黒桜ちゃんカムバック   作:みゅう

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#1 手を取り合いましょう

 考えるな。考えてはダメだ。抵抗などしても意味はない。

 仄暗い蟲蔵の中、疲労感で掠れた視界に映るのは、わたしの血肉を喰らおうと足先から這い上がって来る無数のおぞましい蟲たち。

 あぁ、やだなぁ。でも、わたしが“わたし”として生き抜くためには、思考を放棄してこの波に身を委ねるしかない。

 

「はぁ……」

 

 何事も諦めが肝心。肩から抜けていくような溜息が一つ、腐りきった空気の中に溶け込んでいった。陰鬱で退屈な調教は終わらせて、早く先輩の家に行かないと。

 

「明日は何を作るんだろう。確か、冷蔵庫の中身は……」

 

 どうしてだろうか、冷蔵庫の中身が思い出せない。今日の晩も先輩と一緒に作ったはずなのに、何故思い出せない? 

 いや、そもそも――――――――『先輩』って誰だっけ? 得体のしれない違和感を覚えた。わたしは何かを忘れている? 

 

『また腕を上げたな。桜』

 

 そう言ってわたしの髪を掻き上げる柔らかな掌、頬に息の触れる距離、鼻孔をくすぐる暖かな匂い、燦々と陽の降り注ぐ縁側――――――――

 そうだ、先輩の待つ武家屋敷に帰るんだ。

 

 だからここじゃない。

 わたしが帰りたい場所は、居るべき場所は、こんな仄暗い蟲蔵なんかじゃない!

 

「ここじゃない」

 

 それは自分へ向けた決意。

 

「わたしの場所は、ここじゃない!」

 

 視点の定まらない瞳を抉じ開ける。

 だけど、そこに在ったのは言葉にするのもおぞましい、醜悪な光景(蟲の大群)。 

 いやだっ。来ないで……

 

「来ないでっ!!」

 

 影の発現と共に巻き起こる魔力の嵐。弾き飛ばされる蟲たちの残骸が地下室の壁面にへばりつく。肌に触れるモノや、足元に蠢いていたモノたちは影の中に引きずり込み、自らの糧とする。

 やはり最後に頼るべきは力だということを我ながら改めて目の当たりにした。そして再び脳裏に浮かび上がるのは先ほどとは別種の違和感だった。

 

「影が、小さい?」

 

 いや、それだけじゃない。今までは無尽蔵だった魔力の供給が途絶えている。薄汚い蟲から微々たる魔力を得たものの、本来の大きさの影が出せないし、ふた回りほど小さくなったものでも維持がおそらく困難だ。

 それに、だ。何故、桐柳寺に居たはずのわたしが蟲蔵に居る? 何故、わたしは今になってまで蟲に襲われているのだ? 確かにあのとき確かに――

 

「なんじゃ、その魔力は――――まさか、これは『吸収』か?!」

 

 声のする方に視線を向ける。段上から見下ろしているのは伽藍堂な一対の瞳だった。

 矮小な体躯な体躯、カビ臭そうな羽織、杖に体重を預けるシルエット、それは間違いなく殺したはずの間桐臓硯(おじいさま)の姿。

 

「どこまでも生き汚いですね、間桐臓硯(おじいさま)。確かに心臓に居た本体を潰してあげたのに、何でまだ生きて……」

 

 精一杯強がってあの蟲(おじいさま)を睨みつける。正直なところ状況が全く把握できずわたしの頭はパンクしそうだ。

 何故だ。何故あの老害が未だのうのうと生きており、逆転したはずの立場が元に戻って――――

 

「戻って、いる? まさかっ!?」

 

 はっきりしない記憶の糸を伝うと一つの可能性に行きついた。改めて確かめる手足の感覚、華奢になった躯。胸が無くなったとか、少し痩せたとかいうレベルの話ではない。今のわたしは間違いなく幼児のものだ。

 これが真実なら魔法みたいな夢物語だが、おそらくわたしの精神は過去に戻っている。そうとしか考えられなかった。

 

『サクラの願いを叶えて下さい。それが私の願いです』

 

 確かにライダーはわたしのためにあの時そう願った。聖杯の力が作用してわたしの望みを叶えた。そう考えるのが妥当だろう。無意識に蟲に襲われる直前のわたしの過去を変えたいと願ったのだろうか。

 思考に耽ろうとしたところで、ふと現実に意識を戻す。まずはこの状況をどうやって潜り抜けるべきか。  

 確証はないがきっとお爺様の本体はまだわたしの中ではない。蟲に襲われたのは素肌だけで、体の中に巣食っている気配はなさそうだ。

 ならばここの蟲全てを今の魔力だけで殺しきれるか? いますぐ殺すか否か。迷いが出る。

 しかしお爺様の方もどうやら戸惑っているらしい。いつもの余裕の笑みが消えている。虚ろな眼光が一段と鋭くなるものの、戦闘用の蟲を構える様子はない。様子見、ということだろうか。

 

「桜に憑いておるお主、何者じゃ。調教もしておらぬ桜が何故に間桐の力を使える?」

 

 憑いている? あぁ、なるほどそういうことか。その言葉が正しいのなら、今のわたしは小さい頃のわたしに記憶と幾許かの魔力だけが乗り移った感じになっているのだろう。

 

「わたしはあなたの孫の桜で間違いないですよ。お爺様」

「何を言っておる。召喚と降霊に関してわしを謀ることはできんぞ小娘。狙いは桜の肉体か?」

「だから、憑いているわたしも桜ですよお爺様。いや、わかりませんよね。今のあなたの知らない間桐桜なんですから」

「何を言っておるか理解できぬ。率直に答えよ。でなければ……」

 

 痺れを切らしたのかお爺様の足元の蟲たちが脱皮し始め、その幾多もの鋭い牙をわたしに向ける名前は確か翅刃虫だったか。

 戦うか、交渉かの二択。だが戦うにはまだ早い。幸いわたしの体は喰われていないし、上手くいけばお爺様も利用できるかもしれない。なのでとっておきの切り札をここで切る。

 

「第五次聖杯戦争」

 

 蟲の羽音に負けぬよう、お爺様の耳にハッキリ届く声で呟いた。

 

「今、何と言った? まさかお主」

「えぇ。第五次聖杯戦争の勝者がわたしです」

「何を願った?」

 

 何だ、もっと驚けばいいのに。表情一つ変えずに淡々とした口調で先を促される。面白くない。

 

「ふふふ、なんだと思います? そうですね。お爺様への復讐というのはどうでしょう?」

「並行世界、あるいは未来のわしを殺した上で、またお主はわしを殺しに来たというのか?」

 

 歯のない歪な口が更に歪む。この状況において段々と余裕を取り戻してきているようだ。羽蟲の塊を引きつれて杖を頼りに地下室の階段を下り、わたしの下へと歩み寄るお爺様。

 

「ははは、はははは! なんとも愚かな事だ。お主も、お主の殺したという間桐臓硯(わし)もな」

 

 遂に嗤いを声に出してわたしとの距離を縮めていく。

 お爺様が、近い。

 

「だが、もうあと一歩だったのか。十にも満たぬ幼子が急にわしと同類の臭いをさせよるとなれば、お主の言うことにも信憑性が出る。間桐臓硯(わし)は手綱こそ取り損ねたが、お主を余程の器に仕上げたようじゃの」

「えぇ、随分頑丈になるように教えて頂きましたので。耐え忍んで油断した所をプチリとやりました。標本作りと同じで、意外とあっけなかったですよ」

「本気で言っておるようじゃの。しかし、わしを相手にするには今のお主では魔力が心許ないのではないか? ほれ、肩で息をしておるではないか」

 

 不味い。流石に熟練の手練れだけあってこちらの具合は見切られているようだ。でも、また昔のように蟲の傀儡になるのは嫌だ。殺害、若しくは蟲を遠ざける取引をしなければ。

 何か、何か切れるカードはないのか? 未来から来たわたしだからこそ切れる何かが。こちらが差し出せて、相手が欲しがっているもの、願い、不老不死、聖杯。

そうだ聖杯だ。わたしには聖杯何か必要がない。ただ先輩との静かな日常さえあればそれでいい。

 

「確かにわたしはお爺様に対して怨みがあります。十年以上の辛い日々を味あわせたことは絶対に忘れません。ですがお爺様、一つ確認しても良いですか?」

「綺麗な躯のままかということか? それならばお主もギリギリ間に合ったようだのう。実に残念なことじゃが」

「でしたら、今の(・・)お爺様にはまだ(・・)わたしも恨みはありませんね。だから対等な相手として取引しませんか? 」

「白々しい。わしを殺したと吹聴する相手を信用しろと?」

「ふふふ、わたしだって手篭めにされるところだったんですよ。お互い様じゃありませんか?」

 

 伊達に歳を重ねていないか。こういった形での対決は初めてだが中々に手強い。

 

「目的さえ被らずに、利益だけ一致すれば、わたしたちきっと上手くやれると思うんですよ。わたし欲しい物があるんです。それさえ手に入れば他に何も要りません」

「それを手に入れるために協力しろと?」

「そうです。そして対価として聖杯をお爺様にあげます。どうせわたし達には必要ないものですから」

「到底信じられぬ。ならば聖杯を掴んだお主が何故それを願わなかった?」

 

 そう疑われるのも無理もない。確かに殺したい相手ではあるが、当面の利益は一致するのだ。何しろ今のわたしの目的は――

 

「恋人と人生をやり直したかったんです。だからわたしは過去に戻って来ました」

「ほう、恋人か……それ、続けるが良い」

「まだ第四次聖杯戦争は始まっていないんでしょう?」

「あぁ、今から約一年と少し後じゃ」

「その聖杯戦争でわたしの恋人は大きな災害に巻き込まれる。それから救って二人で幸せになりたい。わたしの理由はそれだけです」

 

 おそらく聖杯戦争が原因である大災害さえなければ、先輩はトラウマを負うこともなかったし、魔術師や正義の味方を目指すこともなかった。

 先輩を戦争の余波から守るために早く身柄を確保。そして積極的に聖杯戦争に参加して聖杯を手に入れる。聖杯に興味がない振りをして油断したお爺様を殺す。よし、当面の計画はこれで通そう。

 

「なるほど。お主の心情は理解できぬが、行動原理は理解した。確かにそれならば聖杯は要らぬの。そしてその災害とやらを防ぐためにも歴史の改ざんが必要と、そういうことで相違ないな?」

「ええ。聖杯戦争は今回で終わらせます。あんなものなんて、先輩も姉さんも関わるべきものではありませんから。だからわたしが積極的に聖杯を手に入れる理由もあるけれども、使う理由はありません」

「して桜、お主勝算はあるのか?」

「ええ。幸い準備期間もかなりありますし、お爺様や雁夜おじさん、神────当時のマスターから前回の戦争の事少しは聞いています」

 

 雁夜おじさんは強がるばかりであまり詳しい話は聞けなかったけど、お爺様と神父様からは第四次のマスターである衛宮切嗣のことなどをはじめ、最低限の知識は与えてくれていた。

 

「ふむ、情報のアドバンテージは大きいの」

「しかもその内の二騎は面識もあります。それにお爺様、わたしが聖杯戦争をどうやって勝ち抜いたと思いますか?」

「よほど強い英霊(サーヴァント)を選んだということか? そしてそれを今回召喚すると?」

「英霊にあてはありますけど違います」

 

 聖杯のバックアップがない今は魔力に乏しいために第五次と同じようにはいかないだろうが、いざというときは『わたし』が戦えば良いだけだ。

 ここが勝負どきだ。絶対の自信を前面に出してお爺様を丸めこむ!

 

「わたしがこの(かげ)英霊(サーヴァント)を全部食べちゃったんですよ」

 

 再び影の魔力を起動させる。お爺様の周辺以外の五月蠅く羽ばたく羽蟲や徘徊する地蟲を触手で闇に引きずり込んだ。

 

「ごめんなさい。くうくうお腹が空きましたので、つい」

 

 信用など要らない。互いに利用しあえばそれでいい。ここでお爺様を殺してもきっと遠坂の家には戻れない。

 魔術の家の保護も、先輩の確保も、生きていくための資金もわたし一人ではどうしようもない問題だ。だがお爺様ならその問題を解決できる。最期に出し抜いてやればいいだけの話だ。

 

「先輩さえいれば、わたし聖杯なんて要りませんから――ね。だから手を取り合いましょう? お爺様」

 

 汚い蟲に触れるのは気色悪いが、それでも形として握手のために手を差し出す。

 

「上がれ、桜。今回は見送るつもりじゃったが早急に支度をするぞ」

 

 どうやら最初のステップはクリアしたらしい。わたしの周りの蟲を引き下がらせると、背中を向けてお爺様は階段へと向かっていった。

 わたし、あなたを許した訳じゃないですから。あのときみたいに惨めな姿で苦しむ様、もっと見せて下さい。

 せいぜいその時まで有効に利用し合いましょう、ね。

 


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