では、どうぞ。
ビピピピピピ、と耳障りな甲高い音が耳元で鳴り響いた。
「う、うぅ……もう朝か……」
音源である時計のスイッチを押し耳障りな音を止めそこに書かれている時間をみればそれはまだ朝の6:00。
ズキン、ズキンと不定期に締め付けるような頭痛を覚えながらも身を起こし支度を始める。
「うーん、体だるいなぁ……」
心なしか、顔色もいつもより青い自分の顔を鏡越しに見ながらつぶやく。
それもその筈だ。朝早くに起きては練習に付き合い、そのまま学校に行き、多少は睡眠を取るものの、その後の生徒会の激務の後のアルバイト。終わる時間は大体10を過ぎるが家に帰ってからは趣味の時間―――まぁ、青年用ゲームへと更け込み結局寝るのはだいたい深夜の3時頃だ。
そのサイクルを、ここ3週間は繰り返していた。
しかし当人はそんなことも気にせずに。
「ま、なんとかなるだろ! うっしゃ! 今日も練習だ!」
―――なんて。
手痛いお釣りが来ることも知らずに、そんな一言を呟いた。
◆
「右! 左! そこでターン! 穂乃果遅い!」
「っ! うん!」
「小鳥も若干テンポがズレてます! そこの腕は曲げないでキープです!」
「う、うんっ!」
神社の階段を登って行くと、ポップなメロディと共にそんな声が耳に届く。
登り切るとそこにいるのは案の定穂乃果ちゃん、海未さん、ことりちゃんの三人であり、曲に合わせてダンスを踊っていた。
その姿は二週間ほど前には見られなかったある程度の余裕を持った振りに、表情の明るさ。何よりも“魅せる”動きというのが感じられたのだ。
「あっ! 鍵くん! おっはよー!」
「お、おはよう、杉崎くん」
「おはようございます」
どうやらあちらも気付いたようで、一度ダンスを止めてこちらに向けて大きく穂乃果ちゃんが手を振る。
「おう。おはよう三人共。随分様になってきてるね!」
「えへへ。そう?」
「あぁ。最初は目も当てられない感じだったもんなぁ」
「それは言っちゃダメだよぅ!」
そんな俺と穂乃果ちゃんのやり取りに海未さんとことりちゃんがふ、と口を緩めて笑みを漏す。
「そうですね。ほぼほぼ形は出来てますので後は細かい調整だけで良さそうですし、問題はありません」
「おぉ。真姫ちゃんも良い仕事するよなぁ」
「……えぇ。本当に、彼女が入ってくれればこちらも助かるんですが」
「まぁ仕方ないっちゃそうですけど。俺の方でも聞いてみます」
「ありがとうございます」
と、なぜこんな所で真姫ちゃんの名前が出てきたかというと。
今彼女たちが練習しているこの曲。実は作曲者が真姫ちゃんなのだ。
そう、つまりあの時真姫ちゃんが作曲していたのはμ'sの曲であり、話を聞いたところ穂乃果ちゃんの説得に押し負けて曲だけを書いたらしい。……まぁ真姫ちゃんらしくも名前などは一切書かなく、曲自体は下駄箱の中にCDでいれてあったらしいが。
その事を真姫ちゃんに聞いても知らぬ存ぜぬの一点張りらしい。どうも人との関わりを前より積極的にはするようになっても本質的なところは早々変えられないようだ。真姫ちゃんらしいといえばそうだけど。
「うんっ。ことりもだいぶ踊れるようになってきたっていうのがわかるよ! ね、穂乃香ちゃん!」
「うんうんっ! これでもう厳しいダンスも……」
「穂乃果、ことり」
『うっ!』
二人のやり取りに対して、海未さんがそれを諌める。いつもどおりのやり取りを見届けていると、そこでふと立ちくらみが俺を遅い。一瞬世界が逆さまになったかの様な感覚に陥る。
「うおっ……! っと」
『杉崎(鍵)くん!?』
なんとか倒れずに持ちこたえたけど、あぶない。
本当に一瞬倒れそうになった。
しかしその様子を心配したのか三人共が一気にこちらに近寄ってきた。お、おお! 匂いが! 女の子のいい匂いがする!
「男は汗かいたら臭いのになんで女の子っていい匂いするんだろうな……」
『えっ!?』
もはや立ちくらみの事なんて忘れてそんなことを呟くと三人がビクリと肩を震わせた。
「や、やめてよ! 汗臭いからこっちこないで!」
「そ、そうです! この変態!」
「う、うわぁーん、ことり汚されちゃったよぉーーー!」
「えぇ!? 俺別に近づいて無いんですけど!? というかことりちゃん君やめようか! 汚されたとか洒落にならないから!」
三人が三人共俺から一定の距離を置き、体を隠すようにして睨みつけている。
「ご、誤解だ! そんなつもりじゃないから信じてくれ! 別にダンスの途中にジャージを脱いで白シャツの時に透けてるブラジャーの紐とか見るのも偶然だし、三人共の健康的な足を眺めて欲情してるのも偶然だし何よりことりちゃんの胸が踊るたびにぶがっ!?」
『どっからどう見ても故意だよ!』
三人からありがたいお言葉と拳を頂きました。
「というか本当に大丈夫なんですか杉崎君。真っ青ですけど」
「殴られた場所が主に真っ青になりましたけどねぇ! 本当に海未さんって見た目以上に怪力で」
「よーしじゃあお詫びに真っ赤にしましょうか!」
「すいませんっしたぁ! ホント自分マジチョーシくれてましたぁ! サッセン! マジでサッセン!」
土下座をした。プライド? あぁ、数年前にドブに落としちゃったアレね。
すっごいいい笑顔の海未さんがギチギチと握った拳から音を出しながらこちらを向いた。どう見ても血の海に沈めるつもりです本当にどうもありがとうございました。
「ご、ごめんね杉崎君。で、でもあんなこと言う杉崎くんが悪いんだよ? こ、ことりのむ、むねを……(ごにょごにょ」
「ん? なんだって? はっきり言ってご覧?」
「こ、ことりの……ぅ、む、むね、を……」
「ほら、ちゃんと言わないと―――」
「言わないと、なんですか?」
「何でも無いですごめんなさいごめんなさい」
ことりちゃんイヂメ(誤字にあらず)をしていると鬼が現れました。海未さんの深夏化が著し過ぎる。どうにかしないと俺の命日も近いかもしれない。
「まぁ、その様子なら大丈夫でしょうけど……無理だけはしないでください。いいですか? 今あなたが無理をすると悲しむ人がいるんですから」
「はは、うれしいですね。お世辞でも―――」
「お世辞なんかじゃありませんっ」
反射的に、というべきか。俺の言葉に対して海未さんが大きな声を返した。
「ぁ……えっと」
思わずオロオロと動揺していると、海未さんがはっとしてワタワタとし始めた。
「あ、いえ……お、怒ったわけじゃないんですよ? ただその……心配してるのは本当ですし、なんといいますか……杉崎君のことを……私は――」
「う、海未さんは……?」
赤くなり、俯く海未さん。その様子はまるで勘違いも甚だしいが恋する乙女のようで。
ごくり、と喉がつばを嚥下する。
私は、の後の言葉は何なのか。バクバクと早鐘を打つ心臓を押さえ込みながら、彼女の言葉を待つ。
「私は杉崎くんの事―――な、仲間だと思っているんです」
「はぇ?」
思わず気の抜けた声が喉から零れた。
しかしどうやら海未さんにはその声は届いていないようで、もじもじとしながら言葉を続ける。
「お、男の人に仲間だなんて……恥ずかしいですけど……で、でも本当に杉崎君の事はそう思っているんです! 生徒会のお仕事も大変なはずなのに毎日朝の練習には付き合ってくれていますし……本当に真剣に私達の事考えてくれていますし……何よりその……ぉ、お友達、ですから」
その言葉に固まる。何だこの可愛い生き物は。可愛すぎるだろう。
未だに一世一代の告白しちゃったぜ状態でもじもじしてる姿の海未さんを尻目にことりちゃんと穂乃果ちゃんに視線を向けると彼女たちがこちらにちょこちょこと寄ってきた。
「……海未さんって前からあんな感じなの?」
「あ、あはは……昔から男の子になんだかんだ人気あるのに本人全く気付かなかったりするから……ねぇ?」
「な、なるほど」
キリッとしてるように見えて実は案外幼いってタイプか。これはこれで本当に可愛いんだが……悪い男に騙されないか不安ではある。
「うーん、でも、鍵君のことを友達と思ってるのは海未ちゃんだけじゃないからね?」
「え?」
そんな唐突な言葉にまたもや間抜けな声が出た。
「私だって鍵君が倒れたりしたら嫌だし、好きだよ。友達として」
「うん! ことりもいっしょだよ?」
「え―――あ、おう」
にっこり。そんな擬音がよく似合う笑みを浮かべながら、勘違いするような言葉を投げかけてくる。
いや、分かってますって。それにしてもこの三人とも無防備すぎるだろ。
「ともかく! 無理しちゃダメだよ? なんて言ったって鍵君は私達μ'sただ一人のマネージャーさんなんだから!」
「……マネージャー、ね。副会長の俺にはぴったりだなぁ。だがひとつ間違えてるぜ穂乃果ちゃん! 俺は生徒会役員兼μ'sマネージャー兼―――μ's最初のファンだ!」
「μ'sの、ファン……?」
俺の言葉に対して、穂乃果ちゃんが半ば呆然としたように問い返す。
「当たり前だろ? こんなに近くで穂乃果ちゃん達のダンスを毎日毎日見てるんだ。そりゃ最初は全然だった。でもそれでも諦めないで何度も練習を繰り返して、こんなに上手くなったんだ。だから、いえる。μ'sは最高だ。だから初ライブ、最高のやつを見せてくれ!」
「―――うん。初めてのファンの期待くらい、応えなきゃね! ほら海未ちゃんもそろそろ帰ってきて! ことりちゃんももっかい練習するよ!」
「えっ、ちょっと穂乃果!?」
「穂乃果ちゃん?」
「ぃよーし! 後残り四日間! 練習頑張るぞー!」
二人の手を引いて、穂乃果ちゃんは練習していた場所へと戻っていく。その様子にやはりどこかあのお子様会長とダブるものを感じながら、手を振ってそれを見送る。
ふと、空を見上げる。
空は雲ひとつもなく晴れ渡った青空―――だというのに、なにかザワザワとしたモノがしこりとして胸に残り、嫌な感覚を植え付ける。
μ'sの初ライブは、もうすぐそこまで迫っていた。
ありがとうございました。