.hack//SAO FIFITH Crisis   作:かなかな

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言祝ぐ再誕のソナタ
Vol.1 境界収斂


 Side; Real 二〇二二年十一月五日 都内某高校

 その日、九竜トキオは幸せの絶頂にいた。

「くぅ~、始まるぜ! 俺の新しい勇者伝説が!」

 そんな感じで、学校の教室でクラスメイト達に自慢して回っていたのだ。

「そう、良かったわね。バカ」

 そんな彼に、机に頬杖をついて、長い黒髪をまるで清流のように流しながら、少女は辛辣な一言。

「ちょっと、姫様、酷くない?」

「酷くないわよ。これが私だし」

 トキオが『姫様』と呼ぶ、黒髪の少女、天城彩花はニコリともせずに、天井知らずに舞い上がっている彼を見て、バッサリと斬り捨てた。その舌鋒の切れ味たるや、名刀正宗にも優るとも劣らない切れ味である。

「いやいや、倍率二十を突破したんだよ!」

「そうね。運が良かったのね」

 ざっくりと切れた。

 トキオが先程から騒いでいるのは、明日発売の完全ダイブシステム搭載『ナーヴギア』対応のMMORPGである『ソードアート・オンライン』が手に入ったからだ。全世界から申込者は二十万人。だが、初回ロットは一万人という狭き門である。

 これに新しい活躍の場を探していたトキオは乗った。申し込み用紙を書いて、そして見事当選したのだ。それでこんな風に自慢しまわっていたのだが、彩花はこんな調子である。

 これは当然であろう。

 全世界で二十万人ということは、日本の情報を手に入れられる一億二千万の中でも、それだけしか興味を惹かれていないということの論証である。残る一億一千万弱の人間は、後々手に入れれば良いかと考えているか、それとも最初から彩花のように興味のない人間に大別される。寧ろ、日本全体で見れば、この二十万人の方が異常なのだ。

 そもそも、既にネットワークには世界最大手と言ってもいいCC社が運営している「the world」というゲームがある。再来年の二〇二四年には、バージョンアッパーする予定という事もあり、大抵はそちらの方へ興味が割かれているのだ。

 そんな中で、対抗するように日本の後発メーカーである『アーガス』は、天才量子物理学者、脳科学者でもある茅場晶彦の元、人間の意識そのままをゲーム世界へと飛び込ませるシステムを作り上げた。

「そんな言い草はないだろって、思うんだけど」

「あら、私にしてみれば、既に経験のある貴方が、今更、ネットの世界に憧れる理由っていうのが、今ひとつ理解に苦しむのだけど?」

「………」

 くすりと聖母のような微笑を浮かべる彩花に、トキオは反論できない。

 二十世紀末から二〇〇四年頃にかけて、インターネットの普及率は爆発的に上昇、特に先進各国では、これにより”情報の民営化”が始まった。

しかし、ノーベルのダイナマイトが、ライト兄弟の飛行機械が、殺人兵器として使われた歴史ように、悪用する人間が出てきたというのも、一側面の事実である。

 その弊害として、筆頭として上がるのは、ネットを介しての犯罪は増加の一途を辿る事となる。だがそれでも特に大きな事件は起こらず、ゆっくりと、しかし確実にネットワー ク環境は成長を始める。その過程で特に発展したのが、ネットワークゲームだろう。

「冗談よ。是非とも、別ベクトルからのネット世界に関するレポートを提出してね」

「はいはい。了解しましたよ」

 くすくすと彩花は笑うが、どう考えても、騙されている。

 こんな言い方は、彼女の男を上手に使う常套手段だ。この二年少々で、ますます磨きが掛かってきたような気がするのは気のせいだろうか。

 全国、或いは世界規模で繋がる事の出来るネットゲームは、多くの人々を魅了して止まなかった。次々と開発・発売・衰退を繰り返し、幾つかが生き残っていた。これから更なる発展が望まれるだろうというまさにその時、世界を震撼させる事件が起きた。

 

 それが、『第一次ネットワーククライシス』だ。

 

 ネット社会が始めて直面した大規模混乱である。

 二〇〇五年年十二月二十四日、『Pluto kiss(冥王のくちづけ)』と名づけられたこのウイルスにより、世界規模でネットワークが完全に停止した。

時間にして約七十七分。後にシステムを回復する事の出来たこの事件。

だが、たった七十七分、世界が止まったのは事実である。その事が、世界に大きな爪痕を残すこととなる。このウイルスを作ったのが当時十歳の子供であったこと等から、ネットワーク犯罪に対する、各国政府や企業の危機感は一気に上昇したと言って良い。

 皮肉な話だが、この事件が無ければ、対策犯罪は進まなかったのだ。

 彩花は、なおもトキオをからかう様に、聖母の言葉を紡ぐ。

「ま、精々楽しんできなさい。ま、その結果、受験を失敗しても知らないけど」

「ちょ、それは言わないでくれ!」

 そろそろ受験というものが明確に意識される時期だ。あまりゲームばかりに関わっているわけにも行かないのだが、トキオは現実逃避していた。逃避したくなるほどに成績は悪いのだから、仕方が無い。何ともトホホな勇者である。

 この事件により、一時期ネットワークゲームも含め、電脳世界における全てのサービスが停止、そして、その後に待ち構えているだろう衰退が危ぶまれた。

 だが、そこに一筋の光明がさした。

『Pluto kiss』事件発生時、ALTIMIT社製作の同名OS『ALTIMIT』を搭載したコンピューターのみが、被害を免れる事が出来たのだ。その有用性と信頼性から、このOSは世界中から認められ、普及して行く事となる。やがてALTIMIT社の有志たちの一部が独立。CC社というネットプログラム製作会社を設立する。

「じゃ、彩花。お前も一緒にやろうぜ!」

「嫌よ」

 ばっさりと振られた。

「くす、冗談よ。丈太郎の事が片付いたら、一緒に行ってあげるわ」

「本当か!」

 その中で、二〇〇七年十二月二十四日。

 ネットワークの全面解放が宣言された。その同日にCC社は、ハロルド・ヒューイック監修のネットワークゲーム『the world』を発表した。紆余曲折あったものの、大勢の人間に受け入れられ、現在、全世界でプレイヤーは二千万人を下らない。

 当時ネットワーク関係の利用において主流となっていたのは、従来のデスクトップ、ノートタイプのパソコンだけではなかった。

 先んじて実用化に到っていた、3D眼鏡などの技術を発展応用した、【HMD(ヘッドマウンドディスプレイ)】と呼ばれるゲームのコントローラーのような機器をCC社は売り出した。この機器の利用度は幅広く、動画や電子書物の閲覧は勿論、ネットワークゲームの利用にも一役買うこととなる。

 これまでに無い臨場感を与える【HMD】はやがて更なる進化をとげ、【FMD(フェイスマウンドディスプレイ)】という更に小型化、高性能化したものとなった。

 後にこの【FMD】などは、NERDLES技術を利用したマシンの発展へと繋がることとなる。それが、茅場晶彦監修の『ナーヴギア』へと繋がっているのだ。

 

 

 

Side; Real 二〇二二年十一月六日 埼玉県 桐ヶ谷家

「お兄ちゃんー」

 階下から、自分を呼ぶ声がする。

「お兄ちゃんてばー」

だが、それに応える気はない。

「これ亮さんが来たら返しといてー」

 もうすぐ、桐ヶ谷和人は、別の世界で、勇者になるのだ。

 小うるさい妹の用事に感けて、時間を逃したくはない。しばらく黙って、カチカチとパソコンを弄っていると、諦めたのか、それとも、時間がギリギリであることに気が付いたのか、慌てふためいて、窓から見えるアスファルトの道路を走っていく少女の姿があった。

「……よし!」

 今、家には誰も居ない。

 母は、帰りが遅くなると聞いている。妹も、剣道の合宿と言うことで、今晩は誰もいない。一応、中学生という義務教育真っ只中の和人少年が、夜遅くまでゲームしているのは、教育ママでなくても、看過できないだろう。だが、そんなことを言う人は、誰も居ない。  

 ゲームし放題だ。

 和人は、食事も取らずに、深夜まで遊び呆ける心算だった。

 今日の、午後一時。

 遂に、全世界のゲーマーたちが熱望した、《ソードアート・オンライン》の正式サービスが始まるのだ。ほんの二ヶ月ほど前、夏休み中に行われたβテストにも参加した和人は、今回、優先的に正式サービスを受けられる権利を有していた。

 ただ、今回、テスト版からのキャラクターの引継ぎは行われないということで、なんとも残念な想いがないわけでもない。一ヶ月入れ込んで、色々と作った勇者の顔も、結構、気にいっていたのだが、全部、失わなければならないとなった時は、涙が出そうだった。

 ベッドに横になり、ナーヴギアを被る。

 もう一度、あの剣の世界で、桐ヶ谷和人は、剣士《キリト》になるのだ。

「リンク・スタート!」

 

 

 

Side; net 二〇二二年十一月六日 第一層『はじまりの街』

 トキオは、『ソードアート・オンライン』の世界へと飛び込んだ。

 完全に精神をゲームの中へと送ってしまう。その事に何の不安もなかった。嘗て、伝説の勇者達が繰り広げてきた大戦に比較すれば、この程度の気持ち悪さも苦でもなく、寧ろ、これから始まる大冒険への高揚感に変わっていった。

「おお、ここが『ソードアート・オンライン』の世界、『アインクラッド』か!」

 白色と灰色を中心としたカラーリングに据えた、二年前と同じ服。

 頭の上のゴーグルは、トレードマークのようなものだ。これで自分の赤い髪の毛をまとめているのである。今ではこれが無いと、落ち着かないくらいである。リアルでもつけているくらいだ。

「もしかしたら、皆にも会えるのかな……」

 彩花は、バッサリ切られたが、他にもミストラルに、ミレイユ……、ダメだ。ミストラルは出産前、ミレイユは最初から制限年齢以下だ。バルムンクや、オルカ。ライバル社のゲームをする事は無いか。ハセヲも大学卒業目前で忙しくしている。リーリエや曽我部、結局、ライバル社のゲームが大好きな奴らだ。

 よくよく考えてみれば、仲間内で際限なくゲームを楽しめるのは、自分だけだ。

「碧とか、リコリスとか、いると嬉しいんだけどな…・・・」

 そんな風に、昔の仲間を探そうとしている事が悲しい。

「まあ、いいや」

 しばらく考え込んでいたが、やおら頭を上げて走り出す。

 この手に触れている流体の感触も、所詮はネットの中の虚構である。だが、確かに存在する。この仮想の『世界』もまた、本物の『世界』に違いない。

「まぁ、今は物思いにふけるよりも……」

 脚に力を込めて、走り出す。

 二年前の経験が、全身に張り巡る随意筋に的確に指示を与える。

「この『世界』を楽しむとすっか!」

 そう結論付けたトキオは、この『世界』の創造主たる茅場晶彦に感謝を示しつつ、勢い良く、中世ヨーロッパのような石造りの街並みを走り出した。

 

 

 

Side; Real 二〇二二年十一月六日 東京都 渋谷区センター街

「じゃあ、結局、亮は、『ソードアート・オンライン』は、入手できなかったのかい?」

「残念ながら、俺は、先輩と違って、そんなコネクションがないんで」

 センター街の喫茶店で二人の青年が談笑していた。

 日曜午後二時の昼下がり。観光客に、休日出勤のサラリーマン、デートっぽいカップルまで、街行く人たちは、思い思いに、昼下がりを楽しんでいる。この二人も、同様だ。

 しかし、話しているのは、見るからに好対照な二人である。一人は、育ちの良さそうな、いかにも勉強できます、金持ちのお坊ちゃまというような感じ。もう一人は、ギラギラと輝く日本刀のような凄みを持った青年。明らかに、真逆の存在である。

「まあ、入手できなきゃ、できなきゃで良いデスケド。卒論もあるし、先にそっちすっよ」

 三崎亮は、唇を尖らせながら言った。

 一応、彼は、現在、大学四年生。就職戦線の最前線に立っている人間だ。ネットゲームに感けて、卒業が遅れました、卒論が出来上がりませんでした、そんな言い訳は、当然ながら、通用するはずもない。それを言い訳にしているのだが、悔しいのは、明らかだった。

「はは、不良主席サマは、天邪鬼でいらっしゃる」

 楽しそうに笑ったのは、結城浩一郎。亮の大学の先輩だ。

 既に、卒業しているが、何かと馬の合う、亮とは、時々、こうやって会っている。家も埼玉市内にあるので、行き来もしやすい。今回、東京で会っているのは、彼の都合だ。ハセヲも丁度、東京の下町にある実家に戻っていたので、では、会おうという運びになった。

 ところで、先程から話題になっている、『ソードアート・オンライン』というのは、世界のネットゲーマー達が渇望した完全ダイブシステム搭載のMMORPGのことだ。

 全世界で販売ロット数は僅か一万本というかなりの希少価値を持たせたゲームである。各地のゲームショップでは、販売を心待ちにして、四日も前から泊り込む中毒者も現れたくらいの人気だった。

 ゲーム、そして、ネットワーク技術というのは、二〇〇〇年代から極端に発展してきた。それに伴う犯罪行為というのも発生したが、凡そ一般人は齎される情報を享受し、悦楽に浸っていた。その中で、人間の発する神経信号を利用して、完全なる仮想現実を電脳世界へ構築する、そんなインターフェイスである《ナーヴギア》が販売された。

 だが、多くは知育ソフトや生活の疑体験という、凡そ、楽しみとは縁遠いソフトばかりであり、ゲーマーと呼ばれるような人種には満足の出来ないソフトばかりであった。

 その中で販売されたのが、《ソードアード・オンライン》である。

 亮も、欲しいと思った。

 少しは、名の知れたゲーマーであった彼が、新しいシステムを搭載したゲームに心惹かれるのは無理からぬ話であった。だが、申し込んだ二千人分のβテスター、そして、本来の運営開始と供に行われた、限定一万本の販売。

 その両方に、彼は、見事に外れた。

 隣に住んでいる自分がネットゲームに引き込んだ少年が、その何万分の二千を引き当てた事は素直に悔しかったし、面白くなかった。だが、同時にそれ以上の面白さも感じた。ネットゲーマーというのは、このような緊密なネットワークが出来ていると、非常にその関係性を崩さないようにと、何故か頑張るのである。

「貸してあげようかとも思ったんだが、それなら仕方ないね」

「そうです。仕方ないんですー。卒業があるんでー、就職があるんでー」

 なおも、唇は尖ったままだ。

「まあ、年が明けたら、また追加発売するでしょう。それまで気長に、待ちますよ」

「その頃には、終わっているかい?」

「先輩こそ、日本に帰ってきてるんですよね?」

 そして、手に入れた浩一郎もまた、プレイすることが出来そうにない。

 彼は、何の因果か、今日から海外出張という命令を会社から受けたのだ。元々、彼の父親が経営する会社に入ったのだから、御曹司として、色々と柵もあるのだろう。

 勝手に、亮はそう解釈していた。

「それは、勿論。また、一緒に冒険できることを楽しみにしているよ」

 すっと浩一郎は、手を出してきた。

 その年頃の青年にしては、荒れていない、まるで生まれたままのような肌理の手を、亮は握った。ぐっと力強く、もう一度、会おうという約束を込める。

「それじゃ、今日は、付き合わせてしまって、ありがとう」

「どういたしまして。お土産、期待してますよ」

「はは、ちゃんと応えないとね」

 それだけ言い残すと、浩一郎は、渋谷駅の雑踏の中に消えていった。

 これから、彼は、羽田に向かい、そこから飛行機で、日本を辞すのだが、流石に、行き先までは、追求できない。彼も仕事だ。

「さて、どうするかな……」

 思いのほか、用事は、早く終わってしまった。

 荷物の買出し等々を頼まれていたのだが、受け渡したら、それで終わりである。一応、土産も強請ったし、喫茶店の代金は持ってくれたので、文句はないが、釈然としないのもあった。もう少しばかり、旧交を温めても良いだろうに。

「暇だ」

 仕方がないので、しばらく、都会の中をぶらつくことにした。

 長くなるだろうと思って、駐輪場は五時まで取ってある。後、三時間。どのようにして、時間を潰すべきか、三崎亮は、思案し始めた。

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十一月六日 第一層の草原 

「ぷぎー!」

 間抜けな断末魔の叫び声と共に、青い毛並みのイノシシ―レベル一の雑魚モンスターであるフレンジーボアは、ガラスの砕けるような音を鳴らして、粉々に砕け散った。

「よし、レベルアップ!」

 正午に一分一秒たりとも遅れる事無くログインして、既に四時間余り。

 数多在るRPG同様に、『ソードアート・オンライン』も結局の所は、敵を倒す。経験値を得る。レベルアップする。そして、更に高位の敵へ挑む、という王道のサイクルを繰り返している。一つ異なるのが、大人数で同時プレイしている以上、その経験値の入手に限りがあり、いかに他人よりも早くレベルを上げて、トッププレイヤーになれるかが、クリアのコツなのである。グランドクエストとなる、百層制覇を目指すにしても、普通にチマチマと遊ぶだけにしても、何れにせよ、ある程度のレベル上げは必須なのだ。

「んじゃ、ある程度遊んだし、一旦、戻るか」

 あれだけ言われても、ゲーム世界に飛び込んだのだ。明日、彩花に宿題見せてというのも、何か癪というものである。何よりも男が廃る。今日くらいは、しっかり宿題して、俺は勉強も一緒に出来る人間なのだぞという所を見せてやりたい。

「あれ?」

 そうやってログアウトしようとして、気がついた。

 右手の人差し指と中指を揃え、下に振り下ろす。

 それが、この『世界』におけるメニューウィンドウの開き方だ。当然トキオもプレイ前に散々とマニュアルを読み込んでいるので、操作は手馴れている。滑らかに指を振り下ろし、ウィンドウを開く。そこから『ログアウト』の項目を探して。

手が止まった。

 まるで、システムそのものがフリーズしたかのように、手が止まった。

「『ログアウト』ボタンが……」

 在るべきはずの、もっと言えば、ついさっきログインした時には確実に存在した、精神へ下す現実への帰還命令が、どこにも、

「無い?」

 そんなはずは無い。頭を振って冷静さを取り戻す。もう一度、メニューを見直すが、やはり、『ログアウト』が見当たらない。先程まで存在していたはずの場所に、まるでポッカリ空白が空いているのだ。回線が込み合っている、などという生易しい原因ではない。完全にシステム上に、何かしらの欠陥が生じている。

「兎に角、もう一度だ!」

 メニューを一度閉じた後、再び開く。

 そしてメニューを確認するが、やはり無い。どこにもログアウトのボタンが見当たらないのだ。現実へと帰還することの出来ない恐怖。まるで、これは嘗て荒ぶる『終末の女神』が引き起こそうとした、いや、トキオが一番経験しているはずの、あの事件に、あの理論に似ている。似ているなんて優しい表現だ。それそのものである。

 

 リンゴーン、リンゴーン――――。

 

 突如、鐘のような音が、偽りの『世界』に響き渡る。現実よりも綺麗で、不気味な夕陽に染まった景色の中にいたトキオは、ビクリと体を震わせた。

「なっ……?」

  そして時を同じくして、トキオの体を青い柱状のエフェクトが包みこむ。

 幾度も『The World R;X』時代に、実体験を伴って、覚えた感覚。

 これは『転送』する時に発生するエフェクト。アイテムの使用も無く、個人のコマンド入力にも寄らない、システム側による強制転送だ。

(ここは……『はじまりの街』の中央広場?)

 目を開けた其処は、先程までいた見渡す限りの草原ではなく、石造りの広い石畳。

 一万人がゲーム開始時に降り立つ『はじまりの街』の中央広場だった。広場は他の人々で溢れている。トキオは、適当に全プレイヤーがこの場に強制転送されたと推察した。そうでなければ、好き勝手する奴らばかりのネットゲームにおいて、これだけの人数が集まるはずは無い。ログアウトできない事への何かしらの連絡があるのだろう。

 ―――これを使えば、貴方は『the world R;X』の世界へと導かれる。

 ふと、初めて会ったとき、彩花から渡された黒いディスクの事を不意に思い出した。

 あの時の事を何故か思い出す。

 幾らなんでも、走馬灯を見るには、早すぎるはずだ。周囲に素早く視線を巡らせるが、今の所、特におかしいところはないようだ。

「おいおい、何だ? 何だ?」

「な、なに? 何がおきたの……?」

「おーい、アナウンスか?」

 そんな風に周囲は困惑している。

 自分の理想を具現化したネットゲームのキャラクターがうろたえている中、トキオは冷静に見ていた。これから始まる事も、自分の身に何が起きたのかも、想像したくは無いが、うっすらと、想像が付いていたからだ。

 その想像が現実になるか、ならないかはどちらでも良かった。だが、否応無しにトキオの気分は昂ぶっていく。嘗て、偉大なる黄昏の騎士達とともに戦った事件の事を。奇しくも、彼らの通り名のように、今は黄昏だ。これはどんな偶然なのだろうか。

「あっ……、上を見ろ!!」

 そんな事を考えていると、周囲の喧騒を押しのける大きさの声で誰かが叫んだ。

その声に誰もが従って、視線を上に向ける。まるで血のような真紅の文字が高さにして百メートルにも及ぶ第二層の天井に浮かんでいた。

【Warning】

【System Announcement】

 この二単語から、どうやらシステム管理者側からの通達があることが予想できる。

 おそらくは、この現実へ帰還できない事態に対する何かしらの通達。

 やおら点滅を繰り返していた文字が、不気味に血の雫のように垂れ下がっていく。ドロリと流れていく、赤い液体は、やがて巨大な真紅の人型をなした。

 現れたのは、真紅のローブを纏った巨人。

 運営を司っているアーガス社員の務めるゲームマスターが纏っていた衣装だ。

 本来であれば男性のGMは魔術師然とした長い白ヒゲの老人。女性なら眼鏡をかけた女の子のアバターが必ずフードの中に納まっているはずなのだが、その巨人は異様だった。

 目の前の巨人には「中身」がなく、伽藍洞のような空洞がポッカリとあいている。 

 透明人間がローブだけを纏っているような。そもそも中身が存在しないような巨人。周囲の不安を無駄に煽るような事を、運営がするはずはない。つまりは、この巨人は、何かしらの悪意を持った何者かであるということだ。

 簡単に、トキオは想像が付いた。

(おいおい、マジですか……)

 その考えに到った瞬間、トキオは自然に笑顔になっていた。

 嘗て、文字通りの命がけの戦いをしてきた彼。勇者に、英雄に、憧れた彼は、この異常事態にあってなお、笑っていた。

 そして、巨人は、無い口を動かして、ゲームの開始を告げる。

『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ』

 真紅の巨人の言葉に、誰もが困惑する。『私の世界』とはこの『アインクラッド』を意味していることは分かる。運営側からすれば、確かにこの世界は【自分の世界】とも言える。だがそれを今、このタイミングで宣言する理由が見当たらないのだ。

『これは、ゲームであってゲームではない』

 そんな多くのプレイヤーの疑問に答えるように、巨人は言葉を発した。

『私の名は茅場晶彦。今やこの世界をコントロール出来る唯一の人間だ』

「はは、なるほど……」

 体の芯に、血が集まっていくような高揚感をトキオは覚えている。

 その言葉に、先ほど以上の喧騒が起こる。当然だ。このSAOのプレイヤーの殆どが、その人物を知っているといっても過言では無い。彼こそが、このゲームの生みの親だ。それを知らない人間はいないだろう。戸惑うプレイヤー達を他所に、彼の言葉は続く。

『ログアウト出来ないのは、ゲームの不具合ではなく仕様である』

 坦々と。

『今後、ログアウトするためには、この城――アインクラッドの頂へと至る事が条件だ』

 耽々と。

『つまりは第百層までを踏破しなければいけない』

 淡々と。

 赤い巨人は告げる。

 決して彼の言う条件は不可能ではない。

しかし、それがどれほど過酷で、可能性の低いことなのかを理解している人間もいるだろう。彼の言葉に、言い知れぬ不安が滲んでいる。百層に至るまでに、一体どれほどの月日を費やすことになるのか、想像も付かないのだ。

 だがしかし、たった一つ、一つだけの絶望的な条件を、ゲームマスターは告げる。

『今後、このゲーム内に於いて、死者蘇生の効果は一切存在しない』

 ならば、死んだ場合、つまりはRPGにおける体力が亡くなった場合はどうなるのか。

 そんな疑問を誰かが口にするよりも早く、

『体力がゼロになった場合、搭載されているチップが作動し、諸君らの脳を破壊する』

 随分と、脳科学者らしい言い回しである。

 人間は脳が無ければ生きてはいけない。つまりは、脳の破壊とは命の破壊だ。

 彼の発した絶望だけしか存在しない言葉に、広場を満たしていた喧騒は水を打ったかのように静まりかえる。誰もが言葉を失う中、茅場晶彦の言葉は続く。

「ハハハ、随分なゲームになってきたな」

 トキオの口からは、自然に笑声が零れた。

『尚、外部よりナーヴギアの停止、解除が行われた場合も同様だ』

 トキオも嘗て、色々な天才にあってきたが、こんな風に悪意に満ちた天才は初めてだ。

 十分間の外部電源の切断、二時間以上のネットワーク回線切断、ナーヴギア本体のネック解除も同様で、脳を破壊するという。そうなると、完全に、一切の脱出、同時に救出手段が断たれた事になる。

 どうやら脱出するには、内部に囚われた一万人が協力して、百層の突破を目指すしかない。ネットゲームの弱点を上手くカバーする策を打っているのは、天才と呼ぶべき諸行だ。

 既にマスコミ を通して外部世界に告知されているなどなど、凡そ、一切の感情の起伏を感じさせない声で、茅場晶彦は告げて行く。

『残念ながら、既に二百十三名のプレイヤーが、アインクラッドからも、現実世界からも永久退場をしている』

 淡々と告げられたその言葉を聞いた瞬間、トキオの興奮は最高潮に達した。

別の意味で覚悟が決まったと言っても良い。

『それでは最後に、諸君にとってこの世界が唯一の現実であるという証拠を見せよう。諸君のアイテムストレージに、私からのプレゼントが用意してある。確認してくれ給え』

 その言葉に、全プレイヤーが一斉にアイテムウィンドウを開く。

 中にあったのは『手鏡』。これをトキオはアイテム欄から呼び出す。

 高級とはいえない何処にでもあるような、普通の鏡、掌にすっぽりと納まる小さなサイズの鏡が表れて数秒後、白い光に包まれる。

 すぐに光は収まった。周りを見渡せば、先ほどのプレイヤーたちの殆どの顔が一変していた。トキオもはやる心を抑えて、その『手鏡』を覗き込む。

 鏡に写っていた顔は、紛れも無い、九竜トキオ本人の顔だった。

『諸君らの中には、何故このような事をするのかという疑問がある者もいるだろう』

 誰かの疑問に答えるように。

 予め、予測していたような抑揚の無い声で、茅場晶彦は淡々と続ける。

『私は、すでに一切の目的も理由も持たない。なぜなら、この状況こそが、私にとっての最終的な目的だからだ』

「ふん、どっかの天才と同じ事いってら」

『この世界を創り出し、観賞するためにのみ私はナーヴギアを、SAOを造った。そして今、全ては達成せしめられた』

 ほんの僅かに感情の色を読み取れた言葉は終わり、再び無機質な声色へと戻る。

『以上で、ソードアート・オンラインの正式サービスのチュートリアルを終了する』

 赤い巨人は一拍置いて。

 また感情の無い声で。

『プレイヤー諸君の、健闘を祈る』

 そして、赤い巨人は出てきたときの派手さなど一切無く、霧のように消え去った。 

 シンと、と静まりかえる広場。

 暫く街のBGMが鳴り響く。

 そして――――感情が爆発した。

「嘘だろ……」

「なんだよ……それ……」

「嘘だろっ! オイ!」

「ふざけるなよ!だせ!ここから出せよ!」

「こんなの困る!このあと約束があるのよ!」

「嫌ああ! 帰して! 帰してよおおお!」

 阿鼻叫喚。それは、まさにこの事なのかもしれない。

 この『ソードアート・オンライン』の世界に閉じ込められた一万人のプレイヤー達。

 各々が持ちえた、感情のまま。嘆く。叫ぶ。哭く。喚く。

 楽しいはずのゲームは、一瞬にして命を賭けた、デスゲームへと変わった。

 その中で、トキオは、顔を喜びに歪ませていた。

「いいぜ、やってやるよ……、天才……」

 パンと頬を打ち、気合を入れる。

「勇者を舐めんなよ!」

 そのまま、脱兎の如く、人の感情の波を押し退けて、外へと向かっていく。

 嘗ての事態と同じだ。

 天城彩花の口車に乗せられて、CC社の『the world R;X』の中へとデジタルリアライズされた時と同じだ。あの時も、ゲームキャラ「トキオ」の死は、現実世界における「九竜トキオ」の死と同義であった。それが、またこの世界でも繰り広げられるだけだ。

 恐怖はない。

 あるのは、興奮だけだ。

 

 

 

Side; Real 二〇二二年十一月六日 東京 赤坂 NAB日本支部

『演説は見ていたかね?』

「ええ、こんなことを考えてくる人がいるなんて思いもしませんでした」

 スチール製の事務机にひじを突き、佐伯令子は落胆していた。電話口の相手も、心底驚いているのか、常の冷静さをどこかに置き忘れているかのような、そんな調子であった。

『我々でも、この問題について、行動を起こす』

「解りました。NABでも、解析を始めましょう」

『任せたよ』

 

 

 

Side; Real 二〇二二年十一月六日 東京 首都高速道路 平和島本線料金所

 月初めの日曜ということもあり、料金所は混雑していた。

 ETCレーンを通過するので、実に支払いは簡単なのだが、どうやら、この先で事故があったようだ。無理もない。こんなニュースを聞けば、誰だってハンドル操作をミスる。

「リュージ! 何か、とんでもないことが始まってるよ!」

 助手席に座っていたリーリエ・ヴァイスが車載テレビの画面を見て、興奮していた。

 彼女も、事の大きさは理解しているのだが、それ以上に、あまりに現実離れしているので、今ひとつ、実感が掴めないのだろう。

 それはハンドルを握っている、曾我部隆二も同じだった。

 一万人の脳を潰す。殺す。

 クリアしなければ、脱出不可能。

 世界を作ることが目的だった、茅場晶彦とナーヴギア。

「ったく……」

 曾我部は、舐めていた飴玉を思いっきり噛み潰した。一気に紅茶の香りが広がる。

 普段は、大好きな味なのに、今日は何だか、異常に不快だった。

「あの馬鹿野郎……」

 

 

 

Side; Net 二〇二二年十一月六日 第一層『はじまりの街』 その路地裏

 キリトは、チュートリアルが終わるや否や、路地裏に駆け込んだ。

 先程、知り合ったばかりで、チュートリアルを頼まれた、クラインというプレイヤーとともにだ。別に、何か如何わしいことをしようというのではない。

「どうしたんだよ、キリト?」

 周囲に誰も居ないことを確認してから、キリトはクラインに向き直った。

 ついさっきまでは凛々しい若武者であったクラインの顔も、今はリアルの、何と言うか、若武者というよりは、どこかの盗賊団のような感じになった男に、今の危険な状況を説く。

 そんなキリトの顔も、凛々しい勇者然した顔から、妹と並ぶと未だに姉妹と間違われるような、線が細く、可愛らしい顔になってしまっている。正直、この顔は、彼にとっては、男らしくない、カッコよくないと、結構、コンプレックスなのだ。

 今回も、必死こいて、キャラクターの顔をエディットしたのだが、その努力は水の泡だ。だが、今は、そんなことを考えている場合ではない。

「クライン、お前もネットゲームしてたなら、解るだろ」

「どういう……?」

 キリトの質問の意図をクラインは諮りかねているようであった。

「いいか、あの瞬間から、これは命がけなんだ」

 勿論、ゲームマスターである茅場晶彦の言葉が真実であるという確証は、この世界に居る限り、確かめられない。この世界では、ただポリゴンの消失でしかない。本当に、現実世界で人間が死んでいるのかどうかなど、理解できないのだ。

 だから、クラインも戸惑っている。広場にいるプレイヤーたちも困惑している。

 だが、キリトは最悪の事態を想像して行動することにした。

「これはRPGだ。とにかく、レベルを上げよう。そうすれば、それだけ死ぬ危険が減る」

 RPGの不文律として、レベルが上がれば、キャラクターのステータスが上がる。ステータスが上がれば、それだけ同じモンスターから受けるダメージは減る。つまり、死亡リスクが減るというメリットが存在している。

 だが、問題は、これがMMORPGであるということだ。

「この近くの狩場は、すぐに狩り尽されるだろう。そうなったら、レベルが上げ難い……」

 スタンドアローンの一人で、CPUと戦うRPGならば、何でも出来る。

 敵は無限に湧き続ける上に、お金もアイテムも無限に手に入る。それは、競合する相手が居ないからだ。だが、MMOならば、事態はガラリと様相を変える。百の敵が出たとしても、それを一人で狩れば、百の経験値になるだろう。だが、百人で狩れば、一の経験値にしかならない。つまり、レベルが上がらない。結果、リスクが消えない。

「俺は、テスト時代の安全なルートを知ってる。それを使って、すぐに次の村へ行くぞ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!」

 キリトの申し出に、クラインは待ったを掛けた。

「言った通り、俺ァ、一緒にプレイしてる奴がいるんだ。そいつら置いていけねーよ」

 少しだけ考える。

 正直、キリトも死にたくはない。

 βテスト時代に蓄積した知識がある、とは言うけれども、それは所詮、知識に過ぎない。情報は重要であることには間違いないが、腹が膨れるわけでもなければ、この世界の通貨コルにも換算できない。そして、何よりも、レベルが上がるわけではない。

 今のキリトは、単なる頭でっかちの少年だ。理論を学んで、喧嘩に勝てるといきがっているだけの、ただの子供でしかない。現実に、戦うようにするためには、彼もレベルを上げなければ、どうしようもないのだ。レベルが上げられなければ、間違いなく、死ぬ。

 今の低レベルと、少ないスキルで、どこまで守りきれるか。

 考えるが、どう考えても、クライン一人引っ張るので、精一杯だ。

「いや、悪ィ」

 キリトの沈黙を、どう受け取ったのか、クラインは、そう言った。

「流石に、俺もそこまで図々しくねぇよ。自分たちの命くれーは、自分で守るさ」

「クライン……」

「なーに、心配すんな。こう見えても、俺ァつぇえからよ」

 その強さは、他のゲームでの話だ。

 この命がけのゲームで、本当に、それが意味を成すのかは、知らない。解らない。

「そっか。何か聞きたいことあったら、幾らでも連絡をくれ」

「おう、ありがとな、キリト」

 夕暮れ。クラインに見送られて、キリトは走り始めた。

「おお、そうだ! キリトよぉ!」

「何だー?」

 少し離れただけで、先程の路地裏は見づらくなっていた。

 建物の影から、クラインの野太い声が聞こえてくる。

「お前の顔、結構、好みだぜー!」

 それは、きっと、彼なりのジョークなのだろう。不思議と嫌には、感じなかった。

「絶対、生きて、リアルに帰ろうぜ!」

「お前こそ、その顔のほうが、百倍、似合ってるよ!」

 そう言って、キリトは駆け出した。

 

 

 

Side; Real 二〇二二年十一月六日 渋谷センター街

 この日、世界は、一変した。

 その名前だけを、残して。

 空は、不気味なほどの夕暮れだった。

 ブラブラと、何を買うでもない、何をするでもない、夕暮れ時の街角に亮は居た。

 結局、あれから、三時間。暢気にデパートの中をのぞいたり、本屋で立ち読みしてみたり、そんなことばかりして、無為に時間を潰していた。一刻も早く帰るべきなのだろうが、何となく、それを面倒に思ってしまったのだ。

 そんな亮の元に一本の電話が来た。

「もしもし」

『あ、亮さん? 私、スグだけど!』

「珍しいな。電話してくるなんて」

 スグというのは、隣に住んでいる女の子だ。

 彼女の兄曰く、複雑な家庭環境のある家なのだそうだが、そんなことも気にする事のない、真っ直ぐで、強い女の子である。本名を桐ヶ谷直葉というのだが、本人がそう呼ぶようにと言うので、周りの人間もスグと呼んでいる。

 彼女が電話してくるなど珍しい。

 毛嫌いされているというわけではない。だが、共通の話題がないために、どこか避けられている、避けている、そんな印象が拭えないのは事実である。代わりに彼女の兄とは、亮は仲が良かった。ニュービーだった頃の彼に、ネットゲームのイロハを叩き込んだのは、他ならぬ三崎亮である。

「何だよ。和人の奴が興奮して、話し相手欲しがってんのか?」

 クスクスとからかいの笑みを浮かべ、亮は尋ねた。

『そう、じゃないの! 今すぐに、テレビ見て!』

「テレビ?」

 幸いな事に、ここには大きな電光掲示板がある。彼女が何を言いたいのか良く解らないのだが、取り敢えず、其方のほうへと目を運ぶ。周囲の雑踏は、大きさを増していた。

 その電光掲示板を見た瞬間、亮は驚愕した。声すら出てこなかった。

 その電光掲示板では、ニュースが流れていた。

 普段は冷静で、とちる事も無く、坦々とニュース原稿を読み上げていくことで有名なキャスターが、今回ばかりは青ざめた表情で読み上げている。

『本日、発売された《ソードアート・オンライン》ですが、これに関して、開発者である茅場晶彦氏より、発表がありました』

 もう肌寒い初冬の寒気に触れているというのに、亮の額には脂汗が浮かんでいた。

『このゲームは、誰かがクリアするまで、ログアウトする事は出来ない。なお、強制的に電顕遮断、ネット回線の接続を切断、そしてナーヴギアを破壊した場合は、ギアに搭載れている電磁パルスを最大出力にして、対象者の脳を焼き切る』

 何とも難しい言葉が並んでいるが、内実は簡単だ。

 殺す。

 過去に起きた意識不明などという事件の比ではない。比べるのは、間違っていると思うが、危険度が段違いだ。五年前の事件では、事件が解決しなくとも復活の可能性があった。

 だが、今回は、一切ない。何もない。プレイヤーがゲームをクリアする以外は。

 それが、たった一つの真実なのだ。

「は、ははは……」

 乾いた笑いが零れた。

 後に続いていた何かをキャスターは読み上げていたが、亮の耳には何も入っていなかった。ただただ、死に直面した一万人の安否を気遣うより他に、外側の人間には何もない。

 そこでハッと気が付いた。

「なんつータチの悪い冗談だよ……!」

 亮は駐輪してあった愛車に跨り、一気にアクセルを吹かした。

 

 

 


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