IS原作にたどり着け! 『本編完結』   作:エネボル

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22 それは『ロマン』という憧れ 前篇

 ガヤガヤとした昼時の喧騒に満ちる一軒の中華飯店。

 数年前に建てられたその店は、割りと近所でも評判の食事処である。

 土曜の昼。

 平日の同じ時間帯に比べると、平時その店に訪れる客層とは少々、違う顔ぶれが揃っていた。

 彼らは年齢もバラバラで、しかも一部は国籍すらも怪しい。

 そんなある意味で“濃い”面子がそろって座る店のカウンターには、一人の少年が腰を下していた。

 銀色の“懐中時計”を首から提げるその少年は、そんなこの店の常連達に引けを取らない程の“濃いキャラクター”として、店によく馴染んでいた。

 

「――――3が来るな」

「おいおい、正気かよ“秋坊”。そりゃねぇよ」

「アキトは相変わらず勝負師ネ」

「いやいや、別に単勝では賭けねぇよ。でも芝で2000だろ? これ、多分いける気がするんだよな。記念で一枚くらい買っても良いと思うぜ?」

「ねぇよ」

「サスガにちょっとソレはナイワ~」

 

 秋斗は今朝買ったスポーツ新聞をカウンターテーブルの上に広げて言った。

 秋斗のそんな予想(・・)に対して苦笑混じりの苦言を呈すのは、店の常連である土建屋の社長――榊と、店の近所に住む謎の中国人の老人――劉である。

 その2人も秋斗と同様のスポーツ新聞を目の前に広げて、赤のボールペンを片手に真剣な様子で“本日のレース”の予想を立てていた。

 加えて視線の先には、この店の店主が同様の顔で同じ新聞を広げている。

 

「――――良い歳した大人が何やってんだか……」

 

 店の奥に続く母屋の扉から、栗色のツインテールを揺らした少女が現れた。

 秋斗もよく知る凰鈴音だ。

 鈴は徐に腰に手を当て、秋斗を含めた大人達に呆れの吐息を吐いた。

 

「んぁ? なんだ、鈴か。居たのかよ」

「居たわよ! って、いうか此処は私の()なんだから居るに決まってるでしょうが! それと! なんで秋斗まで競馬予想してるのよ!?」

 

 鈴の登場に秋斗は視線を上げて、また新聞に視線を落とす。

 そんな秋斗の様子に、鈴は眉を吊り上げてキャンキャンと怒鳴った。

 

「別に予想するくらいなら無料なんだから良いじゃん? そう怒る事もあるまいよ?」

「そうそう。折角だから鈴ちゃんも一つ予想を立ててくれや?」

「1から18の間の番号でネ」

 

 土曜である今日は、この店に集う一同にとっては重要な日。

 秋のG1――世間では天皇賞と呼ばれる大レースの、まさにその当日である。

 

「お父さんも何か言ってよ?!」

「あ、いや……うむ、でも秋斗君の予想はよく当たるからなぁ……」

「お父さん!」

 

 鈴は父親に矛先を向けるが、鈴の父――凰大力(ファン・ターリー)は苦笑を浮かべるばかり。

 そんな凰親子を尻目に、秋斗はポケットに忍ばせたスマホから馬券の購入サイトにアクセスを掛ける。

 電子世界で作り上げた秋斗のもう一つの顔(アバター)である『オリムラ モモハル』の名義で、秋斗はこっそり予想した三連単の馬券を次々買い漁った。

 

11ブラコーンウルフ

12バーサークモッピー

23ドラゴンスブター

24バイオサンドウィッチ

35アザトゥイアメジスト

36ガンタイシルバー

47グレートマイトカンザシ

48ヌードエプロン

59バインボインマヤー

510アリスアッパラパー

611メシマズクロニクル

612マドカギガ

713サンライズゴールド

714オータムロールペーパー

815ホーステイルレズ

816ゴシックキャット

917マスタングリボルバー

918クッコロシルバリオ

 

 オッズでは3枠5番のアザトゥイアメジストが一番人気。そして4枠7番のグレートマイトカンザシと、3枠6番のガンタイシルバーが続く。

 ラジオから流れる解説アナウンサーの声を聞きながら、秋斗は昼食に“チンジャオロース”を注文した。

 鈴の店に訪れると一夏は酢豚を、千冬はホイコーローを、そして秋斗はチンジャオロースをよく注文する。

 店の主の大力(ターリー)は本場中国で修行を積んだ本物の中華を食わせてくれる。そしてその味だけは流石の一夏も再現出来ないらしく、故に織斑家の一同は足繫くこの店を訪れるのだ。

 

「――――さて、予想はどうなる事か。当たると良いねぇ」

こんなモン(競馬)の何が面白いのかしら……」

 

 鈴は秋斗の隣に座ると、肘を突いた手に顎を乗せてそう溜息を吐いた。

 

「ま、勝ち方が分かんねぇならつまらんだろうな」

「ギャンブルに勝ち方もクソもないわよ。ただの無駄遣いじゃない」

「……まぁ、それも確かにそうなんだが。俺、馬で負けた事一度もねぇんだよな」

「へ?」

 

 鈴の胡散臭そうな表情に対して、秋斗は悪辣に笑みを浮かべながら言った。

 数あるギャンブルの中でも“競馬”に関しては唯一、黒字を生み出す事が出来る。それが秋斗の持論である。

 なぜか? それは裏で当たりを絞れるスロットや、競艇や競輪の様に人間の力が強く及ぶ種目ではないからだ。

 故に馬に関してだけは、秋斗は勝てるギャンブルだと常に思っていた。

 ギャンブルで負けが込む人間の思考としてその際たる例が、“己の決めたルール”に従えない事である。次は当たる。と、そんな風に勝負の中での通算した勝ち負けを考え、予め決めた予算額――つまり最初の“自分ルール”を破ってしまう事が、もっとも負けに繋がる理由なのだと秋斗は思っていた。

 故に秋斗は常に一度の勝負の賭け金や、その日に使う資金の限度の中でどんな形の勝ち負けが起ころうとも、一時的な結果に左右される事無く勝負を行なう賭け方(・・・)長く(前世から)続けていた。

 秋斗の賭け方とはつまり、一度の勝負で勝ち負けを決めてはならない事。つまり“年間を通した勝ち負けの通算で、最終的に黒字か否かで勝敗を決める賭け方”で、ある。

 どんなに予想が高くとも単勝では絶対に買わない。

 上限に設定した金額以上の資金は絶対に使わない。

 酷い負けで無い限り、必ず毎週末に勝負をする。

 そして一年という長期スパンで考え、その年に競馬をするかしないかを決める。

 そんな買い方で秋斗は長年、競馬を嗜んできた。

 無論、この賭け方で勝てるか否かは人それぞれ。それなりの馬に対する知識や経験の積み重ねも必要になるし、元よりセンスのない人間が真似しても必ず益が出るとは限らない方法だ。

 しかし秋斗にはこの賭け方が性に合っており、その賭け方で毎年黒字を作ってきた。

 年間の予算に100万を用意して、年間で50万の黒字を出すという効率の悪いやり方だが2年、3年と続けばそれなりの額になる。まさに『ちりも積もれば山』というギャンブルだ。

 大きく張って、勝つも負けるもギャンブルの楽しみ方の一つであるが、旅行先での一期一会の賭場で無い限り、秋斗は基本的に広く小さく賭けるスタイルをとる。

 そして今日も、秋斗は『オリムラモモハル』という架空の名義で作ったアカウントと裏口座を駆使して、当たる確率の高い組み合わせを順に一つ一つ潰すように買った。

 普通に働いて資金を稼ぐ方がよほど尊いし、益も高い。

 なのでそれはまさしく“遊び”というに他ならない範疇の道楽だが、秋斗はストレス発散と趣味をかねて、毎週末、鈴の店に訪れる常連達と共に競馬を楽しんでいた。

 

「――――に、してもいつも思うが、秋坊はどこで競馬予想なんて覚えた? ん?」

 

 秋斗の隣に座る土建屋の社長――榊が中華ソバを啜りながら問うた。

 秋斗が裏で密かにスマホを使って馬券を買っている事を知らない為、店の常連達は秋斗の事を競馬予想好きの『モノ好きな趣味を持つ小学生』としか認識していない。

 故にか、榊は半ば呆れた様子で言った。

 

「俺にしたって競馬やマージャンも学生の時に覚えたがよ。今更だけど秋坊の趣味は早すぎるぜ。この先、碌な大人にならねェぜ?」

「そんときゃ、榊さんとこの会社に就職するからよろしく」

 

 秋斗は左手に持った箸で榊の頼んだ餃子を一つ取り、あっけらかんと言ってのけた。

 

「カカカ! アキトから貰った借りが多すぎるからネ。真面目に将来、アキトの就職先を考えてやらんといかんヨ、榊さん」

「劉さんまで……」

 

 近所に住む中国生まれの老人――劉が笑いながら言った。

 劉は鈴の一家が日本に移住する際に、その引越しを初めとする身辺の手伝いをした人物である。そして織斑兄弟がまだ幼い頃からこの近所に住んでいる胡散臭い老人の筆頭として有名な御仁だ。

 独特の訛りを伴う口調と、日課のように毎日欠かさず近所の公園で演舞のような“型”を披露する姿。古くからその姿を遠巻きに見ていた所為か、秋斗は以前から、劉を妙な“凄み”を持つ不思議な老人として認識していた。――――しかし交流は無かった。

 劉と秋斗が交流を持つ様になったのは鈴が日本に引っ越してから。そして古くに、鈴に格闘技の手解きを指南した“先生”だと紹介をされて以来である。

 近所の胡散臭い老人が実は拳法の使い手だった。そんな“ロマン”を目の当たりにした秋斗が、その心をくすぐられてしまうのは仕方の無い話である。また秋斗はその前世で人並みに“燃えよドラゴン”の影響を受けた身。故に程なくして、秋斗が劉とよく話す仲になったのは必然だと言える。

 

「―――借りといえば、だ。そう言えば鈴ちゃんから聞いたが、お前さん(秋斗)、引っ越すんだってな?」

 

 思い出した様に尋ねる榊に、秋斗は思わず鈴の方を振り返った。

 鈴は肩を竦め、はにかみつつ言った。

 

「榊さんの会社ならトラックたくさんあるし、引越しの手伝いするなら丁度良いと思って聞いてみたのよ。悪い?」

「いや。ただ“トラック貸してくれ”なんていう冗談をマジで考えてくれたのかと思ってさ」

「なによ、冗談だったの?」

「まぁ、最初はな。だけど嬉しいぜ。随分と気を利かせてくれるじゃん? ありがとよ」

 

 近所から近所への引越しに業者を使うのも馬鹿らしい。故に秋斗は、知り合いのツテを借りて何とか引越しの手間を減らせないものかと考えていた。

 榊が会社のトラックを使わせてくれるのであればそれに越した事はないと、秋斗はありがたく鈴と榊の申し出を受け取った。

 

「家はもう見つけてあんのか?」

「あぁ。こっから歩いて10分ぐらいの所。向こうのデカイ通りをはさんだ先」

「最近、出来たあの新築か? あそこを買ったのか。また、良いところに引っ越すもんだな?」

「いままでがクソ貧乏だったから、このくらいの贅沢はあっても良いだろう? まさに、姉貴様様ってな」

 

 秋斗は笑みを浮かべて、来週に迫った第一回『モンドグロッソ』に思いを馳せる。

 千冬がIS乗りになり社会的に大きな信用を得てくれたお陰で、秋斗が想像する以上に織斑家の状況は好転した。今回、日本を代表するIS乗りとして出場する千冬の名前は既に、近所でももっぱらの噂となっている。

 加えてブログ『オリムラ日記』のアクセスカウンターもスロットマシンよろしくブン周り、現在の織斑家には嘗ての様な生きるか死ぬかに近い貧困の影すら見えない。

 

「モンドグロッソかぁ……」

 

 鈴はカウンターテーブルに頬杖を突きながら、物憂げな吐息を吐いた。

 

「鈴ちゃんもIS乗りになりたいのかぃ?」

「ん~、まだわかんない。でも社会見学でIS見に行った時の千冬さん、凄くかっこよかったしな~。私も目指したら成れるかしら?」

「成れるんじゃね?」

「夢を抱いたら先ずは一歩踏み出してみる事ネ。悩む前に進むがよろし」

 

 秋斗と劉は軽い調子で鈴の背中を押した。

 鈴がこの先IS乗りとなるのかはまだ不明である。だが未来が原作に向っているのならば、恐らくはそうなる(・・・・)と秋斗は思った。

 しかしその過程で鈴とその父――大力(ターリー)の関係が拗れると思うと、どうにも歯がゆさを感じた。何がきっかけで、何が原因で鈴の家が離散する事になるかは、原作知識を持つ秋斗にも分からない。

 故に、秋斗も未来を前に静観する他無かった。

 

(――――確定した未来か)

 

 と、秋斗は不意に思った。

 ある意味で未来を知っている身だが、その実、未来を自ら変えるような事を、秋斗は今まで意識した事がなかった。

 歪んだ現状を知る形の未来に繋げる事は意識しても、それからあえて大きく外れる様な事を考えなかったのだ。

 なぜか?

 それを考えると、秋斗は自分の中に答えが出ない事に気づいた。

 

「――――鈴ちゃんがIS乗りになるとして、だ。秋坊は将来どんな風になりたいんだ? まさか本気で俺の会社に入りたいわけじゃないだろう?」

「ぁん?」

 

 榊の問いに、秋斗は思考の海から復帰した。

 

「……将来、か」

 

 秋斗は咄嗟に答えに詰まった。

 そんな秋斗を尻目に、店の大人達と鈴は、口々に勝手な秋斗の将来予想を立てた。

 

「アキトならきっと面白い大人になるネ。間違いないヨ」

「そうか? 俺は碌でもない男になりそうな気がするがな。アウトレイジに出て来る“丸暴”みたいな感じの。……店長はどう思う?」

「秋斗君の将来、か。そうだなぁ……一夏の方はまだ想像しやすいが、秋斗君の場合はどうだろう? 誰も想像のつかない事を平然と仕事にしてそう、かな? ゴーストバスターズみたいな」

「お、中々良いセンスだネ店長。だったらワタシはメン・イン・ブラックを薦めるヨ。もしくは戦艦ミズーリの謎のコックだネ」

「違うわよ劉さん。秋斗の事だからもっと斜め上に行く筈よ。隕石に穴を開けに行く海底油田採掘業者みたいなアレよ!」

「……お前等、普段からどんな風に俺の事見てるんだ?」

 

 秋斗は思わず溜息を吐いた。

 

「そこまで素っ頓狂な将来を御望みなら、俺は将来“クリント・イースト・ウッド”か“ジェームズ・コバーン”を目指すぜ」

「秋坊。それはちょっと無いわ……」

「ちょっと、それは無理、かな……?」

「誰、それ?」

「………………」

 

 辛辣な意見の数々に秋斗は思わず口をつぐんだ。

 特に鈴の“知らない”という意見には、衝撃と言い換えてもいい“強いカルチャーショック”を感じた。

 嘗て憧れたヒーロー達が、今となってはその名前すらも知られていないと言う時代の移ろいを感じた秋斗は、思わずその悲しみに顔を伏せる。

 ――――すると脇から声が掛かった。

 

「その方向性(・・・)なら多分、アキトは“ミッキー・ローク”とか“ヴァンダム”とかが似合うネ。なんなら格闘技教えてあげようカ?」

 

 秋斗は劉にポンっと肩を叩かれた。

 

「劉さん……」

 

 秋斗は、思わずその手を取った。

 深い皺の刻まれた手には妙な力強さがあった。

 胡散臭い老中国人として近所にその名が知られる劉だが、この瞬間は秋斗の頼もしい味方だった。

 

「アキトには多分“才能”在ると思うヨ。興味があるなら、ワタシが“ヴァンダミングアクション”を伝授してやろうゾ」

 

 劉の提案に、秋斗は思わず眼を見開いた。

 その脇で鈴が『私が必死に勉強した格闘技の名前ってヴァンダミングアクションって言うの? なんかやだな……』とか言っていたが、秋斗はソレを一切無視して劉に問うた。

 

「……俺、ヴァンダムに成れますか!?」

「なれるヨ。アキトしだいね。あ、月謝は月々3,000円ネ」

「おいおい、劉さん。そいつはちょっと胡散臭すぎるだろう? と、言うかガキからたかろうとするなよ」

「いやいや、榊さん。ワタシ凄く真面目ヨ? アキトに才能在るのも事実。大丈夫、中国人嘘吐かない」

「胡散くせぇ……」

 

 榊は劉の物言いに眉を顰める。

 そんな大人達のやり取りを尻目に秋斗は思考を加速させ、そして腹を決めた。

 

「……よし、決めた!」

「秋坊!? お前まさか――――」

「俺、将来“ジャン=クロード・ヴァンダム”目指すわ」

 

 秋斗は沈黙の末に、月々3,000円の月謝で劉から格闘技(ヴァンダミングアクション)の手解きを受ける事にした。

 

「――――お前は何を言ってるんだ?」

「ジャンクロードって、誰?」

 

 鈴の店から帰宅した秋斗は、千冬にそんな将来の決意を顕にした。

 引越しに先立っての荷造りを進める一夏と千冬は、また秋斗が馬鹿な事を言い出したという呆れの表情を浮かべた。

 そんな姉、そして鈴と同様にヴァンダムを知らなかった一夏に対して、秋斗は思わず唇を尖らせた。

 

「たまには外に出ろって散々言ってきたのは姉貴だろうが。だからちょっと現代のヴァンダミングアクションの伝道師になろうと思ってな。剣は一夏と姉貴の独擅場だろ? だから俺は格闘技をやってみる事にしたんだよ」

「……なんだよ、ヴァンダミングアクションって? っていうか格闘技? そんなの何処で教えて貰えるんだ?」

「そいつは秘密。まぁ、しいて言うなら“友達”かな?」

 

 秋斗は鈴の店での一幕をぼかして伝えた。

 具体的には店の客に格闘技の指南が出来る人物が居たというくらいである。

 ソレを伝えると一夏は言った。

 

「教えてもらえるなら俺もちょっと興味あるかも。俺もやろうかな」

「断る。ヴァンダムを知らんアホには絶対教えてやらん。シスコンは木刀でもしこってろ」

「え、なんだよそれ!」

 

 一夏は秋斗の台詞の半分も理解していない様子で、ただ否定された事だけを察して唇を尖らせた。

 その脇で千冬は少し顎に手を当てて黙考した。

 

「まぁ、また訳の判らん事を言い出したのは何時もの事だが、まぁいい。柳韻先生にも秋斗の無手術は褒められていたからな。好きにやってみると良い。部屋に篭るよりは健全だ」

「え、いいのかよ。千冬姉?」

「あぁ、かまわん」

 

 千冬は素っ気無く言うが、少しばかり嬉しそうに口元を緩ませていた。どうやら束を髣髴とさせる引き篭もり癖を持たれるよりは、外に出ている方が良いらしい。

 そんな千冬の放任的な意見に一夏は少しばかり不満そうな声を漏らすが、最終的には小さく溜息を吐いてしぶしぶ納得した。

 

 

 

 

 黒海の海底を進むオレンジ色の潜水艦。それは世界中のどの国にも属さない唯一の個人所有のモノだ。

 平均的な潜水艦に比べると居住スペースがかなり広く取られ、内装は持ち主の趣味を反映して非常に独特。モフモフなカーペットの上には得体の知れぬジャンクパーツが所狭しと散らばり、壁際に置かれた大型機材全て、件の潜水艦を作り上げた本人による自作である。

 

「さてさて、状況はどんな感じなのかなぁ~っと♪」

 

 その艦の主――篠ノ之束は、秋斗に任せた501番目のISコアの学習状況を確認した。

 

 織斑秋斗という少年は、自他共に“天災”と称される束をして不思議な少年だ。年相応という意識が薄く、その趣味は幅広く、思考はまさに常道から外れて斜め上を飛ぶ事が多い。しかし結果だけを見ると、一見素頓狂な発想でも最終的に上手く着地してのける妙な器用さがある。

 こと、発想という点においては、束は秋斗を比肩しうる者と認めていた。

 故に弟子と認め、束自らISコアの一つを任せた。

 そんな秋斗が常に首から提げる“懐中時計”こそ、秋斗に任せたISコアである。それは白騎士の様にISとして展開する事はないが、ISを凌ぐ特有のシールド防御機能と絶対防御機構は併せ持っている。

 しかしその本質は秋斗の護身ではなく、秋斗から“男”について学習する事にある。

 ――――男を学習する。

 それはISがあるべき本来の形に進化する為に必要な要素だ。

 しかし如何に束が天災だとしても、ある意味で概念的なそれを“生娘”が理解するには非常に難しい問題だった。

 故に束は秋斗に任せた。

 

『――――ねぇ、501番ちゃん。そろそろ男の子がどういう存在か理解出来てきた? どんな感じか教えてくれない?』

 

 束は自作したヘッドマウントディスプレイを使い、ISのコアネットワークから秋斗の501番が持つ潜在意識にバーチャル空間で語りかけた。

 ISコアには皆自我が存在する。

 その搭乗者を理解する事でISコアは自然と自我の形や、仮想空間内で使うアバターの傾向も独自に進化する。

 まだ秋斗の501番は仮想空間で使う自我の形すらも曖昧だったが、しかし束の質問に応えるだけの意識は芽生えていた。

 コア501番は、今日まで学習した事を“映像”のイメージで束に伝えた。

 超火力で鈍足の戦車を振り回して一夏の乗ったロボットを追い詰める秋斗の姿。可変式の高軌道戦闘機で鈴のロボットを追い詰める秋斗の姿。大型筐体で二挺のガンコンを駆使し、ひたすらにゾンビを撃ち殺す秋斗の姿。汚い部屋の中でタバコの煙にまみれながらマージャンを打つ秋斗の姿。中年の友達らと真剣な様相で競馬予想して、楽しそうに小銭を稼ぐ秋斗の姿。ゲームセンターで初心者狩りをする高校生の筐体に乱入して、狩られた初心者と同じハメ技で高校生をボコボコにし、悪辣に笑う秋斗の姿。胡散臭い近所の老人から格闘技の手解きを受け、天性の才能を発揮してメキメキと実力を伸ばす秋斗の姿。教育実習生の胸をジッと見据え、帰宅してからソレを基にしたエロシナリオを書く秋斗の姿――――。

 他にも様々なイメージが束に渡された。

 501番目のISコアが秋斗から回収した“男”のサンプルは、何れも束の理解の外にあるモノばかりだ。

 束は思わずぼやいた。

 

『……えっと、大丈夫、かな?』

 

 一先ず秋斗のデータを平均化する為に、最寄りの男子である一夏の観測状況を束は問うた。

 すると501番目のISコアは一夏の観測記録を束に見せる。

 学友と親しげに話す一夏。楽しそうに食事を作る一夏。帰宅してからあられもない格好で酒を嗜む千冬から視線を逸らしつつ、チラチラとその格好を盗み見る一夏。秋斗の言動や行動に時に呆れの、時に怒りの声を出す一夏。真剣な様子で黙々と竹刀を振る一夏。秋斗お勧めの映画の濡れ場から、眼を逸らす一夏。

 等の記録がそこにはあった。

 

『ん~む。なんというかいっくんの方が平均的? かなぁ……』

 

 年相応なという意味では間違いなく一夏に軍配が上がるだろう。束もそう思わざるを得ない結果がそこにはあった。

 

『――――お母様』

『お、もう喋れるのかい? 何々、どうしたの?』

 

 コア501からの初めての質問。

 ディスプレイに表示されたその文章の羅列に、束は思わず身を乗り出して尋ねた。

 “疑問”を抱く事はそのものが自我の形成に最も重要な要素の一つ。故に束は落ち着きを払ってコア501の言葉を待った。

 

『――――ロマンとは何ですか?』

『……は?』

『ロマンです。“男は例え愚かしくともそれに殉ずる日が来る”と“男には例え負けると分かっていても、戦うべき時が来る”と、マスター(秋斗)がそんな風に言っていました。それは全てロマンであるとも。お母様、ロマンとは何ですか? どのような概念なのですか?』

 

 束はこの日、生まれて初めて“わかりません”と返さざるを得ない質問を受けた。


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