.hack//SAO FIFITH Crisis   作:かなかな

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Vol.5 悪性変異

Side; Net 二〇二二年十二月四日 第一層 迷宮区

 途中、何度か、敵に遭遇した。

 四十何人もいると、指示が少し遅れるだけで、全体へと歪となって伝わっていく。しかし、突如として、横から後ろから、そんな行軍の死角から現れる敵に対しても、ティアベルは落ち着いて、対処を見せた。長柄武器は同士討ちを避けるために下がらせ、都合の聞く、少人数の部隊、要はキリトたちを、主軸にうまく使って、討ち果たしていく。

 そして、ついに、迷宮区を登りきり、一際、大きな扉の前に立った。

「皆、この先にボスがいる」

 道中の戦闘で受けた、微細な傷さえも見逃さずに回復と手入れを済ませたレイドメンバーを見回し、青い騎士は、真剣な声で伝えた。

「行くぞ!」

「おおおおお!」

 雄たけびとともに、扉が開かれ、一気に雪崩れ込む。

 幅は二十メートル、奥行きは百メートルの長方形の部屋が、この四十人ほどの、そして残る八千人の命を賭けた、死の舞踏会の会場だった。

 最初は暗かった室内は、順々に燃え上がった松明の炎によって照らし出される。趣味の悪い髑髏の装飾と、最奥部に設置された玉座。そこに巨大な獣が腰掛けている。

 第一層のボス、《イルファング・ザ・コボルドロード》。

 コボルド王の外見は、情報の通りだった。

 青灰色の毛皮に、赤金色の瞳。攻略部隊の中でも頭一つ抜けて大柄なエギルすら圧倒する、二メートルを優に超える巨躯。右手に骨斧、左手にバックラー、後ろ腰には人間の身長など遥かに超える刀身を持つ巨大なタルワールを備えている。

「すっげぇ……」

その醜くも、強大な姿に、トキオは感嘆の呻きをもらした。

「何、感心してるんだよ!」

足を止めたトキオにキリトが怒鳴る。ここは既に戦場だ。気を一瞬でも抜けば、即座にゲームオーバーになるだろう。その先は、本当にゲームマスターの言う事の通りならば、待っているのは「現実の死」だ。

 ボスの頭上には、全四段のHPバーが表示されている。

 その見た目からも、数値的な情報からも、奴が「階層ボス」という称号に相応しいタフネスを持っていることは、十分に窺えた。

「攻撃開始!」

 ディアベルが指揮棒代わりに振り下ろした剣を合図に、攻撃部隊が一斉に駆け出す。

 距離が二十メートルほどに縮まった時点でコボルド王は迎撃に移った。

「ウェェェ!」

 耳を劈くような咆哮が、勇者たちをなぶる。

 力一杯に振り下ろされた斧と、先頭に立つ部隊の大盾がぶつかり合って、轟音とライトエフェクトを周囲に撒き散らした。

「……っ、凄ぇ!」

「俺は、この事態に興奮している君が凄いよ」

そんな調子で子供のようにワクワクしているトキオを、キリトは冷めた目で見ていた。

「けど、俺たちの敵はアイツじゃない」

「そうだったな……」

 トキオは、両刃の片手剣を構える。

「――――来るぞ!」

 キリトは、自分で叫んで気合を入れ、剣の柄を強く握り直す。

「………」

 彼の声に合わせて、ここまで一言も喋らないフードを目深に被ったままのプレイヤーも細剣を取り出して逆手に構える。

 キリトの視線を追って、左右の壁に目を向けると、部屋の壁に空いた小さな穴から小柄ながらも重武装なモンスター、このコボルト王の取り巻きである《ルインコボルド・センチネル》が飛び降りて来た。数は八匹ほど。

 即座にキバオウが指揮を執る、掃討部隊が即座に彼らの注意を引き、ボスとの主戦を繰り広げているパーティから引き剥がしていく。

キリトやトキオも近くに立つ、センチネルへと斬りかかった。

「せあっ!」

「てやっ!」

 上段から切り抜けるようにして剣を振るう。

 ザクリと敵のグラフィックに、一瞬黒い紙魚のような物体が生まれる。

「ん……?」

 トキオは見間違いだと思った。現にもう一度見たときには、消えていた。

「何やってんだ!」

「悪い!」

 手足を止めて、呆然としていたトキオの耳をキリトが叩く。

 完全ダイブを謳っても、結局はRPGから脱却できていないのか、わらわらと湧き出てくる《センチネル》は、今まで戦ってきた《ルインコボルド》の色違いであり、ステータス強化版である。だが、その強化してある分、今までならば、体力の半分近くを削り取ったはずの一撃は、硬質な手ごたえを残して弾かれた。

 畜生でありながら、生意気にも金属製のフルプレートアーマーなどを着込んでいる。別働隊の攻撃は、この硬い殻に阻まれたのだ。

「なんや、こいつら、生意気やな……」

 キバオウのぼやきが聞こえてきたが、戦いに集中する面々は聞いていない。いかに、敵を倒すか。それだけに向いて、思考が加速していく。

 ただ闇雲に攻撃するだけでは倒れない。

 高威力の《ソードスキル》を連発すれば、あるいは通るかもしれない。

だが、強い力には往々にして制限が掛かる。高火力技は、発動後の硬直時間も長くなる。

 その瞬間を狙われては堪ったものではない。

「なら……」

「だな……」

「………」

 不思議と三人の意見は一致した。

 狙うのは急所。それもフルプレートに覆われていてもなお、装甲の薄い部分。

 喉、肘間接、膝関節、まびさしの四箇所を集中的に狙う。

「だらっ!」

 甲高い金属音が、響く。

 弾かれても動きが止まらない程度の力で牽制し、こちらのペースに巻き込む。この戦い方は、すぐに他のパーティの面々にも伝播し、時間を掛けつつも、徐々に体力を削り込んでいく方法に作戦を変更した。出来る限り被害は少なく留めておきたいというのが、ティアベルを初めとして、大方の意見である。

 向こうの攻撃は回避するか、技の出かかりを潰すことで対処。

センチネルは、握っている長柄斧を、最大限に腕を撓らせ、突き出す。

 鋭利に尖った先端が、胸を削る。頬を掠める。肩を抉る。だが、それは些細な傷だ。生きているならば、幾らでも反撃のチャンスは残っている。

 当たったとはいえHPバーの減少量は一ドットだけ。

トキオは、初撃とは逆に、剣を水平に構えた状態から、横に薙ぐ。

 キリトは、初撃とは逆に、剣を下段に構えた状態から、大きく振り上げる。

 両者の全力を込めた一撃は、敵の長柄斧を空に打ち上げ、大きく仰け反らせる。

「ぐぴっ!」

「ん?」

 切り裂くたびに、その敵の傷跡から、黒い紙魚のようなものが見え隠れしている。見間違いと思う。だが、システムのラグやバグにしては、嫌にはっきりと目立つ黒い斑模様だった。

「トキオ、ぼさっとするな!」

「悪い!」

 残る力を振り絞って、向かってくる《センチネル》達の攻撃を、寸でのところで避ける。

 八匹いた《センチネル》は、虫の息である。事前のβテスターが提供した情報に拠ると、倒すと次の守備部隊が現れるとのことなので、後一撃、二撃で止めがさせるという状況に追い込んで、あとは只管に守りに徹する。

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十二月四日 第一層『はじまりの街』

 適当な宿屋を借り上げて、前線基地にしたパイとアトリ、ブラックローズの三人は、他の面々が帰参するのを待っていた。この前線基地と『タルタルガ』にあるネットの機智が全て集積する八蛇の篭る『知識の蛇』と接続するのだ。通信の軸を欅やヘルバが勤めている以上、その当たりに不安はなかった。

 彼女らは、ハッカーというネットワークに携わる者ならば許されざる存在だが、技術力も、知識量も生半可ではない。せっかく好意的に協力してくれているのだから、むざむざ戦力を削る理由もない。

『さて、現状を聞かせてくれ給え』

 武僧らしい落ち着いて、それでいて威圧感のある声で八咫が尋ねた。

 彼の後ろには、自分の尾を咬み合う二匹の蛇が回っている。あれこそがCC社の誇るネット情報の解析と集積を行う『知識の蛇』である。だが、完全に他のネットワークサーバーから切り離された、離れ小島のようになっている《ソードアート・オンライン》のサーバーの情報は、事前の『アーガス』提供分しか存在していない。

 一ヶ月の間に、どれだけ異質な変化を起こしているか。

 そればっかりは、知恵の神を象った蛇たちにも予測が出来なかった。

「現状としては、二千名が死亡しています」

 淡々と事務報告として、パイは告げていく。

「死者はこの第一層にあります『黒鉄宮』の墓碑に刻まれるようです」

『悪趣味だな』

「あんたが言うか」

 過去の事件の解決に色々と命を張る作戦を火野拓海が考え出した事を、ブラックローズは忘れていない。結果的に成功したから良かったものの、失敗すれば、自分たちも未帰還者になっていた可能性も十分にある。現に作戦実行中に、リョースの部下は何人か、犠牲になっている。そして、その後の事件に関しても色々と趣味の悪い事をしていたのは、彼女の耳にも入っている。今更、糾弾する心算はないが、嫌味の一つくらいは言いたい。

『ふむ。残る面々はどうなっている?』

「残る八千人の状況ですが、大別して三パターンに分けられます。

 まず、『はじまりの街』に引き篭もるパターン。おそらくはMMORPG初心者でしょう。

 次に、便宜上『軍』とでも呼称しましょうか、組織だった行動を行う面々が、最近幅を利かせてきているそうです。彼らは、徒党を組み、弱いプレイヤーを育成し、戦って、非効率ではありますが、堅実的な行動を行っています」

『それはまた穏やかな名前ではないな』

「あくまでも便宜上ですが、そのような組織になりつつあるので」

 なんとも物騒な名前のついた組織に、秀麗な眉をしかめながらパイは報告する。

「プレイヤーの指導や、戦利品の平等配布などを行っているようです」

『一定の治安は保たれている、そう考えて良いな』

「はい。どうもMMOの攻略サイトの管理人が作り上げたものらしいです」

 三人が市街地を探索して集めた情報だ。

 その中でも興味を引いたのは、βテスト時代に集められていた第六層までのルートとマップ、そして出現するモンスター、ボスモンスターの姿や武器、攻撃パターンまで事細かに記載された一冊の革張りの本。ゲームの中における攻略本と言っても良いだろう。

「このようにモンスターへの対処法が出回れば、自然と全体のレベルも上がると思います」

『ふむ。ご苦労だった』

 短く八咫は労いの言葉を掛ける。

 その通信へと割り込む形で、緊急通信が入ってきた。発信元は街の外周を探索しているカイトからであった。

『まずい事になった』

「どうしたのよ?」

 カイトは短く、拙い事になったとだけ。その拙い事を話す事を躊躇っているようであった。少なくとも通信では、話したくない内容のようである。その只ならぬ様子に、八咫が先に口を開いた。

『ふむ。一旦、戻ってきたまえ』

『……了解』

 そう言ってカイトは通信を切った。

「八咫様、拙い事というのは……」

「若しかして、若しかするかもよぉ……」

「………でも、それは……」

 報告を受けた三人の頭の中には、デスゲームを更に過酷にしかねない不安要素がよぎっていた。三人の想像が現実になるなら、これはグランド・クエストの百層クリアなどと悠長な事は言っていられない。多少、強引な手段を使っても、全員を現実世界へと帰参させなくてはならない。

『今のところ、『反存在』は確認していない』

 ホログラムウインドウに写る何かのデータを観測していた八咫が、三人を安堵させる一言をつぶやいた。小さな呟きだったが、それだけでも、十分に安息を齎してくれる。だが、いつか。そのリスクは現実のものになる。それだけは覚悟しておかねばならない。コインの表と裏のように付きまとう存在のことを。

「……反存在、クビア……」

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十二月四日 第一層迷宮区

 戦闘開始から二十分。

 コボルド王の体力ゲージは二段目が完全に消失した。

「よし、半分だ! 功を焦るなよ!」

 騎士ディアベルの指揮のもと壁となる大楯部隊と攻撃部隊が入れ替わり、立ち代りボスと相対していた。敵が攻撃モーションに入れば、楯が現れて防御。敵の体勢が崩れたところを狙って、攻撃部隊が特攻をかける。地味で、派手さに欠ける戦法だが、確実視しなければならないのは、安全だ。その意味では、彼は優れた指揮官である。

 三本目も半ばまで削り取られていた。

 幸いに死者は出ておらず、各プレイヤーのHPは、ほぼ常時グリーンを保っている。

「交代!」

 彼の掛け声に反応して、攻撃と防御がスイッチされる。

 安全な手段として編み出したのが、この戦法だ。敵の攻撃を防ぐ、避ける、などして生じた敵の隙へと、二人目がすかさず《剣技》を叩き込む。そして、プレイヤーに生じた隙をまた誰かが守る。ローテーションで戦う事で、一人当たりの負担とダメージ量を減らせる。だが、同時に高いチームワークが求められる。基本的に点でバラバラ、独立の気風が強い、ネットゲーマー達をここまで統率できているのは、ティアベルの的確な指示と、人徳の賜物といえよう。

「焦るな! 回復!」

 すべてにおいて作戦は順調に進んでいると言える。

 徐々に、期待という風船が全員の中で膨らんでいく。

 この部隊はキバオウが直接率いるパーティーが一つ、それを補助するパーティが一つ、それをさらに補助する端数組という総勢十五名のプレイヤーで構成されているが、途中から補助メンバーを本隊の支援に回せるほど迎撃は上手くいった。

「これなら何とかなりそうだな」

 コボルドの一匹と戦っているフードのプレイヤーの後姿を眺めながら、のんびりトキオはキリトに話し掛けた。彼は小さく頷き、微笑した。ラストアタックを決めると、経験値のボーナスが貰える、このゲームでは、上級者は留めを中級者以下に譲るのが基本だ。

 こうする事で、中級者のレベルアップ、引いては全体のレベルアップにつながる。このゲームのボリュームゾーンの平均アップこそが、一人でも多く生き残るためのコツといっても良いだろう。三人の中で一番レベルの低かったフードのプレイヤーに譲っているのである。

「ああ。ボスの行動パターンは情報と変わりないし……」

 長柄斧を弾きながら、トキオの話について行く。

 どうにも調子が狂う少年だと思う。御茶らけているように見えて、人の心の中にズカズカと無遠慮に、距離なんて一切にとらずにダイブするトキオ。正直、煩わしさなんかよりも、その無遠慮さにキリトは苦笑した。

「急造だけども連携も今のところは上手く回ってるみたいだ」

 彼もバックステップで鋭く振るわれた一撃を、華麗に避ける。

「問題は……、三段目を押し切ってからだけど……」

 事前の情報によると、コボルドの王、《イルファング・ルイン・ザ・コボルトロード》は、HPが一定値を割った時点で、行動パターンが大きく変化する。

 今は骨で出来た無骨な斧と粗末な盾を使って、こちらへと攻撃、防御している。

 だが、一定の体力になると腰に挿しているタルワールを抜くのだ。武器の種類が変わり、繰り出されるソードスキルも変化する。そこが本攻略作戦においての最大の難関だと、攻略に参加した面々は共通認識として持っていた。

 変化後は、攻撃の種類が縦切りと横凪ぎの二つのモーションになる。

 相手がどちらの攻撃を仕掛けてくるのか、よく見極めて、今までの交代のリズムを崩さないように動くということだ。連携がうまく取れるならばともかく、事前の入念な訓練のなかった急造パーティでは、そんな訓練の暇はなかった。

 攻略の懸念は尽きない。

「まあ、その辺りはリーダー殿のお手並み拝見ってことで」

 トキオは完全に楽観視していた。握った両刃剣を振り、攻撃をいなしていく。

「任せちまっていいだろ?」

「……そう、なのか…?」

 返事をしながらもキリトはじっと奥での戦いの様子を見つめていた。

 確かに、ティアベルの指揮は的確に相手の体力を削っていく。

 だけども、キリトは何か腑に落ちない点があった。

 その瞳に映っているのはもどかしさ。目の前に苛烈な闘争があるにもかかわらず、そこに加われないことに対する落ち着かなさ。目の前で困っているのに、手が出せないという嫌な状況。ちくりと胸を刺すような罪悪感が巡る。

「ふん、まあ、エエ気味やな」

 そんな風に考えていたキリトに、後ろから何とも底意地の悪い声が掛けられた。

 キバオウだ。

 どうしてかは知らないが、彼は先程からキリトを嫌に敵対視している。その視線にさらされるたびに、キリトは、言いようのない不安に襲われる。もし、ここで彼が心底、嫌っているβテスターだとバレてしまったら、どうなるのだろうか。流石に、戦いを放棄して、襲い掛かってきたりはしないと信じたいが。

「まあ、ええわ。ほな、あんじょう、ラストアタック貰いや」

「さあ、もう一息だ!」

 視線の先にあるのはコボルド王と戦う、凛々しいディアベルたちの姿。

 遂に、HPゲージは四段目に突入した。

 ここからが正念場である。

 王が使用するソードスキルは縦切りと横薙ぎの二種類しかない。

「グラァァァ!」

 骨斧を投げ捨てた《イルファング》が咆哮し、巨大な曲刀を抜き放った。

「来るぞ!」

 ティアベルの合図に、展開していた楯を構える壁役が陣形を変える。敵本体を四方から囲うように陣形を変更させ、横薙ぎの攻撃にも備えられるように、柔軟な動きで対処していく。王はタルワールを大きく振りかぶった。彼らは慌てずにソードスキルの軌道を見極めようとした。

 事前に話し合われていた通りの陣形。

 ほとんど訓練時間がなかったとは思えない、連携の取れた素早い動き。

「行くぞ!」

 ティアベルが一気に駆け、コボルト王との距離を詰める。

 理想的な行動。

 そして、理想的な陣形。

 敵のボスも、既に体力は残り少ない。留めの一撃を放つために騎士は走り出した。先陣を切って、後ろに続く面々を鼓舞する。彼に続くように、攻撃部隊が走り出す。

 しかし、キリトは叫ぶ。敵の足元に込められた力、それを彼は見逃さなかった。

「だ……だめだ!」

 そして、何より。

 ボスの使う武器が、タルワールでないことを。

「おい、キリト…?」

 突然、持ち場を離れて、ティアベルたちを追うように、彼も駆け出した。

「下がれ!!」

 同時、コボルド王は垂直に跳躍した。

「全力で後ろに跳べ――――ッ!!」

 ジャンプからの切り落とし。

 本隊のメンバーが驚愕し、動きを止めた、ほんの一瞬。その一瞬の間に、空中で溜め動作は完了していた。着地と共に放たれた深紅の光芒。全く情報になかった攻撃方法だ。

 衝撃。

 損傷。

 絶叫。

 今までとは比べ物にならないほどに、遥かに広い範囲、全方位へと撒き散らされた。

「ぎゃあああああ!」

「うわああああ!」

 血飛沫のように赤いダメージエフェクトが空中に舞う。現実にあれだけの量の血が流れたら間違いなく失血死しているだろう。だが、幸か不幸か、これは虚構だ。システム的な体力がゼロにならない限り、死ぬ事はない。

「チッ、おい!」

 予定外の攻撃を受けたために、前線は崩壊してしまった。

 立ち向かえると信じていた分、その絶望感は計り知れない。

 思えば、最初から疑って掛かるべきだったのだ。これは本番なのだ。テスト時代とは、難易度の変更が行われている事くらい、予想してしかるべきだったのだ。誰のミスでもない。言うならば、情報を過信しすぎた全員のミスだ。

「キリトが危ねぇ! 追うぞ!」

「………」

 フードのプレイヤーは小さく顎を引いて肯定を示すと、未だに粉塵が漂う主戦場へと並んで向かっていく。巻き上がった粉塵の中では、何人も倒れていた。ティアベルと一緒に向かった主力部隊の面々だ。幸いな事に、その中のプレイヤーは、誰もレッドゾーンには突入していない。

「良かった……」

「ん……?」

 注意水準のイエローに達したプレイヤーへポーションや回復結晶を使っているフードのプレイヤーから安堵の声が漏れた。男だらけのむさ苦しいMMOの中にあって、毅然と煌く様な、明らかに女性の声だった。

「それより、キリトは!」

「あそこ!」

 二人の視線の先、倒れたティアベルを庇う形で、敵の攻撃の射線に強引にキリトは割り込んでいた。身の丈ほどの細身の剣で、彼の身長の三倍はあろうかというタルワールを押さえ込んでいる。王様の方も、突如として割り込んできた剣士にどう対処しようかと迷っているようである。その一瞬の隙を突いて、トキオが剣の横腹を蹴った。

「だらっ!」

 握っていた剣に余計な衝撃が加わり、キリトの左半身ギリギリを掠めて、地面に轟音と共に、巨大な刀は落ちていく。一瞬でもタイミングと、場所を間違えていたら、全員まとめてお陀仏になっていてもおかしくない、危険な蹴りであった。

「バカ野郎! 死ぬ気か!」

「そりゃ、こっちの台詞だ!」

 キリトとトキオの間で言い合いが始まる。二人とも相手の行動の方が危険だと言い張って引かない。何ともくだらないことで喧嘩を始めるものである。そんな時間はないのに。

「それよりも、そいつは!」

 もう一撃、ボスの天を割るかのような一撃から、トキオは、キリトの盾になった。

 瞬間、キリトは横たわるティアベルのへと駆け寄った。

 彼の体力は、既に、危険域を越えて、ゼロになっていた。蘇生用のアイテムなどなく、一端、ゼロになってしまえば、回復アイテムも機能しない。肩口からバッサリと行った、大きな傷は、一目で致命傷だとわかった。いや、理解するしかなかった。

 それでも、キリトは。

「おい、飲め!」

 ポーチから回復用のポーションを取り出し、彼の震える唇に押し付ける。

 だが、ゆっくりとティアベルは首を振った。悟った。解った。その顔には、一片の悔いも見られなかった。

「俺の代わりに、頼む……」

「代わりとか、言うな!」

 小さく笑って、青髪の騎士は、たった一言だけ。

「ボスを……、倒してくれ……」

 そして、彼の体は、まるで、春の淡雪のように消えて解けた。

 だが、死を悼む間もなく彼らへと、敵の一撃は容赦なく振り落とされる。

 一瞬、二人とも反応が遅れた。

 ほんの一瞬だけ。

「しまっ!」

「やばっ!」

 だが、致死には十分なだけの一瞬だった。それに反応したのは、二人とパーティを組んでいたフードのプレイヤーだった。二人を抱きこみ、思いっきり跳ね飛んだ。三人の後方で再び衝撃が巻き起こる。その衝撃に巻かれ、プレイヤーのフードが呆気なく取れた。

 零れる秋を閉じ込めたような、栗色の髪。

 暖かさと伴に、意志の強さを演出する瞳。

 絶対的な死の局面にいて、キリトは彼女に見惚れていた。

 

 

 

Side; Real 二〇二二年十二月四日 CC社東京本社ネットルーム

 一旦、外周部、市街地探索の面々は一旦ログアウトして、ブリーフィングを行っていた。

「何、やはりAIDAがいたのか?」

「多分……、あの黒いのは、AIDAだと思う」

 海斗と康彦から持たされた、危険な情報に火野は頭を抱えた。

 悩んでいるのは、彼だけではない。ブリーフィングに参加している、現在も帰還していないハセヲ、クーン、フリューゲルを除く面々には、何とも悩みの種である。海斗が撮影してきた写真を欅が引き伸ばし、目の前のスクリーンに映し出す。

 そこには、狼型のモンスターに黒い斑点が現れていた。

 狼に斑点が生まれているのではない。まるで泉のように湧き出ているような、そもそものモンスターを構成しているデータに異物を埋め込んだかのように変質しているのである。

 AIDA。

 Artificially intelligent Data Anomaly、日本語に約するならば人口知性の異質データ。その頭文字を取って、AIDAと呼ばれている。端的に言ってしまうならば、人工知能が感染する風邪ウイルスのようなものだ。

 だが、これに感染した結果、巻き起こされたのが第三次ネットワーククライシスである。

 リリースされた『The World R;2』に於いて、彼らは猛威を振るった。ゲーム内に存在するプレイヤーキャラクターを通し、精神に癒着する。癒着されたプレイヤーはひどく興奮しやすくなる、荒っぽくなる、無気力になるなどの精神に異常を来たす。

 そして、感染したプレイヤーがPKを行うと、されたプレイヤーが意識不明になる。

 かく言う、犬童愛奈も、その意識不明事件の被害者である。他にも、当時、CC社が把握しているだけでも、五十名は下らないと言われている。ここに集った面々の知り合いにも、そのようにしてゲーム世界から帰還できなくなった知り合いは、何人もいる。

「ふむ。しかし、AIDAが出たからと言って、ゲームはストップ出来ない」

 最悪に危険な状況に、更に二番底を開けたのは、間違いない。

 そもそも論として、AIDAの発生条件、発生場所、発生時間は一切合財が不明だ。唯一、碑文使いである八人を初めとして、腕輪が持つ力であるデータドレインが効果を発揮する。火野でさえ、知っているのはそれだけだ。オーヴァン、犬童雅人であれば、もっと深く踏み込んだ事を知っているだろうが、彼を見つけねば、それは聞くことすら叶わない。

 対抗手段を持っているのは、この面々だけ。

 だからと言って、残る八千人全員を虐殺してAIDAの拡散を防ぐという手は考えられない。あくまでも依頼内容は、「一万人の救出」と、「茅場晶彦の捕縛」である。

「茅場のリアルに関しては、佐藤に追わせているわ」

「流石は、ヘルバ。仕事が速い」

 火野の丁寧な褒め言葉が、事態の深刻さを端的に表していた。

「欅、急ぎ、戻ってきていない三人にも連絡してほしい」

「はーい、了解です」 

 

 

 

Side; Real 二〇二二年十二月四日 札幌市 北海道大学構内

 倉本智香は、黒板の前で眠たくなる事この上ない講義を続ける教授を無視して、手元の携帯電話を弄っていた。朝から、結果が知りたくて、知りたくて仕方がないのだ。

 どうしても、そわそわしてしまう。

「トモ」

 つんつんと隣に座っている友人から、鉛筆の先で突付かれた。

 びくっと小さく飛び上がってしまう。一応、今は授業中である。こんな風にノートも取らずに、携帯ばかり落ち着かない様子で見ていては、誰だって気になるに決まっている。

「何、彼氏?」

 友人は下品に、ニタニタと笑いながら、智香に尋ねてきた。

「そ、そんなんじゃねぇよ」

 顔を赤くしながら、智香はそっぽを向いた。連絡が来るのを今か今かと待っている相手は、彼氏というような甘く、楽しい存在ではない。

 結局、あいつはグリーティングカードを送ってくれなかった。

 だが、聞けば、結局、誰にも、ニナ・キルヒアイスにも、日下千草にも、七尾志乃にも、その他の彼を取り巻いている女性たちにも送っていないようだ。何故、送らなかったのかというのは、もう五年も前に聞きそびれてしまった。以来、何だか友達以上、恋人未満の仲間というような関係性をずっと続けている。

 正直、息苦しいとも思う。

 だけども、繋がっているということが感じられて嬉しい。そんな独特の距離感。

「まだかよ……」

 そわそわと携帯の液晶を叩く。リズムの良い音は、一番後ろの席では、黒板の前に立つ教授には聞こえないだろう。そんな安堵から、叩く速度は、ますます速くなる。

 その様子を見て、また隣の友人はニタニタと嫌な笑顔を浮かべる。どうにも、彼女は苦手だ。こういう何気ない話を全部、色恋沙汰に脳内変換する。何気ないことが、勝手に彼女の頭の中では、恋愛に変化するのだ。嫌いじゃないが、好きにはなれない。

 手のひらには、しっとりと汗を掻いている。

 その中で、携帯が細かく震えた。来たと思いっきり飛び上がりたくなったが、今は講義中だ。他人への迷惑を考えて、ぐっと堪えてメールを開封する。

 送付元は、日下千草。

 思わず、握っていない左手でガッツポーズをしてしまった。

 もどかしく、ボタンを連打する。しすぎて、何回か行き過ぎてしまった。

 蛇 使 行 我 城

 我 確 内 実 戻

 何とも手の込んだ白文での文面。此方が三国志に造詣が深いという事を知った上で、はたの人間には、全く意味の無い文面になっている。智香はこの白文に、送り仮名と返り点を頭の中で打ち、書き下し文に変えて、意味を訳した。

 蛇は、私たちを城へと使わせた。

 私たちは、城の中身を確かめたので、一旦戻る。

 大体、こんなところだろうか。その中で、固有名詞が誰を、何を表しているのかを把握して、もう一度、今度は意訳する。

 八蛇は、私たち八人を、『アインクラッド』へと進入させました。

 私たちは、城の中身を確かめた上で、一時帰還します。

 結果は、芳しくないと言うところだろうか。いや、今日から極秘に、千草や彼が、行動を起こすと言う事は、聞いている。そして、もしもの時のために、自分に対して召集が掛かるであろう事も。五年前、眠り姫となった自分を助けてくれた王子様のためにも、ぎゅっと手の中の携帯電話を握って決意を固める。

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十二月四日 第一層迷宮区 ボス部屋

「バカ! 危ないじゃない!」

 キリトとトキオ、二人を抱えてボスの凶刃から脱出したのは、女の子だった。

 顔立ちから考えるに、まだ中学生くらい。栗毛と澄んだ瞳の印象的な女の子。彼女は此方の反論も聞かずに、目に涙を浮かべて、言葉を叩きつける。

 涙も、彼女の心配そうな顔も、所詮はデータ上の作り物。そう頭の隅では分かっているのに、キリトは言葉を飲み込んだ。無為に反論して、彼女の怒り顔を見たくない、そう直感で思ってしまった。

「うるせー!」

「!」

 そんな事を思っている彼の隣で、トキオは変わらずの態度で怒鳴った。

「この程度で、どうにかなるわけねーだろ!」

 口を尖らせて、反論する。心配したのに、なんていう態度だと少女の目が訴えている。ふと、今まで、注意して見ることの無かった、パーティに属するメンバーの名前に、キリトは目が行った。《Kirito》という自分の名前、《Tokio》という赤毛の少年の名前、そして、《Asuna》という目の前の少女の名前。

「こちとら『徹拳』を、どれだけやりこんでると思ってんだ!」

 彼の吼えたゲームタイトルには、キリトも覚えがあった。

 長年、それこそネット隆盛のもっと前、ゲームという娯楽が生まれた黎明期から存在している、超をつけても良いくらいの長寿シリーズの格闘対戦ゲームだ。

「そこで、何度も戦ってきたんだ! あれくらい、何とか出来るさ!」

 トキオの剣幕に、何故か、アスナは萎れていた。

 先程の蹴りで振り下ろされた剣を飛ばしたのも、その格闘対戦で磨いた腕だという。

 彼のアスナへの物言いから推察すると、そういうことになる。

 ゲームで、磨いた腕を、振るっている。

(ちょっと、待てよ……)

 トキオは、それが何でもないことのように言っている。

 だが、それはまさに言うは易くという行動だ。ゲームの腕を磨いたところで、実際にリングの上に上がって、ボクサーに勝てるのか。柔道選手を投げ飛ばせるか。剣術の達人を切る伏せることが出来るのか。そんな事を聞かれたら、明確にノーだ。

 所詮は、ゲームの腕前であって、武術の腕前ではない。

 だが、トキオは「ゲーム」の中の技を、「ゲーム」の中で再現してみせる。この精神すべてが取り込まれた「現実」の中で、駆使している。

 まるで、肉体全てをゲームの中に放り込んだ経験があるかのような、そんな俄かには信じがたいことを言っている。そんな口ぶりなのだ。

(いや、まさか、な……)

 精神を、難攻不落の浮遊城に囚われてしまったから、何か変な妄想に取り付かれているだけだ。そう思って、思考を頭の外に追い出した。

「大体、自分のパーティメンバー信じられないのかよ」

「だからって……」

「だー、うるせー!」

 二人の言い争いは、必然的にキリトに向いた。

「大体、こいつが勝手に飛び出すのが悪いんだろうが!」

「え、俺のせい?」

 確かにボスの攻撃モーションから、テスト時代とは大きく変更があることを見破ったのは事実で、その結果、単騎特攻してティアベルたちを助けられたのも、事実。だが、それは結果論であり、一歩間違えば、身代わりに消滅していたかもしれない。

「どの道、こいつを倒さねぇと、先へは進めないんだ……!」

 トキオは肩を回し、首を鳴らして、剣を握りなおす。

 ゆっくりと息を吐き、心を整えている。こんな経験は、以前もやってきた。あの時は、これよりも、もっと禍々しく、凶暴な相手と戦った経験もある。こんな犬頭相手に立ち止まっている場合ではない。そういう風に語る背中。

 その背に、百戦錬磨の猛者の貫禄を、キリトは確かに見た。

「行こうぜ、キリト、アスナ」

 後ろを振り返って、まだ二人の戦意が萎えていないことを確かめる。

 二人とも、手に持った剣を強く握り直す。

「おい、お前らも、まだ戦えるな!」

 更にその後ろ。

 全員に吼える。

「前を向け! 報いたいなら、戦って、生き残れ!」

 事態の激しい推移に付いていけなかった騎士を守る部隊も、急ごしらえのパーティも、先頭を進む、勇者の言葉に押されて立ち上がる。それを確認して、トキオは、なぜか剣を仕舞った。

 代わりに装備されたのは、手甲とナックルダスター。

 キリトは、眼が文字通り点になった。

 当然のことだが、徒手空拳なんて、リーチは、ほとんどない。そもそも、システムに補助された剣技があるような世界で、わざわざ、そんな武器を選択する理由なんて、どこにもないはずなのに。

 キリトの見ている前で、トキオは永く息を吐きながら、腰を落とし、再び、戦闘態勢を整える。赤い髪が、ゆるく、なびく。

「行こうぜ、AIKA……」

 トキオの呟きは、聞こえなかった。誰かの名前を呼んだ気がしたが、聞き取れない。

「いいか。ボスは、ジャンプしてからのでかい攻撃が入った!」

 ぐるぐると吼えているボスを、じっくりと見回してトキオは怒鳴る。

 飛び上がって、落ちてきたら、後ろへと飛べ。命令はシンプルだが、一瞬でもタイミングをミスすれば、即刻死亡の危険性の伴う作戦だ。本当なら、ティアベルのしたように楯を構えて、じっくりと遠距離から攻撃していくのが、安全だ。

 だが、そんなことを悠長にしている場合ではない。

「キリト、アスナ、お前らは横から突付け。常に交代で敵をやれ」

「トキオはどうするんだ?」

 キリトの問いに、彼は自信満々で答えた。

「俺は陽動だ」

「な!」

「ちょっ!」

 陽動といえば聞こえはいいが、その実、一番致死率が高い危険な任務だ。

それを率先して、やろうとしているのである。その迷いない覚悟の強さ。それを見て取ったキリトもアスナも無言で従うしかなかった。

「行くぞォ!」

「オオオオ!」

 勇者は、走る。

 先陣を切って。

「グラアアアァァァアアア!」

「うらああああああ!」

 上から渾身の力を込めて振り落とされた剣と、絶叫と共に、真っ向勝負。

 巨大な剣を、アッパーカットで受け止めて見せたのだ。ナックルダスターのわずか数センチ先には、彼の拳が、手が、腕が、繋がっている。莫大な負荷と衝撃が空気を裂く。

 歯を食い縛り、足を踏ん張って、必死に耐える。見る見るうちに体力ケージが減っていく。まるで熱病に魘されるように、彼の体力は、徐々に減っていく。

「トキオ!」

 そのカバーにキリトが割り込む。

 巨大な剣の一戟を、渾身の力で弾く。

「助かるぜ!」

「勝手に先走るなって、自分で言ったんじゃないか!」

 もう一撃、上からの剣戟。

 それをトキオは、先程と同じような調子で受け止めた。腕の間からコボルト王の不細工な顔を睨みつける。その顔は、傍で見ていても解るくらいに、楽しんでいた。

 その顔に、ある種の恐怖をキリトは覚えた。

 死ぬかもしれない。そんな限界状態の中で、笑っていられる彼に畏敬にも似た念を感じる。別に、使命感に燃えているわけではない。もっと根本的な個人的な感情で彼は戦っているのだろう。それが良くわかる顔だった。

 だが、それでも。

 こんな大きな剣を、真正面から受け止めるのは、命知らずにも程がある。

 このゲームでは、筋力さえもパラメーター化された数値だ。重い剣を振るったり、トレーニングを積んだりすれば、数値的に更に重たい物を振るうことが出来る。筋力があるということは、それだけ生き残る可能性が単純に高まる。戦略がなくとも、単純な腕力だけで戦いに決着をつけることも可能になる。

 だが、まだ開始一ヶ月少々。

 あんな見た目だけでもトン単位で計測する方が相応しいような大剣を一人で防げるほどに、トキオに筋質量があるようには見えない。だから、ティアベルたちは、剣を弾くことを覚えた。敵の攻撃の出掛りを潰して、そもそもの攻撃を防ぐという手段だ。安全かつ、タイミングを見定めれば、誰にでも仕える戦法である。

 だが、トキオは、完全に足りていない筋肉を最大限使えるように、技術で補っている。

 無茶苦茶な、無理やりに自分の体を捻じ曲げているような戦い方を彼は続ける。

 ならば、その技術は、どこで身につけたのか。

 やはり、ゲームの中で培ったとでも言うのか。ソードスキルもなく、拳を振り回す、その姿は、感じたとおりの圧迫感を振りまいていた。

 だが、それが真実ならば、彼は、このゲームに於いて、情報を持っているキリト達βテスト参加者よりも、遥かに上、最早、存在してはならないレベルに位置している。レベルが異なるのではない。そもそもの生きている次元が異なっている。

 神の徒階。

 それは最早、人間が目指す事を諦めた場所。その次元に到達しているのか。

 荒唐無稽な妄想を、キリトは頭の中から追い出した。

 確かに、気になる所だが、今は、それを考えるべき時ではない。

 考えるのは、生き残った後だ。

「今だァァァ!」

 少しだけ、後ろを振り返り、トキオが吼えた。

 眼前の白い剣士、いや、戦士を一刀の元に両断できないでいるボスへと、全員が殺到する。

「おおおお!」

「勝つんだ!」

「行くぞ!」

 プレイヤーたちの絶叫が重なる。

 槍が、斧が、剣が、いっせいにボスの体力を削っていく。数ミリずつ、四段目に差し掛かっていたボスの体力ゲージは、小さく、確実に、消えていく。

 だが、最も最優先で狙っていたトキオが切れないと解るや否や、コボルト王はもう一度、剣を持ち上げ、今度は勢い良く、横薙ぎに払った。

 不気味な風切音がして、衝撃が空気を伝う。

「伏せろォォ!」

 トキオが指示をする。頭上を越えていく暴力の嵐。

 何人かが吹き飛ばされる。赤い鮮血のようなエフェクトが舞うが、死人は出ていない。あのような一撃では致命傷にならない。その安心感を持って、伏せて、攻撃をやり過ごした、次の部隊が特攻する。

「行こう、アスナ!」

「ええ……!」

 その中にキリトとアスナもいた。

 右から、左から、腹を裂き、足を抉り、二人の小さく脆い剣もコボルト王の体を捕らえた。既に敵の体力はレッドゾーン。瀕死の状態だ。あと一押し、あと一押し。誰もが油断せず、来るべき歓喜を想像する。小さな一歩、だが、確実に攻略は大きく進む。

 また一押し、交互に二人は、息のあったコンビネーションで、敵を刺す。

「グラアアアアアア!」

 なお、一層、コボルト王の絶叫は大きくなる。

 だが、所詮、大きいだけ。特別な状態異常を起こすわけでもない。ただ、吼えているだけの大きな獣は、もう一度、大きく、振り被ってから、剣を振り落とした。

「ゴートゥ、ベヴン!」

 もう一度、縦切りの一撃。

 巨大なタルワールを両手の剣でトキオは三度、受け止めた。

 最早、彼の体力も残り少ない。

 だが、上から振り落ちてくる圧力に膝を折ることなく、彼は武器の死角、絶対に刃の通ることの無い、敵の懐へと、ついに潜り込んだ。そのまま、雄叫びを上げ、コボルト王の脛を、渾身の力を込めて、蹴り飛ばした。

「ゴガアァ……!」

 本当に自分の方が、天国へと舞い上がりそうな危険な体勢からの一撃。

 決死の覚悟で放った攻撃に、犬面は、膝を折った。

「もう、一丁ォ!」

 腰溜めに構えた状態からの、全身を使った正拳の突き。

「ユニゾンコンボ!」

 それを起点にして、攻撃を続ける。

 右拳、左拳、右足、左足。重たく、鋭く、そして、正確な連撃。

「グラア……」

 巨大な刀が、三度、地に落ちた。

 ド派手な音と伴に、持ち主をなくした曲刀は、幾千幾万のポリゴンの欠片となって消滅した。その砕けた剣のエフェクトを突き抜けて、キリトは、アスナは走る。

 僅かに、一瞬の交差。

 最後の一撃にと放たれた、コボルト王の爪よりも、キリトの剣が遅れた。

 だが、その遅れた一瞬があればこそ、キリトもアスナも落ち着いて避けることが出来た。頬が切れて、赤の流血を示すエフェクトが零れた。

 だが、もう止まらない。

 コボルトの王に、再び、腕を引き、攻撃をする隙など、与えない。

「はあああああ!」

 綺麗な刺突音のサウンドが、部屋の中に木霊した。

 そして、コボルトの王の体は、崩壊した。

 

 

 

 


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