その日、高町なのはは時空管理局本局の武装局員として、第58無人外世界への臨時出張を請け負っていた。
任務の目的は、この世界で確認されたという未確認生物の確認と情報収集だ。
とはいえ、実際のこの派遣は、半ば彼女の休息の為に仕組まれたものと言っても差し支えない。
嘗て遮二無二なって働きすぎた彼女は、過去に一度、撃墜の憂き目にあっている。そんな彼女を心配する彼女の取り巻き達が、偶にこうした半休ともいえる任務を彼女に押し付ける事で、彼女を無理矢理休息させているのだ。
「こちら高町二等空尉。目標の生物は未だ見当たりません」
『了解。引き続き調査の続行をお願いします』
(全く。みんな私の事心配しすぎなの)
内心でそう嘯く少女、高町なのは。
彼女自身も、彼女の友人達の計らいは認知しており、それが自らの事を思ってのことだという事も理解している。
けれども彼女にしてみれば、彼等の対応はまるで出来の悪い妹を心配する兄や姉のそれに近い、と感じてしまうのだ。
そう、とても気恥ずかしいのだ。
(もう、心配しすぎ。其処まで心配されなくても、私は大丈夫なの)
空を飛びながら、高町なのはは考える。どうすれば、彼女達友人の自らに対する心配癖を改善させられるかと。
(そういえば、アリサちゃんとすずかちゃんも心配して顔出せって言ってたの)
そこで思考が逸れる。この派遣の後、彼女はそのまま97管理外世界――つまりは彼女の故郷への帰宅が決まっている。
やはりこれも彼女の友人達の手回しなのだが、元々管理外世界出身で、またミッドチルダからは距離があり、中々帰郷できない彼女には、管理局もある程度の融通を利かせてくれるのだ。
そんな今日。何時ものように何事も無く終わり、久々の帰郷を。そう、彼女も矢張り楽しみにしていたのだ。
だが、世界はいつもこんな筈じゃなかった事ばかり、だ。
「――っ!? 魔力反応!?」
不意に首を回す高町なのはの視線の先。突如として密林から飛び出すのは、無数の黒い鳥たち。
一瞬あれが報告にあった未確認種かと疑った高町なのはは、然し首を振ってその考えを否定する。
――あれは、小さすぎると。
報告には、小さくても1メートル。大きくて3メートルもあるトリだという。
けれど、鳥たちが飛び立ったという事は、少なくともあの辺りで何かがあったという事。まして魔力の反応まで感じたのだ。少なくとも何かある。
そう判断し、一気に加速する高町なのは。
「此方特派の高町なのはです。何等かの魔力バーストを確認。至急確認に向います」
『了解。座標位置を確認。何か有れば即座に連絡を』
「はい」
宙を蹴って、鳥たちが飛び立ったその場所、その少し手前で地上に降りる。もしあの場にトリが居たとして、直接駆けつけてはトリを刺激してしまうかもしれないと判断したから。
――その判断は、彼女の命を繋ぐ事と成る。
地面に降り立った高町なのは。草と枯葉に被われた地面をザクザク進む。
「ふぅ、ふぅ……オフロードは私じゃなくて、お兄ちゃんかお姉ちゃんが専門なの!!」
小さくそんな如何でもいい事を呟きながら、森の中をザクザク進む。
そうして、木の根を乗り越え、木の幹に手を掛けたところで、不意に掌に伝わる妙な感覚に首を傾げる。
見れば、掌には小さな赤いしみ。木の幹を見れば、其処には赤いゼリー状の何かが張り付いていた。
「なんなの?」
首を傾げる彼女は、然し次の瞬間にそれがなんであるかに気付く。そう、気付いてしまった。
びゅぅっ、と一瞬風向きが変わる。その瞬間、それまでの独特の森のにおいが掻き消え、変わって現れたのは血錆びの臭い。
「武装」局員を名乗りながらも、「非殺傷設定」などというモノを使う彼女等にすれば、非日常を示すそれ。
――つまりは、血錆びの臭い。
ひっ、と小さく息を呑む少女は、顔色を青く染めながら、それでも首を振って再び前に歩き出す。
けれどもそんな少女の決意を砕くかのように、脚を進めるごとに周囲の臭いは、より一層鉄臭く、より一層錆び臭く。
それどころか、それまで薄らと緑がかっていた森の色も、何処か赤く、まるで異界に迷い込んだかのような気分に彼女を誘い込む。
ドキ、ドキ、ドキ。
何処かから聞こえるその音を疎ましく感じて、少しして高町なのはは、それが自らの鼓動の音だと気付いた。
ドキドキドキ。
もしかすると、報告にあったトリというのは肉食獣なのかもしれない。
進む彼女の前に広がるのは、血に濡れた真っ赤な地面と、引き裂かれて飛び散った肉片。
腐敗臭まで漂い始め、そろそろ彼女の精神も危機的状況に陥り始めたそのときだ。
不意に彼女の視線の先から、ガサガサと何か大きな物が動く音と気配が伝わってきたのは。
(もしかして……ターゲットなの?)
こっそりと、もし目標であっても。もし目標が肉食獣であったとしても気取られないように。
そろそろと近寄る高町なのはは、そうして茂みをそっと両手で掻き分けて。
そうして、みてしまった。
「――――っ!!!!!!????」
咄嗟に両手で口を押さえる。悲鳴を上げなかったのは奇跡に等しい。
少女の視線の先。そこには、バラバラに解体された腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚、腕、脚。
無数に散らばる腕と脚、そうして偶に所々かけた頭と開かれた腸が転がっている。胴体は殆ど見当たらない。
そうしてその中央。全長15メートルはあろうかと言う、巨大なトリ。
――いや、それをトリと評してもいいのか、少女には分らなかったが。
何しろ、そのトリには毛が無く、くちばしも無く、鋭い牙と爪があり、なによりも――ヒトを貪り食っているのだ。
寧ろ翼竜の類だといわれたほうが未だ信じられる。
『こ、此方特派の高町。目標を発見し――ひっ!?」
視線の先でヒトを貪り喰らう『トリ』を確認しながら、目線を逸らす事すら怖いと感じた少女は、そのまま念話でCPに報告を入れようとしたところで、思わず悲鳴を零した。
少女の視線の先。其処には、少女の居る方向――いや、其処に居る少女の目を見るトリの姿があった。
彼女の誤算は、トリが普通の肉食獣だと考えてしまった事にある。トリ――ギーオスは、普通のトリではない。古アルハザードの民により生み出された、一種の生物兵器なのだ。
知能こそそれほど高くないギーオスだが、それでも連中の知能はカラス並にはあるし、何よりもその特徴は主食である魔力に対する感知能力にあった。
精度こそ低いが、広い感知範囲を持つギーオス。ましてそれが眼と鼻の先であれば、幾ら雑な感知能力とはいえ、彼等でも十分に探知する事はできる。
そして、何よりも最悪な事に。彼等にとって、高い魔力を持つ高町なのはは、コレ以上ない豪華なご馳走なのだ。
『どうしましたか高町二等空尉!!』
『標的と遭遇!! 標的は体長15メートルまで成長、その上魔力感知能力アリ!!』
『なっ、体長15メートル!? 見間違いではなく?』
『現在目標に目視されています。物凄い屍の数――ヒトの、です』
『――っ』
ごくり、と唾を飲み込む音が聞こえた。
『高町空尉、即座にその場を離脱してください。此方からも増援を送ります』
『――了解。私が、逃げ切れたら、だけど』
『――どうか御武運を』
通信に苦笑しながら、目の前の怪物を睨みつける少女。
そんな少女の前で、獲物を見つけた怪鳥は、両腕の翼幕を大きく広げ、森に響く大きな鳴き声を上げたのだった。