その日、一人の男性が人が賑わう場へと姿を現した。
髭が伸び、髪も長くなっているその男はスーパーで食料と髭剃りなどを買っており、近くのコンビニの前を通って今時ではありえないほどの古い賃貸アパートの一階にある自室に入る。
(……見つからなかったな)
彼の部屋にはほとんど最低限の家具しかない。壁の前に置いてあるハンガーラックと本棚、そしてノートパソコンと近くに置かれてある数本のUSBメモリが入った100円ショップで売ってそうな箱ぐらいが目立っているぐらいだろう。寝具は布団で今は必要ないからか畳まれている。
(……会ってみたい……いや、一目だけでも―――)
そう思いながら、男性はタンスの上に置かれている母娘の写真を手に取った。
■■■
黒鋼の調整が終わった日の翌日。俺、桂木悠夜は一度部屋に戻って服装を整えていた。とはいえおしゃれ服というか、控えめでどこにでもいる感じに仕上がっている。
ちなみに昨日、俺とラウラは朱音ちゃんの部屋で泊まっている。どうやら二人は仲良くなったようで自称兄貴分としては鼻が高い。
(……問題は、俺の服のセンスがあるかなんだが……)
正直なところ、俺はあまり周りのセンスとやらに合っていない気がする。ロボットなんて「俺が気に入ればそれでいい」主義だったため、最悪の展開ではセンスがない状態で待ち合わせに行かなければならないということだ。残念ながら楯無はおらず、確認できないでいる。
(……悩んでいてもしょうがない。行くか)
IS学園の寮の近くにある公園で待ち合わせなので遅れないようにしなければ。
そう思ったが今一度荷物を確認し、足りないものがないかを確認しておく。うん。大丈夫そうだ。
(よし、行くか)
部屋を出て施錠する。そして確認してから部屋を出ると、意外なことにそこには珍しく人がいなかった。
俺は早足でそこから公園に向かう。公園と言っても園児が遊ぶような遊具はあまりなく、どちらかと言えばテラスに近い。そこも珍しく人がいない。かなり不気味だ。
念のためにスパイボールを離して確認するが、どうやら狙撃手のような存在はなさそうだ。
「お待たせ、お兄ちゃん!」
「お待たせしました、兄様」
どうやら二人も来たらしい。そっちの方を向いた俺は思わず固まってしまった。それもそのはず、どちらも予想以上に可愛かったからだ。
朱音ちゃんは夏用の白いブラウスを着ており、下は黒いロングスカート。ラウラは黒いノースリーブワンピースを着ており、どちらも違和感がなかった。
「…………可愛い」
思わずポロッと言ってしまう。するとラウラは急に顔を赤くし、朱音ちゃんは喜んだ。
「本当? 実はこれ、お母さんのお古なんだけど……」
「いや、全然違和感ないよ。むしろ合ってる」
「良かった。IS学園に移動して以来、島の外に出るのって久しぶりだから流行とか知らないから、それを重視されたらどうしようって思ってたの」
「いや、俺も似たようなものだから気にしてないって……」
そう言って俺は自分の服装を改めて見るが、それよりも早く朱音ちゃんが俺の右腕に掴まった。
「いこ、お兄ちゃん」
「お、おお………あれ?」
ふと、ラウラの方を見る。だが当の本人の意識はそこにはないのか、口から煙が出ていた。
「ちょっ、ラウラ?」
「もしかして、オーバーヒートしちゃった!?」
とりあえずラウラを正気に戻すがまだ処理が追いつかないようで、仕方がないので両手に花状態で駅まで歩く。今日は私服の学生が多いため、知らない生徒の一人や二人、増えたところで問題ないだろう。
時間は8時半過ぎであり、本当ならば少し早いのだが―――レゾナンスでは少し早めに店が開くのでこれくらいがちょうどいいだろう。
しばらくして目的地に着いたのでモノレールを降り、俺は辺りを散策することにした。
「さて、最初は水着からだけど………」
そう言って俺はラウラの方を見る。
ラウラはどうやら手持ちがあるらしいのだが、だからと言って俺の妹である以上その辺りの資金はどうにかしたいと思っている。
「とりあえず、ATMに行っていい?」
「私もお金降ろしたいし、いいよ」
「わ、私も……」
満場一致でまずは近くのATMへ。レゾナンスみたいなところだと色々銀行があるはず―――と思ったら意外に近い場所にあった。
そこで金を暗証番号を入力し、10万ほど引き出す。二人もATM関連は問題ないようだ。一番危惧していたのはラウラだったが、杞憂だったよう。
そしてそのまま俺たちは最終目的地を水着売り場にし、適当にぶらつくことにした。
(……そういえば)
ふと、ラウラの下着のことを思い出した。
どうやらラウラはあまり下着を持っていないようで、実は朱音ちゃん用にと晴美さんが買ってきていたパンツがたまたまサイズが合っていたこともあって俺の資産で買っていた。そこまで枚数はないし、後は生理用品とか諸々だな。このことで女性の体に関して調べたことがあるが、その辺りのことはきっちりとしておかなければならないだろう。今ラウラは体裁的には妹ということになっているが、兄がそこで女性に関する様々なことを知っておかなければ一体誰に聞けばいいだろうか。………いや、セクハラってわかっているけどさ。というかそれで勝手に義妹のナプキンを買ってきた時にものすごく怒られた記憶がある。俺としてはそこまで深くは考えていなかったが、女性にとっては嫌な事だったらしい。
だが今回は話が別だ。唯一聞けるであろうは祖母だが、それを聞いたら最後、あのババアは俺に対してからかい始めるだろう。
「お兄ちゃん」
「ん? どうした?」
「ラウラの下着とか買いたいから、一度ここで別れない?」
そこでふと、俺の足が止まる。
(いや、いいのか?)
でもここで行ってもらわなければ、ラウラの数少ない下着類が手に入らない。
ちょっと護衛的な意味で不安だが、許可することにした。
「わかった。俺は適当に辺りを散策するよ」
そう言うと二人は女性用下着コーナーに入る。俺は近くに喫茶店がないか探そうとすると、
「―――大丈夫だ」
いつの間にそこにいたのか、晴美さんが俺の肩に手を置く。
「あれ? どうしてここに?」
「今日は非番だからな。一番面白いことを頼む」
見ると晴美さんの手にはビデオカメラがある。さっきまで俺たちを撮っていたのだろうか?
そんな疑問を抱いている最中に晴美さんは平然と中に入っていく。流石にビデオカメラは鞄の中に入れていた。
(………俺も少し見て回るか)
改めてそう思った俺はそこから移動しようとすると、ふと一人の男性と目が合う。俺は言えない立場なんだが、その人はどこから「ボロッと」した感じであり、何やら挙動不審だった。
(………何だ?)
嫌な予感がし、俺はスパイボールを離して男を監視するようにする。眼鏡はないがコンタクトレンズをしているので大した問題ではない。
だが監視するまでもなく、男はふらふらと女性用下着コーナーの方に入っていこうとした。
「………ちょっと、いいですか?」
「待ってくれ。私はここに用事が―――」
「いえ。これ以上先に進んだら問答無用で補導されるので止めた方が良いですよ。最近の人間って善悪が判断できなくなっているほどアホしかいないので」
諸に「お前はどうなんだよ」と突っ込まれるであろう口上を述べる。むしろ今回はそう言ってもらおうことを目的としているがな。
だがその男性は聞き分けがないのか、俺を振りほどこうとして女性下着の専門店の方に行きそうなので、
「あ、警さ―――」
「さぁ行こうか」
彼も警察に対して恐怖を抱いているのだろうか。すぐさまそこから移動を開始した。
少し離れたところに移動した俺たちは、少し良さ気な休憩所に腰を落ち着かせる。
「さっきはすまなかった。犯罪者になるところを助けてくれてありがとう」
「いえ。俺もそういう経験は何度かありますから。アイツら、特に女性警官って人の話を全く聞かないんですよね」
実はそれで俺は殺されかけたことがあるのだが、それはあえて言わない。どうせ信じてくれないし、信じてもらうには俺の正体を明かした方が早いが、気付いたら男にも狙われそうだからだ。
「でも、どうしてあんなところに?」
「……実はね、僕はつい最近まで牢屋に入っていたんだ」
「………」
突然のカミングアウトにどういう反応をすればいいのかわからなくなる。だがその男の人はまだ続けるのだった。
「その刑は本当は正当防衛っていうか、自業自得っていうか、僕の関係者だったけど自滅して、早急に対応したからなんとかその人は一命をとりとめたんだけど……」
その先の展開はなんとなく予想できた。
「もしかして、あなたが刺したことにされたとか?」
「………うん。女性優遇制度ができてから大体5年ぐらいが経過した時かな。それで相手の女性の証言が優先されちゃってね。周りも僕は無実だって信じてくれたけど、それでも有罪判決が下ってしまったんだ」
それを聞いた俺は思わず涙を流してしまった。
(………なんて不遇な人なんだろう)
どこからどう見ても虫すら殺せそうにない人なのに、そんな人を逮捕するなんて警察もどうかしている。いや、今更か。
「……心中、お察しします」
「……ありがとう。で、今日久々に娘の姿を見たんだ」
唐突にそんなことを言われた俺は嫌な予感が襲った。
「本当に驚いた。まだ中学生のはずなのに、寄りにも寄って二股をかけるような男と一緒に並んでいるとは思わなくて。しかも妻もそいつと知り合いみたいじゃないか!」
「………」
あ、これはもう逃げた方がいいかもしれない。
そんな嫌な予感がした俺はいつでもそこから離脱しようとした。
「で、ここから本題だ、桂木悠夜君」
俺の事情を知っているのか、あえて名前だけを小さく言ったこの男の人は―――鋭い眼光で俺を捕えた。
「うちの娘と妻―――朱音と晴美とは一体どういう関係なのかな?」
「……………」
まさかの父親の登場に、俺は動揺を隠せなかった。
■■■
「……なぁ、思ったんだけどさ」
唐突に悠夜を尾行していたカップルの一人―――アラン・バスラーが相棒のレオナ・ボルツに尋ねる。
「何かしら?」
「あれって「修羅場」ってやつだよな?」
紫色のアホ毛を意識してか無意識なのかはわからないが、アランは悠夜の服に朱音経由で付けられた盗聴器からの会話を聞き、そんなコメントをする。
だがレオナはそれよりも悠夜がどんなことを言うのか気になっているようで、アランの言葉をスルーしていた。
『あ、あの、それはですね………』
悠夜もどう弁明しようかと考えているようだが、その反応にレオナは辟易とする。
「もう、早く言えば良いでしょうが。「付き合っている間柄です」って」
「いや、あの二人は付き合っているわけではないだろ」
「そういうわけじゃないのよ! ここで誠意を見せればいいのよ! ほら、早く言いなさい。大体、今はできないだけで時間が立てばどうせするんでしょうが!」
「聞こえる。聞こえるからもっと静かに」
この二人は本来なら朱音の護衛に付いているはずだが、悠夜が下着売り場に入れないことで晴美にバトンタッチし、リカルドが遠距離からばれないように護衛することになり、代わりに二人で悠夜の護衛をしているのである。
実はもう一組、悠夜の護衛をしているところがあるのだが、当然ながらそっちはこの二人の存在に気付いていない。いや、厳密には一人は気付いているがもう一人は諸事情により放心状態となっている。
『はっきり言っても大丈夫だよ。場合によってはコンクリートとキスをしてもらうことになるだけだ』
『………』
周囲を放置して二人だけの空間を作る男性と男子の姿を見てレオナは飛び出そうとするがアランは止める。
『俺は………彼女とは傍から見ればそのようなことは何度もしていますが恋愛感情を持って接しているわけではありません』
『……………ほう』
———ヤバい
二人は揃ってそう思うが、悠夜は構わず続ける。
『確かにこの答えは父親であるあなたにとって不愉快でしょう。ですが俺は彼女にそういう意味で手を出す気はありません。年齢的にも、そして俺の立場的にも』
悠夜がはっきりと言ったことで男性―――
(………流石は修吾の息子と言ったところか)
そう思いながら雅弘はさっきまでオドオドしていたが吹っ切れた悠夜に対して評価を改め、立ち上がった。
「あの、娘さんには会わないんですか?」
悠夜は反射的にそう言うが、何かを悟った雰囲気を醸し出す雅弘は首を振る。
「悪いがそれはできない。僕は経緯はどうあれ犯罪者に成り下がってしまった以上、朱音に迷惑がかかる。ならば、君のような男に託すのも悪くないと思ってね」
「………それは違う!」
悠夜は雅弘の肩を掴み、動きを止める。
「アンタは今まで一体何を見て来た。朱音ちゃんはあなたを待っているんだ! 確かに朱音ちゃんは俺に懐いているが、それは本来ならアンタに向けられるべき親愛だ! だから会ってやってくれ!」
だが雅弘は振り解き、悠夜と少し距離を離す。
「………ありがとう。ただでさえ君は色々と重荷を背負っているというのに、ここまで朱音のことを考えてくれるなんて親として嬉しいことはない。妻が―――晴美が君を信じる気持ちもわかる」
雅弘は悠夜の方を向いた。そこには悲しみが浮かんでおり、悲壮感が漂っている。
「だからこそ、今の私では会えない。君は子の気持ちがわかるように、私には親としての気持ちがある。だがいずれは会うさ―――それこそ、朱音にはできないことを成し遂げて、一人の親として会いに行くよ―――それまでは、君と義父に二人を頼む」
そう言って雅弘は人ごみに紛れて姿を消す。悠夜が気付いた時には既にその場におらず、悠夜自身も少しは探したがやがて察し、下着売り場の方へと戻るのだった。
先程の下着売り場。そこから二人の少女と一人の女性が姿を現す。
その光景を見ていた一人の男性はすれ違う形で二人の無事を確かめ、誰にもばれない様に新たなる目標を胸に抱いてそこから去って行った。
ということで親父回。私は自分の父親を見て思うことは「プライド高すぎない?」ということだったり。
実は前々からこういうことはしようと考えていたのですが、見事に少ないしなんというか締まりがないし。
さて、次回はきちっとしたデート回をしようと思います。何かみなさんすみませんね、ホント。
ちなみにですが、クリスマスに備えて恋愛ものを書こうとしたのですが、長くなりそうなのとグダグダになりそうなので止めました。同様にお正月ネタもありません。いつも通りこちらを投稿していきます。
もし投稿するようでしたら活動報告にアップすることをお約束します。