.hack//SAO FIFITH Crisis   作:かなかな

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Vol.3 現界侵蝕

Side; Real 二〇二二年十二月三日 東京都 某病院

 ビル群の間をすり抜けるようにして、張り巡らされた道路を一台の大型バイクが走っていく。軽妙に停車中の乗用車やバス、大型トラックもスイスイと縫うようにして駆け抜けていく。時速は法定速度ギリギリの40キロ。このライダーは、ついこの間、切符を切られたばかりなので、少々、速度と法規に関しては気を払っている。

 ライダーが着いた先は、大学病院だった。

 着く前に、速度を扱けない限界まで落として、入院患者の迷惑にならないようにして駐輪場に止めた。そんな気を回さずとも、この病院にいる人間には、ライダーが鼓膜を敗れそうな爆音を出したとしても、目を覚ます事は無い。そういう人間が集められた病院なのだ。現在、この病院はある事件に巻き込まれた人間達で二ヶ月前から、パンクしそうになっている。緊急患者も、その事件の被害者に病床を占拠されているため、碌な治療を受けられていないと聞いている。事件が発覚してから、一ヶ月。事件の死者は二千人、その余波を受けた死者は、全国で四百人程度まで膨れて上がっていた。

 無機質な音ともに自動ドアが開き、ライダーは院内へと入った。

 一ヶ月も経てば、新年を迎えるということもあって、院内は、見舞い客も疎らだ。確かに入院している家族や、恋人、親友のことも大事だが、自分の生活まで疎かには出来ない。新年には新年の、年末には年末のしなくてはならない事が、彼らにもあるのだ。攻める事は出来ないだろう。

 受付で二言三言、話す。

「すいません、黒貝敬介先生は居られますか?」

 受付の女性は、現れた青年の整った容姿に、少し呆けたような顔をしながら、青年の目的である医師を呼び出した。数分待っていると、白い廊下の向うから、更に真っ白、余りの白さに清潔感ではなく、少々不健康さが滲んでいるような白衣の男が現れた。

「久方ぶり、かな。三崎くん」

「ああ、久しぶりです。黒貝先生」

 二人は出会い頭に固い握手を交わした。

 二人の呼び名は正しい呼び方だが、彼らにはもう一つ呼び方があった。

「そして、久しぶりだ。ハセヲ」

「ああ、久しぶりだな。太白」

 彼らは、嘗てサイバーコネクトカンパニーが発売した、MMORPGである『The world R;2』内で、ともに競い合い、協力し合い、高めあった仲なのである。ハセヲは亮の、太白は黒貝の、ゲーム内での呼び方、プレイヤーキャラの名前である。

 そして、黒貝は亮を自身の診察室へと案内した。脳外科医、神経外科医でもある彼は、その筋では有名な医師であり、この大学病院に専用の部屋を持っている。

 黒貝はインスタントのコーヒーを二杯いれ、片方を自分に、もう片方を亮に渡した。席に着くやいなや単刀直入に話を始めた。普段から饒舌になる事の無い彼は、このようなストレートな話し方を好む。

「話があるんだろう? 恐らくは……」

 チラリと亮の顔を確認するように一拍間合いを於いて、

「茅場晶彦、そして、今回の事件について」

「ああ。一人、いや二人かな。知り合いが巻き込まれてる」

「ふむ、それは気になって当然か」

「そういうアンタも、随分とやつれたみたいだな」

 何気ない世間話である。

「無理も無い。何せ、一万人、いや、二千人程度減ったから、八千人か。その面倒を見なくてはならないのだからね」

 黒貝は、目の下の隈をなぞりながら、自嘲気味に呟いた。名医と呼ばれる彼にも、自らの限界はある。それを悟りつつも、こうやって何か出来ないかと、必死になっているのである。結局、出来る事といえば、被害者達のバイタルサインを確認して、毎日、生きている事を確認するという事。そして、生存報告を関係者に伝える事くらいである。

「なるほど、そりゃ、大変だ」

 黒貝と亮は、運び込まれた和人の体を見下ろしながら会話を続ける。

 傍から見れば、医者と患者を心配する家族のようにも見えるが、内実はもっと複雑で、深遠なのだ。それを知るのは、彼ら二人の仲間以外いない。

「ところで、彼の処置を行ったのは、君だったのかい?」

「まあ、ネットゲームに誘ったのは、俺っていう責任もちょっとだけ感じてた」

「責めるものではない」

 黒貝は、日課のように彼のバイタルサインを確認する。

 ナーヴギアから異常な電磁波の反応は出ていない。つまりは、今日も彼は無事に生きているという事である。いつ死ぬか解らないという恐々とした思いと、何も出来ないという無力感。それを現実世界の人間は味わっていた。

 この事件に慌てたのは、何よりも政府だった。

 次に開発メーカーである、アーガスである。開発者である茅場晶彦の行方が解らなくなった今、被害者の家族の怒り、憎しみ、やるせない悲しみの矛先が彼らに行く事は明白であったが、ゲームデザインしか請け負っていなかったメーカーは、責任を逃れた。

 警察が全力で茅場晶彦の行方を追っているが、影すら踏めない。既に高飛びして、この混乱を面白おかしく、箱庭を覗く人間のように、神にでもなったつもりで高所から眺めているのだろうか。随分なゲームマスター振りである。

 身代金目的でもない。

 社会的な混乱を引き起こすでもない。

 ならば、彼の目的とは一体何か。

 不意に、亮の胸元が震えた。

「おっと、電話だ」

「全く、院内では電源オフ。基本だぞ」

「悪い」 

 黒貝の医者として当然の発言に一言軽く返して、亮は電話に出た。

『やあ、ハセヲ。久しぶりかな』

「火野、いや八咫か」

『ふむ、君にその名で呼ばれるのは、何とも久し振りな気がするな』

 電話の向こうで笑っている火野拓海の顔が思い偲ばれる。亮とは同年でありながらも、彼はデイトレーダーとして一財産築いている。尤も、亮の方も、不自由しない程度には親の稼ぎもあり、本人の稼ぎもあるので羨ましくは無い。

『悪い事は言わない。大人しく智成同様に、CC社に就き給え』

「またその話か。断わったろ」

 亮は、アーガスを越えるコンピュータソフト開発会社であるCC社から直々に誘いを受けているのである。その理由は五年前のある事件が関係しているのだが、余りに露骨な口封じ策に、反発しているのである。そんな策を取らずとも、口外する心算は微塵もないのだが、不安に思う大人が多い事は十分に承知している。

『そんな風に袖にされると、ますます意欲が沸くのだが』

 ぞわっと、背筋に嫌なものが走った。

「気持ち悪い事を言うな」

『これは失礼。今回の件同様に、君も面白い』

 電話の向こうで、火野はクツクツと口の中へと含むような笑声を漏らした。面白くない。心の底から面白くない。褒められている気がしない言い方だ。彼は明らかにこの状況を面白がっている。嘗ての第二次、第三次のネットワーククライシス、そして、イモータルダスクのように、この男は楽しんでいる。

 亮には理解すべくも無いが、火野の本質は研究者だ。デイトレードはその研究資金を稼ぐための一手段に過ぎない。未知への探究心が、彼を駆り立てるのだ。もしかすると今回も、事件を探る事に楽しみを持っているのだろう。

「で、早く用件を言え」

『そういうな。黒貝先生、そして、日下千草を伴って、CC社の本社まで来て欲しい』

「今からか?」

『明日の、そうだな……。十時でどうだ?』

「……何でだ?」

 火野の真面目な調子の声に、眉根を亮は寄せる。

 明らかに不機嫌で、怪訝そうな顔が病室の鏡に写っている。

『……今回の件に関して、重要な会議を持ちたい』

「……それに俺や千草が関わる理由はないだろ?」

 火野の申し出をばっさりと切り捨てた。この病院において、意識不明者の治療に当る主任の地位にいる黒貝と違って、亮はどこにでもいる一般人だ。回復させる技術もなければ、治療脳でもない。精々、ネットゲームの腕前と大学卒業程度の技術と知識程度だ。

 だが、この程度の反論は彼も予想していたようである。

『そうでもない。それに、君には大事な理由がある』

「何だ、それは?」

『O・V・A・N』

 ただのアルファベットの羅列。

 だが、その四文字は亮にとっては大きな意味と、理由のある羅列であった。よくよくこの男には逆らえないと思う。こちらの神経を逆撫ですることも、昂ぶらせる事も、彼には容易なのだろう。苦々しい。

『詳しい話は、明日だ』

 それだけ言って、電話は切れた。

「どうかしたかね?」

 黒貝が尋ねてくる。

「……先生、確か車持ってたよな」

「まあ、持っているが」

「明日、九時に、この病院に集合で、十時にCC社に来いと」

「ふむ……」

 黒貝は少しだけ考え込んで、了承の返事を返した。後は、もう一人、日下千草へと連絡を入れておこう。彼女は亮が呼べば、すっ飛んでくるだろう。すぐに携帯メモリのアドレスから、彼女の名前を引き出して、連絡した。

 

 

 

Side: Net 二〇二二年十二月三日 第一層《トールバーナ》

 半壊したコロッセオのような円形の建物中に、幾人ものプレイヤーが集まっていた。

 みな、思い思いの場所に腰掛け、あるものは一人で、あるものは何人かでパーティを組んで、座っている。命がけのゲームなのに、集まった彼らには、どこか落ち着いた雰囲気さえ漂っている。初めてデスゲームの攻略の糸口がつかめたからだ。

 開始から一ヶ月。

 死者数はすでに二千人を超えている。

 大多数の参加者は、経験者であり、このような事態になっても極限状態ではあるが、何とか生き残っていた。環境に適応できず、モンスターに殺された者、極限状態に耐え切れず、自ら死を選ぶもの、二千人の死に方は多様であった。

 同時に残った八千人の生き方も多様になった。

 この世界は、茅場晶彦の手によって、もう一つの『世界』になってしまった。

 どこまで行っても、現実への境界線は目視することは出来ない。この世界での生活が必要になってしまったのだ。その中で、二つに分かれた。つまり、諦める人間と脱出を図る人間だ。その中でも、高いレベルに到ると同時に、死ぬ度胸のある面々が、このコロッセオを模した円形の建物の中に集まっているのである。

 その中に一人で座っているのが、三人。

 並んで座っていた。

「くかー、くかー」

「………」

「………」

 茅場晶彦総指揮『ソードアート・オンライン』のルールは簡単だ。

 各層に配置されたボスを倒して、上層階へと到る。それを繰り返し、頂上の百層へと到る。到るまでの間に、どれだけの人間が死に、どれだけレベルを上げなくてはならないのか、ということに関しては誰も考えていない。余りにも遠大な内容を只管努めて考えないようにしていた。考えた瞬間に心が折れそうだったからである。

 このゲームには『魔法』という概念が一切ない。多くのRPGにある、高火力、広域範囲だが、タメが必要な『魔法』が一切存在しない。文字通り、剣一本だけで生きていく世界なのだ。只管に剣を振って、剣技を習得し、新しい技を生み出し、自分の技を高めていくという、何とも刹那的な世界なのだ。

 ゆえに、RPG的に言われるスキルというのも、剣に纏わる『研磨』や『鍛造』というスキルが中心だ。そして、生活感溢れる『料理』や『釣り』などのスキルが残りを占める。まさに、この世界で剣一本で生きていく生活を意図していたとしか思えない作り方である。

「くかー、くかー」

「……あの、トキオ。そろそろ起きた方が……」

「ん……」

 議場の中心に立っている青髪の青年、ティアベルの発案によって、第一層のボス攻略会議が開かれている。その中には、キリトとトキオの姿もあった。お互いに、知り合いが居ない中、あと一人、フードを目深に被って、素顔を見せないのと三人で、パーティを組むのは必然の流れといえた。

 言えたのだが。

 決まるや否や、トキオは心地良い鼾を掻いて寝始めた。秋口にも拘らず、麗らかな陽気中で、呆れたくなるくらいに、気持ちよく寝始めた。緊張感のかけらもない。

 おまけに、フードの方は、押し黙ったまま、何も喋らない。一応、キリトの方でも、彼女、《Asuna》という名前は確認できるのだが、呼ぶのは憚られた。

「……あ、キリト」

 寝起きに首を捻りながら、トキオはゆっくりと目を開けた。

「話、終わった?」

「いや、今粗方のチーム編成が終わったところ」

「長ぇな……」

 ポリポリと顎を掻き毟るトキオ。

 この世界は言わば、人間の意識の集合体である。現実世界に残してきた肉体は寝ているが、精神は常に覚醒状態なのだ。この状態になってなお、睡眠が必要だというのは、完全に精神をネットの中に取り込まれたから出来る芸当だろう。

「しょうがない。チームっていうのはバランスが肝心だからな」

 そんな風にキリトが弁を述べるのだが、トキオは目の下にある濃い隈を擦っただけだった。普段からだらしないのか、彼の着ている簡素な胸当ての下の灰色のアンダーシャツは、どこか撚れている。

「じゃあ、これからボス攻略会議を始める」

 中心に立った、薄青色の髪をした騎士が、声を上げた。

「皆、今日は集ってくれてありがとう! 俺は、ティアベル、職業は個人的に、騎士やってます」

 その言葉に、どっと会場が沸いた。

 別に、騎士でも剣士でも大した違いはないだろう。そもそも、このゲームでは、扱う武器くらいしか差がないので、騎士なんていう分け方は、気持ちの問題だ。

「じゃあ、早速だけど、本題の――」

「ちょお待ってんか、ナイトはん」

 暖まっていた場に冷水を浴びせかけるような濁声に、歓声が止んだ。

「そん前に、こいつだけは済ましてもらへんと、仲間ごっこはでけへんな」

 茶色い髪をツンツンと尖らせたサボテンスタイルの男がそんなことを言いながら前に出て来たとき、順風満帆と思われた会議の行き先に暗雲が立ち込めた。

 小柄な体躯だが、弱々しい雰囲気はなく、がっちりとした体格は現実世界ではかなり鍛えていたらしいことをうかがわせる。

 挑発的な物言いに一部のプレイヤーは不快そうに顔を顰めたものの、リーダーであるディアベルの「意見は大歓迎」という方針により発言は認められた。

 手招きに従い噴水の前まで出てくると、小さく鼻を鳴らし、威圧的に広場のプレイヤーたちを睥睨する。

「わいは《キバオウ》ってもんや」

 そんな風に名乗ると、

「こん中に、五人か十人、ワビぃ入れなあかん奴らがおるはずや」

 ドスの利いた、恫喝するかのような声でサボテン頭の男――キバオウは言った。

 一体誰に詫びればいいのかと、そう問いかけるディアベルにキバオウは憎々しげに吐き捨てた。

「はっ、決まっとるやろ。今までに死んでった二千人に、や。《あいつら》が何もかんも独り占めしたから、一ヶ月で二千人も死んでしもたんや! せやろが!!」

 この瞬間。

 聴衆は彼の言う《ワビぃ入れなあかん奴ら》が誰なのかを完全に理解した。

 ざわめきがぴたりと止み、広場が居心地の悪い静寂に包まれる。NPC楽団の奏でる夕方のBGMだけが風に流れる中、ディアベルがそれまでの笑みを捨て、厳しい表情で確認した。

「―――キバオウさん。君の言う《あいつら》というのは……」

 熟考しなくても、答えは出た。凛々しい騎士然としたティアベルにも、察しがついたようだ。言いにくそうに、彼は口に出した。

「つまり……、元ベータテスターの人たちのこと、かな?」

 ベータテスター。

 その単語に、キリトが僅かに顔を強張らせる。

「どした?」

 寝ている間にずり落ちたゴーグルを直しながら、怪訝な顔でトキオが尋ねる。

「い、いや、なんでもない」

「なら、良いけどよ……?」

 なおも怪訝な顔をしているトキオを振り払うように、キリトは前を向いた。

 彼らの正面では、キバオウが吼えていた。

「そうや。ベータ上がりどもは、こんクソゲームが始まったその日に、ダッシュではじまりの街から消えよった。右も左も判らん九千何百人のビギナーを見捨てて、 な。奴らはウマい狩場やら、ボロいクエストを独り占めして、ジブンらだけぽんぽん強うなって、その後もずーっと知らんぷりや。……こん中にもちょっとはおるはずやで」

 キバオウは、じろり、じろりと一人ずつガンを付けながら、見ていく。

「ベータ上がりっちゅうことを隠して、ボス攻略の仲間に入れてもらおう、考えてる小狡い奴らが。そいつらに土下座の一つもしてもらわな、パーティーメンバーとして命は預けられんし預かれんと、わいはそう言うとるんや!」

 ジロリと全体をねめつけるように見回してから、キバオウは更に吼える。

「そいつらのせいで死んでいったもんもおるんちゃうか思うたら、居ても立ってもいられんようなったんじゃ!」

「テスターのせいで、死んでった奴……?」

 まだ眠たいのか、下の瞼を必死に擦りながら、闖入者の言葉を聞き流していたトキオの隣で、キリトは痛む胸を押さえた。つい一ヶ月ほど前にも、青髪の大男から言われたことが簡単に蘇ってくる。

 ネットゲームの常として、動作確認が行われるのは当然である。ネットの接続関連、サーバーの処理速度の問題など、それらを限定的に調べる目的で、限定一般開放するテストプレイのことを、βテストという。そのテスターの事を、βテスターと呼ぶのだが、一般的にMMORPGでは嫌われ者である事が多い。

 数あるソーシャルゲームの中で、箱庭ゲームの強さは、運とつぎ込める金銭額が決める。高い金を使って、自分の箱庭を強化する。そして、引いたカードで、そのヒエラルキーは決定される。画面の前に張り付いている時間が短くとも、それをカバーするだけの運と、経済力があれば、トッププレイヤーに成り上がる事は可能だ。寧ろ、そちらがないとトップに成れないといっても過言ではないだろう。

 だが、MMORPGの強さは、情報力だ。

 どの場所が、経験値稼ぎに打ってつけだとか、どこの狩場が、アイテムドロップが多くて儲かるだとか、そういう事を「知っている」事が武器になる。そして、一般的に彼らはカルテルを組んで、情報の漏洩を防ぐ。自分たちで有利な情報を独占する事で、新しいライバルが出てくる事を防ぐ。そうして、トッププレイヤーと現実では、何の意味もない称号に固執するのだ。

「……」

 この一万人の中で、βテスターは二千人。

 勿論、全員がこのデスゲームに参加しているとは限らないから、その通りの数字ではないだろうが、正式オープン前に幾らか攻略して、情報を持っているβテスターが忌み嫌われるのは当然の事と言えるだろう。

「つまり、貴方は、βテスターが情報を寄越さなかったから、死んだ人がいると」

「そうや!」

 落ち着いて対応しようとしているティアベルに対して、キバオウは話しているうちに興が乗ってきたのか、段々と熱っぽい、魘されたような口調になり始めた。

「あいつらが狩場独占したりして、なきゃ死なずにすんだ人間が何人おるか!」

 また、キバオウは議場全体を見回した。

「そんなテスターに謝罪してもらおうおもてな!」

 彼の言葉に、仲間が賛同する。その一角からは「謝れ」「謝れ」と連続したシュプレヒコールが始まった。そんな大声での糾弾の中、キリトはぐっと拳を握った。

 彼もまた、オーヴァンに言われたとおり、βテスターだ。別に意味はない。単純にネットゲームに興味を持って、隣に住んでいた年上の親友に誘われて始めて、新しい刺激がほしくて、このゲームのβテスターに申し込んだ。それに当たった。その結果、糾弾されている。自分の持っている情報を他人に流さず、独占して、友人を見捨てて走ってきた。

 その罪悪感を正当化しようと、必死になって胸の中で言葉を探す。

「うるせぇぞ、おっさん!」

 そんな風にして、キバオウと彼の仲間が叫んでいたところで、トキオが怒鳴った。

「何や、坊主。お前もβテスターか?」

「いや、ばっちり、そっちは落ちたわ!」

 必死になって言葉を探しているキリトの隣、トキオは腕を組んで、胸を逸らして言う。

「さっきから聞いてりゃ、単なる嫉妬じゃねぇか!」

「何やて!」

「じゃなきゃ何だ?」

 ドンと足を鳴らして、トキオは吼えた。

 灼熱のような赤い髪の毛が揺れる。その様子をキリトは呆然と見上げる。

 リズムよく、階段状になった席を飛び降りて、トキオはキバオウの前に立った。 若干背の高い彼を下から睨み付けつつ、負けじと言い返す。

「罪悪感に訴えかけて、稼いだモン、ネコババしようって魂胆か、あ?」

「…………!」

 キバオウは答えない。図星だったのか、それとも他に何かの魂胆があったのか。 それはトキオにはどうでも良い事であり、気にする必要のない事であったが、場の空気はいっぺんに悪くなってしまった。一頻り、お互いが叫び終わり場が落ち着いたところで、また一人、男が立ち上がった。此方は肌の黒い、筋骨隆々とした男だ。

「発言、いいか」

「ええ、構いませんよ」

 そんな落ち着きのなくなってきた、悪い空気をどうにか取り繕おうとティアベルは、ぬっと出てきた大男に、面食らいながらも、どうにか平静を装って、男に意見を求めた。

「俺はエギルってもんだ」

 じろっと、キバオウとトキオを見ながら、偉丈夫は見事なテノールで話す。

「キバオウさん、あんたの言いたいことはつまり、元ベータテスターが面倒を見なかったからビギナーが沢山死んだ、その責任を取って謝罪しろ、ということだな?」

「そ、そうや……」

 巨漢エギルの存在感にキバオウは一瞬怯んだ様子を見せた。

 しかしすぐに勢いを取り戻すと再びテスターの糾弾を行った。

 あいつらが自分たちを見捨てなければ二千人は死なずに済んだ。βテスター連中がちゃんと情報やアイテム、金を分け合っていれば、今頃ここに十倍の人数が集まるどころか第二層、第三層まで突破できていたに違いないのだと。

 そうして、憎悪の込められた目でエギルを睨み付ける。

 しかしエギルはそれに対して真っ向から視線を合わせ、反論した。

「キバオウさん、あんたの言う事は確かに正しい」

「な、なんや、分かってくれるんかいな……」

「ただな、これ。金やアイテムはともかく、情報はあったと思うぞ」

「――――なんやと?」

 レザーアーマーの腰に付けてある大型ポーチ、その中からエギルは一冊の本を取り出した。革張りのちょっとお洒落で豪勢な本だ。

「このガイドブック。ホルンカやメダイの道具屋で無料配布してるんだがな」

「それがどないしたっつうんや……」

 エギルの発する静かな空気に押されて、キバオウの声は尻すぼみに消えていく。

「こいつに載ってるモンスターやマップのデータ。提供したのは、元βテスターだ」

「な……」 

「あんたの嫌いな、な」

 核心を突いた言葉にプレイヤーたちがざわめく。

 キバオウもとっさに言い返すことができずにぐっと口を閉じ、背後のディアベルがなるほどとばかりに頷く。

 その隙を逃さずエギルは体を、全員に向けると、低音でありながら良く通る声を張り上げた。

「いいか、情報はあったんだ。なのに、沢山のプレイヤーが死んだ。その理由は、彼らがベテランのMMOプレイヤーだったからだとオレは考えている」

 エギルの演説に誰もが聞き入っていた。

「この『SAO』 を、他のタイトルと同じ物差しで計り、引くべきポイントを見誤った。だが、今は、その責任を追及してる場合じゃないだろ。オレたち自身がそうなるかどうか、それがこの会議で左右されると、オレは思っているんだがな」

 凄みのある声に乗せた、非の打ち所のない完璧な演説。

 会場は一気にまとまってしまった。

「お前さん、すげぇ啖呵だったな」

「褒めないでくれよ」

 そんなことを言いつつも、エギルに褒められたトキオは嬉しそうだ。顔を真っ赤にして照れている。そんな破顔を見て、キリトは嫌な嬉しさに苛まれた。

「ううん。じゃあ、改めて、攻略会議に移りたいと思う」

 言いがたい不快な空気を払拭するように、議長が口を開いた。

「昨日、オレたちのパーティが、あの塔のボス部屋を発見した」

 街並みの向こうにうっすらと見える巨塔。

 アインクラッドを貫く迷宮区を振り上げた右手で指し示しながら、ディアベルは宣言した。第二層と第一層の直線的な距離は、百メートルほど。それなのに遠い。

 最上階とはつまり、ボスフロア。

 そこまで探索が進んでいたのかという驚き、決戦を間近に控えた事への緊張、各々の意味でざわめくプレイヤーに向けてディアベルは静かに続けた。

「一ヶ月」

 これまでのことを振り返るようにして彼は言う。

「ここまで、一ヶ月もかかったけど……」

 その間に一万人の身に何が起きたのか。

 全てを詳細に語る事は出来ない。だが、確実に死んだ人間がいて、また期待に胸を膨らませている人間がいると言うのもゆるぎない事実なのである。

「それでも、オレたちは、示さなきゃならない。ボスを倒し、第二層に到達して、このデスゲームそのものも、いつかきっとクリアできるんだってことを、『はじまりの街』で待ってるみんなに伝えなきゃならない」

 強い意志の込められた言葉。

 まるで誓うようにして声を張り上げ、叫ぶ。

「それが、今この場所にいるオレたちトッププレイヤーの義務なんだ!」

 拳を握るティアベル。彼も若しかしたら、目の前で死を見たかもしれない。

「そうだろ、みんな!」

 どっと会場がざわめいた。

 ようようという調子で、会議は始まった。

 豪胆にも内部を覗いてきた者の証言によると、ボスの外観は巨大なコボルド。犬の頭を持つ、人間型のモンスターだ。肌が赤く、五メートルもの巨体だったが。

 名前は《イルファング・ザ・コボルドロード》というらしい。

 武器は曲刀カテゴリに属する剣を装備していたらしい。

 またその他にも取り巻きとして三匹の《ルインコボルド・センチネル》を従わせており、攻略にはボスを攻撃する本隊と、それを援護する分隊とが必要になるだろうとディアベルは述べた。

「ボスの数値的なステータスはそこまでヤバイ感じじゃない」

 偵察隊から齎された情報を開示しつつ、ティアベルを中心に話が進んでいく。

「もし普通のMMOなら、みんなの平均レベルが三……、いや五低くても十分だと思う」

 本来なら、適正値とも言えるレベルが設定されている。

 多くのRPGには敵にもレベルが設定されており、ある程度の攻略の目安になっている。相手とのレベル差は、そのまま戦力・技能の差となって立ちふさがる。ましてや、これは命の掛かったゲーム。レベルを上げておいても、足りなくなる事はない。

「だから、きっちり戦略を練って、武器を備えれば、死人を出さずに勝てる……」

 と、そこでディアベルは言葉を止めた。

 首を横に振り、不敵な笑みでもって言い直す。

「や、悪い、違うな」

 一瞬だけ止まった彼は、決意と共に、言った。

「絶対に死人ゼロにする。それは、オレが騎士の誇りに賭けて約束する!」

 さすがは大層な名前を自称するだけのことはあると言うべきか、力強い宣言に聴衆が湧く。昨日以上の歓声と拍手が飛び交い、ディアベルもまた照れながらも満更ではなさそうにそれを受け止める。

「皆、勝つぞ!」

 その後、ディアベルの的確な指示に従って、パーティは的確に組み替えが行われていく。近くの人間同士で組み合っていたのでは、効率が悪い。ボスに対する役割ごとに、それぞれの隊員が入れ替えられ、合計、七つの目的別に編成されたパーティが完成した。

 コボルドロードのターゲットを交互に受け持つ重装甲部隊が二つ。一つはエギルが担当。

 ボスを優先的に攻撃する攻撃部隊が、二つ。このうち一つが、ティアベルがリーダーだ。

 そのボスを守るように現れる、取り巻き殲滅の隊が、一つ、リーダーはキバオウ。

 このボスと取り巻きを重点的に責める三隊は、高機動かつ、高火力のプレイヤーだ。

 スキルでボス・取り巻き両者の攻撃を阻害する、要は全体のサポーティングに二部隊。

 そして、キリト達はというと、

「……取り巻き殲滅のサポートのどこが重要な役目よ」

「………」

 冷や汗ダラダラ。喉はカラカラ。

 先程から、キリトの隣では、怖いくらいのプレッシャーが掛っている。

「……ボスに一撃も攻撃できないまま終わっちゃうじゃない」

 ブツブツと、オッカナイ、アスナお嬢様が言う通り、三人は、E隊、つまりは、キバオウ部隊の尻拭いを担当することになった。多分、一番、経験値が入って、アイテムも入るだろう、ボスには、攻撃を加えるどころか、近づくことすら許されていない。

 機嫌が悪くなるのも、当然だと言えるだろう。

「し、仕方ないだろ……」

 そんなご機嫌斜めのお姫様を何とか宥めるべく、キリトは苦心する。

 ちら、ちらと、トキオの方を見るが、任せた、と彼の顔が言っている。こちらの事情など無視して、一心不乱に、剣を研いでいた。さっきの啖呵は、なんだったんだ、卑怯者、と言いたかったが、仕方ない。

「三人しかいないんだから。スイッチでPOTローテするにも時間が全然足りない」

現実的、物理的な問題を提示して、何とか宥めすかそうとすることにした。

だが、何故か、返ってくる反応は芳しくない。

「……スイッチ? ポット……?」

 こんな調子。

「うーん、今日の夜は三人で勉強会だな」

 キリトの言うMMO用語が、このお嬢様は、全く理解できていなかった。

 まるで、初めて文明に触れた原始人みたいな感じに、鸚鵡返しに呟く姫様と、必死になって教え込もうとしている教育係に、トキオがようやく口を開いた。

「仕方ないな。立ち話で、終わる内容じゃないし」

 キリトも頷き、この場での話は、ここで一度、打ち切ることになった。

 どの道、彼女がベテランであっても、パーティを組む以上、話すことはある。それに、あまり長々と話していると、他の隊にも迷惑だ。まだ、攻略会議は終わっていない。

 それから、各部隊のリーダーの簡単な挨拶と、アイテムと収益金の分配について、細かく、ティアベルが決め、終わった後で揉めない様に、決定した。金は人等割、アイテムは、貰った人の者という、運が全部を決めそうな、分配だが、諦めも付く。

 会議が終わると後は、各々のパーティメンバーで、より細かい作戦を詰めるべく、各自移動を始めた。宿屋だったり、どこかの酒場だったり、それは自由だろう。

「………で、勉強って、どこでするの?」

 残された三人。口火を切ったのは、ローブの姫様だった。

「?」

「いや、パーティ組んでの戦い方についてだろ?」

 頭に疑問符を浮かべて、困っているキリトに、トキオはがっくりと肩を落とした。

「ああ!」

「何で、忘れんだよ……」

「……俺はどこでもいいけど。そのへんの酒場とかにするか?」

 少し、居場所が悪そうに、言いよどんでから、キリトは提案した。

「俺も、どこでもいいけど」

「嫌。誰かに見られたくない」

 棄権、二。反対、一。この案は却下。

「……なら、どっかのNPCハウスの部屋とか」

「誰かが、入ってくるかもよ?」

「うーん、誰かの宿の個室なら鍵がかかるけど、それもナシだよな」

「当たり前だわ」

 棄権、一。反対、二。この案も却下。

 ただ、それ以上に、突き放すような姫君の言い方に、キリトの心は、ちくちくと痛んでいた。暗に、彼女は、一緒に居るところを見られたくないと言っているのだ。女の子と御近づきになりたいとは思わないが、ここまで明確に拒否されると、頭より先に、心に来る。

 尤も、キリトのような思春期まっただか中の年のくせに、MMOに来てまで、態々、ソロプレイに走るような少年に、まともな対女性スキルなんぞ望むべくもないのだが。

 そんなグサリ、グサリと突き刺さる舌鋒の鋭さ。

 話している本人に自覚がないのが、何よりの問題だ。

「……だいたい、この世界の宿屋の個室なんて、部屋とも呼べないようなのばっかり」

 ブツブツ。

「六畳もない一間にベッドとテーブルがあるだけで、それで毎晩五十コルも取るなんて……」

 イライラ。

「食事はどうでもいいけど、睡眠だけは本物なんだから、もう少しいい部屋で寝たいわ」

 文句全開。

 確かに、どこでも寝られるキリト始め、粗野で粗忽者が多い男性ネットゲーマーは、そんな文句は出ないだろうが、何よりも、清潔感と満足感、そして、快適性を求める女性陣にとって、この状況は辛いだろう。僅かだが、このゲームにも、彼女を始め、女性はいる。

「え……、そ、そう?」

 ただ、その文句には、異議を唱えざるを得ない。

「探せば、いい条件の良いとこくらいあるだろ? そりゃ、多少値が張るかもだけど……」

「探すって言っても、この町に宿屋なんて三件しかないじゃない!」

 彼女は、想いっきり叫んだ。

 確かに、この街には、宿屋は三件しかない。

「おまけに、どこも部屋は似たようなもの!」

 そして、大体、素泊まりするような、簡素なインテリアしかない。

 彼女の言う通り、ベッドとテーブルだけで、本当に泊まるためだけの場所だ。とてもではないが、女性が満足できるような調度ではないだろう。

「ああ、なるほど。《INN》の看板が出てるところしかチェックしてないんだろ」

 キリトは、話が通じない理由をようやく悟った。

「だって、INNって宿屋って意味でしょう」

 確かに、この世界、というか、INNの意味は、宿という意味だ。

「この世界の低層フロアじゃ、最安値で取りえず寝泊まりできるって意味なんだよ」

「え……?」

「金払えば、借りられる部屋は、探せば結構有るぞ?」

「な……、それを早く言いなさいよ………」

 キリキリと、少女は、キリトの襟首を締め上げる。街の中ではダメージはないのだが、不快感はある。特に、襟首を締められたら、痛い上に、苦しくて仕方がない。

「へぇー、そんなことが出来んのか。んで、キリトはどこ泊まってるんだ?」

「何だ、トキオも知らなかったのか」

「別に、文句なかったし。何だったら、野宿でも良いくらいだしな」

 ここまでのレアケースも、逆に珍しいかもしれない。

 よくモンスターやPKの危険性が付きまとう外で寝ようという気になるものだと感心してしまう。確かに、金のないプレイヤーなどは、無料のパブリックスペースを利用して、休息を取るが、安全面から考慮すると、あまり褒められた行動でない事は確かだ。

「俺は、農家の二階に泊まってる」

 キリトが、自分の宿の説明を始めた。

「一泊八十コルで二部屋あってミルク飲み放題のオマケつき」

「へぇ、良い部屋だな」

 トキオは感心した風に、うんうんと頷いた。

「だろ? ベッドもデカいし眺めもいいし、あと、風呂付だ」

 これ以上ない、良物件の自慢をしていたキリト。

 途端に、アスナに首を絞められた。

「ぐえっ!」

 蛙みたいな呻きを上げて、キリトの視界がブラックアウトしかける。

 段々と、彼女の握る手に篭った力が、強くなっていく。

「今、何て言ったの?」

 さあ、キリキリと吐け。アスナのハシバミ色の眼が、そうキリトに告げている。

「み、ミルク飲み放題……?」

「そのあと」

「ベッドがデカい……?」

「そのあと」

「ふ、風呂付き……?」

「何部屋空いてるの? 場所はどこ? 案内して」

 姫様は、一気呵成に言い切った。風呂という単語に、激しく反応している。

 無理もないだろう。確かに、液体の表現は、どうにも難しいが、入ったという満足感は、シャワーでは得られない。清潔感を重視する女性には、風呂なしは辛い問題だろう。

「いや、一部屋しかないから、……空き部屋は、ない、です……。はい……」

 彼女が発する威圧感に、キリトの言葉は尻すぼみに、消えていった。

「なっ……!」

 愕然としたのか、一瞬だけ、絞められた力が緩んだ。その隙に、キリトは彼女の拘束から抜け出た。息を整え、取り敢えず、話せるだけの体裁を整える。これ以上、締め上げられたら、ダメージはなくとも、頚椎損傷で死にかねない。

 だが、気を取り直し、すぐに握り直し、重ねて詰問してくる。

「……そ、そのお部屋……」

 顔を見れば、それだけで言いたい事は判る。判ってしまう。

 しかし。そこは、そんなに上手く出来ていない。

「いやまあ、俺はもう一週間、堪能したし、譲ることも吝かではないんだけど……」

「だけど?」

 そこから先を言うことが憚られるような眼力だった。

 これを、年近い少女が出来るのかと思うと、キリトは恐ろしい。

「実は十日分家賃前払いしててさ。あれってキャンセル不可なん……、です、はい……」

「なっ……!」

 再び、少女の両手から、力が一瞬抜けた。

 恐らく、目の前のフェンサーの頭の中では、バカな男二人の想像を遥かに超えた葛藤と、試行が繰り広げられているに違いない。頭を抱え、男の部屋に行くことへの問題意識と、風呂を得られることへの満足感が、彼女の中で鬩ぎあってるのだろう。

 たっぷり数十秒。ようやく、少女は、言葉を搾り出した。

「……お風呂、貸して」

「は、はい………」

 その言葉に、キリトは頷くという選択肢以外を持ち合わせてはいなかった。

 二人の様子を、トキオは溜息と供に見ていた。

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十二月三日 隠されし 禁断の 秘蹟 ギャリオン・メイズ大神殿

 荘厳で、壮麗な神殿の中を、一人の男が歩いていた。

 天狗の面を付けた剣士だった。足は、下駄、纏う衣も和装だ。

 剣士は、神殿の最奥部、この神殿の存在意義が祭られた場所に、辿り着いた。

 冷たく、敵対者の侵入を許すはずも無い、この空間。

 いっそう、神秘性の増した、その場所には、八つの武器が納められている。

「なあ、フィロよ」

 剣士は、虚空に向けて語りかけた。

 答えなど帰ってくるはずはないと知っている。当の昔に、自分に託して、本人は逝ってしまった。だが、ここに来るたびに、その記憶と、願いに触れられるような気がするのだ。

「また、ハセヲの奴、戦うことになりそうだぜ」

 少し乱暴に、剣士は呟いた。

「そう言ったら、お前はなんて言うんだろうな」

 怒るのだろうか、悲しむのだろうか。

 ずっと、まるで親のように、彼を見てきた老賢者は、今の、彼が見せてくれる成長した姿を見て、一体、何を思うのだろうか。

 彼は、強くなった。誰かを守れるくらいに。

「はは、悪いが、フィロ。もう一度、ハセヲに力、貸してやってくれねぇか?」

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十二月三日 《トールバーナ》 キリトの宿

 更なる検討の余地など一切なく、三人は移動した。

 キリトが泊まっている部屋の中を見た瞬間、姫様の顔が凍ったのが解った。これだけの調度で、差額がたった三十コルだとなれば、怒鳴りたくなるのも無理はない。

 そんなアスナ御嬢様は、現在入浴中だ。鼻歌が聞こえてくる。

 恐らく、トキオがいなかったら、キリトは確実に、混乱と興奮で、のた打ち回っていただろう。下手したら、馬鹿な気を起こしていた可能性がないこともないだろう。逆に、トキオの方は、仙人もかくやというような調子で、構えていた。その姿が、空元気なのか、それとも、本当に興味がないのかは置いておいて、安心できるのは、違いない。

 彼女がいない間に、二人は、ボス戦について詰められる部分は詰めることにした。

「やっぱ、一回くらいは、三人で合わせときたいよな」

「まあ、いきなり本番! なんて、怖すぎるよな」

 明日の集合まで、三人で敵に対して、どんな風に向っていくのかを考える。

 アスナは、フェンサーなので、突き技しか持っていない。

 キリトとトキオのスキルは、ほとんど同じだ。低レベルなので、どうしても、同じ武器を選択すると、このようなダブりが出てくる。これから、もっとレベルが上がれば、武器もスキルも、完全にオリジナルになっていくが、今は、仕方がない。

 そんな風に話しているところに、ノックの音。

「ん、出てくる」

 キリトがドアを開けると、出てきたのは、またフードを目深に被った奴だった。

「アルゴか、珍しいな、アンタが直接訪ねてくるなんて」

「まあナ。クライアントが今日中に返事をもらって来いって言うもんだからサ」

 そのフードから僅かに見える顔には、左右対称に、計六本のラインが入っていた。

 アルゴ。

 通称《鼠》のアルゴ。職業は、情報屋である。

 勿論、ティアベル同様に、そんな職業の分別があるわけではない。このゲームの中の情報を、金銭という手段を用いて、売り買いしている、だから、情報屋なのだ。

 情報屋は、平然と部屋に入る。何時もは一人だけのはずなのに、ベッドの上で何か、書き物をしているトキオを見て、何故か、楽しそうに笑った。

「ふム。キー坊は、そっち系なのカ?」

 何と、とんでもないこと。

 誓って言うが、キリトは一応、普通の感覚しか持ち合わせていない。

「なんダ、おもしろいネタだと思ったんだけどナ!」

 コロコロ笑いながら、アルゴはベッドにドカッと腰を落とした。

「何だ、商売の話か?」

「マナ、キー坊に持ってきた」

 この女情報屋は、こういう矢面に立てないプレイヤーの仲介も担っているのだ。相手との交渉において、自ら出向けない場合というのも、確かにある。単純に、忙しいとか、相手にするのが面倒だとか、理由は色々とあるが、仲介プレイヤーの役割は大きい。

 キリト相手の商談と聞いて、そそくさとトキオは部屋を後にしようとする。

「んじゃ、席外すわ」

「いいよ、別に」

 ドアノブに手を掛けたトキオを、キリトは留めた。

「聞かれて困る話でもないし。アンタは言いふらしたりしないだろ?」

 話の内容云々よりも、気持ちよくお風呂に入っているアスナの存在の方が気にかかっている故に、キリトはそう申し出た。こんな状況で、男一人になるなど溜まった物ではない。

 どんな断罪が下るか、想像するだけで恐ろしい。

「まあ、そうだけど」

その気持ちが通じたのか、トキオは、手近にあった椅子を引っ張り出して、腰掛けた。

「いいカ? じゃあ、早速―――」

「と、その前に、ちょっと待ってくれ」

「何ダ?」

 本題をアルゴが切り出したところで、キリトは待ったを掛けた。ゴソゴソとポーチの中から、一冊の本を取り出した。攻略会議の時に、エギルが持っていたものと同じ本だ。

「気が付かなかったけど、これよく見ると、《鼠》の印があるんだ」

 キリトはページを捲り、最後の奥付ページを開いた。

 確かに、そこには、鼠を模したらしいサインが入っている。

「確かに、それは、俺っち謹製の代物ダ。キー坊みたいな最速で迷宮を踏破してるのから、情報を貰って、ンデ、集った金で、二版以降の発行してんのサ」

「何で、そんなことしてんだ?」

 二人の会話に割って入ってきたのは、トキオだった。

「何でっテ……、それが楽しいからサ」

 アルゴは、上手い具合に誤魔化した。

 確かに、彼の疑問は、当然のことだろう。そんなことしなくても、情報屋なんていうはっきり言えば、目立たない、裏方に就く理由などない。仲介などしなくとも、得られた情報は皆で共有して、アルゴも戦線に立てば良い。怖いというなら、それまでだが、少なくとも、積極的理由から、こんなことをする理由は、皆無なのだ。 

 だが、それを話すとなると、二人揃って、βテスターであることを話さねばならない。

「なら、良いや。楽しいなら、それで」

 二カッとアルゴの回答に満足したのか、トキオは思いっきり笑った。

「やー、これ本当に、頼りにしてるんだ。すげー、助かってる!」

「是非、今後も、贔屓にしてくると、嬉しいナ」

 トキオが悪意も、敵意もなく、差し出してきた手をアルゴは握った。

「そんジャ、改めて」

 コホンと咳払いを一つ挟み、鼠小僧ならぬ、鼠少女は、話を始めた。

「本題入らせて貰っていいカナ」

「ああ」

「っても、内容は変わらないけどナ」

 アルゴは、笑いながら語る。

「キー坊のアニールブレード+6を買い取りたいっテ」

「うーん、でもな……」

 別に、この剣自体は大した代物ではない。

 報酬としてもらえる、《森の秘薬》のクエストは、実際のところ、実付きにさえ注意すれば、一人でも十分にクリアできる。リトルペネントは、実付きがうっとおしいだけで、所詮は、第一層に出てくる、ザコキャラの筆頭格だ。

 クエストクリアの目標のレベルは、レベル三。

 決して、難しいクエストではない。《アニールブレード》は、初期の装備としては破格の性能だが、これもまた所詮は、初期の装備。何時までも通用するような代物ではない。第四層当たりになれば、キリトは破棄する予定だ。

「既に、強化してるし、今、手放すのはな・・・…」

「出したのは、サンキュッパ、って言ってもカ?」

「さっ、サンキュッパ?」

 繰り返すが、アニールブレードは、そこまでレアな武器ではない。

 既に六回強化しているという、キリトの手間賃を加味しても、どう考えても釣り合わない。四万も出すくらいなら、自分で新調するなり、強化するなりの手段があるはずだ。何度も売却を拒否している相手に執拗にする必要など、まったくないはずなのだが。

「熱烈なファンでもいるんじゃね?」

「気持ちの悪いことを言うな」

 ケケケと気味悪く笑うトキオに、げんなりした顔で、キリトは答えた。

 この世界で熱烈なファンなんて、正直、お会いしたくない。

 師匠曰く、ネットゲームの中で特定の相手の事を探るなんて、ストーカーだ。

 しかし、ここまでする理由は、知りたい。そして、どんな相手なのかも、一緒に、だ。

「……解った。アルゴ、依頼主について、教えてくれ」

「んー、待ってナ、確認取るカラ」

 キリトは相手の情報を要求した。この辺り、この鼠の格好をした情報屋が、選ばれ、同時に疎まれる理由でもあるのだが、アルゴは支払われた口止め料以上を払うなら、依頼主の情報さえも売る。誰がどんな情報を買った、売ったということも、平気で売りさばく。

 こんな情報を軽視するのは、情報屋としては、失格だろう。

 勿論、無条件ではなく、相手に確認を取り、相手がそれ以上出せば、流れ出ない。このあたりについては、聊か良心的だろう。

「了解が出タ。キー坊、1500コルだ」

「高くないか…?」

「元々、それだけ払われてんダ」

 そう言われてしまうと、反論のしようがない。渋々、不平を滲ませながら、キリトは、アルゴの言い値で買い取った。チャリンという小気味良い音がして、アルゴは受け取る。

「依頼人は、キバオウって奴だ」

「キバオウだって!」

「誰だっけ?」

 依頼人の名前を聞いて、キリトは驚き、トキオは首をかしげた。

 あれだけ派手な言い争い、恐らく、エギルが居なかったら、そのまま戦闘に突入していたかもしれない相手なのに、トキオは、完全に頭の中から、すっぱり抜け落ちてしまっているようだった。

 依頼主は、今日の会議で大見得を切ったキバオウ。

 彼の言い分には、一分の理があることくらいは分かっている。だが、同じβテスターとして、死んでしまった顔も知らないプレイヤーの事まで悪く言われるのは心外だった。死んだ二千人の中に、キリト同様に、テスターが居ないはずがないのだ。

「んで、取引は、どーすんダ?」

「ああ、悪いけど、断るよ」

「なら、今回も取引は不成立ってことで」

 膝を打ち、アルゴは立ち上がる。

「そんじゃ、オレっちはこれで失礼するヨっと……」

 そこで、思い出したように、アルゴが停まった。

「その前に、悪いけど隣の部屋借りるヨ。夜用の装備に着替えたいカラ」

「ああ……。うん、どうぞ」

 流石に、着替えを衆目の前に晒すのは、恥ずかしい。彼女も口調は荒いが立派な女性だ。

 キリトの許可を得てから、アルゴはもう一つの部屋へと消えた。

 それを見送って、キリトは、相変わらず何か書き物をしているトキオへとに向き直った。

「なぁ、トキオ、ちょっと良いか?」

「何だよ?」

 もったいぶったキリトの言い方に、首をかしげながらトキオは応じた。

「実は、あのキバオウってやつ、会議のとき、俺のこと見てた気がしたんだ」

「自意識過剰」

「違う! 違う!」

「え、じゃあ、そういう趣味とか……」

 すすっと、トキオが距離を開ける。物理的にも、心理的にも。

「失礼なことを言うな!」

 思い切り、抗弁する。

 アスナに聞かれていたら、それこそ身の破滅だ。

「冗談だって。それが本当なら、あのサボテン頭は、お前の剣を見てたってことか?」

「うーん、それだけじゃなくて、もっと何か、別の―――」

 βテスターだと疑ってたのもある気がする。という言葉は、ぐっと飲み込んだ。いらぬ嫉妬は買いたくない。ここで、トキオとアスナに捨てられるなんていう最悪のパターンは、何としてでも避けねばならない。ここで放置されたら、今度こそ、一人だ。

「別の何かって……」

 そこまで言ってトキオは、ハッと顔を上げる。

 そして、そのまま、脱兎の如く、部屋を出て行った。

「お、おい! どこ行くんだよ?」

 キリトの制止など聞く事もなく、手を伸ばす頃には、既に扉は閉まった後だった。

「待てよ……」 

 アルゴはさっきなんと言った。隣の部屋を借りると、そう宣言した。それは問題ない。

 だが、もっと別の問題があることに、キリトは自分で口に出して初めて気が付いた。だけども、気付いた時にはすでに、アルゴは隣の部屋、つまりは、風呂のドアを開けていて。そして、トキオは部屋の外にいて。そして、今、風呂場にいるのは。

 数秒後、

「うあア?」

「きゃああああああ?」

 二人分の悲鳴が、部屋中に木霊した。

 そして、目にもとまらぬ速さで出てくるのは、アルゴではない人物。

 目の前に広がるのは、綺麗な肌色。そこまで認識したのと同時、キリトの意識は、きれいに、顔に叩き込まれたストレートによって、見事に吹き飛んだ。

 部屋の外では、哀れな少年に、トキオが手を合わせていた。

 

 


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