみません、遅くなりました」
「いろはちゃん」
ひらひらと手を振ってくる結衣先輩に手を振り返しながら、わたしは本日の主演が一人足りないことに気が付いた。
「あの、先輩は…?」
「それが先生に捕まっちゃって…」
うわぁ…。またおかしな理由つけて抜けようとしたのかなぁ…。
「いろはちゃん、授業抜けるの大丈夫だった?ホラ、ヒッキーの事もあるし…」
「ありがとうございます。平気ですよ、これでもいちおう生徒会長ですから。そのあたりはぬかりなく」
しかし、さすがは結衣先輩。
諸々の気持ちを含めたわたしの複雑な立ち位置を一番理解しておいでです。
「おー、さっすがぁ!あたしはねー、お腹が痛いって事にしてみた!」
元気良くVサインしてますけど、まさかそのノリで申告してませんよね…?
先輩が隅っこで頭を抱えてる姿が目に浮かぶなあ。
「私も恥ずかしながら体調不良という事になっているわ。仮病なんて初めて使ったけれど、案外疑われないものなのね」
いえ、雪ノ下先輩のテンションだとどう見ても女の子のアレなんで、絶対止められないと思います。
「ふふん、我なんて2限まるまるサボってまで──」
「あっ、ヒッキー!」
いつも以上に背を丸めた先輩が足音を忍ばせてこちらにやってくる。
肝心の人物が居なくて不安だったのはわたしだけではなかったようで、雪ノ下先輩もほっとした様子で彼を迎えた。
「遅かったわね。捕まったと聞いたけれど何をしたの?痴漢?八幡?」
「捕まったってそういう意味じゃないから。つか八幡は犯罪じゃねえよ語感良すぎて危うく見逃すとこだったわ」
「ゴメン、もしかしてあたしの後だから怪しまれちゃった…?」
「いや、どうせ誰も見てないだろうと思って後ろの扉からこっそり出たんだけど、戸部のバカが声掛けやがったんだよ…」
「…脱出の方法もアレですけど、戸部先輩はいっぺん
「……」
あれっ?なんだか先輩方がわたしを見る目の距離感が遠くなった気がしますけど、気のせいですよね?
「ところで八幡よ。平塚教諭がこの時間、そこの準備室に居るという保証はあるのだろうな?」
この掲示板と国語科の準備室とは目と鼻の先だ。
普通に考えれば、ここでの騒ぎに真っ先に反応する職員は、その部屋の人物だろう。
ただ、平塚先生がそこに居なかったり、別の先生が待機していたりすると、話がややこしくなる恐れがあった。
「あるかそんなもん。んなことまで知ってたら俺が先生のストーカーだろうが」
「え、ちょっと困るんですけど。我、お腹痛くなってきたかも…」
イモ先輩がへどもどし始めた時、お昼を告げるチャイムが校舎に鳴り響いた。
そしてそれは、購買組にとってのスタートの合図でもある。チャイムが鳴り終わるや否や、校舎の空気が動き始めたのが肌で分かった。不安な要素はあるけれど、舞台の幕は上がってしまったのだ。
後はもう、上手く行く事を祈るしかない。
「あっ…きた!誰かきたよっ!」
「では私達は向こうへ。比企谷くん、しっかりね」
「先輩、がんばってください!あとイモ先輩も」
「ッシャアア任せておけえええい!!」
後から騒ぎを聞きつけてやってくるという筋書きに沿って、わたし達は踊り場から一旦距離を置く。
「ぬおぉおおっ!何だこれはっ!凄い、凄すぎるっ!」
イモ先輩は、さっそく役者も真っ青のボリュームで声を上げ始めた。
協力してくれてるんだし、スルーするのも酷いかと思って声を掛けたんだけど…予想以上に効いたみたい。
かなり離れたのにここまで声が届いてくる。これなら客引きとしての効果は十分期待できそう。
「…うるせーのが居るな」
「C組だかD組だかのキモオタじゃん」
声を聞きつけた生徒がさっそく近づいてくる。
わたし達は遠目から固唾をのんでそれを見守った。
「なんか掲示板にめっちゃ貼られてるんだけど」
「え、また?」
プリントされているのはもちろん、出来立てほやほや、わたしプロデュースの作品だ。イモ先輩は『桃色八幡宮』だなんて勝手に命名していたけれど、確か八幡宮って学問の神様じゃなかったっけ。もうすぐ受験生のクセに、無謀っていうかなんていうか…。
つけられてしまった作品名はちょっとアレだけど、注目度の高さについてはたぶん心配しなくていいと思う。
同級生女子の水着姿を見られる男子なんて、彼女持ち以外にまず考えられない。おまけに被写体がこのラインナップと来れば、
「何だ…グラビア…?」
「ちょ、これ会長ちゃんじゃね?!水着すっげ、超エロカワだし」
「このロングの子…国際科の雪ノ下さんのような…まさかな…」
「うわホントだ!あの人こういうのNGだと思ったのに」
「こっちの巨乳の子、なんだっけ?ほらF組の可愛いの。なにヶ浜だっけか」
「由比ヶ浜な。確かに似てる」
(………)
影で控える女性陣の顔色は渋い。当然だろう、好きでも無い男に肌を見せて悦ぶのは痴女だけだ。
わたしだってそこらの男子に水着姿を安売りするのは
てか会長ちゃんてなに?わたし影でそんな呼ばれ方してるの?この歳で男子からちゃん付けで呼ばれるのってちょお気持ち悪いんですけど…。
わたし達はもやもやした不快感にじっと耐えながら、ひたすら様子を観察し続けた。ばら撒くと言ってはいるけれど、実は一枚たりとも彼らに持ち帰らせない手はずになっているのだ。そこには感情的な配慮というより、もっと現実的な理由があった。
「…なあ、これって合成じゃねーの?」
「俺も思った。いくらなんでもあり得ない。キャストが豪華すぎ」
「ええ?本物だろ。ぜんぜん違和感ないし。あの子の太ももってこんな感じだぜ?」
「またテキトーなこと言って…。そんなんどこで見たんだよ」
「いや部活んとき。ウチの部の名物マネだもん。こないだ辞めちゃったけど…あーまた死にたくなってきたー」
「ざまぁ過ぎる。そのままシネ」
「うるせーよ」
た、確かに真夏は短パンとかで参加してたっけ…。当時は葉山先輩にアピールするのに忙しくて、他人の目とか気にしてなかったし。でもそういう目で見られてたかと思ったら、今となっては、とととトリハダが~~っ!
まずいなぁ、折角いい感じの流れだったのに。まさかわたしの太ももで真贋が判定されるだなんて──。
「つか真ん中のヤツ、また比企谷だわ。昨日の写真でもヤリチンって言われてた」
「うっそ!じゃあ俺の会長ちゃんがヤリチンの餌食に…!?」
「少なくともお前のじゃねえよ図々しいな。これが合成なんだから昨日のもそうだろ」
「だよなー、だと思ったわ。あーよかった。もしも事実だったらコイツ殺す」
「そういや一色って、最近こいつと付き合ってるって噂があるんだよなー」
「よし殺そう」
うーん、ここへきて例の偽装工作が裏目に…。
個人的にその噂にはもっと燃料注ぎたいんだけど、こうも予備軍が多いんじゃ先輩の命が危ういなぁ。
「材木座。お前何してくれてんの」
期は充分と見たのか、ここですぐ傍に控えていた先輩が彼らの前に姿を現した。
H.Hさんご本人の登場に、ビラを手にしていた生徒達もさすがに口を噤む。
待ち構えていたイモ先輩はまるで歌舞伎のような身振り手振りで──いやいや、やりすぎですよそれは…。
「来たな、比企谷八幡っ!貴様がっ、貴様ばかりがぁっ!うぉのれぇ口惜しやぁあ!」
ちらりと目配せをすると、先輩は大仰にため息をついてから言った。
「来たよ来ましたよ…。で、なんでこんなモン作ったわけ?」
「無論、貴様の評判を地の底へ落とす為よ!前のは些か不出来だったからな!我の本気を見よ、真に迫る超クオリティ、
無意味にキレよくポーズを決め、高らかに叫んだイモ先輩。その額には脂汗が浮かんでいる。
緊張のせいなのか太っているからなのかちょっとよく分からないけど、とりあえずキモい。
キモいけど、がんばれっ!
「うっわ…同級生のコラとか完全に末期だろ」
「ま、これなんて胸とかAVクラスだしな。繋ぎに違和感なくて無駄にスゲーけど」
「評論乙」
「俺はスレンダーの方が好みかも」
「お前は雪ノ下さんが好きなだけだろ」
「ちがっ…何言ってんだおまっ…ちっげーし!」
生徒達がビラを手に盛り上がっているのを見て、雪ノ下先輩が目配せした。
(そろそろ頃合ね。行きましょう)
女子チームのお仕事はこの場の流れを確定させる事だ。
颯爽と現場へ向う雪ノ下先輩に続いて、わたしも舞台袖から躍り出る。
「これはどういうことかしら」
棘のあるどころか、棘そのものと言った声を発する雪ノ下先輩。
基本的には演技なのだけれど、先ほどスレンダーと称された怒りも少なからず混じっていると思われる。
彼女の傍らには顔を真っ赤にして涙ぐんだ結衣先輩と、顔色を失っているわたし。
顔が強張っているのは単に成否を案じて緊張しているからなんだけど、日頃愛想を振りまいている分、わたしの真顔は緊迫感を生むと、以前誰かに指摘されたことがある。それなら見ようによっては怒りを堪えているように見えなくもないはずだよね。
結衣先輩のは…うーんこれは演技じゃなくてガチの涙目ですね。さっきのAV発言がトドメになったみたい。わたしだって嬢扱いされたらさすがにショックだしなー。心中お察しします…。
そんなわたし達を庇うように立つ雪ノ下先輩は、強烈な目力であたりを
「貴方がやったの?」
打ち合わせ通り、彼女はビラを一枚剥ぎ取ってビシリと目の前の不審なコート男に突きつけた。
応じて「フゥハハハ、いかにもっ!」と大胆に笑うイモ先輩。けれど雪ノ下先輩と目が合った瞬間、見えない弾丸で額を撃たれたかのようにビクンと顔を背け、「わ、我がやりました…」と消え入るように呟いた。
「そう。貴方がやったのね。もしかして昨日の騒ぎも?」
詠うように断罪する雪ノ下先輩は、心なしか生き生きとしているようにも思える。それが演技にハマってのことなのか、それとも単に嗜虐心が刺激されたからなのかは定かではないけれど、自分が責められる役だったらと思うとぞっとする。
「そうだ、昨日のも、我のした事、だぁ、ふ、ふはは…」
魔王様の迫力に、イモ先輩の声はとうとう独り言レベルのボリュームになってしまった。
そこ!そこ重要ですから!ちゃんと言って!みんなに聞こえるように言って!(鬼)
そう念じていると、彼はこちらをみてビクンと一度震え、大きく息を吸って再び声を張り上げた。
「こ、これは凡庸な写真を贄に我が召還せし逸品よ!ちなみに盗撮ではないからもちろん罪に問われる
「そう…。確かにそれなら盗撮とは言わないわね。ただ、少なくとも名誉毀損、猥褻物陳列、肖像権侵害にはあたると思うから、然るべき所に報告させてもらうわ。私は素人だからそれ以上は分からないし、詳しい罪状は警察なり検事なりに聞いて頂戴」
いやいや十分過ぎますから。その他に該当する罪状なんてあるんですか?
このままだとイモ先輩は停学、悪いと退学ってレベルですけど、ホントに大丈夫なんですかね…。
「え…マジで?ちょっと八幡、聞いてないんですけど!?」
あっバカ!うろたえちゃダメ!先輩のほう見ちゃダメー!
「こらこらー、何を騒いでいる?」
「平塚先生!」
わたし達のピンチを図ったかようなタイミングで、頼もしい助っ人が到着してくれた。
いかにも面倒だと言わんばかりの声が、ヒールを鳴らしつつこちらへ近づいてくる。
イモ先輩は女神でも迎えるかのような表情で──ってあなたは喜んでちゃダメでしょ。分かりますけど。
彼女は掲示板に張られたビラを手に取り、ぷっと小さく肩を震わせた。
そしてわたし達の顔を一通り眺め、最後に先輩の方を見て苦い笑みを零して見せる。
そのまま野次馬へと向き直って一歩足を進めると、先に生徒達の方が口を開いた。
「おっ、俺らは何もしてないですよ?」
「そうそう、通り掛かったらこいつらが揉めてて…」
「なるほど。ではその手に持っているものは何だね?」
「あ、いや違うんですよ、これはその辺に落ちてて。ちょっと拾ってみただけで──」
生徒達が怯んでいる隙に、どさくさで床に落ちてしまったビラを予定通り先輩が回収していく。物証が残っていると、平塚先生が彼を庇いきれない可能性があるからだ。
にしても、何で誰も先輩の行動に疑問を抱かないのだろう。あの目立たなさはもの凄い特技のような気がしてきた…。
おっと、感心している場合じゃない。わたしにも大事な役割があるんだった。
「では、そっちは生徒会が回収します」
「あ、あの、俺たちは別に…」
わたしと平塚先生を交互に見て、少し怯えた表情で手にしたビラを差し出す男子達。
基本的に彼らは利用されただけだ。ちょっと恥ずかしい思いもしたけれど、もちろん恨んだりなんてしていない。
「分かっている。君らを咎める理由はない。それを持ち出さない限りはな」
優しげに、しかししっかりと釘を刺す平塚先生。
どうやら説明しなくてもこっちの意図するところを完璧に汲み取っているよう。
あっ、どうして結婚できないのか納得しちゃった。これ、先輩が言ってた「教わろうとする女子」の逆パターンだ。デキる人ほどモテないなんて、女子の人生って難しすぎるよ…。
そんなデキる平塚先生に促され、生徒達は抵抗することなく手にしたビラを渡していく。自身のマヌケ面が印刷されたいくつものビラを回収するのは性質の悪い罰ゲームみたいなものだったけれど、わたしも必死に能面を維持し続けた。さっきまで話題にしていた本人に見咎められたバツの悪さからか、彼らは「これ酷いっすね!」なんて口にしながら、これ見よがしにビラを剥がすのを手伝い始めた。
そうして、時折誰かがこぼす残念そうなため息には目もくれず、わたしはせっせと全てのビラを回収したのだった。
持ち逃げなし。撮影の気配もなし。
これで写真拡散の芽は断てたと思う。概ねスムーズに事が運んだのもあって、最終的な目撃者は20人にも満たなかった。でも昨日の騒ぎを知っている生徒が居たのは大きい。あとは放って置いてもねずみ算式に噂が広まっていくことだろう。
やがて生徒たちは散り、掲示板は平時の姿へと戻っていた。
「比企谷、後で準備室に来なさい。面倒だが一応な」
「うす」
そう言って、彼女は特に誰を咎める事もせずこの場を立ち去った。先輩はあとで事情聴取を受けることになってしまったけれど、あの口ぶりなら心配は要らないと思う。なによりイモ先輩を呼ばなかった事が、状況を理解していることの証だから。
そのうち、誰ともなくあの部屋へと足を向けた。わたし達の間に言葉こそ無かったけれど、みんな開放感にうずうずしているように見えた。
全員が部屋に揃ったところで、雪ノ下先輩が後ろ手に扉に鍵をかけ、ほう…と長い息をつく。そんな彼女の安心した様子を見て、わたしもようやく肩の力を抜いた。
「あーもう!超ハズいし!誰がAVだし!あーもう!」
「あははー、大盛況でしたね、あの写真」
「一色さんの太ももの話が出た時は、どうなる事かと肝を冷やしたわ」
いやあ、わたしもアレには焦りました…。
ていうか、全体的に綱渡りだったような気がしますけど、結果オーライってことで。
「だ、大丈夫だったか?我、うまくやれてた?」
「ああ、必殺技の名前なら心配すんな。誰もパクリだなんて気づいてない」
「そんな事聞いとらんわぁ!つかパクリじゃないしオマージュだし!?……マジでバレてない?ほんと?」
この期に及んで心底どうでもいい事を気にするイモ先輩。
このひと器が大きいんだか小さいんだか。でも今回はすごくお世話になりました。
「材木座」
「なんだ」
「…あれだ。今度何か奢るわ」
「当然よ。超ギタでも頼んでくれよう」
きゅーん…!
──はっ!なに、今の?
先輩達の照れを隠し切れないぶっきらぼうなやりとり。
それを聞いた瞬間、わたしの中で変な音がした。
こ、これはまさか…。
噂に聞くBL萌え!?
わたし、腐っちゃったの?!
違う違う、わたしはノーマル!普通に男女の恋愛が一番!
珍しく笑顔を零す先輩の腕をとり、わたしは強引にその輪に飛び込んでいく。
「なりたけですか?わたしも行ってあげてもいいですよー?」
「え、別にいいけど。お前は自腹だからな?」
「ぶぅー。…なぁんて、最初からたかるつもりないですけどね♪」
「あっ、じゃああたしも!ゆきのんも行こ?みんなで打ち上げしようよ!」
「…そうね、たまにはいいかもね」
「でさでさ、そのあとパセラ行かない?カラオケとか」
「いいですね!先輩の歌とかちょお聞いてみたいですし」
「いやカラオケとか行かねーから。そもそもいつ行くかも決めてないし」
「えー、いいじゃないですかー。今週末、ヒマですよねー?」
「そーだよ、ゆきのんの歌も聞けるよ?」
「私もカラオケに行くとまでは言っていないのだけど…」
「ヒッキー、パセラでハニトー奢ってくれるってゆったじゃん!」
「うぐ……そ、それはほら、別の機会というか…」
「むっ、何ですかそれ。ちょっと詳しく聞かせてくださいよー!」
「由比ヶ浜さん、怪しい相手から物を貰っては駄目だと教わらなかったの?」
「おいちょっと待て。その怪しい相手って俺の事ですか」
「わたしは怪しくても気にしませんよ?なのでわたしにもハニトー奢ってください♪」
「フォローの仕方がおかしい?!怪しいほうを否定してあげて!あとヒッキーはデレデレしないの!」
「怪しい呼ばわりされてデレデレするとか趣味が特殊すぎるだろ…」
「あの、我、ほんとに行ってもいいの……?」
材木座の呼称は中二先輩ってのが多いようですが、シリアスシーンで中二呼ばわりすると少し都合が悪いような気がして、無理やりにでも愛称?をつけてみました。
それなのに、結局シリアス向きじゃないところに落ち着いてしまった…。