まるでそこは血の世界とすら錯覚していた。
それほどまでたくさんの血が流れているが、たった一人だけは余裕を見せて立っている。
「……何なんだよ……お前は………」
別の男がそう言うと、男は反応しそっちに向いた。
「……止めろ……来るな……来るなぁ!!」
願うかのように言う男の声は届かなかったのか、その人物に対して男は容赦なく拳を叩き込む。すると懇願していた男は浮かび上がり、殴った男は何発も拳を叩き込んだ。
ほとんど顔が変わり、原型がとどまっていないほど凹んだ顔。それでも殴った男は容赦なく止めを刺すのだった。
■■■
目を覚ますと、さっきまで隣に座っていたはずのラウラは俺の上に座って……いや、乗っていた。
「大丈夫ですか、兄様」
「………この体勢以外は問題ない」
後数センチでキスができるってぐらいに近い状態のラウラ。
「というか何でこの状態?」
「親しい者同士では熱を測る時に額と額を合わせると聞きましたので」
ふと、周りを見回すと俺とラウラの状態に興奮しているようなそうでもないような感じの甘い雰囲気が出ていた。本音? 本音ならば通路を挟んで俺の方を見て「ぐぬぬ……」って感じに俺たちを見ている。
「ともかくだラウラ、危ないからちゃんと座れ」
「……では、手を繋いでくれますか?」
「……………そ、それくらいなら……」
そう答えると周りはキャーキャー騒ぎ始める。
全く。男を嫌うか嫌わないかどちらか選んでほしいものだ。気持ち悪くて反吐が出る。
そう思っているとさっきまで暗かった視界が明るくなる。どうやら近場に出てきたらしい。
「海っ! 見えたぁっ!」
一人が声を上げると周りのテンションが上がる。俺はそのようなことはないが、やはり海に対する温度差だろうか。水着は買ったが海に入る気はないし。
(というか俺、下手すれば海なんて初めて入るし)
記憶の中じゃ、ババアの家の場所が場所だったから山やら川やら滝やら見たことあるし触れたことはあるが、それでも海に入った記憶はない。
「おー。やっぱり海を見るとテンション上がるなぁ」
「う、うん? そうだねっ」
後ろでは織斑とジアンが会話をしている。
本当ならば俺が織斑の隣になると周りが思っていたみたいだし、俺もそうだが織斑もそのつもりだったらしい。いや、なりたくないんだが周りが取り合うよりそっちの方が喧嘩が起きないとか考えればそうした方が良いだろうと思ったのだが、ラウラが乱入したことで俺の隣はラウラになった。物凄く助かったのは言うまでもない。
(……って言うか、初日に丸ごと自由時間っているのか?)
そりゃあ、移動の疲れを取るって名目はあるが、何も丸一日を自由時間にしなければ良いだろうに。……もしかして、いざという時のための地形把握とか。一応楯無やケイシー先輩には確認を取って置いたが、少なくとも二年前からは自由時間はあるし、考えすぎか。
「———そろそろ目的地に着く。全員ちゃんと席に座れ」
前の方から織斑先生がそんなことを言うと、さっきまで立ったりしていた生徒が返事をして大人しく席に座る。しばらくするとバスは停車し、織斑先生の指示のもと、俺たちは各々席を降りて各自鞄を取る。それが終わると整列し、全員の点呼が完了すると織斑先生が話し始める。
「それでは、ここが今日から三日間お世話になる花月荘だ。全員、従業員の仕事を増やさないように注意しろ」
「「「よろしくお願いしまーす」」」
織斑先生の後に全員が挨拶する。楯無によると、この旅館には臨海学校が行われ始めた時からお世話になっているようで、この大音声にも慣れた様子のおかみさんが丁寧に挨拶を返した。
「はい、こちらこそ。今年の一年生も元気があってよろしいですね」
毎年この元気とか、何なのIS学園。
「あら、こちらが噂の………?」
どうやら織斑に気付いたらしい女将がそう呟く。
「ええ、まあ。今年は二人も男子がいるせいで浴場分けが難しくなってしまって申し訳ありません」
「いえいえ、そんな。それに、良い男の子たちじゃありませんか。一人はしっかりしてそうな感じを受けますよ」
「感じがするだけですよ。挨拶をしろ、馬鹿者共」
そう言って俺たちの頭を強制的に下げようとしたので、俺はそれを受け止めて抵抗する。………あれ?
「織斑先生、握力が弱くありません? 俺に簡単に返されるようでは本当の最強なんて夢のまた夢ですよ」
「そういうのを目指しているわけではないのでな」
諦めたのか、織斑先生は俺の方を解除した。
「不本意ながらISを動かしてしまいましたが、専用機にだけは恵まれた桂木悠夜です。これから三日間よろしくお願いします」
たぶん向こうからは見えていないだろうが、笑顔を作って応対する。その後に織斑が挨拶をした。
「お、織斑一夏です。よろしくお願いします」
「うふふ、ご丁寧にどうも、
そう言って女将さんはもう一度丁寧な礼をする。
「不出来の弟でご迷惑をおかけします」
「あらあら。織斑先生ったら、弟さんには随分厳しいんですね」
「いつも手を焼かされていますので」
ここで俺まで話題に出されるかと思ったが、そうでもないらしい。まぁ、出したら出したらで「え? これまで襲撃事件ほとんど俺がお前ら無能の代わりに解決してますけど?」って言いそうだからなぁ。最近、手加減できていないからなぁ。やっぱり庄井と会った影響か?
「それじゃあみなさん、お部屋の方にどうぞ。海に行かれる方は別館の方で着替えられるようになっていますから、そちらをご利用なさってくださいな。場所がわからなければいつでも従業員に聞いてくださいまし」
生徒一同が返事をすると、すぐに旅館の中へと入っていく。まぁ、すべての荷物を持ったまま向かうことはないだろう。
織斑は織斑でほかの女子に部屋の場所を聞かれている。ちなみに俺は一階の一番端の小部屋。ラウラと同じ部屋だ。
「じゃあ、行くか」
「うむ」
「レッツゴ~」
一つ余計な声が聞こえたが、気にせず自分の部屋へと移動する。そして小さいが二人だと十分広い部屋に入った俺たちは荷物を置いた。
———ドサ、ドサ、ドサ
? 一つ音が多くなかったか?
「おお~、広い広ーい!」
「ほ、本音!?」
何でお前がここにいる!? 確か「臨海学校のしおり」とやらに書かれていたものには本音は谷本たちいつものメンツと同室だったはずだけど!?
ちなみに件のしおりはどこぞの格差が激しい中学の修学旅行用のしおりと違って巨大辞書のように分厚くなく、鈍器ではない。
「? 本音もここの部屋だったのか?」
「そうじゃなけど~、ゆうやんとラウラウが二人きりというのは私としても容認できない事態なので乱入しに来ました~」
「いや、自分の部屋に行けよ」
ルールとか言うわけではないが、今までの行動を顧みて4組のクラス代表までもこの部屋に来そうな気がする。
「ゆうやんは、私と寝たくないの?」
正直に言おう。すごく寝たいです。
だがそんなことを言えば間違いなく社会から抹殺はあり得るので、敢えてここは気取っておく。
「それとこれとは話は別だ。いいか本音。そういうルールを守らないと周りから除け者にされるかもしれない―――」
「その辺りは大丈夫だよ~」
「それに織斑先生の制裁が―――」
「そ、それは……」
よし。流石にこればかりは回避しようもない。
「わかった~」
そう言って本音は荷物を持って部屋を出る。ルールだからこれが正しいと思うが、個人的にはやっぱりいてほしい。
「兄様は本音が嫌いなのですか?」
いつの間に仲良くなったのか、ラウラが本音を名前で呼んでいる。
「いや、さっきのは建前だよ。本当なら―――」
———ド―――――ンッ!!
急に何か音が鳴ったかと思ったら、地震が起こる。すぐにラウラを抱きかかえたが揺れは早く収まった。
「大丈夫か?」
「は、はい」
「……そうだ、本音———」
さっき追い出してしまった本音が気になり、ラウラから離れた俺はすぐに廊下に出る。
すると廊下にうずくまっている本音を見つけた俺は動きを止めて本音の側面に立った。
「大丈夫か、本音」
「……ゆうやん?」
「ああ。さっき揺れがあっただろ? それで心配になって―――」
すると本音は涙を流して俺に抱き着いてきた。
そこが俺の部屋ならばすぐに崩壊してただろうが、廊下だから俺の理性は保てていた。周りが何か言っているが、耐えるのに精いっぱいなのでそれどころではない。
「ゆうやん………わがまま言ってごめんなさい」
「いや、いい…いいからちょっと離れて欲しいかなぁ」
そう言うと今度は素直に離れてくれた。危ない。もう少しで息子が暴走するところだった。どこぞのシティハンターじゃないから大きさには自信ないが、だからと言ってここでデカくなったらそれはそれで問題だと思う。
「じゃあ、また後でねぇ~」
「……おう」
クラスの方へと向かう本音に手を振ると、今度は別のところで声をかけられる。
「悠夜、ちょうどいいところに。一緒に海に行かないか?」
「…………そこらへんにいるビッチを誘えばいいだろ」
そう言って俺は自分の部屋に戻ると、どうしたことかその後ろを追いて来るではないか。
「あの、何で後ろから来る?」
「いやぁ、まだ準備できていないだけだろ? 俺は準備できてるし、少しくらいならば待つぜ」
余計なお世話である。
「とっとと一人で行け。それに俺は部屋でやるべきことがある」
「? そんなの後でいいだろ? 今は海に―――」
……………これからボッチで行動できない奴は困る。
手を伸ばして来る織斑の手を払い、たぶん眼鏡で無駄になっていると思うが一応言っておく。
「いい加減にしろよ。俺はお前と一緒に行く気がないって何故わからない? お節介もほどほどにしてくれ。それとも何? お前の中じゃ俺はそういう存在なわけ?」
「そ、そういうわけじゃ………。男子は俺たちしかいないだろ? だから助けあって―――」
「———ハッ! それは何の冗談だ?」
反射的にそう吐き捨てた俺は内心自分の態度に戦慄したが、それも一瞬だけ。今では目の前にいる馬鹿に対して呆れを見せている。
「助け合いってのは、対等と言える立場になって初めてできることだ。俺とお前は対等じゃない」
「何言ってんだよ。俺とお前は対等―――」
「笑わせるな。つまりそれはお前は雑魚でありながら自身の姉と肩を並べていると言っているようなものだ」
「え―――」
あくまで極論だがな。意味としては間違ってはいまい。
「それって……どういう………」
「ググれカス。まだ3年前のことだし記事ぐらいは残っているはずだろうよ」
そう言って俺はすぐ近くにある自分の部屋の鍵が付いている襖に手をかける。
「そもそも対等だと言うなら、まず自分の機体がおかしいことに気付け」
そう言って襖を開けて中に入り、すぐに閉めて鍵をかける。
「……兄様。こんな時に聞くのも変かもしれませんが……本音は……」
「大丈夫だった」
心配そうに何故か俺を見るラウラの頭を撫でると、さっきまで高ぶっていた気持ちが落ち着いていく気がした。
■■■
一夏が悠夜と共に行こうと思ったのは、本当にひょんなことからだった。
機械型の兎の耳を親の仇のように見ていた箒と出くわし、「関係ない」と言って消えた箒の代わりに「引っ張ってください」と書かれていた耳を引っ張ると、世間で「天災」と騒がれている束が降ってきた。
その後、束は耳を受け取るとどこかへと消えていき、そこで落下してきた衝撃で持って来たはずのゴーグルを持ってくるのを忘れたことに気付き、部屋に取りに戻っていた。
そこで本音と別れた悠夜とばったり会い、誘ったのである。
「………何であそこまで言われるんだよ」
水着に着替えた状態で砂浜で準備体操をしている一夏はそう呟く。
今まで一夏を拒絶してきた人間は何人かいた。だが最後には笑うことが多くなり、彼の周りに敵がいなくなっていた。つまり彼は悠夜も今までと同じでいつかは笑いあえる―――そう本気で思っているのだ。
「…何やってんのよ、アンタ」
「………鈴」
スポーティーなタンキニタイプの水着を着た鈴音が姿を現す。
いち早く一夏の姿を見つけた鈴音だが、様子がおかしいことに気付いた鈴音は飛びつくことを止めて様子を見て接近した。
「らしくないわね。アンタのことだからてっきり海を見てはしゃいでいるかと思ったわ」
「いや、それはないだろ。………はぁ」
「……もしかして、悠夜のこと?」
鈴音がそう言うと一夏は「ああ」と答えた。
「悠夜も海に誘ったんだけど、ものすごく怒られて」
「怒られた? どういう風に」
「対等じゃないとか、助け合えないとか………それに、千冬姉とも同じだって言ってたな」
「………千冬さんと?」
流石の鈴音も悠夜がSRsで優勝していることを知らない。そもそも彼女はSRsがロボット同士による格闘ゲームということすら知らないのだ。
だが彼女は勘が良い方で、近い答えを導き出した。
「もしかして、ISに似たようなもので世界大会で優勝したんじゃないかしら?」
「え? それは凄いな!」
「…………それはそうだけど……あー、数馬だったらその辺りのこと知ってるかもしれないのに……」
現在、二人とも自分の部屋に用意されていた金庫の中に携帯電話を入れている。持ってこればすぐに連絡できるが、放置した状態で海を楽しめない。下手すれば個人情報が抜き取られ、さらなるトラブルを招く恐れがあるからだ。
一度戻ればいいのだが、一夏は一夏で「後でいいか」と思い始めている。そして鈴音は、
「そう言えばさっき人伝手で聞いたけど、アンタ悠夜に「自分の機体がおかしいことに気付け」って言われてたんでしょ」
「ああ。でも特に異常ないし、悠夜の思い過ごしじゃないか?」
そう平然と答えた一夏に対し、鈴音は盛大にため息を吐く。
「言っておくけど一夏、白式ははっきり言って変よ」
「え? 何でだ? さっきも言ったけどどこも異常は―――」
「悠夜が言ったのは異常のことじゃない。白式自体が変なのよ」
だが一夏は理解していない。
どうやって一夏に説明しようと鈴音は考えていると、そこに新たな第三者が現れた。
「お待たせしましたわ、一夏さん! さぁ、先程約束した通りサンオイルを塗ってくださいまし!」
そう言ってセシリア・オルコットは持って来たパラソルを開き、シートを引いてその上に寝てからトップスを外した。
「さぁ、どうぞ」
「………アンタねぇ」
呆れる鈴音に対して、一夏は「や、約束だから……」と言いながらオイルを弄んでいた。
(………全く。気付きなさいよ、一夏。アンタ、このままじゃ間違いなく悠夜と並び立つどころか……追いつけないわよ)
照れながらセシリアの体にサンオイルを塗る一夏を見ながら鈴音はそう思っていると、近くから何かが着地する音がする。
鈴音がそこを見ると、先に来たと思われる簪が自分用なのか水色のデッキチェアにビーチパラソル、さらに専用と思われるデッキテーブルがあり、傾斜がある場所で見事にバランスを取っていた。
■■■
比較的にテンションが下がり、通常通りに戻った俺はラウラと共に砂浜に出た。
ラウラの髪は通常とは変わっており、声が似ているという理由で天然ちゃんを意識してポニーテールにしてみた。
「ようやく海ですね」
「ああ、そうだな」
と言ってもこんなに早く行くつもり……そもそも行く気すらなかったがな。
「気分転換に遠泳も良いだろ」
「………兄様、遠泳は気分転換ですることではないかと思います」
4㎞を「気分転換」で走るからなぁ、俺。
サンダルで砂浜を下っていると、完全装備とも言える状態の簪を見つけた。
「すごい装備だな。これもラボのか?」
「ええ。IS事業だけがラボの仕事じゃないから。こういったサービス用のものも開発しているの」
なるほどね。自分が所属しているとはいえあまり詳しくはないからこういうことをしているなんて知らない。
「ゆうや~ん!」
どうやら本音も来たようで……おい。
「何なんだ、それは」
「え~? 水着だけど~?」
どう見てもそうじゃないだろうと思うが、というかどう見ても着ぐるみしか見えない狐のダイビングスーツ?を着た本音が現れた。いや、これが通常状態の彼女か。
「悠夜、来たのね」
「……ああ」
凰がこっちに来た。その後ろでは何故か織斑がオルコットに何かしている。
「あなたが白式に感じている疑問って何? やっぱり第一形態の時点で単一仕様能力を持っていること?」
「……それもあるが、何よりも持っている武装が《雪片弐型》だけってことだ。外付けならば他の武装を付けてもそこまで容量を食うことはないってのは黒鋼で証明されているしな」
最もそれは黒鋼が特殊仕様ということもあるが。
「確かにそうよね。黒鋼は高威力の武装を積んでいるけど、ほとんど外付けだし……」
実のところ、《アイアンマッハ》も《フレアマッハ》も試作型とかだが連射型なのでそこまで威力はない。こちらの場合は単一仕様能力がないこともあるが、クナイ程度ならば白式にも外付けでできるだろう。
「一応、その辺りのデータなら残ってる」
「え?」
「マジか」
「ホント~?」
「見せてくれ」
思わず簪に群がってしまうが、周りが騒がしくなったことで夜にということになった。
…………というか今更なんだが、本当にそんなデータを閲覧してしまって良いのだろうか?