モモンガ様ひとり旅《完結》   作:日々あとむ

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(笑)
 


王国の闇 後編

 

 

「――では、これからの事を話し合いましょう」

 

 ニニャとその姉を寝室に残し、アインズとペテル、ルクルット、ダインは居間に集まってこれからの事を話し合う。そう……姉の体を治療したからと言って、それで全てが解決するわけではない。いや、むしろ問題はここからだった。

 

「現在、貴方達はこの王都に巣食う犯罪組織『八本指』に狙われている、ということでいいですか?」

 

 アインズが訊ねると、ペテルが頷いた。

 

「ええ。ニニャのお姉さんは昔貴族に妻として誘拐同然に連れ去られたらしいのですが、ニニャの聞いた噂ではあまりいい貴族では無かったらしいです。おそらく、そこから『八本指』の息のかかった娼館に売られたのでしょう」

 

「一応、今じゃこの国の王女様のおかげで国に奴隷売買は禁止されてんだがなぁ……抜け道ってやつは必ずあるもんだし。借金の形として娼館で働かせるのは違法じゃねえ」

 

 ルクルットが顔を嫌悪に歪めて語る。ダインも頷いた。

 

「我々は冒険者――それも(ゴールド)級だからこそ、ニニャは捨てられていた姉君を連れ帰ることが出来たのである。しかし、やはりどこかでその姿を見られていたのであろうな。ルクルットが尾行に気づいたのである」

 

「そして――今も、監視されているわけですか」

 

「……たぶん、そうです。本当はこの王都をもう出たいのですが、おそらく検問所で止められると思います。口惜しいですが、『八本指』は噂では貴族達と深い繋がりがあるそうで、たぶん彼女が勤めていた娼館も貴族達が客として通っていたはずでしょう。そうなると、証拠である彼女も知ってしまった我々も逃がすわけにはいかないと思われます」

 

「…………権力者達を完全に抑えられているのが痛いですね。王都は彼らの庭、そして検問所は絶対に通過出来ない。……何か、目くらましでもしないと皆さんがエ・ランテルに帰るのは不可能でしょう」

 

 アインズは頭を抱えたくなる。彼らはどうしようもないほど詰んでいる。アインズがいなければ、彼らは二度とこの王都から出られなかっただろう。

 

 ……アインズの魔法を使えば、彼らを簡単に王都から逃がす事が出来る。〈転移門(ゲート)〉を使えばいい。それだけで、彼らはこの王都から脱出出来る。しかし、それをするわけにはいかない。

 まず、アインズ自身がそこまで彼らの世話をするわけにはいかないし、〈転移門(ゲート)〉は反則過ぎて後々大問題に発展する危険性がある。彼らを信用しないわけではないが、それでも〈転移門(ゲート)〉を見せる事には抵抗があった。

 続いて――ニニャの姉を娼館から退職させなければ、そのまま彼らは誘拐犯の汚名を被せられる可能性が大きい。そうなると、彼らは冒険者ではなくワーカーとなるしか道が無くなる。

 

 帝国でアインズは『フォーサイト』と『ヘビーマッシャー』というワーカーチームに出会ったが、彼らの話を聞くかぎりワーカーというのはかなり危険性の高い仕事だ。冒険者組合が多少の安全を確保して、冒険者のレベルに見合った依頼を紹介するのと違いワーカーは自分達の判断で依頼人と直接交渉し、依頼を受けるか否か決めなければならない。

 はっきり言おう。アインズは、このお人好しの『漆黒の剣』にワーカーが務まるとは全く思えない。依頼人に騙される姿が脳裏に浮かぶようだ。ましてやニニャはこれから姉を背負わなければならない身分である。お金のために、レベルに不相応な依頼を受けて死亡する事もあり得た。それはアインズにとって寝覚めの悪い出来事である。

 

(……と、なると『八本指』の犯罪を暴かなきゃならないのは確定だな)

 

 少なくとも娼館は潰す必要がある。そう――最低限、娼館の犯罪を暴いて潰さなければならない。事件を揉み消される事なく。

 

「……とりあえず、これからの方針を考えました。文句がある場合は遠慮なく言ってください」

 

「文句なんて! その、関係無いアインズさんに助けてもらおうっていう私達が図々しいんです。何でもしますから、どうぞ何でも言ってください!」

 

「分かりました。では、まず皆さんにはこのまま王都で暮らしてもらいます」

 

「え?」

 

「釣りをしましょう」

 

 

 

 ――アインズは『漆黒の剣』が宿泊していた宿を出ると、少し裏通りに隠れる。そして、誰も見ていない事をきょろきょろと確認してから――魔法を使った。

 

「〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉」

 

 ぴょこん、とアインズの頭から兎の耳が生え、ぴこぴこやらぴくぴくやら動いて音を探る。アインズは複雑な心境になった。

 

(邪悪な魔法詠唱者(マジック・キャスター)みたいな格好の奴の頭に兎の耳が生えてるとか、ほんと誰得だよ……)

 

 しかし、野伏(レンジャー)系の技能を持たないアインズのような魔法詠唱者(マジック・キャスター)にとっては、この周囲の物音を探る魔法は便利なのである。

 アインズは耳を澄まし物音を探り……そして、期待した通りの音を探ってニヤリと仮面の内側で笑った。

 

(やっぱり尾行していたな。まあ、俺は目立つし――ダインも目立つだろうからな。絶対いると思ったよ)

 

 アインズが探していたのは『八本指』の工作員であろう人物達だ。小声である事と、周囲の雑音に紛れて聞こえにくいが、耳を澄ませて何とか音を拾う。

 

(えぇっと……『六腕』? 明日の夜……、って言ってるのかな? さすがに、これ以上は聞こえないか。仕方ない)

 

 アインズは〈兎の耳(ラビッツ・イヤー)〉を解くと、再び大通りに出て何食わぬ顔で進む。同時に、無詠唱化させた知覚系魔法を発動させた。

 

 アインズは通りを歩く。もはや日は暮れており、通りに人はあまりいない。王都は帝国の大都市と違って灯りがほとんど無いため、夜の街は人通りが極端に減るのだ。

 そして――アインズはある二人組とすれ違った。通り過ぎて少し経つと聞こえる、話し声。

 

(はい、発見)

 

 先程聞いた声色と同じだったので、即座に先程の二人組が『八本指』の工作員だと判断する。

 アインズは少し彼らに意識を集中し、耳を澄ませるが――あまり情報は漏らさない。単なる監視役なのだろう。先程の、少し聞き取れた会話が偶然幸運に見舞われたに過ぎない。

 

(仕方ない。少しばかり迷惑になるだろうけど、やっぱりあっちを頼るか)

 

 アインズは続いて〈伝言(メッセージ)〉を発動させる。連絡相手はハムスケだ。

 

「ハムスケ」

 

『は、はいでござる殿! どうしたでござるか?』

 

 少しばかり寝ぼけていたのか、ハムスケは慌てた様子である。それは気にせず、アインズはハムスケに訊ねる。

 

「ガゼフ・ストロノーフはまだ起きていそうか?」

 

『殿の御友人の戦士の方ですな。まだ起きているようでござるよ。あの傭兵の男と色々話が弾んでいるようでござる』

 

「なるほど。ならば都合がいい。今からそっちに行く。少しばかり、ガゼフに用がある」

 

『分かったでござる!』

 

 アインズはハムスケの返事を聞くと、〈伝言(メッセージ)〉を切る。そして、尾行している人間がいる可能性も考えるが――気にせず、そのまま歩いてガゼフの館に向かった。

 

 ……ガゼフの館に到着したアインズは、玄関ノッカーを鳴らす。少しすると、ガゼフの館で使用人をしている老夫婦の老婆が出て来た。

 

「あらあら、まあ……」

 

「夜分遅くに申し訳ない。ストロノーフ殿は御在宅ですか?」

 

「少々お待ちください」

 

 老婆はアインズを見ると、奥へ引っ込んでいく。アインズの足音にはもう慣れてしまったのだろうハムスケが、安心したように庭ですやすやと眠っている姿を観察して時間を潰した。

 少しするとガゼフが慌てたように出てくる。

 

「ゴウン殿! このような遅くにどうされたのだ? さあ、中に入ってくれ」

 

「申し訳ありません、ストロノーフ殿」

 

 頭を下げ、ガゼフに案内されるままに室内に入る。そして二人で酒盛りでもしていたのか、通された居間にはブレインが酒を片手に並べられた料理をちまちまと口に運んでいるところだった。

 ブレインはアインズに気がつくと「うげ」という顔をして身を強張らせたが、しかし最初の頃よりは幾分か吹っ切れたのだろう。そのまま気絶する事もなく、席に座ったまま少し頭を下げて再び料理に集中し始める。

 

「さあ、ゴウン殿。こちらの席へ」

 

「ありがとうございます」

 

 ガゼフに促され、アインズは空いている椅子の一つに腰かける。ガゼフはアインズのためにコップを用意しようとしており、それを見たアインズはガゼフを止めた。

 

「申し訳ありません。ストロノーフ殿。飲み物は結構です」

 

「そうか? 一杯くらいは……」

 

「いえ。実は少し頼みたい事がありまして」

 

「……うん?」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは自分の席に戻って座る。ブレインは視線を上げて、ガゼフとアインズを見た。

 

「俺は退いておいた方がいいらしいな」

 

「む? そうか……ゴウン殿。ブレインは退出してもらった方がよろしいか?」

 

(おや?)

 

 ガゼフの言葉に違和感を覚える。それが何かと考え――すぐに気づいた。ブレインに対する呼び方だ。確かアングラウスと呼んでいたはずなのに、今は名前で呼んでいる。

 

(どうやら、色々と仲良くなったらしいな)

 

 何かあったのだろう。しかし、それには言及せずにアインズは少し考え――首を横に振った。

 

「いえ、大丈夫です」

 

「そうか。じゃあ、俺は大人しくしているぜ」

 

 ブレインはそう言うと、興味を失って再び酒と料理に視線を戻す。それを確認して、アインズはガゼフに訊ねた。

 

「ストロノーフ殿、『八本指』というのを知っていますか?」

 

「『八本指』ですか……えぇ、知っています」

 

 ガゼフの表情に浮かんだのは、明確な嫌悪だ。王都に根を張っているらしいので、やはりガゼフも知っていたらしい。

 

「それならば話は早い。少しばかり知り合いが厄介な事になっていまして……」

 

「なに?」

 

 アインズはガゼフに『漆黒の剣』の身におきた出来事を語る。話を聞くにつれガゼフは表情が徐々に憤怒に駆られていく。

 話を聞き終えたガゼフは、一度深く息を吐くとアインズに頭を下げた。そんなガゼフにアインズが驚く。

 

「大変申し訳ない。我々が不甲斐ないばかりに……」

 

「頭を上げてください、ストロノーフ殿。貴方が頭を下げる必要はないでしょう」

 

「いや、私もまた王国を守る兵士の一人。ならば私も頭を下げるべきでしょう」

 

 そんなガゼフの言葉にアインズは溜息をついて、苦笑いを漏らしつつ口を開いた。

 

「では、その謝罪を受け取りましょう。件の彼女には私から伝えておきます。――それで、大変申し訳ないのですがストロノーフ殿、少しばかり力を貸していただきたい。彼らを何とか王都から……彼女を娼館から退職させる、という形にして脱出出来ませんか?」

 

 アインズの言葉に、ガゼフは首を横に振った。

 

「難しい……いえ、不可能でしょう。恥を晒すようですが、『八本指』は王国の裏社会を支配しており、そこで生まれた汚れた金を貴族達に横流しして癒着することで、表社会でも力を振るっています。娼館で働いていたとなると、間違いなく貴族から横槍が入りますし……」

 

「やはりそうですか……」

 

 暗い顔をしたガゼフに、アインズは考え込む。予想した通りで、やはり厄介だった。

 

「王の強権発動で無理矢理炙り出せないのか?」

 

 横で話を聞いていたブレインが口を開く。ガゼフはそれにも首を横に振った。

 

「無理だ。対立する貴族派閥が横槍を入れてくる。『八本指』は王派閥とも癒着しているんだ。だから、『八本指』を潰そうとすると両方の派閥からそれを潰しにかかってくる」

 

「なんだそりゃ。詰んでるじゃないか」

 

 ブレインの言葉に、アインズも頷きたい気分だ。アインズも帝国で少し小耳に挟んだ事がある。現在、この王国は内乱一歩手前状態にあるのだと。派閥が二つに分かれて水面下で争っているのだと。

 そして、そんな両方の派閥と癒着し、賄賂を贈り、貴族達に守られている『八本指』。もはやどうしようもなかった。――通常の方法では。

 

「おっと、そういえば聞き忘れるところでした。『六腕』、というのをストロノーフ殿は知っていますか?」

 

「『六腕』……ですか? ええ、知っています。『八本指』の警備部門を担当する、その中でも最強の六人を指す言葉ですな。一人一人がアダマンタイト級冒険者に匹敵する強さだとか」

 

「はあ? 本当か?」

 

 ブレインが身を乗り出した。アインズも驚く。アダマンタイト級は確か、ガゼフと同等の強さなのだと『フォーサイト』に聞いた事がある。つまり、一人一人が周辺国家最強のガゼフと同等とも言える強さを誇るのだ。

 

「それは……」

 

 まずい。非常にまずかった。『漆黒の剣』が今まで生きている事から、アインズはてっきりそういったレベルの強さの暗殺者染みた連中はいないと思っていた。

 だが、ここにきてそういった存在がいる事が判明してしまった。それも複数。そして聞いた――『六腕』という言葉と『明日の夜』という言葉。

 

「どうされました? ゴウン殿」

 

「いえ、少しばかりしくじったな、と。……私が今回ここに来たのは、ストロノーフ殿に穏便に済ます方法があるか聞きたかっただけです。もし無理ならば、おそらく役所の人間か誰かが『漆黒の剣』に接触し、訴えられたくなければすぐに彼女を解放するように交渉に来ると思っていましたのでそこから……その、まあ手荒な事なのですが。娼館を無理矢理強襲して、犯罪を明るみに出そうかと思っていたのですが」

 

 どうして今まで『漆黒の剣』が生きていたのか、監視だけで誰も接触してこなかったのか理解した。ニニャの姉と『漆黒の剣』から金目の物でも根こそぎ奪い取る気でもあるのかと思っていたが、真実は全く違う。

 『八本指』は、おそらく『漆黒の剣』を皆殺しにする気だ。犯罪者として強請るのではなく、後腐れのない殺害を選んだ。

 『漆黒の剣』に誰も訪ねに来なかったのは、そもそもそういう意図が無いから。今まで彼らが生きていたのは、おそらく『六腕』の都合が中々つかなかったのだろう。仮にも『漆黒の剣』は(ゴールド)級冒険者である。通常の暗殺者や荒事が得意な連中では、返り討ちにしてしまうだろう。ニニャは第三位階魔法まで使えるようになったらしいし。だからこそアインズはなるべく暴力的な事は避けようとしているのだと思ったのだが……。

 しかし、おそらく条件が整った。明日の夜、絶対に逃さないように『六腕』が『漆黒の剣』を強襲しに来る。

 

 アインズがそうガゼフに予想を説明すると、ガゼフははっきりと憤怒の顔を浮かべた。

 

「いいだろう。ならば返り討ちにしてくれる……!」

 

「落ち着け、ガゼフ! お前が動いたらまずいだろ! 戦士長だぞ、お前は!」

 

「しかし王国を汚す害毒が……!」

 

「それは分かるが、自分の立場も考えろ!」

 

 ガゼフとブレインの言い争いを横目に、アインズはしばし考える。顎に手をかけ仮面の縁をなぞり……思いついた。

 

「ストロノーフ殿、本当に来たいのですか?」

 

「無論だ! ましてや、『六腕』が動くとなると……」

 

「分かりました。では、これから明日の夜の待ち伏せについて考えましょう」

 

「え?」

 

 ガゼフを止めようとしたブレインも、断言したガゼフもぽかんとした顔でアインズを見る。

 

「おい、ゴウン殿。どうする気だ? ガゼフがいるとこの国の王に迷惑がかかるぞ?」

 

「ええ。なので正体を隠しましょう。装備も全て変更して、顔も隠します」

 

「隠す?」

 

 アインズは、自分の仮面をコンコン、と指先でつつく。それを見て二人とも察したようだった。

 

「しかし、装備も変更するのか? そりゃ、兵士の装備してたらバレるだろうが……アダマンタイト級だっていう『六腕』相手に、防具無しでかつそこいらの剣で戦うなんて、無茶だぞ?」

 

 ブレインの言葉に、アインズは仮面の裏で人の悪い笑みを浮かべる。

 

「でしょうね。――なので、今回は私が装備をお貸ししましょう。幾らかありますので、そちらを」

 

「それは……かたじけない、ゴウン殿」

 

「お気になさらず。さすがにアダマンタイト級が複数相手では、私も一人では勝てないでしょう。手伝ってくださるのですから、この程度の援助は当然ですよ」

 

 アインズがそう言うと、ガゼフとブレインの顔が引き攣ったような苦笑いを作った。「嘘だ!」と顔に書いてあるのをアインズは見つけるが、気づかないふりをして話を続ける。

 

「では、話を続けましょう……。設定はワーカー。『漆黒の剣』に雇われた流れ者、ということで。『漆黒の剣』が宿泊している宿で、明日の朝から待ち構えます。ストロノーフ殿はお仕事があるでしょうから、後から合流という事にしましょう」

 

「む……」

 

「それが確実だな」

 

 これで方針は決まった。アインズがそう締め括り、ガゼフとブレインは再び酒と料理に集中し始める。すると……二人が顔を上げたのを見て、アインズは首を傾げた。

 

「今日は客が多いな」

 

 ガゼフがそう呟き、少しすると先程の老婆がやって来た。老婆はガゼフに客だと説明し、その名前を聞いたガゼフは驚いて席を立つ。

 

「失礼する」

 

「……どうしたんだ、一体?」

 

「さあ……?」

 

 アインズとブレインは顔を見合わせる。少しして、ガゼフは一人の少年を連れて居間に帰ってきた。アインズとブレインの視線が集中すると、少年は即座に頭を下げる。

 

「すまない。待たせた」

 

「いえ、お気になさらず」

 

「それよりガゼフ、その坊主は誰だ?」

 

 ブレインの言葉に、少年は嗄れていながらもはっきりとした声で告げた。

 

「私の名はクライムと申します。この国の兵士をしております。このような夜分遅くに申し訳ございません」

 

 クライムと名乗った少年は、礼儀正しく頭を下げながら告げる。それにブレインとアインズも続いた。

 

「俺はブレイン・アングラウスだ。よろしく」

 

「アインズ・ウール・ゴウンです。はじめまして」

 

「! はい!」

 

 二人の名を聞いた少年は、更に深く頭を下げる。それにアインズとブレインは困惑し、ガゼフを見る。ガゼフは二人を見ると「こういう奴なんだ」という顔をしていた。

 

「それで、クライム。今日はどうしたんだ?」

 

「はい。少しお頼みしたいことがあったのですが――」

 

 クライムはチラリ、とアインズを見る。それは少しの視線の動きではあるが、それを見逃すような人間はこの場にいなかった。

 

「何かご予定がありましたら、またにするよう言われております」

 

「そうか……」

 

 あまり急を要する依頼ではない、という事なのだろう。クライムはそう言うと、再び頭を下げた。

 

「……ああ、そういえば」

 

 クライムを見ていたアインズは、ふと思い出してクライムに用事を頼む。

 

「クライム君、もしよければ用事を少し頼まれてもらえませんか?」

 

「は?」

 

「初対面なのに悪いのですが……」

 

「い、いえ! お気になさらず……なんでしょうか?」

 

「ちょっと冒険者組合の方に行って私の名前で――」

 

 

 

 アインズの頼みで、クライムがガゼフの家を出たのと同時に、ガゼフとブレインがアインズを見る。

 

「ゴウン殿、何故彼女を?」

 

 ガゼフの言葉に、アインズは口を開く。

 

「実は、この王都に来る前に少し面倒を起こしてしまっていまして――」

 

 アインズは麻薬のもととなる植物を栽培していた村と、その村の様子。それからそこの畑を秘密裏に焼こうとしていた『蒼の薔薇』との遭遇を話す。

 聞き終えたガゼフはなるほど、と頷いた。

 

「それなら、確かに協力していただいた方がいい」

 

「確かにな。そりゃ、間違いなく『八本指』関係だ。なら巻き込んだ方がいいかもしれん」

 

 でなければ、後々面倒な事態に発展する可能性がある。彼女を巻き込めば、そこから彼女にそういった事を依頼した貴族を巻き込めるし、あるいはその貴族にとって有利になるだろう。

 

「だとすれば、クライムに頼んだのも正解かもしれんな」

 

「どういうことです?」

 

「彼は……実は、その、ラナー王女殿下のお付きの兵士なんだ。そして『蒼の薔薇』は王女殿下の友人でもある」

 

「ほー……なら、あの坊主ももしかして巻き込んだ方がいいか? ……いや、『六腕』と構えるならむしろ邪魔だな。お留守番か」

 

「それが賢明だが……無理だな。たぶん、彼はついて来るぞ」

 

「じゃあお守りがいるか……」

 

 チラ、と二人がアインズを見る。アインズは仕方なく頷いた。

 

「分かりました。いざと言う時は、私が」

 

「すまない。恩に着るゴウン殿」

 

 ――そうして少しばかり経過した後、再びクライムがガゼフの館にやって来た。しかし、今度はもう一人いる。彼女はガゼフの家に連れて来られ、かつそこに集まった面子を見てキョトンとした顔をしていた。

 

「ようこそ。では、早速ですが依頼をお受けして欲しいのですが――――」

 

 アインズの説明を受けて、彼女はしっかりと首を縦に振って頷いた。

 

 

 

 

 

 

 闇夜に溶け込むように、彼らはいた。

 

 六名はそれぞれ違った武装を纏っており、一見して兵士のような雰囲気は無い。彼らの纏う空気は兵士と言うよりは冒険者に近かった。

 

 そんな彼らはこの日――『八本指』という同じ組織に所属し、奴隷部門の長であるコッコドールからある依頼を受けていたために集まったのだ。

 その依頼内容は“殺し”である。

 きっかけは単純。処分する予定の女に、厄介事が出来た。ある冒険者チームが女を拾い、そのまま匿ってしまったのである。

 これに困ったのは当然コッコドールだ。何せ、調べる内に彼らはそれなりに腕のある冒険者チームであり、魔法詠唱者(マジック・キャスター)に至っては第三位階魔法を行使するという厄介な相手である事が判明したのだから。

 通常の暗殺者などでは返り討ちにあうのは確定であろう。殺しの場数はこちらの方が上だろうが、修羅場の場数が違う。手痛い反撃を受けるのが目に浮かぶようだった。

 

 故にコッコドールは、思い切った行動に出た。

 『八本指』の警備部門――その最強たる『六腕』を動かして欲しい、と依頼したのだ。

 支払われる金額は目を覆うほどだろう。だが、コッコドールは決断した。何せ奴隷部門は今では斜陽傾向にあるのだ。黄金のラナーの働きで市場を縮小させられているため、万が一にでも娼館を潰されると色々な意味で不味すぎる。場合によっては、『八本指』に始末されるほどに。

 そんな事態になるくらいならば、とコッコドールは『六腕』を雇った。依頼金は莫大な値段になるだろう。だが、払えないわけではない。確かに奴隷市場は縮小させられ、斜陽傾向にある。だが、それで人間の欲望が収まるかと言えば答えは『否』だ。

 人間の欲望は、禁止されれば収まるほど単純ではない。禁止されたならばもっと巧みに、もっと隠密に、ひたすら闇に隠れて更なる発展を遂げるだろう。そして、貴族達はその残された背徳の楽園に堕ちていくのだ――。

 

「しかし、コッコドールも思い切ったことをする。たかが(ゴールド)級冒険者チームに俺達を雇うとは」

 

 軽薄な優男の姿をした男――“千殺”のマルムヴィストの言葉に、リーダーである“闘鬼”ゼロが答える。

 

「そう言うな。それに、万が一を考えると正しい選択だろうよ。第三位階魔法を使用出来る魔法詠唱者(マジック・キャスター)がどれほどの難敵か、知らぬわけではあるまい?」

 

 ゼロがチラリ、と“不死王”デイバーノックを見る。視線に釣られるように他の者達もデイバーノックを眺め、頷いた。

 

「そうね。じゃあ、しっかりと仕事をしましょう」

 

 “踊る三日月刀(シミター)”のエドストレームと呼ばれる女の言葉に、黙ったまま全身甲冑の“空間斬”ペシュリアンが頷いた。

 

「じゃあ、やりますかボス」

 

 最後に、“幻魔”サキュロントが呟く。それに、ゼロは頷いた。

 

「行くぞお前達」

 

 今夜、この宿にはどんな騒ぎが起きても誰も来ない手筈になっている。そう――どんな騒ぎが起きても。たとえ人の悲鳴が聞こえたとしても。

 ゼロがドアを開ける。無造作に、普通にドアを開けるようにだ。

 どう見ても怪しい一団がやって来たというのに、宿の受付も、案内役も誰も彼らに視線を向けない。そして普段はロビーで談話している者がいるだろう場所も、人影は皆無だった。

 その中をゼロ達は歩く。階段を上り、目的の階層につけば、その静寂はより一層不気味になった。あまりに、人の気配が無いのである。

 ――そう、今夜この階層には誰もいない。そういう手筈になっている。目的の獲物達以外、ここには誰もいないのだ。そして、監視の者達から彼らがここから抜け出していないのは聞いている。

 ゼロは目的の部屋の前に立つと、ドアを一撃で吹き飛ばした。そして――――

 

「ようこそ、『六腕』諸君」

 

 ありとあらゆる家具を片付けて室内を広々とさせた部屋に、怪しい仮面をつけた五人の男女がゼロ達を待ち受けていた――――。

 

 

 

「――何者だ、貴様ら」

 

 ゼロは最大限に警戒して、彼らに問う。

 

 彼らは同じデザインの仮面をつけていた。ただ、その色が違う。赤、青、黒、白、黄――それぞれ違う色の仮面をつけ、その仮面の色に似た装備を身に纏っている。

 

「そうですね――“正義の味方”、とでも」

 

 その内の一人――真ん中に立つ白い仮面とローブを纏った、魔法詠唱者(マジック・キャスター)のような男が静かに告げる。その言葉にゼロ達は臨戦態勢を整えていく。何故なら、言葉で語るまでもなくその気配で彼らの意図が明白であったからだ。

 

「正義の味方だと? ふん、趣味の悪い連中もいたものだ」

 

 ゼロが会話をしている間に、他の五人はじりじりと部屋に入って互いの間合いを離していく。何故なら、ゼロを含めて六人全員がこの室内がかつてない戦場であると察していたためだ。

 

 赤い仮面の男、青い仮面の男、そして黒い仮面の女。……この三人はまずい。その気配から、この三人はゼロ達と並ぶ強さだと感じている。一人劣るのが黄色の仮面の男だ。この場にあって場違いでは無いかと錯覚するほどに、強者の気配を感じない。

 そして不気味なのが今ゼロが会話しているこの白い仮面の男――。異常だ。何故なら、この集団の中にあって、この白い仮面の男からは恐ろしいほど気配が分からない。

 そう、強者の気配は感じない。しかし同時に、黄色の仮面の男のように、弱者のような気配も感じないのだ。代わりに佇まいからは異様な静けさを感じる。それが妙に恐ろしい。

 

「確かにそうですね。私も、自分に似合わないことをしていると思っています」

 

「ならばこうしないか? お前達は俺に跪き部下になればいい。そうすれば、命だけは助けてやろう」

 

 ゼロがそう言うと、赤い仮面の男からミシリ、と空気が軋むほどの憤怒の気配を感じた。ゼロは一瞬そちらを見やる。しかし、すぐに白い仮面の男に視線を戻した。白い仮面の男も赤い仮面の男を見やり、再びゼロに視線を戻している。

 

「遠慮しておきましょう。あまり、彼を怒らせたくありませんし――何より、貴方達は私を不快にさせた」

 

 そして――ゼロに聞こえるだけの小さな音で、ぽつりと呟いた。

 

「俺がわざわざ手間暇かけて助けた連中を殺そうと言うんだ。これほど不快なことはあるまいよ」

 

「――――!」

 

 その静かな声に、ゼロは全身の鳥肌が立った。その一瞬だけ、異様な圧力を感じたのだ。まるで人外――魔獣や不死者と相対した時のような、生物としての根源から来るおぞましさを。

 

 故に、ゼロの方針は決まった。

 

「やるぞお前達! サキュロント! お前は一番弱いのを狙え!」

 

 ゼロの言葉にサキュロントが動き、黄色の仮面の男に向かう。黄色の仮面の男は剣を構えて、サキュロントを迎え撃った。そしてペシュリアンが青い仮面の男に、エドストレームは黒い仮面の女に、マルムヴィストは赤い仮面の男に向かおうとし――デイバーノックは後方で魔法を唱えようとする。そしてゼロは目の前の白い仮面の男に向かい、拳を振りかぶった。

 

 だが――

 

「――ぬ!」

 

「お前の相手は俺だ」

 

 赤い仮面の男が割って入る。おそらく、元からゼロを相手にするつもりだったのだろう。そして白い仮面の男が両腕を広げ、その男の言葉が室内に響いた。

 

「〈集団標的(マス・ターゲティング)上位全能力強化(グレーターフルポテンシャル)〉」

 

 白い仮面の男から魔力が解き放たれ、それぞれ仮面をつけた者達に向かう。そして、彼らの動きが見るからに、格段に上昇した。

 

(一度に、全員の能力を強化させただと!? しかも敏捷性だけでなく!?)

 

 ゼロの拳とぶつかった赤い仮面の男の剣からかけられた剣圧に、ゼロは驚愕する。しかし驚愕しながらも、ゼロは決して判断を誤ったりしない。

 

「俺がこの赤いのを殺る! マルムヴィスト、デイバーノック! 白いのを潰せ! サキュロント、黄色のを始末したら二人を手伝え!」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば、前衛がいなければ大丈夫だと思うがしかしそれでも、先程のおぞましさがゼロに、サキュロントが救援に回るという選択肢を選ばせた。そして拳と剣を合わせた感覚から、この赤い仮面の男がゼロと同格であるという感触を覚える。故に、この赤い仮面の男は他の者達に回せない。

 

 ――集団戦の鉄則であるが、まず一番に狙うのは一番弱い者だ。強い者ではなく、弱い者。そうすれば強い者と戦っている内に弱い者に狙われて意識を分散させる、という隙を見せなくて済む。

 だがそれ以上に狙わなければいけない相手。それは後方支援を行える者――特に回復役は真っ先に潰さなくてはならない。でなければ回復され、いたちごっこになってしまう。

 

 だからこそ、ゼロは真っ先に二人で白い仮面の男を潰すように言った。正直な話、黄色の仮面の男はサキュロント一人で殺せる程度の相手だ。気配や身のこなしで分かる。故にサキュロント一人に任せ、始末次第マルムヴィストとデイバーノックの救援に向かわせた。

 

 ……そう、ゼロの判断は間違ってなどいなかった。普通に考えれば、一番最初に潰すべきは一番弱い相手か、あるいは回復や能力強化を使用出来る後方支援型である。それを先に潰さなければ話にならない。

 だから、ゼロの判断は決して間違ってはいなかった。

 

 ――――ただし、間違っていなくとも、それが正解でも。それで事態が解決するとは限らない。

 

 

 

「――くッ!」

 

 “空間斬”ペシュリアンは、自分が戦っている相手が最悪なほど相性が悪い事を確信していた。

 

「――ふん」

 

 ペシュリアンが戦っているのは、青い仮面の男だ。青い仮面の男は南方の武器である刀を装備しており、それを用いて斬り込むように戦う。

 ……本来、こういった刀を持つ相手はペシュリアンにとって都合のいい相手だ。何故ならば、ペシュリアンが装備している防具は全身甲冑。叩き潰すように斬る両手剣や片手剣ならばともかく、鋭さを強調した細い刀身の刀は全身鎧(フルプレート)には不利に働く。

 

 しかし、それ以前の問題として、ペシュリアンがこの青い仮面の男が自分と最悪な相性である事を確信していた。

 

「――――」

 

 ペシュリアンは決して互いの武器が届かないであろう場所まで一息で離れる。青い仮面の男は追わない。互いの差を理解しているためだ。ペシュリアンは鞘に剣を収め、振り抜く。

 

 ……ペシュリアンが“空間斬”という二つ名があるには理由がある。それは、彼は三メートルも離れた相手さえ両断する魔技を持っていたからだ。

 その正体は特殊な剣。ウルミと呼ばれる剣があり、これはかなり柔らかい鉄で出来た長い剣で、よく曲がりそしてくねる。極限まで刃を薄くしたその糸とも呼べる剣は、むしろ金属で出来た鞭と言っていいだろう。それを鞘から抜き放って高速で振るう事で遠く離れた相手を狙撃するように切り捨てる。それが彼の二つ名の正体だった。

 鞭の先端速度は音速に到達する事さえある。目視による回避は極めて困難――いや、不可能に近かった。

 

 だが――知るがいい。上には上がいるという事を。

 

「――はッ」

 

 青い仮面の男が、その桁外れの速度を誇る剣の先端を容易く切り弾く。それにペシュリアンは歯噛みした。

 この相手には、超速の斬撃が通用しない。人では対処不可能なはずの攻撃を、青い仮面の男はまるで周囲に触覚でもあるかのように剣の先端を察知し、それを弾いてしまう。そしてそれがペシュリアンのもとへ引き戻されるよりも早く間合いを詰め、ペシュリアンの鎧の隙間――関節を狙う。

 

「う、おぉおおお!」

 

 ペシュリアンはそれを何とか体の位置をずらす事で避ける。金属の鳴り響く音。ギリギリで防いだ剣閃。そしてペシュリアンは足を上げて青い仮面の男を蹴ろうとする。即座に、男が身を翻して間合いを離す。剣の先端が戻ってくる。

 

「…………」

 

 互いに睨み合う。だが、ペシュリアンは絶望的な気分を味わっていた。相手は何らかの――それも感知系の武技を持っている。それを確信したからだ。

 そうでなければ、あの桁外れの速度の剣の先端を、ああも容易く弾けるはずがない。

 

「…………」

 

 だが、勝算が無いわけではない。相手の武器は刀。ペシュリアンに致命傷を負わせるのは難しい武装だ。

 

 ――武技を使用させ疲労を狙う。

 

 ペシュリアンはそこまで特殊な武技を使用しているわけではない。彼の攻撃は武器の特性だ。故に、武技に精神力を使用する以上、必ず相手はペシュリアンより先に疲労するはず。そこに賭けるしかない。

 そしてそうペシュリアンが決めた時――青い仮面の男は、刀を鞘にしまった。

 

「悪いな。今までリハビリに付き合わさせて」

 

「…………は?」

 

 意味が分からなかった。この男は、一体何を言っているのだろうか?

 

「刀を握ったのは久しぶりでな。今まで、ちょいと感触を確かめてたんだ。いや、ちょっと前を向いて頑張ってみようかと思ってな」

 

 青い仮面の男が身構える。殺気がピリピリとペシュリアンに向かい始める。

 

「では――終わりにしよう」

 

「――抜かせ!」

 

 ペシュリアンは再び剣を鞘にしまい、そして剣を鞘奔らせる。間合いを離す必要は無い。その間合いは、目の前の男が稼いでくれた。

 勿論、ペシュリアンが狙うのは武技の過剰発動による疲労。先程までの焼き回しだ。

 

 だが、青い仮面の男はそうしなかった。

 

「――――」

 

 青い仮面の男は先程までと同じように、剣の先端を待つ。しかし刀は抜かない。男はそのまま――刀を鞘にしまったままで、剣の先端がどこにいつ届くのか知っていたかのように、身を屈めて避けた。

 

「は?」

 

 先程までと違い、刀を抜く事さえしなかったその姿に驚愕する。だが、ペシュリアンは決して油断しない。青い仮面の男はペシュリアンの狙いを看破しているのだろう。男の視線はペシュリアンの首を見ている。となれば――狙いは一つ、鎧の隙間、関節の部分だろう。

 

(甘い!)

 

 青い仮面の男が刀に手をかける。しかしペシュリアンは首を少し屈めた。全身鎧(フルプレート)は防御に関しては数多の鎧より特化している。たとえ相手の武器より一段劣る防具であろうとも、全身鎧(フルプレート)の防御を突破するのは難しい。

 今のペシュリアンの鎧に隙間などほとんど無い。腕や足などは元から鎖帷子で防がれているし、表面の鎧の突破はなお難しい。狙うならば首だと、ペシュリアンははっきり分かっていた。

 

 ――そう、狙うのは首だと思っていたのだ。

 

 青い仮面の男は、首など狙っていなかったというのに。

 

「―――――あ?」

 

 視界が潰れる。真っ赤に、あるいは真っ黒に。何も見えない。灼熱の痛みが眼球のある場所からして――それがペシュリアンが感じ、見た最後の記録だった。

 

「……ふう」

 

 青い仮面の男――ブレインがペシュリアンの鎧の隙間、兜のスリットから刀を抜く。兜のスリットから刀を抜かれたペシュリアンの体が、支えを失って床に投げ出される。兜の隙間から真っ赤な血が床に広がった。

 ……ブレインが狙っていたのは、初めから兜のスリットにある眼球と脳髄である。生物ならばこれで一撃で仕留められる。仕留められない場合は――何らかのマジックアイテムか特殊技術(スキル)を使っている者だけだ。

 

「アイツにゃ、感謝だな」

 

 脳裏に浮かぶのは伝説の魔獣――ハムスケと今は名づけられている獣だ。あれと戦っていた経験があったからこそ、ブレインは兜のスリットを狙うという離れ業を成功させる事が出来た。

 この瞬間を見ていた者は、誰もが口を揃えてこう称えるだろう。やはり、ブレイン・アングラウスは剣の天才である、と。だが――

 

「それでも、あの化け物にゃ効かないんだよなぁ……」

 

 普段より格段に動ける自身の体に、「魔法ってやつは何でもアリだな」と悪態をつきたくなり――ブレインは刀を鞘にしまった。

 

 

 

「――――」

 

 “踊る三日月刀(シミター)”のエドストレームは、黒い仮面の女と対峙していた。黒い仮面の女は頭部以外の全身を黒い鎧で覆っており、そして手に持つ大剣もまた、黒かった。

 

(こいつも私達と同レベル。厄介な相手ね)

 

 黒い仮面の女が大剣を構える。エドストレームもまた、三日月刀(シミター)を鞘から抜き放った。ただし、エドストレームは剣に触れない。ひとりでに抜き放たれたのだ。黒い仮面の女が微かに驚いた気配をする。

 

「……名前を聞いても?」

 

 自分達と同レベルなど、そうはいない。しかしこの黒い仮面の女のような姿をした相手など、エドストレームは聞いた事が無かった。

 エドストレームの言葉に、黒い仮面の女は静かに答える。

 

「そうね……マスク・ザ・ダークとでも」

 

「そう――」

 

 つまり、真面目に答える気は全く無いという事だ。そこでエドストレームは女の正体を探る事を諦めた。

 

 ――“踊る三日月刀(シミター)”。この二つ名は、彼女の戦い方に由来がある。

 エドストレームは常人とは違う、二つの異能とも言うべき能力は持っていた。一つは空間認識能力、もう一つは右手と左手で別々の動作が可能な脳の柔軟度。

 この二つは誰もが持っている当たり前の能力だが、エドストレームの場合はそれが異常に発達していた。

 結果として、エドストレームは魔法付与のかかった五本の三日月刀(シミター)を踊るように操作する能力を持つ。

 故に、彼女の二つ名は“踊る三日月刀(シミター)”。エドストレームは防御に専念するだけでいい。攻撃は三日月刀(シミター)がしてくれる。この剣の結界を破る事はほとんど不可能に近い。

 

 だがペシュリアンがそうだったように――エドストレームもまた、相手が悪かったと言わざるを得ない。

 

「――――」

 

 黒い仮面の女が大剣を構えている。しかしエドストレームは次の瞬間、目を見張った。

 

 大剣の刀身が次第に膨れ上がっている事に気がついたからだ。

 

「超技――」

 

 黒い仮面の女が呟く。そう、エドストレームも相手が悪かった。

 この三日月刀(シミター)には弱点がある。いや、本来は弱点と言う程でもないかも知れないが、それでもここでは弱点と言わざるを得ない。

 

 確かに、剣の結界は素晴らしい。この結界を破りエドストレームを攻撃するのは至難の業だ。ゼロも、ペシュリアンも、ブレインも苦戦するだろう。最後に立っている相手はどちらか、という結果は置いておいて。

 だが――この剣の結界は、遠距離攻撃……それも全体攻撃を持つ相手には、非常に相性が悪いのである。

 

暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ォオ!!」

 

 黒い仮面の女が叫ぶ。その言葉と共に、黒い大剣に込められた魔力が解放される。横薙ぎにされた大剣から無属性エネルギーの爆発が吹き荒れ、防御に専念していたエドストレームと剣の結界に直撃する。エドストレームの背後の壁が、衝撃波で粉砕され、宿が震えた。

 だが――その物音でもここには誰も来る事は無いだろう。何故なら、『六腕』がそう手配したのだから。

 

 黒い仮面の女が走る。衝撃波で吹き飛ばされたエドストレームが最後に見たのは、黒い大剣を自分の脳天に叩き込む寸前の黒い仮面の女だった。

 

「…………」

 

 エドストレームの頭蓋を手に持つ大剣――魔剣キリネイラムで叩き切った黒い仮面の女――ラキュースは一息つく。

 

 ラキュースが参加した経緯はこうだ。

 昨日の夜、冒険者組合にクライムがやって来た。当然、知らぬ仲ではなく親しい相手であったので『蒼の薔薇』はクライムからの呼び出しを歓迎した。そして、クライムから「アインズ・ウール・ゴウンから内密に依頼をしたい」とラキュース個人に話が来たため、『八本指』の拠点襲撃の話か何かかと思っていたラキュースは驚いた。

 クライムは依頼内容を詳しく知らないらしく、ただラキュースにガゼフの館までついて来て欲しい、と語った。そして、ラナーからの頼まれ事も。

 

 ――アインズ・ウール・ゴウンから何か頼まれたら、最優先でそれを解決してあげてください。

 

 ラナーにそう言われている事を語ったクライムに、ラキュースもまた頷いた。昼間の件もあり、彼の頼み事を聞くのはラキュースにとっても恩も返す意味もあるのだ。

 そうしてガゼフの館まで連れられ、そこでアインズやガゼフ(驚いた事にあのブレイン・アングラウスもいたが)から話を聞いたラキュースは、快く依頼を引き受けた。確かに、『六腕』を相手にするとなれば『蒼の薔薇』の力も借りたいだろう。

 ……とは言っても、周辺国家最強の戦士であるガゼフに、そのガゼフと互角の勝負をしたブレイン、そしてアダマンタイト級冒険者であり神官のラキュース。更にそんな彼らを上回る魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のアインズまでいれば、少しばかり過剰戦力に思えるのも事実だが。……いや、実際は過剰戦力どころの話ではないかもしれないが。

 なお、クライムが参加したのは、いざと言う時にラナーお付きの兵士を入れておく事でラナーが『六腕』退治に貢献した事の証拠とするためでもある。……一歩間違えればラナーの犯罪の証拠にもなるが、ラナーはメリットを取ったのだ。

 

 そしてラキュースはアインズに言われ装備を外し、昼の間にこっそりと一階の宿の一室をブレインと共に借りた。アインズは少し後に不可視化の魔法でブレインとラキュースに合流し、ガゼフとクライムは夕方にフードを深く被って誰とはすぐに分からないような格好で合流したのだ。

 ブレインとクライムはそのままの格好だが、ラキュースは剣だけを、ガゼフは全ての装備を外しており、その後全員がアインズが用意した装備で身を固めている。

 ラキュースが選んだのは漆黒の鎧だ。せっかくなので、渡された仮面と同じ色を選んだ。ガゼフも同じような心境だったらしく、仮面と同じような色を選んでいる。アインズも仮面と同じ色のローブを装備していた。それを見たクライムも、ラナーから贈られた鎧の色を仮面と同じ色にマジックアイテムで変えていた。

 なおその様子をブレインが呆れた目で見ていたのは、全くの余談である。

 

 全員が揃った後アインズの不可視化の魔法で全員姿を隠し、二階にいる『漆黒の剣』と合流。部屋を片して彼らは奥の部屋へ避難し、そしてラキュース達は『六腕』を待ち構え今に至る、となるわけである。

 

 ……ちなみに何故か同じようなデザインのマスクを幾つも持っていたアインズ。確かに装備品に含まれず、頭の装備を潰さずに装着出来るのは魅力的だが、特に顔を隠す以外の意味は無いように見えた魔力も何も籠もっていない仮面。ガゼフがそんな何でもない仮面を微妙な顔で見ていたのはよく分からないが、どうしてアインズはそんなマスクを幾つも持っていたのだろうか。色違い、と言っても魔法で色を変えているだけで、もとは同じ色、デザインの仮面である。何故アインズはこんな物を幾つも持っていたのか――ユグドラシルプレイヤーでないラキュース達には永遠の謎であった。

 

「――私達は王国の平和を守る、正義の使者。私はマスク・ザ・ダークウォーリアー」

 

 大剣に付着した血を振るい、ぼそりと呟く。仮面の内側にある顔はドヤ顔を披露している。

 

 ――後にこの時のテンションを死ぬほど後悔するラキュース・ザ・ダークウォーリアーだった。

 

 

 

「シィ――!」

 

 “幻魔”サキュロントは黄色の仮面の男――顔は隠されているが、おそらくまだ若い――に踏み込む。ゼロから言われている事だが、彼はこの黄色の仮面の男を殺した後、あの厄介な魔法詠唱者(マジック・キャスター)を潰さなくてはならない。ゼロに言われた事が分からないような阿呆は、当然『六腕』の中にはいないからだ。

 

(さっさと仕留める――!)

 

 サキュロントの二つ名である“幻魔”は、サキュロントが幻術使いであるからついた二つ名だ。虚と実、その二つの入り混じった剣技で相手を仕留める。

 幻術である、というタネを見破られると剣の技量が同格がそれ以上の相手には苦戦を強いられるが、しかし黄色の仮面の男程度の実力ではそれを見破る事も、たとえ見破ったとしてもサキュロントを剣の技量で上回る事も出来ないだろう。

 

 黄色の仮面の男は向かってくるサキュロントに剣を構え、サキュロントを迎え撃とうとする。

 

 ――サキュロントの不幸は三つある。

 

 一つは、この場にゼロと同格の者が三人も揃っていた事。自分より格上が放つ複数のプレッシャーにより、普段より緊張を強いられ、視野が狭くなった事だ。

 もう一つは、ゼロからさっさと始末するように命令されていた事。焦りを強いられたサキュロントは、本来持つ警戒心を発揮出来ない。

 そして最後の一つ。それは、白い仮面の男が宿屋に近づいた時とっくに『六腕』を感知しており、全員に能力強化の類の魔法を既にかけ終えていた事だ。まさか白い仮面の男がアンデッドを感知する特殊技術(スキル)を持っていたなど、彼らには知る由も無いのだから。室内に入った時にかけた魔法は、単に戦闘を優位にするために使ったに過ぎない。

 

 そんな事など知らぬサキュロントは当たり前のように幻術を駆使して、自らと同じ幻を作る。そして不可視化した自分は黄色の仮面の側面に回り、黄色の仮面の男を切り伏せようとする。

 

 ……もし、サキュロントの幻術が効いていなければ、あまりにおかしな動きですぐに本体のサキュロントを見破っただろう。その場合は視線が動き本体のサキュロントを見るため、サキュロントはすぐに警戒して身を引いたに違いない。

 

 だが、黄色の仮面の男にその様子は無い。少なくとも、サキュロントにはそう見えた。

 

 ――『六腕』は誰も知らない事だが、彼ら五人がつけている仮面は、装備品に含まれない、という特殊な効果がある。

 このため頭部装備の上から更に仮面を被る事が可能であり、顔を隠す、という意味においては優れた効果を持っていた。

 だが、この仮面の持ち主は全く気にした事は無いのだが――それはある恐ろしい効果も一つ生み出している。

 

 魔力も何も感じない、けれど装備品には含まれない特殊な仮面のマジックアイテム。ユグドラシルプレイヤーは誰も気にした事が無いのだが――装備品に含まれないという事は、つまり本来狭まるはずの視界が、ずっと開けたままだという事を意味する。

 そして、顔を隠されているという事は……視線の動きを読まれにくいという事。

 

「――――」

 

 サキュロントは黄色の仮面の男に切りかかる。しかし――黄色の仮面の男は彼本来の実力ではあり得ない、まるでオリハルコン級冒険者の動きでもって、サキュロントの剣を受け止めた。

 

「なっ……!?」

 

「ぐ――!」

 

 サキュロントは驚愕する。完全に自分が見破られていた事に。そして互いに剣を合わせ、ギリギリと力で押し込もうとする。

 

「ちっ!」

 

 サキュロントは身を離した。黄色の仮面の男はその緩急にたたらを踏み、慌てて体勢を整える。その隙にサキュロントは今度は幻術で作った腕と剣を駆使して、もう一度黄色の仮面の男に斬りかかる。

 

「くっ……!」

 

 再び黄色の仮面の男はサキュロントの攻撃を防ぐ。そこでサキュロントは確信した。やはり、この黄色の仮面の男は幻術を見破っている。

 

(だが――)

 

 しかし、その身のこなしからサキュロントはやはり自分の方が格上である事を認識した。

 

(こいつ、場慣れしてないな!)

 

 サキュロントは黄色の仮面の男が、あまり生死を賭け金にした勝負に慣れていない事を見破る。どれだけ能力強化されようと、経験だけはどうにも出来ない。黄色の仮面の男は、少しばかり腰が引けていた事をサキュロントは気づいていた。

 

(ならば――)

 

 それなら、まだやりようがある。サキュロントはそう判断し追撃を行おうとして――黄色の仮面の男に奇妙な感覚を覚えた。何だか、視線が自分を飛び越えているような――?

 

「――――!」

 

 急いで背後を振り返る。黒い大剣を振りかぶった黒い仮面の女が、サキュロントに飛びかかっていた。

 

「う、おぉ――!」

 

 全力で防ぐ。剣を盾にして上段から振りかぶられた大剣を何とか防ぎ、安堵に息を吐く。全身がその衝撃で痺れた。

 そんな一瞬無防備になったサキュロントに、背後からドス、と心臓に剣が突きたてられたのだった。

 

「……助かりました。ラキュース様」

 

「気にしないで、クライム」

 

 剣をサキュロントから引き抜き、サキュロントが倒れたのを見てから黄色の仮面の男――クライムはラキュースに頭を下げ礼を言う。ブレインのようにブランクを埋めるために勝負を長引かせる事も無かったラキュースは、自分の相手を片付けるとすぐにクライムの援護に回っていたのだ。

 

 クライムは自分を恥じる。確かに、アインズの手によって幾つも能力強化をかけられ、更に不可視化の魔法を見破る魔法さえもかけられていたというのに、それでもサキュロントは自分より格上であると少しの攻防で悟ったからだ。

 

(このような腕では、ラナー様をお守りすることが……!)

 

 だから、強く拳を握る。この悔しさをバネに、更なる高みへと至ろう。決して、才能の無い自分では届くはずが無いと分かっていても。

 あの黄金の――太陽のようなラナーの隣に並び立ち、慈愛の女神とも言うべき彼女をあらゆる危険から守れるような男になるために。

 

 

 

「ハァ――!」

 

「ぬぅぅ――!」

 

 “闘鬼”ゼロと赤い仮面の男の勝負は、壁を破壊して、人数の多い狭い部屋から誰もいない隣室へと移動していた。そこで彼らは剣と拳を交わらせている。

 もし、この場に第三者がいればその事実に驚いただろう。拳が、剣と交わっているのだ。しかも響くのは金属音であり、互いの攻撃の度に火花が散っているようにさえ見える。

 

「――ぐ!」

 

 幾度も激突し合う攻防を経て、ゼロが顔を苦痛に歪める。それは、赤い仮面の男が持つ武器と、そんな男にかけられた能力強化のせいである。

 ゼロの拳はオリハルコンのように硬い。壁程度簡単に、それこそ粘土の様に削るだろう。

 だが、赤い仮面の男の武器は鋭く、おそらくさぞや高価なマジックアイテムの類である事が窺えた。しかも、あの白い仮面の男に能力強化の魔法をかけられているのである。

 そしてもっとも恐ろしい事に――この赤い仮面の男は、間違いなくゼロと同格の技量を持つ、アダマンタイト級冒険者と同じ強さなのだ。

 

 それが、ゼロが押される理由だった。赤い仮面の男はもとからゼロと互角であり、そこに武装の差と能力強化の魔法が付加されているのだ。これで押されない方がおかしい。

 

 だが――だからこそ、ゼロはこの赤い仮面の男の正体を見破っていた。

 

「貴様――ガゼフ・ストロノーフだな!?」

 

「――――」

 

 周辺国家最強の戦士。王国の切り札。ゼロと互角に戦えるような存在は、王国に少ない。故に自分と戦えるこの戦士こそ、かつてゼロが目指した頂に違いなかった。

 しかし……それに対する赤い仮面の男の言葉は冷ややかなものだった。

 

「俺の名は、マスク・ザ・レッド。王国市民の平和を守る正義の使者――それ以上でもそれ以下でもない」

 

「――――」

 

 あくまで、赤い仮面の男は正体を隠し続ける。当然だ。何せ、ガゼフがこの場にいるとしたら大問題になる。

 何故なら、『漆黒の剣』は法律で犯罪者なのだ。娼館で働く女を誘拐した、罪深き者達なのだ。そういう事になっている。しかも冒険者であり、王国の市民とはっきり言う事が出来ない存在だ。

 それを庇おうと言うのならば――しかもそれを王の信頼する戦士長という立場のものがやったとするならば――貴族派閥に糾弾され、王派閥は窮地に立たされる事になるだろう。いや、『八本指』に喧嘩を売ったとするなら彼らと繋がっている王派閥でもガゼフを糾弾するに違いない。

 それが分からないガゼフでは無いだろうに…………あるいは、だからこその仮面なのかもしれなかった。

 

「行くぞ、ゼロ――!」

 

「抜かせ、ガゼフ――!」

 

 彼らの攻防は続く。しかし、勝利の天秤が次第に赤い仮面の男へと傾いていっているのを、ゼロは頭の隅で感じていた。

 

(やるしか、ない――!)

 

 そう、相手がガゼフだと言うのなら、もはや何を遠慮する事があろうか。かつて目指した頂が目の前にあり、王国最強という夢がその成就を待っているのだ。

 

「――――」

 

「む……?」

 

 ゼロは間合いを離し、徒手空拳のゼロが自らの間合いを放棄した事に赤い仮面の男は驚き、警戒する。

 

「かぁぁぁぁぁああああ!!」

 

 ゼロは自らの体に刻んでいる刺青――その五つを全起動させる。同時に、体内から爆発的な力が溢れ出した。

 そして、ゼロは一歩踏み出す。勝利への道へと。

 

「――――」

 

 これがゼロの最強の一撃だと理解したのだろう。赤い仮面の男は、剣を正眼に構える。

 

 ……“闘鬼”ゼロの最強の一撃とは、単純な正拳突きだ。それも何のフェイントも、トリックも無い。ただひたすらに単純な。

 だが、その威力は想像を絶する。複数のマジックアイテム、そしてあらゆる特殊技術(スキル)を複合させて放つ一撃は、当のゼロにさえ制御が難しかった。正面から踏み込み、全力で殴りつけるという手段でなければ技として使用出来ないほどの。

 しかしその圧倒的な速度と拳の破壊力は、単純であるからこそ攻略する方法は無い。小手先の技術でどうにかなるようなものではない。

 

 正道こそがもっとも強い(シンプル・イズ・ベスト)――これはただ、その事実にひたすらに特化した一撃。

 

「――――」

 

 ゼロは踏み込む。あらゆるものを置き去りにするような速度で。赤い仮面の男の腹部を狙い。

 

「――――」

 

 ――しかしゼロは知らない。その事実に思い至り、それを磨いていたのは一人だけでは無いのだという事を。

 

 正眼に構えた赤い仮面の男――ガゼフもまた、ある一つの武技を発動させる。

 

 ……それはかつて、アダマンタイト級冒険者ヴェスチャー・クロフ・ディ・ローファンが開発しながらも、しかし歳のせいで使いこなす事が出来なかった究極の武技。ガゼフ・ストロノーフが持つ最強にして最大の切り札。ただ一つの武技を発動させるだけの、ブレインの複合武技<虎落笛>とは違う単一(シンプル)な一撃。

 

 ゼロがあり得ざる速度で踏み込んだと同時に、ガゼフもまたあり得ざる速度で踏み込んだ。剣を大上段に振り上げる。

 

「――――!」

 

 互いの叫び声が、その狭い室内に木霊した――。

 

 

 

 ――劣勢になる事を、“不死王”デイバーノックと“千殺”マルムヴィストは最初から分かっていた。そして同じ魔法詠唱者(マジック・キャスター)として自分と相手の差がどれほど開いているのか片鱗だけでも感じ取っていたデイバーノックにとっては、マルムヴィストより精神的負担が大きかっただろう。

 

「〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

 余裕に満ちた仕草で、白い仮面の男は彼らに指先を向ける。唱えた魔法は第一位階魔法の<魔法の矢(マジック・アロー)>。生み出された光球の数は十。

 

「〈火球(ファイヤーボール)〉」

 

 それを、第三位階魔法の〈火球(ファイヤーボール)〉の壁で防ぐ。同じ第一位階の魔法で防ぐ事はしない。そんな悠長な真似は、デイバーノックには出来なかった。

 爆発が光球を飲み込み、しかし幾つか相殺しきれなかった光球がこちらに向かってくる。それをマルムヴィストが切り払う。

 

「――フフ」

 

「グ……!」

 

 魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての力量は、大人と子供ほど離れている。その差を埋めるためには、前衛のマルムヴィストが防御に徹底するしかない。

 

 ……現在、白い仮面の男とデイバーノック、マルムヴィストは部屋を出て廊下へと戦場を移していた。それは、デイバーノックとマルムヴィストが何とかこの白い仮面の男を室内から引き離した、攻防の結果だ。

 

「健気に頑張るものですね、お二方」

 

 白い仮面の男は余裕を崩さない。当然だ。死者の大魔法使い(エルダーリッチ)であるデイバーノックの第三位階魔法を、第一位階魔法で押し切るような凄腕の魔法詠唱者(マジック・キャスター)である。そんな相手の余裕を崩せるとは、二人はとても思えなかった。

 

 数回の魔法攻防でそのような結果を出されたデイバーノックとマルムヴィストは、既に相手が英雄級の人外である事を確信していた。あの五人の中で、もっとも難敵だと。

 唯一の救いは、白い仮面の男には前衛がいない事だろう。仮にあの自分達と同格の気配を放っていた三人の内の一人が前衛としてここにいたならば、二人は既に敗北していただろうから。

 

「仲間を守るために私を室内から引き摺り出すとは――犯罪者のくせに仲間意識が強いですね」

 

「――――」

 

 口調には皮肉めいた声色が含まれている。当然だ。デイバーノックもマルムヴィストも、好きで他の四人を守ったわけではない。

 ただ単純な図式として――二人では確実な勝利は望めないと悟っていたためだ。もう一人、ゼロのような前衛がいる、と。

 

 だが、白い仮面の男の魔法を防ぐだけで手一杯の二人では、あの場でこの男が広範囲攻撃を行った場合他の四人を守れない。故に何とか、混雑していた室内から誰もいない廊下に誘き出したに過ぎない。白い仮面の男にとっても、そのような企みは一目瞭然であっただろう。

 しかし白い仮面の男は、そんな彼らの企みに付き合った。

 

 それは、圧倒的強者であるが故の傲慢。児戯に付き合ってやろうという余裕に過ぎない。

 

「では、行きますよ。〈魔法の矢(マジック・アロー)〉」

 

「舐めるな! 〈火球(ファイヤーボール)〉」

 

 互いの魔法がぶつかり合う。幾つかの光球が爆発で消え、しかし残った光球が二人に殺到する。威力が減衰したそれを、マルムヴィストが切り払う。

 

「…………」

 

 先程から、この繰り返しだ。挙句、一向に誰もこちらに手助けに来る気配が無い。苦戦しているのか――。

 

(やるしかないか――!)

 

 マルムヴィストはそう覚悟を決め、デイバーノックに叫ぶ。

 

「行くぞデイバーノック!」

 

「仕方あるまい――」

 

 頭数が増えればもっと安定して戦えるだろうが、代わりに白い仮面の男は警戒し、隙が無くなっていくだろう。つまり、仲間と合流してもしなくても、どちらにもメリットとデメリットが存在していた。

 ならば、相手が油断している内に仕留める――二人はそう覚悟を決めた。

 

 掠り傷……ただ、一つ掠り傷を負わせるだけでいい。それだけで勝負は決するのだから。

 

 “不死王”デイバーノック。その二つ名は当然、彼が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)というアンデッドである事でついた名である。

 しかし“千殺”マルムヴィスト――彼の二つ名の由来は、その攻撃手段にあった。

 

 毒、である。

 

 マルムヴィストは毒使い――彼の持つレイピアには致死の猛毒が塗られているのだ。

 それは、対策を講じていなければガゼフだろうと、ブレインだろうと倒せる凶悪さ。つまりは掠り傷さえ負わせれば勝てるという、ある種反則染みた強さだった。

 

「〈雷撃(ライトニング)〉」

 

 初めて、デイバーノックが防御ではなく攻撃に出た。デイバーノックの指先から白い雷撃が白い仮面の男に向かって突き進む。

 それを――

 

「〈魔法最弱化(ミニマイズマジック)雷撃(ライトニング)〉」

 

 白い仮面の男は、自分の第三位階魔法で狙撃する、という形で相殺した。

 

(馬鹿な――!?)

 

 そんなあり得ないものを目撃したマルムヴィストは驚愕で足を止めそうになる。

 先程まで白い仮面の男は第一位階魔法でデイバーノックの第三位階魔法を突破していた。それを、同じ第三位階魔法を使用したというのに相殺という結果になったという事は、白い仮面の男がわざと威力を弱体化させ、狙撃したという事に他ならない。

 ――それは、もはや神業と言ってもよかった。その現実を前に、マルムヴィストは心底恐怖する。

 

 だが、全てはもう始まったのだ。ならばその目的に向かって突き進むのみ。

 マルムヴィストはデイバーノックが作った隙の間に、幾つも武技を発動させ、白い仮面の男に向かって接近し、その手に持ったレイピアを突き出した。周囲の肉を抉りながら中へと食い込んでいく魔法と、掠り傷でも深手に変える魔法が付加された、彼の主武装を。

 

(殺った――――!)

 

 マルムヴィストは勝利を確信した。相手は反応出来ていない。所詮は魔法詠唱者(マジック・キャスター)、前衛がいない状態で接近されれば無力な存在でしかない。

 

「――――」

 

 その、何もしない、という行動にゾワリと背筋が震える。

 

 相手は英雄級。何故、何もしない?

 

 そんな思考が脳裏を過ぎったが、しかしマルムヴィストは突き進んだ。どの道、こうして相手が自分達を侮ってくれている方が都合がよく、一度しくじればそういった奇襲攻撃は二度と通じない。何故なら、奇襲とは意識の隙間を縫う攻撃だ。二度目からは警戒される。

 

 故に、マルムヴィストはそのまま突き進んだ。そしてそのまま、何事もなくレイピアが白い仮面の男の胴体を貫く。

 

「――――」

 

 殺った。殺った。殺った。殺った――――はずなのに。

 

 何だ、この感触は(・・ ・・・・・)

 

「――ば、馬鹿な」

 

 無い。無い。無い。肉を貫く感触が。あのブチブチと肉と脂肪と筋肉と内臓を貫く、素晴らしい感触が――

 

「何故!? 肉の感触が無いんだ!?」

 

 これでは、まるで空洞だ。その、あり得ない感触にマルムヴィストは驚愕する。

 

「グ――ッ!」

 

 ガシリ、と首を掴まれた。そのままミシミシと首を絞められながら、体を持ち上げられる。その顔を、白い仮面の男が覗き込む。

 

「こ、この――」

 

 暴れる。しかし、こうして蹴ったり首を掴んでいる腕を引き離そうとしたりして、更に驚愕した。外れない。

 

(ば、馬鹿な――俺より筋力が上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと……!?)

 

 そんなあり得ない存在を前に、マルムヴィストは絶望の瞳で白い仮面の男を見る。そして――

 

「〈火球(ファイヤーボール)〉」

 

 その隙に、デイバーノックがマルムヴィストを見捨てて魔法を唱えた。しかし、結果としてマルムヴィストがその魔法で死ぬ事は無かった。炎の球体が迫り、それが白い仮面の男に接触する寸前――魔法がこの世から消失したのだから。

 

「は?」

 

 デイバーノックの間抜けな声をマルムヴィストは聞く。それを無視して、白い仮面の男はマルムヴィストを見る。

 

「申し訳ない。君の武器は通用しなくてね――何せ、ほら。この通り骨ですので」

 

 片手でローブの首元が少し引っ張られ、中身が顕わになる。そこにあったのは、白――即ち、骨だった。

 

「あ、は――あ?」

 

 その視界に入ったものに驚愕する。意味が分からない。どうして、この男から骨の体が見えるのだろうか――と。

 

 そうして間抜けになった頭で少し考え――ようやく、目の前の白い仮面の男が、そもそも人間ではなかった事に気がついた。

 

「お、おま、お前ぇぇぇぇえええええッ!?」

 

 刺突武器を無効化する人外――それも魔法を使い、理性的な振る舞いが出来る魔物となれば答えは一つしか無かった。アンデッド――それも背後にいる同僚と同じ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)である。

 

「クク――」

 

 白い仮面の男がマルムヴィストをデイバーノックに向かって投げる。それは剛速球であり、後衛のデイバーノックに避ける手段は無い。二人は激突して、廊下を無様に転がった。

 

「感謝しますよ。こうして廊下に出ていただいて――これなら、誤魔化さなくてすみますから」

 

 白い仮面の男はそう呟き、両腕を突き出す。マルムヴィストとデイバーノックはダメージを負いながらも何とか立ち上がろうとして――そこに、白い巨大な龍の咢を見た。

 

「〈集団標的(マス・ターゲティング)〉――」

 

「――〈魔法最強化(マキシマイズマジック)連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)〉」

 

 白い仮面の男の両腕から解き放たれた白い雷光の龍はのたうつように二人を狙い――そのまま二人を呑み込んだ。

 後に残ったのはほぼ残骸と化した廊下と、そこに転がる炭化した焼死体が一体のみである。アンデッドであるデイバーノックは、灰も残らず消滅した。

 

「すまないな――苛々していたもので。少し、やり過ぎたらしい」

 

 白い仮面の男――アインズは、その惨状を見ながらゆっくりと呟いた。

 

 

 

 

 

 

「で――全員片付いたようだな」

 

 最初の部屋に、それぞれが集まる。壁を破壊して隣の部屋に行っていたガゼフはぐったりした男を一人連れて、再び部屋に帰ってきた。

 

「ゼロ、生きてるの?」

 

 ラキュースが心配そうに呟く。ゼロは『八本指』の警備部門の長――そのため、必ず生かして捕まえなければならなかった。いざという時は、ラキュースが復活魔法を使用する事になっている。

 

「大丈夫だ。しっかり生きている。さすが、俺達と同格と言われるだけはあるな」

 

 ガゼフの言葉に全員ゼロの顔を覗くと微かに息がある事が分かった。

 

「では、全身をロープで簀巻きにして、死なない内に少しだけ体力を回復させてやりましょう」

 

 アインズの言葉に全員頷いて、ゼロを用意していたロープで括る。そうしている内に、奥の部屋に避難していた『漆黒の剣』が顔を出した。

 

「皆さん――その、今回は本当にありがとうございます! 俺達のために……」

 

 ペテルが頭を下げる。それに、ガゼフが首を横に振って答えた。

 

「気にするな。それよりも、俺達こそ申し訳ない事を――」

 

「い、いえ! 謝らないでください! これだけしてもらえれば充分ですから――」

 

 頭を下げようとしたガゼフをペテルが止める。そんな彼らを見ながら、ラキュースが口を開いた。

 

「それより、貴方達は今の内に王都から出た方がいいわ。これだけ騒げば――『六腕』が全滅した以上、貴方達にかまっていられるような状態じゃないはずだから」

 

「だが、検問はどうする気だ? あそこで止められるんじゃないか?」

 

 ブレインの疑問に、クライムが答える。

 

「それなら大丈夫です。ラナー様から、検問所を通れるように手配しております。この通行書をお受け取りください」

 

 クライムが懐から出した羊皮紙は、ラナーがとある信頼出来る貴族に頼んで用意してもらった物だと言う。しかし、貴族を信じきれない『漆黒の剣』は難色を示した。

 

「その貴族さん、大丈夫なのかよ……?」

 

「分からないわ。ラナーが大丈夫って言うんだから、たぶん大丈夫だと思うんだけど……」

 

「失礼」

 

 そう言って不安がる彼らを横目に、アインズはその羊皮紙をクライムの手から取り、広げて中を確認する。

 

(レエブン侯……)

 

 中には、どこかで聞いた貴族のサインがあった。どこで聞いたのかアインズは考え、それを思い出すとアインズは羊皮紙を『漆黒の剣』に握らせる。

 

「大丈夫でしょう。おそらく、この通行書ならば検問所を通れます」

 

 あの名前は、確かアインズがこの王都に入る時に兵士達が話していた時に出た名前だ。つまり、かなり融通の利く大貴族の名前だろう、とアインズは予測している。

 アインズの言葉なら信じられたのか、『漆黒の剣』は羊皮紙を手に取った。

 

「そうですか? アインズさんが言うなら――その、ありがとうございます、皆さん」

 

「いえ。このような事しか出来ず申し訳ありません」

 

 クライムが頭を下げる。ガゼフも、同時に「申し訳ない」と頭を下げた。

 ――何故なら、最善はそもそもこのような事が無い事なのだ。この王国の兵士である二人は、それに責任を感じているのだろう。

 

 『漆黒の剣』は荷物を全て整えると、再びアインズ達に頭を下げた。

 

「皆さん、ご迷惑をおかけしました。この御恩は一生忘れません」

 

「それじゃあ、お元気で――」

 

 彼らは、今夜この王都を出て行く。そして、数年は王都に近寄らない予定だ。

 『漆黒の剣』の――ニニャの後ろには、フードを深く被って姿を隠し、おどおどとしている女性が立っている。その女性は怯えながらも――しかし、何とか声を出して、アインズ達に礼を言った。

 

「あ、あり……と……」

 

「……勿体ないお言葉を!」

 

 ガゼフとクライムが、その言葉に更に頭を深く下げた。犠牲者からの感謝の言葉は、彼らにとって救いにもなるだろう。

 

 ――そうして、『漆黒の剣』が出て行った部屋で、アインズ達も撤収準備をする。

 

「では、再び私が不可視化の魔法をかけて撤収しますので」

 

「はい。後の処理は任せてください」

 

 この後、不可視化の魔法で姿を隠して彼らは撤収。アインズは姿を隠したままゼロを詰所へと連れて行き放置。そしてその後の処理はクライム達がする事になっている。

 

「それじゃあ、解散ということで!」

 

 ラキュースの言葉で、朝陽が昇る前に全員がこの宿屋を離れた。

 そして次の日の朝――詰所の前に簀巻きにして転がされているゼロが発見される事になる。

 

 

 

 

 




 
ガゼフ「マスク・ザ・レッド!」
ブレイン「マスク・ザ・ブルー!」
アインズ「マスク・ザ・ホワイト!」
ラキュース「マスク・ザ・ダーク!」
クライム「マスク・ザ・イエロー!」
全員「王国市民の平和を守る、市民戦隊マスク・ザ・レンジャーズ!!」背後で爆発エフェクト
※なお、レンジャークラスはいないもよう

イビルアイにフラグが立ったと言ったな。あれは嘘だ。
 

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