55
大魔王の城、奥の間。
〘ゴーリキ〙が
〘勇者〙と〘王女〙の後に立つ二人の〘大魔王〙。囚われのはずの二人は四肢は自由にされており、いつでも逃げ出すことができそうだった。
ララ、春菜ちゃん!と叫びたい声を飲み込むリト。それは二人の顔が、目が、いつになく真剣でまっすぐに自分に、まるで
「…じゃぁバトルを始めよっか♪…でもその前にぃ~リトくんは二人をどう思ってるんですかぁ~?」
〘大魔王キョーコ〙の隣に立つ赤いマントを纏った骸骨仮面の男。不気味なその人物は見たことが無いはずだったが、リトは纏う雰囲気を何処かで感じたことがあった。
「だからなんでお前に答えなきゃいけないんだよ!二人を返せ!」
「答えて、結城くん」
「はる…西連寺…」
「教えてリト」
「ララ…」
囚われの二人までも〘大魔王キョーコ〙の味方をするとは思わなかった〘花屋〙結城リトはゴクリと唾を飲み込んだ。見開かれる瞳が少しだけ揺れる、それはこのゲームの世界へ転移させられてからずっと感じていた、どこか落ち着かない気持ちそのものだった。
言ってしまえば、口を開いてしまえばもう二度と戻れない、立ち止まるリトに決意をさせるように〘勇者〙と〘王女〙の衣装が光り輝き、呼応した四隅の鏡が眩い虹色の光を放つ。暗黒の大魔王の城はいつの間にか厳かな聖なる教会へと変わる。赤い絨毯が敷かれた静謐な教会、聖壇は幻想的で圧倒的な美しい蒼のステンドグラスの光を浴び、流れる賛美歌もその雰囲気を強めている。リトの視線の先に立つウェディング・ドレスの二人の花嫁。百合の花の純白のブーケを持つ春菜。桃色の薔薇のブーケをもつララ。静謐な教会の聖壇の前にいる花嫁達の後には聖書を携える牧師ではなく、黒のタキシードに身を包む〘大魔王〙骸骨の仮面とマントを気取ったように脱ぎ捨てた秋人が立ち、ニヤリと悪く微笑う。大魔王役を辞めたつもりなのか、首元のボタンが止められておらず着崩されたそれは〘大魔王〙の不遜な態度によく映えていた。同じく傍らの〘大魔王キョーコ〙だけは姿が変わらず、とんがり帽子に水着のような下着のような衣。秋人と同じく大魔王役であったが隣の男の愛人にしか見えなかった。
並ぶ花嫁たちはゆっくりと、一歩ずつ踏みしめるようにリトへ歩み寄る。二人の横にはエスコートする紳士も父も
〘大魔王キョーコ〙がもう一度指を弾くと姿を消える、代わりに教会内に観客たちが召喚される。ヴァージンロードを挟むように設けられた席に座る〘武闘家〙、〘魔道士〙、〘小柄なマント〙だけではなく、天条院沙姫や九条凛、藤崎綾の姿があった。突然転移させられたというのに観客たちは押し黙って挙式を見守っている。そこにはそれぞれ理由があった。
遂にリトの目の前に立つララと春菜。二人を交互に見たリトは掌を開き、ぎゅっと握り締める。ゆっくり瞳を閉じ、大きく開く。花嫁二人は瞳を俯かせ、それを眺めていた。
息を呑む。口を開く、声音は意思を正確にララへと、春菜へと
「…ララ、オレ、お前のコト……好き、かも、しれない。……でも、オレは、オレにはずっと好きだった人がいたんだ。」
「…うん。」
知ってるよ、と桃色の薔薇は
「でも、その人はオレじゃなくて違う、別な人が好きで…」
「…うん。」
頷くベールがまた揺れる。
純白の百合はゆっくり振り返り、元居た場所へと歩みを進める。一歩、一歩リトからゆっくり遠ざかっていく
「オレから見てもその、似合うっていうのか、ふたりが並んでるのが自然っていうのか…」
「うん。」
頷く薔薇はベールをまた揺らす。
ゆっくり遠ざかっていく純白の百合へ別れを告げるリト。賛美歌が美しい音を奏で続ける。視線は薔薇を捉えたままだった。
「だから、、諦める…………諦めるってそう簡単にできないけど、その…その方が、その人にとって一番いいんだって思うんだ…」
「うん…。」
優しいもんね、リトは、と薔薇は
「でも、その人の代わりにララを、って違うと思うんだ。」
「うん。」
そして真っ直ぐで
「だから、友達になってくれないか、ララ…婚約者候補とかそんなの関係無くして、一から、さ」
「うん、……うんうん!」
温かい気持ちになる。だから私はそんなリトの事が
「じゃあ、おっし、言うぞララ……さん。オレと友達になって下さい!」
「…うん!うんうんうん!ヨロシクね!リト!……くん!」
大好きなんだ。
真っ直ぐ真剣で優しい顔のリトにララは涙を一筋零して笑顔で答える。揺れで外れた
春菜の背後で結ばれる確かな友情の絆。ベールの下で微笑む春菜は晴れやかだった。
――――――おめでとう、ララさん…次は私の番…だね、
――――――ありがとう、がんばって!はるなっ!
秋人の目の前にゆっくり向かい立つ春菜。
百合の花嫁はベールによって表情が分からない。彼女を誰より知る兄である秋人でさえも。きっとこの場で分かっていたのはリトとララの二人だけだったろう。
春菜の心は澄み渡り、この場の誰より穏やかで、静かに、優しく、広がっていた。
無限に広がるその宇宙はあらゆるものを包み込み、春菜の躰に翼を生やす。
純白の翼を纏った純白の花嫁は文字通り花そのものだ。
「お兄ちゃん、ううん、秋人くん、聞いて…」
「…。」
「今までごめんなさい。本当にごめんなさい。…それから、ありがとう、」
「…。」
「私はお兄ちゃんの、秋人くんの力を借りなくても自分の恋を頑張れるよ、しあわせってきっと、たぶん、自分自身の手で掴まなきゃダメ…だと思うから、誰かに縋って、頼ってばかりじゃ…ダメ、だよね」
「…。」
「だから…私は、西連寺春菜は、もうお兄ちゃんを…西連寺秋人さんを頼りません」
「…そうか」
「うん。」
微笑む花は心底美しい。今までみたどんな花より可憐で、優しく魅力的で、それでいて永遠を思わせる純白の輝き。同じく花の前で微笑む秋人も同じくらいの輝きがあった。
「だから、聞いて欲しい、よ」
――ぞわりとした。鼓動が撥ねた。
「私は、貴方のことが好きです。この宇宙でいちばん。他の誰にも負けないくらい」
春菜の心に広がり続ける宇宙は冷たく明るい
花嫁自ら
熱っぽい潤んだ瞳を閉じ小さく顎を上げ来るべき瞬間を待つ。
兄だから、妹だからでもなく、友達でも、共犯者でもなく、応援するもの、されるものでもなく、神と創造物でもなく、一人の少年と一人の少女として、触れて、感じてみたかった、心地の良い関係を捨て去ってしまっても、ララとリトが踏み出した一歩のように、新しい関係を築く決意の一歩を踏み出し、共にふたりで、しあわせへと歩む、そっと秋人へと手を差し伸べるように――……
――春菜は秋人に唇で、熱を求めた。
朱い百合の花びらが一秒、二秒と時と共にキョリが縮める。それは絶対に元には戻らない時間とキョリ。不可逆なものだった。触れてしまえば、感じてしまえば、甘い毒に冒され女神でさえも無事ではすまない。もう目の前の男なしでは息さえも、鼓動さえも機能しなくなるのかもしれない、それでも……
すぐ近くに秋人の吐息を感じた。鼻先を同じく鼻先が
そして重なる。いよいよ重なるその瞬間、春菜が感じたのは――――…
甘く、切なく、狂う惜しいほどの溢れる愛の熱ではなく、
――――――冷たく、硬い、無情の指の感触だった。
こんなのって、ないよ…
こんなもの、俺は望んでない。
秋人の恐怖さえも包み込んだ春菜の宇宙は静かにそっと、消えない火を秋人に灯してしまう。
それは春菜が身を寄せるごとに燃え上がり激しさを増していた。きっとこの場で気づいていたのは髪を後ろで一つ結びにした女だけであったろう。それにあとから、もう一人…
固まり、散っていく花びらと共に轟音が鳴り響き、大きく地が揺れ、二つの世界の崩壊が始まっていく。
崩れていく電脳世界では誰一人動けずにいた。亀裂が入り、空間が割れ、音を立てて崩壊していく教会、世界も、時間さえも止まり本当に作り物のように。
白百合の世界では愛した男に捨てられた女神が倒れ伏し動けずに居た。
瞬間、時が動き出す。突き動かしたのは【魔王】秋人。大きく思い切り突き飛ばされ背後のララもろともリトへ倒れこみぶつかったのは花嫁、〘勇者〙春菜。
ぺっと唾を吐く【魔王】の表情は侮蔑、嫌悪。邪魔だ、気持ちが悪いと唇が語る
「汚い顔を近づけんな、ウザいっての」
しっしっと手をふる邪悪な【魔王】
――――地獄って、きっと、こんなだ。そう思いながら目の前で繰り広げられる春菜ちゃんとそのお兄さんのやりとりを見てた。後ろから見える春菜ちゃんの表情はどんなものだろうと思う。きっと正面から見れば信じられないほどに綺麗で、きっと女神様か何かだとオレは勘違いするだろう。でもその女神様はオレじゃなくて、お兄さんが、秋人さんが好きで…
ずっと気持ちが繋がればいいと思ってた。もちろんオレと春菜ちゃんの、でも今は確かに繋がっている気がする。それはオレが望んだ繋がりじゃなかったけど、どこまでも爽やかで晴れやかで穏やかで、優しく、温かな気持ちにさせてくれるような繋がりだった。
女神様と出会ってそんな繋がりを結べた地獄なら、きっとそれは勘違いで、天国なはず………だった。たった今目の前でその女神様が鋭い剣で刺し貫かれる。吹き出した赤い血はそばで見守っていた者達全員を汚した。でも一番汚されたのは、辛いのは、悲しいのは、痛いのは、目の前のぶつかってきた白い背中だ。
「――――!!お前はッ!何を、やってんだよッッ!!!」
〘花屋〙は弾けたように咆える。自身の恋の終わりを嘆いて怒っているのではない。自身の大切な者が、春菜が踏み出した一歩を目の前の男は踏みにじったのだ。春菜の心の一番近くに居たはずなのに、それなのに傷つけ、抉って、唾まで吐いた。到底許せるはずではなかった。
「邪魔だし、ウザったいから突き飛ばしただけだ、妹のくせに気持ち悪い。不遇ヒロインのくせにカッコつけて生意気だ、気に入らない」
「なんだと!お前ッ!春菜ちゃんは!お前がッ!お前のことが好きなんだぞッッ!」
「そんなの知るかっての。もともとお前の事が好きだったんだよ【結城リト】【西連寺春菜】はそれを俺に乗り換えるとは、なんたる尻軽ヒロインか」
指を向けられるリトは全身から白い炎を吹き出した。それは決して比喩ではなく、押し黙って見守る観客たちの全員に見える程の激しい怒りだった。
「ッ!!!!!!!!!!大切にしなきゃ許さねぇって言ったのはお前だろうがぁッッ!!!!」
〘花屋〙は激しく睨みつけ叫ぶ、二人の花嫁を押しのけると役立ちそうにもない〘じょうろ〙を魔王に思い切り投げつける。【魔王】の額にぶつかったそれは鈍く重い音をたて額から一筋血を流させしめた。
「お前は最低だッ!最悪だッ!なんでお前みたいな奴が――――ッ!!!!!」
「…それ以上アキトを侮辱すれば
細められた赤い瞳が一瞬、強い光を放つ。今の今まで隠れ、動かず見守っていたヤミは遂に動き出す。【魔王】を守護するように立つ金色の闇。
――――目の前の光景に既視感を覚えていた。どこかで体験したような、もしくは聞いたことのあるような…アキトらしくない振る舞い、妹大好きな兄らしくない悲しい暴力。……鬼の表紙絵!瞬間、天啓を得る。私は貴重な情報屋の………
チッ
余計なことをするヤミの背中を睨みつける。コイツはたぶん気づいてしまった。ホントにこのちっこいたい焼き少女は俺を困らせることしかしねぇな…もう脅されても本読んでやらんぞ。…ま、それももう無いことだけど
一歩、後ろへ下がる。誰も気づいた様子はない。
「ヤミ!どけ!なにやってんだよ!なんでかばうんだよ!ソイツは春菜ちゃんをッ!!春菜ちゃんを傷つけたんだぞッ!!!!分かってんのかよッ!!!!」
「…分かってないのは貴方の方ですよ結城リト。喧しいので汚い口を閉じて下さい」
「――ッ!」
リトは目の前で立ち塞がる闇にさえ怯えず、闘志を滾らせる。握られ続けている両拳は真っ白で最早血潮はそこにはなかった。
「リト!待って違うよ、きっとヤミさんは…」
席を立つ美柑の時間も動き出し、秋人はもう二歩後ろへと下がる。
倒れこみ、失意の春菜の目は暗く光を失っていた。……もう一歩後ろへ下がる
ララは春菜にしっかりして、はるなっ!と肩を揺すっていた、あと少し、と足を擦る
凛は厳しい目で俺を見ていた。その場所へと至る
そして地が崩れ、支えを失った躰は虹色の異次元空間へと堕ちていく。
遠ざかっていく春菜の目に光が宿る。何より強い意志の光が
「お兄ちゃんッッッ!!!!」
泣き叫びブーケを投げ捨て飛び込むように走る春菜が見える。
春菜に突き飛ばされ驚いた目で俺と春菜をみるララが見える。
声に振り向き大きな金の腕を走らせるヤミが見える。
片手を懸命に伸ばし駆け寄ろうと走る美柑が見える。
……凛は厳しい目を向けたまま動かなかった。
「結城リトッ!!」
「!」
異次元空間へ飛び込み、共に落ちようとする春菜の腰を掴むリト、よっしゃ!ナイスキャッチ!と微笑う
「ッ!離してッッ!!!お兄ちゃんがッッ!!!秋人がぁっっッッ!!」
「――ッ!西連寺ッ!ダメだッ!落ちるッ!」
「いいから離してッッ!離してよぉぉッッ!!!」
頭を殴らられても、腹を蹴られても暴れる春菜を離さないリト、流石は主人公だぞ、ともう一度微笑った
ポケットに手を突っ込み掴む。【デダイヤル】を取り出してそれを呼び出す。スイッチに指をそえる。ララからもらった【バイバイメモリーくん】押した者の記憶をこの世界に住む者から消し去るそれは、本来なら別な場面で使われるはずのものだ。ま、これも仕方ねーか、と嘲笑った
豆粒みたいになった春菜の黒髪を見る、白の小さな儚い煌き、こんな時でも付けている白百合の髪留め。バカめレースで覆ってたら見えないだろうし、意味もないだろ、ん?俺も服の下でマフラーしてるし、人のこと言えないか、寒いかもしれないだろ?向こうは、準備しておいて損はない!あとそんな顔すんな、お前の泣き顔は嫌いなんだ、泣き虫ヒロインめが、そっちはそっちでうまくやれ、兄離れをあんなかっこ良く皆の前で宣言したんだ。いつまでもピーピー泣いてじゃねーぞ、お兄ちゃんは笑顔の春菜が、俺の、いや違うな、ウチの【西連寺春菜】がいちばんカワイイ!!と思いますよ。
虹色の異次元へと落ちて、もう既に豆粒みたいに小さくなった秋人がスイッチを押す間際。春菜は見た。確かに見た。涙の向こうの唇が、好きだったぞ、と紡いだのを
――それはどっちとして…秋人くん、ずるいよ…お兄ちゃんはいつもそうやって…――
閃光。
白い、眩い、熱の無い、温かい光は世界に溢れ元へと還す。
――静かに広がリ続ける光の世界は無限に広がる可能性のようで…
こうして邪悪なる【魔王】は泣いた〘勇者〙によって退治され、世界に平穏が戻ったのだった。
演者達はそして幕を下ろした。観客兼役者たちの鳴り止まない歓声も、拍手もなく、ただいつまでも止まらない嗚咽と涙を残して――――…
56
しんしんと舞い落ちる雪は帰還者たちへと降り積もる。
冷たい雪がひとひら見上げる春菜の
――――そこはあなたの心があった場所だよ
頭に木霊する声、それはよく知る自身のものだった。
その意味さえも分からないはずの春菜は、感じる空虚感、翼を失った感覚にただ、うん、そうだったね、と涙を流して頷くだけだった。
止むこと無く舞い続ける小さな白い羽たちは、別け隔てなく降り積もる。一秒、一秒と時間が目視できるように落ちていくそれは、確かに時間が進んでいるのだと確信させ、同時に戻ることはないことを示している。それは春菜の唇に落ちて今しがた溶けた雪も同様であった。溶けてしまったその雪はもう元の空へと還らない。
春菜の大事なものだった髪留めはもう雪に覆われ見えなくなった。それほど時が過ぎ去っても春菜の時間は確かに止まっていた。世界のあらゆる法則が彼女に変化を伝えても、躰が冷えきってしまい震えて寒さを伝えても、周りの友人達が呼びかけても、、、
感じないのは当然だった。世界でたった一人きり、取り残されてしまった者には雪など降っていなかった、それは春菜にとっても同じ事だったのだから。
此方の世界ではもうすぐ日の出の時刻。薄明が積雪に反射し街灯がなくても明るい。それでも雪の降っていない街がそこにはあった。この世界の何処かに。
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【 Subtitle 】
55 泣いた花嫁
56 無色の粒降り頻る世界で