【*4*】
***職人通り***
日が沈みかけて薄暗くなってきた水路沿いの通り。
夕焼けが幅のある水路の水面を照らして、見た者に美しさや哀愁を感じさせるものである……のだが、今、そこにいたある人物は「こんがりとおいしそうに焼けた『パイ』みたい」という感想を心の中で述べていた。
そんな、感想を聞いた人がいれば「お腹が空いてるのかな?」と思われそうな人物は、昼間と比べて人通りが少なくなっている『職人通り』を一人歩いていた。
「ふんっふんっふふーん♪」
彼女……『稀代の錬金術士』ロロライナ・フリクセルの感性で言うなれば、「ひと仕事終わらせた後のこの「ワァーッ!!」って感じの解放感!」……という、わかるようなわからないような表現になってしまうが、まぁおおよそは通じるのではないだろうか。
それが大きな仕事ならなおさらで、その上これからお楽しみが待っていることを考えれば、この彼女の歳とは不釣り合いなほどのテンションは仕方のないことだと思える……かもしれない。
鼻歌交じりになっていたり、アトリエから『サンライズ食堂』までの短い距離をちょっとスキップ気味になっていたりするのも「仕方のないこと」と目を瞑ってあげるべきだろう。……そういうことにしよう。
一応、ロロナがこうなったのにはちゃんとした理由がある。
少し前に名指しで入った依頼で始めた数日間かかりっきりになる大きな調合が無事終わり、今日に納品とその報告を終えたのだ。そして、報告ついでに「くーちゃん」ことクーデリアに会い、そこでロロナの思い付きでくーちゃんと夜ゴハンを食べる約束をしたのだ。
調合でアトリエにこもっていた間は、わざわざアトリエまで来てくれる人としか会えず……それで、久々に会ったクーデリアと「ゴハン食べに行きたいなー」と思ったのだろう。
実のところ、ロロナはクーデリアと少し前にも『サンライズ食堂』に飲みに行っていたのだが、彼女は自分でも気づかないうちに飲み過ぎ、結局何を話してたのかも思い出せないくらい酔払ってしまった。しかも、目が覚めたら何故か街じゃなくて『アランヤ村』の弟子のトトリ住むの家にいて……と、ロクに記憶に無いのだからロロナにとっては「久しぶりにくーちゃんと飲みに行く」ことに違いない。
まぁそんなことがあったから、『アランヤ村』にいたピアニャに『錬金術』を教える機会ができたのだから、彼女にとっては一概に悪いことだけではなかっただろう。
少し話がずれてしまったが……そんなことがあったから、ロロナは心の中で、今日はお酒はちょっと気をつけながら飲むことに決めていたりする。
しかし、料理はしっかり食べるつもりではある。調合の仕事中はどうしてもそれ以外は片手間になってしまい、
さて、そんなロロナなのだが……テンションが上がったままでスキップし過ぎてしまいうっかり『サンライズ食堂』の前を通り過ぎてしまったようだ。幸い、すぐに気付き慌てて入り口の前まで退き返していたのだが……大丈夫なのだろうか?
――――――――――――
***サンライズ食堂***
「おっじゃましまーす」
まるで友人宅に訪問しているかのように軽快な挨拶で店内に入るロロナ。
とは言っても、これはいつものことであるし、『サンライズ食堂』自体そう特別厳しかったりするわけではないお店なので、仮にロロナのことを咎める人がいたとしても幼馴染であるコックのイクセルくらいである。それも、いつものことなので本気で怒ったりしているわけではない。
それは今日も同様の用で、カウンター奥の厨房にいるイクセルが「またかよ」とちょっと呆れ気味の表情を一瞬浮かべたものの、慣れた様子で「おーう」と返事をロロナにするのだった。
「今日は客が多めで奥の角テーブルになるぜ。クーデリアのヤツがもう先に座ってるからわかんだろ?」
そう言われたロロナが店内に目をやると、イクセルが言った通り奥の席にクーデリアが先についているのが見えた。さきほどの挨拶もあってクーデリアも当然ロロナが来たことには気づいており、自分のほうを見たロロナにチョイチョイと軽く手招きをする。
手招きに誘われるままテーブルまで来て席につくロロナに、両肘をテーブルについて指を組みその上にあごを乗せたクーデリアが口調
「遅かったじゃない。もうあんたの分の飲み物も料理も先にてきとーに頼んどいたわよ」
「えへへーっごめんね? あと、ありがとね、くーちゃん」
「べ、別にいいわよ、お礼なんて。ただあたしがボーっとして待っとくのが嫌だっただけなんだからっ」
勝手に頼んだことを特に追及したりせず、ただちょっと恥ずかしそうにしながら謝り、そしてお礼を言うロロナ。
ロロナからすれば「イクセくんの料理はどれもおいしいし、くーちゃんが選んでくれたものなら間違い無いよね!」というある種の信頼感があったためなのだが……。
まぁ、クーデリアはクーデリアで「ロロナの好みはわかってるし、食べたいだろうものを選ぶのなんて朝飯前だわ」と内心ドヤァ……としていたのだが、本人以外知り様がないため別にどうというわけではない。本人が一人で得意げにしているだけである。
「にしても、仕事終わってからのあたしよりも約束の時間に遅れるなんて、何かあったの?」
「えっと……一回アトリエから出たんだけど『
「ね? って、まったく相変わらず抜けてるわね……。まぁ、遅れた事はともかく、戸締りを気にしてることには
「それほどでも~」
クーデリアの妙な言い回しには特に気にした様子も無く、照れるロロナに、クーデリアは「別に褒めてないわよ」とスパッとツッコミをいれた。
さて、そんな感じに始まったロロナとクーデリアの食事会だったのだが……ふとロロナが「そういえば……」と何故か小声でクーデリアに話しかけた。
「依頼の報告に行った時もそうだったんだけどね、なんだか街の人から遠巻きに見られたりチラチラ見られたりしてる気がして……ここのお客さんも見てきてる気がするし、アトリエに帰ってから自分で確認したんだけど、わたしの髪とか服とかに何かゴミでもついてたりする?」
そう心配そうに問いかけるロロナ……なのだが、対するクーデリアは苦笑いをするばかりだった。
「いや別についてたりはしないと思うわよ? ……ていうか、それはどう考えても
「アレ?」
「……? その話もあって今日は誘われたと思ったんだけど……って、ああ。そういえばあんたは……」
互いに頭に疑問符を浮かべ首をかしげ合っていた二人だったが、先にクーデリアが何かわかったようで、それを言おうとし…………それよりも先に出来た料理とお酒をテーブルまで運んできたイクセルが口を挟んだ。
「あの噂話の事だよ。ここ最近、街中その話題で持ちきりだぜ? おかげで俺に聞いてくる奴もいてさ、おかげで手以上に口を動かさなきゃなんなくて面倒ったらありゃしねぇよ」
「噂話……って、何のこと?」
より首をかしげるロロナに、イクセルは「は?」と目をパチクリとまたたかせた。
しかし、そこで助け舟を出したのが、先程何かに気付いたクーデリア。
「ロロナが依頼の調合でアトリエにこもり始めたのって、確かあの噂が広がる直前だったのよね……。だから、もしかしたら……いや、今の反応からするともしかしなくても、ロロナはまだあの話聞いてないんじゃないかしら?」
「おいおい、マジかよ……いやまぁ、ある意味ロロナらしいって言えばらしいけどなぁ」
「えっ? えっ? それで結局、何の話なのっ?」
何が何だかわからず困惑しだすロロナ。
そんなロロナに、その噂話のことがイクセルの口から伝えられる…………
「何の話って、
「え?」
「つっても、あくまで噂話で実際のところは――」
「えええええぇぇえええぇーーーーーー!?」
『サンライズ食堂』にロロナの大声が響き渡った。
それほどの大声であり、そのような大声が出るほどの驚きだったのだと嫌でも理解できることだろう。
その突然の大声に客の中には耳を塞いだ者もいたが、ロロナと同じテーブルについていた……つまりは一番近くにいたと言っていいクーデリアだが何故か別段どうといったことはないようだった。慣れの差だろうか?
と、周りも周りで大変そうだが、大声をあげたロロナ本人が一番大変なことになっていた。
「えっ!? 何? どういうことっ!? 結婚って、相手は!? マイス君のところのお向かいさん!? それとも二軒隣の娘さん!? ああっ! もしかしてその妹さんのほう!? 他には、最近『学校』のことで一緒にいることが多いっていうりおちゃん!? それならフィリーちゃんもよくマイス君の家に行ってるからもしかしてっ!? そ、そそそういえば、わたしの知らない間に『錬金術』を教え合ってたっていうトトリちゃんもありえるの!? はぅわ!! ……も、もしかして……くーちゃんが!?」
さっきまでのほんわかオーラは何処へやら。あわてふためき、一人で大騒ぎである。
そして、そのロロナのそばにいるクーデリアとイクセルはといえば……
「この場合、瞬時にこれだけの人数を
「マイスだろ? つーか、前のほうで出た奴らは『青の農村』の人なのか?」
「で間違いないと思うわよ? まぁ、二児の母、結婚一年目、12歳っていう、どう考えても結婚は無理な面々なんだけど……ロロナ、「仲が良さそう」ってだけで名前を挙げてるんじゃないでしょうね……?」
「……ならマイスだけじゃなくて、どっちもどっちじゃねぇか、コレ?」
呆れ気味のイクセルの言葉にクーデリアが「まあ、そうでしょうね」と返す。
正直なところ二人にとってもこのロロナの慌てっぷりはさすがに予想以上だったのだろう。そのロロナの勢いのせいかもうすでに疲れているように見える。
だからといって、このロロナを放置するわけにはいかないと二人はわかっている。……それに、
「ちょっと、ロロナ」
「うぇ!? な何、くーちゃんっ? 友人のスピーチの話!?」
「おいおい、コイツどこにぶっ飛んでんだよ!?」
ロロナの反応にイクセルは驚き、クーデリアはため息をつく。
「いい、ロロナ? よーく聞きなさいよ?
「ふぇ?」
「だーかーらー、噂話は嘘だったってこと。たっく、噂話一つにいくらなんでも慌て過ぎよ」
クーデリアの言葉を聞いて何回か目をまたたかせたロロナは「ふひゅ~……」と息を吐き、脱力した様子でイスの背もたれにだるーんともたれかかった。
「な、なーんだ……マイス君が結婚するわけじゃ…………って、あれ? じゃあなんでわたしがチラチラ見られたりしてたの?」
「そりゃあれだ。普段マイスのヤツの近くにいる奴や関係がある奴が何か知ってるんじゃないか、はたまた「お相手」なんじゃないかっていう憶測が飛び交ってな。それで注目を集めてたんだと思うぜ? なんたって、うちの客も「何かしらねぇか?」って俺に聞いてくるしな」
「そんだけ今、注目の的なんだよ。マイスとその周りがな」と付け加えて締めくくるイクセルに、ロロナは「へぇー」とわかったのかわかってないのか微妙な反応をしている。
「噂が流れた当初は今さっきのロロナほど……じゃないけど、アッチもコッチも大騒ぎだったのよ。当然、ほんの二、三日で
「俺も同じ感じだな。ウチはマイスんところから色々仕入れてるからな。その時に確認したんだよ」
「そ、そうだったんだ……そんなことがあってたなんて……」
驚愕しているロロナは、口をポカーンと開け、目を真ん丸にしている。
時間のかかる調合だったとはいえ、いつものように釜をぐーるぐーる混ぜたり
「まぁ、仮に本当だったとしても、あたし達は特に何もすべきじゃないと思うんだけどねぇ……」
「ええっ!? どうしてくーちゃんはそんなこと言うの!?」
ぽつりと呟くように言ったクーデリアの言葉に、ロロナが思いっきり反応する。が、クーデリアは特に驚いたりもせず、さも当然の様に答える。
「なんでって、そりゃあ……マイスはこの国でも特殊な立場だったりはするけど、結局は本人たちの問題じゃない? そこにあーだこーだ口出しするのは良いとは思えないもの」
「それは、そうかもだけど……でも、マイス君はまだちっちゃいし……それになんだか――」
「ちょっ、それはどういう意味? なんかケンカ売られてる気が…………ま、まあ、身長はひとまず置いておくとしてよ? あいつだって「約」とは言っても結婚には十分な歳はいってるわ。というか、むしろそろそろいい加減結婚しててもおかしくないくらいで、逆に言うとそろそろヤバイわけ……」
「ちょっと待った! ……それ、俺たちにもぶっ刺さってねぇか?」
話し出したクーデリアに割り込む形でイクセルが制止をかける。……内容が内容なだけに、三人の間に何とも言えない空気が流れた……。
「なんか変に嫌な気分になったけど……そういうのは、お酒を飲んで忘れちゃいましょう」
「あ、あはははっ……そうだねー」
「ちょ、ずりーぞ!? 俺仕事中だから飲めねぇのに!」
―――――――――――――
「それにしても、結婚の噂なんてたってたんだー……うーん?
結婚の噂をされても、特に気にせず女の子の家(アトリエ)に突撃する通常営業のマイス君。
……まだ、いろいろと解決というか明されていない部分もありますが、それらは今後の展開の種になるといいいますか…………それを言うなら火種なのかも?