.hack//SAO FIFITH Crisis   作:かなかな

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vol.6 魔神降誕

Side; Net 二〇二二年十二月四日 第一層 迷宮区

「ハセヲ、八咫から連絡だ!」

「何だ!」

 高速で疾走するバイクの上でクーンは、片手を離しバランスを取ってメーラーをチェックしていた。出てくる街の周囲よりも格段に強いモンスター達を二つの車輪で薙ぎ払い、踏み潰して、進んでいる最中に、司令官からの連絡が入った。

「AIDAの出現を、カイトパーティが確認した!」

「何!」

 ハセヲはハンドルに込める力を更に強めた。

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十二月四日 第一層 迷宮区ボスフロア

 第一層のボスは倒された。

 その安堵と安心、歓喜の声がボスフロアには満ちていた。

 死者は、一人。

 悲しく、皮肉な事に、ティアベルが、欠けた。

 それでも、他は死ぬことなく、攻略を成し遂げた。こうなると、犠牲が一人だけというのは、僥倖という他ない。だが、あと九十九層、九十九体のボスが残っている。その何れもが、先程倒した、コボルト王より強いということは、誰も言わなかった。解っている。

 だけども、この大きな一歩に水をさすような無粋な人間はいなかった。

「だっはー、疲れた……」

 歓喜の声の元、攻略の立役者でもあるトキオは、体を床に投げ出した。

 こうやって改めてボスフロアを見回してみると、何とも悪趣味な色彩のステンドガラスが嵌めこまれている。教会をイメージしているのだろう。相当に、茅場晶彦という天才は、底意地が悪いのだろう。もっと気分の高ぶるような場所にしてもいいだろうに。

「よ、コングラッチュレイション。ナイス、ファイトだったぜ」

「そっちこそ、お疲れさん。良いディフェンスだったぜ」

 斧を仕舞い、大仰にエギルが、サムズアップで賞賛の言葉を述べた。

 それを素直に、笑顔でトキオは受け取った。

「ありがとうございました……」

 そこへ、息も絶え絶えに、キリトが寄ってきた。その後ろには、彼と同じように肩で息をしているアスナもいる。生き残った安心感と充足感が、顔に満ち満ちている。

 彼らもそのまま、腰を落ち着けた。ラストアタックを決めたキリトには、戦闘に参加したほかの面々よりも、ラストアタックのボーナス分、割り増しの経験値と質の良いアイテムが手に入っていた。早速、彼は、アイテムストレージを確認して、手に入ったばかりのアイテムをオブジェクトに代えて、トキオの手に押し付けた。

「……何の心算だ?」

 彼の行為の真意を測りかねたトキオは、半眼で睨み付けた。

「ラストアタックを決めたのは、俺だけど……、多分、トキオがいなけりゃ出来なかった」

 だから、これは貴方の物です、そういうことだ。

 流石に経験値をやり取りできるようなシステムは無いので、せめてアイテム、それもレア装備を出すことで、謝意を伝えようとしている。だが、差し出されたレアアイテムらしき黒いコートと、彼の少女のように線の細い顔を二度、三度見比べて、トキオは鼻で笑った。まっすぐに見つめ返して、トキオは言う。

「馬鹿か、お前は」 

「え……?」

「これはお前が受け取るべきもんだ」

 少しばかり辛辣にも聞こえる、そんな言葉と伴に、彼の手を押し返す。そこには呆気に取られたキリトの顔があった。その呆然とした顔を見て、赤い髪を、掻き毟りながら呆れたようにため息を付いた。

「お前は、お前のやるべきことを。俺は俺のすることをやっただけだ。それを気に病む必要も、気にかける必要も、どこにもないだろう?」

「でも、それは……」

 どこか睨み付けるような顔をしながら、トキオは尋ねた。

 だが、キリトは、なおも抗弁を続けようとした。ここで受け取ったら、彼の立つ瀬がない。良い所取りした、卑怯者でしかない。

「良いと思えることをやっていく。俺は、良いと思ったことをしただけだからな。だから、こういう『良いと思った』ことをする。これは、お前が受け取るもんだ」

 そして、すこしだけ照れて。

「あと、俺、黒い服とか似合わないんだわ」

「じゃあ……、ありがたく頂きます」 

 キリトは二度も深く頭を下げて、黒いコートを装備した。

 今までの簡素で、粗末な胸あてではない。夜に溶け込むような、真っ黒なコートだ。せめてもの飾り気とお洒落なのだろう。生地には、銀のラインが走っている。

 インナーから、髪の色まで、真っ黒な彼。洒落っ気はないが、良いセンスだ。

「似合ってるぜ、そう思わねーか、エギルさんよ」

「ああ、カッコいいじゃねぇか」

 白い歯をむき出しにして、トキオは笑っていた。隣に立つエギルも大きく筋骨隆々な顔に笑顔を浮かべていた。まるで、子供の成長を見守る父親のような笑顔だ。二人の褒め言葉と、笑顔がキリトは嬉しかった。そして、どこか胸に引っかかるものを感じた。

 

「ちょお、待てや!」

 

 その引っかかるものの正体をキリトは、突かれた。

 歓喜の渦の中、キバオウがキリトを指差し、吼える。怒りの形相で、つかつかと不快感を隠すこともなく近づいてくる。距離を無くすと、思いっきり殴りつけた。パンチのダメージでHPが僅かに減る。

「おい、アンタ。何するんだ!」

「やかましいわ、黙ってとれ!」

 キバオウは、激情に任せて吼える。

 何か反論しようとしたアスナをトキオは制した。

「あんた、何勝手にアイテム装備しとるねん!」

 装備したばかりの黒いコートを引っ張るキバオウ。

 彼は気に入らないのだろう。この戦いの発起人はティアベルであり、総崩れになりかけた部隊を纏めて、もう一度戦えるようにしたのはトキオだ。その二人を差し置いて、ただラストアタックを決めただけの彼が、このようなよい思いをしているのが。

 一見すると彼は、ティアベルや、トキオを気遣っているようにも見える。

 だが、その実は、独善的な、他者のために怒っている自分に酔っているだけの小物だ。それが解ったから、トキオもエギルも黙っている。これはキリトが自分で、自分自身の手で、最後の幕を引かねばならない問題だ。

「それに何や! あの時、何でボスの攻撃が解ったんや!」

 あの時というのは、体力ゲージが減って、ボスが二段目の攻撃に移行しようとしていたタイミングだろう。あの時、キリトはあらん限りの声で、「下がれ」と叫んだ。結果的に、彼の指示がもう少しでも遅れていたら、突撃を敢行したティアベルは死んでいただろう。

 だが、それは結果論である。

 何故、解ったのか。

 まさか、超直感が働きましたみたいなオカルトめいた発言が許されるような状況ではない。目が、目が、集まった四十人程度の目が、詰問するような、糾弾するような、心配するような、あらゆる視線が、自分の下へと集まっている。

 それは、キリトがβテスターだから。

 それ以外の明確な答えは、存在しない。

 このボスとも戦った経験があります。戦った経験があるので、覚えていたモーションとは違う攻撃が来るのが解りました。過去、同じような武器を使っていたほかのモンスターの事を知っています。だから、全部、知っています。

 そんな風に解説すれば、それで話は終わる。

 だが、口から出そうになった、その言葉を、キリトは呑み込んだ。

 目の前にいるのは、βテスターを目の敵にしているキバオウだ。そんなことを言った瞬間に、また殴られる。別に殴られることは構わない。だが、全員から忌避されるような視線を向けられるのは嫌だった。何よりもパーティを組んだ二人に嫌われる。

 それは、絶対に避けたいことだった。

 少しだけ、考える。他にも生き残っているテスター達が、自分と同じような目に会わなくて済む方法を。何れ、このキバオウの発言は、大きなうねりとなって、テスターというこのゲームに、唯一、運だけで手に入れることの出来た、特権階級に牙を向くだろう。

 そうなれば、後は想像に難くない。プレイヤー同士での殺し合いだ。

 それは、絶対に避けたい。

 テスターがボス攻略戦に参加する、してくれるとは限らない。既に、彼ら二人以外の千九百人は、死んでいるかもしれない。この中に他にもいるかもしれない。別のところでレベルを上げているかもしれない。はじまりの街に閉じこもっているかもしれない。

 だが、その中の一人は、こうやって命を賭けて、は参加した。

 そして、勝利に貢献した。その事実は、ゆるぎない。

「……ティアベルは言ったよ。ボスを倒してくれって。なら、俺は、その意志を継ぐ」

 そう言うと、身を返し、ゆっくりと上層へと続く階段を昇り始めた。

 それを確かめる術など、他の面々にはない。だから、キリトの言葉が真実なのか、最後に、ティアベルが残した言葉が、本当に、彼の言うものだったのかさえ、解らない。

 だけども、その背に何か感じるものがあったのか。じっと、詰っていたプレイヤーの波はひとまず、小さくなった。

「ちょお、待て! 何で、美談みたいになっとんじゃ!」

 だが、キバオウは納得がいかないようである。

 徹底的に、糾弾し始めた。

「あんたらβテスターは、ワイらみたいなモンを見捨てたんじゃ!」

 出せるだけの声を張り上げて、糾弾する。罵倒する。

「今更、何言うても、その事実は消えへんのやぞ!」

 見捨てた。

 キリトも自己防衛のために、知り合ったばかりの友人を見捨てて走っていた。

 あの青髪の大男のように腕に覚えがあるわけではない。足手まといにしかならない初心者だった、野武士のような無精ひげ男は生きているのだろうか。この場にいないという、そんな何気ない事実が、痛く心の中で響く。

「……そうだな」

 そう吐き捨てて、キリトはコートを翻し、上階へと続く階段へと歩き出した。

 一つ、心の中に決めたことがある。こんな風に嫌われるならば、いっそ。

「待てや!」

 キバオウの叫ぶ声が聞こえてきた。

 それを冷淡な視線で、キリトは受け返した。

「そうだよ、アンタの言う通り、俺はβテスターだ」

 精一杯に演技した声で、精一杯に努力して作った仮面で彼は、見下ろすように告げた。

「それも、多分、テスターの中でも十層まで辿り着いた唯一の、な」

「な!」

 全員が慄く。

 二ヶ月ほどのテスト期間中で、この《アインクラッド》の最高攻略階層は十層という事前情報が流れていた。二ヶ月で六層。大体、一層の攻略に僅か十日ほどの時間という計算だ。それが早いのか、遅いのかは解らない。適正のレベルにあがっていれば、難なく突破できる普通のMMORPGであった時の《ソードアート・オンライン》は、今やどこにもないというのに、誰しもが、その情報に縋っていた。

「なんやそれ! もう、チーターやんか!」

 これは「ゲーム」だ。「現実」だが、「ゲーム」なのだ。

 イチトゼロで構成されたプログラムコードを弄れば、数値で構成されているプレイヤーや武器のステータスは変化する。そんな風にプログラムの改造、改竄、所謂チートしている人間のことチーターと呼ぶ。それはネットゲーム界最大の禁忌であり、侮蔑の対象だ。

 勿論、キリトは自分の体を改造してはいない。

 単純に、βテスターの中でも最高位に位置する。だが、それは何の下準備もない一般プレイヤーの眼に照らしてみれば、彼の行動や状態は、まさに超常現象を引き起こす魔法使いそのものなのだろう。

「そうだな。だから、ここで俺はお別れだ。チーター……」

 言いかけて考えた。

 別に改造しているわけではない。それなのに、改造者と一緒にされるのは、納得がいかないと、好き勝手に想像したのだ。一旦、冷酷な演技を始めると、それは坂を下る珠のように簡単に転げ落ちていく。

「いや、ビーターの俺は、先へ行く。せいぜい、頑張って追いついてくれ」

 集まった全員を見下して、キリトは歩き出した。

 即興で作ったにしては、なかなか良いネーミングではないだろうか。

 βテスターとチーター。掛け合わせて、ビーターである。由来は単純だが、何とも自虐に満ちた通称である。

「じゃあな……」

 これで、良い。

 これで、良かった。

 そう必至になって思い込んで、キリトは歩み始める。

「待って!」

 その黒く、冷たく、さびしげな背中に、アスナが澄んだみずみずしい声を叩き付けた。

 ちょっと泣きそうな彼女の顔だけは、何故か覚えておきたいと思ってしまった。 何を今更と思う。こんな風にβテスター、ビーターへ向けられた悪意を一手に引き受けて、ソロプレイに徹することを決意したのに、いまさら、他の事、それに何か未練があるとでもいうのか。

「君は……」

 彼女が何かを言う前に、キリトが口を開いた。

「アスナ。君は、センスがある。いつか、誰かにギルドに誘われたら、入るといい」

 悲しげに、上から目線で、彼は最後にアスナへとアドバイスを送る。

 最もアドバイスともいえない様なアドバイスである。固定メンバーでパーティ、ギルドを組むことは、単純にギルド間の連帯感の向上と、レベルアップに繋がる。特に、このデスゲーム。助ける、助けられる人間が一人でも多くいることは、それだけで生存確率が上がる。だが、それを全部断って、キリトは、一人の道を歩む。

 その覚悟の重さが分かったのか、アスナは言いかけた言葉を飲み込んだ。

 だが、最後に。

「最後に、一つだけ聞かせて」

 アスナは、ぎゅっと、不安に震える自分の手を握って問いかけた。

「何で、君は私の名前を知ってるの?」

「ああ。それなら、このあたり」

 キリトは視界の左上あたりを指差した。

「ここに自分と、パーティメンバーの名前と残り体力が表示されるんだ」

 傍目には、戦場へ赴く思い人を追いかける恋人のようにも見える。

 彼女は、明らかに心配していた。死と隣り合わせの戦場の中において、もっと暗い世界へと自分から飛び込もうとしている彼を必死になって留めようとしている。

 これ以上、彼女を見ていると決意が鈍る。そう考えて、キリトはパーティ解消を申請した。トキオとアスナの元に、解消の申請が届く。

 少々、迷ってアスナが。何故か、迷うことなく、トキオは押した。

「じゃあ、ありがとう。トキオ、エギル」

「機会があれば、また会おうぜ!」

 トキオの余りに無邪気で、害意の無い言葉を背に聴きながら、キリトは駆け出した。

 しばしの間、アスナはその背中を呆然として見送っていた。

 誰もが闇の中へと消えていった黒の剣士の背中を見ていた。

 だが、やがて感傷に浸る時間も終わる。

「さあ、俺たちも上へ上がろう」

 エギルに促されて、ぞろぞろと更なる進軍と、その前の一時の休息のために、行軍が始まった。来た時とは百八十度違う、喜びに満ちた声をあげ、笑顔で皆が歩き始める。

「ん?」

 その中で、トキオは一人。

 ボスフロアに残っていた。

 きょろきょろと当たりを怪訝な顔つき、それもボスに臨んだ時と同じか、それ以上に怖く真剣な顔で、周囲を見回していた。

「トキオさーん、行かないのー?」

「何か、あるのか?」

 後ろからエギルと、アスナの声が聞こえてきた。

 笑って振り返って、サムズアップで応えた。余計な事を、関係のない一般のプレイヤーに考えさせるな、というのは、あのむかつく片眼鏡野郎の言だ。

 だが、それは、自分たちが守らなければならない、重要なルールだ。

 自分たちがいるのは、最初からルールの外。

 ルールの中にいる、外にいる人間に勝てないのは道理であり、普通のことだ。

 そして、これから此処へ来るのは、恐らくではあるが、ルールの埒外にいる存在。トキオは気配を察した。そう、トキオと同じく、この現実世界の理を変えるかもしれない存在。

「ああ、すぐに行くから、先行っててくれ」

 そう言うと、二人も上階へと続く階段へと足を掛けた。

 暢気に談笑している声が、ここまで響いてくる。

「気がついていたぜ」

 無人のはずのボスフロア。

 その中から、ゆっくりと三人。

 片眼鏡を嵌め、煙管を銜えた黒い軍隊が採用しているようなコートの男。

 銃剣を構えた、黄色い民族衣装のような服を着ている軽薄そうな男。

 そして、まるで天使のように白い服を着て、巨大な鎌を担いだ男。

「何で、あんた達が、ここに……でぶっ!」

 トキオの台詞は、途中で黒コートの男、フリューゲルによって遮られた。

「久しぶりー。トキオくーん。元気してたー?」

 そんな間延びした声で問いかけながら、むにむにと蹴り飛ばしたトキオの頬をつねって回るフリューゲル。悪乗りしてクーンやハセヲもトキオの彼方此方を触って回る。

「ちょ、ま、て。やめて、お願い。お婿に行けな、くなって」

「よくね? 別に?」

 何ともひどいことをさらりと言うハセヲ。

「ひどい、ハセヲ! 俺だって恋愛したい!」

「はいはい」

 そんな風に適当にトキオをあしらいながら、三人はトキオをいじめる。

「ま、そんなことしてる場合じゃあないんだけどね」

「おい、それより、聴きたいことがあるんだけど!」

 トキオが必死に抗議の声を張り上げるが、三人は無視した。

 ぷかりと煙を吐き出して、フリューゲルは真面目な顔つきになった。

 処刑鎌を一度、大きく振り回し、ハセヲは何も無い中空を睨みつける。

 クーンは、変わらずに軽い笑顔で銃剣の弾数を数えている。

 そこにいたのは、年下の子供を大人気なく嫌がらせをするような、仕事を確実に遂行することを至上とする仕事人の姿であった。その最年長は、片眼鏡から覗く鋭い眼光をボスフロアへじろりと見回して、ため息混じりの煙を退屈そうに吐いた。

「さて、どうやら、パイからの報告は正確のようだな」

 三人の前。

 聞いている音に、ノイズが混じる。

 見ている視界が、不気味に霞む。

 風景から、黒い斑点が、まるで悪意のように滲み出す。

 その悪意に導かれて、散っていたポリゴンが集積を始める。

 それは形を作り、剣の形に、斧の形に、楯の形に、そして、もう一度、倒したはずの《イルファング・コボルト・ザ・ロード》の形を取った。だが、名前は表示がバグに汚染されているのか、《イKmh7afo9・コmia8ト・ザ・Mi4pola》と表示されている。元の名前を知らなかったら、こういうコードネームのような名前がついていると勘違いしてしまうのも、無理ないだろう。

「あらら、茅場さんは、相当に意地の悪いお方のようで」

 目の前で起きている出来事に、誰も動じない。

「あー、あいつ昔から、意地悪でなー。俺も何度罠に嵌められたか」

 そんな風に、周囲の状況を意に介さず、昔を懐かしむフリューゲルへと、狂ったコボルト王は、タルワールを叩き落した。先程、四十人がかりで戦ったよりも速く、完全に狂った眼で、追うことすら諦めさせるような、速度だった。

 彼は、一歩たりとも動かない。周囲の三人も動かない。

「あーあ、先にそいつを狙うなんてな。所詮、自動行動か」

 ハセヲが聞いているはずも無い相手へと、忠告する。

 コボルト王の握っていた剣は途中で止まった。

「グ?」

 自分が何をされたのか、コンピュータの理解が追いついていないのだろう。 

 フリューゲルの手に握られていたのは、細くたなびく白煙を上げる拳銃。剣しか存在しないはずの《ソードアート・オンライン》において、そもそも存在しないはずの拳銃という武器をフリューゲルは、握っていた。

 そして、その暗い銃口は、見事に、コボルト王の眉間を貫いていた。

「あー、やっぱり相手の得物を見定めるのは重要だよね」

 また、一息。

 ぷかりと煙を吐いた。

「俺の武器は『ブリーラー・レッスル』」

 その名前の由来は、ゲルマン神話。

 生きとし生ける者が死に絶える冬と死の神。

 その神様の力が、同じ名前を関する彼の銃にも秘められている。撃ち抜いたものの動きを止め、氷へと変える。コボルト王が途中で止まったのは、彼の銃に撃たれたからだ。この場に誰もいなくて良かったと心の底から思う。βテスター、キリト命名のビーターで、アレだけ叩かれるのだ。こんな規格外のプレイヤーが存在するとなったら、キバオウはどんな顔をするだろうか。ただ、彼らに逆らえば、同じように銃弾が穿つだろう。彼らは、そういうことに対して躊躇が無い。邪魔だと思ったら、即刻捨てる。

「ま、運が無かったと思って諦めてくれ」

 そう言うと、コボルト王は、体の仕込まれていた爆弾を炸裂させるように、自分から砕け散った。赤いダメージエフェクトと死亡のポリゴンが、周囲にばら撒かれる。

「あらら、使えない体を捨てて、実力行使っすか」

 クーンが肩をすくめる。

「ハセヲ、ここは俺に任せろ」

「解った。じゃ、後は頼むわ」

「あいよ」

 そう言って、ハセヲはバイクに跨る。後部座席と言えるほどのスペースも無いところに、どんなバランス感覚をしているのか、フリューゲルが乗り込む。

「トキオ、必死に走って、追いついて来いよ」

「そうだな、邪魔だから、付いて行ってくれ」

「ちょっと、さっきから俺の扱い酷くない?」

 何故、三人がこの世界に来ているのか、とか。

 何故、フリューゲルは『ブリーラー・レッスル』が使えるのか、とか。

 何故、こんな風にAIDAが動いているのだ、とか。

 それよりも、一ヶ月。このデスゲームの中で動いていた自分への賞賛とか、それでなくとも褒め言葉とか、御褒美の一つや二つくらいくれても良いのではないだろうか。そんなことも無く、何故に、こんな辛辣な言葉を浴びせられているのだろうか、とか。

 そんな念を込めて、三人を半眼で睨む。

 念が通じたのか、フリューゲルがチップを投げて寄越した。

「何だこれ?」

「安全なところまで行ったら、自分にインストールしろ」

 ぎゃりぎゃりと擦れ合う、絶叫のようなスキール音を立てて、ハセヲが操るバイクが走り始める。その後ろを、トキオは必死になって後ろに追い縋る。バイクの馬力に、人間の足で追い付けない事は承知の上で、二人の後を追う。

 三人が去っていた後。

 残されたクーンの前で、黒い斑点は増殖を始める。

 段々と形を作り、まるで人間の細胞のような存在になった。

「やれやれ、AIDAを相手にするのも何年ぶりかな」

 長らく見ていなかった黒い存在。それに再び五年の時を経て相対することになるとは思っていなかった。一度は、オーヴァンの自己犠牲、『再誕』の発動によって、全てが駆除されたはずであった。それがまた、何故、世界を変えて存在しているのか。

「ま、色々と、聞きたい事はあるけども」

 クーンの体に、淡く青い燐光の走り、模様が刻まれる。

 ―――ポーン

 ハ長調ラ音。

 音が鳴り響く。

 幾度も聞いた。五年前の第三次ネットワーククライシス、もっと前、十二年前の、第二次ネットワーククライシス。あの時から、ずっと聞き続けた因縁めいた謎の音。一体、どこから来て、どこへ響いているのか。それさえも解らない音。

 だが、この音が鳴り響くとき。

 それは、世界が変わるときだ。

「まずは、倒させてもらう」

 銃剣を構え、

「来い!」

 意識を整え、

「俺の」

 自らの存在を証明する。

「メイガァァァァァス!」

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十二月四日 認知外空間

 ギャラリーがいないのは不満だろう。

 元来、クーンは目立ちたがりだ。

 そういうところをネットの中でも、現実でも佐伯玲子、ネットの中では、パイに、クドクドと文句を言われている。だが、今回は隠密活動だ。贅沢は言えない。

 だが、そもそも、この不思議な空間は、限られた人間にしか認知できない。

 どこまでも続く地平線なのか、水平線なのかも解らない、気分が悪くなるほどに、澄み切った紫色に満たされた空間。

 知る事の出来ない、知覚する事の出来ない、限られた、選ばれたものだけが立ち入る事を許される、ネットでも、リアルでもない世界。

 通称、認知外空間。

 そこには、まるで羽根を生やしたような動物細胞が浮かんでいた。

「さて、ちゃっちゃと倒すとしますか!」

 クーンの声で、化け物が吼えた。

 人間の下半身が、まるで蛇や、魚のように変化した緑色の巨人。

 これが、クーンの力。

 欅が語った、女神への反逆者の姿。

 反逆者が生み出した、八の碑文、その三番目。第三相『増殖』メイガスの碑文の顕現である。彼のほかに七人。碑文使いたちは、クーンと、いや、このメイガスと同じような力を振るうことが出来るのだ。

 これは、「クーン」というPCに備えられた特別な能力ではない。

 もっと奥深く「クーン」というPCを操る「香住智成」というプレイヤーの魂と繋がる力。このネットワーク隆盛の中で都市伝説として残り続ける、オカルティックな存在。だからこそ、どこに於いても振るうことが出来るのだ。このようにゲームを変えても、クーンの、香住智成のキャラクターは、『増殖』の能力を振るうことが出来るのだ。

「張り合いがないだろ、この程度じゃ」

 数十の萌芽をばら撒く。

 見た目は何かの種のようにも見えるそれは、爆弾だ。

 動物細胞のような形を取っているAIDA、コードネームAnnaに触れた瞬間に、萌芽は炸裂して、一気に相手の気力を殺いだ。それだけで十分だった。この程度の量産型、頻出する相手なら、この一撃で敵のプロテクトが解除される。

 爆発が、爆発を呼び、敵のプロテクトは、呆気なく、ガラスのように砕け散った。

 これ以上の敵となると、流石にもう少し策を弄する必要があるのだろうが、そのあたりは八咫の仕事であって、実行部隊であるクーンの仕事ではない。

「トドメかな?」

 両の掌を結ぶように、巨大な目玉が現出する。

 そして、周囲を凛とした花弁が彩る。掌に現れた目は、ふらふらと逃げ回るAIDAをまっすぐに見据えている。情けを掛けてやる必要は一切無い。この一撃で、全てが終わる。

「データドレイン!」

 目玉から、名状しがたい程に巨大なデータの塊が射出される。

 巨大な黒色の球体は、AIDAを呑み込んで、データの一切合財をメイガスへと運ぶ。バグを誘発させるかもしれない。データそのものを改竄するかもしれない。そんな危険をはらみながらも、絶対的なAIDAへの対抗手段であり続ける。

存在してはならないネット世界の闇の闇の闇、その奥深く。眠るのが、この碑文だ。

 世界最高のA.Iとまで称された『The World』に蠢く悪意が、生み出した至高の存在。

 それは、ネット世界のバグを、残すことなく食らい尽くして。

 

 

 

Side;Net 二〇二二年十二月四日 第一層 ボスフロア  

 再び、クーンの姿に戻った。

「よっと」

 場所は再び、ボスの部屋。

 今度こそ、この場所で行うべき全てが終わった。

「先にログアウトするとしますか」

 クーンは、そのままタルタルガへと戻っていった。

 

 


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