モモンガ様ひとり旅《完結》   作:日々あとむ

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ギャグ? ねぇよんなもん。
 


三:黄昏の王国
幕開け


 

 

 ――その日、王都リ・エスティーゼでは雨が降っていた。

 

 ガゼフは濡れる外套(クローク)を鬱陶しく思いながらも、同じような恰好をした数人とすれ違いながら黙々と道を歩く。自宅への道を。

 そしてその途中で、雨に濡れた、心がへし折れた一匹の負け犬に出遭った。

 

「アングラウス……」

 

 小道で雨に濡れるがままにされ、人形が投げ出されたように座り込んでいる、精気の抜けた顔。男……ブレイン・アングラウスはガゼフだと気づいていないのか、真正面からわざわざ顔を確認しに来た男を鬱陶しく思ったらしく、よろよろと立ち上がって気だるげに、とぼとぼと歩き出した。

 雨の中小さくなろうとする背中に、ガゼフは走り寄って叫ぶ。

 

「ブレイン・アングラウス!」

 

「…………ストロノーフか」

 

 そこで、初めてブレインはガゼフに気づいたのか。小さな、気迫の無い声がガゼフの耳に届いた。

 

「な、なにがあった?」

 

 とてもかつて見たライバルと同一人物とは思えないその有り様に愕然として、ガゼフはつい問いかける。

 ガゼフは知っている。一度の失敗で転がり落ちるような、楽な方へと逃げてしまう人間がいる事を。

 だが、ガゼフの知るブレインはそうした者達とは無縁の生き物だったはずだ。ブレインならば、その失敗を糧にしてすぐに立ち上がり、より高みを目指して飛びたとうとするだろう。

 そう思っていたはずなのに――

 

「……折れたんだ」

 

 ぽつりと呟かれた覇気の無い言葉に更に愕然とする。つい、心の中にある結論を否定したくて、ブレインが幼子のようにしっかりと持っている刀を見る。だが、それには刃こぼれ一つ存在しなかった。

 

「なあ、俺達は強いのか?」

 

「――――」

 

 その問いに対する答えを、ガゼフは口に出来なかった。

 思い出すのはカルネ村の事だ。そこにいた謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)、アインズ・ウール・ゴウン。彼がいなければガゼフは、部下は、村人達もまた諸共に死んでいただろう。王国最強と言われようと所詮その程度なのだ。

 強いなどと胸など張れない。けれど、それを口にするのは憚られる。何故ならそれは――

 

「俺達は弱いよ。所詮、人間なんだ。俺達なんて、ただのゴミだ。劣等種族たる人間なんだよ」

 

「分からないな、アングラウス。戦士ならばそんなこと、誰でも知っていることではないか」

 

 そうだ、人間は弱い。

 周辺国家最強などと謳われていようと、ガゼフは自分が最強だとは思わない。例えば法国はガゼフより強い戦士を隠している可能性があったし、それに人間であるガゼフより異形種や亜人種達の方が基礎スペックは上だろう。同じ技術力ならば、きっとガゼフは勝てない。

 

 本当の最強。本物の無敵なんて存在しない。高みは目に見えないだけで、はっきりと存在する。ガゼフはそれを知っていた。

 だが――ブレインは、ブレインはそれを理解していなかったのだろうか。どんな戦士だって知っている、当たり前の事を。

 

「高みはある。だからこそ……勝つために努力するのではないか?」

 

 いつかは、その高みに届くと信じて。

 例え、それが淡い夢だとしても。

 いつかは墜落する、断崖の果てからの飛翔なのだとしても。

 

 だが、ブレインの返答は血を吐くような絶叫だった。

 

「違う! そういうレベルじゃないんだ!! ……本当の高みには、努力したって無駄なんだ。決して手なんか届かないんだよ。それが人間という種族の限界だ。最初から、勝ち目なんてあるはず無かったんだ……!」

 

「なあ、ストロノーフ。お前も剣に自信があるだろう? でも、それはゴミなんだ。お前はゴミを手にして、人を守った気になっているだけなんだよ!!」

 

 感情が抜け落ちたような静かな表情で、けれど人を殺せるような気迫でもってブレインは告げる。

 

「それほどの高みを、見たのか?」

 

「見た。知った。知ってしまった。人間という種族の限界を。……スタート地点が違うんだ。俺達は初めから、周回遅れなんだよストロノーフ。どんなにその背中を追いかけても、手が届いたと思っても、それは幻影だ。決して手なんか届きっこないんだよ……」

 

 もはや、ガゼフは何も言えなかった。

 心に傷を負った人間を救う手立てはない。他人には何も出来ない。彼らを救う事が出来るのは、いつだって自分自身だからだ。

 自分の力で立ち上がれないかぎり、彼らは永遠に立ち上がれない。

 

「……最後に、お前と出会えてよかった。――――これで、ようやく死ねる」

 

 もはや声をかける気力さえ失いかけていたガゼフは、しかし背を向け歩き出したブレインが呟いた小さな声に慌てて追いかけて肩を掴む。

 

「何をする」

 

「俺の家に行く」

 

「止めてくれ。助けようとしないでくれ。俺は死にたい……。あんな気持ちは、もうまっぴらだ。気にも止められない。路傍に転がる石程度の認識しか持たれない。奴らのような生き物にとっては、所詮俺などその程度だと、そんな現実は見たくない……。分かるか、ガゼフ。食物連鎖だ……俺達人間の抵抗なんて、奴らにとっては俺達が子供の頃、石の裏で見つけた小さな虫達の食物連鎖でしか無いんだ」

 

 その閉じた食物連鎖に意味は無い、と――そう呟くブレインの声を、しかしガゼフは苛立ち交じりな声で掻き消した。

 

「黙れ、ついてこい。服を着替えて、飯を食ったら、すぐに寝ろ」

 

 そうして腕を掴んで引っ張って歩く。どかどかと歩くガゼフの耳に、小さなブレインの呟きが聞こえた。

 

「――俺達は、ただの虫けらだ。服に皺をつけることさえ出来やしない」

 

 

 

 

 

 

「ふむふむ。だいぶ地図も埋まってきたな……」

 

 アインズは丸まって寝ているハムスケの横で、地面に座ってしげしげと自らの地図を眺める。今は夜だが、しかしアインズの視界は昼のように明るい。種族的特徴で、夜の闇はアインズにとって無いに等しいからだ。

 そしてアインズが自分の膝の上に広げている地図は、かつてエ・ランテルで買った物だ。現在はアインズがその地方で出現するモンスター、トブの大森林の地形の詳細などを書き込んでいるため、最初の白紙のような綺麗さがなくなってかなりごちゃごちゃしている。

 

 だが、冒険者や商人はその地図を見れば心底それを欲しがるだろう。当たり前である。彼らにとってより正確な情報は命と等価値なのだ。自分達の持つ不確かなものなどより、実際に見聞きして確認が取れている情報など、場合によっては金貨を数百枚出してでも買い取る人間がいるだろう。

 特にトブの大森林については詳しく書き込まれており、今までの人類未開の地、というのが嘘のような情報量だ。スレイン法国を除いて、人類は未だトブの大森林に湖がある事も、その湖に生息するモンスターも、そしてリュラリュースなどのナーガの事なども知らないし、その難度も知らない。

 アインズの地図には、そういった情報がびっしりと書き込まれている。

 

「トブの大森林はもういいな。カッツェ平野も特に何も無かったし……スレイン法国は、もうちょっと情報を集めてから寄りたいな」

 

 帝国は論外、とそして口の中で呟く。少なくとも、あのフールーダという魔法詠唱者(マジック・キャスター)が死なないかぎりは行かないようにしよう、と思う程度にはアインズの中でトラウマとなっていた。ノーマル性的嗜好な男に、アブノーマル性的嗜好な男との絡みなど辛いのである。

 

「他にこの地図で分かるのは……あとは竜王国と聖王国くらいか」

 

 アインズの持つ地図では、その二つしか確認出来ない。これは王国で手に入れた地図であり、そして普通人間の地図は人間が住む場所しか必要としないためだ。アインズもまた、この異世界に詳しく無いため、他にどのような国があるのか知らなかった。

 ……実はトブの大森林の地下にはゴブリンの帝国があったし、アゼルリシア山脈には帝国と貿易しているドワーフの国がある。他にも人間の住まない亜人種や異形種の国があったが、アインズには確認出来なかった。

 

 勿論、アインズはそういった国が存在するだろう事は気がついている。だが、まずは地図で分かる場所を訪れてみようと思っているのだ。まずは手軽なところから、堅実に。

 …………自らのビルドには浪漫を求めるくせに、こういうところは小心なアインズであった。

 

「とりあえず、今度はどこに行くかな……」

 

 竜王国か聖王国か。アインズは地図を見ながらうんうんと唸る。そうしていると、ハムスケが耳と鼻をぴくぴくと動かし、目を覚ました。

 

「どうした、ハムスケ」

 

 暢気に眠っていたハムスケが起きたのを見て、アインズは訊ねる。ハムスケがこうやって起きる時は、何かの気配を察した時だ。ハムスケは寝ぼけた頭を少し振って目を覚ますと、アインズに告げた。

 

「殿、血の臭いがするでござる」

 

「うん?」

 

 アインズは周囲を窺うが、特に何も感じない。という事は、少し遠い場所なのだろう。

 

「あと、何だか煙の臭いもするでござるよ」

 

「ふむ……」

 

 地図を見る。現在、アインズ達がいる場所はトブの大森林を抜け出た王国領土の草原だ。どちらか片方だけしか感じないならば、特に何も思わないが――血と煙の臭い、だとすると話は別だ。厄介事の気配しかしない。

 

「とりあえず、見に行ってみるか」

 

 見物をしに、アインズは立ち上がる。ハムスケも身を起こし、アインズが背に乗るのを待った。アインズは地図やペンをしまうと、ハムスケの背に乗る。

 

「よし、案内しろハムスケ。ただ、気づかれないように静かにな」

 

「はいでござる、殿」

 

 そしてハムスケの案内で、アインズは道を進む。少しすると、どうやら人が住んでいる村落があった。それも明かりがたくさん灯っているのか、丘の上からだと中がよく見える。

 

「…………?」

 

 しかし、アインズはそれを不思議に思う。思い出すのはカルネ村だ。カルネ村の復興を手伝った身であるが故に気づいたが、その村はおかしいのだ。

 

 何故か、囲いの外ではなく中に畑を作っている。

 

 それがアインズにとって疑問であった。勿論、アインズが知らぬだけでそういう畑の育て方をする村もあるのかも知れないが。

 だが、アインズがもっとも瞠目したのはそんな村の違和感などでは無い。

 

「火事か……? いや、違うな」

 

 村は燃えている。いや、燃やされている、というのが正しい。村人らしき者達は必死に燃え盛る炎を消そうと、燃えている場所に集まり躍起になっているが、いくら水をかけても消えないのだ。つまり、何か特殊な方法で燃やされているのだろう。

 

「殿、あそこの他にも煙が燻っているところがあると思うでござる。ちょっと嫌な臭いだらけでよく分からぬでござるが」

 

「ふん」

 

 つまり、何者かがこの村を焼き払おうとしているという事だ。それに微かな不快感を持つ。村人達の必死さに、何となくカルネ村を思い出した。同時に、たっち・みーの事も思い出す。こうして焼き払われる村を見て、彼はどう思うだろうか。

 決まっている。

 

「…………とりあえず、他の火種は鎮火させてもらおう」

 

 アイテムボックスから巻物(スクロール)職業(クラス)を騙すためのアイテムを取り出す。巻物(スクロール)の中に込められている魔法は、当然〈天候操作(コントロール・ウェザー)〉である。アインズの手の中で、使用と共に羊皮紙とアイテムが燃えるように消えていく。

 上空でゴロゴロと音が鳴り、落雷の音と共に大雨が降り出した。

 

「……これで既に発火したもの以外は消えるだろう」

 

 消えない炎というものはあるが、基本それは炎だけだ。こうして完全に着火する前の火種の内に消してしまえば、そもそも発火しない事がある。これでも発火する時は何らかの特殊なアイテムか、あるいは魔法詠唱者(マジック・キャスター)が魔法で火を消すしかない。

 

「ハムスケ、他に何か分かるか」

 

「むむむ……よく分からないでござる。何だか、嫌な臭いが漂ってよく分からないのでござるよ……」

 

 ハムスケは鼻をひくひくと動かし、そして顔を顰めている。

 

(動物は煙の臭いが嫌いだって言うけど、それかな?)

 

 そんなハムスケの様子にアインズは、ハムスケは遠くで待機させた方がいいと判断し、指示を出す。

 

「仕方ない。ハムスケ、お前は少し遠くで待機しておけ。俺は少し村の様子を見てくる」

 

「申し訳ないでござるよ、殿……」

 

 ハムスケはアインズの傍を離れ、村から遠ざかっていく。その間も嫌そうに鼻を顰めたままだった。

 

「行くか」

 

 その様子を確認して、アインズは自らに〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉を使用すると、転移魔法で村の中へと入っていった。

 

 ――そしてアインズが村を見て回ると、村人達はほっとした顔で空を見上げている。それも当然だろう。火事が起きている中、雨が降ったのでこれで終わると安心しているらしい。

 

(さて、とりあえず燃えている現場を見に行くか)

 

 アインズは村の中を平然と歩く。彼らにはアインズの姿は見えないのだ。〈完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)〉は第九位階魔法の、最高位の不可視化魔法である。これを見破れる者は、この異世界ではほとんど存在しないだろう。アインズが見破られると確信している相手は、今のところ魔樹のザイトルクワエか、白金の騎士ツアーだけである。

 そして、ザイトルクワエは既に滅ぼしたし、ツアーがここにいるとは思わない。

 

(ここだな。魔法で消してやるか)

 

 唯一炎が燃え盛っている場所に移動し、アインズは手を翳す。しかしその前にふと、アインズは燃えている物が気になった。

 植物である。

 

「…………」

 

 アインズはじっと眺める。アインズに気づいていないが、周囲の村人達はその植物が燃えているのをこの世の終わりのように眺めていた。それもアインズは気になった。具体的に言うと、蒐集家(コレクター)魂に火が点いた、とも言う。

 

(ちょっと調べてみるか。〈道具鑑定(アプレーザル・マジックアイテム)〉)

 

 魔法で効果を調べる。そして――――アインズは、盛大に無い顔を顰めた。

 

(なんだこれは)

 

 効果は、一言で表すと麻薬だった。多幸感、陶酔感に恐ろしいほどの中毒性と副作用。これが麻薬でなくてなんだと言うのか。

 

(こんなものをこの村は栽培しているのか?)

 

 そこにはっきりとした嫌悪を覚えた。アインズの――鈴木悟が住んでいた現実にも、こういった麻薬はあった。いや、流行っていたと言うべきだろう。厳しい現実には、例えそれが後に破滅する未来だろうと夢が必要なのだ。アインズはそうした物に興味を持った事はないし、否定していた。

 

 それが、そうした唾棄すべき物が、今目の前で栽培されている。

 

「…………」

 

 アインズは、その時点でこの村を助ける、という行為を取り止めた。村人達は自分達が育てている物を知っているのだろうか。いや、例え知らなくてももはやアインズには助けようと思わない。この村は、ここで育てられている植物は全て燃え尽きるべき物である。

 

(失敗したな)

 

 空を眺める。雨が降っていた。自分が降らした雨だ。おそらく村を焼こうとした下手人は慌てている事だろう。今となっては申し訳ない事をした。

 

(とりあえず、魔法の効果が切れる。人目につかない場所に移動するか)

 

 そこでもう一度天気を変えよう。さすがに今回は自分が悪い。アインズは身を翻し、魔法の効果が切れる前に空間転移でこの場を去った。

 

「……やれやれ」

 

 村の外に転移したアインズは、溜息をつくと同時に魔法の効果が切れた事に気づく。そして村から離れるように移動し、アイテムボックスから巻物(スクロール)を取り出そうとしながら足元にある石などの障害物を避け――――

 

 

 

 目が、あった。

 

 

 

 

 

 

「くそッ! ふざけるなよ……雨だと!?」

 

 王国のアダマンタイト級冒険者――『蒼の薔薇』の一人である魔法詠唱者(マジック・キャスター)のイビルアイは、空を見上げて唸った。

 先程まで見えていた星は全て姿を消し、今はただそこから雨が地上へと降り注いでいる。

 

 『蒼の薔薇』がこんな村にいるのは、依頼ではあるが、冒険者組合からの依頼というわけではない。これはチームリーダーである神官戦士のラキュースの友人であるこの国の王女……黄金のラナーから受けた、私用の極秘依頼である。

 本来、こんなものは受けるべきでは無いのだが事情が違った。彼女達には、どうしてもこの依頼を受ける必要があるのである。

 彼女達が受けた依頼は――麻薬密売組織の一端である、麻薬栽培を行っている村の焼き討ちだった。

 

 現在、王国ではライラの粉末(あるいは黒粉)と呼ばれる麻薬が流行っている。多幸感と陶酔感に簡単に酔う事ができ、副作用は無いが軽い中毒性があると信じられている、王国でもっとも広まっている麻薬。

 そんなわけがない。事実は効能に応じて、当然副作用として高い中毒性があった。

 だが見た目では禁断症状が弱く、そのくせバッドトリップしても暴れたりしないため、危険性があまり浸透していないのだ。そのせいか、王国の上層部に黙認され、それどころか帝国に「裏産業にでもしているのか?」というクレームがつくほどになってしまった。

 

 そして王国に拠点を置く彼女達は――特に、貴族の一人でもあるラキュースとしては、ラナーに協力してこの問題をどうにかしなければならなかったのだ。

 

 だが、今こうして村の畑に火を点けたというのに、雨が降ってきてしまっている。

 

「とっても不幸」

 

「どうする?」

 

 双子の忍者――ティナとティアがイビルアイに訊ねる。だが、イビルアイはその唸るような声色のまま断言した。

 

「これはただの天気の変わり目ではない! ……誰かが雨雲を呼び寄せたんだ!」

 

 イビルアイには分かる。確かに周囲に雨雲は存在していた。今の季節、王国ではよく雨が降るのだ。雨雲が周囲にあるのは不思議ではない。

 だが、風の動きから雨雲はこの村にかかるはずがなかった。それがこうして村を覆ったという事は、誰か第四位階魔法を使って雲を操作したのだ。

 

 つまり……近くに第四位階魔法の使い手か、あるいはその巻物(スクロール)を持つ者がいる。

 

 ティアとティナもその危険性に気づいたのか、全身を覆う黒い布から見える目元が引き締まった。

 

「二人を〈伝言(メッセージ)〉で呼ぶ。少し待て。お前達は周囲を警戒しろ」

 

「わかった」

 

 イビルアイは〈伝言(メッセージ)〉で村の正面と裏手で待機していたラキュースと前衛戦士のガガーランを呼び寄せる。すぐに向かう、と返事がきた。

 

「さて……これからどうするか……」

 

 考える。十中八九、この魔法詠唱者(マジック・キャスター)は〈伝言(メッセージ)〉を使えるだろう。〈伝言(メッセージ)〉は魔法詠唱者(マジック・キャスター)ならば基本使用する事が出来る魔法である。

 だが、巻物(スクロール)であった場合、相手の職業(クラス)は盗賊かもしれない。盗賊は本来それに連なる系統の魔法の使い手しか使用出来ない巻物(スクロール)を、騙す事が可能なのだ。しかし魔法詠唱者(マジック・キャスター)ではないため、使える魔法に限りがある。

 

(いや、それでも〈伝言(メッセージ)〉の巻物(スクロール)くらい持ってきているか)

 

 つまり、任務は失敗だ。確実に、他の村にもバレている。

 

「くそっ!」

 

 苛立たしくなり、呟く。そこでトントン、と肩を叩く人物がいた。ティナだ。

 

「どうした?」

 

「誰かいる。見えないと思うけど、隠れた方がいい」

 

「――――わかった」

 

 ティアとティナはそう言うと、周囲の物陰に隠れた。イビルアイは不可視化の魔法を発動させる。少しして、雨の中を歩く物音が聞こえる。イビルアイの夜も昼のように見通す瞳に、その姿が映った。

 

「――――」

 

 それは、仮面をつけ、漆黒のローブを纏った見るからに魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき人物だ。体躯から、おそらく性別は男だろう。

 

(いや、男とはかぎらないか。ガガーランの例もあるしな)

 

 自らと同じチームに所属する戦士を思い出す。体格的に、どう見ても男にしか見えない女丈夫を。

 その魔法詠唱者(マジック・キャスター)は〈闇視(ダークヴィジョン)〉を発動させているのか、足元に転がっている石をこの闇の中正確に避けている。

 

(なんだ、アイツは)

 

 イビルアイは困惑する。あれだけ目立つのに、どうも気配が希薄なのだ。しかし、すぐに理由に思い当たった。おそらく、探知阻害の魔法かマジックアイテムを使っているのだろう。イビルアイも使っている物だ。

 

(こいつが犯人か)

 

 そして、この怪しい魔法詠唱者(マジック・キャスター)に当たりをつける。それに、聞いた事があった。王国の裏を牛耳る犯罪組織『八本指』――その警備部門である『六腕』と呼ばれる者達の中に、一人魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいたのを。

 

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)――“不死王”デイバーノック。

 

(どうやって巻物(スクロール)を騙したんだか……待てよ? アンデッドの魔法詠唱者(マジック・キャスター)だと!? まずい!)

 

 一部の種族には常時発動型特殊技術(パッシブスキル)――種族的特徴とも言われるものがある。本来ならば鍛えなければ得られない特殊技術(スキル)を初めから種族として得ているモノ。例えばアンデッドならば夜を昼のように見通せる魔法〈闇視(ダークヴィジョン)〉が魔力を用いずとも常に発動している。

 更に魔法詠唱者(マジック・キャスター)は能力を高めていけば、魔法による不可視化を見破る事も可能だ。そして死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は軽々と第三位階魔法を使用出来るという事実。

 

 それに気づいてそっと物陰に隠れようとした瞬間――イビルアイは、目が合った(・・・・・)

 

「――――ッ!」

 

「これは、これは……」

 

 仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はイビルアイの姿を見咎めると、平坦な声で驚いた様子を見せる。

 その姿があまりにチグハグで、驚いたような口調のくせに、声は異常なほど冷静そのものだった。

 

 その姿が恐ろしい。

 その姿が、あまりに奇怪だ。

 何故か知らないが、動かない(・・・・)心臓を鷲掴みにされたような緊張感を覚える。

 

(馬鹿な!)

 

 その怖気づいた心を振り払う。自分がたかが死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ごときに怯える必要などあるものか。

 それに――――大物である。正直な話、ここでこの魔法詠唱者(マジック・キャスター)を捕らえる事が出来れば、王国の裏社会に蔓延する膿を取り除けるほどの。

 

(ならば――!)

 

 殺気立ってきたイビルアイに気づいたのか、魔法詠唱者(マジック・キャスター)は漆黒と純白の奇妙なガントレットに覆われた腕を突き出し、イビルアイを押し留めようとする。

 

「あー……失礼。私はただの通りすがりなのですが……」

 

「貴様のような怪しい通りすがりがいるかッ!! 〈砂の領域(サンド・フィールド)対個(ワン)〉」

 

 まずは動きを止めるための魔法を発動させ、相手の機動性を殺し、動けなくしようとする。魔法詠唱者(マジック・キャスター)はどこか呆れたような気配を漂わせ、先程まで突き出していた両腕を組んで余裕綽々にその場に立っていた。

 

「…………ッ!」

 

 魔法を発動させたというのに、その気品さえ溢れる余裕ある態度から、イビルアイは初手をしくじった事を悟った。

 

 地面から砂が浮き上がり、相手の体に巻きつこうと蠢く。そしてイビルアイの予感通り――いや、予想外に、それは魔法詠唱者(マジック・キャスター)に巻きつく寸前、最初から何も無かったように消失した。

 

「――は?」

 

 その目の前の光景に、一瞬だが頭が呆然となる。イビルアイの予想とは違った光景だったからだ。

 イビルアイは何もせずに余裕で立っている態度から、おそらく行動阻害に対する完全耐性を相手が持っているのだと予想した。しかし、それに対する返答は魔法の消失である。

 そして、魔法は実力差があればあるほど無効化されやすい。

 

「……!」

 

 以上の状況からイビルアイは、目の前の魔法詠唱者(マジック・キャスター)はイビルアイと実力差が開いた、完全な化け物であると悟った。

 

 喧嘩を売るべきでは無い相手に、喧嘩を売った。

 

 それに気づいたイビルアイは、一気に血の気が引く。

 

(ま、まずい……!)

 

「逃げろお前達!!」

 

 絶叫を上げる。先程の光景はティナとティアも見ていたはずだ。

 『蒼の薔薇』で一番強いメンバーはイビルアイであり、その難度は一五〇を超える。はっきり言って、他の『蒼の薔薇』のメンバー四人を纏めて相手にしても、イビルアイは負けない自信がある。

 

 そのイビルアイの魔法が、相手に無効化された。

 

 つまりこの目の前の化け物は、『蒼の薔薇』を殺し尽せるイビルアイさえ容易く殺せる化け物である。

 

「…………」

 

 ティナとティアが二手に分かれて去っていくのを気配で察する。おそらく、帰り道でラキュースとガガーランを拾って現状を伝える予定なのだろう。それでいい。ここでこの化け物と立ち向かったところで、死体が五つになるだけだ。だから、イビルアイは見捨てていくべきである。

 ただ――それでも一瞬だけ、彼女達は逡巡した。イビルアイを見捨てる事を躊躇した。

 だから、それでいいのだ。イビルアイはそれだけで、救われるから。

 

「…………」

 

 目の前の化け物は何もしない。ただ、沈黙してイビルアイを見つめるだけだ。強者の驕りなのか、何故かは分からない。それがとても助かった。

 

(時間を、稼ぐ)

 

 これに喧嘩を売ったのは自分だ。だから、自分が始末をつける。仲間達が逃げ切れるだけの時間を稼いで、その後に転移魔法で離脱する。

 イビルアイが生き残る手段は、それしか無い。

 覚悟を決めた。

 

「――失礼」

 

 そしてイビルアイが覚悟を決めて、勝てない怪物に挑もうとしたその瞬間。その怪物が酷く理性的な声色で声をかけてくる。出鼻を挫かれて一瞬不快になるが、しかし格上の相手が戦いではなく言葉で、しかも時間稼ぎに付き合ってくれるという状況に幸運を感じて行動を改める。

 

 イビルアイが動きを止めたのを見てから、化け物はもう一度念を押すように告げた。

 

「私は通りすがりの魔法詠唱者(マジック・キャスター)なのですが――」

 

「え?」

 

 最初に言われたふざけた言葉をもう一度告げられ、イビルアイは困惑する。何を言っているのだ、こいつは。

 

「貴方達と戦う意思は全く無いのですが――それでも、やりますか?」

 

 相手から心底困ったというような声色で告げられた言葉に、イビルアイは徐々に理解が追いついてくる。

 

 何もしない相手。時間稼ぎに付き合ってくれる現状。嘘などついてなさそうな、困惑気味の気配。嘘をつく必要が無いほど開いた実力差。先程までの自分の態度。

 

「いえ、まあ……この天気については申し訳ない。村が焼き討ちされていたのでつい助けましたが……まさかあのような植物を栽培している村だったとは。貴方達の仕事を邪魔してしまったようで……」

 

「う……う……」

 

 仮面の下で、赤面するほどの羞恥心がこみ上げてくる。自分の今の現状を、客観的に理解した。

 つまり相手は正真正銘の通りすがりで。村が焼かれているのを見て義憤で助けようとして。後で気づいたので誤解を解こうとして。最初から最後まで冷静に、理性的に話し合おうとして――。

 それに問答無用で襲いかかった、頭の足りない自分。

 

「う、うわああああああぁぁぁぁぁ!!」

 

 イビルアイは恥ずかしさのあまり、絶叫した。

 

 

 

 

 

 

「おぉ、お帰りなさいでござるよ、殿!」

 

「ああ……」

 

 ハムスケは体調が戻ったのか(どうも鼻が嫌だったのは、今となってはあの麻薬の原料である植物が出す煙のせいだったのだろう)、元気に帰ってきたアインズに声をかける。アインズはそれに気の抜けた返事をした。

 

 ――あの後。イビルアイと名乗った小柄な女はアインズに何度も頭を下げ、謝り倒し、急いでいるのか大慌てで転移魔法を使って去っていった。

 アインズとしては何か勘違いされていたようだが、勘違いされても仕方のない事だと思うので、特に気にしていない。

 

「しかし……」

 

 アインズは村を見る。既に雨は止んでいるが、畑ははっきり言って無事だ。最初に燃えていた場所しか燃えていない。イビルアイはよほど慌てていたのか、何もせずに去って行ってしまった。

 

「……仕方ない」

 

 後で、自分が燃やしておこう。正直、その後何か問題が起きて自分が犯人だと何だと言われそうなのだが、その程度の問題は引き受けてしまうか、という気になっていた。

 

「殿、今度はどこに行くでござるか?」

 

 ハムスケが訊ねてくる。それにアインズは少し考えて――ふと、ガゼフの事を思い出した。そういえば、カルネ村で今度訪ねに行く、と言っていたなと。

 

「そうだな……王都にでも行くか」

 

 久々に、あの勇者の顔を見たくなった。

 

 

 

 

 

 

 ――そこは、まぎれもない地獄だった。

 

「シャルティア様、皮を剥ぎ取り終わりました」

 

 乳白色の気味の悪いモンスター……トーチャーが、天幕の中で休む主人に伝える。主人――ナザリック地下大墳墓の第一から第三階層守護者であるシャルティア・ブラッドフォールンは、トーチャーの報告を聞くと満足気に頷いた。

 

「よろしい。では、次の工程に入っておくんなまし」

 

「かしこまりました」

 

 トーチャーが頭を下げると、シャルティアのいた天幕から外へと出ていく。シャルティアはそんな彼の後ろ姿を確認する事もなく、自らの爪をやすりで綺麗に整える。

 

 ここはアベリオン丘陵と呼ばれる場所で、シャルティアはここでデミウルゴスから受けた命令を実行していた。

 それは、“羊”の皮の加工である。

 

 ――ナザリック地下大墳墓が摩訶不思議な異常に巻き込まれて、最初に行ったのが情報収集だ。

 セバスやソリュシャン、ナーベラルなどの人間と見分けがつかない者達は人間社会で情報収集するように言われ、前者は王国へ、後者は帝国へ向かった。

 アウラとマーレは近くの広大な森にどのようなモンスターがいるか調べており、そちらは比較的早く済んだようで、特に何か特別なモンスターもいなかったらしい。オーガやゴブリン、ナーガなどの雑魚ばかりだったそうだ。強いて変わった所があったと言うならば、蜥蜴人(リザードマン)の集落があるくらい。それもレベル一〇代程度の存在で、それが五つの部族に分かれて暮らしている。その程度だったらしい。平原などで見たモンスターもレベル三〇代程度が関の山で、あまり強力なモンスターはいないようだった。

 そのため、アウラとマーレはすぐに別の任務に回された。姿を隠してスレイン法国へと向かったらしい。詳しい話は、シャルティアは知らないが。というか、興味も無い。

 そしてシャルティアがデミウルゴスから頼まれたのが、この牧場の運営である。

 

 最初に役割分担と命令を受けたが、それよりもまず最初に行われたのが、自分達ナザリック地下大墳墓で生活する者達の持ち物の確認である。

 どうしてそうなったかと言われれば、簡単な話だ。至高の四十一人がいないので、ナザリック地下大墳墓を維持するための物資を自分達で用意しなければならないのである。

 シャルティアには――というか、デミウルゴスにも何故そうなのかは理由が分からないが、このギルドの拠点を維持するためには莫大な金が必要になるらしい。

 まず、下位モンスター達はどうでもいいが、階層にある罠を発動させるのに金がかかる。そしてナザリック地下大墳墓そのものが存在するのにも、金がかかるようだ。

 ただ、これは宝物殿から自動的に引かれていくようで、屈辱的で情けないがしばらくは大丈夫だろう、と言われていた。宝物殿には至高の四十一人しか持たない指輪が無ければ移動出来ないが、そこに残された御方々の金貨があるため、よっぽどの事が無いかぎり持つらしい。これは、第九階層で唯一残られていたモモンガの独り言を偶然聞いていたメイドから聞いた話だ。

 例え姿が無かろうと――自分達は至高の四十一人にこうして存在を支えられている。それを想う度に、シャルティアは――いや、ナザリック地下大墳墓に住む全てのシモベ達は感動のあまり泣きそうになってしまう。

 

 御方々の財産をすり減らさなくてはならない。それがとても心苦しいが、宝物殿に行く方法も許可も無い自分達では覆せない。この失態は、御方々がナザリック地下大墳墓に戻られた時に全員で責任を取ると決めていた。

 

 だが、そんな至高の四十一人の財産であろうと、解決も先延ばしも出来ない問題もあった。それが……アイテムの欠品である。

 

 シャルティアを初めとする自分達NPCはともかく、部下のシモベ達は、至高の四十一人や自分達と違って使える魔法が限られている。同じ第十位階魔法の使い手でも、御方々や自分達が使える魔法の数が一〇〇だとするなら、シモベ達は精々一〇だ。それほどまでに差が開いているのである。

 しかも自分達が使える魔法と言っても偏っていたりする。よって、使えない魔法は図書館などで保管されている巻物(スクロール)で補う事になるだろう。そこで問題が出てしまった――素材となる羊皮紙である。

 

 巻物(スクロール)は込める魔法の位階によって素材を変更せねばならず、第十位階魔法ともなるとドラゴンの皮が必要になる。

 ただ、これはセバス達が王都で手に入れた羊皮紙で解決するかと思われた。だが、彼らは自分達の知らない魔法を開発している事もあれば、自分達が知っている魔法を知らない事もあった。そのため、同じような羊皮紙に魔法を込めて解決しようといざナザリック地下大墳墓に持ち帰ってみれば――――何故か、作成出来なかったのである。

 これが由々しき問題だった。何がなんでも、早急に解決しなければならないほどに。

 

 勿論、これも少しでも先延ばしにしようと思えば出来ただろう。解決方法はあった。自分達が持っているアイテムでは解決出来ないが、第九階層のロイヤルスイートに行けば解決する。

 そう――至高の御方々の部屋から、保管され放置されているアイテムを回収すれば。

 

 当然、これは全員が拒否した。そもそも本来ならば自分達は第九階層を歩けるような身分では無いのだ。それを非常事態だからと言って捻じ曲げ、歩いている。第九階層――それもロイヤルスイートを歩いていいのは御方々の御世話を命じられていたメイド達だけだというのに。

 その挙句、更に厚顔無恥にも御方々の私室に土足で踏み入れ、アイテムを貰っていく? ふざけているのか。そんな事、ナザリック地下大墳墓のシモベなら誰であろうと許すはずがない。

 

 そこでデミウルゴスは、部下に命じてまず近くの森の魔物から素材を一体ずつ採取して持ち帰るよう言った。しかし、彼らの皮もあまりな出来だったらしい。

 なので、帝国の帝都に潜入していたナーベラルにある素材を持ち帰るように命令し――様々な種類の“羊”が送られてきた。

 結果、それはデミウルゴスを満足させるに足るものだったようだ。

 デミウルゴスはすぐにコキュートスと同じくナザリック地下大墳墓の警備として待機していたシャルティアに、今まで集めた情報から一番バレにくい、という理由で選ばれたこのアベリオン丘陵で“羊”の牧場を運営するように告げた。何故アベリオン丘陵なのかと言うと、あまり拠点の足元でやって、愚かにも自分達に逆らうような者達が出た場合、あり得ないとは思うがナザリック地下大墳墓を一歩でも汚らわしい土足で踏み歩く者が出ないようにするためだった。

 この任務の重要性をしっかりとデミウルゴスに教えられたシャルティアは、勿論了承し、結果として今この場にこうして牧場が開かれた。

 

「…………よし」

 

 “羊”達の悲鳴を聞きながら爪を整えていたシャルティアは、その出来に満足すると立ち上がる。同時に、傍に侍らせていた二体の吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)も、シャルティアが持ち込み、座っていたソファから立ち上がる。

 

「それでは、わたしもお仕事をしようでありんすかぇ」

 

 天幕から出る。外に広がる光景に、シャルティアはどんな不能も欲情してしまうかのような、蕩けるような笑顔を浮かべた。

 

「わたしにぴったりのお仕事でありんすね」

 

 本当なら自分がしたい仕事だった、と言うデミウルゴスの顔を思い出しながら、牧場の風景を見てシャルティアはうっとりと微笑む。

 

 楽しくて仕方がない、と。

 面白くて仕方がない、と。

 “羊”達の悲鳴が、愚かで、無様で、愛おしくて仕方がない、と。

 

 シャルティアは“羊”達を見ながら、心底愉しそうに微笑むのだ。

 

 ――お前達はこの私の、ナザリック地下大墳墓の、至高の御方々の役に立っている。これほどの栄誉は他にあるまい?

 

 その誰もが見惚れるほどの美しい笑みに、そうした嘲りを乗せて。

 

 シャルティアは、微笑むのだ。

 

 ……あるいはそれは、仲間達が見れば逃避しているかのように見えたかも知れなかった。

 しかし、ここに神はいない。シャルティアに対して、そう告げられる同じ立場の同僚もいない。

 

 ここにいるのは、ひたすらに皮を剥がされ絶叫を上げる、無数の“羊”と――それを成すおぞましい悪魔のような魔物達だけである。

 

 シャルティアは歩き出す。ピクニックに向かうように。蕩ける笑顔を浮かべながら。

 二本脚の“羊”達の皮を剥ぎ取るために。

 

「――――、?」

 

 しかし、シャルティアの足が止まる。〈伝言(メッセージ)〉を受け取ったのだ。シャルティアは意識を集中し、そして告げられた言葉に、呆然とした。

 

「は? セバス達が……?」

 

 告げられた言葉の意味が、シャルティアには全く分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――ちょうどその日、彼らは王都を訪れていた。

 理由は、何でもない事。あるいは少しの気まぐれ。いつもの拠点としていた都市から離れ、彼らは王都へとやって来た。

 

 ……相変わらず、嫌な空気の場所だな、と一人は思う。ふと気を抜けば、貴族に対する憎悪が顔を出しそうだった。

 

 その背中を、一番気安い仲間の一人が軽く叩く。それに気づいて顔を上げれば、いつもの人好きそうな笑みが浮かんでいた。

 申し訳なくて、少しだけ顔を伏せる。

 けれど、仲間達は誰もが気にしていないようだった。

 

「…………」

 

 そういえば、とふと思い出す。あの都市を出立する途中、例の村まで一緒に行こうと依頼をされたので、一緒にいた彼は想い人の少女の誤解を解けただろうか。偶然、門で出会ったのだが何やらおかしな事になっていたみたいで、彼が一生懸命誤解を解こうと必死だった。彼は正直、少女に会いたいという思いだけだったので村に行くのを止めてしまい、自分達は王都へと旅立ったが。

 

 まあ、きっと大丈夫だろう。彼は有名人なので、なんとか誤解は解けるはずだ。

 

「――――」

 

 彼らは王都の中を歩く。こうして仲間と一緒にいれば、憎悪を忘れられるので、いつもと同じような受け応えが出来る。

 

 その王都の冒険者組合に向かって、そこで色々と依頼の掲示板を見たりして。そして街の武器屋や道具屋を見て回って。

 

 彼らは歩く。グレードの上がったプレートを首元で光らせて。

 冒険に出てみた。とても楽しかった。王都での依頼は、少しだけ今までの依頼と違った。たぶん、出現するモンスターが違うのと、そして貴族達からある程度の横槍でも入れられるのかも知れない。

 日が経つ度に冒険者組合を訪れてみたが、有名なアダマンタイト級冒険者は見る事が出来なかった。たぶん、あまり運が無いのかも知れない。それが少しだけ残念だと仲間達と話し――アダマンタイト級の魔法詠唱者(マジック・キャスター)と、“あの人”とどっちが上の魔法詠唱者(マジック・キャスター)なんだろうと仲間達と面白がって話をしてみたりもした。

 

 いつか、お礼が言えたらいいな、と思う。あの街でこっそり助けてくれたお礼を、いつかちゃんと言いたいと思った。それが、彼らの今のもう一つの目標だった。

 

 ……贅沢を言うならば、もし出会えたならちょっと魔法を見て欲しいな、と思う。ついに、第三位階魔法を使えるようになったから。是非、“あの人”に見てもらって感想を聞いてみたいと思った。

 

「――――」

 

 そうして、王都で少しだけ暮らしていた。そろそろ元の拠点にしていた街に帰るか、という仲間達からの話題も出た。

 彼らは王都を出る準備をしていた。

 

 ただ、少しだけ。もう少し王都を散策しようとしたのだ。今度訪れるのはまたいつになるか分からないから。仲間達に断って一人で街へ歩き出す。王都を見て回って、そして記憶に刻み込み――――ちょっと道から外れて、道に迷ってしまった事に気がついた。

 

 ゴミ捨て場のような細い裏路地。不快になり顔を顰める。視線の先には小さいけれど、そこに放り棄てられ転がっていた、無惨な死体があったのだ。

 

「――――」

 

 傷だらけで、酷い有様だった。女の死体のようである。それがゴミのように打ち捨てられており、何とも哀れな様子だったのだ。

 だから、つい足を止めた。踵を返して元の大通りまで急いで戻らなくてはならないのに。けれど足を止めたからこそ、それがまだ微かに生きている事に気づいてしまった。

 

「――――」

 

 厄介事だ。誰がどう見ても、係わる必要性の無いもの。いや、むしろ係わってはいけないものだろう。

 なのに、何故だろうか。それに目が吸い寄せられて止まらない。止まっていた足が、ひとりでに動き出してしまう。

 

「――――あ」

 

 転がっていた死にかけの女の顔を覗いて、そこに見覚えのある顔を幻視して。何もかもが面影なんて無いはずなのに、なのに何故か自分と少しだけそっくりな顔を幻視してしまった。

 

「ああ――――」

 

 涙が、ぶわりと溢れる。止まらない。止める理由さえなかった。その死にかけの女を、何故なら知っていたから。

 

「姉さん――」

 

 ニニャはそう震える声で呟くと、服が汚れるのもかまわずに地面に膝をつき、傷だらけの女を掻き抱いた。

 姉と呼ばれた死にかけの女は、けれど何の反応もせずに、ただニニャの腕の中でヒューッ、ヒューッとか細い呼吸を繰り返すだけだった。

 

 

 

 

 




 
モモンガ「困っている人を助けるのは当たり前ですよねたっちさん!(麻薬村に向かいながら)」
たっち・みー「違う、そうじゃない」
 

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