篠ノ之束がその人生において偶然出会った織斑秋斗という少年は、所謂“卵”の様なモノ。
羽化した後に産まれるそれが、鳥なのかトカゲなのかドラゴンなのかすら想像も出来ない未知と可能性を秘めた原石に等しかった。
世間一般でいう天才のイメージとは、『0から1を産み出す存在』、もしくは『1を+か-に変質させるか』のどちらかにあるとすれば、篠ノ之束が前者の側に属し、織斑秋斗が後者の側に属すだろう。
そんな風に、ISを生み出した稀代の天才である束をして、織斑秋斗のこれまでに見せた様々な“応用”は、まさに他に類を見ないと呼ぶに相応しい才能だ。
――――故に束は、近年ポッと湧き出た『最も真新しく且つ、最も難しい難題』の解明を、この時、秋斗に任せてみようと密かに思いついた。
難題とはつまり“IS”に関してだ。
要するに『なぜ女性にしかISコアが反応しないのか?』で、ある。
その疑問についての答えは現時点で約8割と言ったところ。が、しかしそれは全て机上の空論でしかなく、理論とは常にその傍らに証明が付きまとうモノだ。
故に束は、その最も重要な証明を得る段階を、改めて秋斗に一任しようかとぼんやりと考えついた。
――――断じてそれに至った理由が、目の前の勝負を観戦するのに飽きてきたからではない。また決して、別に“暇”になったわけでも無い。
「――――ねぇ、あっくん。ちょ~っと付き合ってくれないかなぁ♪」
「ぁん?」
千冬達の勝負を束と同じ様に退屈な表情で眺めていた秋斗。
秋斗がそんな突然の声に脇を見ると、そこには何時に無く胡散臭い笑みを浮かべた束がいた。
先ほどまでのどこかしおらしいナチュラルな調子がすっかりと消え、そこには世界を震撼させた“天災”の姿があった。
秋斗は思わず一歩後ろに下がった。
そんな秋斗に束は後ろ手を組んでじりじりと迫りながら、笑みを浮かべて言った。
「もぅ、そんなに逃げないで欲しいな♪ そんなに時間も取らせないし、別に痛くも無いからさ♪」
「待て待て、いきなりどうしたんすか? 後、具体的な説明を省くな。あと、近い。近いっす。博士」
「そろそろ飽きてきたしさ。場所を変えない? 大丈夫、優しく教えてあげるからさ♪」
「……アンタ、いったい何の話してんだ?」
「いいから、いいから♪ 束さんを信じてさ――――」
ワキワキと両手を動かしながら迫る束だったが、台詞はそこで一端途切れた。――――殺気を感じたからだ。
束が飛びのくと同時にそれまで束の頭があったその位置に一筋の剣閃が走った。同時、千冬の怒号が道場に響いた。
「何をやっとるか、馬鹿ウサギッ!」
「あっぶな!? ちーちゃん、ダメだよ。そんなの人に向って振り回しちゃ。危ないよ?」
「危ないのは貴様の方だろう? 私の弟に何をしようとした!? 言え!」
千冬は秋斗を背中に匿いながら、剣を構えて束を牽制した。
ふと脇を見れば、既にそれぞれの勝負は終っており、柳韻と一夏がなんとも言いがたい微妙な顔を浮かべ、箒が軽蔑するような冷たい視線で束を見ていた。
「あらら。ちょ~っとした御茶目じゃん? WHY SO SERIOUS?」
周囲の様子に束はおどけた調子でそう言うと、肩を竦めてにこりと千冬達に笑顔を浮かべた。
対する千冬はかつて“一撃女”と評された修羅を彷彿とさせる覇気を纏う。
――――そんな2人の様子に柳韻は徐に溜息を吐きながら、秋斗を手招きした。
「秋斗君、ウチの娘がすまなかったね。思えば、あの子は昔から大人しく待つというのが苦手でね。迷惑をかけただろう?」
「いえ、まぁ、知ってて油断してたのもありますから。……それよりウチの姉貴もこれから騒がしくしそうなんで、こっちこそすみません」
「いや、かまわない」
「……止めないんスか?」
秋斗が柳韻に問うと、柳韻は静かに吐息を吐いて肩を竦めた。
「久しぶりにあの子にしてやれることが説教だと思うと気が重い。が、まぁ折を見て止めに入ろう」
類稀なる身体能力を無駄に高度に駆使した千冬と束のじゃれ合いを見て、柳韻は深い溜息を吐く。
そんな柳韻に対し秋斗は内心で頑張れ先生という、励ましの言葉を送った。
「あ、そうだ先生。この後、飯の時に言おうと思ってた頼み事があるんですけどいいっすか?」
「……なんだね?」
秋斗はふと、『丁度良いタイミング』なのではと思い、予てから柳韻に振ろうと思っていた提案を唐突に出した。
「実はちょっとした商売を始めようと思いまして。んで、その書類を作ったんですけど最後に保護者の判子が必要なんです。だから柳韻先生に代わりに印を押して欲しいんですよ」
「…………同じ聡い子でもそうした話をちゃんと通してくれるだけ嬉しいよ。詳しい話は後で聞くから、箒達と先に行って待ってなさい」
「どうも」
柳韻は一瞬、しみじみとした吐息を漏らした。
よほど束が散々やらかした経験がある所為だろうと、秋斗は思いつつ、同時に想像以上にトントン話が進みそうな予感を感じて密かに笑みを浮かべた。
それもこれも丁度良いタイミングで束が、〝素頓狂”な事をやらかしてくれたお陰。
そんな風に師にある意味での感謝の念を送りつつ、秋斗は“この話”に関しては道化を演じる必要もないかと、安堵の吐息を吐きながら、一夏と箒の方に向った。
「――――私が言うのもなんだが、秋斗はもう少し“友達”と言うのを選んだ方が良いのではないか?」
道場を出て一夏と箒と一緒に篠ノ之家の居間に向った秋斗は、そこで箒からなんとも言えない言葉を受けた。
篠ノ之家の造りは住人達に良く似合う古きよき日本家屋で、織斑家に比べると遥かにデカイ。
一同は篠ノ之の母からジュースを貰い、夕食が出来るまでの空き時間に雑談に興じた。
「自分の姉に向って随分と辛辣だな? なに? まだお前等、ギクシャクしてんの?」
「茶化すな。それとギクシャクは……してない筈だ。でも、幾ら天才だからってあの振る舞いは見てるほうが恥ずかしいだろう? もう少しシャンとすれば出来るのに、とはいつも思うが――――」
「そりゃ博士のレベルでクソ真面目になったら、凄い疲れるじゃん?」
「……疲れる?」
箒はコテン、と首を傾げる。
が、秋斗はその質問に答えを返さず、逆に質問を振った。
「それよりふと思ったんだけど、俺も箒も御互い友達を選び出したらボッチにしかならなくねぇか?」
「な! 私はボッチではないぞ!」
「いや、ボッチだろ……? どう思う一夏?」
「ん? まぁ確かに箒は、もう少し周りに愛想良くした方が良いと思う。ソレは秋斗にも言える事だけど」
一夏は広い畳の上にゴロリと寝そべりながら苦笑混じりに言った。
そんな一夏の意見に箒は、少し思うところが有るのか顔を伏せた。が、しかし秋斗は一夏の言葉に思わず言い返した。
「いや、俺の愛想は良いだろ?」
「秋斗の場合は愛想は良くても付き合いが悪いんだよ。学校の皆で何処行こうって話が出てもお前絶対に断るじゃん?」
「だって面白く無さそうなんだもん」
「いや、面白いから! 家に引き篭もってるより絶対面白いから! そういうところがダメなんだよ、お前は」
一夏はやれやれと身を起こしながら溜息を吐いた。
「……引き篭もりって、ますます姉さんにそっくりだな、秋斗は」
「失礼な事を言う。俺と博士が似てるって冗談にしては笑えないな? それに俺は引き篭もりじゃないぞ? まぁ、家に居るのは嫌いじゃねぇけど、断じて引き篭もりじゃない」
一夏と箒の辛辣な意見に、秋斗は思わず口をへの字に曲げた。
が、しかし一夏と箒はそろって首を横に振る。
「いや、自分では分かってないと思うけどお前、束さんにそっくりだよ。千冬姉に怒られてる時なんか、まさにそうだぜ?」
「お父さんから習った言葉で『類は友を呼ぶ』という言葉もある。私も秋斗と話していると時々、姉さんと話しているような錯覚を抱くことがある」
一夏と箒は互いに頷きながら言った。
そんな2人に秋斗は思わず溜息を吐いた。
「…………お前等、そろって好き勝手に散々言ってくれるな? そんなに気が合うなら『結婚』しろよ、もう」
「なっ!? なぜ、そう貴様の意見は飛躍する!?」
「
顔を赤らめて声を荒げる箒に秋斗は、肩を竦めて苦笑を浮かべる。またその様子を見て、「いつの間にフラグが建ってやがったんだ?」と、一夏に同様の笑みを向けた。
しかし対する一夏は不思議な事に、秋斗の零した冗談に少しだけ不快そうな表情を浮かべていた。
「なぁ、秋斗。冗談でもそういう事言うのは止めた方がいいぜ?」
「ぁん? どうしたよ?」
「前に箒とかを苛めてた連中がそう言ってた。女の子と友達だからって、直ぐに結婚しろっていうのは変だろ?」
「おい、一夏。私は別に苛められてなんかいない! それにその話はするなとあれほど――――」
「……何の話だよ、一体?」
不愉快そうな箒を制して、一夏は数日前に学校の教室で起こった事件を秋斗に話した。
数日前、掃除の時間にふざけていた男子を注意した箒が『男女』と囃し立てられ、一夏が仲裁に入ると、ソレを見た悪ガキ達は更に2人を纏めて『夫婦』だと更に煽ったらしい。
それを聞いた秋斗は、なんとも小学生らしい稚拙な話だと思わず苦笑を浮かべた。
「――――なるほど。つまりさっきの俺の台詞は、正に悪ガキ連中のと同じだったと?」
「流石に秋斗のは冗談だって分かるけどさ、やっぱりでも気分悪いぜ。そういうので茶化されると」
「ふ~ん。そいつはすまんかったな。じゃあこのネタはしばらく自重するわ」
「……自重ってなんだ?」
「控えるって事さ」
「いや、止めろよ。控えるんじゃなくて」
それから話題を変えるように、3人は箒が見つけてきたトランプに興じて時間を潰した。
最初は普通の勝負だったが、余りにも脅威的な強さを発揮した秋斗に痛烈な惨敗を続けた一夏と箒の2人は、いつの間にかタッグを組んで秋斗を負かそうと画策を始めた。
そんな2人の様を見て秋斗は、「割りと良いコンビじゃないか」と密かに笑みを零しつつ、粛々と2人から勝ちを拾い続けて時間を潰す。
「――――お前等本当に弱いのな?」
「お前が強すぎるんだよ、クソが!」
「ダウトと七並べが強いとか最悪だな……」
「そう褒めるなよ。照れる」
「「褒めてないっ!」」
二人揃って声を荒げるところも仲の良さの現われだと、秋斗は苦笑を浮かべる。そして口に出さずにもう一度『結婚しろよ』と、内心で皮肉った。
☆
日は落ちて時刻は夕食時に差し迫った。複数の来客にも対応できる篠ノ之家の大きな座敷のテーブルには、その季節の旬をふんだんに使った和食が並んだ。一夏は料理人としてそんな食卓に深く感動し、「おばさんスゲェ!」と、篠ノ之の母を賞賛した。
食卓に篠ノ之家の一同と織斑家の一同が同時に会するのは、実に久しぶりの事である。以前は稽古の終わりに織斑家が食卓に招かれる事もそう珍しいことではなかったが、束がISを発表してから篠ノ之家の周辺が慌しくなるに連れて、自然とその機会は失せていった。
加えて束も一緒にとなると、恐らく初めてである。
上座に家長の柳韻を置き、次に客人である織斑家の一同を年長順に上座の側へ、その対面の下座に篠ノ之家一同が座る。
「――――食事の前に幾つか伝えておきたい事がある。皆、それぞれよく聞いて欲しい」
一同を前に篠ノ之家の家長――柳韻は厳格な様子でそう口を開いた。
柳韻の妻もこの時ばかりはいつもの柔和な顔を少しばかり固くし、箒はそんな両親の様子に少し困惑の表情を見せる。不思議と箒の視線は姉――束の方に向き、束はそんな風に妹から向けられた視線に気づくと、なんとも言えない苦笑を浮かべた。
そして千冬は目を伏せ、一言一句聞き逃さぬようにと視線を柳韻に向ける。一夏もそんな姉の様子に倣う。――――秋斗は一歩引いた様に、腕を組み顎の下に手を添えて柳韻の言葉を待つ。
そもそも今回のこの催しは、千冬と柳韻が双方に伝えておく事柄がある故に始まったモノであり、秋斗はそれに便乗する形で“例の件”を話そうと思っている立場。
故に秋斗は、タイミングを見計らっていた。
「――――前置きを長くしても仕方が無い。結論から言わせて貰うと、だ。一年後に、この道場を閉める事にした」
「……え?」
最初に疑問のような吐息と言葉を漏らしたのは一夏と箒であった。
そして同じ頃、千冬は柳韻の言葉に明らかな動揺を込めた視線を向けた。
「あの、お父さん。道場を閉めるとはその……どういう意味なんですか? まさかそれは――――」
箒が信じたくないと言う様子で柳韻に問う。一夏もまた、同様の意を込めた視線で柳韻を見た。
柳韻はそんな2人の視線を真っ直ぐに受けとり、重々しく、そして短く頷いた。
「そうだ。一年後に我が篠ノ之流剣術道場の門は閉める。そして政府の指示に従い、一旦この地を“去る”事に決めた」
「それは引っ越すってことですか、先生!」
溜まらず声を上げた一夏の言葉に柳韻は「そうだ」と、短く頷いた。
『引っ越す』その単語に一同の中で最も大きな衝撃を受けた箒は、擦れた声で「……なんで?」と問うた。
「……箒ちゃん達を守る為だよ」
「姉さん?」
そこに口を開いたのは束だった。束は箒に対してなんと声を掛けたらよいか分からず、明らかに手探りな様子で慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「……此処から先は私が引き継ぐけど良い?」
「あぁ、お前に任せる」
「そう」
柳韻に素っ気無く了承を得ると、束は注目を集めて言った。
「そもそもの発端は私の所為なんだ。ちょっとばかり派手に名前が売れすぎちゃってね。警戒はしてたけど、見通しが甘かったみたい。どうしても悪い事を考える連中が、“家族”を誘拐して私に言う事を聞かせたいらしいんだ。それで、そうした脅迫文がこっちの家や私の研究所の方に最近結構届いててね。だから……一度箒ちゃん達は名前を隠した方が良いと思ったのさ。…………お父さんも前々から政府の方で保護プログラムで匿うっていう話を受けてたみたいだし――――」
「……脅迫文だと?」
束の言葉に真っ先に千冬が反応した。
「それは本当なのか、束?」
「うん……。残念ながら事実なんだよねぇ、コレが」
束は珍しくどこか達観した様子で深々と頷いた。
そしてもう一度箒に向かい、「ごめんね」と素の口調で、小さく謝った。
☆
名声が高まるとそれに比例して相応の悪意が周囲に付き纏う様になる。故に束は先手を打ち、『白騎士事件』の直後、あえて電波ジャックを繰り返して世間に己の“人柄”を売り込んだ。
各国の軍事力を鼻で笑い、群がるマスコミを武力で恫喝し、凡人には決して御しきれないという自由な人物像を前面的に押し出して、縦横無尽に荒唐無稽な存在として暴れまわった。
全ては『常人には理解出来ない破綻した人物像』を世界に発信する為――所謂“一般的”と言われる大半の恫喝手段に対し、先んじて牽制の釘を刺す為だ。
決して常識的な物差しで計られる存在であってはならない。故に、それこそが束が“天災”の仮面を纏う理由である。
全ては“篠ノ之箒”の存在に帰結する。全てを切り捨てる事で問題の9割が解決するにも関わらず、そんな不安定な道を突き進んだのは『箒の姉でありたい』と言う小さな願いが根底にあるが故だ。
(――――面倒くさい、姉妹だよな。本当に)
秋斗は、箒に対しISを作った己を恨めという様子の束を見て、思わずそんな風に内心で吐息を漏らした。
片方はコンプレックス持ち。片方はコミュ障で、なまじ頭が良すぎる。
加えてすれ違っていた期間が長い所為か、御互いに他人に対する様なレベルで気を使っている。
もっとも、小学生と高校生の小娘達に円滑なやり取りを期待しろと言うのも酷な話なので、秋斗はぎこちない様子で御互いの次の一言を待っている箒と束に、助け舟を出した。
「――――先生、政府の保護って具体的にどう言うのなんすか?」
それまで静観していた秋斗がついに口を開いた事に一同の視線が向いた。
柳韻は秋斗の言葉を受け、難しそうに眉を顰めた。
「それについてはまだ調整中らしい。一先ず、篠ノ之の名前を隠して地方に引っ越すのは決定という事だが――――」
「一年後にそうなるという事ですか?」
「あぁ。具体的な時期は定かでないが、早まる事はあってもそれより遅くなる事はないとの事らしい」
「じゃあ、先生! 今年で箒は転校するって事ですか?!」
「一夏……」
その瞬間、一夏が口を挟んだ。
一夏は具体的に転校という言葉を出し、それを聞いた箒は更に大きくショックを受けたようで、顔を伏せた。
秋斗はそんな一夏を無視して柳韻と、そして束に言った。
「――――んじゃ、具体的に、もっと話を政府と詰めた方が良いですわ。考え方を変えると、それってどう考えても博士に対する体の良い人質扱いですよ? 直前になって一家離散でバラバラに引越し、なんて事にならないよう、その点だけは最初に明らかにしといた方が良いと思いますが…………博士はどう思う?」
「……あ、うん。そうだね! その点だけはしっかり話をしておくよ。ちゃんと箒ちゃんが家族と一緒に居られるようにするからね?」
秋斗の意見を聞いて束は目を見開き、力強い声で箒に言い聞かせた。
対する箒はまだ混乱が収まらぬ様子で、一言、短く口を開いた。
「……姉さんはどうするんですか?」
「え?」
「姉さんが……その、原因だって事はわかる。……でも、一緒に引っ越さないんですか?」
その質問は箒自身を除く篠ノ之の一家全員に向けて放たれたものであった。
一同は沈黙する。
中でも束は一瞬、表情に強く悲痛なものを浮かべた。
――――が、直ぐに何時もの空笑いを浮かべて言った。
「お、まさか箒ちゃんのデレ期到来かな? 嬉しいなぁ、だけどちょっと束さんと一緒には無理かなぁ。件の凡人共の事もあるから、私が皆と顔を合わせるのは出来て数回くらいだと思う。でも連絡は出来るようにするから、安心してくれていいよ」
「……そうですか」
――そんな篠ノ之の姉妹のやり取りから少し離れるように、千冬が柳韻に問うた。
「まさかこの様な話だとは――――」
「すまない。キミ達にも迷惑を掛ける。せめて千冬君が成人するまでは身近で見守ってやりたかったんだがな」
「いえ、それは……しかし私も非常に残念です。先生から受けた恩は返せないほどありますから…………それはそうと、さっき束の言った『脅迫』というのは本当の話なんでしょうか?」
「あぁ、度し難い事だがね。古来より大きな力には魑魅魍魎が群がる。束の作ったISもそうなのだろう……実に嘆かわしい事だが――――」
柳韻は深々と吐息を吐く。
「私1人ならば問題ないが、まだ箒は幼く弱い。今ならば多くの人目を避けて疎開するのは容易いと聞かされるとどうしても、な」
「そうですか……」
「なに、何れまたこの地に戻るつもりだ。少なくとも、今生の別れにする気はないよ」
「そう、ですか――――」
千冬は悲痛な表情を浮かべた。
篠ノ之家の引越し。約一年後に予定されたソレは、奇しくも原作と同じ流れであった。しかし原作と少し違うのは、ぎこちなくも成立している篠ノ之の姿だ。
これが幸か不幸か秋斗には判断が付かなかったが、一個人として、秋斗は彼らに幸あれと内心で祈った。
秋斗はふと、脇に座る一夏を見る。
するとそこには箒と同様に大きなショックを受けた一夏が居た。
道場が無くなる。ライバルが消える。
現時点で生き甲斐に等しいその二つが、同時に消える現実を前にすればこうもなるかと、秋斗は溜息を吐きながら一夏の肩を叩く。
「……おい、一夏?」
「……なんだよ?」
「今年逃したら、箒にリベンジするチャンス無いぞ? 御互い剣道を続けてれば中学高校で会う事もたぶんできるが、少なくとも同じ大会の土俵で雌雄を決するのは今年で最後だぜ? どうすんだよ?」
「っ!?」
去年の秋の剣道大会で惨敗を喫した一夏は、秋斗の台詞にビクリと肩を震わせた。
「っ、そうだな……負けっぱなしで転校させて堪るかよ。絶対勝ってやるさ」
「
「……なぁ、お前、俺の事励ましてるのか?」
「どうだかな。まぁ、好きに受け取れよ。色男」
秋斗は一夏に、どこか悪辣に見える笑みを送った。
「――――さて、少々食事の前には暗い話題だったが、私と束からの話は以上だ。これ以上は冷めてしまうから先に食べよう。千冬君と秋斗君の話はその時でいいかな?」
柳韻が締めくくり、一同が箸を取ったところで千冬がやや首をかしげた。
「構いませんが、……秋斗も何か話す事があるのか?」
「まぁ、な。空気を変えるぐらい馬鹿馬鹿しい話だから、真面目な話なら姉貴に先を譲るぜ」
千冬が首を傾げるのに合わせて、一夏も箒も、篠ノ之の両親も同じ様子を見せる。
唯一、秋斗の話す内容を現時点で知っている束は、先程よりもやや近い位置で箒の隣に座り、どこか期待するような好奇の視線を秋斗に向けていた。
『――――援護要る?』と、束は微かに唇を動かした。
秋斗は『状況によりけり』と、同じ様に唇を動かして返す。
そんな秋斗と束のやり取りを尻目に一同の食事は進み、そして千冬は幾ばくかの時間を置いてから姿勢を正し、一同の注目を集めてから口を開いた。
「私の話と言っても、そう大した事では……ある、か。実は、今年の“IS操縦者候補試験”を受ける事にした。その事を全員に伝えておきたい」
千冬は少し照れくさいのか、淡々とそんな風に己の進路選択を打ち明けた。
「なぁ、秋斗。IS操縦者候補試験……ってなんだ?」
「読んで字の如く、ISの操縦者になるテストだろ? 受かったら……“一撃女”が空を駆ける事になる。つまり最強になるってこったな」
「おい、馬鹿やめろって!」
思わず口走った『一撃女』のワードに、千冬はジロリと秋斗を睨みつけた。だが流石に恩師の前で手は出せなかったらしく、睨むだけに留めた。
また秋斗の方はというと、そんな“些細な事”より千冬が遂にIS業界に踏み出す事を知って大きな笑みを浮かべていた。理由は言わずもがな。これで最終的に、織斑家が貧乏のまま終る可能性が大きく減ったからだ。
そして秋斗と同様に明らかな喜色を顔に浮かべる存在がもう一人居た。無論、束である。
「ちーちゃんも遂にIS乗りになる決意を固めたんだね! っしゃおらー!」
「束、行儀が悪いわよ」
「うるさいな。もぅ、今はそれどころじゃないんだよ!」
束は声を張った事を母親に注意されつつ、千冬の進路決定に大きく喜びをみせる。
「まだ試験を受けると言っただけだ。受かったわけでも無いのにそうはしゃぐな。鬱陶しい。と、いうか貴様は知っているだろう?」
「ちーちゃんの口からあえて聞くって言うのがこういう場面では重要なのさ♪ それに試験なんてもう受かったようなもんだよ」
束の言葉に千冬は、少し恥ずかしそうなそぶりを見せる。
「その試験と言うのは詳しく分からないんですが、大学に行くのとかとは違うんですか?」
と、そこで箒が尋ねた。
「あぁ。進学とはまた違う。進学はお金が掛かるが、こちらの試験は受かれば国から給金が出て、そのままIS乗りとして国家の所属になれるそうだ。所謂、公務員――学校の先生や警察、自衛官みたいなモノになると思ってくれれば良いさ」
「へぇ」
「ダメだよ、ちーちゃん。そんな公務員だなんて夢の無い説明なんかしたら誤解されちゃうじゃん! 箒ちゃんIS乗りって言うのはね、これからの未来で一番人気のある仕事になるんだってことを良く覚えておいてね? 実際にそうなるからさ!」
「はぁ……そうですか」
束は千冬の言葉に慌てて口を挟み、そう箒に言い聞かせるように言った。
箒はそんな束の言葉にやや胡散臭そうな視線を向けたが、逆に一夏はそんな胡散臭い話に眼を輝かせていた。
「束さん束さん、IS乗りの仕事って宇宙に関係する事っすか!?」
「お、いっくんもISに興味が有るのかい? そうだね。最終的には宇宙に行ってもらいたいけど現時点では……っと、これは秘密かな?」
「え?」
「ふふん、覚えておくといいよ。いっくん。きっと三年――いや、二年後かな? きっと面白い事が起こるからさ♪」
「えぇ、なんですかそれ。すっげぇ気になる!」
束は一夏の期待を煽るように仄めかす。
そんなやり取りが目の前で繰り広げられる中、秋斗は内心で「恐らくモンドグロッソの事だろうな……」と、束の言う言葉の意味を密かに予想した。
「――――と、まぁ私からの話は以上だ。受かるかはどうかは分からんが、今年はこの試験に賭ける。受かればその業界に就職と言う形になるだろう。それで……なんだが、な」
「……ぁん? どうしたん、姉貴?」
「……千冬姉?」
「いや、それでなんだが、実はお前達と柳韻先生に先に謝っておきたい事があるんだ」
千冬はそこで一旦、言い辛そうに言葉を切った。
そして柳韻と一夏、秋斗を確認するように、視線を送った。
「……恐らくだが、今まで以上に家に帰るのが難しくなる。だから出来れば、私の方の試験が終るまで、先生の家で2人の面倒を見てもらえないでしょうか? 先の引越しの件もあると思いますし、不躾な提案でご迷惑なのは重々承知の上です。ですが、お願いします!」
千冬はそこで深々と篠ノ之夫妻に頭を下げた。
千冬の悲痛な顔を見ると、それがどれだけ苦渋を孕んだ決断なのかは容易に想像が出来た。
加えて今年一年以内に篠ノ之家が引っ越すという話を、正に先ほど聞いたばかりである。
こんなタイミングでこんな話題を切り出さざるを得なかった千冬の心情は如何ほどだったか? 秋斗はそんな風に千冬の心情に同情をしつつ、同時に、切り出すならこのタイミングしかないと確信した。
――――しかし同時にタイミングを察した“天災”が、にんまりとした笑みを浮かべて先に口を開いた。
「全然大丈夫だよ、ちーちゃん。“あっくん”が何とかしてくれるよ♪」
「……束?」
「……何を言ってるんだお前は?」
柳韻も、その妻も、箒も、一夏も、そして千冬も、束の言葉に首を傾げた。
そして束の言葉にあった見知った名前の存在――秋斗の方に一同の視線が向いた。
「――――今の台詞のタイミング、絶対狙ってただろ? なんで横から掻っ攫うのさ?」
全員の視線を受けながら、秋斗は苦笑のような自嘲のような、そしてどこか悪辣な風で、師である束の空笑いに似た印象のある笑みを浮かべた。
「ふはは、そんな美味しい場面を逃すほど束さんが悠長だとでも思ったのかね? 甘いよ、あっくん。チョコパンやUCCより甘いぜ」
「いやいや空気読めよ。『その言葉が聞きたかった』って台詞をピノ子が言っても仕方ねェだろ? ブラックジャックが言わないと――――」
「それはそれは、あっちょんぶりけ♪」
束がシリアスな空気をぶち壊した事を透かさず察した秋斗は、直ぐに束の天真爛漫なペースに合わせた。
何時もの音声通話の時の様な気安いやり取りを少し交わした後、一言断りを入れてから、秋斗は席を立った。
――――そして家から持ってきた鞄から、分厚い封筒を取り出し、それをちゃぶ台の上にポンッと置いた。
「ま、茶番はこの辺にして、だ。姉貴、ココに『500万』用意したから、バイト辞めちまえ。こんだけ在ればしばらく安泰だろ?」
「なっ!?」
束を除く一同が、秋斗のそんな行動に大きく眼を見開いた。中でも、千冬は顎が外れんばかりの驚愕を貼り付けて固まっていた。
「に、しても窓口使わずに“現金”を引き出すのは結構しんどかったぜ……。現金輸送って中々神経使うのな? 二度とやりたくねェわ」
秋斗は取り出した一万円札の束を千冬に突きつけながら、“この日”の為に身につけた道化師のような悪辣とした笑みを浮かべて言った。
書きたい事を書いてたら、脇道にそれまくる。それが如実に出た感じかも。
あと、束さんは意図して仮面かぶってる設定ですが、実際、素の状態で“天災”じゃないわけでもない感じです。
※ATMの件ちょっと直しました。