.hack//SAO FIFITH Crisis   作:かなかな

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Vol.4 英雄邂逅

Side; Real 二〇二二年十二月四日 東京都港区台場 サイバーコネクト社正門前

 黒貝の運転する車に乗った亮と、日下千草は世界最大手ソフト会社、サイバーコネクトコーポレーション、通称CC社の日本本社の正門前に立っていた。お台場という都内の一等地に建つ会社だけあって、概観は近未来的で、目も眩むようなガラス張りになっている。

「何時見ても大きいですねー」

 そんな感じで、千草は呆けたような顔をしたまま、会社の天辺まで眺め上げた。都内の一等地に建つ五十階建ての建物は、ある種のランドマークとしてすら機能している。

「あ、黒貝先生、ありがとうございました」

「何、礼は後で良い」

「早く行こうぜ。時間ギリギリだ」

 CC社の玄関ホールは五階まで続く吹き抜けになっている。あまりの天井の高さに目が眩みそうだ。それだけこの会社が世界的に有名であり、また利益を上げているということの証左でもある。同時に、この豪華な装飾を手に入れるために、どれだけの人間が苦心したのかという事も窺わせる内容だ。

「待っていたわよ」

「遅い」

 三人を出迎えたのは、二人。デキル女という表現がこれ以上に似合う女性もいないだろう。そんな風にタイトなグレーのスーツを着込んだ女性だった。済ました切れ長の目が、その意志の強さと、自分に妥協を許さない、そんな雰囲気を窺わせる。

 もう一人は、何処でも売っているセーラー服の少女。将来的には、隣に立つ女性のようになるのではないかと、今から想像してしまうような、期待を持てる少女である。

「お久し振りです、佐伯さん。愛奈ちゃん」

「ちゃんはやめて、千草」

 この偉そうな口ぶりに千草は眉を潜めるでもなく、クスリと薄桃色のカーディガンに包まれた手を彼女の頭の上において、撫で回した。姉が妹を可愛がるような、そんな素振だ。少女のほうも、嫌そうな顔一つ浮かべずに、されるがままになっている。

 女性の方が、佐伯玲子。少女のほうは犬童愛奈。

 二人とも、亮たちとは切っても切れない関係にある。

「黒貝先生も、お久し振りね」

「ああ、久しぶりだ」

 そんな簡単な挨拶だけを交わして、五人はエレベーターに乗り込んだ。

 目的地は三十八階の会議室。直通のエレベーターに乗った五人は、何れも神妙な面持ちで、言葉を発する事がない。これから起きる事について、想像を張り巡らせているのか、それとも、自分の言葉を纏めようとしているのか、傍から見ていると、想像が出来ない。

 三分ほどで三十八階へとたどり着いた。

「やあ、待っていたよ」

 出迎えたのは、学者然とした色白の男だった。歳は随分と若いのに、しゃがれた耳に残る老人のような声の持ち主だ。彼が件の火野拓海である。亮との付き合いは彼是、五年にもなる。何ともいえない腐れ縁の持ち主である。

「お前自らで迎えてくれるとはな」

 早速、亮は悪態を付く。これは二人の間の挨拶のようなものだ。

「何、久方ぶりに集うのだ。私としても興奮しているのだよ」

「久方ぶり?」

「詳しい話は後だ。まずは席に着きたまえ」

 議場の席は、既に幾つか埋まっていた。

 正面のモニターから見て、右側に五席、左側に七席、後ろ側に三席が用意されている。そして、正面の席に三つ。あれは議長席だろう。八席並んでいる席順の一番端に亮は座る。何となく、火野の考えた席順だと、自分はここに座る気がしたのだ。そして、亮の隣に千草が、議長席の一つに黒貝が座る。愛奈と玲子、そして、彼の手元には、紙のカルテが握られている。

 まだ時間には早いのか、席に座っている人間は誰もいない。

 それに集った人間も初対面が多く、無愛想な亮は、今ひとつ歩み寄る事が出来ない。

「なーに、しんみりした顔してんだよ!」

「ぐぇ!」 

 いきなり亮の首を絞められた腕。

「あ、香住さん」

「よ、アトリちゃん、ハセヲ。久し振りだな!」

 軽い調子で、現れた男は二人に挨拶をした。

「黒貝先生に、愛奈ちゃんも、久し振りかな」

「うむ、久し振りだな。香住君」

「そして……」

 ダダッと狭い会議室を一足飛びに掛けて、玲子の隣に香住智成は立った。

「久し振りだな、パイ。そろそろアドレス教えてくれないかな」

「嫌よ」

「あらら、手痛いね」

 そんないつもどおりの遣り取りをしているのは、香住智成。現在は、このCC社で働いている。普通のアルバイトから正社員へとランクアップした変り種でもある。亮が勧誘を受けている事と同じ理由で、彼もCC社に入っている。

「それよりもお出ましだぜ。俺達の先輩が」

 くいっと智成が出入り口を指し示す。入ってきたのは、スーツに身を固めた五人。手前を歩くのは、まだ二十半ばという所の男性が二人、彼らよりも少しばかり年上の男性、女性が一人。そして、髭面の男が一人。彼らが何者なのかということについて、亮はすぐに思い当たった。

(第二次ネットワーククライシスを解決した初代.hackers……、その中核の四人……)

 今から十二年前。

 二〇一〇年の事。

 世界各地に張り巡らされたネットワーク社会が危険な状態に陥った。

 国家レベルでいうならば原子力発電所や人工衛星、民間レベルでいうならば各地のセキュリティプログラム。生活の全てに、ネットを使用してきたツケは、その第二次ネットワーククライシスで、脆さを露呈した。各地の送電網は完全に麻痺。横浜を初めとした各都市で、セキュリティ停止による強盗事件や、火災事故などの続発。日本のみならず、世界各地で混乱が起きた。

 その世界規模の混乱を沈めた伝説のパーティ。

 それが.hackersである。今、目の前にしているのは、その伝説の中核となる四人のプレイヤー、そして、サポートに徹したCC社の幹部職員である。

(確か、名前は……)

「初めましての方も久し振りの方も。伊賀海斗、カイトです」

「新條康彦、蒼海のオルカなんて呼ばれてた」

「サブリーダーの速水晶良よ。ブラックローズって名乗ってたわ」

「蒼天の騎士と呼ばれていたバルムンク。本名は、高原祐樹だ。よろしく頼む」

「システム管理者から彼らを助けていた、CC社、芳賀健治だ」

 彼ら四人に、先程から列席者を出迎えているワイズマンこと火野拓海も加わる。彼らとは特に亮と智成は恩義と、因縁を感じる仲である。

「んー、飲食禁止なのかい? それは困ったな……」

 また一人。舞台へと上がってくる。眼鏡を掛けた痩身の男。

「団長、ちゃんと守ろうよ」

「それも、そうか……」

 ポリポリと頭を掻きながら、だらしのない男を先頭にまだあどけなさを残した少女と、少女と女性の境界線にいるような見事な黒髪の女子高生が現れた。女子高生だと一目見て、亮がわかったのは、彼女が近所の高校のサマーベストを着ていたからだ。決して変な趣味があるわけではない。

「どうも、皆様久し振りです。シックザールのフリューゲル、曽我部隆二、んで」

「リーリエ・ヴァイスだヨ。みんな、久し振り」

 それだけ名乗ると後ろに備えられていた三つ並んだ席に座る。最後の女子高生は名乗るどころか、時候の挨拶もなしだ。亮のように、眉間に皺を寄せて無愛想というよりは、単純に興味がないというような調子だ。

「さて、これで全員かな」

 十八席ある席のうち、十五席が埋まっている。

 全員を見回してから火野は満足そうに頷いて、話し始めた。

「一之瀬君は、現在、フランスにいるらしく急遽の帰国は出来ないそうだ。

中河君の方も、受験前という事で、母上から断りの電話を受けている。

彼らには、後日、この会議の内容について連絡する事にしている」

「待て、後の二人は?」

 亮たちの席の列の五番目と六番目、そこに座るはずの中西伊織と一之瀬薫がいないのは理解できた。伊織は、現在、中学三年生。受験真っ只中で、ネットゲームに興じているような暇はないだろう。一之瀬も、今フランスのアビニヨンで、彼は語学留学中である。いきなり帰国して、会議に参加せよと言われても、飛行機のチケットを初めとして、色々と問題が立ちふさがるだろう。

 だが、後の空席の二つ。

 その席に座るべき人間は。

「僕ですよー」

 いきなり会議室のパソコンの一つに、液晶の画面が現れた。その中に写っていたのは、青い髪の中に、硬質の龍の角を生やした小柄な少年。 

「欅!」

「はいはーい、久しぶりですね」

「私も、ね」

「ヘルバさん!」

 欅とヘルバ。

 欅のほうは、現実の素性が一切不明である。とてつもない、途方もない技術力を持っていることは確かだが、その実、一体どこに住んでいるのか、どんな人物なのか、それらは一切合財が不明だ。一説には、ゲームが用意したAIとも言われている。

 そしてヘルバ。『初代.hackers』のサポーターとして、数々の作戦を立案した他、ネットの吹き溜まり、最果てとも言われるネットスラムの管理人でもある。此方は、凄腕のハッカーである事が確認されているが、やはりどんな人間かは不明だ。

  そんな絶対にリアルを明かさない二人が出てきたのだ。

事態の深刻さというのは、自然と解るものである。

「さて、既に聞き及んでいるだろうが、今回、君たちを招集したのは、茅場晶彦、SAO事件と付けられた今回の一万人のゲームプレイヤーの未帰還事件についてだ」

 火野が、今回の事件の現状。そして、あらましや事件背景についての解説を行う。

「先月、十一月六日、株式会社アーガスより、ナーヴギア対応のMMORPGソフトである、『ソードアート・オンライン』が発売された。だが、当日、開発者である茅場晶彦によって、初回ロットである一万人の精神が、ゲーム内に囚われた」

 確認を取るように、火野は議場全体を見回す。

 誰からも反論は出ない。寧ろ、彼らが待っているのは、それから先の話である。

「ゲーム開始から既に一ヶ月、死者数は二千、残るプレイヤーは八千人を切っている」

「政府の対応、病院の対応は?」

 海斗から質問が飛ぶ。

 その質問には、黒貝が答えた。

「政府は囚われた一万人を近くの病院へと緊急搬送、ネットワーク環境が整った状態で、生命維持に必要な最低限の栄養補給を点滴等で補い、回復を待っている。だが、病院としては、あまりこの状況は好ましくない」

「何故です?」

 黒貝の突き放すような発言に、晶良が噛み付いた。

「何せ、人手が足りない。医療行為なのだから、頭数だけあっても困る」

「なるほど。つまり、普段の医療行為を行いつつ、一万人の面倒も見なくてはならない。それに対して、従事者が足りないのね」

「そうだ。理解が早くて助かるよ。速水君」

 医療大国と呼ばれるだけあって、日本国内の病床数は世界でも有数だ。

 だが、それは緊急事態に備えての分も含めてであり、一万人も固定されてしまうと、咄嗟の事態に対応できない。そして、医療行為に携わる人間の少なさ。医者も看護師の数も絶対的に不足しているのが、現状だ。黒貝がやつれているのも、そのような理由だ。

「で、本題だ」

 遅々として進まない会議に業を煮やした亮が、話を進めろとせかす。

「何故、俺達は集められたのか?」

「そう急くな、ハセヲ。気になっているのは分かるが、急いては仕損じるぞ」

「チッ」

 乱暴に舌打ちして、亮は席に座りなおす。

「CCサンディエゴ本社は、NABを抱き込んで、今案件の解決を日本本社に指示してきた。日本国内に、これだけのネット事件に関して戦ってきた戦力がいる事を見越して、だ」

 この場に集った人間は、何れも過去のネットワーク事件。

 つまり、『.hackers』が解決した第二次ネットワーククライシス。

 つまり、『二代目』が解決した、第三次ネットワーククライシス。

 そして、この場にはいない時の勇者が解決したイモータルダスク。

 世界規模で発生した事件の解決に、この場に集った十七人は関与しているのだ。それは決して誇れるような成果ではない。その過程に、犠牲が在った事は言うまでもない。

「あー、ちょっといいか、火野さんよ」

 すっと、曽我部が手を挙げた。

「ああ、構わないが」

「じゃあ……」

 ポリポリと心底面倒だと言わんばかりに、曽我部は頭を掻いて、

「何で、俺の作った『VRスキャナ』が、あいつに流れてんだ?」

 会議室に集った全員が驚いた。いや、いっそ凍りついたという方が正しいかもしれない。

 曽我部隆二の本職は、精神科医である。外科手術を行える黒貝とは異なり、カウンセリングなどによってPTSDなどの心的外傷の回復を手助けする少々、特殊な医療行為の職業。その部分として、研究者でもあり、論文も多数発表している。

 その彼が、とある研究の過程で開発したのが、『VRスキャナ』だ。

 光学センサーを用いて、視神経と直結。それによって、患者の精神的な回復を手助けするのが、『VRスキャナ』である。その一次被験者が彼に寄り添うリーリエである。

 だが、彼は二年前にCC社を退社した際に、一切合財の権利や開発データを売った。

 それが、何故か、『ナーヴギア』として、世に出ている。

 あくまでも医療機器としての役割の大きい『VRスキャナ』が、姿を変え、『ナーヴギア』として世に出ている。呆れたように、頭を掻きながら、曽我部は続ける。

「品薄になってたギアを解体して、よく解ったよ。今まで、気が付かなかったくらいに、改良されている。素地だけは、まんま『VRスキャナ』だったけどな」

 曽我部は、視神経の接続だけに留めていた。何故ならば、それ以上に神経とネットワークを接続することは、下手をすれば、人為的に、かつての凄惨な事件を起こしてしまう、その可能性が、微量とはいえあったからだ。

 だが、この悪魔の機械は、脳神経そのものとネットワークを直結させている。それが、どれほど危険なものなのか、ここにいる面々には、よく解っていた。

 そして、あくまでも『VRスキャナ』は、医療器具。

 それを健全な人間に使用すればどうなるか。

 例えば、高血圧の人間に血圧を下げる薬を打てば、健康値に保てる。しかし、健全な人間に使えば、あまりの血圧の低下に耐え切れず、死に至る可能性も存在する。

 曽我部が危惧したのはその点だ。

「あまり彼の研究を使って欲しくない、その点については私も同意します」

 曽我部の隣に座っていた女性が、此処に来てようやく口を開いた。

 彼女が、曽我部が心酔し、VRスキャナを作る基礎理論を組み立てた天城丈太郎の従妹である天城彩花だ。従兄の研究結果が、このような事件の引き金になったとは、信じたくないのだろう。

「まあ、今更、俺の過去の話についてウダウダと女々しく言う心算はないぜ。だけども、それを茅場のバカに売ったとなったら別だ」

「何故?」

 高原が疑問に思った事をストレートに聞いた。

「あ、だって、俺。アイツと同門なんだよ。そん時から、お互いに大嫌いでな」

 ケラケラと笑うような調子で曽我部は軽妙に言う。

「もう二人、後輩に須郷と神代って奴も居たんだけど、あいつらどうしてっかな~」

 昔を懐かしむかのような調子で曽我部は暗い天井を見やる。

「たかだか、一年くらいしか一緒にいなかったけど、楽しかったなー」

「君たちを呼んだのは、それだ」

「おいおい、火野さんよ。もう少しくらい感慨に浸らせてくれても……」

「話を続けるぞ」

 火野は、話の本旨を微妙にはぐらかしながら続ける。

「今回、『VRスキャナ』の技術が、『ナーヴギア』に流出しているのは間違いない」

「何故、気が付かなかった?」

「気づいていた、だが、追求できなかった、という方が正しい」

 火野は、当然であるというようなニュアンスを滲ませつつ、曽我部と天城へと向き直った。申し訳なさというのは、微塵もない。確かに日本本社の筆頭株主で、外部職員でしかない彼に、技術的な云々を叩きつけても、意味はない。同様にイベント運営に携わる面々に問うのも、ナンセンスである。この問題は技術開発部へと上申しなくてはならない。

 開発者が権利を売り、死蔵されていたモノだ。それを盗み出したから、といって、ウダウダと、天下のCC社が、日本国内の弱小メーカーに文句を付けるようなみみっちい真似が出来るはずもない。

「このような事態にならねば、おそらくCC社の全員が、追求しなかっただろう」

 技術を流出させた裏切り者の存在。

 それが誰なのかのあぶり出し、それと平行して。

「だが、こうなってしまった以上、責任は我々にもある」

 事件の解決に当る。それが、今回、集められたメンバーへの指令だろう。

「我々の責務は、今回のSAO事件の解決、そして、ギアの全回収だ」

 火野は強い口調で言う。

「だが、どうやって解決する? まさか、サーバーぶっ壊して事件解決は出来ないだろ?」

 智成が尋ねた。

 確かに、現在、一万人の精神はネットの中、もっと言えばゲーム『ソードアート・オンライン』のサーバーの中に閉じ込められている。ゲームの中で百層の連なる浮遊城であっても、現実の世界からしてみれば、所詮はパソコンだ。ぶっ壊せば、事件は解決できる。

 だが、中の一万人の命は保障できない。

 つまり、最初から外からの解決方法は、ないと思っていい。

「それが可能なんですよ。何せ、皆さんは普通ではないんですから」

 欅の嬉しそうな顔が、画面から覗く。

 此方まで幸せになりそうな、朗らかな笑顔。きっと現実の世界へと現出すれば、美少年という事で人気者になるに違いないだろう。無愛想な亮とは大違いである。

「女神より頂いた黄昏と薄明の『腕輪』」

 右に座る五人。管理者は除いて、四人は女神のことについて良く知っている。

「反乱者が生み出し、八相の碑文使いPC」

 此処にはいない三人を加えた、八人。女神への反乱者が生み出したネット世界の魔物。

「人の自損と自尊が生み出したシックザールPC」

 本来は治療のためにと生み出された、人間の精神を保つ二人。

 何れもが規格外の力を持つ、十六人のネット世界での仮装意思総体である。

「僕らで、皆さんをスラムから、SAO内のタウンと呼ばれる場所へと転送します」

 随分とザックリとした作戦である。

 しかし、欅の声は成功を信じて疑わない、というよりも、成功して当然。どうして失敗する事があろうかというような声で、顔だった。ニコニコと笑っているが、随分な毒の入れようである。だが、それら全てが事実なのだから、反論のしようがない。

「んじゃ、俺達は、この世界に飛び込んで、グランドクエスト上の最終ボスを撃滅する」

「それと、イモータルダスク以後、確認の取れていない女神の確認だ」

 彼らにとっての女神は、二年前の大戦で失われている。

 全てを電脳世界へと取り込もうとしたイモータルダスク以後、所在が不明だったはずなのだが。その女神について、この場の誰よりも気になる海斗が口を開いた。

「女神が、AURAが、この世界にいるという可能性が何故?」

「それについては、データを送ろう」

 火野はあくまでも事務的な対応に終始する。海斗の方も解っているのか、文句を言わず受け取ったデータを読み込んでいく。数分ほどの沈黙の後、海斗は短く、

「了解、これは行くしかないね」

「そうみたいね」

 そう言って、四人の騎士たちは立ち上がる。

「場所は、この下の階だ。案内しよう」

 そして四人の騎士を芳賀が案内する。

「んじゃ、リーリエ。行ってくるわ」

「帰ってくるヨネ?」

「当たり前だろ。お父さんは、娘を置いて死んだりしません」

「見せ付けてくれるわね」

 父娘の優しく、温かい会話。それに彩花は茶々を入れる。

 使用する『ナーヴギア』の対象年齢が十三歳以上という事もあり、リーリエはこの作戦に最初から参加することが出来ない。娘を一人残して、戦場へと旅立つ父親の背中をぐっと娘は、見送っていく。そんな彼女の肩を、彩花はぐっと優しく気遣った。

「ああ、ひとつ、貴方に伝えておかねばならない事があるわ、曽我部さん」

「なんだい?」

 一拍溜め込んでから、彩花は、

「向こうにトキオも居るわ。手を貸してあげて」

「おんや~」

 その何となく、甘い香りの漂う彼女の言葉に、曽我部は嫌な反応をする。そして、リーリエも、彼と同じような反応をした。但し、此方はむっと睨みつけるような調子だ。

「あんな事に巻き込んじゃった責任感? それとも悲壮感?」

「ダメだヨ、トキオは私が貰うんだヨ!」

 そんなませた事を言って、リーリエは彩花を睨みつける。

「あらら、モテるね、彼も」

 曽我部はどうやら囚われている一万人の中に居る知り合いの事を思い浮かべて、楽しそうに口元を緩ませた。

「さて、G・Uのメンバーはどうする?」

「どうするって、何今更聞いてんだよ」

 亮は、苛立った心境を隠す事もせず、火野へと突っかかった。

「あれだけ思わせぶりな事、言っておいて俺に『行くな』なんて聞かねぇぞ」

「ちょ、亮さん!」

 思わず隣に座っていた千草が留めようと手を出すが、智成と玲子に止められた。二入とも諦めたような、そして、亮の事を理解したような顔で、千草の手を止めていた。亮に日野が耳打ちした事は、彼にとっては何よりも大事な事なのだ。

 O・V・A・N。

 オーヴァン。嘗て、リリースされた『The World R;2』に於いて、最強とまで渾名されたプレイヤーである。本名を犬童雅人。亮達七人同様に、欅の言う碑文たるイレギュラー要素を扱える。本来なら、愛奈の座っている席は、彼女の兄である彼の席であった。だが、五年前の第三次ネットワーククライシスの解決と引き換えに、以来、意識不明のまま病院の白いベッドの上で昏々と眠り続けている。

 彼は、亮にとっては師であり、友であり、仲間であり、敵である。

 その彼の事が、どこか亮は、引っ掛かったままだったのだろう。努めて仲間を増やそう、弟子を作って彼らを育てようとしたのも、彼のようになりたかったから。そんなオーヴァンの志の残滓が一滴でも残っていたからなのかもしれない。

「……このゲーム開始時点のデータがアーガスから送られてきた。その写真がこれだ」

「今、出すわ」

 ヘルバが何事か操作すると、『ソードアート・オンライン』のゲーム内写真が表示された。ゲーム雑誌に何度か掲載されていた『はじまりの街』の中央広場。その中に、おそらく捉えられたプレイヤー一万人が集合しているのだろう。ここで彼らは茅場晶彦から、恐ろしきデスゲームの始まりを告げられた。死、即ち、現世からの永久退場というサドンデス。

 その時の彼らの気持ちは、一体どのようなものなのか。

 ガラスの向うから見ているだけの亮には、想像も付かない。

「その中の一部を拡大したものがこれだ」

 航空撮影された写真を拡大していくと、画質は荒いが、赤毛の少年が空を見ているのに気が付いた。

「……彩花の言うとおりか」

 呆けたような、それでいて、これから始まる闘争の世界に、恐怖以上の高揚感を感じた顔で、九竜トキオがいた。どうやら、彼は既にSAOの中にいるようだ。

「そして、これが……」

 ちょうど、彼の反対側。

 広場の外周に、相変わらずの無表情で、左腕に鋼鉄のような巨大なギブスを嵌めて、不敵に笑っている男が、空を見上げていた。まるで、撮影している事などお見通しであると言うような顔だ。その男の顔を間違えるはずはない。

「オー、……ヴァン」

「兄様……」

 その顔に一番、見覚えのある二人。

「ああ、間違いなくオーヴァンの旦那だな。これは」

「どうするんですか、ハセヲさん」

 問われる必要などない。

「決まってるわよね」

「ああ」

 ジャケットを翻し、先に出た面々に追いつくような早足で階下へと向かう。

「やれやれ、俺はアイツが無茶しないようにしとかないと」

 そんな風にぼやきながらも、智成が後を追う。

 

 

 

Side; net 二〇二二年十二月四日 ネットスラム『タルタルガ』

 階下にあるネットサーバー。

 CC社日本本社における、内界と外界を接続する場所だ。

 今から行う事は、日本国内に於いては、立派な犯罪である。国家へ露見すれば、間違いなく、関係各員まとめて処罰の対象になるだろう。何よりも、面子という言葉が大好きな国家の官僚様たちの面子を粉微塵に砕いてしまうような難事に挑もうとしているのだ。

 ヘルメットにも似た形状の『ナーヴギア』を被り、ネットの世界へと飛び込む。

 目を開けた先に広がっていたのは、まるで都会の一等地からは隔絶されていて、それでいて、確かに社会にある吹き溜まりと呼ぶような場所だった。

 だが、ただの廃墟ではない。

 巨大な浮遊する亀の上に建てられた、打ち捨てられたビル群。

「懐かしいな……」

 こここそが、欅が本来、王として君臨し、管理する場所。

 ネットスラム『タルタルガ』である。

 事件解決の後期は、一般プレイヤーは知らないこの場所を拠点に、仲間達と最終の決戦に挑んだ事を亮、ハセヲは思い出す。既に五年も前の話だというのに、つい昨日のように、世界の危機へと立ち向かった事を思い出せる。

「あ、ハセヲさーん!」

 そんなスラムの露路、実際のスラムにいたら、二秒で追いはぎに会いそうな露出の高い、妖精のようなエメラルドグリーンを基調にした服を着た少女。彼女が、ネットの中における日下千草の意思総体、アトリである。

「その格好を見るのも久し振りかな」

「もう皆さん、集まっていますよ」

 タルタルガの中心には、金色の意匠を施された青い球体が鎮座している。

 その前に、懐かしい顔が揃っている。懐かしいといっても、二年ぶりである。

 赤いベレー帽の青年双剣士、伊賀海斗ことカイト。

どこかの部族のような筋骨隆々とした肉体美を持つ斬刀士、新條康彦の蒼海のオルカ。

 浅黒い肌と姫騎士のような西洋甲冑を着込む、速水晶良のブラックローズ。

 まるで天使のような雰囲気を纏う斬刀士、高原祐樹の蒼天の騎士バルムンク。

 青い髪を黄色の髪留めで留め、傍らに銃剣を備えた、香住智成のクーン。

 アジアの武僧のように、肉体と思慮深い雰囲気を漂わせる妖扇士、火野拓海の八咫。

 要所だけを覆うボンテージのような格好をしているのは、佐伯玲子のパイ。

 彼女に隠れ、白いゴシックドレスを着込んでいるのは、犬童愛奈のアイナである。

 片眼鏡、黒コートという何とも奇怪な出で立ちなのが、曽我部隆二のフリューゲルだ。

 ここにアトリとハセヲの二人を足した十一人。何れも、一般のPCとは一線を画す力を得たイレギュラーな存在である。リョースはシステム管理者、ヘルバと欅、太白は、関係者ではあるが、同じような力は持っていない。

「全員、集合してくれましたね」

 ニコニコと欅は楽しそうに笑っている。

「いいですか、皆さん。ゲートを潜れば、その先は『アインクラッド』です」

 楽しそうな笑顔の裏にも真剣な声音を滲ませながら、別世界へと侵入する十二人の勇者に向かって説明を始める。

「皆さんの限界稼働時間は一日六時間。それ以上は精神的に、肉体的に危険です。ここに戻れば、ログアウトできます。まさかレスキュー隊が溺れ死ぬわけにはいきませんしね」

 青く回転する門を前にして、欅は淡々と続ける。

 確かに、一万人がデスゲームに文字通り命を賭けている中で、自分達は安全圏にいるというのは、失礼な事なのかもしれない。だが、今はそんな美徳は不要である。この十二人は言ってしまえば、対茅場晶彦のための最後の砦。砦を守る為なら、何でもする。

 茅場晶彦の身柄確保。

 一人でも多くの人間の保護。

 それらに捧げる情熱とモチベーションを維持するには、彼らの命が大事なのだ。

「『アインクラッド』内で死ぬ前に、皆さんを僕が強制転移させます。実地には迎えない、通信の軸として、僕とヘルバさん、後、楓達も参加しれくれますから」

「私は、『知識の蛇』で情報収集に当たろう」

 欅・八咫のバックアップ体制も完全に固まっている。これから赴く地は殺伐とした殺し合いの世界だ。もしもの時をどれだけ考えていても、考えすぎることはない。

「よし、行きましょう!」

 カイトの左腕が薄明に変わる。朱色を基調にしたオーバーオールの中でさえ、そのきれいな黎明の空の色は、輝いていた。見とれそうになる位の綺麗な色を纏ったカイトは、腕輪を展開させた。これから、この『薄明の腕輪』によって、強制的にネットスラム『タルタルガ』と『アインクラッド』の『はじまりの街』を繋ぐのだ。

「クーン」

「ん?」

 準備が整うまでしばらく時間が空く。太白が、クーンの肩を叩いた。浅黒い色に彫りの深い顔、そして、純白のマントを纏った太白は、王者というに相応しい貫禄を持っていた。

「これを持って行け」

「旦那、これって……」

 太白がクーンに渡したのは、禍々しくも、流麗で、作った者の技量の素晴らしさを一見で把握するに十分な銃剣であった。嘗て挑んだクエストで手に入れ、太白を最強の座へと持ち上げた、罪界の至宝、『魔剣マクスウェル』である。

「そうだ。私の罪の象徴、最強の象徴だ」

「いや、こんなもん……」

 その後に続く言葉を察知した太白は、強引にクーンの両手に押し付けた。

「持って行け。どの道、私は向こうへは行けんのだから、持っているだけ無駄だ」

「……なら、ありがたく。絶対返しにくるからな」

 クーンは、その最強の二つ名に相応しい貫禄と風格を兼ね備えた銃剣を仕舞いこんだ。紫色の光を引いて、魔剣はクーンのアイテム欄へと格納される。

「皆さんにも、餞別があるんです」

 この作戦のことを知っているのは、この面々だけではないという事か。

 あれだけ社会問題になっている事件だ。巻き込まれた犠牲者の中、犠牲者の家族や友人関係に、かつての仲間たちがいないとも限らないのだ。助けるのは、一万人だけではない。彼らの仲間や、友達、現実世界における存在なのだ。

「イコロや、ケストレル、月の木の面々だけじゃないです。ガルデニアさんに、昴さん、ミストラルさん、砂嵐さん、他にも色んな人から、沢山頂いています」

 欅が渡したアイテムの総量で、十分にアイテム欄はぎっしり詰まってしまった。

 それだけ、この十二人に賭ける期待が強いということだ。警察や行政体ではない、現実では、ほとんど役に立たないようなゲームの知識と腕前を持つ十二人を。

「ハセヲさん……」

 アトリが不安げに、それでいて希望に満ちた顔で、ハセヲの横顔を覗き込んだ。

「これだけお膳立てしてもらったんだ」

 アイテム欄を眺めていくと、共に戦った仲間たちの顔が思い出せる。

 最初は突っかかってきたが、今では大事な仲間の元気娘、揺光。

 初心者支援ギルド『カナード』で一緒だった、シラバスとガスパー。

 他にも大火、かび、ボルドー、松、榊……、敵だった奴も、味方だった奴も、全員が自分に、自分たちに期待を寄せてくれている。

「これで『失敗しました』なんて言えねぇな」

「ああ、そうだな」

 短くオルカが同意を示した。

 彼の持ち物にも、ほくとや、W・B・イェーツ達、最初期から共に、背中を預けて戦ってきた仲間たちからの贈り物が揃っていた。重い。だが、心地のよい重さを感じる。

「準備完了しました」

 青い門に向かい合っていたカイトが口を開いた。

「エンデュランスと朔望は、彼らの準備が整い次第、追軍させる」

 八咫が短く、事務的な口調で告げた。

「ああ、分かった」

「行こう! 『アインクラッド』へ!」

 そうして、十一人の姿は消えていった。

「無事に帰ってきてくれたまえ……」

 どことなく空を見上げる太白。彼に釣られて、残った三人も瑠璃色へと落ちそうな色をした空を見上げた。此方の空は、いつでも黄昏だ。どれだけ時間が経ったとしても、くれることもなければ、明けることもない代わり栄えのしない空が広がっている。

 あちらの空は、時間によって変わるのだろうか。それならば、今は中天に懸かったくらいだろう。彼らの前に待ち構える困難、それがどんなものなのか。願わくは、易しきものであることを、祈らずにはいられなかった。

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十二月四日 第一層『はじまりの街』

 建築物オブジェクトというのは破壊不可能だ。どれだけ魔法をぶち当てても、切り刻んでも、傷は一つも付かない。プレイヤーを守る壁であると同時に、閉じ込める檻でもあるのだ。壁の向こうは、データの外になる。

そのオブジェクトに穴を開けて、九人。

「よっと」

「久しぶりの感覚ね。ゲートハッキングも」

CC社が派遣したSAO特別対策部隊、『Project.G.U』と名付けられた一団は、『アインクラッド』第一層の『はじまりの街』に降り立った。完全に不正規ルートからの侵入、所謂、ハッキングなので、誰かの視線が僅かでも集まる可能性のある広場や四辻を避けて、NPCすらいない、何のために用意されたのか分からない路地裏の場所に穴をぶち開けた。

 流石は八咫と言うべきか。事前に『アーガス』から、ゲーム内のオブジェクトの設計図を入手していたのである。そのフローチャートに従って、城の基部に降り立った。

「ここが、『アインクラッド』……」

 誰からともなく、声が漏れる。

 中世の石造りの町並みを再現したような『はじまりの街』の外観。彼らには、どこか昔を思い出すヴィジュアルである。駆け抜けた冒険の日々は、今でも心に焼き付いている。

 幾度となく、ゲーム仕様外のアイテムと技を使って、サーバー運営しか知らない情報を手にしてきた面々だ。さすがに別のゲームへとハッキングするのは初めての経験だったが、タルタルガのゲートから電脳の壁に穴を開けてきた。

「なあ、俺たちが侵入することを、『アーガス』運営、いや、茅場が予測している可能性は?」

「……?」

 到着早々、バルムンクが不吉な事を言う。

 この一ヶ月の間、日本政府や各種機関が何もしなかったわけではない。

 ネットワーク問題を専門に扱う国連下部組織NAB、各種ネットワーク運営会社などに依頼して、そして、自らも完全にブラックボックスと化してしまった『ソードアート・オンライン』の運営サーバーへのアクセスを試みている。勿論、事件解決に動いたのは、このような由々しき事態を起こしてしまった『アーガス』も同様だ。

 だが、一ヶ月掛かっても芳しい成果は得られなかった。

 外部からの進入を許さない電脳世界の難攻不落の要塞、浮遊城『アインクラッド』。それを作り上げたのは、茅場晶彦本人だ。

 その天才たる彼が、「万が一」の可能性を考慮している可能性は十分にある。

 このイレギュラーPCの存在を知っている可能性。

 CC社が問題解決に越権行為とも言える形で乗り出してくる可能性。

 それらの不確定要素を熟慮していないとは考えにくい。

 バルムンクは、彼が自分たちの天空に浮かぶ自らの居城への侵攻を考えているのではと、不安になっているのだ。皆、あまりの心配性に一笑に伏そうと思ったが、

「彼の言う事には一理ある」

「アイナ…?」

「茅場晶彦の論文とか、何本も読んだけど、彼は本当に天才」

 白いゴシックロリータのドレスに身を包んだ少女が、腕を組みながら話す様は似合っていない。外見と中身にひどいギャップを感じている。

「確かにな。俺が、シックザールなんていうのを開発しているのは、あいつも先刻承知だ」

「フリューゲルまで」

 だが、同門であるという彼が言うと、真実味が増す。

 いくら警戒しても、しすぎる事はないだろう。

「まず、状況がどうなっているのか。俺は知りたいのだが」

「なら、しっかり、情報収集かな」

 至極当然だけど、重要な事をカイトが言う。

「それじゃ、班を分けましょうか」

 アトリの尤もらしい提案に、異論は出なかった。

 九人もいるのだ。人間を分けた方が効果的に捜索することが出来るのは間違いない。

「んなら、俺はトキオを探しにいくかな。あのバカのことだし、死んでないだろ」

 プカリと仕様外のキセルを吹かしつつ、フリューゲルは信頼に満ちているのか、それともからかっているのか、どちらにでも取れるような事を口の端に上げる。

「俺は、外周を探ってみる。幸い、飛行スキルもあるしな」

 英雄の名を関したバルムンクには、嘗てのクエスト報酬として飛行スキルが付与されている。一般的なアクションRPGにおいて『飛べる』というアドバンテージは大きい。今回は、彼もそのアドバンテージを最大限に利用する心算でいた。ヴィジュアルのためだけに付けられた羽根ではないのだ。

「俺とハセヲは、迷宮に潜るわ」

 そんな風にハセヲの肩を抱きながら、クーン。

「ハセヲ、松とグランディからの素敵な贈り物使おうぜ」

 サムズアップでクーンはハセヲに同意を求める。確かに二人のアイテム欄には、素敵な贈り物が入っている。現実でも移動手段として使っている機械が。

「なら、決まりね」

 市街地の捜索は、アトリ、パイ、ブラックローズが担当する事になった。彼らには、この世界と別の世界を結ぶ仕事もある。才気溢れる三人に任せていれば、心配はないだろう。

 市街地外延の探査と情報収集はオルカとカイトが、そして浮遊城である『アインクラッド』の外周探査は、バルムンクとアイナが担当する事になった。

「んじゃ、俺たちは『アレ』使って、さくさく向かうとしますか!」

 そういうと、クーンとハセヲはアイテム欄を弄り、『アレ』をオブジェクト化した。

 全長は二メートルほど、唸りを上げるマフラー、黒い流線型のフォルム、ゆっくりと回転数を上げていくエンジン。何から何まで、当時を思い出す格好だ。

嘗て『The World R;2』に於いて、二人が使っていたバイクである。タウンの中、フィールド上、あらゆる場所を走破することの出来る、ハイパーマシーンでもある。 

「クーン、分かってるとは思うけど」

「分かってるって、くれぐれも目立つ真似は、だろ?」

「分かってるだけじゃなくて、実行に移してね」

「手厳しいね、パイ」

 やれやれといった調子で、クーンはおどけてみせた。

「はいはい。夫婦漫才はその辺にして、出来るだけ早いところ、出発したほうがいいんじゃないかい。色々と気になることもあるんだろう? オーヴァンとか、トキオ……、は別に良いか?」

 そんな変わらない飄々とした態度で、フリューゲルは行動を促した。夫婦漫才などと言われて、パイは苛々しているが、クーンの方は満更でもない顔をしている。

「何で、疑問調なのよ……?」

「んじゃ、散会」

 ブラックローズの問いに答えることなく、フリューゲルはクーンのバイクに後部に腰掛けた。ハセヲも急ぎ乗り込む。エンジンが唸りを上げて、吼えるようにタイヤが回転する。

「気を付けて」

 カイトたちに見送られて、三人は草原、そして、さらにその先に城を貫いてそびえる迷宮へと爆音を上げて走り始めた。

「さ、僕らも行こう」

 三人を見送ったカイトが見回す。

「いいと思えることをやっていこう。でないと、先へ進めないから」

 

 

 

Side; Real 二〇二二年十二月四日 神奈川県 横浜市 横浜港北総合病院

 御園真理子は、すっかり馴染んだ車椅子の上、本を読んでいた。

 タイトルは「アンヌーン」と言って、彼女の知り合いの小説家の作品だ。

 ちょうど、日差しも心地よく、震えるほどの寒さはない。こんな冷たい季節でも、太陽だけは、暖かく輝き続けている。院内に設けられた僅かばかりの公園だが、こんな場所でも、誰かと居れば楽しい。事実、真理子は楽しかった。切りの良いところで、しおりを挟み、隣でジュースを飲みながら待っていた女性に声を掛ける。

「杏」

「ん、ああ、いや、ちょっと考え事してた」

「考え事?」

 隣の女性、荘司杏は、真理子の質問に、ぶっきら棒に答えた。

 素材は良いのに、こういう乱暴な、というか、世捨て人みたいな態度のせいか、あまり彼女は友達が少ない。それは、足を悪くして以来、出歩く事のなくなった真理子も同じだ。

 だが、別に、悲しいとは思っていない。こんな風に何でも話せる友達が一人いるからだ。

「佐藤からのメールの件、受けるのか?」

「うーん……」

 二人には、佐藤一郎からのメールが届いていた。曰く、今回のSAO事件解決に、二人のみならず、二人の旧友たちも一緒に参加して欲しいとの事だったのだが、返事は保留中だ。今ひとつ、踏ん切りがつかない。旧友たちもまた、それぞれ別の道を歩んでいる。

「佐久間さんは、答えてくれそうだけど、どうする、いいえ、どうしたいの?」

「僕は……」

 杏は考える。

 考える。けれども、自分が何をしたいかなんて、そう簡単に答えは出なかった。 

 

 

 


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