麻雀を打ちたい   作:158

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同類

 ――世界が違う。

 

 

 

 それは俺とあの黒ずくめの男という様な話ではなく、純粋に環境が違うという意味でだが。

 龍門渕家は想像以上の豪邸だった。

 到着するなり通された客間。そこはまるで高級ホテルの一室の様だった。

 頭上にはシャンデリア、足下にはまるで綿の様にやわらかい感触の絨毯が敷かれている。

 壁を見てもいかにも高そうな絵画が飾られていた。

 俺が座っているソファも、体を埋め込めばどこまでも沈んでしまうのではないか。そう錯覚してしまうくらい柔らかい。

 こんな場所が初体験という訳ではない。賭場が開帳されているのが、たまたまそんな場所だったという事が多かっただけではあるが。

 高レートの場を開くのは金持ちというのが相場であり、なおかつ腕前はそこまで高くない事が多い。俺はそんな場所を見つけると足繁く通った。

 しかし、相手が格下とわかっていても、勝負は勝負。気の休まる暇なんてなかったし、もし休めれば容赦なく喰われる。

 こうして、まじまじと観察するだけの精神的余裕がある状態は新鮮だった。最もそれはそれで何とも落ち着かないという感想を抱くのが、俺という人間だが。

 そんな中、唯一の味方である純が、「ちょっと待ってろ」と言い残し、部屋を出た。

 俺が到着した事を主人に知らせに行くのだろう。

 何とも心寂しかったが待つしかないと、ふかふかのソファへと体を沈め長期戦に備える。

 すると数分もしない内にドアがノックされた。

 

「失礼いたしますわ」

 

 現れたのは勝ち気な目をした金髪の少女と、燕尾服を着た眉目秀麗な若い男だった。少し遅れて純もやってきた。今回は黒を基調としたメイド服を纏っている。これが正装なのだろう。

 状況から察するに、金髪の少女が俺を引き取ると決めた龍門渕家のご令嬢と判断して間違いなさそうだ。

 見た目にはまだ子供子供した部分はあるが、堂々としていながらも決して失礼に見えない態度。人の上に立つものとしてのオーラを携えた、器の大きい人間だという第一印象を抱いた。

 そう思いつつも、頭の片隅では麻雀も強そうなタイプだと弾き出しており、俺は既に抜けられない沼に捕らわれているなと、少し自分に恐怖した。

 

「杉乃歩さんでよろしかったでしょうか? わたくしは龍門渕透華(りゅうもんぶちとうか)と申します。以後お見知りおきを」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。この度の御厚意に心より感謝申し上げます」

 

 優雅で、それでいて決して高慢ではない。そんなやわらかな女だ。

 

「お前……敬語使えたのか?」

 

 俺が挨拶を交わしていると、視界の隅にぎょっとした顔を浮かべている純が映った。

 失礼な事を言う。

 確かにろくな教養を持ち合わせていないという自負はあるが、俺だって敬語くらい使える。

 

「ふふっ、純から聞いていた通りおもしろい方ですわね」

 

 ほら見ろ、透華に笑われたじゃないか。

 純には普段の十倍くらい冷たい視線を送ってやった。

 

「お恥ずかしい所をお見せしました。えっと……」

 

 この場合彼女をどう呼ぶのが正解なのだろうか。

 龍門渕さん? 透華さん? 透華様? 悩ましいが、お嬢様というのも定番か。

 

「透華と呼び捨てにしてくださって結構ですわ。わたくしも堅っ苦しいのは大嫌いですの」

 

 そう言って透華は鼻を鳴らす。

 一瞬本気で嫌そうな顔を見せたので、本当に堅苦しいのは嫌いらしい。

 俺としても大歓迎ではあるが。

 堅苦しくやれと言われればやるが、やらなくていいのならやりたくない。

 悲しい事に博打打ちには年齢制限がある。なのでこの先――少なくとも成人するまで過ごす場所になるのだ。

 余計な気を使うのは避けたかった。

 

「公式な場でのみ透華お嬢様、もしくは透華様と呼んで頂ければ問題ありません。ええ、問題になどさせませんとも」

 

 そう言って透華は一瞬サディスティックな表情を見せる。

 公式な場というのが何なのか、俺にはいまいちわからなかったが。

 それにしても俺をこの家で預かる事に関し、かなり無理をしたのだろうなとは理解出来た。

 これだけ格式の高い家なのだ。どこの馬の骨かわからない子供を預かるという事に、内部で反発がない訳がない。

 

「という訳で普段は敬語禁止、名前も呼び捨てで――そうですわね、純に接するのと同じようにわたくしに接しなさい!」

 

 返事は?

 そう訴えかける様に、透華は俺へと右手を向ける。

 透華に後光が差している様に見えた。

 

「わかったよ、透華」

 

 ああ、最近俺は良い女に出会ってばっかりだ。

 自身が女の体になってしまったのが、本当に悔やまれる。

 

 

 

 ――かんぱ~い!

 

 

 

 グラスのぶつかり合う音が鳴った。

 場所は龍門渕家の別館(といっても一般的なペンション以上の広さはある)。

 既に夜の帳は降りており、空には半月が浮かんでいた。

 そこで何が行われているかと言うと、俺の歓迎会だ。

 俺の他、五人の女の子が参加している。

 

 一人は龍門渕透華。

 俺を引き取る事を決めてくれた、第二の恩人とも言える人物。金色のロングヘアーに、サファイアブルーの目。その勝ち気な瞳からはカリスマ性の様なものが見て取れた。かなり気さくな人物で敬語禁止、名前も呼び捨てにする様にと言い渡された。

 

 一人は国広一(くにひろはじめ)

 透華の専属メイドをこなしていると聞いた。黒髪ショートの小柄な女の子。何故か俺に気の毒そうな視線を向けていた。大抵の事では動じないメンタルを持っているつもりだが、何か言ってくれないと流石に不安になる。

 

 一人は沢村智紀(さわむらともき)

 別館の主の遊び相手を務めているらしい。ちなみに純も同じ役目だとか。黒縁メガネの似合う知的な女性だ。かなり無口で「よろしく」以外の言葉を交わした記憶がない。

 

 一人は天江衣(あまえころも)

 この別館の主人であり、透華の従姉妹だという。髪や瞳は透華と同じ色だが、小学生中学年程度にしか見えない幼い容姿である。しかし、俺では解読出来ない様な難解な単語を駆使して話す。何か話かけられると、とりあえず愛想笑いを返したが、その度にゾクリと背筋が凍った。こいつは――魔物だ。

 

 少女達は、主役であるはずの俺を差し置いて、わいのわいのと盛り上がっている。

 そんな彼女達の姿は、俺には眩しすぎた。

 過ぎ去った青春時代を振り返ってという程、俺も歳をとったつもりはない。

 だが、少なくとも成人を迎えていた身であり、現役女子高生のテンションには中々ついて行けない部分もある。

 気を使った純や一が、時折こちらに話題を振ってくれるので、何だかんだで俺も参加は出来ている……と思いたい。

 そんなこんなで龍門渕家の人々は、俺という異物の存在を受け入れてくれている様だ。

 客間で透華と挨拶を交わした後、執事と思わしき男――萩原(はぎわら)というらしい――に説明を受けたが、龍門渕家での俺の待遇はかなり良いものだった。

 

・学費:無料

・食費:無料

・家賃:無料

・衣類:無料

 

 至れり尽くせりとは正にこの状態だろう。

 衣食住全てを賄ってくれる上、何と月々小遣いまで貰えるとの事。それでも金が足りない場合は、ちょっとしたアルバイトを紹介すると説明された。

 純の様にメイドでもすれば良いのだろうか? 家事なんか、ここ数年した記憶がないだけに不安が大きい。代打ちとかそんな仕事はないのだろうか。それなら得意分野だし、情けない話だが相手が魔物でもない限り、勝利をもぎ取る自信がある。

 まあ透華にせよ、萩原にせよ、そんな物騒な仕事を回してくる様な人には見えなかったが。

 これからの生活を思うと、透華、そして透華を紹介してくれた純にも、ただただ頭が下がる。

 

「おお~い! 飲みようが足りねえぞ~っと!」

 

 ぬふふと、少し下品な笑みを浮かべながら純が俺のコップへとコーラを注ぐ。

 飲みと言えば、俺はあまり酒を口にした事がなかった。

 アルコールを摂取すれば、抜けるまでの数時間、脳の回転は鈍るし、タバコに関しても同じ事が言える。最も後者については、雀荘に行けば大抵の場合、強烈な副流煙を喰らっているので、気にする意味はあまりなさそうだが。

 飲む・打つ・買う。この三拍子が揃っていないと博打打ち――またの名をクズ――とは呼べないという風潮もあったが、俺は否定したい。買うについてはどうぞお好きにの一言だが、飲んでいるヤツは大抵が三流だ。その理由は前述したばかりである。

 振り返れば振り返る程、本当に麻雀漬けの日々を送っていたものだと感慨深くなる。

 

 

 

 ――やはり俺はおかしい。あの生活が恋しいと思えてしまう。

 

 

 

 今、周囲にはかわいい女の子だらけという、男ならば天国だと感じるシチュエーションだが、俺にはそろそろ限界が迫っていた。

 もう一月あまり、牌を握っていない。

 麻雀で食っていくと志して以来、牌を握らなかった日はない。

 例えインフルエンザに罹っていたとしても、体を引きずりながら雀荘に通った。

 今では非常に申し訳ない事をしたと思う。恐らくその雀荘の中でインフルエンザが猛威を振るったのだろうから。

 魔物が居る――目の前に。

 ――たたかえ、戦え、闘え。

 ――たおせ、倒せ、斃せ。

 もうだめだ、必死に道筋を逸らそうとしても、頭が勝手に麻雀を打つ方へと誘導してくる。

 ちらちらと視界に入る、部屋の片隅に置かれている自動卓。

 あれが俺にささやいている気がした。

 

 

 

 ――これ以上自分をごまかせない。

 

 

 

「なあ――打たないか」

 

 自動卓を指さして、俺は提案した。

 すると先ほどまでの乱痴気騒ぎが嘘の様に静まり、肌を刺す様な静寂が部屋を包み込んだ。

 それぞれが、信じられないものを見るかの様に、俺へと冷たい視線をなげる。

 

「おっと、そう言えば約束してたな……いつでも相手になるって」

 

 そんな気まずい空気を切り裂いたのは純だった。

 好戦的な笑みをこちらに向け、そう言う。

 すぐに意識を切り替えられるその器用さに好感を覚えた。

 

「ちょっと純! 聞いてませんわよ? 歩さんが麻雀を打てるという話は」

「言ってなかったっけ? わりィわりィ」

「初耳ですわ!」

 

 透華は純に感情を爆発させた。

 まるで、俺が麻雀を打てると何か問題があるかの如く。

 魔物を晒したくない理由でもあるのか? そう勘ぐってしまった。

 

「うわぁ……想像出来うる最悪の事態だ……」

 

 一は頭痛を抑える様に額に手を当てた。「ボクは見学でお願いするよ」と言って一歩退いた。

 

「……気を強く持って」

 

 無言で騒ぐ。何とも難解な行動をとっていた智紀が、久々に口を開いた。それ程の事態なのだろう。

 

「歩は……衣と麻雀を打ってくれるのか?」

 

 不安げに、何かを恐れる様な視線で衣は俺を見つめる。

 妙だなと思った。

 魔物と呼ばれる存在は、他者を蹂躙しても眉一つ動かさない鬼畜か、もがき苦しむ様を見て興奮を覚えるサド野郎か。その二種類が多い。

 衣は異質だ――そのどちらにも属さない様に見えた。まるで――他者を傷つける事に怯えている様なその仕草から。

 そして、理解する。

 俺がという人間がどういう存在なのか。それがわかっていない彼女達は、魔物と打つ事で俺が壊れるのを恐れているのだろう。

 

「衣と打ちたい」

 

 そんな事、どうでも良い。俺は麻雀を打ちたいだけなのだから。

 負けなんか何千何万と経験している。その数だけ絶望もしてきた。それでも俺は――まだ牌を握っていられる。

 あの男に弄ばされた後も、牌を置こうとは思わなかった。

 

「本当か!?」

 

 俺を見上げる衣の視線には、強い力が籠もっていた。

 本当なのか? 嘘は許さない、許せない。お前が壊れようと知った事はない。自分の気が済むまで打ち続けるぞという。

 

「ああ。俺は壊れない」

 

 俺がそう返すと、衣は満面の笑みを浮かべた。その姿は、飼い主を見つけた子犬の様で、木の実を口いっぱいに頬張るリスの様で――獲物を見つけた悪魔の様だった。

 

 

 

 ――ああ、やっぱりそうか。こいつはあの男の同類(おともだち)だ。

 

 

 

「なっ!?」

 

 純以外の面々は目を見開いて驚きを露わにする。何でその事をと。

 確かに、遠目で見ただけなら、衣はかわいらしい少女だろう。

 だが、近くに寄って感じればわかる、わからないはずがない。

 

 

 

 ――俺はお前(まもの)を打ち倒したいが為、死してなお、この場に立っているのだから。


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